黒川村 (新潟県北蒲原郡)
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くろかわむら 黒川村 | |||||
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廃止日 | 2005年9月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 北蒲原郡中条町・黒川村 → 胎内市 | ||||
現在の自治体 | 胎内市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
郡 | 北蒲原郡 | ||||
市町村コード | 15311-7 | ||||
面積 | 180.60 km2 | ||||
総人口 |
6,458人 (2005年4月1日) | ||||
隣接自治体 |
新潟県:新発田市、中条町、荒川町、関川村 山形県:小国町 | ||||
村の木 | ヤマボウシ | ||||
村の花 | イイデリンドウ | ||||
村の鳥 | ヤマセミ | ||||
黒川村役場 | |||||
所在地 |
〒959-2807 新潟県北蒲原郡黒川村黒川1410 胎内市黒川庁舎(旧村役場) | ||||
外部リンク | 黒川村HP(アーカイブ) | ||||
座標 | 北緯38度04分28秒 東経139度26分27秒 / 北緯38.0745度 東経139.44075度座標: 北緯38度04分28秒 東経139度26分27秒 / 北緯38.0745度 東経139.44075度 | ||||
特記事項 | 世帯数:1,784世帯(2005年4月1日) | ||||
ウィキプロジェクト |
黒川村(くろかわむら)は、新潟県の北東にある北蒲原郡の北端に位置した村である。中条町への通勤率は19.0%(平成12年国勢調査)。2005年9月1日に中条町と合併して胎内市となった。
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]江戸時代には周辺一帯を領有する黒川藩の陣屋が置かれていたほか、街道の宿場町[1]となっていた。「黒川」の名は原油が流れていたことに由来するとされる[1]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い黒川町、下江端村、東牧村、近江新村、切田村、蔵王村、塩沢村、下館村、下赤谷村、太田野原新田の区域を以って北蒲原郡黒川村が発足。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 鼓坂村・坪江村と合併して、改めて黒川村が発足。
- 1962年(昭和37年)9月10日 - 村章が公募により制定される。[2]
- 1967年(昭和42年)8月28日 - 羽越豪雨により下荒川地区、須巻地区、持倉地区で鉄砲水(土石流)が発生。死者・行方不明者26人[3]。
- 1970年(昭和45年)
- 2月1日 - 中条町と境界の一部を変更。
- 11月1日 - 中条町の一部を編入。
- 1971年(昭和46年)12月1日 - 岩船郡荒川町と境界の一部を変更。
- 2005年(平成17年)9月1日 - 中条町と合併し、胎内市が発足。同日黒川村廃止。
行政
[編集]初代村長は同一自治体としては全国最多の12期連続当選の記録を持つ。
- 村長
経済
[編集]畜産が盛んで、胎内牛と呼ばれるブランド牛や黒豚が特産。ハム・ソーセージ等の加工品は1989年に東京・市ヶ谷にオープンしたアンテナショップ「浪漫亭 新潟県黒川村東京役場」でも売り出されていた[4][5]。1999年には原材料のホップと麦をすべて村内で栽培した自給自足の村営地ビール工場を開設[6]。このほか、ジャージー牛の乳製品やそばも特産品である[7]。
1965年のスキー場開設を皮切りに胎内川のリゾート・観光開発が盛んに進められ、2000年時点では3棟のホテル、ビール園、ゴルフ場、クアハウスなどの施設がすべて村の観光特別会計により村職員中心で運営されていた[8]。観光・リゾートと農業を一体化した「観光農業」を打ち出し、可能な限り一次産品を地元の観光施設等で消費・加工・販売する方針をとっていた[8]。
教育
[編集]- 黒川中学校
- 大長谷小学校
- 黒川小学校
- 鼓岡小学校
交通
[編集]鉄道
[編集]旧村域北端の中条町・荒川町の境界が入り組んでいる箇所にJR羽越本線が数十メートルほど通過しているが、現在に至るまで駅は未設置。
バス
[編集]道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]胎内川沿いは前述のようにリゾートとして整備された。
- 胎内リゾート 胎内エリア
- 胎内スキー場
- 胎内パークホテル - 1980年、国民宿舎および農林漁業体験実習館としてスキー場に隣接してオープンした地上5階地下1階建の施設[10]。
- ニュー胎内パークホテル - 胎内パークホテルに隣接し、村直営ホテルとして1987年オープンした地上5階地下1階建の施設[11]。
- ロイヤル胎内パークホテル[12]
- 胎内昆虫の家 - 1987年オープン[11]。
- 胎内自然天文館 - 2004年オープン[13]。
- 胎内高原ビール園[12]
- 胎内フラワーパーク[12]
- そば処みゆき庵[12]
- グルメランド胎内(農畜産加工センター) - 1990年オープン[14]。
- 胎内平キャンプ場[12]
- 下越スポーツハウス
- 胎内リゾート 樽ヶ橋エリア
- クアハウスたいない[12]
- 胎内グランドホテル - 村営ホテル。
- 奥胎内ヒュッテ - 2005年竣工[9]。
- 蔵王権現遺跡
- 黒川城跡
- 臭水油坪
- 胎内星まつり
- 道の駅胎内
出身人物
[編集]その他
[編集]- 吉岡忍『奇跡を起こした村のはなし』(ちくまプリマー新書・筑摩書房、ISBN 4-480-68710-6):昭和30年から12期48年間、平成15年まで村長を務めた伊藤孝二郎を中心に、黒川村の村おこしを紹介している。
脚注
[編集]- ^ a b 「黒川村ってどんなところ?」(PDF)『まちだよりなかじょう』第821号、中条町、2005年6月1日、12頁。
- ^ 広報くろかわ 昭和37年9月10日号 村章決まる
- ^ 祭りの夜の惨害 黒川村 22人依然不明『朝日新聞』昭和42年8月29日夕刊、3版、9面
- ^ “東京にアンテナショップ、黒川村―胎内牛など売り込み。”. 日本経済新聞. (1989年4月7日). p. 22 地方経済面 新潟
- ^ “黒川村―“全村一丸”で農業守る(あの町この村創生元年)”. 日本経済新聞. (1989年4月12日). p. 22 地方経済面 新潟
- ^ “新潟・黒川村、自給自足地ビール工場―原材料、すべて村内から。”. 日経流通新聞. (1998年9月3日). p. 17
- ^ 「黒川村ってどんなところ?」(PDF)『まちだよりなかじょう』第823号、中条町、2005年7月1日、2頁。
- ^ a b “地産地消への挑戦(7)観光と連携し販路維持―特産品、村外に出さず。”. 日経流通新聞. (2000年3月14日). p. 12
- ^ a b 「奥胎内ヒュッテ、竣工」(PDF)『広報くろかわ』第374号、黒川村、2005年6月、2頁。
- ^ “新潟・黒川村―災害原点に観光開発次々(地域おこし実践講座)”. 日経流通新聞. (1990年10月11日). p. 13
- ^ a b “新潟・黒川村、新ホテルと昆虫の家、27日開業。”. 日本経済新聞. (1987年4月18日). p. 22 地方経済面 新潟
- ^ a b c d e f 「黒川村ってどんなところ?」(PDF)『まちだよりなかじょう』第825号、中条町、2005年8月1日、2頁。
- ^ 「胎内星まつり2004」(PDF)『広報くろかわ』第365号、黒川村、2004年9月、3頁。
- ^ “グルメランド胎内(新潟)徹底した手作り、村ぐるみで商品育てる(繁盛店ルポ)”. 日経流通新聞: p. 23. (1990年10月4日)
参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 黒川村HP(アーカイブ) - WayBack Machine
- 中条町・黒川村合併協議会
- 中条町・黒川村任意合併協議会
- 胎内市観光協会(旧・黒川村観光協会)