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長崎港

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎港
長崎港の位置(日本内)
長崎港
長崎港の位置(長崎県内)
長崎港
長崎港の位置(長崎市内)
長崎港
長崎港の位置(東シナ海内)
長崎港
所在地
日本の旗 日本
所在地 長崎県長崎市
座標 北緯32度44分40.2秒 東経129度51分59.7秒 / 北緯32.744500度 東経129.866583度 / 32.744500; 129.866583 (長崎港)座標: 北緯32度44分40.2秒 東経129度51分59.7秒 / 北緯32.744500度 東経129.866583度 / 32.744500; 129.866583 (長崎港)
詳細
開港 1571年
管理者 長崎県
種類 重要港湾特定港
主要輸出品 産業機械
主要輸入品 液化天然ガス
統計
統計年度 2006
貨物取扱量 減少2,935,000トン
旅客数 減少1,185,000人
公式サイト 長崎港公式HP
長崎水辺の森公園
長崎港周辺の空中写真。港の西岸(左側)には造船所のドックが多数あり、対する東岸(右側)は丘陵上まで家屋が密集した市街地が形成されている様子が分かる。
1974年撮影の8枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

長崎港(ながさきこう)は、長崎県長崎市に位置する港湾港湾管理者長崎県港湾法上の重要港湾港則法上の特定港に指定されている。

概要

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港を上空から見ると、鶴が羽を広げたような形に見えることから「鶴の港」とも呼ばれる。江戸時代は「鎖国」体制の下にあって江戸幕府西洋オランダ)・中国向けに唯一公認した国際貿易港として栄え(長崎貿易)、明治以降は上海への航路の発地として貿易や旅客の行き来が盛んになった。

現在では、港町長崎の玄関口として、また離島の多い長崎県の交通の要衝であり港中心部の再開発も進んでいる。

一帯は2018年(平成30年)7月28日にみなとオアシスに登録していて、松が枝国際ターミナルビルを代表施設とするみなとオアシスNAGASAKIとして観光拠点ともなっている。松が枝国際観光船埠頭が、2011年度グッドデザイン賞受賞[1]。また出島ハーバーながさき・でじま海の駅として海の駅にも登録されている。

主な施設・地区

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  • 長崎港大波止ターミナルビル(元船地区)
五島列島や伊王島、高島などへの定期旅客船が発着する。
  • 長崎出島ワーフ(常磐・出島地区)
展望デッキやレストラン等が立ち並ぶ複合商業施設。
国際クルーズ客船が接岸する。2010年には入管・税関機能を持った松が枝国際ターミナルビルが完成した。また、2012年には北隣に松が枝国際ターミナル第二ビルが完成した。
長崎県内で唯一の定期コンテナ航路を持つ埠頭。
  • 小ヶ倉柳国際ターミナル(小ヶ倉地区)松が枝国際ターミナルに客船入港時には上海航路のオーシャンローズがこちらのターミナルに入港する。

航路

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出発を待つ九州商船の高速船

旅客航路

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  • 九州商船
    • フェリー
      • 福江港(五島市)- 奈良尾港(新上五島町) - 長崎港
      • 長崎港 - 福江港 - 奈留島(五島市) - 奈良尾港 - 長崎港
      • 長崎港 - 奈良尾港 - 福江港
      • 長崎港 - 福江港
    • 高速船(ジェットフォイル)
      • 長崎港 - 福江港 - 奈良尾港 - 長崎港
      • 長崎港 - 有川港
    • 高速船
  • 五島産業汽船
    • 長崎港 - 鯛之浦(新上五島町)
  • 野母商船
    • 長崎港 - 香焼:三菱重工業長崎造船所香焼工場への通勤者専用航路。
  • 長崎汽船
  • 高島海上交通
    • 長崎港 - 伊王島 - 高島
  • 五島汽船
    • 長崎港 - 福江港

クルーズ

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外貿コンテナ航路

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港勢

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下記のデータは2006年時点のもの。

船舶乗船人員

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  • 1,185千人

海上出入

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  • 貨物量
    • 総貨物量:2,935千トン
    • 外国貿易
      • 輸出:146,492トン
      • 輸入:354,675トン
    • 内国貿易
      • 移出:606,012トン
      • 移入:1,828,132トン

歴史

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江戸時代の銅板図に描かれた長崎港
中央下に出島、左下に新地 が確認できる
1890年(明治23年)の長崎港と市街地
日蘭国交425周年を翌年に控えた2024年に、由縁ある出島埠頭に入港したオランダ海軍フリゲート「トロンプ」

上海航路

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1923年(大正12年)、長崎・上海間に上海連絡船定期航路が開かれた。就航の第一船は日本郵船貨客船「長崎丸」で、翌月には同型姉妹船「上海丸」が就航した。当時長崎 - 東京は汽車で36時間を要していたが、同航路は約26時間で連絡していた。

1930年(昭和5年)には長崎駅から出島岸壁に至る臨港線が完成し、長崎港駅が開設された。「下駄を履いて上海へ」と言われるほど、市民にとって上海は身近な存在だった。

1942年(昭和17年)、長崎丸が長崎港外で浮遊機雷に触れ沈没。翌年には上海丸も揚子江口で輸送船と衝突して沈没し、上海航路は幕を閉じた。

1994年(平成6年)にはハヤシマリンカンパニーと中国の合弁会社により戦後初めて復活し[6]、1996年には貨客船からフェリー形の船舶に変更されたが1997年に利用客数の低迷により廃止された[7]

2012年(平成24年)2月29日にはHTBクルーズにより再度復活した[6]。当初は暫定的に週2便の運航を行い[6]、濃霧などによる遅れの場合、折り返し運転のための時間が必要な分取れないため、週1便の運航となる。2012年6月頃の改装後は一週間に複数便を運航する予定とした。その後尖閣諸島に端を発した日中関係の悪化により2012年10月13日で年内運航休止[8]・2013年1月に無期限休止を発表し使用船は海外へリースされた[9]

イベント

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長崎帆船まつり」時の港内

脚注

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参考文献

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  • 安野眞幸 『港市論―平戸・長崎・横瀬浦』 日本エディタースクール出版部、1992年。

関連文献

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  • 岡林隆敏、吉田優「長崎港の埋立と近代都市の形成」『土木史研究』第12巻、土木学会、1992年、295-304頁、doi:10.2208/journalhs1990.12.295 

関連項目

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外部リンク

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