七尾港
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七尾港 | |
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七尾港 | |
所在地 | |
国 | 日本 |
所在地 | 石川県七尾市 |
座標 | 北緯37度3分17.1秒 東経136度58分37.4秒 / 北緯37.054750度 東経136.977056度座標: 北緯37度3分17.1秒 東経136度58分37.4秒 / 北緯37.054750度 東経136.977056度 |
詳細 | |
開港 | 1899年(明治32年)7月12日[1][2] |
管理者 | 石川県 |
種類 | 重要港湾 |
面積 | 4,040 ha |
統計 | |
統計年度 | 2015年度 |
発着数 | 1,626隻(4,029,667総トン)[3] |
旅客数 | 13,705人[4] |
公式サイト | 七尾港の概要(石川県) |
七尾港(ななおこう)は、石川県七尾市の七尾湾に面している港湾である。港湾管理者は石川県。港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されている。
概要
[編集]古くから香島津(かしまつ)の名で天然の良港として栄えた[5]。江戸時代には北前船の寄港地として繁栄した[2]。
718年(養老2年)、能登国の発足に伴って現在の七尾湾を国津として決め、「香島津」と名付けた。1858年(安政4年)、五ヶ国条約の開港地候補として江戸幕府は加賀藩に対して能登国内に点在する天領と七尾港の領地交換を持ちかけるが加賀藩は拒絶。1862年(文久2年)、加賀藩は港に七尾軍艦所を設け軍港となった。
1899年(明治32年)、勅令により開港場に指定され開港した[1][2][5]。北陸地方では、伏木港(富山県高岡市、現在の伏木富山港)および敦賀港(福井県敦賀市)も開港場として指定されている[6]。当時は2年ごとの輸出入総額が5万円に達しなければ閉港されるという条件付きとなっていた[1]。
現在の七尾港は七尾市府中町から同市矢田新町までの一帯が港湾地帯となっている[7]。また、港一帯はみなとオアシスとして登録していて、能登食祭市場を代表施設とするみなとオアシス七尾「能登食祭市場」として様々なイベントが開催されている。
歴史
[編集]- 1862年(文久2年) - 七尾軍艦所が開設する。 造船所、製鉄所のほか、加賀藩の洋式軍事学問所「壮猶館」の分校として七尾語学所が置かれ、石黒五十二、瓜生外吉、桜井錠二、高山甚太郎、平井晴二郎らが学んだ[8]。
- 1876年(明治9年) - 七尾軍艦所廃止。
- 1897年(明治30年)
- 1899年(明治32年)7月12日 - 勅令により七尾港が開港場に指定[1][2][5]。
- 1904年(明治37年) - 七尾港駅が開業(当初の駅名は矢田新駅)[10]。
- 1914年(大正3年) - 観音崎灯台が完成[10]。
- 1927年(昭和2年)10月 - 第2種重要港湾に指定[11]。
- 1945年(昭和20年)5月25日 - B29が当港に機雷を投下[12]。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年) - 「第1回港まつり」が開催。
- 1951年(昭和26年)1月 - 重要港湾に指定[11]。
- 1957年(昭和32年) - 植物防疫港に指定。
- 1959年(昭和34年) - 検疫所が開設。
- 1982年(昭和57年) - 能登島大橋の開通に伴い、能登島との航路が廃止[14]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 七尾港駅が廃止。
- 1989年(平成元年) - 「国際テント村89'七尾」が開催。
- 1991年(平成3年)9月21日 - 能登食祭市場が開業[15]。
- 2023年(令和5年)10月24日 - ウラジオストク港と七尾を結ぶ旅客船「プレイオナ」が入港。ロシアのウクライナ侵攻以降、日本にロシア船が就航するのは初めてとなる。
施設
[編集]- 府中地区
- 矢田新地区
- 石川県七尾港湾事務所
- 七尾港湾合同庁舎
- 国土交通省北陸地方整備局金沢港湾・空港整備事務所七尾港出張所
- 第九管区海上保安本部七尾海上保安部[7]
- 大阪税関金沢税関支署七尾出張所
- 大田地区
- 七尾市公設地方卸売市場
- 赤崎地区
- 三室地区
- 七尾国家石油ガス備蓄基地[17]
港湾統計
[編集]取扱貨物量は県内の港では最大である[要出典]。現在は在来型貨物船が中心で、コンテナ航路は有していない。
2015年度の発着数は1,626隻(4,029,667総トン)、うち外航商船183隻(3,358,780総トン)[3]、利用客数は13,705人(乗込人員6,901人、上陸人員6,804人)である[4]。
統計年[19] | 取扱貨物量(t) | 入港船舶数(隻) | 入港船舶総トン数(t) | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
計 | (輸出) | (輸入) | 計 | (外航商船) | 計 | (外航商船) | |
2006年(平成18年) | 4,367,769 | 85,999 | 3,641,128 | 1,576 | 241 | 4,191,816 | 3,356,545 |
2005年(平成17年) | 3,857,501 | 64,509 | 3,191,739 | 1,590 | 212 | 3,888,155 | 3,101,388 |
2004年(平成16年) | 4,241,436 | 47,892 | 3,441,369 | 1,771 | 213 | 4,205,210 | 3,273,957 |
2003年(平成15年) | 4,178,536 | 10,876 | 3,383,161 | 1,839 | 184 | 3,909,400 | 3,115,954 |
近隣港湾
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 『図説 七尾の歴史』七尾市役所、2014年10月1日、132頁。
- ^ a b c d 七尾検定 2018, p. 16.
- ^ a b 港湾統計(平成27年度)第2部第1表
- ^ a b 港湾統計(平成27年度)第2部第2表
- ^ a b c 七尾市史 1999, p. 533.
- ^ 『敦賀市史 通史編 下巻』敦賀市役所、1988年3月31日、177頁。
- ^ a b 七尾検定 2018, p. 15.
- ^ 今井一良「パーシバル・オズボンと七尾語学所における教え子たち」『英学史研究』第1984巻第16号、日本英学史学会、1983年、51-62頁、doi:10.5024/jeigakushi.1984.51、ISSN 0386-9490、NAID 130003437291。
- ^ 『北國新聞に見るふるさと110年(上)』北國新聞社、2003年8月5日、53頁。
- ^ a b 七尾検定 2018, p. 12.
- ^ a b 七尾市史 1999, p. 592.
- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)540頁。
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、521頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
- ^ 七尾検定 2018, p. 35.
- ^ a b 七尾検定 2018, p. 41.
- ^ a b “なぜ来たロシア客船 地元は困惑、乗客喜ぶ”. 北国新聞 (2023年10月25日). 2023年10月26日閲覧。
- ^ a b 七尾検定 2018, p. 11.
- ^ “【石川】次世代石炭船が入港 北電大田火力 効率と安全性 向上”. 北陸中日新聞Web. (2022年8月5日). オリジナルの2022年8月5日時点におけるアーカイブ。 2022年9月25日閲覧。
- ^ 石川県土木部港湾課
参考文献
[編集]- 『港湾統計(年報)』国土交通省、2016年 。2017年6月7日閲覧。
- 『新修 七尾市史 9 海運編』七尾市役所、1999年7月20日。
- 『七尾検定2018受検対策参考書』七尾検定実行委員会、2018年11月1日 。2022年9月29日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 七尾港の概要 - 石川県土木部七尾港湾事務所
- 七尾港 - 国土交通省北陸地方整備局金沢港湾・空港整備事務所
- みなとオアシス七尾「能登食祭市場」 - 国土交通省北陸地方整備局