コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高島町 (長崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかしまちょう
高島町
端島(軍艦島)
端島(軍艦島)
高島町旗
高島町旗
高島町章
高島町章
高島町旗 高島町章
1996年平成8年)12月2日制定
廃止日 2005年1月4日
廃止理由 編入合併
香焼町伊王島町高島町野母崎町三和町外海町長崎市
現在の自治体 長崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
西彼杵郡
市町村コード 42303-3
面積 1.34 km2
総人口 778
推計人口、2005年1月1日)
隣接自治体 なし
町の木 アコウ[1]
町の花 ツツジ[1]
高島町役場
所在地 851-1392
長崎県西彼杵郡高島町2706番地
外部リンク 長崎県高島町(アーカイブ版)
座標 北緯32度39分38秒 東経129度45分19秒 / 北緯32.66064度 東経129.75517度 / 32.66064; 129.75517 (高島町)座標: 北緯32度39分38秒 東経129度45分19秒 / 北緯32.66064度 東経129.75517度 / 32.66064; 129.75517 (高島町)
特記事項 編入直前、全国の現存自治体中面積が最少であった。
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

高島町(たかしまちょう)は、長崎県西彼杵郡にあったである。2005年1月4日に長崎市へ編入し、長崎市高島町(たかしままち)となった。

本項では現在の長崎市の一地区としての高島町についても記述する。高島地区(長崎市役所高島地域センター[注釈 1]管内)の人口は373人(2018年2月末日現在、住民基本台帳)。

概要

[編集]

2005年(平成17年)1月3日まで日本で最も面積が小さかった町である。1955年(昭和30年)に端島(西彼杵郡高浜村)を併合した直後は人口16,904人[2]となり、日本で最も人口密度の高い町であった[2]が長崎市に編入する直前には全国で最も人口の少ない町となっていた。

人口

[編集]

1955年(昭和30年)に端島(西彼杵郡高浜村)を併合した直後は人口16,904人であった。鉱業所の町であったので人口は増加傾向であったが、高島炭鉱などの炭鉱が閉鎖されてからは人口が激減[3]長崎市編入合併直前には全国の町で唯一1000人を割っていた。

端島における人口

[編集]

1955年(昭和30年)までは高浜村に属し、端島炭鉱があった。かつては日本一[4]、世界一[5]と言われる人口密度[注釈 2]であったが炭鉱閉鎖後は無人島となった。

地理

[編集]

以下の4島からなる[6](順番は北から南)。

飛島
面積0.01 km2[6]。防波堤で高島と繋がっている。
高島
面積1.24 km2[6]、周囲6.4 km[6]、東西1.2 km[6]、南北1.8 km[6]長崎市中心部から南西14.5 kmに位置する。かつては高島・上二子島・下二子島の3島であったが、埋立により陸続きになった。飛島とも防波堤で繋がっている。高島炭鉱があった。唯一の有人島。
中ノ島
面積0.01 km2[6]。高島と端島の中間にある無人島。一時期だがこの島にも炭鉱があった。
端島(軍艦島)
面積0.1 km2[6]、周囲1.2 km[6]、東西0.16 km[6]、南北0.48 km[6]

面積

[編集]

1.34 km2(当時、日本国内で面積最小の市町村であった)

気候

[編集]

年間平均気温は15℃から16℃[7]、平均降水量は2000mm[7]

町名

[編集]
高島町
日本の旗 日本
都道府県 長崎県
市町村 長崎市
人口
(2018年2月末日)住民基本台帳
 • 合計 373人
等時帯 UTC+9 (JST)
市外局番 095
ナンバープレート 長崎
高島町(たかしままち)
元来、大字や郷・名などの行政単位を設置しておらず、全域番地のみ(高島町××番地)だった。1955年高浜村より端島を編入しており、高島町端島となった。
角川日本地名大辞典によれば、高島町は元来の番地のみの区域と端島のみとされるが、長崎市編入直前の時点で、「高島」「飛島」「中ノ島」「端島」の4字があったとする資料も存在する[8]
ただし、他自治体のように行政区ごとに町名設置はせず、全域が長崎市高島町に改められた[9]。高島本島以外の3島は、長崎市高島町の一部となり、高島町の小字という扱いに変更された。
自治会は本町、小島、高島、光町、西浜が存在する。

歴史

[編集]
  • 1185年 - 平家の落武者が高島にたどり着いて住みついたといわれる。
  • 1695年 - 高島で石炭を発見。
  • 1710年ごろ - 高島で石炭採掘が事業化。
  • 1868年 - トーマス・グラバー佐賀藩の合弁により高島炭鉱が本格的に稼動。
  • 1881年(明治14年) - 高島炭鉱を三菱の岩崎彌太郎に譲渡。
  • 1955年(昭和30年) - 高島炭鉱の支鉱のあった端島(西彼杵郡高浜村)が高島町の区域となる。
  • 1974年(昭和49年) - 端島炭鉱(正式には高島炭鉱の支鉱)が閉山、端島が無人化。
  • 1986年(昭和61年) 11月27日 - 高島炭鉱が閉山する。[3]
  • 1989年 - 町木・町鳥が制定される。[10]
  • 1997年(平成9年) - 飛島磯釣り公園・海水浴場がオープン。
  • 2001年(平成13年) - 三菱マテリアルの私有地であった端島が、高島町へ無償譲渡される。

行政区域の変遷

[編集]

行政

[編集]

町章

[編集]
  • 1969年に三つの小さな輪を基にして、高島町・鉱業所・労働者を表し、それらを囲む輪は平和と家族の円満を意味した初代の町章が制定される[11][10]しかし、初代の町章である
    鉱業所が閉されたことで町章として相応しくない為に変更された[11]
  • 1996年12月2日に由来は不明であるが、2代目の町章が制定される。[12]

産業

[編集]

かつては炭鉱で栄えていたが、1974年に端島炭鉱が、1986年に高島炭鉱がそれぞれ閉山した。その後、世界遺産登録などを経て、観光の町として生まれ変わろうとしている。

教育

[編集]

交通

[編集]
コバルトクィーン1号(高島にて)

高島へは、長崎汽船が長崎港から伊王島経由で高速船(コバルトクィーン)が1日9往復運航している。(平成26年現在)

名所・旧跡・観光スポット

[編集]
  • 飛島磯釣り公園・海水浴場
  • 石炭資料館
  • グラバー別邸跡
  • ゴリラ山(ごんげん山)

高島町出身の著名人

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 2017年10月1日に高島行政センターから改称。
  2. ^ 最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5,267人の人口がおり、人口密度は83600人/km²と世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達した
  3. ^ 高浜村の残部は野母村脇岬村樺島村と合併して野母崎町となった。

参照

[編集]
  1. ^ a b 『高島町の足跡』、3頁。
  2. ^ a b 『高島町政三十年の歩み』、41頁。
  3. ^ a b 平成2年 高島町「町勢要覧」 p1
  4. ^ 長崎新聞、1962年(昭和37年)1月9日
  5. ^ 朝日新聞、1960年(昭和35年)1月16日
  6. ^ a b c d e f g h i j k 『高島町政三十年の歩み』、46頁。
  7. ^ a b 『高島町の足跡』、2頁。
  8. ^ [1]
  9. ^ 長崎市との合併に伴うお知らせ 高島町版 (PDF) 長崎地域合併協議会(国立国会図書館インターネット資料収集保存事業)
    ※8頁「合併後の住所表示について」参照。
  10. ^ a b 平成2年 高島町「町勢要覧」 p2
  11. ^ a b NHKふるさとデータブック p326
  12. ^ 長崎地域合併協議会 慣行の現況

参考文献

[編集]
  • 高島町政30周年記念史編纂部会編 『高島町政三十年の歩み』 高島町、1978年。
  • 高島町役場総務課企画振興班編 『高島町の足跡 高島町閉町記念誌』 高島町、2004年。
  • NHK情報ネットワーク『NHKふるさとデータブック9 [九州 1]』日本放送協会、1992年5月1日。 
  • 高島町企画振興課『平成2年 高島町「町勢要覧」』長崎県西彼杵郡高島町、1990年4月。 
関連文献

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]