針尾駐屯地
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針尾駐屯地 | |
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位置 | |
座標 | 北緯33度05分21秒 東経129度47分25秒 / 北緯33.08917度 東経129.79028度座標: 北緯33度05分21秒 東経129度47分25秒 / 北緯33.08917度 東経129.79028度 |
概要 | |
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開設年 | 1954年 |
針尾駐屯地(はりおちゅうとんち、JGSDF Camp Hario)はかつて長崎県の針尾島にあった第8新隊員教育隊等が駐屯していた陸上自衛隊駐屯地。
概要
[編集]警察予備隊第4管区隊普通科第10連隊(のちに第10普通科連隊に改編)があり、自衛隊の規模拡大と供に当駐屯地所在部隊を母体に各地に部隊が展開された。駐屯地閉鎖後、用地は長崎県に払い下げられ、その後工業団地として造成されたが企業誘致に失敗。ハウステンボスがその用地を使って建設され1992年(平成4年)にオープンした。隣接地に米海軍針尾住宅地区がある。
所在地
[編集]沿革
[編集]大日本帝国海軍
アメリカ軍
厚生省佐世保引揚援護局
警察予備隊針尾駐屯地
保安隊針尾駐屯地
陸上自衛隊針尾駐屯地
駐屯していた部隊
[編集]- 第64連隊主力(第1、第2大隊欠):1951年(昭和26年)5月1日から1952年(昭和27年)12月2日の間。久留米駐屯地に移駐。のちの第4特科連隊(現:西部方面特科連隊第4大隊など)の母体となった部隊。
- 第10連隊:1951年(昭和26年)5月1日から1952年(昭和27年)7月7日の間。大村駐屯地に移駐。(のちの第10普通科連隊、第16普通科連隊などの母体となった連隊。
- 第824救急病院:1951年(昭和26年)9月30日から1952年(昭和27年)10月14日 改称。
- 独立第32特科大隊:1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)10月15日の間。郡山駐屯地に移駐[2]。のちの第6特科連隊(現:東北方面特科連隊)となった大隊。
- 独立第81特科大隊:1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)10月15日の間。浜松駐屯地に移駐[2]。のちの第107特科大隊、第116特科大隊の母体となった部隊。
- 第4特科連隊第1大隊:1954年(昭和29年)7月1日から1954年(昭和29年)11月4日の間。久留米駐屯地に移駐。
- 第4特科連隊第2大隊:1954年(昭和29年)7月1日から1954年(昭和29年)12月29日の間。久留米駐屯地に移駐。
- 第8新隊員教育隊:1954年(昭和29年)7月5日から1955年(昭和30年)10月21日の間。相浦駐屯地に移駐。のちの第2教育連隊となった部隊。
- 第8特科連隊:1956年(昭和31年)1月30日から1957年(昭和32年)3月29日(現:西部方面特科連隊主力など。1956年に久留米で編成後に針尾に移駐。翌年北熊本へ移駐)
- 針尾地区病院:1952年(昭和27年)10月15日から1957年(昭和32年)8月1日(閉鎖)の間。のちの陸上自衛隊熊本地区病院(現:自衛隊熊本病院)となった病院。
- 第114特科大隊:1954年(昭和29年)10月15日から1957年(昭和32年)9月1日の間。(のちの第1特科団・第126特科大隊(現:第2地対艦ミサイル連隊)の母体になった大隊)
最寄の幹線交通
[編集]- 高速道路:西九州自動車道佐世保大塔IC
- 一般道:国道202号、国道205号、長崎県道141号ハウステンボス線、長崎県道213号南風崎停車場指方線
- 鉄道:JR九州大村線 ハウステンボス駅
- 港湾:佐世保港(重要港湾)
- 飛行場:長崎空港(第二種空港)
脚注
[編集]- ^ 基地読本>基地の歩み(その2自衛隊関係)佐世保市
- ^ a b c d e f g 朝雲新聞社編集局 編『陸上自衛隊20年年表』朝雲新聞社、1971年9月20日。
- ^ 『日本砲兵史 : 自衛隊砲兵過去現在未来』(陸上自衛隊富士学校特科会 編 1980.6)
- ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和32年政令第209号)