第10即応機動連隊
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(第10普通科連隊から転送)
第10即応機動連隊 | |
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第10即応機動連隊編成完結式の様子 | |
創設 |
1954年(昭和29年)7月1日 (第10普通科連隊) |
廃止 | 2019年(平成31年)3月25日 |
再編成 |
2019年(平成31年)3月26日 (第10即応機動連隊)[1] |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 即応機動連隊 |
兵科 | 諸職種混成 |
所在地 | 北海道 滝川市 |
編成地 | 針尾 |
愛称 | 白龍連隊[2] |
上級単位 | 第11師団 - 第11旅団 |
担当地域 | 空知総合振興局 |
第10即応機動連隊(だいじゅうそくおうきどうれんたい、JGSDF 10th Rapid Deployment Regiment)は、北海道滝川市の滝川駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第11旅団隷下の即応機動連隊である。2019年に第10普通科連隊より改編された。
概要
[編集]第10普通科連隊を母体として、26中期防に基づき新編された即応機動連隊のひとつである。2018年3月に編成された2個即応機動連隊および同時編成の第22即応機動連隊とは異なり、16式機動戦闘車を装備する機動戦闘車中隊が2個の隊編成ではなく1個機動戦闘車中隊であることと、旅団司令部に火力調整部を保有しない点で違いがある。(北部方面隊では野戦特科および戦車部隊は師団旅団部隊に残す方針のため、これらの部隊が残されている。)
連隊長は1等陸佐が充てられ、滝川駐屯地司令を兼ねる。連隊本部、本部管理中隊、3個普通科中隊、火力支援中隊および機動戦闘車中隊により編成される。
沿革
[編集]- 第10連隊
- 1952年(昭和27年)
- 1月19日:部隊改編
- 1月20日:第10連隊第2大隊(福岡駐屯地)が、第11連隊第3大隊に改称。
- 1月23日:連隊本部及び第1大隊が福岡駐屯地から針尾駐屯地に移駐。
- 7月7日:第10連隊の主力が針尾駐屯地から大村駐屯地に移駐。
- 第10普通科連隊
- 1954年(昭和29年)7月1日:陸上自衛隊発足に伴い、第10普通科連隊に称号変更。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)7月15日:第10普通科連隊(第1大隊欠)が真駒内駐屯地から滝川駐屯地へ移駐。
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:第11師団編成に伴い、第11師団隷下に編入され再編。
- 本部管理中隊及び4個普通科中隊、重迫撃砲中隊編成となる。
- 第26普通科連隊が第1大隊(留萌駐屯地)を基幹として改編され、第2師団隷下に編合。
- 第28普通科連隊が第3大隊を基幹として、滝川駐屯地において編成完結[4][5]。
- 8月3日:第28普通科連隊が滝川駐屯地から函館駐屯地に移駐。
- 1989年(平成元年)3月24日:第11師団改編により、自動車化。
- 2008年(平成20年)3月25日:第4普通科中隊および重迫撃砲中隊を廃止。
- 2008年(平成20年)3月26日:第11師団の旅団化改編による連隊改編。
- 本部管理中隊に重迫撃砲小隊を新編。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第11後方支援隊第2整備中隊第1普通科直接支援小隊へ移管。
- 第10即応機動連隊
- 警備隊区内の担当区域を再編。
- 整備支援担当部隊の第11後方支援隊即応機動直接支援中隊を滝川駐屯地に新編。
警備隊区
[編集]- 第1普通科中隊:赤平市、歌志内市、砂川市、上砂川町
- 第2普通科中隊:新十津川町、浦臼町
- 第3普通科中隊:芦別市、奈井江町
- 火力支援中隊:石狩市、当別町
- 機動戦闘車中隊:滝川市
部隊編成
[編集]- 第10即応機動連隊本部 - 82式指揮通信車
- 第1科(S-1)- 人事 - 第1科広報室
- 第2科(S-2)- 情報
- 第3科(S-3)- 作戦(運用訓練)
- 第4科(S-4)- 兵站
- 最先任上級曹長(CSM)
- 本部管理中隊「10即機 - 本」
- 第1普通科中隊「10即機 - 1」
- 中隊本部班
- 第1小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第2小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第3小銃小隊 - 96式装輪装甲車
- 迫撃砲小隊 ‐ L16 81mm 迫撃砲
- 第2普通科中隊「10即機 - 2」
- 中隊本部班
- 第1小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第2小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第3小銃小隊 - 96式装輪装甲車
- 迫撃砲小隊 - L16 81mm 迫撃砲
- 第3普通科中隊「10即機 - 3」
- 中隊本部班
- 第1小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 第2小銃小隊 - 96式装輪装甲車
- 第3小銃小隊 ‐ 96式装輪装甲車
- 迫撃砲小隊 ‐ L16 81mm 迫撃砲
- 火力支援中隊 ‐ 120mm迫撃砲 RT「10即機 - 火支」
- 機動戦闘車中隊「10即機 - 戦」(旧第11戦車大隊)16式機動戦闘車・96式装輪装甲車・軽装甲機動車
第10普通科連隊廃止時の編成
[編集]- 第10普通科連隊本部
- 本部管理中隊「10普-本」
- 第1普通科中隊「10普-1」 - 96式装輪装甲車
- 第2普通科中隊「10普-2」
- 第3普通科中隊「10普-3」
整備支援部隊
[編集]- 第11後方支援隊第2整備中隊第1普通科直接支援小隊「11後支-2整」(滝川駐屯地):2008年(平成20年)3月26日から2019年(平成31年)3月25日の間。
- 第11後方支援隊即応機動直接支援中隊「11後支-即機」(滝川駐屯地):2019年(平成31年)3月26日から
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第10即応機動連隊長 兼 滝川駐屯地司令 |
1等陸佐 | 小林邦之 | 2024年 | 8月 2日陸上自衛隊富士学校主任教官 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|
第10普通科連隊長 | ||||
1 | 岡崎実雄 (1等警察正) |
1951年 | 5月 1日 - 1951年12月28日警察予備隊福岡駐とん地部隊長 | 警察予備隊総隊総監部勤務 |
2 | 平井重文 (1等保安正) |
1951年12月29日 - 1954年 | 1月28日警察予備隊総隊総監部所属 | 保安隊普通科学校長 兼 前川原駐とん地部隊長 |
3 | 森二三吉 | 1954年 | 1月29日 - 1957年 3月11日保安隊普通科学校 | 第3管区総監部幕僚長 |
4 | 石川頼夫 | 1957年 | 3月12日 - 1958年 3月15日陸上自衛隊幹部学校教育部教官 | 第2管区総監部幕僚長 |
5 | 日隈良 | 1958年 | 3月16日 - 1960年 7月31日陸上幕僚監部監理部管理班長 | 陸上自衛隊富士学校総務部長 |
6 | 栗原重厚 | 1960年 | 8月 1日 - 1963年 7月31日札幌駐とん地業務隊長 | 普通科教導連隊長 |
7 | 志賀鍗二郎 | 1963年 | 8月 1日 - 1965年 7月15日北部方面総監部監察官 | 朝霞駐とん地業務隊長 |
8 | 赤森伸冶 | 1965年 | 7月16日 - 1967年 7月16日防衛研修所所員 | 第6師団司令部幕僚長 |
9 | 桑江良逢 | 1967年 | 7月17日 - 1969年 7月15日中部方面総監部第1部勤務 | 防衛大学校訓練部訓練課長 |
10 | 小松正美 | 1969年 | 7月16日 - 1971年 7月15日西部方面総監部第3部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
11 | 有光丈典 | 1971年 | 7月16日 - 1973年 7月15日統合幕僚学校学校教官 | 陸上幕僚監部第4部総括班長 |
12 | 鈴木七郎 | 1973年 | 7月16日 - 1975年 7月15日西部方面総監部業務室長 | 東北方面総監部第1部長 |
13 | 熊谷義明 | 1975年 | 7月16日 - 1977年 3月15日東部方面総監部業務室長 | 北部方面総監部監察官 |
14 | 大河内眞一郎 | 1977年 | 3月16日 - 1978年 6月30日自衛隊山梨地方連絡部長 | 第12師団司令部幕僚長 |
15 | 田畑元典 | 1978年 | 7月 1日 - 1980年 7月31日防衛庁長官官房 | 自衛隊栃木地方連絡部長 |
16 | 佐々木直 | 1980年 | 8月 1日 - 1982年 8月 1日北部方面総監部人事部人事課長 | 自衛隊旭川地方連絡部長 |
17 | 池﨑一夫 | 1982年 | 8月 2日 - 1985年 3月15日陸上幕僚監部防衛部研究課 総括班長 |
自衛隊広島地方連絡部長 |
18 | 大西操 | 1985年 | 3月16日 - 1987年 7月31日東部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上幕僚監部監理部総務課勤務 |
19 | 國見昌宏 | 1987年 | 8月 1日 - 1989年 6月29日陸上幕僚監部調査部調査第2課 調査第2班長 |
陸上幕僚監部人事部補任課長 |
20 | 嶋野隆夫 | 1989年 | 6月30日 - 1992年 3月15日陸上幕僚監部防衛部研究課 総括班長 |
自衛隊佐賀地方連絡部長 |
21 | 林田大義 | 1992年 | 3月16日 - 1994年11月30日陸上幕僚監部人事部募集課 募集班長 |
陸上自衛隊富士学校総合研究開発部 主任研究開発官 |
22 | 堀田雄三 | 1994年12月 | 1日 - 1997年 3月25日北部方面総監部人事部人事課長 | 陸上自衛隊衛生補給処副処長 |
23 | 山本忠雄 | 1997年 | 3月26日 - 1999年 7月 8日第1師団司令部第3部長 | 東北方面総監部人事部長 |
24 | 千葉徳次郎 | 1999年 | 7月 9日 - 2001年 1月10日陸上幕僚監部装備部装備計画課 企画班長 |
陸上幕僚監部人事部人事計画課長 |
25 | 宮下寿広 | 2001年 | 1月11日 - 2002年 3月21日陸上幕僚監部防衛部防衛課 業務計画班長 |
陸上幕僚監部防衛部防衛課長 |
26 | 北村昌也 | 2002年 | 3月22日 - 2004年 3月31日陸上幕僚監部調査部調査課業務班長 | 自衛隊栃木地方連絡部長 |
27 | 赤石章 | 2004年 | 4月 1日 - 2006年 8月 3日東北方面総監部人事部援護業務課長 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
28 | 西浩德 | 2006年 | 8月 4日 - 2008年 3月25日陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課 教育班長 |
統合幕僚監部防衛計画部計画課長 |
29 | 甲斐康誠 | 2008年 | 3月26日 - 2010年 3月25日第1師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊研究本部研究員 |
30 | 原田一郎 | 2010年 | 3月26日 - 2012年 3月31日中部方面総監部人事部援護業務課長 | 陸上自衛隊高等工科学校総務部長 |
31 | 首藤光太郎 | 2012年 | 4月 1日 - 2014年 3月22日第4師団司令部監察官 | 陸上自衛隊小平学校総務部総務課長 |
32 | 佐々木裕治 | 2014年 | 3月23日 - 2016年 3月22日陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課陸上連絡官 |
東北方面指揮所訓練支援隊長 |
33 | 関谷拓郎 | 2016年 | 3月23日 - 2018年 3月22日第9師団司令部監察官 | 中央即応集団司令部付 |
未 | 伊與田雅一 | 2018年 | 3月23日 - 2019年 3月25日中部方面総監部防衛部訓練課長 | 第10即応機動連隊長 兼 滝川駐屯地司令 |
第10即応機動連隊長 | ||||
1 | 伊與田雅一 | 2019年 | 3月26日 - 2020年 3月15日第10普通科連隊長 兼 滝川駐屯地司令 |
陸上自衛隊富士学校機甲科部副部長 |
2 | 岡田豊 | 2020年 | 3月16日 - 2021年12月21日陸上幕僚監部運用支援・訓練部 運用支援課企画班長 |
陸上幕僚監部運用支援・訓練部 運用支援課長 |
3 | 松井貴仁 | 2021年12月22日 - 2024年 | 8月 1日統合幕僚監部運用部運用第2課 災害派遣班長 |
陸上総隊司令部運用部副部長 |
4 | 小林邦之 | 2024年 | 8月 2日 -陸上自衛隊富士学校主任教官 |
主要装備
[編集]- 16式機動戦闘車
- 96式装輪装甲車
- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 対人狙撃銃
- 62式7.62mm機関銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 12.7mm重機関銃M2
- 96式40mm自動てき弾銃
- 110mm個人携帯対戦車弾
- 01式軽対戦車誘導弾
- 携帯放射器
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 防衛省発令(1佐職人事)2019年3月26日付
- ^ “#陸自 10即機連「#白龍連隊」訓練検閲”. Twitter. 朝雲新聞社 (2020年8月13日). 2023年4月13日閲覧。
- ^ a b 十八万十三個師団への道 檜六郎 株式会社ジャパンミリタリー・レビュー 軍事研究 1985年4月号 P152-165
- ^ 第11師団編成時の編成要員主力差出区分
- ^ “駐屯地の沿革”. 滝川駐屯地公式ホームページ. 2020年3月17日閲覧。
- ^ 第11旅団創立10周年・真駒内駐屯地開庁64周年記念行事(劇中にて即応機動連隊への改編予定とのアナウンスが確認できる)
- ^ “災害・広報担当地域”. 第10即応機動連隊. 2019年3月30日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
“防衛省人事発令”. 2014年3月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- 第10即応機動連隊ホームページ
- 滝川駐屯地(@TakikawaCamp) - Twitter
- DVD「第10普通科連隊改編記念史/輝ける栄光の記録」(平成20年)https://hajimevision.blog.ss-blog.jp/2008-07-15