第8特科連隊
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第8特科連隊 | |
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創設 | 1956年(昭和31年)1月25日 |
廃止 | 2018年(平成30年)3月26日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 特科 |
所在地 | 熊本県、熊本市 |
編成地 | 久留米 |
上級単位 | 第8師団 |
担当地域 | 熊本県南部・南九州 |
第8特科連隊(だいはちとっかれんたい、JGSDF 8th Artillery Regiment)は、熊本県熊本市の北熊本駐屯地に駐屯していた、第8師団の隷下の野戦特科部隊である。
当初、26中期防期間中に3個大隊編成へ縮小と計画されていたが、2017年度末をもって部隊廃止された[1]。
沿革
[編集]- 1956年(昭和31年)
- 1月25日:部隊新編。
- 1月30日:久留米駐屯地から針尾駐屯地に移駐。
- 1957年(昭和32年)3月29日:針尾駐屯地から北熊本駐屯地に移駐。
- 1962年(昭和37年)8月15日:第8師団への改編に伴い、第2大隊を第5大隊に、第3大隊(高射特科)を第6大隊に改編。新たに第2、第3大隊を新編。
- 1973年(昭和48年)3月27日:35mm2連装高射機関砲 L-90の配備に伴い、第6大隊(高射特科)を改編。
- 1981年(昭和56年)3月25日:第8師団の甲編成に伴い、第4大隊が新編。
- 1988年(昭和63年)3月25日:部隊改編(新編等)。
- 情報中隊が新編。
- 155mmりゅう弾砲 FH70が装備開始。
- 1989年(平成元年)3月24日:第6大隊に81式短距離地対空誘導弾が配備。
- 1990年(平成 2年)3月26日:第6大隊(高射特科)が第8高射特科大隊として北熊本駐屯地で分離独立し、第8師団直轄となる。
- 2005年(平成17年)3月28日:部隊改編。
- 2018年(平成30年)3月26日:部隊廃止。
部隊編成
[編集]廃止時(2018年(平成30年)3月27日)
特記ない限り北熊本駐屯地所在。
- 第8特科連隊本部
- 第8特科連隊本部中隊「8特-本」
- 情報中隊「8特-情」
- 第1特科大隊
- 第1特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-1-本」
- 第1射撃中隊「8特-1-1」
- 第2射撃中隊「8特-1-2」
- 第2特科大隊
- 第2特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-2-本」
- 第3射撃中隊「8特-2-3」
- 第4射撃中隊「8特-2-4」
- 第3特科大隊(えびの駐屯地)
- 第3特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-3-本」
- 第5射撃中隊「8特-3-5」
- 第6射撃中隊「8特-3-6」
- 第4特科大隊
- 第4特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-4-本」
- 第7射撃中隊「8特-4-7」
- 第8射撃中隊「8特-4-8」
- 第5特科大隊
- 第5特科大隊本部
- 本部管理中隊「8特-5-本」
- 第9射撃中隊「8特-5-9」
- 第10射撃中隊「8特-5-10」
- 第11射撃中隊「8特-5-11」
- 第12射撃中隊「8特-5-12」
新編時(1956年(昭和31年)1月25日)
特記ない限り久留米駐屯地所在。
- 第8特科連隊本部
- 第8特科連隊本部中隊
- 第1特科大隊
- 第1特科大隊本部
- 本部管理中隊
- 第1射撃中隊
- 第2射撃中隊
- 第2特科大隊
- 第2特科大隊本部
- 本部管理中隊
- 第3射撃中隊
- 第4射撃中隊
- 第3特科大隊(針尾駐屯地)
整備支援部隊
[編集]歴代の連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 藤家和平 | 1956年 | 1月25日 - 1960年 7月31日自衛隊佐賀地方連絡部長 | |
2 | 湯川文雄 | 1960年 | 8月 1日 - 1962年 3月15日陸上幕僚監部第1部付 | 防衛大学校訓練部訓練課長 |
3 | 中島直臣 | 1962年 | 3月16日 - 1963年 7月31日統合幕僚学校学校教官 | 東部方面総監部第3部長 |
4 | 小砂文人 | 1963年 | 8月 1日 - 1965年 3月15日陸上自衛隊富士学校特科教育部副部長 兼 教務課長 |
第8師団司令部幕僚長 |
5 | 小山良三 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 3月15日防衛大学校教授 | 第1教育団副団長 |
6 | 月野木精 | 1967年 | 3月16日 - 1969年 3月16日北熊本駐とん地業務隊長 | 東部方面総監部監察官 |
7 | 加藤博 | 1969年 | 3月17日 - 1971年 3月15日西部方面総監部総務課長 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
8 | 森田橘郎 | 1971年 | 3月16日 - 1972年 7月16日陸上幕僚監部第4部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
9 | 関屋公弘 | 1972年 | 7月17日 - 1974年 3月15日装備開発実験隊火器科長 | 檜町駐とん地業務隊長 |
10 | 尾藤健二 | 1974年 | 3月16日 - 1976年 8月 1日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊九州地区補給処企画室長 |
11 | 束野和郎 | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 3月15日東部方面総監部業務室長 | 陸上自衛隊富士学校特科部副部長 |
12 | 津志田忠夫 | 1978年 | 3月16日 - 1980年 3月16日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 陸上自衛隊九州地区補給処総務部長 |
13 | 栗岡武郎 | 1980年 | 3月17日 - 1981年 7月31日自衛隊大阪地方連絡部募集課長 | 陸上自衛隊富士学校企画室長 |
14 | 道下富士雄 | 1981年 | 8月 1日 - 1983年 3月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上幕僚監部付 |
15 | 田中和彦 | 1983年 | 3月16日 - 1985年 3月15日東北方面総監部人事部人事課長 | 第9師団司令部幕僚長 |
16 | 藤森篤 | 1985年 | 3月16日 - 1987年 3月15日自衛隊愛知地方連絡部募集課長 | 健軍駐屯地業務隊長 |
17 | 志村隆士 | 1987年 | 3月16日 - 1989年 3月15日陸上自衛隊幹部学校研究員 | 東北方面総監部防衛部長 |
18 | 宇都宮隆 | 1989年 | 3月16日 - 1991年 7月31日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 学校第1班長 |
自衛隊岩手地方連絡部長 |
19 | 須ヶ崎了英 | 1991年 | 8月 1日 - 1994年 7月31日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 学校第2班長 |
統合幕僚学校教育課長 |
20 | 岩崎理一郎 | 1994年 | 8月 1日 - 1997年 7月31日東部方面総監部人事部人事課長 | 第1混成団副団長 |
21 | 松岡和夫 | 1997年 | 8月 1日 - 2000年 3月31日陸上幕僚監部人事部募集課 募集班長 |
中部方面総監部総務部長 |
22 | 越川嘉明 | 2000年 | 4月 1日 - 2002年 7月31日陸上幕僚監部人事部募集課 総括班長 |
自衛隊岡山地方連絡部長 |
23 | 松尾幸弘 | 2002年 | 8月 1日 - 2004年 8月29日第9師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
24 | 山本敦督 | 2004年 | 8月30日 - 2007年 3月27日陸上幕僚監部人事部募集課 総括班長 |
中部方面総監部人事部長 |
25 | 納冨中 | 2007年 | 3月28日 - 2008年 3月25日陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課 訓練・演習班長 |
米国首席防衛駐在官 (外務省出向) |
26 | 髙橋俊哉 | 2008年 | 3月26日 - 2010年 7月31日陸上自衛隊研究本部企画調整官 | 自衛隊岩手地方協力本部長 |
27 | 盛田豊 | 2010年 | 8月 1日 - 2012年12月 3日陸上自衛隊富士学校主任教官 | 陸上自衛隊幹部候補生学校教育部長 |
28 | 長谷川敬 | 2012年12月 | 4日 - 2014年12月18日情報本部勤務 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課 予備自衛官室長 |
29 | 竹内哲也 | 2014年12月19日 - 2016年 | 3月22日陸上幕僚監部人事部人事計画課 制度班長 |
陸上幕僚監部運用支援・情報部情報課長 |
末 | 井上 亙 | 2016年 | 3月23日 - 2018年 3月26日陸上幕僚監部防衛部情報通信・研究課 研究班長 |
西部方面特科連隊長 |
主要装備
[編集]- 155mmりゅう弾砲 FH70
- 中砲けん引車
- 対砲レーダ装置 JTPS-P16
- 対迫レーダ装置 JMPQ-P13
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 120mm迫撃砲 RT(水陸機動団への異動予定部隊のみ)
- 89式5.56mm小銃
警備隊区
[編集]熊本県八代市、人吉市、水俣市、 天草市、上天草市、八代郡氷川町、球磨郡(錦町、多良木町、湯前町、あさぎり町、水上村、相良村、五木村、山江村、球磨村)、芦北郡(芦北町、津奈木町)、天草郡苓北町
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- “防衛省人事発令”. 2014年12月19日閲覧。
- 『日本砲兵史 : 自衛隊砲兵過去現在未来』(陸上自衛隊富士学校特科会 編 1980.6)