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2024年4月11日 (木) 01:10時点における版
カヤン新領土党 | |
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ကယန်းပြည်သစ်ပါတီ ミャンマー内戦に参加 | |
カヤン新領土党党旗 カヤン新領土軍軍旗 | |
活動期間 | 1964年8月8日 | – 現在
活動目的 |
カヤン民族主義 フェデラル連邦制 |
創設者 | シュエエイ(Shwe Aye) |
指導者 | タンソーナイン(Than Soe Naing)少将 |
本部 | ミャンマーシャン州タウンジー県ぺコン郡区シブ村[1] |
活動地域 |
カレンニー州デモーソー郡区 シャン州ペコン郡区・ピンラウン郡区 ネピドー連邦領 |
兵力 | 200-300[2] |
分裂 | カヤン民族守備隊 |
関連勢力 |
関連国 関連勢力
|
敵対勢力 |
敵対国 敵対勢力
|
戦闘 | ミャンマー内戦 |
ウェブサイト | カヤン新領土党公式Facebookページ |
カヤン新領土党(カヤンしんりょうどとう、ビルマ語: ကယန်းပြည်သစ်ပါတီ、英語: Kayan New Land Party、 略称: KNLP)は、ミャンマーのカヤン族による政治組織である。軍事部門はカヤン新領土軍(Kayan New Land Army)である。
概要
カヤン新領土党は、カレンニー族の一支族であるカヤン族によって1964年に結成された武装組織である[4]。1994年の停戦後は支配地域の利権を確保している。
カヤンには、大きくカカオ、カンガン、ラタ、そしてラウィーの4部族があり、首長の風習を持つのはラウィーである[5]。
歴史
KNLP黎明期
前史
1962年にクーデターによって成立したネウィン政権はビルマ式社会主義を標榜し、強硬な政策を推し進めた。1963年、ペコン郡区でモーバイダム建設反対委員会が設立された[6]。1964年5月、ネウィン政権は予告なく50チャットと100チャットの廃貨を行った[7]。
武装闘争へ
1964年6月4日、ネウィン政権に反発したペコン郡区の村人が軍の前哨基地を襲撃した[8]。最初の武装組織は抗日闘争を指導したボー・ピャン(Bo Pyan)により組織されていたが[9]、元ラングーン大学学生のシュエエイが合流し、同年8月8日にカヤン新領土党が結成された[7][1]。
Lintner(1999)およびSmith(1999)は1964年の武装闘争はネウィン政権の高額紙幣廃貨の後に起きたと記述しているが[7][10]、同年にKNLPが設立されたのはダム反対運動の流れを受けたものであるとする記述も存在している[6][11]。
また、South(2020)はカトリックの宣教師を含む全ての外国人宣教師がミャンマー国内から追放されたことを受けて、信教の自由を求めて武装闘争に踏み切ったのだとしている[5]。
ビルマ共産党との提携・同盟
当初はカレンニー民族進歩党と協力関係にあり、1976年にはNDF(National Democratic Front、民族民主戦線)に加入していたが[12]、ビルマ共産党と連携するために1977年にNDFを離脱した[13]。支配地域が国境から遠く、外国からの支援を望めなかったため、1979年にKNLPはビルマ共産党と同盟関係を構築した[14]。また、パオ族左派のシャン州諸民族解放軍 (Shan State Nationalities Liberation Organisation: SSNLO)やカレンニー民族進歩党左派の分派であるカレンニー民族人民解放戦線と共闘関係にあった[15]。
強力な同盟相手であったビルマ共産党が1989年に崩壊すると、KNLPの内部からも分裂が生じた。1991年、カヤン民族守備隊(Kayan National Guard: KNG)は60人程の兵力を以てKNLPから分裂し、軍事政権と停戦交渉を行った[15][16]。同年6月20日、KNLPはNDFに再加入した[7]。
停戦後
1994年7月26日、同盟相手を失ったKNLPは軍事政権と停戦交渉を行い、カヤー州第3特区として支配地域の自治を認められた。また、森林の伐採や鉱山開発などの利権が認められた[15]。
しかしながら、KNLPと軍事政権との関係は安定していたわけではなく、ウィキリークスに漏洩した文書において、駐ミャンマー米国大使館は「熱くも冷たくもある関係」と評している[17][18]。
2005年、KNLP支配地域内に国軍の支援する民兵が誕生し、衝突ののちKNLPは撤退することとなった[3]。
KNLPは停戦後、国軍と緊密に連携し、民兵のような立ち位置となっていた[5]。2009年、軍事政権は2008年憲法に基づき、全ての軍事組織は国軍の統制下に無ければならないとして国境警備隊 (Border Guard Force: BGF) や民兵に転換するように圧力をかけた。軍事政権は2009年11月にKNLPが国軍傘下の民兵 に転換したとしたが、KNLP側はこれを否定している[19]。
当初、KNLPは軍事政権には「交渉相手」とみなされており、国民会議には招待されたが[20]、テインセイン政権期の全国停戦合意や21世紀パンロン連邦和平会議からは除外された[21][5]。
KNLPは、2015年11月にワ州連合軍によって開催されたパンサン会議に参加した12の少数民族武装組織の1つである[22]。
2021年クーデター後
2021年ミャンマークーデター後、KNLPは抵抗勢力を訓練するなど、密かに協力関係を構築していた[23]。また、KNLPはクーデターに抗議するデモに参加して逮捕された民衆を釈放するよう圧力をかけて、釈放させるなどの行動を見せている[24]。
2021年5月、KNLPと国民防衛隊は、シャン州南部ソウンナンケー村でミャンマー軍と衝突した[25]。エーヤワディー・ニュース・マガジンによると、抵抗勢力に加わって国軍と衝突したのはKNLPの下士官であり、同年6月にKNLPはカレンニー民族人民解放戦線およびカレンニー民族平和発展党(2勢力は共に国境警備隊に転換している)と連名で、カレンニー諸民族防衛隊名義で国軍との停戦を宣言した[26][注釈 1]。
2022年3月には他の民兵グループと同様に国軍から武器を供与されるなど、依然として国軍との関係は緊密である[27]。
政治
1998年8月11日、KNLPはカレンニー民族人民解放戦線およびシャン州諸民族解放機構と合同で国民民主連盟を支持し、1990年選挙で選ばれた議員による国会を招集するよう声明を出した[28]。また、声明では軍事政権、国民民主連盟、少数民族組織の三者協議を呼びかけた[28]。
2004年5月、国民会議において新憲法の国軍の権限を見直し、少数民族の自治権を尊重するよう、他の7少数民族武装組織と合同で声明を出した[29]。
2014年6月、KNLPは憲法改正において国軍が事実上の拒否権を有する2008年憲法第436条の改正を訴える国民民主連盟の主張を支持した[30]。また、同年12月、2015年ミャンマー総選挙においては国軍の翼賛政党である連邦団結発展党以外ならどの政党でも支持するとした[31]。
フロンティア・ミャンマーによると、KNLPのウィンモー少佐の娘は人民代表院で国民民主連盟から出馬し、当選するなど、KNLPと国民民主連盟の間にはコネクションがあるという[32]。
脚注
注釈
- ^ この3グループ以外のKNDF組織は停戦を否定している。
出典
- ^ a b Naw Dway Eh Khu (2021年1月8日). “KNLP calls on the NLD to ensure inclusiveness of all ethnic armed groups in national unity government” (英語). Burma News International 2024年3月3日閲覧。
- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 135.
- ^ a b Khun Sam (2006年1月8日). “Karenni Group Forced Out” (英語). Irrawaddy 2024年3月3日閲覧。
- ^ Keenan 2014, p. 154.
- ^ a b c d South, Ashley (2020年4月19日). “The dream of a Kayan homeland” (英語). Frontier Myanmar
- ^ a b KDRG 2006, p. 35.
- ^ a b c d Lintner 1999, p. 490.
- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 18.
- ^ Lintner 1999, p. 515.
- ^ Smith 1999, p. 219.
- ^ KWU 2008, p. 1.
- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 61.
- ^ Smith 1999, p. 345.
- ^ Lintner 1999, p. 285.
- ^ a b c Burma Issues 2008, p. 103.
- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 23.
- ^ US Embassy in Rangoon (2006年9月19日). “RESPONSES ON KAYAN NEW LAND PARTY” (英語). WikiLeaks. 2024年3月3日閲覧。
- ^ Lawi Weng (2014年6月5日). “Kayan Rebels Mark 50 Years Since Birth of Armed Struggle” (英語). Irrawaddy. オリジナルの2014年7月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 62.
- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 54.
- ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 55.
- ^ Lawi Weng (2015年10月30日). “Ethnic Rebel Summit in Panghsang Redux, But Dynamics Differ” (英語). Irrawaddy 2024年3月3日閲覧。
- ^ “The Muslim motorcycle mechanic who downed tools to fight the junta” (英語). Frontier Myanmar. (2023年3月28日) 2024年3月3日閲覧。
- ^ “Kayah anti-coup protesters released after armed group intervenes” (英語). Myanmar Now. (2021年2月12日) 2024年3月3日閲覧。
- ^ “Tai Volunteers Deliver Aid To IDPs in Kayah State” (英語). SHAN (Burma News International). (2021年6月3日) 2024年3月3日閲覧。
- ^ “Kayah State Resistance Groups Reject Ceasefire with Myanmar Junta” (英語). Irrawaddy. (2021年7月17日) 2024年3月3日閲覧。
- ^ “Myanmar Junta Deploys Militias in Key Strategic State” (英語). Irrawaddy. (2022年3月23日) 2024年3月3日閲覧。
- ^ a b South 2003, p. 326.
- ^ Human Rights Watch 2008, p. 8.
- ^ Ye Mon (2014年6月9日). “Kayan armed groups back NLD campaign” (英語). Myanmar Times (732): p. 9
- ^ Maung Zaw (2014年12月1日). “Kayan New Land Party plots USDP downfall” (英語). Myanmar Times. オリジナルの2014年12月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ Htin Lynn Aung; Ei Ei Toe Lwin (2020年9月7日). “The scrap over Loikaw’s industrial zone” (英語) 2024年3月3日閲覧。
参考文献
英語文献
- Burma Issues (2008). Living Ghosts: The Spiraling Repression of the Karenni Population Under the Burmese Military Junta (PDF) (Report). Burma Issues/ Peace way foundation.
- Human Rights Watch (2008). Chronology of Burma’s Constitutional Process (PDF) (Report).
- Karenni Development Research Group (2006). Damned by Burma’s generals: The Karenni experience with hydropower development - From Lawpita to Salween (PDF) (Report). Karenni Development Research Group.
- Kayan Women’s Union (2008). Drowning the green ghosts of Kayan Land: Impacts of the upper Paunglaung Dam in Burma (PDF) (Report). Kayan Women’s Union.
- Keenan, Paul (2014). By force of arms : armed ethnic groups in Burma. New Delhi: Vij Books India. ISBN 9789382652304
- Kramer, Tom; Russel, Oliver; Smith, Martin (2018). From War to Peace in Kayah (Karenni) State: A Land at the Crossroads in Myanmar (PDF) (Report). Amsterdam: Transnational Institute.
- Lintner, Bertil (1999). Burma in Revolt: Opium and Insurgency since 1948. Chiang Mai: Silkworm. ISBN 9789747100785
- Smith, Martin (1999). Burma: Insurgency and the Politics of Ethnicity. Dhaka: University Press. ISBN 9781856496605
- South, Ashley (2003). Mon Nationalism and Civil War in Burma. Abingdon: Routledge. ISBN 9780203037478