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2022年10月6日 (木) 21:48時点における版
奈良県立郡山高等学校 | |
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北緯34度38分59.7秒 東経135度46分47.4秒 / 北緯34.649917度 東経135.779833度座標: 北緯34度38分59.7秒 東経135度46分47.4秒 / 北緯34.649917度 東経135.779833度 | |
過去の名称 |
奈良縣立郡山中學校 奈良縣尋常中學校 奈良縣郡山尋常中學校 大阪府立郡山中學校 大阪府立堺師範學校分校郡山學校 堺県師範學校分局郡山學校郡山師範予備校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 奈良県 |
学区 | 全県一学区 |
併合学校 |
奈良県立郡山城東高等学校 奈良県立郡山農業高等学校 奈良県立城内高等学校 |
校訓 | 誠実・剛毅・雄大 |
設立年月日 |
【郡山師範予備校】 1876年(明治9年) 【奈良県尋常中學校】 1893年(明治26年) |
創立記念日 | 10月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D129210000245 |
高校コード | 29108A |
所在地 | 〒639-1011 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
奈良県立郡山高等学校(ならけんりつこおりやまこうとうがっこう、英: Nara Prefectural Koriyama Senior High School)は、奈良県大和郡山市に所在する公立高等学校。略称は「郡高(ぐんこう)」。郡山城二の丸跡に立地する[1]。
設置学科
- 普通科(一般選抜)
概要
1876年(明治9年)創立の小学校教員養成施設「郡山師範予備校」を源流とする「奈良県尋常中学校」(旧制中学校)が前身である。創立年を1893年(明治26年)としており、2013年(平成25年)に創立120周年を迎えた(記念式典は、講堂が耐震工事のため、2014年度にとり行われた)。奈良県内の公立高等学校の中で最も古い歴史を持つ。
- 生徒定員・教職員数
- 生徒数はおよそ1080名、教職員数はおよそ100名、各学年9クラス360名(2015年(平成27年)度までは10クラス400名)の大規模校である。男子生徒よりも女子生徒が多い。
- 校章
- 現校章は2004年(平成16年)城内高等学校と統合された際に新たに制定された。郡山高校の旧校章より桜の花弁を、旧城内高校の校章よりウマゴヤシの葉を継承して重ね合わせ、郡山城址の石垣が支えている形を図案化したもの。中央に校名の「郡高」の文字(縦書き)を置く。現校章の制定に際し、旧郡山高校及び旧城内高校の卒業生多数から反対意見が多数寄せられた。
- 校歌
- 作詞は岡本敬子、作曲は山岸貞一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「郡高」が登場する。
- 校地・施設
- 2004年(平成16年)に奈良県立城内高等学校を統合し、県内の公立高等学校最大規模のマンモス校となった。現在は、従来の校舎を「冠山学舎」、旧城内高等学校の校舎を「城内学舎」として両方を使用している。両学舎間の移動に、5分ほどかかる。また桜花グラウンド・小グラウンド(冠山学舎)、第一グラウンド・第二グラウンド(城内学舎)の計4つのグラウンドがある。城内学舎は借地であり2020年頃に返還が決まっている。今後は冠山学舎のみで教育活動を行う。
- 特色
- 2000年度(平成12年度)から2007年度(平成19年度)まで65分授業(5限)を行っていたが、2008年度(平成20年度)から、50分授業(6限、火・木は7限)を行うこととなった。2年より文系と理系に分かれるシンプルな教育課程となっている。3年より選択科目を増やして様々な進路に対応できるようにしている。
- 同窓会
- 「冠山会」(かんざんかい)と称している。旧制・郡山中学校、郡山高等女学校、郡山農業学校、郡山高等学校、郡山城東高等学校、城内高等学校すべての卒業生を会員としている。
- 分校
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- 現在分校は存在しないが、かつて平群町に平群分校(昼間定時制)が存在した。現在では「あすのす平群」(平群町立図書館・観光文化交流館)となっており、「郡山高校平群分校記念碑」が立てられている。
沿革
- 旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1876年(明治9年)
- 1881年(明治14年)
- 1887年(明治20年)11月 - 中学校令施行および奈良県再設置により、「奈良県郡山尋常中学校」と改称。
- 1893年(明治26年)10月1日 -「奈良県尋常中学校」に改称。この年を創立年、この日を創立記念日とする。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 畝傍(うねび)と五條に分校を設置。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令の全面改正と分校の独立により、「奈良県立郡山中学校」に改称。
- 1913年(大正2年)8月 - 校訓「誠実・剛毅・雄大」を制定。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が従来の5年から4年に短縮される。
- 1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限短縮の前倒しが行われ、5年生と4年生の合同卒業式を挙行[3]。
- 4月 - 戦況の悪化により授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
- 8月 - 終戦。
- 9月 - 授業が再開される。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し、旧制中学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となった(4年で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われる。
- 旧制・郡山中学校が廃止され、新制高等学校「奈良県立郡山高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:奈良県立郡山高等学校併設中学校)、在校生は1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 5月 - 同窓会を冠山会と命名。
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われる。
- 高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
- 1911年(明治44年)4月1日 - 「郡山町立実科高等女学校」が開校。
- 1920年(大正9年)4月1日 - 「奈良県郡山高等女学校」(町立)と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、高等女学校の募集を停止し、新制中学校を併設。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、高等女学校が廃止され、新制高等学校「郡山町立郡山城東高等学校」(女子校)が発足。
- 農学校時代・新制農業高等学校時代(統合前)
- 1906年(明治39年)4月1日 - 「奈良県生駒郡立農学校」(実業学校)が創立される。
- その後、移管などにより「奈良県立生駒農学校」、「奈良県立郡山園芸学校」、「奈良県立郡山農学校」に改称[4]。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、農学校が廃止され、新制高等学校「奈良県立郡山農業高等学校」が発足。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 定時制普通課程を設置。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 女子課程(家庭課程)を設置。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 農業課程が分離し、奈良県立郡山農業高等学校として独立。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 理科館が完成。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 奈良県教育委員会規則改正により設置課程の名称を改称。
- 通常制を「全日制課程」、定時制を「定時制課程」に改称。普通課程を「普通科」、家庭課程を「家庭科」に改称。
- 1963年(昭和38年)10月 - 創立70周年を記念して新体育館と冠山会館(同窓会館)が完成。
- 1964年(昭和39年)3月31日 - 定時制課程普通科を廃止。
- 1968年(昭和43年)3月31日 - 家庭科(女子課程)を廃止。
- 1969年(昭和44年)3月 - 東館(特別教室)が完成。
- 1974年(昭和49年)1月 - 鉄筋コンクリート造2階建ての校友会館が完成。
- 1983年(昭和58年)6月 - 創立90周年を記念して日本庭園「共慶園」が完成。
- 1992年(平成4年)9月 - 創立100周年を記念して新本館が完成。
- 1993年(平成5年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 2000年(平成12年)3月 - 新武道場が完成。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 奈良県立城内高等学校(城内の読みは「じょうない」)を統合。従来の校舎を「冠山学舎」、旧・城内高校の校舎を「城内学舎」とする。
- 旧・奈良県立城内高等学校
- 1906年(明治39年)4月1日 - 「奈良県生駒郡立農学校」(実業学校)が創立される。
- その後、移管などにより「奈良県立生駒農学校」、「奈良県立郡山園芸学校」、「奈良県立郡山農学校」に改称[4]。
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革により、農学校が廃止され、新制高等学校「奈良県立郡山農業高等学校」が発足。
- 9月1日 - 統合・再編により、「奈良県立郡山高等学校 農業課程」となる。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 奈良県立郡山高等学校から分離し「奈良県立郡山農業高等学校」として独立。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 学科改編により、農業科の生徒募集を停止し、普通科を新設の上、「奈良県立城内高等学校」に改称。
- 1979年(昭和54年)4月1日 - 農業科を廃止し、奈良県立郡山農業高等学校が閉校。完全に普通科校となる。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 奈良県立郡山高等学校への統合により、同校の「城内学舎」となる。
- 城内高校は生徒募集を停止。ただし、経過措置として在校生が卒業するまで存続される[5]。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 最後の在校生を送り出し、閉校。郡山高校に完全に統合される。同窓会(麒麟会)も郡山高校の冠山会に統合される。
学校行事
- 1学期
- 4月 - 入学式・新入生歓迎会
- 5月 - 修学旅行・校外学習
- 6月 - 球技大会 - 1年生は城内学舎、2年生は冠山学舎、3年生は大和郡山市総合運動公園で行われる。
- 2学期
- 8月 - 郡高祭(文化祭)- 2日間にわたって行われる。
- 9月 - 体育大会 - 奈良県立橿原公苑陸上競技場で行われる。
- 3学期
- 1月 - カルタ大会
- 3月 - 卒業式
部活動
- 文化部
- 運動部
- 硬式野球部 - 旧制中学校時代を含め、春の甲子園センバツ大会に6回、夏の甲子園選手権大会に6回の各出場経験がある。
- 陸上競技部
- ソフトテニス部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- バドミントン部
- ソフトボール部
- 卓球部
- 体操部
- ハンドボール部
- サッカー部 - 第93回全国高等学校サッカー選手権大会出場
- 水泳競技部
- 柔道部
- 平成25年度近畿高等学校柔道新人大会(男子個人81kg)出場
- 剣道部 全国大会多数出場
- 弓道部
- 山岳部
- ホッケー部
交通アクセス
上記所要時間は、冠山学舎の場合。城内学舎の場合、どちらの駅からもプラス5分ほど掛かる。
周辺施設
- 郡山城址
- 柳澤神社
- 大和郡山市役所
- やまと郡山城ホール
著名な出身者
- 政治・行政・立法
- 奥田良三 - 奈良県知事、官僚(群馬県官選知事)
- 黒崎定三 - 官僚(法制局長官)、帝国議会議員(貴族院)
- 中山福蔵 - 国会議員(衆議院、参議院)
- 東中光雄 - 国会議員(衆議院)、弁護士
- 堀内俊夫 - 国会議員(参議院)、閣僚(環境庁長官)、天理市長
- 森岡二朗 - 官僚(島根県・青森県・茨城県・栃木県官選知事)、台湾総督府総務長官、日本野球連盟会長
- 山田恵一 - 帝国議会議員(貴族院)、実業家
- 社会活動・宗教
- 実業・経済・経営
- 報道・マスコミ・ジャーナリズム
- 学術・研究
- 青山茂 - 文化史学者(日本文化史、奈良学)、美術評論家、帝塚山短期大学名誉教授、ジャーナリスト(毎日新聞社)
- 今村荒男 - 医学者(内科学)、大阪大学第5代総長・名誉教授
- 木村毅一 - 物理学者(原子核研究)、京都大学名誉教授
- 佐藤井岐雄 - 生物学者(両生類研究)、広島文理科大学 (旧制)教授
- 中本真人 - 国文学者(古代中世芸能史)、新潟大学准教授(2019年度現職)
- 米田庄太郎 - 社会学者(社会心理学)、京都帝国大学名誉教授
- 文学・文筆
- 美術・工芸
- 芸能・音楽
- 綾田俊樹 - 俳優、演出家
- 浮世亭とん平 - 漫才師
- 河野純喜 - アイドル(JO1)
- 河野康弘 - ジャズピアニスト
- 小日向えり - タレント
- 清水弥生 - 劇作家
- 鈴木重伸 - ロックバンドギタリスト(THE ORAL CIGARETTES)
- 辰巳清 - シアタープロデューサー、アートプロデューサー、アミューズミュージアム館長
- 向井亜季 - ラジオパーソナリティ
- スポーツ
- 石井智 - 社会人野球選手、大学野球指導者
- 大西鐡之祐 - 学生ラグビー選手(早稲田大学ラグビー蹴球部)、同部監督、早稲田大学教授、ラグビー日本代表監督
- 植村秀明 - プロ野球選手(投手/広島カープ)
- 荻野貴司 - プロ野球選手(外野手/千葉ロッテマリーンズ)、社会人野球選手
- 笠置山勝一 ※早稲田中学へ転出 - 大相撲力士
- 白滝政孝 - プロ野球選手(投手/近鉄バファローズ、中日ドラゴンズ)、社会人野球選手
- 染田賢作 - プロ野球選手(投手/横浜ベイスターズ)、高校野球指導者
- 中村泰広 - プロ野球選手(投手/阪神タイガース、北海道日本ハムファイターズ)
- 福田功 - プロ野球選手(捕手/中日ドラゴンズ)、プロ野球コーチ・二軍監督
- 溝部武夫 - プロ野球選手(投手/阪急ブレーブス、阪神タイガース)、社会人野球選手
- 宮越徹 - プロ野球選手(投手/中日ドラゴンズ、西武ライオンズ)
- 森本達幸 - 社会人野球選手、高校野球指導者(当校野球部監督)
- 米村理 - プロ野球選手(内野手/阪急ブレーブス)、プロ野球コーチ
- 軍人・自衛官
その他
- 1922年に吉野周辺を登山している郡山高等女学校生徒の映像(『吉野群峯』内務省製作)が2018年に再発見される。奈良県内を撮影した映像としても最古のものとなっている[6]。
脚注
- ^ “学校の施設”. 奈良県立郡山高等学校. 2020年11月28日閲覧。
- ^ a b c 奈良師範学校を参照。
- ^ 本来であれば、1943年(昭和18年)入学の生徒が卒業する1947年(昭和22年)3月に修業年限4年が施行される予定であったが、戦況の悪化を受け、修業年限4年施行の前倒しが決定され、中等学校令施行前に入学した1941年(昭和16年)および1942年(昭和17年)入学生にも適用されることとなった。この時は1940年(昭和15年)入学生と1941年(昭和16年)入学生の合同卒業式が行われた。
- ^ a b 冠山会(同窓会)会則 - 奈良県立郡山高等学校ウェブサイト
- ^ 奈良県立高等学校等設置条例改正の概要 - 奈良県ウェブサイト
- ^ “岸田日出男の遺したもの ダイジェスト版”. 大淀町 (2018年3月9日). 2021年6月4日閲覧。