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2021年12月30日 (木) 00:22時点における版
三貴旧本社(台東区) | |
本社所在地 |
日本 〒101-0065 東京都千代田区西神田2-7-4 島崎ビル |
---|---|
設立 | 1965年(昭和40年)4月 |
業種 | その他製品 |
法人番号 | 7010001091782 |
事業内容 | 宝石販売 |
代表者 | 代表取締役社長 平岡裕章 |
資本金 | 9,000万円 |
売上高 | 約35億円(2014年8月期) |
従業員数 | 60名(2014年8月現在)[1] |
関係する人物 | 木村和巨(創業者) |
外部リンク | 三貴 |
株式会社 三貴(みき)は、日本のファッション企業。宝石輸入・加工・販売会社。宝石販売店「ジュエリーマキ」や「じゅわいよ・くちゅーるマキ」などを運営していた。当時の主力製品は「カメリアダイヤモンド」である[2]。
かつては、宝石部門は日本最大手、アパレル部門は日本第6位の規模を持ち、日本ファッション業界における「製造小売業」(SPA)の先駆けとなった企業である。
概要
- 創業
- 早稲田大学大学院商学研究科の学生だった木村和巨(1939年7月2日 - 2020年)が創業し、1965年4月に会社設立。当初は卸売事業からスタートしたが、後に小売事業の比重を増やし、高価な贅沢品であった宝石を大量加工し、安価な価格で販売。高度経済成長期という時代背景もあり、高級・高額品であった宝石をファッション商品として大衆化させて、業績を伸ばした。
- 全国展開
- バブル期には、宝石店以外にも婦人服の小売店舗「ブティックJOY」、子供服の小売店舗「ファニィ」を全国展開。その数は1400余店に及び、中国、タイに生産工場を、日本国内(埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)・千葉県香取郡多古町)に大規模な物流センターを有し、資本金41億円、従業員数12,000名、売上高1,700億円 (当時世界一)にも及んだ。積極的なTVコマーシャルを展開し、レディースファッション業界のマンモス企業として知名度を上げた。当時、世界的なダイヤモンドのシンジケートであるデ・ビアスが扱うダイヤモンドのうち、30%が同社に卸されていたという。一時期、三貴のCMソングで爆発的に人気の出た歌手らを「カメリア族」と呼ぶ現象まで起きた。一方、キャッチセールスと見紛うばかりの強引な販売、企画から生産、小売りの垂直統合により安くて高品質な宝石を提供するシステム、業界団体の日本ジュエリー協会に加盟しないことなどから、従来の宝飾業界の関係者からは顰蹙を買うこともあった。それでも、1990年代初めごろは、年2回ほど100人近い仕入れ先を熱海へ招き、経営方針などを説明する機会を設けており、取引業者の中には「仕入れ先を見下すような態度を取る宝飾会社の社長も多いなかで(木村は)仕入れ先を大事にしていた」と評する者もいた[2]。
- メインバンクの破綻に伴う会社分割と清算(一度目の経営破綻)
- 急成長の翳りによる勇み足により、mikiメンバーズ会員は表示価格から9割引きという広告が公正競争阻害表示と認定され、1995年に公正取引委員会から排除命令を受けている[3]。
- さらに1997年以降、メインバンクの北海道拓殖銀行の破綻、上場に向けた証券幹事会社である山一證券の廃業に加え、ワンマン経営の弊害や、従業員の労務問題や裁判等[4][注釈 1]も抱えて業績が急速に悪化し、同年4月に婦人服・子供服部門から撤退した。
- 多店舗展開によりバブル経済崩壊後に達した借入金は1664億円(1997年当時)までに達し、金融債務の一部が整理回収機構に引き継がれていたため、東京地方裁判所主導により2002年に債務整理(営業権を新会社(株)三貴に譲渡(旧会社は(株)エムアンドアールエステートに商号変更して特別清算)し、事業の再構築を行った上で大幅に規模を縮小して営業。メインバンク破綻という不運や金融機関の協力の下でスキームが実行されたため通常とは経緯・背景が異なるが、この会社分割という手法を使って事業を新会社に移し旧会社を清算するスキームは、実質的な債務逃れを目的としたものとして利用されることがあり、多くの場合は銀行側が不良債権を抱える原因となっているため、責任の所在があいまいになったこともあってこれがその後の展開を悪化させる原因となった[2]。
- また、2002年より宝石の売り上げ減をカバーするため、アンチ・エイジングの健康食品やスキンケア商品の販売も始めている。ただし、2015年2月に、同社が販売していた飲料水の効能表示に科学的な根拠がないとして消費者庁から処分を受けた。
- 一度目の民事再生法適用申請(二度目の経営破綻)
- さらにリストラを進め、本社ビル(池袋イースト)の返却、従業員の給料3割カットと自主退職の勧奨を行っていたが、2009年1月21日、東京地裁に民事再生法の適用申請を行い、負債総額約117億円を残して経営破綻した[5]。なお、破綻前年の2008年8月期には約205億円の年間売上高があった。
- 破綻後も営業を継続したが売上高の減少は止まらず、2009年8月期には100億円を切り約80億円に落ち込んだ。2012年8月22日に民事再生法適用期間が決着したことに伴いCMも復活させて引き続き経営再建を行っていたが、2013年8月期の売上高は約45億円程度にまで落ち込んだ。
- 二度目の民事再生法適用申請(三度目の経営破綻)
- 2014年7月30日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請する。先立つ同年5月に18店舗を閉鎖するなど、急速に業容を縮小。しかし、低迷する業績に、各金融機関が融資を停止する状態に陥り、結果、取引先への支払いにも支障をきたす事態となり、今回の措置となる。負債は約120億円[1]。なお、2014年8月期の売上高も約35億円にまで縮小したが、創業者の木村和巨社長が辞任し、新たなスポンサーのもと、社長を交代させて営業を続けている。しかし、スポンサーが何度も代わるなど、経営上の混乱がしばらく続いた。
- この破綻前数年の三貴の評判は「ストアコンセプトがはっきりしていない」「顧客ターゲットが絞れていない商品構成」など厳しいものばかりであった[2]。
- 最大級の宝石強盗被害
- 過去、日本で最大級の宝石強盗被害に遭ったことがある。1991年12月に銀座にオープンし、かつて同社のフラッグシップ店だった「ル・シュプール・ディアマン・クチュール・ド・マキ」に2004年3月5日、外国人風の2人組の男が客を装って店内に入り、催涙スプレーをかけて30億円相当のダイヤのネックレスなど計12点・総額35億円相当を奪って逃げた事件があり、当時マスコミから注目を浴びた[6]。
- 消費者庁からの指導
- 飲料水「プラチナビューティーウォーター」について、「がんの原因である活性酸素を除去する」などと記載し、実際のものよりも著しく優良であると示す新聞の折り込みチラシを2014年2月15日から4月23日にかけておよそ170万部配布。翌年2月景品表示法に違反するとして消費者庁が同社に対して措置命令を行った[7]。
- 2015年1月に刷新した経営陣は旧体制のこととはいえ、措置命令を真摯に受け止め社内のコンプライアンス強化を宣言している。
- 現在
- 再建スポンサーであったロゼッタホールディングスは、経営から撤退し、2015年10月、株式会社アキ・インターナショナルが親会社となり、ブランドと宝石等の小売事業はその子会社のジュエリー秋に移管されている。
沿革
- 1965年4月 - 株式会社三貴設立。
- 1967年5月 - 子会社(株)大阪三貴設立<西日本地区担当>。
- 1968年3月 - 子会社(株)マキ設立、東京青山に事務所を設け、ショールーム開設。
- 1969年4月 - 銀座ジュエリーマキ1号店(旧イトーヨーカ堂大井店内)がオープン。
- 1970年11月 - ブティックジョイ1号店、横須賀市にオープン。当初は、輸入民芸品や雑貨販売を主力にしていた。
- 1971年9月 - 子会社(株)ジェイ・ハウス設立<販促・PR・店舗設計>。
- 1973年
- 1976年4月 - じゅわいよ・くちゅーるマキ1号店オープン。
- 1979年
- (株)サミコ設立<宝石加工・商品開発>。
- カメリアダイヤモンドチェーン発足。卸機能を生かし、約2年後には個人経営等のFC協賛店を約150店舗ほどに増やす。
- 1981年
- 1985年 - 三貴健康保険組合発足。
- 1987年9月 - 子会社ミキ・インターナショナル・トレーディング(株)設立<海外生産委託品の輸入窓口>。
- 1989年10月 - 子会社三貴システムデベロップメント(株)設立<電算機による販売情報管理>。
- 1991年
- タイにミキ・サイアミーズ・ジュエリーカンパニーを設立。
- 12月 - 東京銀座に、日本最大級のダイヤモンド専門店「ル・シュプール・ディアマン・クチュール・ド・マキ」をオープン。
- 1995年 - (株)大阪三貴を吸収合併。
- 1996年 - 子会社ミキクリエイト(株)設立<総務・人事業務のシェアードサービス>。
- 1997年4月 - 婦人服、子供服部門から撤退。約400店を一挙に閉鎖。宝石の小売に特化する。
- 2002年10月 - 負債900億円を抱え、東京地裁より特別清算開始が決定される。休眠会社に営業譲渡した上で会社を清算。休眠会社を(株)三貴と改称し、事業を存続。
- 2009年1月 - 東京地方裁判所に民事再生法適用を申請し、負債総額約117億円で経営破綻[8]。
- 2012年8月 - 民事再生法適用期間が決着。
- 2014年7月30日 - 東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、二度目の経営破綻。負債は約120億円[1]。
- 2015年1月 - ロゼッタホールディングスが買収し、第3代社長に飯田正己が就任。
- 2015年10月 - アキ・インターナショナルが買収し、ブランドと宝石等の小売事業は子会社のジュエリー秋に移管。
その他
- 同社はアパレル部門のストアブランドとして、「THE GAP」(ザ・ギャップ)を展開していたが、1994年にアメリカのGAPが日本に進出すると、商標を巡って係争することになった。結果、三貴側が「THE GAP」をブティックジョイに店舗名を変更することで決着した。そのため、一時は同一テナントにブティックジョイが2店も存在するという珍光景も見られた。
- メセナの一環として、かつてタルムードの翻訳版を刊行していた。
店舗ブランド
現行店舗ブランド
過去の店舗ブランド
- 宝石
- ビジュ・イル・エル
- ファン・ジュエリーエブ
- ミス嵯峨野
- ル・シュプール・ディアマン・クチュール・ド・マキ
- ジェムファ
- ジュエリーマキ
- じゅわいよ・くちゅーるマキ
- マキアウトレット
- 婦人服
- ブティックJOY
- ザ・ギャップ
- パティファイブ
- マリエール
- ミラクルメニュー
- ミス・タカオ
- イーブルナージュ
- しゃれっと
- ピーリード
- ステイニューユニッツ
- 子供服
- ファニイ
- ファニイ・ベビー
- ファニイ・シューズ & アクセサリー
- デザイナーズ婦人服アンテナショップ
- デニ・マズジ
- エイドリ
- ジェーン・バーンズ
- アン・クライン
- エマニュエル・カーン
- ジャン・ポール・ゴルチェ
- J・C・カステルバジャック
- ニーナ・ギーbyブティックJOY
過去のPBブランド
- 宝石
- Chloё (クロエ)
- Trentaine (トランタン)
- Twenty (トゥエンティ)
- マダムカメリア
- 婦人服
- ミスタカオジーニング
- オリビエ・モンタギュー
- ダン・ベランジェ
- デービッド・ヒックス
- 子供服
- PETIT TAKAO (プチタカオ)
- PETIT TAKAO ENFANTS (プチタカオ・アンファン)
- bigoudi (ビグディ)
- PETIT TAKAO JEANING (プチタカオ・ジーニング)
- trotinette (トロチネット)
- Chloё enfants (クロエ・アンファン)
CM
かつての三貴グループのテレビCMは、主にスポットCMとして日本全国で放送されていた。とりわけ深夜の時間帯に多く放送されていたが、テレビ東京系列局においては朝晩問わず放送されていた。放送回数の多さに加え、秋吉久美子や桃井かおりなどをCMキャラクターに、中森明菜や布袋寅泰などの曲をCMソングに起用するという話題性の高さから、若年層への知名度は高いものがあった。このCMで起用された数多くの曲がヒットし、一時期「カメリアダイアモンド、ブティックJOY、ファニィの三貴グループのCMソングで起用されるとブレイクする」「カメリア族」などとも言われ、新人歌手の登竜門的存在とされていた。また、CMでは商品の宣伝は行わず(1997・1998年度のエステート・ツインジュエリーは例外)、ダイアモンドを「身に着ける」価値について流していた。そのため、同社では「CM」ではなく「コマーシャルフィルム」と紹介している。
これら三貴のCMは、最後に放送地域における販売店の入居先を読み上げるのが通例で、地域ごとにナレーションを差し替えていた。
下記に示すものは「ジュエリーマキ」「じゅわいよ・くちゅーるマキ」のものであるが、「ブティックJOY」や「ファニィ」においても、放送地域ごとに主な販売店の入居先を読み上げていた。ちなみに、「ジュエリーマキ」のCMについては個別店舗名の入らない「銀座ジュエリーマキ」のみを読み上げるバージョンもあり、地域によってはそれらも並行して放送されていた。
- 北海道
- 青森県青森市
- 岩手県盛岡市
- 「銀座ジュエリーマキ、パルクアベニュー・カワトク2階→1階」
- 「銀座ジュエリーマキ、盛岡Nanak 1階」
- 宮城県仙台市
- 秋田県秋田市
- 山形県
- 福島県郡山市
- 東京都
- 千葉県船橋市[注釈 2]
- 「銀座じゅわいよ・くちゅーるマキ、船橋ららぽーと2階」
- 神奈川県横浜市[注釈 3]
- 「銀座じゅわいよ・くちゅーるマキ、横浜ランドマークプラザ2階」
- 新潟県新潟市
- 「銀座ジュエリーマキ、プラーカ1地下1階」
- 富山県富山市
- 「銀座ジュエリーマキ、TOYAMA 109 1階」
- 「銀座ジュエリーマキ、富山駅前 シック1階」
- 石川県金沢市
- 「銀座ジュエリーマキ、スカイプラザ1階」
- 「銀座ジュエリーマキ、KOHRINBO109 2階」
- 山梨県甲府市
- 長野県松本市
- 「銀座ジュエリーマキ、松本パルコ2階」
- 静岡県静岡市
- 「銀座ジュエリーマキ、新静岡センター2階」
- 愛知県名古屋市
- 「銀座ジュエリーマキ、SAKAE NOVA 2階」
- 「銀座ジュエリーマキ、名古屋栄中日ビル3階」
- 「銀座ジュエリーマキ、中部近鉄名古屋2階」
- 「銀座ジュエリーマキ、ポートモールアピタ港1階」
- 滋賀県大津市
- 「銀座ジュエリーマキ、西武大津2階」
- 大阪府大阪市
- 「銀座ジュエリーマキ、ナビオ阪急3階」
- 兵庫県
- 岡山県岡山市
- 広島県広島市
- 徳島県徳島市
- 「銀座ジュエリーマキ、アミコ2階」
- 香川県高松市
- 「銀座ジュエリーマキ、高松本店・高松瓦町」
- 愛媛県松山市
- 「銀座ジュエリーマキ、松山全日空ホテル地下1階」
- 高知県高知市
- 「銀座ジュエリーマキ、高知西武1階」
- 福岡県福岡市
- 佐賀県佐賀市
- 「銀座ジュエリーマキ、佐賀デイトス西館」
- 大分県大分市
- 「銀座ジュエリーマキ、大分パルコ2階」
- 熊本県熊本市
- 「銀座ジュエリーマキ、ダイエー熊本下通店2階」
- 宮崎県宮崎市
- 「銀座ジュエリーマキ、橘ジャスコ1階」
- 鹿児島県鹿児島市
しかし、後の三貴グループの業績悪化などを受け、テレビCMは1998年3月の放送を最後に一時放送を休止していた。特にアパレル部門のCMは、同部門の撤退が決まった1997年には既に打ち切られていた。
その後、「ジュエリーマキ」は2003年頃よりCMキャラクターに桃井かおりを迎え、専門チャンネルなどから徐々に放送を再開していった。そして、2005年からは浜崎あゆみの曲などを起用するようになり、かつて三貴グループがCMを盛んに放送していた頃を彷彿させるようになった。しかし、2008年のリーマン・ショック、市場における金やプラチナの価格高騰のあおりを受け、CM展開も控えめになった。2011年、4年ぶりとなる新たなCMキャラクターを迎え、若い世代への新規顧客開拓を図った。しかし、地上波及びCS放送においてもCM放送回数は激減している。
上記以降のさらなる経営環境の変化を受け、2016年1月時点でCM制作ならびにCMの放送は一切行われていない。
CMキャラクター
- ジュディ・オング(1979年)
- スーザン・アントン(1980年)
- ファラ・フォーセット(1981年 - 1983年)
- 二宮さよ子(1984年)
- ラウア・リサ(1984年)
- 池上季実子(1984年 - 1985年)
- 岩崎宏美(1985年)
- クラウディア・ウディ(1985年)
- 秋吉久美子(1986年)
- リー・トンプソン(1987年)
- ダイアン・レイン(1987年 - 1989年)
- モニカ・ベルッチ(1989年)
- シャルロッテ[要曖昧さ回避](1989年 - 1990年)
- リンダ・エヴァンジェリスタ(1990年 - 1993年)
- シャロン・ストーン(1992年)
- フレデリーク(1993年 - 1994年)
- 沢口靖子(1994年1月、マキ新宿本店オープン告知CM、ビジュ・イル・エル)
- ポーリーナ・ポリツィコバ(1994年 - 1998年)
- ブルース・ウィリス(1997年 - 1998年)
- 桃井かおり(2003年 - 2005年)
- 秋本奈緒美(2005年 - 2006年)
- 米倉涼子(2006年)
- 白田久子(2007年 - 2008年)
- ASSIYA(2011年 - 2013年)
- REIKA(2013年 - )
- ヴィクトリア・ブリンナー
- 桃井かおり
- シンディ・クロフォード(1990年 - 1992年)
- クラウディア・シファー(1992年 - 1995年)
CMソング
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- あらい舞
- 「Cherry Cherry Rabbit」(1987年)
- ラチエン・ボーイ・クラブ
- 「この星の上で」(1991年)
- 有近真澄
- 「KISS, KISS, KISS」(1992年)
- エレーヌ・ロレ
- 「Je m'appelle Hélène」(1994年)
- YOU
- 「二回目のキス」(1994年)
- MANISH
- 「眩しいくらいに…」(1995年)
- 鈴里真帆
- 「Fallin' Love Again」(1995年)
提供番組
- NEWS ZERO(日本テレビ) - 『きょうの出来事』時代より、全ての曜日で提供。ただし、『きょうの出来事』時代には土日は提供していなかった。一時期スポンサーを降りたが、2004年頃に復帰。その後、2007年9月まで提供していた。
- NEWS23(TBSテレビ) - 関東ローカルパートのみを提供。
- ANNニュースファイナル(テレビ朝日) - 関東ローカルで提供。
- 木曜洋画劇場(テレビ東京)
- ニュース THIS EVENING・夕方いちばん(テレビ東京) - 月曜から金曜の週5日間提供。1998年まで。
- 速ホゥ!(テレビ東京) - 全ての曜日で提供。『TXNニュースアイ』時代の2003年11月頃から2007年3月30日までの約3年半にわたり、一日も欠けることなく毎日CMが放送された。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 三貴/2度目の民事再生法の適用を申請、負債120億円 流通ニュース 2014年7月31日閲覧。
- ^ a b c d 藤森徹『あの会社はこうして潰れた』日本経済新聞出版社、2017年4月10日初版、104-111頁、 ISBN 9784532263379。
- ^ 不当景品類及び不当表示防止法第6条第1項の規定に基づき排除命令をした件(法庫閲覧)
- ^ 宝石チェーン三貴の「不当提訴」認定 東京地裁が判断原本は2003年2月20日 朝日新聞記事より収集。
- ^ 「銀座ジュエリーマキ」の三貴、破綻 47NEWS 2009年1月21日
- ^ 銀座で35億円宝石強盗 47NEWS 2004年3月5日
- ^ 三貴、「がん予防に」と飲料水販売…根拠示せず(読売新聞、2015年2月10日)
- ^ 三貴が民事再生法申請 負債総額は117億円