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===== 変則二冠 =====
===== 変則二冠 =====
4月には[[中央競馬クラシック三冠|3歳クラシック]]初戦の皐月賞を控えたが、昆は同競走の回避を選択し、条件戦出走時から目標に据えていた<ref name="deep4">『優駿』2008年7月号 p.33</ref>5月の[[NHKマイルカップ]]へ向かった。当日は1番人気に支持されると、道中では後方2、3番手の位置から、最後の直線で馬場の内側を抜け出して優勝。[[競馬の競走格付け|GI級 (JpnI) 競走]]初勝利を飾った。この勝利は厩舎、[[馬主]]、生産者にとっても初めてのGI級競走勝利となった。レース後、四位は「是非、この馬でダービーに出たい」と昨年の[[ウオッカ]]に続く東京優駿連覇に意欲を示した。関係者間の協議の結果、[[ローテーション (競馬)|中2週]]での[[東京優駿]]への出走が決定した。
4月には[[中央競馬クラシック三冠|3歳クラシック]]初戦の皐月賞を控えたが、昆は同競走の回避を選択し、条件戦出走時から目標に据えていた<ref name="deep4">『優駿』2008年7月号 p.33</ref>5月の[[NHKマイルカップ]]へ向かった。当日は1番人気に支持されると、道中では後方2、3番手の位置から、最後の直線で馬場の内側を抜け出して優勝。[[競馬の競走格付け|GI級 (JpnI) 競走]]初勝利を飾った。この勝利は厩舎、[[馬主]]、生産者にとっても初めてのGI級競走勝利となった。レース後、四位は「是非、この馬でダービーに出たい」と昨年の[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]に続く東京優駿連覇に意欲を示した。関係者間の協議の結果、[[ローテーション (競馬)|中2週]]での[[東京優駿]]への出走が決定した。


当日は皐月賞優勝馬[[キャプテントゥーレ]]の不在もあり、1番人気に支持される。レースでは後方内側で待機策を採ると、最後の直線では大外から13頭を次々に交わし、残り100メートル付近で先頭の[[スマイルジャック]]を捉えて優勝。2004年の[[キングカメハメハ]]以来史上2頭目となる、NHKマイルカップ・東京優駿制覇の「[[二冠馬|変則二冠]]」を達成、同時に四位も武豊が[[1998年]]に[[スペシャルウィーク]]、[[1999年]]に[[アドマイヤベガ]]で東京優駿を制して以来の史上2人目となるダービー連覇を達成した。
当日は皐月賞優勝馬[[キャプテントゥーレ]]の不在もあり、1番人気に支持される。レースでは後方内側で待機策を採ると、最後の直線では大外から13頭を次々に交わし、残り100メートル付近で先頭の[[スマイルジャック]]を捉えて優勝。2004年の[[キングカメハメハ]]以来史上2頭目となる、NHKマイルカップ・東京優駿制覇の「[[二冠馬|変則二冠]]」を達成、同時に四位も武豊が[[1998年]]に[[スペシャルウィーク]]、[[1999年]]に[[アドマイヤベガ]]で東京優駿を制して以来の史上2人目となるダービー連覇を達成した。


===== 古馬との対戦 =====
===== 古馬との対戦 =====
夏は休養のため放牧に出され、9月に帰厩。緒戦には[[神戸新聞杯]]([[菊花賞]][[トライアル競走|トライアル]])に出走すると、追い込み一辺倒であった従来のレース運びとは異なり、中団から抜け出しての勝利を収めた。競走後、距離やコース適性などを考慮の結果、次走にはクラシック最後の一冠・菊花賞ではなく、[[馬齢|古馬]]相手となる[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]への出走が選択された<ref>『[[ケイバブック|週刊競馬ブック]]』2008年11月2・3日号(株式会社ケイバブック)p.10</ref>。[[戦後]]に天皇賞(秋)が3歳馬に開放されて以降、日本ダービー優勝馬が菊花賞を回避して天皇賞に向かうのは、史上初めての例であった。天皇賞(11月2日)では、[[牝馬]]の二強とされていた[[ウオッカ]]、[[ダイワスカーレット]]と対戦。戦前は「三強対決」と注目を集め、当日は両馬に次ぐ3番人気に支持された。レースでは神戸新聞杯と同じく中団からレースを進め、最後の直線で差し脚を見せたが、ウオッカ、ダイワスカーレットから僅差の3着に終わった(競走詳細は[[第138回天皇賞]]を参照)。
夏は休養のため放牧に出され、9月に帰厩。緒戦には[[神戸新聞杯]]([[菊花賞]][[トライアル競走|トライアル]])に出走すると、追い込み一辺倒であった従来のレース運びとは異なり、中団から抜け出しての勝利を収めた。競走後、距離やコース適性などを考慮の結果、次走にはクラシック最後の一冠・菊花賞ではなく、[[馬齢|古馬]]相手となる[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]への出走が選択された<ref>『[[ケイバブック|週刊競馬ブック]]』2008年11月2・3日号(株式会社ケイバブック)p.10</ref>。[[戦後]]に天皇賞(秋)が3歳馬に開放されて以降、日本ダービー優勝馬が菊花賞を回避して天皇賞に向かうのは、史上初めての例であった。天皇賞(11月2日)では、[[牝馬]]の二強とされていた[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]、[[ダイワスカーレット]]と対戦。戦前は「三強対決」と注目を集め、当日は両馬に次ぐ3番人気に支持された。レースでは神戸新聞杯と同じく中団からレースを進め、最後の直線で差し脚を見せたが、ウオッカ、ダイワスカーレットから僅差の3着に終わった(競走詳細は[[第138回天皇賞]]を参照)。


次走には、陣営が天皇賞前から「秋の最大目標」と明言していた[[ジャパンカップ]]に出走。天皇賞で敗れたウオッカらを抑えて1番人気に支持され、レースではスローペースで推移するなか、中団からやや後方の17頭中12-13番手を進み、最後の直線では出走馬中で最速となる[[上がり (競馬)|上がり3ハロン]]33秒8の末脚を繰り出すも、早めに先頭に立った[[スクリーンヒーロー]]に及ばず2着に敗れた。
次走には、陣営が天皇賞前から「秋の最大目標」と明言していた[[ジャパンカップ]]に出走。天皇賞で敗れたウオッカらを抑えて1番人気に支持され、レースではスローペースで推移するなか、中団からやや後方の17頭中12-13番手を進み、最後の直線では出走馬中で最速となる[[上がり (競馬)|上がり3ハロン]]33秒8の末脚を繰り出すも、早めに先頭に立った[[スクリーンヒーロー]]に及ばず2着に敗れた。
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2021年11月10日 (水) 00:32時点における版

ディープスカイ
2008年5月11日 東京競馬場
現役期間 2007年 - 2009年
欧字表記 Deep Sky
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 2005年4月24日(19歳)
抹消日 2009年8月30日
アグネスタキオン
アビ
母の父 Chief's Crown
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 笠松牧場
馬主 深見敏男
調教師 昆貢栗東
調教助手 上籠三男
厩務員 堂本和裕
競走成績
タイトル JRA賞最優秀3歳牡馬(2008年)
生涯成績 17戦5勝
獲得賞金 6億4213万9000円
WTR 121 T/L(2008年)[1]
120 T/I(2009年)[2]
勝ち鞍
JpnI NHKマイルカップ 2008年
JpnI 東京優駿 2008年
JpnII 神戸新聞杯 2008年
JpnIII 毎日杯 2008年
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ディープスカイ2005年4月24日 - )は、日本競走馬である。

主な勝ち鞍は2008年のNHKマイルカップ東京優駿(日本ダービー)神戸新聞杯毎日杯。同年のJRA賞最優秀3歳牡馬主戦騎手四位洋文馬名は馬主が使用する冠名「ディープ」 (Deep) と、を意味する「スカイ」 (Sky) の合成で、「澄み切った大空」という意味。

経歴

デビュー前

2005年4月24日、北海道浦河町の笠松牧場に生まれる。父は2001年の皐月賞優勝馬アグネスタキオン。母アビは2003年に輸入されたイギリス産馬であり、本馬は日本における初仔であった。出生直後はそれほど目立つ馬ではなかったが、成長に従って堂々とした気性と頭の良さを買われ、牧場関係者の期待を受けた[3]。同年夏、馬主の深見敏男が購買。翌2006年5月に育成調教を始められると際立った動きを見せ始め、またこのころには馬体も非常に優秀なものとなっていた[4]

競走年齢の2歳を迎えた2007年、競走名「ディープスカイ」と名付けられ、滋賀県栗東トレーニングセンターに入厩。当初の管理調教師山内研二であったが、事情により9月に昆貢のもとへ転厩した[5]

戦績

2歳・3歳(2007年・2008年)

2007年10月に京都競馬場新馬戦松田大作を鞍上にデビュー。単勝2番人気の支持を受けたが4着に終わる。なお、1着は2010年のマイルチャンピオンシップを制したエーシンフォワードである。以後も武豊野元昭嘉藤田伸二と騎手を替えながら連戦したが、2歳時は4戦うち2着3回と勝ち切れなかった。翌2008年の初戦は9着と大敗。しかし2週後の3歳未勝利戦において、通算6戦目での初勝利を挙げた。

続く条件戦では津村明秀を鞍上に2着、重賞初出走のアーリントンカップでは幸英明を鞍上に3着と、後方から追い込んでは先頭に届かないレースを続ける。しかし、3月29日に出走した毎日杯で四位洋文が初騎乗すると、ここでは追い込みが決まり、1番人気アドマイヤコマンドに2馬身半差で快勝。重賞初勝利を挙げた。本馬にはこの時点まで四位を含め7人の騎手が騎乗していたが、本競走以降は四位が主戦騎手として定着した。

変則二冠

4月には3歳クラシック初戦の皐月賞を控えたが、昆は同競走の回避を選択し、条件戦出走時から目標に据えていた[6]5月のNHKマイルカップへ向かった。当日は1番人気に支持されると、道中では後方2、3番手の位置から、最後の直線で馬場の内側を抜け出して優勝。GI級 (JpnI) 競走初勝利を飾った。この勝利は厩舎、馬主、生産者にとっても初めてのGI級競走勝利となった。レース後、四位は「是非、この馬でダービーに出たい」と昨年のウオッカに続く東京優駿連覇に意欲を示した。関係者間の協議の結果、中2週での東京優駿への出走が決定した。

当日は皐月賞優勝馬キャプテントゥーレの不在もあり、1番人気に支持される。レースでは後方内側で待機策を採ると、最後の直線では大外から13頭を次々に交わし、残り100メートル付近で先頭のスマイルジャックを捉えて優勝。2004年のキングカメハメハ以来史上2頭目となる、NHKマイルカップ・東京優駿制覇の「変則二冠」を達成、同時に四位も武豊が1998年スペシャルウィーク1999年アドマイヤベガで東京優駿を制して以来の史上2人目となるダービー連覇を達成した。

古馬との対戦

夏は休養のため放牧に出され、9月に帰厩。緒戦には神戸新聞杯菊花賞トライアル)に出走すると、追い込み一辺倒であった従来のレース運びとは異なり、中団から抜け出しての勝利を収めた。競走後、距離やコース適性などを考慮の結果、次走にはクラシック最後の一冠・菊花賞ではなく、古馬相手となる天皇賞(秋)への出走が選択された[7]戦後に天皇賞(秋)が3歳馬に開放されて以降、日本ダービー優勝馬が菊花賞を回避して天皇賞に向かうのは、史上初めての例であった。天皇賞(11月2日)では、牝馬の二強とされていたウオッカダイワスカーレットと対戦。戦前は「三強対決」と注目を集め、当日は両馬に次ぐ3番人気に支持された。レースでは神戸新聞杯と同じく中団からレースを進め、最後の直線で差し脚を見せたが、ウオッカ、ダイワスカーレットから僅差の3着に終わった(競走詳細は第138回天皇賞を参照)。

次走には、陣営が天皇賞前から「秋の最大目標」と明言していたジャパンカップに出走。天皇賞で敗れたウオッカらを抑えて1番人気に支持され、レースではスローペースで推移するなか、中団からやや後方の17頭中12-13番手を進み、最後の直線では出走馬中で最速となる上がり3ハロン33秒8の末脚を繰り出すも、早めに先頭に立ったスクリーンヒーローに及ばず2着に敗れた。

年末のグランプリ競走有馬記念は回避し、この競走を最後にシーズンを終える。当年のJPNサラブレッドランキングでは、3歳馬として歴代4位タイとなる121ポンド(芝Lコラム)の評価で首位に据えられ、ワールド・サラブレッド・ランキングでも総合33位に付けた。翌1月にはJRA賞最優秀3歳牡馬に満票(300票)で選出され、授賞式の席上で、昆は来春のローテーションと、春のGI勝利を前提とした来秋のフランス凱旋門賞への出走プランを明かした[8]

4歳以降(2009年 - )

厩舎内で調整が続けられたのち、翌2009年は4月5日大阪杯から復帰。GI優勝馬6頭が集ったなかで、単勝オッズ1.6倍という圧倒的1番人気に支持された。しかし好位から直線でいったん抜け出したものの、終始ディープスカイをマークしていたドリームジャーニーにゴール前で差され、クビ差の2着となった。

勝利が凱旋門賞出走条件のひとつとされていた安田記念(6月7日)では、前年度代表馬に選出されていたウオッカに次ぐ2番人気となる。レースは中団を追走、直線では残り400メートル過ぎで一団の馬群から抜け出し先頭に立ったが、残り200メートル地点で馬群を捌いて抜け出したウオッカに一気に交わされ、2着に終わった。続いて出走した春のグランプリ競走宝塚記念では、単勝支持率が50パーセントを超える圧倒的な1番人気となった(最終オッズは1.6倍)。レースでは道中中団を追走し、直線入り口から外をついてドリームジャーニーと並んで追い込むも、同馬に競り負け、さらに先行策から粘ったサクラメガワンダーも捉えきれず3着に敗れた。安田記念と宝塚記念、どちらの勝利もならなかったことを受け、予定されていた凱旋門賞出走のプランも白紙撤回された。

宝塚記念後は、北海道のファンタストクラブへ放牧[9]に出された。その後、秋初戦に予定されていた毎日王冠に向け、8月8日函館競馬場に入厩したが[10]移動する2日ほど前にファンタストクラブから左前脚に熱を持っているとの報告を受けていた[10]8月12日超音波検査を行った結果、損傷率11パーセントの左前浅屈腱炎が判明[10]。全治は9-12か月で復帰は不可能でなかったものの[10]、当年6月22日に急死していた父アグネスタキオンの後継種牡馬としての期待も大きいことから、競走生活からの引退、種牡馬入りが発表された[9][10][11]。8月30日付で日本中央競馬会 (JRA) の競走馬登録が抹消され、同日札幌競馬場引退式が執り行われた[12][13]

引退後

引退後はダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックスで種牡馬入り[12]2010年から供用され、初年度の種付料は350万円。

2013年に初年度産駒がデビュー。中央の新種牡馬ランキングで9位と出遅れた。2015年イーストスタッドへ移動[14]。産駒成績の不振から、初年度以来100頭以上を維持していた種付け頭数は2014年に激減。2015年の種付料は50万円(受胎条件)または70万円(出生条件)にまで下落した。

2015年は8頭まで種付け数が減少したが、主にダートで活躍が見られ、その後は種付け数がやや回復している。

2015年11月25日サウンドスカイ兵庫ジュニアグランプリを勝利し、中央・地方を通じ産駒の重賞初勝利、同年12月16日、同馬が全日本2歳優駿を勝利し、中央・地方を通じ産駒のGI(Jpn1)初勝利となった。

2018年2月11日クリンチャー京都記念を制覇し、芝の重賞を初制覇した。

2021年7月21日、引退馬協会からナイスネイチャ・33歳のバースデードネーションによる受け入れ馬として決定したことが発表され、種牡馬を引退することになった[15]

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手
距離(馬場) タイム
上り3F
時計
勝ち馬/(2着馬)
2007. 10. 8 京都 2歳新馬 8 6 6 2.8 (2人) 4着 松田大作 55 芝1400m(良) 1:24.4 (35.5) 0.8 エーシンフォワード
11. 4 京都 2歳未勝利 10 7 8 8.6 (5人) 2着 武豊 55 芝1600m(良) 1:35.4 (35.2) 0.1 ロードバリオス
11. 24 東京 2歳未勝利 17 7 14 5.3 (3人) 2着 武豊 55 芝1800m(良) 1:49.4 (34.6) 0.2 ピサノエミレーツ
12. 6 中京 2歳未勝利 16 4 7 2.5 (1人) 2着 野元昭嘉 55 芝1800m(良) 1:49.6 (35.9) 0.1 マイサイドキック
2008. 1. 13 京都 3歳未勝利 16 7 13 4.6 (1人) 9着 藤田伸二 56 芝2000m(稍) 2:05.6 (35.9) 0.9 マゼラン
1. 26 京都 3歳未勝利 14 4 5 6.6 (4人) 1着 藤田伸二 56 芝1800m(良) 1:50.9 (35.6) -0.2 (シャイニングデイ)
2. 17 東京 3歳500万下 16 4 7 6.2 (3人) 2着 津村明秀 56 芝1600m(良) 1:36.7 (33.4) 0.0 コウヨウマリーン
3. 1 阪神 アーリントンC JpnIII 12 3 3 36.3 (10人) 3着 幸英明 56 芝1600m(良) 1:34.9 (34.1) 0.3 ダンツキッスイ
3. 29 阪神 毎日杯 JpnIII 14 2 2 8.7 (6人) 1着 四位洋文 56 芝1800m(良) 1:46.0 (34.8) -0.4 アドマイヤコマンド
5. 11 東京 NHKマイルC JpnI 18 5 9 4.3 (1人) 1着 四位洋文 57 芝1600m(稍) 1:34.2 (33.9) -0.3 ブラックシェル
6. 1 東京 東京優駿 JpnI 18 1 1 3.6 (1人) 1着 四位洋文 57 芝2400m(良) 2:26.7 (34.2) -0.2 スマイルジャック
9. 28 阪神 神戸新聞杯 JpnII 18 1 1 2.0 (1人) 1着 四位洋文 56 芝2400m(良) 2:25.3 (35.1) -0.0 (ブラックシェル)
11. 2 東京 天皇賞(秋) GI 17 1 2 4.1 (3人) 3着 四位洋文 56 芝2000m(良) 1:57.2 (34.5) 0.0 ウオッカ
11. 30 東京 ジャパンC GI 17 5 9 3.4 (1人) 2着 四位洋文 55 芝2400m(良) 2:25.6 (33.8) 0.1 スクリーンヒーロー
2009. 4. 5 阪神 大阪杯 GII 12 8 11 1.6 (1人) 2着 四位洋文 59 芝2000m(良) 1:59.7 (34.2) 0.0 ドリームジャーニー
6. 7 東京 安田記念 GI 18 3 6 3.7 (2人) 2着 四位洋文 58 芝1600m(良) 1:33.6 (35.5) 0.1 ウオッカ
6. 28 阪神 宝塚記念 GI 14 7 11 1.6 (1人) 3着 四位洋文 58 芝2200m(良) 2:11.6 (34.8) 0.3 ドリームジャーニー

特徴

成長

初勝利まで6戦という成績は、東京優駿優勝馬としては1950年のクモノハナ(8戦)に次ぐ遅い記録である。昆によれば、入厩時のディープスカイは「新馬とか特別戦を勝っている馬に比べると、完成度でかなり劣る馬」だった[16]。しかし初勝利を挙げたころから状態が向上し[5]、春にはNHKマイルカップ、東京優駿を連勝するに至った。毎日杯から騎乗した四位は、「かれこれ26-27年馬に乗ってきたけど、2ヶ月の間でこんなに強くなった馬に、人生で初めて出会いました」と述べている[17]

コース適性

ゆったりとしたコースレイアウトを持つ東京競馬場を得意とし、同場では7戦2勝・2着4回・3着1回と高い安定感を保った。昆も「あの馬の脚質を最大限に活かせて、少々の不利も跳ね返してくれるのは東京のコースかな」と語っている[6]。皐月賞を回避した背景にも、小回りの中山競馬場は向かないだろうという予測があった[18]。またこの回避に関しては、ディープスカイの前年に皐月賞、NHKマイルカップ、東京優駿を皆勤した昆の管理馬ローレルゲレイロが、結局ひとつも勝つことができなかったことも大きく影響していた[5]

気性

レースでは騎手の意に反して前に行きたがる面も見せたが、四位は「本質的には折り合いに不安のあるタイプではない」と述べている[17]。日常生活では穏やかな馬であり、ダービーのあとに四位が厩舎を訪れた際には、馬房のなかで寝転がったままで四位の手からニンジンを口にしたという。悍の強いサラブレッドとしてはめずらしい行動であり、四位は「牧場の人が大切にしてくれたんでしょう。だから人間のことを信頼しているんですよ。こんな馬は初めて」と語っている[17]

種牡馬成績

グレード制重賞優勝馬

太字はGI(またはJpnI)競走。

サウンドスカイ(2013年産)
キョウエイギア(2013年産)

地方重賞優勝馬

血統表

ディープスカイ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系
[§ 2]

アグネスタキオン
1998 栗毛
父の父
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
アグネスフローラ
1987 鹿毛
*ロイヤルスキー
Royal Ski
Raja Baba
Coz o'Nijinsky
アグネスレディー *リマンド
イコマエイカン

*アビ
Abi
1995 栗毛
Chief's Crown
1982 鹿毛
Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Six Crowns Secretariat
Chris Evert
母の母
Carmelized
1990
Key to the Mint Graustark
Key Bridge
Carmelize Cornish Prince
Miss Carmie
母系(F-No.) Miss Carmie系(FN:23-b) [§ 3]
5代内の近親交配 Bold Ruler5×5・5、Miss Carmie 5・4(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ ディープスカイ 5代血統表2017年8月29日閲覧。
  2. ^ 競馬ラボ ディープスカイの種牡馬情報2020年4月5日閲覧。
  3. ^ [26]
  4. ^ JBISサーチ ディープスカイ 5代血統表2017年8月29日閲覧。

父については同馬の項を参照のこと。母はイギリスで5戦1勝。叔父にウニオンレネン(ドイツ2000ギニー)などドイツで重賞4勝を挙げたロイヤルドラゴンRoyal Dragon。4代母Miss Carmieの牝系からは数々の活躍馬が出ており、同牝系に属する馬にケンタッキーダービー優勝牝馬ウイニングカラーズWinning Colors、ニューヨーク牝馬三冠を制したクリスエヴァートChris Evert、宝塚記念とジャパンカップの優勝馬タップダンスシチーなどがいる。母の父チーフズクラウンChief's Crownもこの牝系に属しているため、ディープスカイには母のアビから受け継いだミスカーミーのインブリードがある。

脚注

  1. ^ The 2008 World Thouroughbred Rankings”. IFHA. 2021年9月21日閲覧。
  2. ^ The 2009 World Thouroughbred Rankings”. IFHA. 2021年9月21日閲覧。
  3. ^ 『優駿』2008年7月号 p.18
  4. ^ 『優駿』2008年7月号 pp.18-19
  5. ^ a b c 『優駿』2008年7月号 p.21
  6. ^ a b 『優駿』2008年7月号 p.33
  7. ^ 週刊競馬ブック』2008年11月2・3日号(株式会社ケイバブック)p.10
  8. ^ ディープスカイ国内完勝で凱旋門賞へ”. 日刊スポーツ (2009年1月27日). 2009年8月30日閲覧。
  9. ^ a b ディープスカイ、左前浅屈腱炎で引退”. デイリースポーツ (2009年8月20日). 2009年8月20日閲覧。
  10. ^ a b c d e ディープスカイ引退…ダーレーJで種牡馬入りへ”. スポニチ (2009年8月20日). 2009年8月20日閲覧。
  11. ^ ディープスカイ号が故障”. JRA (2009年8月19日). 2009年8月20日閲覧。
  12. ^ a b ディープスカイ号が競走馬登録抹消”. JRA (2009年8月30日). 2009年9月1日閲覧。
  13. ^ ディープスカイ号の引退式が行われました【札幌競馬場】”. JRA (2009年8月30日). 2009年9月1日閲覧。
  14. ^ ディープスカイ浦河でけい養へ
  15. ^ ディープスカイの受け入れが決定しました!~ナイスネイチャ・33歳のバースデードネーションの現況報告|認定NPO法人引退馬協会”. 認定NPO法人 引退馬協会. 2021年7月21日閲覧。
  16. ^ 『優駿』2008年7月号 p.32
  17. ^ a b c 『優駿』2008年7月号 p.31
  18. ^ 『優駿』2008年7月号 p.22
  19. ^ タマノブリュネット”. JBISサーチ. 2017年10月23日閲覧。
  20. ^ モルトベーネ”. JBISサーチ. 2017年10月23日閲覧。
  21. ^ サウンドスカイ”. JBISサーチ. 2017年10月23日閲覧。
  22. ^ キョウエイギア”. JBISサーチ. 2017年10月23日閲覧。
  23. ^ ノブタイザン”. JBISサーチ. 2018年3月3日閲覧。
  24. ^ スカイサーベル”. JBISサーチ. 2017年10月23日閲覧。
  25. ^ ブラウンレガート”. JBISサーチ. 2017年10月23日閲覧。
  26. ^ 平出貴昭 (2019年9月18日). “『覚えておきたい世界の牝系100』掲載牝系一覧”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2020年4月5日閲覧。

参考文献

  • 優駿』2008年7月号(日本中央競馬会、2008年)
  • 『優駿』2009年2月号(日本中央競馬会、2009年)

外部リンク