「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の版間の差分
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「'''ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ'''」 (''With a Little Help from My Friends'') は、[[ビートルズ]]の楽曲である。1967年に発売された8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (代表的なトピック)|サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』に収録された。[[レノン=マッカートニー]]名義となっているが、[[ボーカル|リード・ボーカル]]は[[リンゴ・スター]]。現在でもスターのソロコンサートでは、アンコールの最後に必ずこの曲が演奏される。 |
「'''ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ'''」 (''With a Little Help from My Friends'') は、[[ビートルズ]]の楽曲である。1967年に発売された8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (代表的なトピック)|サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』に収録された。[[レノン=マッカートニー]]名義となっているが、[[ボーカル|リード・ボーカル]]は[[リンゴ・スター]]。現在でもスターのソロコンサートでは、アンコールの最後に必ずこの曲が演奏される。 |
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[[ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500]] |
2010年版の[[ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500]]では311位にランクされている<ref>[https://www.rollingstone.com/music/lists/the-500-greatest-songs-of-all-time-20110407/the-beatles-with-a-little-help-from-my-friends-20110526 The Beatles, 'With a Little Help From My Friends' | 500 Greatest Songs of All Time | Rolling Stone]</ref>。 |
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本曲は、1967年3月中旬に[[ジョン・レノン]]と[[ポール・マッカートニー]]によって、スターが演じる[[#ビリー・シアーズ|ビリー・シアーズ]]という架空の歌手が歌うというコンセプトのもとで書かれた{{Sfn|Dowlding|1989|p=165}}。当時『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のレコーディングセッションは終盤に差しかかっており、時間に余裕がなかった関係から、本作を書き始めた翌日にレコーディングを行う予定となっていた{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。マッカートニーは当時について「ジョンと僕のちょっとした職人作業だった。僕はいつもそれを007の映画の主題歌を書くようなものと考えていた。リンゴのキーにあわせて書かなきゃならなかったうえに、少しおふざけっぽく書かなきゃならなかったから、僕からすれば普段とはちょっと違った作業だ」と語っている{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。 |
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本曲の当初のタイトルは、「'''Badfinger boogie'''(バッドフィンガー・ブギ)」{{Sfn|Matovina|2000}}{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}<ref group="注">この名前は後にアップルのアーティスト[[バッドフィンガー]](旧名: アイヴィーズ)の由来ともなった。</ref>。楽曲の制作はレノンがギター、マッカートニーがピアノを弾きながら行われた。その制作の途中で、マッカートニーは「[[フール・オン・ザ・ヒル]]」を歌い出し、レノンがこの時点でできていた歌詞を書き留めた{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。レノンは1980年のインタビューで、「これはポールの曲、僕が少し手伝った。『What do you see when you turn out the light I can't tell you, but I know it's mine.』は僕のものだ」と語っている<ref>John Lennon interview September 1980</ref>。 |
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冒頭の歌詞は当初「What would you think if I sang out of tune? Would you throw ripe tomatoes at me?(もし僕が音程を外して歌ったら君はどう思う?熟したトマトを投げつけてくれるかい?)」となっていたが、スターが「将来この曲をステージで唄うことになったときに本当にトマトを投げつけられたら嫌だ」と言って断り、現在の歌詞に変更された{{Sfn|The Beatles|2000|p=242}}{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。これは1964年頃、記者会見で[[ジョージ・ハリスン]]が[[ゼリービーンズ]]が好きだとコメントしたことがきっかけで、ステージ上にゼリービーンズが投げ込まれるというハプニングが起きたことが関係している<ref> The Beatles 2000, p. 242.</ref>。 |
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アメリカでの発売後、のちの第39代米国合衆国副大統領[[スピロ・アグニュー]]は歌詞中の「I get high with a little help from my friends(友達の助けを借りてハイになる)」というフレーズについて、「キャッチーな曲ではあるが、指摘されるまで“フレンズ”というのが各種の[[ドラッグ]]を指すことには気が付かなかった」と語っており、本作を放送禁止にするように働きかけた<ref>{{Cite book|last=Kurlansky, Mark.|first=|url=https://www.worldcat.org/oclc/53929433|title=1968 : the year that rocked the world|date=2004|publisher=Ballantine|year=|isbn=0-345-45581-9|edition= 1st|location=New York|page=189|oclc=53929433}}</ref>{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。このフレーズについて、マッカートニーは「当時はマリファナの時代だったから、軽く触れないわけにはいかなかった」と語っている{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。 |
アメリカでの発売後、のちの第39代米国合衆国副大統領[[スピロ・アグニュー]]は歌詞中の「I get high with a little help from my friends(友達の助けを借りてハイになる)」というフレーズについて、「キャッチーな曲ではあるが、指摘されるまで“フレンズ”というのが各種の[[ドラッグ]]を指すことには気が付かなかった」と語っており、本作を放送禁止にするように働きかけた<ref>{{Cite book|last=Kurlansky, Mark.|first=|url=https://www.worldcat.org/oclc/53929433|title=1968 : the year that rocked the world|date=2004|publisher=Ballantine|year=|isbn=0-345-45581-9|edition= 1st|location=New York|page=189|oclc=53929433}}</ref>{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。このフレーズについて、マッカートニーは「当時はマリファナの時代だったから、軽く触れないわけにはいかなかった」と語っている{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。 |
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== レコーディング == |
== レコーディング == |
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本作のレコーディングは、アルバムのジャケット撮影を行う前日の1967年3月29日にEMIスタジオのスタジオ2で開始。レコーディング初日の時点で、前曲「[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (曲)|サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]」と繋げることが決まっていたことから、ボーカル・インタールードからのスタートとなった{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。バッキング・トラックを10テイク録音したのち、テイク10が採用された{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。バッキング・トラックのトラック1にはマッカートニーの[[ピアノ]]、トラック2にはハリスンの[[ギター]]、トラック3にはスターの[[ドラムセット|ドラムス]]とレノンの[[カウベル]]、トラック4には[[ハモンドオルガン]]が収録されていた{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。その後2本目の4トラック・レコーダーにコピーされて、テイク11が作成され、トラック3と4にスターのリード・ボーカル、レノン・マッカートニー・ハリスンの3名によるヴァース部分の問いかけ部分が録音された{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。 |
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翌日、冒頭のボーカル・インタールードに[[ティンパニ]]と[[スネアドラム]]がオーバー・ダビングされ、これらはトラック2に録音{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。残りのトラックに[[エレクトリックベース|ベース]]、[[タンバリン]]、[[リードギター]]が加えられた{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。こののち、スターのリード・ボーカルを片方のみ削除して、トラック3に新たなバッキング・ボーカルを録音し、冒頭にハモンドオルガンが加えられた{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。本作のセッションは、1967年3月30日午前5時45分で終了した{{Sfn|Lewisohn|1988|p=106}}。 |
翌日、冒頭のボーカル・インタールードに[[ティンパニ]]と[[スネアドラム]]がオーバー・ダビングされ、これらはトラック2に録音{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。残りのトラックに[[エレクトリックベース|ベース]]、[[タンバリン]]、[[リードギター]]が加えられた{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。こののち、スターのリード・ボーカルを片方のみ削除して、トラック3に新たなバッキング・ボーカルを録音し、冒頭にハモンドオルガンが加えられた{{Sfn|Sgt. Pepper|2017|p=10}}。本作のセッションは、1967年3月30日午前5時45分で終了した{{Sfn|Lewisohn|1988|p=106}}。 |
2021年10月3日 (日) 01:44時点における版
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ビートルズの楽曲 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
収録アルバム | 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
英語名 | With a Little Help from My Friends | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リリース | 1967年6月1日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
録音 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時間 | 2分44秒 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レーベル | パーロフォン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作詞者 | レノン=マッカートニー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作曲者 | レノン=マッカートニー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プロデュース | ジョージ・マーティン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャート順位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後述を参照
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「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」 (With a Little Help from My Friends) は、ビートルズの楽曲である。1967年に発売された8作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録された。レノン=マッカートニー名義となっているが、リード・ボーカルはリンゴ・スター。現在でもスターのソロコンサートでは、アンコールの最後に必ずこの曲が演奏される。
2010年版のローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500では311位にランクされている[2]。
背景
本曲は、1967年3月中旬にジョン・レノンとポール・マッカートニーによって、スターが演じるビリー・シアーズという架空の歌手が歌うというコンセプトのもとで書かれた[3]。当時『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のレコーディングセッションは終盤に差しかかっており、時間に余裕がなかった関係から、本作を書き始めた翌日にレコーディングを行う予定となっていた[1]。マッカートニーは当時について「ジョンと僕のちょっとした職人作業だった。僕はいつもそれを007の映画の主題歌を書くようなものと考えていた。リンゴのキーにあわせて書かなきゃならなかったうえに、少しおふざけっぽく書かなきゃならなかったから、僕からすれば普段とはちょっと違った作業だ」と語っている[1]。
本曲の当初のタイトルは、「Badfinger boogie(バッドフィンガー・ブギ)」[4][1][注 1]。楽曲の制作はレノンがギター、マッカートニーがピアノを弾きながら行われた。その制作の途中で、マッカートニーは「フール・オン・ザ・ヒル」を歌い出し、レノンがこの時点でできていた歌詞を書き留めた[1]。レノンは1980年のインタビューで、「これはポールの曲、僕が少し手伝った。『What do you see when you turn out the light I can't tell you, but I know it's mine.』は僕のものだ」と語っている[5]。
冒頭の歌詞は当初「What would you think if I sang out of tune? Would you throw ripe tomatoes at me?(もし僕が音程を外して歌ったら君はどう思う?熟したトマトを投げつけてくれるかい?)」となっていたが、スターが「将来この曲をステージで唄うことになったときに本当にトマトを投げつけられたら嫌だ」と言って断り、現在の歌詞に変更された[6][1]。これは1964年頃、記者会見でジョージ・ハリスンがゼリービーンズが好きだとコメントしたことがきっかけで、ステージ上にゼリービーンズが投げ込まれるというハプニングが起きたことが関係している[7]。
アメリカでの発売後、のちの第39代米国合衆国副大統領スピロ・アグニューは歌詞中の「I get high with a little help from my friends(友達の助けを借りてハイになる)」というフレーズについて、「キャッチーな曲ではあるが、指摘されるまで“フレンズ”というのが各種のドラッグを指すことには気が付かなかった」と語っており、本作を放送禁止にするように働きかけた[8][1]。このフレーズについて、マッカートニーは「当時はマリファナの時代だったから、軽く触れないわけにはいかなかった」と語っている[1]。
レコーディング
本作のレコーディングは、アルバムのジャケット撮影を行う前日の1967年3月29日にEMIスタジオのスタジオ2で開始。レコーディング初日の時点で、前曲「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と繋げることが決まっていたことから、ボーカル・インタールードからのスタートとなった[1]。バッキング・トラックを10テイク録音したのち、テイク10が採用された[1]。バッキング・トラックのトラック1にはマッカートニーのピアノ、トラック2にはハリスンのギター、トラック3にはスターのドラムスとレノンのカウベル、トラック4にはハモンドオルガンが収録されていた[1]。その後2本目の4トラック・レコーダーにコピーされて、テイク11が作成され、トラック3と4にスターのリード・ボーカル、レノン・マッカートニー・ハリスンの3名によるヴァース部分の問いかけ部分が録音された[1]。
翌日、冒頭のボーカル・インタールードにティンパニとスネアドラムがオーバー・ダビングされ、これらはトラック2に録音[1]。残りのトラックにベース、タンバリン、リードギターが加えられた[1]。こののち、スターのリード・ボーカルを片方のみ削除して、トラック3に新たなバッキング・ボーカルを録音し、冒頭にハモンドオルガンが加えられた[1]。本作のセッションは、1967年3月30日午前5時45分で終了した[9]。
1967年3月31日に15種類のモノラル・ミックス、4月7日にステレオ・ミックスが作成された[1]。なお、モノラル・ミックスでスターのボーカルに加えられたADTの量は、ステレオ・ミックス作成後に減らされた[1]。
演奏
※出典[10]
- リンゴ・スター - リード・ボーカル、ドラムス、タンバリン[1]
- ジョン・レノン - バッキング・ボーカル、ギター[1]、カウベル
- ポール・マッカートニー - バッキング・ボーカル、ピアノ、ベースギター
- ジョージ・ハリスン - リズムギター[11]、リードギター
- ジョージ・マーティン - ハモンドオルガン
チャート成績
チャート(1978年) | 最高位 |
---|---|
UK Music Week Chart[12] | 63 |
US Billboard Hot 100[13] | 71 |
US Cash Box Top 100[14] | 92 |
US Record World Chart[15] | 103 |
ビリー・シアーズ
アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』上の架空のコンサートでは、前曲「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の最後に司会とバンドによって架空の歌手であるビリー・シアーズ (Billy Shears) が紹介され、スターがビリー役で「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を歌うという構成になっている。
マッカートニーが1966年に死去したという都市伝説「ポール・マッカートニー死亡説」において、「ビリー・シアーズとはポールの替え玉をしている人物の名前だ」とされている[16]。
スターはビートルズ解散後に発売したソロ・アルバム『リンゴ』に収録の「アイム・ザ・グレーテスト」で、「My name is Billy Shears(私の名はビリー・シアーズだ)」と紹介している[17][18][19]。
カバー・バージョン
1968年、ジョー・コッカーがこの曲をゴスペル風のアレンジでカバーし、全英シングルチャートで第1位[20]、Billboard Hot 100で最高位68位[21]を獲得した。このカバー・ヴァージョンでギターを弾いたのはジミー・ペイジ。
1967年のジョー・ブラウンのヴァージョンは全英第32位[22]、ヤング・アイデアのヴァージョンは同チャートで全英第10位[22]、1988年のウェット・ウェット・ウェットのカバー・ヴァージョンと2004年のサム・アンド・マークのカバー・ヴァージョンが全英第1位を獲得している[23][24]。
そのほか、ラリー・カールトン(1968年)、アイク&ティナ・ターナー(1969年)、スティーヴ・ローレンス&イーディ・ゴーメ(1969年)、ケニー・ランキン(1980年)、TOTO(1993年)らがカバーした[25]。
備考
竹内まりやは、自身の楽曲「Forever Friends」のエンディングで、本作の歌詞を変形させた形で引用している。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Sgt. Pepper 2017, p. 10.
- ^ The Beatles, 'With a Little Help From My Friends' | 500 Greatest Songs of All Time | Rolling Stone
- ^ Dowlding 1989, p. 165.
- ^ Matovina 2000.
- ^ John Lennon interview September 1980
- ^ The Beatles 2000, p. 242.
- ^ The Beatles 2000, p. 242.
- ^ Kurlansky, Mark. (2004). 1968 : the year that rocked the world (1st ed.). New York: Ballantine. p. 189. ISBN 0-345-45581-9. OCLC 53929433
- ^ Lewisohn 1988, p. 106.
- ^ MacDonald 2005, p. 246.
- ^ Everett 1999, p. 102.
- ^ Harry 2000, p. 261.
- ^ Wallgren 1982, p. 123.
- ^ Harry 2000, p. 271.
- ^ Harry 2000, p. 274.
- ^ Patterson, R. Gary (1998). The Walrus Was Paul: The Great Beatle Death Clues. Simon & Schuster. p. 194. ISBN 0-6848-5062-1
- ^ Doggett 2011, p. 199.
- ^ Snow 2013, p. 44.
- ^ “Ringo Starr - I'm The Greatest Lyrics”. Genius Lyrics. Genius Media Group Inc.. 2019年12月8日閲覧。
- ^ “Official Singles Chart Top 50”. Official Charts Company (1968年11月6日). 2020年8月14日閲覧。
- ^ “The Hot 100 Chart”. Billboard (1968年12月14日). 2020年8月14日閲覧。
- ^ a b “Official Singles Chart Top 50 (19 July 1967 - 25 July 1967)”. Official Charts Company (1967年7月19日). 2020年8月14日閲覧。
- ^ “Official Singles Chart Top 100”. Official Charts Company (1988年6月5日). 2020年8月14日閲覧。
- ^ “Official Singles Chart Top 100”. Official Charts Company (2004年2月15日). 2020年8月14日閲覧。
- ^ With a Little Help From My Friends - The Beatles | Cover Songs - オールミュージック. 2020年10月9日閲覧。
参考文献
- The Beatles (2000). The Beatles Anthology. San Francisco: Chronicle Books. ISBN 0-8118-2684-8
- Doggett, Peter (2011). You Never Give Me Your Money: The Beatles After the Breakup. New York, NY: It Books. ISBN 978-0-06-177418-8
- Dowlding, William J. (1989). Beatlesongs. New York: Simon & Schuster. ISBN 0-671-68229-6
- Everett, Walter (1999). The Beatles as Musicians: Revolver Through the Anthology. Oxford University Press. ISBN 978-0-19-512941-0
- Harry, Bill (2000). The Beatles Encyclopedia. Virgin Publishing. ISBN 0-7535-0481-2
- ハウレット, ケヴィン (2017). サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド -50周年記念エディション-〈6枚組スーパー・デラックス〉 (ブックレット) (Media notes). アップル・レコード.
{{cite AV media notes2}}
:|format=
を指定する場合、|url=
も指定してください。 (説明); 不明な引数|artist=
は無視されます。(もしかして:|others=
) (説明) - Lewisohn, Mark (1988). The Beatles Recording Sessions. New York: Harmony Books. ISBN 0-517-57066-1
- MacDonald, Ian (2005). Revolution in the Head: The Beatles' Records and the Sixties (Second Revised ed.). London: Pimlico (Rand). ISBN 1-84413-828-3
- Matovina, Dan (2000). Without You: The Tragic Story of Badfinger. Frances Glover Books. ISBN 0-9657122-2-2
- Snow, Mat (2013). The Beatles Solo: The Illustrated Chronicles of John, Paul, George, and Ringo After The Beatles (Volume 4: Ringo). New York, NY: Race Point Publishing. ISBN 978-1-937994-26-6
- Wallgren, Mark (1982). The Beatles on Record. New York: Simon & Schuster. ISBN 0-671-45682-2
外部リンク
- With A Little Help From My Friends - The Beatles