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「秋津洲 (防護巡洋艦)」の版間の差分

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2021年9月18日 (土) 07:18時点における版

秋津洲
1897年2月2日神戸港の秋津洲(中央)[1]
1897年2月2日神戸港の秋津洲(中央)[1]
基本情報
建造所 横須賀造船所[2][3]
(横須賀造船部[4][5])
運用者  大日本帝国海軍
艦種 三等巡洋艦[2](防護巡洋艦[6])
建造費 981,555円[2]
母港 佐世保[7]
艦歴
計画 明治22年[4](1889年)
起工 1890年4月15日[8][6]
進水 1892年7月7日[3][6][5]
竣工 1894年3月31日[3][6]
除籍 1921年4月30日軍艦籍[3]
1927年1月10日特務艇籍[4]
その後 1927年7月29日売却、後に解体[4]
要目
排水量 計画:3,500英トン[8]
3,189トン[2]
または、3,172英トン[9][3]
1894年6月時:3,150英トン[10]
水線長 301 ft 11 in (92.02 m)[11]
垂線間長 計画:91.700m[8]
300 ft 10 in (91.69 m)[11]
または301 ft 4+316 in (91.85 m)[2]
計画:13.100m[8]
43 ft 1 in (13.13 m)[2]
または43 ft 0 in (13.11 m)[11]
深さ 29 ft 2+516 in (8.90 m)[2]
吃水 計画:17 ft 5+916 in (5.32 m)[8]
平均:17 ft 6 in (5.33 m)[11]
または17 ft 5+58 in (5.32 m)[2]
ボイラー円缶[12] 両面[13]4基[14]
補助缶:大1基、小1基[12]
主機 横置3気筒3段レシプロ 2基[15][13]
推進 2軸[15][16]
出力 計画:8,000馬力[8]、または8,500馬力[2]、あるいは8,400馬力[16][15]
公試:4,198馬力[9]
試運転時:最大4,403.6馬力、平均4,257.3馬力[17]
速力 計画:19ノット[8][2]
試運転時:最大17.5ノット、平均16.7ノット[17]
または公試:17.3ノット[9]
燃料 石炭:800トン[14]
1904年:石炭500トン[18][9]
または石炭:定量300トン、庫量550トン[2]
乗員 1893年11月定員:314名[19]
兵装 15cm砲 4門[2]
12cm砲 門6[2]
47mm重砲 8門[2]
8mm5連装砲 4基[2]
魚雷発射管 4門[2]
装甲 甲板:3in(76.2mm)[20]、または平坦部1in1/2(38.1mm)、傾斜部3in(76.2mm)[2]
砲盾:4.5in(114.3mm)[20]
その他 船材:[3]
テンプレートを表示

秋津洲(あきつしま)は、日本海軍防護巡洋艦[6]。 設計から建造までの全てを初めて日本国内で行った巡洋艦である。 艦名の秋津洲日本国の別称になる[3]

概要

本艦は元々は松島型防護巡洋艦の4番艦として計画されたが途中で建造中止され、設計を一新した全くの別艦として日本海軍で設計し、日本で建造された。タイプシップとしてアメリカ海軍の防護巡洋艦「ボルチモア」を模倣した。 日清戦争日露戦争第一次世界大戦に参加した[3]

艦型

機関

ボイラーは後に補助缶小を撤去、更に後に全てを宮原缶8基と交換した[12]

兵装

竣工時の本艦。

本艦の武装は日本がイギリス企業に依存していたため「アームストロング 1892年型 15.2cm(40口径)速射砲」を採用した。この砲はイギリス前弩級戦艦「ロイヤル・サブリン級」やイタリア前弩級戦艦「レ・ウンベルト級」の副砲にも採用されている優秀砲である。その性能は45.3kgの砲弾を、最大仰角15度で9,140mまで届かせられた。この砲を防盾の付いた単装砲架で舷側ケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつ計4基を配置した。俯仰能力は仰角15度・俯角3度である。旋回角度は舷側方向を0度として左右150度の旋回角度を持つ、砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に人力を必要とした。発射速度は1分間に5~7発と速かった。

他に対水雷艇迎撃用に「アームストロング 1894年型 12cm(40口径)単装速射砲」を防盾の付いた単装砲架で艦首・甲板上に1基ずつと舷側中央部に片舷2基ずつの計6基、近接戦闘用としてこの時代の軍艦に広く採用されたフランスオチキス社の「オチキス 4.7cm(40口径)機砲」を単装砲架で8基装備した。対艦攻撃用に35.6cm魚雷発射管を計4基装備していた。

秋津洲
基本情報
艦種 二等海防艦[5]
母港 佐世保[5]
艦歴
要目(1920年調[5]
常備排水量 3,172英トン
長さ 300 ft 10+932 in (91.70 m)
最大幅 43 ft 1+12 in (13.14 m)
吃水 17 ft 5+916 in (5.32 m)
ボイラー 宮原式 8基
主機 横置3気筒3段レシプロ
推進 2軸
出力 8,516馬力
速力 19ノット
燃料 石炭:491トン
乗員 271名
兵装 安式15cm砲 4門
安式12cm砲 6門
保式5cm砲 8門
麻式6.5mm機砲 1挺(警備時は2挺)
探照灯 4基
搭載艇 8隻
テンプレートを表示

艦歴

建造

1890年(明治23年)4月15日[8][注釈 1] 横須賀造船部で起工[4]1892年(明治25年)7月7日進水[4]1894年(明治27年)3月31日に竣工し第一種に編入された[4]

日清戦争

日清戦争では、豊島沖海戦黄海海戦大連旅順威海衛澎湖島攻略作戦等に参加した[4]

1898年

1898年3月21日、三等巡洋艦に類別された[4]。 同年5月から9月にかけて、米西戦争により邦人保護のためマニラ香港に派遣された[4]

1900年

1900年6月から10月にかけて義和団の乱のため芝罘警備に従事した[4]

日露戦争

日露戦争に際しては、旅順攻略作戦、黄海海戦日本海海戦樺太作戦等に参加[4]

1908年

1908年(明治41年)9月まで、大修理(大改造)を施行した[5]

1912年

1912年8月28日、二等海防艦に類別変更[4]

第一次世界大戦

第一次世界大戦では、青島攻略戦に参加、フィリピンシンガポール方面の警備活動に従事した[4]

除籍後

1921年4月30日軍艦籍を除かれ(除籍)[3]、 同日特務艇に編入、潜水艦母艇に類別、横須賀で使用された[4]

1927年1月10日に特務艇籍を除かれ、同年7月29日に売却され横須賀で解体された[4]

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

  • (心得)上村彦之丞 少佐:1894年6月8日 - 12月7日
  • 上村彦之丞 大佐:1894年12月7日 - 1895年7月25日
  • 植村永孚 大佐:1895年7月25日 - 1896年4月1日
  • 高木英次郎 大佐:1896年4月1日 - 1896年6月5日
  • 瓜生外吉 大佐:1897年1月27日 - 6月1日
  • 向山慎吉 大佐:1897年6月1日 - 6月26日
  • 井上良智 大佐:1897年6月26日 - 12月27日
  • 斎藤実 大佐:1897年12月27日 - 1898年10月1日
  • 梨羽時起 大佐:1898年10月1日 - 1899年5月24日
  • (心得)玉利親賢 中佐:1899年5月24日 - 9月29日
  • 玉利親賢 大佐:1899年9月29日 - 10月7日
  • 藤井較一 大佐:1899年10月7日 - 1900年5月20日
  • (心得)荒木亮一 中佐:1900年5月20日 - 8月23日
  • 岩崎達人 大佐:1900年8月23日 - 1901年1月23日
  • 上原伸次郎 大佐:1901年1月23日 - 1901年4月1日
  • 加藤定吉 大佐:1903年4月12日 - 10月12日
  • 山屋他人 中佐:1903年10月12日 - 1905年1月7日
  • 広瀬勝比古 中佐:1905年1月7日 - 6月14日
  • 西山保吉 中佐:1905年6月14日 - 8月5日
  • 牛田従三郎 大佐:1905年8月5日 - 12月12日
  • 土屋光金 大佐:1906年5月10日 - 12月24日
  • 吉見乾海 大佐:1906年12月24日 - 1907年2月4日
  • 真野巌次郎 大佐:1907年2月4日 - 1908年3月25日
  • 山本竹三郎 大佐:1908年3月25日 - 5月15日
  • 河野左金太 中佐:1908年5月16日 - 8月28日
  • 秋山真之 大佐:1908年8月28日 - 12月10日
  • 中野直枝 大佐:1908年12月10日 - 1909年3月4日
  • 志津田定一郎 中佐:1909年3月4日 - 11月1日
  • 山中柴吉 大佐:1909年3月10日 - 12月1日
  • 安保清種 中佐:1910年12月1日 - 1911年1月16日
  • 片岡栄太郎 大佐:1911年1月16日 - 6月28日
  • 布目満造 大佐:1911年6月28日 - 12月1日
  • 西尾雄治郎 大佐:1912年4月1日 - 12月1日
  • 青山芳得 大佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 有馬純位 中佐:1913年12月1日 - 不詳
  • 加藤壮太郎 大佐:不詳 - 1916年1月26日
  • 宮治民三郎 中佐:1916年1月26日 - 12月1日
  • 井手元治 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
  • 迎邦一 中佐:1917年12月1日[21] - 1918年7月23日[22]
  • 鳥崎保三 中佐:1918年7月23日 - 1919年11月20日
  • 森本兎久身 中佐:1919年11月20日[23] - 1920年11月15日[24]
  • 七田今朝一 中佐:1920年11月15日 - 1921年4月6日

脚注

注釈

  1. ^ #浅井(1928)p.69などでは、起工日は1890年(明治23年)3月15日となっている。

出典

  1. ^ #全艦艇史(1994)上巻p.160、No.338
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #日本近世造船史明治(1973)355-358頁。
  3. ^ a b c d e f g h i #浅井(1928)pp.69-70「73 秋津洲 Akitusima.」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 中川努「主要艦艇艦歴表」#全艦艇史(1994)資料篇p.3、秋津洲
  5. ^ a b c d e f #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その一「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
  6. ^ a b c d e #日本の戦艦(上)2001p.27
  7. ^ #内令提要7版/艦船(1)画像1-3、艦艇本籍別一覧表 大正四年四月一日調。
  8. ^ a b c d e f g h #横須賀海軍船廠史(1973)第3巻p.86
  9. ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻p.281、戦役従軍艦艇及其の最近高力運転成績。
  10. ^ #海軍軍備沿革p.48
  11. ^ a b c d #日本の戦艦(上)2001p.106
  12. ^ a b c #日本近世造船史明治(1973)418頁。
  13. ^ a b #日本近世造船史明治(1973)434頁。
  14. ^ a b #日本の戦艦(下)2001p.42
  15. ^ a b c #日本の戦艦(下)2001p.48
  16. ^ a b #日本近世造船史明治(1973)377頁。
  17. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第3巻p.185
  18. ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.263、戦役中艦艇石炭搭載成績表
  19. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.193-195、明治26年11月30日(勅令222)軍艦団隊定員表
  20. ^ a b #日本の戦艦(上)2001p.216
  21. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  22. ^ 『官報』第1793号、大正7年7月24日。
  23. ^ 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
  24. ^ 『官報』第2488号、大正9年11月16日。

参考文献

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『第72号 7版 内令提要 完/第3類 艦船(1)』。Ref.C13072068600。 
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 泉江三『軍艦メカニズム図鑑 日本の戦艦 上』グランプリ出版、2001年4月。ISBN 4-87687-221-X 
  • 泉江三『軍艦メカニズム図鑑 日本の戦艦 下』グランプリ出版、2001年5月。ISBN 4-87687-222-8 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 「海軍軍備沿革」、海軍大臣官房、1921年10月。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 世界の艦船増刊第32集 日本巡洋艦史」(海人社)
  • 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 横須賀海軍工廠/編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。 *『官報

関連項目

外部リンク