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松江 (海防艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松江
基本情報
建造所 スコット社 (イギリス)[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦
→ 運送船[2] (運送艦)
測量艦
母港 横須賀 (1920年時[2])
艦歴
進水 1898年[2]
竣工 1898年6月[1]露汽船「スンガリー」
就役 1906年3月8日 (日本海軍籍に編入)
除籍 1929年4月1日
その後 廃船[3]
要目(1920年調)
排水量 2,550ロングトン (2,591 t)
垂線間長 237 ftin (72.24 m)
最大幅 34 ft 1+14 in (10.39 m)[注釈 1]
吃水 14 ft 0 in (4.27 m)
ボイラー 戻火円缶 (石炭専焼[1]) 2基
主機 直立3気筒3段膨張レシプロ 1基[1]
推進 1軸
出力 1,500 ihp (1,119 kW)
速力 11ノット (20 km/h)[1]
燃料 石炭:91ロングトン (92 t)
乗員 114名
兵装 保式5センチ砲 2門
搭載艇 1920年時:7隻
1929年時:汽艇1隻、カッター1隻、伝馬船2隻[4]
その他 船材:
出典の無い要目は[2]による。
テンプレートを表示

松江(まつえ)は、日本海軍海防艦、後に運送船から運送艦、更に測量艦となった。艦名は中国東北部を流れ、アムール川に合流する同河川最大の支流「スンガリ」、日本名は「松花江(しょうかこう)」といい、そこから「松江(まつえ)」の名が付けられた[5]

概要

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元はロシアの二檣単煙突の汽船「スンガリー(Sungari)」で、1904年(明治37年)の日露戦争開戦直後、仁川沖海戦において仁川港で自沈した。その後日本側が引き上げて整備し、1906年(明治39年)に海防艦「松江」となる。第一次世界大戦では青島攻略戦に参加した他、 1925年 (大正14年) まで一貫して測量を主任務とし、1930年 (昭和5年)に老朽化のため除籍された[1]

艦歴

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1898年(明治31年)、イギリスのスコット社で進水し6月に竣工[1]

1904年(明治37年)2月8日から9日、日露戦争・仁川沖海戦で自沈。その後日本側が引き上げ整備。1905年(明治38年)6月25日、「松江丸(しょうこうまる)」と命名[6]1906年(明治39年)3月8日、軍艦に編入、三等海防艦に類別、「松江(まつえ)」と命名される[7]

1911年(明治44年)、海軍水路部と陸地測量部を乗船させ南硫黄島に来島上陸。北側中腹の標高45メートルに同島初の三角点を設置した。また、同年7月28日に父島の南南東にあるとされたフォルファナ島を捜索したが発見されず、この島は海図から削除された[8]

1912年(大正元年)8月28日、三等海防艦が廃止となり二等海防艦に類別。

1914年(大正3年)第一次世界大戦が勃発、第二艦隊付属として青島方面に進出する。

1918年(大正7年)2月1日、特務船に編入、運送船に類別。1920年(大正9年)4月1日、特務艦に編入、運送艦に類別。1922年(大正11年)4月1日、測量艦に類別変更。

1929年(昭和4年)4月1日、除籍。 6月17日に処分の訓令が出され[9]、 8月29日に廃船[3]。 後に売却。

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艦長

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  • 井内金太郎 中佐:1905年9月5日 - 1906年9月28日
  • 井内金太郎 中佐:不詳 - 1907年2月28日
  • 高島万太郎 中佐:1907年2月28日 - 1907年9月28日
  • 釜屋六郎 中佐:1907年9月28日 - 1908年12月10日
  • 堀輝房 中佐:1908年12月10日 - 1909年10月25日
  • 米原林蔵 中佐:1909年10月25日 - 1912年2月15日
  • 菅晳一郎 中佐:1912年2月15日 - 1912年12月1日
  • 関郁郎 中佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 高木東太郎 中佐:1913年12月1日 -
  • 岩田秀雄 中佐:不詳 - 1915年3月1日[10]
  • 富士川一吾 中佐:1915年3月1日[10] -
  • 関田駒吉 中佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日
  • 橋本虎六 中佐:1916年12月1日 - 1917年11月14日[11]
  • 柴内豪吉 中佐:1917年11月14日[11] - 1918年2月1日[12]

指揮官

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  • 柴内豪吉 中佐:1918年2月1日[12] - 11月10日[13]
  • 藤井雅 中佐:1918年11月10日[13] -
  • 谷川清治 中佐:1919年12月1日[14] -

特務艦長

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  • 辻友輔 中佐:1920年12月1日[15] - 1921年11月20日[16]
  • 栗原祐治 中佐:1921年11月20日[16] - 1922年11月20日[17]
  • 小森吉助 中佐:1922年11月20日 - 1923年11月6日
  • 山口清七 中佐:1923年11月6日 - 1925年3月1日
  • 山下兼満 中佐:1925年3月1日 - 10月20日
  • 蔵田直 中佐:1925年10月20日 - 1926年12月1日
  • 名古屋十郎 中佐:1926年12月1日 - 1927年2月1日

脚注

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注釈

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  1. ^ 『戦史叢書 海軍軍戦備<1>』の付表1-3による。『世界の艦船』では最大幅9.50mとある。

出典

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  1. ^ a b c d e f g #特務艦船史(1997)p.36
  2. ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
  3. ^ a b #S4公文備考F7/除籍艦廃船に関する件コマ1、昭和4年横鎮第699号の3。
  4. ^ #S4公文備考F7/還納船受領の件コマ1、昭和4年横港第14号の397の17。
  5. ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p151。
  6. ^ 明治38年6月25日付 達第86号
  7. ^ 明治39年3月8日付 達第26号
  8. ^ 長谷川亮一『地図から消えた島々 幻の日本領と南洋探検家たち』吉川弘文館、2011年、ISBN 978-4-642-05722-6、224ページ
  9. ^ #S4公文備考F7/除籍艦船の処分に関する件コマ1-2、昭和4年官房第2153号。
  10. ^ a b 海軍辞令公報 大正4年3月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071000 
  11. ^ a b 『官報』第1588号、大正6年11月16日。
  12. ^ a b 『官報』第1649号、大正7年2月2日。
  13. ^ a b 『官報』第1883号、大正7年11月12日。
  14. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  15. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  16. ^ a b 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
  17. ^ 『官報』第3093号、大正11年11月21日。

参考文献

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