須磨型防護巡洋艦
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須磨型防護巡洋艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 防護巡洋艦 |
艦名 | 地名 |
前級 | 吉野型 |
次級 | 笠置型 |
要目(須磨) | |
排水量 | 常備:2,657トン |
全長 | 垂線間長:93.50m |
全幅 | 12.25m |
吃水 | 4.63m |
機関 | 円缶8基 直立型3気筒3段膨張レシプロ2基 2軸、8,500馬力 |
速力 | 20.0ノット |
航続距離 | 10ノットで11,000海里 |
燃料 | 石炭540トン |
乗員 | 256名 |
兵装 | 15.2cm単装砲2門 12cm単装砲6門 4.7cm単装砲12門 45.7cm水上魚雷発射管2門 |
装甲 | 甲板水平部:25mm 甲板傾斜部:51mm |
須磨型防護巡洋艦(すまがたぼうごじゅんようかん)は、日本海軍の防護巡洋艦。同型艦2隻。
概要
[編集]初の国産防護巡洋艦である「秋津洲」の小型化改良型である。
1891年(明治24年)度に1隻、1893年(明治26年)度に1隻が計画され、横須賀鎮守府造船部で建造された。
1894年(明治27年)の日清戦争開戦には間に合わず1番艦「須磨」が1896年(明治29年)、2番艦「明石」が1899年(明治32年)に竣工した。「明石」は「須磨」から船体寸法などが変更され、要目が若干相違する。
「須磨」は1898年(明治31年)の類別制定より三等巡洋艦とされ、1899年(明治32年)には邦人保護のためマニラに派遣された。
「明石」は竣工時より三等巡洋艦に編入され、両艦で1900年(明治33年)の義和団の乱により大沽に派遣。
1912年(大正元年)に二等巡洋艦となり、第一次世界大戦に参加した。
1921年(大正10年)に二等海防艦に類別変更、「須磨」は1923年(大正12年)に除籍となり1928年(昭和3年)に廃船となった。
「明石」は1928年(昭和3年)に除籍、1930年(昭和5年)に撃沈処分とされている。
同型艦
[編集]参考文献
[編集]- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡I』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
- 福井静夫『福井静夫著作集第4巻 日本巡洋艦物語』(光人社、1992年)ISBN 4-7698-0610-8
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、須磨型防護巡洋艦に関するカテゴリがあります。