「糟屋郡」の版間の差分
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[[画像:Fukuoka Kasuya-gun.png|frame|福岡県糟屋郡の位置(1.宇美町 2.篠栗町 3.志免町 4.須恵町 5.新宮町 6.久山町 7.粕屋町)]] |
[[画像:Fukuoka Kasuya-gun.png|frame|福岡県糟屋郡の位置(1.宇美町 2.篠栗町 3.志免町 4.須恵町 5.新宮町 6.久山町 7.粕屋町)]] |
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'''糟屋郡'''(かすやぐん)は、[[福岡県]]([[筑前国]])の[[郡]]。 |
'''糟屋郡'''(かすやぐん)は、[[福岡県]]([[筑前国]])の[[郡]]。 |
2021年9月6日 (月) 03:26時点における版
人口233,693人、面積164.64km²、人口密度1,419人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の7町を含む。
糟屋郡と粕屋町では「かす」の漢字が異なっている(糟は常用漢字外)。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記7町のほか、下記の区域にあたる。
概要
郡名の由来は不明だが、その歴史は古く、京都の妙心寺の国宝梵鐘には「戊戌年四月十三日壬寅収糟屋評造舂米連廣國鋳鍾」という銘があり、戊戌年、西暦698年に舂米連広国(つきしねのむらじひろくに)という糟屋評(こおり)の長官であった人物がこの鐘を鋳造させたことが記されている。その後も、『筑前国風土記』(逸文、713)、『日本書紀』(720)、『延喜式』(927)、『和名抄』(931–938)に一貫して「糟屋」という文字で現れる。『日本書紀』に記された磐井の乱の経緯が史実ならば、大和朝廷に筑紫君葛子が糟屋の屯倉を献上したのは528年となる。 『和名抄』によれば10世紀当時糟屋郡には香椎郷(カスヒ)・志阿郷(志珂の誤りか)・厨戸郷・大村郷(オホムラ)・池田郷・阿雲郷(阿曇の誤りか)・柞原郷(クハラ)・勢門郷(セト)・敷梨郷の9郷が存在した[1]。
福岡藩時代およびそれ以前より1889年(明治22年)に町村制が施行されるまでは、糟屋郡北部は裏糟屋郡、南部は表糟屋郡に分けて支配されていた。
郡域南部には粕屋炭田と呼ばれる炭田が広がっており、明治以降石炭産業で栄えたが、1960年代にエネルギー源が石炭から石油へ移行したため郡内の炭鉱はすべて閉山し、人口・産業などの面で衰退した。その後、隣接する福岡市の発展により、ベッドタウンとして人口が増加に転じた。
2005年4月1日、それまで日本の郡の中で最も人口が多かった愛知県海部郡のうち4町村が愛西市として市制施行したことで、日本で一番人口の多い郡となった。粕屋町・志免町・篠栗町は同年までの5年間の人口増加率が県内1 - 3位である。
2007年1月29日、新宮町をのぞく6町の間で「合併研究会事務局」を開設。4月以降に任意合併協議会を発足し、同年12月をめどに法定合併協議会へ移行した。2010年2月の合併を目指してきたが、具体的な話は進んでいない。
歴史
古代
式内社
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
糟屋郡 3座(並大) | |||||||
志加海神社 三座 | -ウミノ -アマ |
並名神大 | 志賀海神社 | 福岡県福岡市東区志賀島 | [1] | ||
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近世以降の沿革
- 久原村、蒲田村、萩尾村、猪野村、山田村、上山田村、大隈村、和田村、津波黒村、高田村、金出村、名子村、田中村、篠栗村、尾仲村、乙犬村、若杉村、江辻村、旅石村、植木村、本合村、酒殿村、仲原村、上仲原村、佐谷村、障子岳村、宇美村、炭焼村、四王寺村、田富村、吉原村、南里村、新原村、志免村、井野村、上須恵村、須恵村、箱崎村、内橋村、戸原村、土井村、多田羅村、松崎村、名島村、阿恵村、新長者原村、別府村、御手洗村、原町村、津屋村、柚須村、八田村、浜男村、香椎村、下原村、唐原村、三苫村、三代村、湊村、上和白村、下和白村、原上村、小竹村、立花口村、下府村、上府村、奈多村、庄村、古賀村、鹿部村、青柳村、青柳町、川原村、今在家村、筵内村、久保村、新原村、薦野村、米多比村、薬王寺村、谷山村、小山田村、的野村、相之島村、塩浜村、新宮村[2]
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により福岡県の管轄となる。
- 明治初年 - 上仲原村が仲原村に合併。(85村)
- 明治8年(1875年)
- 上山田村が山田村に、障子岳村が宇美村にそれぞれ合併。(83村)
- 明治11年までの間に本合村が上木村に合併。(82村)
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の福岡県での施行により、行政区画としての糟屋郡が発足。郡役所が箱崎村に設置。
- 明治13年(1880年) - 那珂郡志賀島村・勝馬村の所属郡が本郡に変更。(84村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町18村)
- 箱崎町 ← 箱崎村、席田郡下臼井村[字出作](現・福岡市)
- 大川村 ← 戸原村、新長者原村、内橋村、江辻村、大隈村(現・粕屋町)
- 席内村 ← 莚内村、久保村、庄村、古賀村、鹿部村(現・古賀市)
- 勢門村 ← 乙犬村、尾仲村、若杉村、田中村、和田村、津波黒村(現・篠栗町)
- 和白村 ← 三苫村、塩浜村、上和白村、下和白村、奈多村(現・福岡市)
- 志免村 ← 南里村、志免村、田富村、吉原村、別府村、御手洗村(現・志免町)
- 立花村 ← 原上村、三代村、立花口村、的野村(現・新宮町)
- 志賀島村 ← 志賀島村、勝馬村(現・福岡市)
- 篠栗村 ← 篠栗村、金出村、萩尾村、高田村(現・篠栗町)
- 須恵村 ← 新原村、佐谷村、上須恵村、須恵村、旅石村、植木村(現・須恵町)
- 小野村 ← 谷山村、小山田村、薬王寺村、薦野村、米多比村(現・古賀市)
- 青柳村 ← 青柳村、小竹村、青柳町、川原村、今在家村、新原村(現・古賀市)
- 仲原村 ← 仲原村、原町村、阿恵村、柚須村、酒殿村(現・粕屋町)
- 新宮村 ← 下府村、上府村、新宮村、湊村、相之島村(現・新宮町)
- 多々良村 ← 蒲田村、名子村、八田村、土井村、津屋村、多田羅村、松崎村、名島村(現・福岡市)
- 香椎村 ← 香椎村、浜男村、唐原村、下原村(現・福岡市)
- 宇美村 ← 宇美村、炭焼村、四王寺村、井野村(現・宇美町)
- 久原村(単独村制。現・久山町)
- 山田村 ← 山田村、猪野村(現・久山町)
- 明治29年(1896年)7月1日 - 郡制を施行。
- 大正9年(1920年)10月20日 - 宇美村が町制施行して宇美町となる。(2町17村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)1月1日 - 篠栗村が町制施行して篠栗町となる。(3町16村)
- 昭和13年(1938年)4月17日 - 席内村が町制施行・改称して古賀町となる。(4町15村)
- 昭和14年(1939年)4月17日 - 志免村が町制施行して志免町となる。(5町14村)
- 昭和15年(1940年)12月27日 - 箱崎町が福岡市に編入。(4町14村)
- 昭和18年(1943年)2月11日 - 香椎村が町制施行して香椎町となる。(5町13村)
- 昭和25年(1950年)4月1日 - 多々良村が町制施行して多々良町となる。(6町12村)
- 昭和28年(1953年)
- 昭和29年(1954年)11月1日(10町8村)
- 昭和30年(1955年)4月1日(8町4村)
- 2月1日 - 香椎町・多々良町が福岡市に編入。
- 4月1日
- 篠栗町・勢門村が合併し、改めて篠栗町が発足。
- 新宮町・立花村が合併し、改めて新宮町が発足。
- 古賀町・青柳村・小野村が合併し、改めて古賀町が発足。
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 久原村・山田村が合併して久山町が発足。(9町2村)
- 昭和32年(1957年)3月31日 - 大川村・仲原村が合併して粕屋町が発足。(10町)
- 昭和35年(1960年)8月27日 - 和白町が福岡市に編入。(9町)
- 昭和46年(1971年)4月5日 - 志賀町が福岡市に編入。(8町)
- 平成9年(1997年)10月1日 - 古賀町が市制施行して古賀市となり、郡より離脱。(7町)
変遷表
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|
表糟屋郡 | 久原村 | 久原村 | 久原村 | 昭和31年9月30日 久山町 |
久山町 | 久山町 |
山田村 | 山田村 | 山田村 | ||||
篠栗村 | 昭和2年1月1日 町制 |
篠栗町 | 昭和30年4月1日 篠栗町 |
篠栗町 | 篠栗町 | |
勢門村 | 勢門村 | 勢門村 | ||||
仲原村 | 仲原村 | 仲原村 | 昭和32年3月31日 粕屋町 |
粕屋町 | 粕屋町 | |
大川村 | 大川村 | 大川村 | ||||
須恵村 | 須恵村 | 昭和28年4月1日 町制 |
須恵町 | 須恵町 | 須恵町 | |
宇美村 | 大正9年10月20日 町制 |
宇美町 | 宇美町 | 宇美町 | 宇美町 | |
志免村 | 昭和14年2月17日 町制 |
志免町 | 志免町 | 志免町 | 志免町 | |
箱崎町 | 昭和15年12月26日 福岡市に編入 |
福岡市 | 福岡市 | 福岡市 | 福岡市 | |
多々良村 | 多々良村 | 昭和25年4月1日 町制 多々良町 |
昭和30年2月1日 福岡市に編入 | |||
裏糟屋郡 | 香椎村 | 昭和18年2月11日 町制 |
香椎町 | |||
和白村 | 和白村 | 昭和29年11月1日 町制 |
昭和35年8月27日 福岡市に編入 | |||
新宮村 | 新宮村 | 昭和29年11月1日 町制 |
昭和30年4月1日 新宮町 |
新宮町 | 新宮町 | |
立花村 | 立花村 | 立花村 | ||||
席内村 | 昭和13年4月17日 町制改称 古賀町 |
古賀町 | 昭和30年4月1日 古賀町 |
平成9年10月1日 市制 |
古賀市 | |
青柳村 | 青柳村 | 青柳村 | ||||
小野村 | 小野村 | 小野村 | ||||
那珂郡 | 志賀島村 | 志賀島村 | 昭和28年7月5日 町制改称 志賀町 |
昭和46年4月5日 福岡市に編入 |
福岡市 | 福岡市 |
脚注
- ^ “和名抄に見える糟屋郡の郷名”. まちの史跡めぐり 第37回 (広報すえまち 2000/4). 2009年1月22日閲覧。 “郡名「粕屋」について”. 町史のひとこま 第10回 (広報すえ 1981/4). 2009年1月22日閲覧。
- ^ 無高のため記載なし。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 40 福岡県
- 旧高旧領取調帳データベース