「オーストラリア」の版間の差分
m →人種差別問題: 追記 |
→経済: 文法の訂正 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
395行目: | 395行目: | ||
==経済== |
==経済== |
||
[[混合経済]]、[[インフラストラクチャー|インフラ]]の多くを国、州などが |
[[混合経済]]であり、[[インフラストラクチャー|インフラ]]の多くを国、州などが持つ。具体例は、[[電話]]の[[テルストラ]]、各種[[公共交通機関|公共交通]]、[[英語圏]]最古の[[航空会社]]である[[カンタス航空|カンタス]]。 |
||
[[ベルギー#独立と永世中立国化|ベルギーと同時期・同規模]]の[[外債]]を幹事の[[モルガン・スタンレー]]などが引受けている。 |
[[ベルギー#独立と永世中立国化|ベルギーと同時期・同規模]]の[[外債]]を幹事の[[モルガン・スタンレー]]などが引受けている。 |
||
407行目: | 407行目: | ||
*加入している主要貿易関係国際組織:APEC、WTO、OECD |
*加入している主要貿易関係国際組織:APEC、WTO、OECD |
||
*[[国内総生産|GDP]]:8640億 AUD |
*[[国内総生産|GDP]]:8640億 AUD |
||
*[[経済成長|GDP成長率]]:3% |
*[[経済成長|GDP成長率]]:3% |
||
*1人あたりGDP:43,000 AUD |
*1人あたりGDP:43,000 AUD |
||
*[[産業]] - [[農業]] |
*[[産業]] - [[農業]]、[[鉱業]]、[[工業]]、[[サービス|サービス業]] |
||
*労働人口 - 1千万人 |
*労働人口 - 1千万人 |
||
425行目: | 425行目: | ||
===産業=== |
===産業=== |
||
*[[小売]]業 - [[ウールワース]]、[[コールス・グループ]] |
*[[小売]]業 - [[ウールワース]]、[[コールス・グループ]] |
||
*[[自動車]] - 乗用車の製造 |
*[[自動車]] - 乗用車の製造が行われてきたが、2017年にオーストラリアドル高などを理由にトヨタとGMが撤退、生産国の看板を下ろすこととなった<ref>[https://response.jp/article/2017/10/03/300570.html トヨタ、オーストラリアでの生産を終了…54年の歴史に幕] レスポンス(2017年10月3日)2017年10月6日閲覧</ref>。 |
||
*農業 - 輸出を行っている品目がある<ref>[https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/07000023/05001663.pdf オーストラリアにおける農産物の 生産・貿易政策の現状] - ジェトロ(2009年3月)</ref>ものの貿易に特化しているとは言い難く、多くが[[自給自足]]となっている。 |
*農業 - 輸出を行っている品目がある<ref>[https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/07000023/05001663.pdf オーストラリアにおける農産物の 生産・貿易政策の現状] - ジェトロ(2009年3月)</ref>ものの貿易に特化しているとは言い難く、多くが[[自給自足]]となっている。 |
||
**[[牧畜]] - [[羊毛]] |
**[[牧畜]] - [[羊毛]] |
||
**[[畜産]] - 牛肉([[オージー・ビーフ]])[[羊肉]] |
**[[畜産]] - 牛肉([[オージー・ビーフ]])、[[羊肉]] |
||
**[[穀物]] - [[コムギ|小麦]]、[[米]]<ref>[https://www.jcfia.gr.jp/study/ronbun-pdf/no13/6.pdf オーストラリアに於ける米流通と 米先物市場形成の可能性] </ref>、[[ホップ]]など |
**[[穀物]] - [[コムギ|小麦]]、[[米]]<ref>[https://www.jcfia.gr.jp/study/ronbun-pdf/no13/6.pdf オーストラリアに於ける米流通と 米先物市場形成の可能性] </ref>、[[ホップ]]など |
||
**[[青果物]] - [[リンゴ]]、[[サクランボ]]、[[カスタードアップル]]、[[スターフルーツ]]、[[パイナップル]]、[[モモ |
**[[青果物]] - [[リンゴ]]、[[サクランボ]]、[[カスタードアップル]]、[[スターフルーツ]]、[[パイナップル]]、[[モモ]]、[[マカダミアナッツ]]、[[柑橘類]]、[[アスパラガス]]、[[ニンジン]]、[[タマネギ]]、[[レタス]]、[[ブロッコリー]]など |
||
*鉱業 - 鉱物資源が豊富であり、鉄鉱石、ボーキサイト、[[チタン]]、ウラン、金、[[オパール]]が採れる。鉄鉱石の採掘者で近年もっとも活躍するのは[[フォーテスキュー・メタルズ・グループ]]である。ボーキサイトの算出は、世界の約27%を占める |
*鉱業 - 鉱物資源が豊富であり、鉄鉱石、ボーキサイト、[[チタン]]、ウラン、金、[[オパール]]が採れる。鉄鉱石の採掘者で近年もっとも活躍するのは[[フォーテスキュー・メタルズ・グループ]]である。ボーキサイトの算出は、世界の約27%を占める。金鉱山は[[:en:Joseph Gutnick|ジョゼフ・グトニク]]による開発が知られる一方、南アから来た[[:en:Gold Fields|ゴールド・フィールド]]も操業している。[[化石燃料]]では石炭、[[原油]]、[[天然ガス]]などが海域も含め存在する。 |
||
*[[観光]] - 豊かな自然のため、主産業の一つ。 |
*[[観光]] - 豊かな自然のため、主産業の一つ。 |
||
**[[カジノ]] - 庶民・観光客の娯楽となっている。 |
**[[カジノ]] - 庶民・観光客の娯楽となっている。 |
||
===オールレッドライン=== |
===オールレッドライン=== |
||
19世紀前半に[[メリノ種]]の牧羊が普及した。1859年に持ち込んだ[[ウサギ]]が牧草を食べてしまい、羊毛生産量を減じた。[[バサースト]]に始まった[[ゴールドラッシュ]]の開拓者に食わせる肉が必要だった。19世紀後半には[[オーストラリアの鉄道|鉄道]]が敷設されてゆき、[[ケーブル・アンド・ワイヤレス]]が陸揚げを果した。 |
19世紀前半に[[メリノ種]]の牧羊が普及した。1859年に持ち込んだ[[ウサギ]]が牧草を食べてしまい、羊毛生産量を減じた。[[バサースト]]に始まった[[ゴールドラッシュ]]の開拓者に食わせる肉が必要だった。19世紀後半には[[オーストラリアの鉄道|鉄道]]が敷設されてゆき、[[ケーブル・アンド・ワイヤレス]]が陸揚げを果した。羊毛業はジリ貧となって、義賊[[ネッド・ケリー]]が出た。彼は[[メルボルン万国博覧会]]の期間中に処刑された。[[ベアリングス銀行|ベアリング]]恐慌が響いて1893年5月頭バンクホリデーに陥った。 |
||
[[パリ講和会議]]には、首相ヒューズが全権代表として参加した。太平洋の旧[[ドイツ帝国|ドイツ]]領諸島の帰属について日本と激しく争った末に、赤道を挟んで北側をC式委任統治領として日本が確保することで妥結した。また、日本が提案した人種平等案 |
[[パリ講和会議]]には、首相ヒューズが全権代表として参加した。太平洋の旧[[ドイツ帝国|ドイツ]]領諸島の帰属について日本と激しく争った末に、赤道を挟んで北側をC式委任統治領として日本が確保することで妥結した。また、日本が提案した人種平等案に対してはカナダと共に反対し、これを阻止した。[[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]では蚊帳の外に置かれたが、1925年には[[太平洋問題調査会]]がホノルルで発足、1961年まで活動した。 |
||
[[第二次世界大戦]]の終結年において、[[スターリング・ポンド]]圏にとどまる外交姿勢を堅持した<ref name=copland>J. Singleton, Paul Robertson, ''Economic Relations Between Britain and Australia, 1945-1970'', Springer, 2001, p.42.</ref>。1950年、フランク・フェナー博士 |
[[第二次世界大戦]]の終結年において、[[スターリング・ポンド]]圏にとどまる外交姿勢を堅持した<ref name=copland>J. Singleton, Paul Robertson, ''Economic Relations Between Britain and Australia, 1945-1970'', Springer, 2001, p.42.</ref>。1950年、フランク・フェナー博士が指揮する調査のあと、野ウサギを駆除するため[[天然痘]]の遠い親類が撒かれた。半年足らずで蔓延し、個体数を二度と繁栄できない数にまで減らした。1950年代にダグラス・コップランドが、オーストラリアのポンド圏残留によって、ニュージーランドとともに[[ブレトンウッズ協定]]からくるドル不足から逃れたことを認めた。しかし同時に、この残留措置が経済成長を遅らせるという見解も示した<ref name=copland />。1950から60年代、覇権をかけて、[[ビッグバン (金融市場)#モルガンの米国預託証券|セカンダリー・バンキング]]が途上国から引き上げたポンドとUSドルを投下した。 |
||
===マーチャント・バンクの機関化=== |
===マーチャント・バンクの機関化=== |
||
1960年代と1970年代は激動期であった。羊毛主体であった産業構造は鉱業主体となった。この間にまず[[:en:Poseidon bubble|ポセイドン・バブル]]が起きた。それから国際的に遅れて[[変動為替相場制]]をとった。また、この期間にオーストラリア系[[銀行]]は[[日本]]・[[香港]]・[[マレー半島]]を除く[[極東]]地域で支店数を増やした。1961年にたった12店舗であったのが1978年に528店舗となり、これほどの急展開を諸外国の銀行に見ることはできなかった<ref>U. S. House Committee on Banking, Finance and Urban Affairs, ''Foreign Bank Operations and Acquisitions in the United States Hearings'', Part. 1. September 1980. pp.936. 938. "Grobal Network of Overseas Branches and Agencies"</ref>。1980年マーチャント・バンク |
1960年代と1970年代は激動期であった。羊毛主体であった産業構造は鉱業主体となった。この間にまず[[:en:Poseidon bubble|ポセイドン・バブル]]が起きた。それから国際的に遅れて[[変動為替相場制]]をとった。また、この期間にオーストラリア系[[銀行]]は[[日本]]・[[香港]]・[[マレー半島]]を除く[[極東]]地域で支店数を増やした。1961年にたった12店舗であったのが1978年に528店舗となり、これほどの急展開を諸外国の銀行に見ることはできなかった<ref>U. S. House Committee on Banking, Finance and Urban Affairs, ''Foreign Bank Operations and Acquisitions in the United States Hearings'', Part. 1. September 1980. pp.936. 938. "Grobal Network of Overseas Branches and Agencies"</ref>。1980年マーチャント・バンクのニューガン・ハンド・バンクが倒産した。[[CIA]]の天下る同行は[[資金洗浄]]でもスキャンダルとなり、マーチャント・バンクの[[機関投資家|機関化]]する背景を成した。1986年、[[ロイズ銀行]]が[[スタンダードチャータード銀行]]に買収をしかけた。[[ホワイトナイト]]を演じたロバートは、スタンダードチャータード銀行の[[:en:Senior management|トップ・マネジメント]]に迎えられた<ref>Anna Pao Sohmen, ''Y.K. Pao:My Father'', Hong Kong University Press, 2012, p.149.</ref>。クー・テクバはスタンダードチャータード銀行の重役を辞めた<ref name=TT />。一番上の息子邱万福(Khuu Ban Hock)は[[ブルネイ]]国立銀行元会長であったが、同行で金融犯罪に手を染め折り悪く有罪を認めていた<ref>JOC.com [http://www.joc.com/brunei-bank-scandal-talks-open_19870218.html BRUNEI BANK SCANDAL TALKS OPEN] Feb 18, 1987</ref><ref>6つも余罪があった。Peter H. L. Lim, ''Chronicle of Singapore, 1959-2009:Fifty Years of Headline News'', Editions Didier Millet, 2009, [https://books.google.co.jp/books?id=CbY062uN1MoC&pg=PA213&lpg=PA213&dq=national+bank+of+brunei+Richard+Li&source=bl&ots=4V2QbRYy0j&sig=X-8VWeD8YBNe9kf6XL7cUWjzpys&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiru-DBla3SAhVCn5QKHXLvC00Q6AEIOzAE#v=onepage&q=national%20bank%20of%20brunei%20Richard%20Li&f=false p.213.]</ref>。ブルネイ国立銀行はクーが王族と出資割合7対3で1965年に創立したが<ref>NationalLibraryBoardSingapore, SingaporeInfopedia [http://eresources.nlb.gov.sg/infopedia/articles/SIP_1856_2011-11-16.html Khoo Teck Puat]:"National Bank of Brunei controversy"(膨大な出所注のついた信頼性の高い情報ソース)</ref><ref>上原健太郎 [https://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/pdf/kb8/07jrn_02_kambara.pdf ブルネイ・ダルサラームにおけるイスラーム金融部門の形成とその特徴] イスラーム世界研究 第8巻 2015年3月 pp.194-206.</ref>、[[ブルネイ通貨金融庁|ブルネイ通貨委員会]]の設立が2年後であるのと比べて早い。この1986年にはHSBCと懇意の[[李嘉誠]]が[http://www.villable.com/Property_Details-lang2-993-Vanke%20City%20Garden.html 万科城市花园别墅]を[[中国光大グループ]]に売却し[[内部者取引]]として非難を浴びているが<ref>[[サウスチャイナ・モーニング・ポスト|South China Morning Post]], 22 October 1986</ref>、2000年''[[:en:Powercor Australia|パワーコルオーストラリア]]'' を買収<ref>[[ウォールストリート・ジャーナル]] [https://www.wsj.com/articles/SB965319858121905466 Cheung Kong Infrastructure to Buy Powercor Australia for $1.35 Billion] Updated Aug. 4, 2000</ref>、2013年パワーコルオーストラリア親会社の[[:en:SA Power Networks|南オーストラリア電力]]の持つ利権をめぐって税務署と衝突し<ref>[[ロイター]] [http://www.reuters.com/article/australia-cheungkong-tax-idUSL4N0HT06Z20131003 Firms controlled by Asia's richest man face Australian tax fight] Wed Oct 2, 2013</ref>、2017年1月現在も電力事業の買収を続けている<ref>ニューヨーク・タイムズ [https://www.nytimes.com/2017/01/16/business/dealbook/duet-group-china-australia-deal.html Li Ka-shing Sweetens Deal for Australian Energy Company] JAN 16, 2017</ref>。 |
||
1990年代、香港経済の脱英国化が進行した |
1990年代、香港経済の脱英国化が進行した。この頃にマーチャント・バンクは機関化されていった。このとき動いていた機関投資家は欧米の[[投資信託]]や保険会社であった。これらはオーストラリアの機関投資家を内から蚕食していったものと考えられる。2001年3月15日、HIH保険がサウスウェールズの最高裁から暫定破産の許可を得た<ref name=coll>Parliament of Australia, [https://www.aph.gov.au/About_Parliament/Parliamentary_Departments/Parliamentary_Library/Publications_Archive/archive/hihinsurance HIH Insurance Group collapse], Online Only issued Date 29 November 2001</ref>。2001年8月27日には解散命令を受けることになり、負債総額は36億オーストラリア・ドルから53億に達した。HIHは企業編成をした1995年、[[アクサ]]に持株会社を買収された。その後HIHは合衆国の保険会社を買収するほどの拡大経営を展開した。1998年8月、アクサは資本を引き揚げた<ref>Australian Gov., [https://treasury.gov.au/publication/economic-roundup-issue-1-2015/economic-roundup-issue-1/the-hih-claims-support-scheme/2-the-rise-and-fall-of-hih-insurance-group/ The rise and fall of HIH Insurance Group], 2015</ref>。1999年<ref name="Par of Aus">[https://www.aph.gov.au/About_Parliament/Parliamentary_Departments/Parliamentary_Library/Publications_Archive/archive/hihinsurance HIH Insurance Group collapse] - Parilament of Australia</ref>、HIHは国内のFAI保険を公開買い付けで買収した。2000年9月13日に[[アリアンツ]]へ国内個人向け事業を5億ドル近くの廉価で譲渡して<ref name="Par of Aus"/>、翌日からすぐHIHの株価は低迷するようになった<ref name=coll />。不自然な取引は調査に付された。[[バークシャー・ハサウェイ]]の保険会社は、HIHの清算人へ200万ドルを払い込んでいた<ref>Jerry W Markham, ''A Financial History of Modern U.S. Corporate Scandals:From Enron to Reform'', Routledge, 2015, [https://books.google.co.jp/books?id=6KJsBgAAQBAJ&pg=PA511&lpg=PA511&dq=berkshire+hathaway+reciprocal+australia&source=bl&ots=o7fnJ1IJ7h&sig=b8BcXfKEynJtgQS4BjhxLcSLVFI&hl=en&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=berkshire%20hathaway%20reciprocal%20australia&f=false p.511.]</ref>。この事件は2005年、やはりバークシャー・ハサウェイの保険会社[[メロン財閥#ジェネラル・リー|ジェネラル・リー]]で不正会計が問題となったときも振り返られたのである<ref>ニューヨーク・タイムズ [https://www.nytimes.com/2005/03/28/business/investigation-of-insurance-puts-buffett-in-a-spotlight.html Investigation of Insurance Puts Buffett in a Spotlight], MARCH 28, 2005</ref>。 |
||
===金融スキャンダルの上書き=== |
===金融スキャンダルの上書き=== |
||
[[ガーディアン]]が2009年3月から2018年4月までの銀行スキャンダルを年表に書いている<ref>The Guardian, [https://www.theguardian.com/australia-news/ng-interactive/2018/apr/19/a-recent-history-of-australias-banking-scandals A recent history of Australia's banking scandals], 19 April 2018</ref>。 |
[[ガーディアン]]が2009年3月から2018年4月までの銀行スキャンダルを年表に書いている<ref>The Guardian, [https://www.theguardian.com/australia-news/ng-interactive/2018/apr/19/a-recent-history-of-australias-banking-scandals A recent history of Australia's banking scandals], 19 April 2018</ref>。中央銀行と[[オーストラリア・ニュージーランド銀行]]について、それぞれ10件以上の記事がリンクされている。年表が全く取り上げない事実を補足しておく。[[世界金融危機 (2007年-2010年)|世界金融危機]]のとき中央銀行はレポ市場から700億ドル超を借り入れており、ユーロ危機をすぎて2016年以降に再び600億ドル超を記録しようとしている<ref name=repo>Reserve Bank of Australia, [https://www.rba.gov.au/publications/bulletin/2016/sep/5.html Developments in the Australian Repo Market], Bulletin – September Quarter 2016, Graph2 Repurchase Agreements.</ref>。世界金融危機時の貸し手は特定がむずかしいが、2014年以降のそれは海外機関投資家である<ref name=repo />。これはつまり、アメリカの[[シャドー・バンキング・システム]]が規制されたので、そこへ資金を投下していた大物機関投資家がオーストラリアへ乗り換えてきたのである。自らの関わった世界金融危機を棚にあげて、オーストラリア経済の不祥事を追及し、経営を合理化し、年金債務を整理し、ガバナンスからも収益性を担保しようとした。 |
||
2014年7月、[[マレーシア]]・インドネシア・[[ベトナム]]各国政府高官と関係する汚職について、過去のものを含むあらゆるメディアが政府の命令で[[検閲]]を受けていたことが、 |
2014年7月、[[マレーシア]]・インドネシア・[[ベトナム]]各国政府高官と関係する汚職について、過去のものを含むあらゆるメディアが政府の命令で[[検閲]]を受けていたことが、中央銀行筋で[[ウィキリークス]]の公開により明らかとなった。この翌年にマレーシアで[[1MDB]]をめぐる汚職が報道され、[[パナマ文書]]が捜査に活用された。 |
||
2017年8月3日、豪金融取引報告・分析センター |
2017年8月3日、豪金融取引報告・分析センターが、資金洗浄の疑いがある取引について報告義務を怠ったなどとして、[[オーストラリア・コモンウェルス銀行]]を連邦裁判所に提訴した。不正の温床とされるのは2012年5月に同行が導入した新型ATMであった。原告によると、2014から15年に起きた香港の犯罪組織が関与したとみられる事件で、容疑者らは同行のATMから30の口座に2059万豪ドルを入金、その大半が即座に海外へ送金された<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM28H8Q_Y7A820C1FF1000/ 豪銀で相次ぐ不祥事 コモンウェルス銀に資金洗浄の疑いで調査] 日本経済新聞 2017/8/28</ref>。2017年8月24日、[[ルパート・マードック]]の長男を幹事とするコンソーシアムが大手メディアを買収することについて、オーストラリア公取委会長は競争を阻害するものではないと声明を出した<ref>ロイター [http://www.reuters.com/article/ten-network-ma-news-corp/australia-antitrust-regulator-clears-murdoch-to-buy-ten-network-idUSL4N1L95SO Australia antitrust regulator clears Murdoch to buy Ten Network] August 24, 2017</ref>。マスメディアは積極的に国内大手銀行の不正を報じて、それらを機関化する流れをつくろうとした。コモンウェルス銀行のスキャンダルをきっかけに、国内金融の不正を追及する王立委員会が設けられた。国内年金ファンドが反発したにもかかわらず、委員会は2017年末に設置され、翌2018年2月12日にメルボルンで公聴会を開催し活動をはじめた。4月19日、コモンウェルス銀行は委員会に対して、死亡した複数の顧客から財政面での助言に対する見返りという名目で手数料を取り続けていたことを認めた<ref>CNN 豪大手銀、死亡した顧客からの手数料徴収認める 2018.04.20</ref>。大手金融機関AMPも集団訴訟に直面してCEOが引責辞任する事態となった<ref>日経新聞朝刊 豪金融、不正相次ぐ 財務相、取り締まり強化へ 2018/4/26付</ref>。2018年7月、オーストラリア証券投資委員会が企業の登録料として実際のコストの数千倍に当たるほとんど内容のないに等しい手数料を請求し、2017年には総額8億170万豪ドルの関連収入を得たことが分かった<ref>NNA ASIA 証投委の「内容なし」手数料、8億$超! 2018/07/03</ref>。王立委員会の考える「不正」については、銀行から反論がなされている<ref>NNA ASIA 大手4行、王立委による不正指摘に反論も 2018/06/15</ref>。 |
||
==国民== |
==国民== |
2021年6月19日 (土) 04:11時点における版
- オーストラリア連邦
- Commonwealth of Australia
-
(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:Advance Australia Fair 註1
進め 美しきオーストラリア -
公用語 英語 首都 キャンベラ 最大の都市 シドニー - 政府
-
女王 エリザベス2世 総督 デイヴィッド・ハーレイ 首相 スコット・モリソン 元老院議長 スコット・ライアン 代議院議長 トニー・スミス 高等裁判所長官 スーザン・キーフェル - 面積
-
総計 7,692,024km2(6位) 水面積率 0.9% - 人口
-
総計(2020年) 25,681,000人(55位) 人口密度 3.3人/km2 - GDP(自国通貨表示)
-
合計(2020年) 1兆4,417億[1]オーストラリア・ドル - GDP(MER)
-
合計(2020年) 1兆4,230億[1]ドル(19位) 1人あたり xxxドル - GDP(PPP)
-
合計(2020年) 1兆4,230億[1]ドル(18位) 1人あたり 54,799[1]ドル - イギリスから独立
-
オーストラリア憲法発効 1901年1月1日 ウェストミンスター憲章受諾[注釈 1][注釈 2] 1942年10月9日 1986年オーストラリア法発効[注釈 3] 1986年3月3日
通貨 オーストラリア・ドル(AUD)(A$) 時間帯 UTC+8から+10註2 (DST:一部地域で採用註2) ISO 3166-1 AU / AUS ccTLD .au 国際電話番号 61 -
註1:国歌は公式には『Advance Australia Fair』であるが、女王や総督が臨席する場合には『女王陛下万歳』が用いられる。
註2:本土以外の地域ではこれと異なる時間帯を採用しているものもある。また夏時間は一部地域のみ採用している。詳細は「オーストラリア時間」の記事を参照。
オーストラリア連邦(オーストラリアれんぽう、英: Commonwealth of Australia)[2]、またはオーストラリア(英: Australia)[3][4]は、オセアニアに位置し、オーストラリア大陸本土、タスマニア島及び多数の小島から成る連邦立憲君主制国家。首都はキャンベラ。最大の都市はシドニー。
イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国となっている。日本での略称は豪州(ごうしゅう)である[5]。
概要
国際的地位
総面積は世界第6位である。近隣諸国としては、北にパプアニューギニア・インドネシア・東ティモール、北東にソロモン諸島・バヌアツ、東はトンガ・ニューカレドニア・フィジー、南東2,000km先にニュージーランドがある。
2014年、同国の一人当たりの国民所得は世界第5位であった[6]。同国は国際連合、G20、イギリス連邦、ANZUS、経済協力開発機構 (OECD)、世界貿易機関、アジア太平洋経済協力及び太平洋諸島フォーラム加盟国である。2013年9月MIKTAにも参加した。
18世紀末期における最初のイギリスの植民までの少なくとも4万年の間[7][8][9]、おおよそ250の言語グループに分類される言語話者の先住民が居住してきた[10][11][12]。彼らの食文化ブッシュ・タッカーは1970年代から注目された。
1606年におけるオランダ人探検家によるヨーロッパのオーストラリア大陸発見後、1770年にイギリスが同大陸の東半分を領有主張し、1788年1月26日からニューサウスウェールズ州の植民地に初めて流刑を通じて定住が開始された。その後の数十年間で同大陸の調査が行われ、人口は着実に増加し、さらに5つの自治王領植民地が設立されていた。
1901年1月1日、6つの植民地が連合しイギリス自治領として連邦を形成、事実上独立した。以後、6つの州及びその他特別地域から成る連邦議院内閣制及び立憲君主制の役割を果たす安定した自由民主主義の政治体制を維持してきた。2,360万の人口は、高度に都市化された東部の州及び沿岸部にかなり集中している[13]。
国名
正式名称は、Commonwealth of Australia(英語発音: [ˈkɔmənˌwelθ əv ɔ(ː)ˈstreiljə] コマンウェルス・ァヴ・オ(ー)ストゥレイリャ)。通称、Australia 発音(豪) 発音(米) 。
通常日本語の表記は オーストラリア。Commonwealth of に対応する語として「連邦」を付け オーストラリア連邦とすることもある。実質的には共和政体をとるが、形式上は世襲の英国(女)王を元首に戴く君主国であり、Republic of(〜共和国)とすることはできないことから、同義語・類義語の Commonwealth of (17世紀中葉に成立した共和政時代のイングランドの英名は Commonwealth of England であった)を用いている。したがってこれを「連邦」と訳すのは必ずしも正しくはないのだが、連邦制国家であることは間違いないので、便宜上このオーストラリア連邦が Commonwealth of Australia の正式な訳語として用いられている。
日本における漢字表記では濠太剌利とされ、またそこから濠洲(ごうしゅう)とも呼ばれる[14]。「連邦」を付け濠洲連邦(濠洲聯邦)ということもある。「濠」「洲」は常用漢字の「豪」「州」を代用して豪太剌利・豪洲・豪州と書くことも多い。また、濠洲という略称は朝鮮語でも用いられて、ハングルでは「호주」、朝鮮漢字では日本語と同じく「濠洲」と表記される。中国語圏での漢字表記は澳大利亞、略称は澳洲となる。
国名の由来はラテン語で「南の地」を意味する terra australis で、これはヨーロッパにおける伝説上の大陸、テラ・アウストラリス・インコグニタ(ラテン語:Terra Australis Incognita)のことを指している。
歴史
オーストラリアの歴史 | |
---|---|
この記事はシリーズの一部です。 | |
先住民時代 | |
ヨーロッパ人による「発見」(1606年) | |
シドニー入植 (1788年1月26日) | |
ニュー・サウス・ウェールズ植民地 (1788年-1900年) | |
オーストラリア開拓戦争 (1788年-1934年) | |
ホークスベリー・ネピアン戦争 (1794年-1816年) | |
ブラック・ウォー (1828年–1832年) | |
ゴールドラッシュ (1851年) | |
ユリーカ砦の反乱 (1854年) | |
オーストラリア連邦の成立 (1901年1月1日-現在) | |
白豪主義時代 (1901年-1973年) | |
オーストラリア ポータル |
更新世の地球環境、人類の移動
40000〜45000年前(60000年前、更にそれ以前とも言われる)、更新世の何回かの氷期の結果海面が100〜150m下降した更新世末期の、今日より低海面の時代にアボリジニがニューギニア方面から渡り、先住民となったと考えられている。南東のタスマニア島に人類が渡った時期は、同島に存在する最古の人類居住遺跡が形成された時期約38,000年前であろうと考えられている。また、その時期はバス海峡に陸橋が形成されたであろう時期と合致する。[15]。
沿岸はティモール海域、ニューギニアに伸び、ともに1つの陸地(サフル大陸)であり、アラフラ海、カーペンタリア湾、トレス海峡をつないでいた。スンダ列島から海の短い距離の部分を渡って Sahul へ、続いて陸橋を渡って来たと考えられている。
考古学的証明では、西オーストラリアのスワン川上流に40,000年前、タスマニア(タスマニアも当時大陸に繋がっていた)には30,000年前に人類居住跡が見つかっている。また約42,000年前とされる人類の化石もニューサウスウェールズ州で発見されている(例:ムンゴマン)。
ニューギニア、インドネシアとの動物・植物種の共有は、当時の陸橋の結果で、最後の氷期の終わりに海面が上昇し、ニューギニアとの間は海でへだてられた。海面レベルは6,000年前から現代までほとんど同じである。
またカリオンで発見されたヒエログリフやンガリンジェリ族のラミンジェリ人の高齢者の主張を基に、オーストラリアの先住民は古代エジプトから弓と突出した船尾を備えたボートで海を渡って11,000年前にオーストラリアや南アメリカ等世界中を周回した、と主張する者も居る[16][17]。
人類の居住と氷期の終焉
木炭の発見から、火の使用も確認されている。狩猟採集民族は森林、硬葉樹林を開拓するためなどに使用した。耐火性の高いモクマオウ科、ユーカリ、アカシアなどが残った。
動物種では人間より大きい大型動物類の多くは絶滅し、多くの小型動物もいなくなった。ディプロトドン(全長3m、有袋類の草食動物で史上最大の有袋類)、数種の大きな飛べない鳥、肉食のカンガルー、体長5mのトカゲ、小型自動車ほどの大きさの亀などを含む、約60種の脊椎動物が絶滅した[要出典]。大規模な絶滅の原因は火、狩猟、気候変動などと考えられるが、最も大きな原因は人間の介入だと思われている[18][19]。
ヨーロッパ人による入植以前の人口は分かっていない。
13,000年前に更新世末期、氷期終焉を迎え、トレス海峡、ヴィクトリアとタスマニアの間のバス海峡、カンガルー島との間に海面が広がった。アボリジニの伝説によると、氷期の終焉は早く(あっという間に訪れた)、海面の上昇(陸地の失現)とともに、魚が天から降って来た、津波があったと伝えられている。そのとき以来、タスマニアアボリジニは地理的に孤立し、9,000年前にバス海峡の島々とカンガルー島の人間は消滅した。
ヨーロッパ人の到達
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
周りは荒い海であったために、16世紀頃の世界地図にTerra Australis Incognita(テラ・アウストラリス・インコグニタ、「南方にある未知の大地」という意味)と表されていた。
1606年に当大陸に最初に到来したヨーロッパ人はオランダ東インド会社のウィレム・ヤンスゾーン[20]であった。赤道に近い熱帯の北部地域に上陸し地図を作成したが、交易に値する物品はないと判断し、入植しなかった。
1770年にスコットランド人のジェームズ・クックが温帯のシドニーのボタニー湾に上陸して領有を宣言し、入植が始まり、東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。なお、決定的証拠はないが、1770年に上陸したジェームズ・クックよりも150年も前に山田長政が先にオーストラリア大陸を発見していたという説がある[21]。
アメリカの独立により、1788年からアメリカに代わり流罪植民地としてイギリス人の移民が始まった。初期移民団1030人のうち、736人が囚人 (男586人・女242人という説あり) で、その他はほとんどが貧困層の人間であった。また、当時は軽犯罪でも当地に流刑されたという。1791年の第2回囚人護送は1017人で、航海中に281人が死んだが、植民地での食糧難を加速させたため、政府は1年を待たずして自由移民を募り農地を拡大させた。
白人入植以降、先住民族であるアボリジニは白人による娯楽としての狩猟(スポーツハンティング)の対象となり虐殺された。その後も政府の政策によりタスマニア島を含むアボリジニの人口は激減した。
1828年に全土がイギリスの植民地となり、開拓が進んだ。その過程で先住民のアボリジニから土地を取り上げて放逐、殺害した。1830年までに純血のタスマニア先住民は絶滅させられた(ブラック・ウォー)。[要出典]19世紀の初めにはスペイン産メリノ種羊を改良し、以後、羊毛産業が発展した。なお、羊が重宝されたのは羊毛に関してだけでなく、まだ冷凍船がなかった頃、肉類の中で羊肉が長持ちしたためである。
1851年にビクトリア内陸部で金が発見され、ゴールドラッシュが発生した。これ以降は南ヨーロッパや中国などイギリス以外の国籍の移民が増加した。 特に中国人は、1950年代に3万人以上が労働者として渡来。当時200万人に満たなかった大陸人口の中において、中国人の増加は問題視されるようになった[22]。後に、中国系の移民に対する排斥運動が起こり、後の白豪主義につながったといわれる。金の発見により内陸部の探検が活発になり、中東から持ち込まれたラクダを使った探検隊が編成された。1860年の「バーク・ウィルズ探検隊」は有名である。
事実上の独立後
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
1901年の、事実上のイギリスからの独立後もイギリス国王への忠誠からイギリスが参加した戦争には度々参加した。第一次世界大戦ではオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) として英仏軍と共にガリポリの戦いに参加し、日本から供与されたジャパニーズ迫撃砲を使用するなどオスマン帝国軍との激戦を経験した。ANZAC軍のガリポリ上陸記念日である4月25日はANZACの日として国民の祝日となっている。なお、1927年にはシドニーとメルボルンによる首都争奪戦のすえ、妥協案として両都市の中間地点に新都市キャンベラを建設し首都とした[23]。
第二次世界大戦では、日本軍機によるダーウィン周辺などの北部都市への度重なる爆撃や通商破壊作戦、特殊潜航艇によるシドニー港攻撃を受けた。また、ニューギニアやボルネオから沖縄戦をはじめとする広範囲で連合国として日本軍と戦い、ノルマンディー上陸作戦以降はヨーロッパ西部の地上戦にも参加した。日本占領にもイギリス連邦占領軍の一員として多数の部隊を派遣したり、極東軍事裁判の裁判長ウィリアム・ウェブを出すなどして参加し、同裁判では天皇の訴追を要求した。
戦後はヨーロッパが人口激減と経済復興を経験したこともあり、白人移民は減り続けた。国力の基礎となる人口増加が鈍化したため、1980年代からは白豪主義を撤廃し、世界中から移民を受け入れる「多文化主義」へと移行した。朝鮮戦争やベトナム戦争にも積極的に参加し、アメリカと共に戦い、その後ベトナム難民を数多く受け入れた。1975年、ニューギニア信託統治地域がパプアニューギニアとして独立した。英米と協同歩調を取った2003年のイラク戦争にも参加した。
このように距離は離れているものの、同じアングロ・サクソンの英米や移民の出発地である他のヨーロッパ諸国との結びつきが依然として強い。もっとも地政学的要因から、必ずしも北半球の欧米諸国の一員として行動していられない場面も多い。特にフランスによる南太平洋ムルロア環礁での核実験の際には、北半球の欧米諸国が黙認するなかで、隣国のニュージーランドと共に猛抗議した。このときは市民の間にもフランス製品に対する不買運動が広がり、大都市のフランス有名ブランド店には一時休業を余儀なくされたところもある。
地理
オーストラリア大陸(オーストラリア本土)とタスマニア島及び、その他の小さな島で構成される。オセアニア州のオセアニア大陸とは、ほとんどオーストラリア大陸に等しい。平均高度が340mと地球上の全大陸中もっとも低く、2,000m以上の地点の面積比が計算上0.0%となり、これも全大陸中もっとも低い。しかしながら、高度別の頻度分布では200〜500mに相当する面積が最も広く42%に達する。これも他の大陸にない特徴であり、つまりは低い大地が一面に広がり、起伏が小さな大陸だと言える。
当大陸の東側には古期造山帯のグレートディバイディング山脈が延びる。最高峰は首都キャンベラの南南西120kmの地点にそびえるコジアスコ山 (Kosciuszko)。標高2,228m(オーストラリア政府)、2,230m(理科年表2006)。更に東側は温暖湿潤気候、西岸海洋性気候の過ごしやすい気候で人口はこの地域に集中し、ブリスベン、シドニー、メルボルンといった大都市は全てこの地域にある。グレートディバイディング山脈の西側は乾燥したステップ気候の大鑽井盆地(グレートアーテジアン盆地)であるが、井戸を掘れば水が出るので、羊の放牧が行われている。大鑽井盆地より更に西はグレートサンディ砂漠、グレートビクトリア砂漠、ギブソン砂漠等の砂漠が広がり、人はあまり住んでいない。大陸の西海岸にパースがあるぐらいである。
地質
オーストラリア大陸はインド・オーストラリアプレート上に位置する。ペルム紀に始まる超大陸ゴンドワナの分裂により、白亜紀にかけてアフリカ大陸、インド亜大陸、南極大陸と分離していく。それに伴い現在の地質分布が反映され、大きく分けて西部には太古代のクラトンが、中央部に原生代の深成岩・変成岩が、東部に古生代から新生代の岩石が見られ、それぞれの周囲を比較的新しい堆積岩が覆う。東部には最も新しい完新世の火山活動もある。
結節点
オーストラリアの交通は、特に鉄道が、専ら観光業や鉱業のために結節点をつくっている。都市も結節点の周辺に発達してきた。
大陸の北東部は熱帯雨林気候または熱帯季節風気候に属し、サンゴ礁が広がるグレートバリアリーフが有名で観光地になっている。ケアンズが観光拠点になっている。
ノーザンテリトリーのウルルは複合遺産として認められた代表的な自然景観で、有名な観光地になっている。
グレートディバイディング山脈では石炭が採れる。楯状地は金属の宝庫である。大陸の北西では鉄鉱石が、西部では金が産出する。大陸北部ではボーキサイトやウランが産出し、世界有数のボーキサイト・ウラン輸出国になっている。ウランについては、劣化ウラン弾が戦争で使用されて国内外から批判を長らく浴びたので、輸出量は往時に比べると激減した。しかしリオ・ティントなどの採掘業者は撤退していない。
動植物
コアラ、カンガルー、ポッサムなどの有袋類やカモノハシ、ハリモグラなどの単孔類、エミューに代表されるように、地理的隔離と気候の多様性が生んだその生態系は非常に個性的である。森林率は19%であり高山植物から熱帯雨林まで様々な植物の自生地帯が存在するが、大陸の大半は砂漠とステップ(半乾燥帯)で占められる[24]。
多くの固有の生物を守るために、厳しい検疫を行っている。
環境問題
自然環境は非常に苛酷であるとされ、大陸の40%が非居住地域(アネクメネ)となっている。その理由は土壌の栄養分が極めて乏しいこと、塩害が発生しやすいこと、降雨量が少ないことの3つである。こうした悪条件により、穀物生産や牧畜業、果樹生産など広範な分野において農業生産性は極めて低い。また河川から海に流入する栄養分も貧弱なため、漁業生産もその広大な排他的経済水域から考えると非常に少ないとされる[25]。このような苛酷な環境に加え、近年の地球温暖化の影響により、降雨量が更に減少し、農業、畜産、日常生活に大きな影響を与えている。
また、ヨーロッパの入植者によって砂漠地帯開発のためのラクダ、狩猟目的のアナウサギやアカギツネ、サトウキビの害虫を駆除するためのオオヒキガエル、イノシシ(正確には飼育されていた豚が野生化したもの[26])など、本来生息していなかった多数の外来種が持ち込まれ野生化・繁殖し、天敵がいないため個体数を急激に増やしている。結果、在来生物を絶滅・減少させ生態系が破壊され、牧草や農作物へも被害を及ぼし問題となっている。
近年、更に深刻な問題となっているのが南極上空付近のオゾン層破壊による紫外線問題であり、皮膚炎、皮膚ガン患者数は年々増加している。政府は国民に対し、外出の際には紫外線対策を怠らないように警告を促している[27]。
政治
政体
政体は立憲君主制・連邦制である。成文憲法のオーストラリア憲法をもつ。イギリス国王・女王と同一人物であるオーストラリア女王が国家元首とみなされる。実際にはオーストラリア総督が国王・女王の代行を務め、その権限は専ら儀式程度に限られる。1975年には、上下院が対立して予算案が議会を通らずに労働党政府の維持が困難になった際に、総督が憲法に基き議会を解散、当時の首相であったウイットラムを解任するという事件が起き、論議を呼んだ。政府は議会に対してのみ責任を負うイギリス型の議院内閣制で、政府機関には移民市民権省など特有の機関がある。
一方で「共和制へ移行して、名実共に英国から独立すべき」と主張する共和派も活動しており、君主制の是非を問う国民投票もこれまで何度か実施されたが、いずれも僅差で否決されている。2016年12月には、当時の首相だったターンブルが「オーストラリア共和制推進運動(ARM)の大義はオーストラリアのための大義だ」として、共和制への移行を求める超党派ロビー団体ARMの会合で行った基調演説にて「女王エリザベスの退位後に行うべき」との旨を訴えていたことが報じられている[28]。
議会
議会は二院制で、下院が金銭法案の先議権を有するほかは両院の権限は対等であり、米国のような上院の独自の権限は存在しない。選挙権は18歳以上(義務投票制)。上院は任期6年(ただし特別地域選出議員は3年)で、通常は3年議員は年毎に半数が改選される。各州から12名ずつ、準州(首都とノーザンテリトリー)から2名ずつの計76人から構成され(単記移譲式投票)、州を代表する。下院は任期3年で、小選挙区から1名ずつ選出(優先順位付き連記投票)され、定員は150人。主な政党は労働党、自由党、自由国民党、国民党。このうち、労働党を除く三党は保守連合(保守党)を構成している。下院に基礎をおく議院内閣制であるにもかかわらず、上院は選挙制であり(カナダのように任命制の場合は、上下両院が対立した場合には、選挙制である下院が優越すべきとなるが、選挙制であるためこれがない)、上下両院は対等の権限を有している。そのため、上下両院が対立して政治危機となった場合にそなえて、上下両院の解散(下院のみの解散は、制限なく可能)の制度を有している。これは、下院で可決された法案が上院で否決された場合に行うことができるもので、この場合は上院も全数が改選となり得票の上位半分が6年、下位が3年となる。更に、この上下両院選挙によっても対立が解消されない場合は、問題の法案を上下両院合同会議に付議できるとしている。議会はイギリス流に「パーラメント」と呼ばれる。
地方自治
6つの州と2つの準州で構成される。州の首相は「プレミア」準州では「チーフ・ミニスター」と呼ばれ、連邦政府の首相「プライム・ミニスター」と区別されている。首相は大臣を任命して内閣を組織する。歴史的経緯から州政府は強大な自治権を持っており、教育、医療、交通、警察の分野では主導的立場にある。
各州ごとの憲法あるいは地方自治体法[29]により設置された地方自治体[30]という単位で行われ、自治体のいくつかが統合されて広域自治体[31]となる場合もある。
2006年4月時点の地方自治体は656で、各州ごとの自治体数は次のとおり[32]。
州・準州 | 地方自治体数 |
---|---|
ニューサウスウェールズ州 | 151 |
ビクトリア州 | 78 |
クイーンズランド州 | 124 |
西オーストラリア州 | 141 |
南オーストラリア州 | 68 |
タスマニア州 | 29 |
ノーザンテリトリー | 65 |
ACT | 6 |
軍事
オーストラリア陸軍、オーストラリア海軍、オーストラリア空軍からなる。オーストラリア大陸まるごとを国土とし、その広い領土・領空および長大な海岸線を防衛する必要性があることから、在外アメリカ軍を除けばオセアニア最大規模を擁する。国防費も対GDP比1%台後半で推移しており、21世紀の主要先進国としては標準的か少し高い割合となっている。イギリス連邦諸国やアメリカ合衆国などとの国際協力にも積極的であり、湾岸戦争やイラク戦争にも派兵している。
日本との関係
日本は中国に次ぐ2番目の輸出相手国であり、鉄鉱石、石炭、牛肉などが輸出されている。近年、アジア・太平洋地域との結びつきを重視し始めており、日本製品(主の自動車や電子機器などの工業製品)も多数輸入しており、多数の日本製品が生活には欠かせないものとなっている。これらのことから、2007年に日豪FTAと呼ばれる、日本とのFTA(自由貿易協定)交渉が始まり、2014年7月調印、2015年1月15日に発効した[33][34]。
内外から批判は多いものの、イラク戦争で共同歩調を取ったことから政治的な友好関係が深まり、2006年には日米豪閣僚級戦略対話が行われるなど、政治、安全保障、経済、科学技術などの面での関係拡大が図られ、政治面でもアジア・太平洋地域における日本の重要なパートナーとなりつつある。1976年に、日豪友好協力基本条約が締結され、締結30周年目に当たる2006年は「日豪交流年」とされ、これを記念し国内最大のコレクションを有するメルボルンのビクトリア国立美術館 (NGV) で、日本の漆に焦点をあて「フォーカス・オン・ラッカー展」を開催した。1984年来、同美術館に所蔵されている木漆工芸家菅沼三千子創作の赤漆盛器が改めて日豪交流の一役を担った。
2007年3月には日豪首脳会談において、日豪間の外交・防衛協力の緊密化を謳った「安全保障協力に関する日豪共同宣言」が調印された。戦後の日本にとって防衛に関する共同宣言は、アメリカ以外では初めてのことであった。これに関連し、防衛外交当局者による定期的な会議(2プラス2)の開催も決定した。一方で、同年、上院で慰安婦問題和解提言決議が採択され、慰安婦制度を『日本の歴史におけるおぞましい出来事』と批判した。
留学生や観光客が日本から訪れているほか、ワーキング・ホリデー協定を最初に締結した国(1980年)であり[35]、現在でも対象国中で高い人気を誇っている。ケアンズやゴールドコーストのサーファーズパラダイスでは、多数の日本人の店員や観光客、日本語の看板も多く目にする。また近年、ケアンズを修学旅行先として選ぶ学校もあるが、増加を続ける外国人観光客のうち、日本人観光客は2006年9月と2007年9月との比較で10%減少し[36]、また来濠日本人数のピークである96〜97年では年間約96万人を数えたが、2010年との比較では最盛期の1/3にまで落ち込んだ[37]。1994年に導入されたElectronic Travel Authority(ETA)電子渡航許可は、日本を含む8か国のいずれかのパスポートがあれば申請でき、90日以内の滞在であれば就学もできる[38]。
一方、スキー・スノーボード目的の観光客が、近年、日本の北海道のニセコに多く訪れている。北海道の雪質が好まれる他、「地理的にさほど離れていない・時差が少ない・季節の逆を利用して楽しめる」等の点が人気のようである。また、日本語学習者も多く、有名な観光地では日本語を話すことができる人や日本に留学したり住んでいたりする人も多くいる。日本語学習者は実際数も、総人口に占める日本語学習者の割合もどちらも欧米諸国の中でトップである。ちなみに、日本人が当地に初上陸した場所はメルボルンで、2002年の『第22回全国高等学校クイズ選手権』(日本テレビ)の関東大会第一問でとりあげられた。
日本の調査捕鯨に対して批判的であり、元環境相のイアン・キャンベル(Ian Campbell)とピーター・ギャレットはそれぞれ現在シーシェパードの国際諮問委員とグリーンピースの元理事を務めたことがある[要出典]。
地方行政区分
6つの州とその他の特別地域に区分されている。政体としての地方行政区画には、都市部では、City(シティ 市)、Town (タウン 町)、農村部では、Shire (シャイア)、District (ディストリクト)がある。自治体組織を指す場合はCouncil(カウンシル 直訳:議会)を付けて呼ばれることが多い[39]。
州
その他の特別地域
- オーストラリア首都特別地域 (ACT)
- ノーザンテリトリー (NT/北部準州)
- アシュモア・カルティエ諸島
- オーストラリア南極領土
- クリスマス島
- ココス(キーリング)諸島
- コーラル・シー諸島
- ジャービス湾
- トレス海峡諸島
- ハード島とマクドナルド諸島
- マッコーリー島
- ノーフォーク島
- ロード・ハウ群島
主要都市
人口順位 | 都市 | 行政区分 | 人口 |
---|---|---|---|
1 | シドニー | NSW | 4,914,343 |
2 | メルボルン | VIC | 4,893,870 |
3 | ブリスベン | QLD | 2,430,180 |
4 | パース | WA | 2,045,479 |
5 | アデレード | SA | 1,340,794 |
6 | ゴールドコースト-トゥウィードヘッズ | QLD/NSW | 693,671 |
7 | ニューカッスル | NSW | 491,474 |
8 | キャンベラ-クイーンビアン | ACT/NSW | 462,136 |
9 | サンシャイン・コースト | QLD | 341,069 |
10 | セントラル・コースト | NSW | 335,470 |
11 | ウロンゴン | NSW | 306,034 |
12 | ジーロング | VIC | 275,794 |
13 | ホバート | TAS | 216,682 |
14 | タウンズビル | QLD | 181,668 |
15 | ケアンズ | QLD | 153,951 |
16 | トゥーンバ | QLD | 138,223 |
17 | ダーウィン | NT | 133,331 |
18 | バララット | VIC | 107,652 |
19 | ベンディゴ | VIC | 100,991 |
20 | オルベリー-ウォドンガ | NSW/VIC | 94,837 |
2019年オーストラリア統計局 |
特に、2位と3位及び5位と6位の都市人口の差が大きい。
経済
混合経済であり、インフラの多くを国、州などが持つ。具体例は、電話のテルストラ、各種公共交通、英語圏最古の航空会社であるカンタス。
ベルギーと同時期・同規模の外債を幹事のモルガン・スタンレーなどが引受けている。
基本情報
- 会計年度 - 7月1日から6月30日
- 加入している主要貿易関係国際組織:APEC、WTO、OECD
- 労働人口 - 1千万人
- 失業率 - 5.2%
ODA出資:25億 AUD
産業
- 小売業 - ウールワース、コールス・グループ
- 自動車 - 乗用車の製造が行われてきたが、2017年にオーストラリアドル高などを理由にトヨタとGMが撤退、生産国の看板を下ろすこととなった[40]。
- 農業 - 輸出を行っている品目がある[41]ものの貿易に特化しているとは言い難く、多くが自給自足となっている。
- 鉱業 - 鉱物資源が豊富であり、鉄鉱石、ボーキサイト、チタン、ウラン、金、オパールが採れる。鉄鉱石の採掘者で近年もっとも活躍するのはフォーテスキュー・メタルズ・グループである。ボーキサイトの算出は、世界の約27%を占める。金鉱山はジョゼフ・グトニクによる開発が知られる一方、南アから来たゴールド・フィールドも操業している。化石燃料では石炭、原油、天然ガスなどが海域も含め存在する。
- 観光 - 豊かな自然のため、主産業の一つ。
- カジノ - 庶民・観光客の娯楽となっている。
オールレッドライン
19世紀前半にメリノ種の牧羊が普及した。1859年に持ち込んだウサギが牧草を食べてしまい、羊毛生産量を減じた。バサーストに始まったゴールドラッシュの開拓者に食わせる肉が必要だった。19世紀後半には鉄道が敷設されてゆき、ケーブル・アンド・ワイヤレスが陸揚げを果した。羊毛業はジリ貧となって、義賊ネッド・ケリーが出た。彼はメルボルン万国博覧会の期間中に処刑された。ベアリング恐慌が響いて1893年5月頭バンクホリデーに陥った。
パリ講和会議には、首相ヒューズが全権代表として参加した。太平洋の旧ドイツ領諸島の帰属について日本と激しく争った末に、赤道を挟んで北側をC式委任統治領として日本が確保することで妥結した。また、日本が提案した人種平等案に対してはカナダと共に反対し、これを阻止した。ワシントン会議では蚊帳の外に置かれたが、1925年には太平洋問題調査会がホノルルで発足、1961年まで活動した。
第二次世界大戦の終結年において、スターリング・ポンド圏にとどまる外交姿勢を堅持した[43]。1950年、フランク・フェナー博士が指揮する調査のあと、野ウサギを駆除するため天然痘の遠い親類が撒かれた。半年足らずで蔓延し、個体数を二度と繁栄できない数にまで減らした。1950年代にダグラス・コップランドが、オーストラリアのポンド圏残留によって、ニュージーランドとともにブレトンウッズ協定からくるドル不足から逃れたことを認めた。しかし同時に、この残留措置が経済成長を遅らせるという見解も示した[43]。1950から60年代、覇権をかけて、セカンダリー・バンキングが途上国から引き上げたポンドとUSドルを投下した。
マーチャント・バンクの機関化
1960年代と1970年代は激動期であった。羊毛主体であった産業構造は鉱業主体となった。この間にまずポセイドン・バブルが起きた。それから国際的に遅れて変動為替相場制をとった。また、この期間にオーストラリア系銀行は日本・香港・マレー半島を除く極東地域で支店数を増やした。1961年にたった12店舗であったのが1978年に528店舗となり、これほどの急展開を諸外国の銀行に見ることはできなかった[44]。1980年マーチャント・バンクのニューガン・ハンド・バンクが倒産した。CIAの天下る同行は資金洗浄でもスキャンダルとなり、マーチャント・バンクの機関化する背景を成した。1986年、ロイズ銀行がスタンダードチャータード銀行に買収をしかけた。ホワイトナイトを演じたロバートは、スタンダードチャータード銀行のトップ・マネジメントに迎えられた[45]。クー・テクバはスタンダードチャータード銀行の重役を辞めた[46]。一番上の息子邱万福(Khuu Ban Hock)はブルネイ国立銀行元会長であったが、同行で金融犯罪に手を染め折り悪く有罪を認めていた[47][48]。ブルネイ国立銀行はクーが王族と出資割合7対3で1965年に創立したが[49][50]、ブルネイ通貨委員会の設立が2年後であるのと比べて早い。この1986年にはHSBCと懇意の李嘉誠が万科城市花园别墅を中国光大グループに売却し内部者取引として非難を浴びているが[51]、2000年パワーコルオーストラリア を買収[52]、2013年パワーコルオーストラリア親会社の南オーストラリア電力の持つ利権をめぐって税務署と衝突し[53]、2017年1月現在も電力事業の買収を続けている[54]。
1990年代、香港経済の脱英国化が進行した。この頃にマーチャント・バンクは機関化されていった。このとき動いていた機関投資家は欧米の投資信託や保険会社であった。これらはオーストラリアの機関投資家を内から蚕食していったものと考えられる。2001年3月15日、HIH保険がサウスウェールズの最高裁から暫定破産の許可を得た[55]。2001年8月27日には解散命令を受けることになり、負債総額は36億オーストラリア・ドルから53億に達した。HIHは企業編成をした1995年、アクサに持株会社を買収された。その後HIHは合衆国の保険会社を買収するほどの拡大経営を展開した。1998年8月、アクサは資本を引き揚げた[56]。1999年[57]、HIHは国内のFAI保険を公開買い付けで買収した。2000年9月13日にアリアンツへ国内個人向け事業を5億ドル近くの廉価で譲渡して[57]、翌日からすぐHIHの株価は低迷するようになった[55]。不自然な取引は調査に付された。バークシャー・ハサウェイの保険会社は、HIHの清算人へ200万ドルを払い込んでいた[58]。この事件は2005年、やはりバークシャー・ハサウェイの保険会社ジェネラル・リーで不正会計が問題となったときも振り返られたのである[59]。
金融スキャンダルの上書き
ガーディアンが2009年3月から2018年4月までの銀行スキャンダルを年表に書いている[60]。中央銀行とオーストラリア・ニュージーランド銀行について、それぞれ10件以上の記事がリンクされている。年表が全く取り上げない事実を補足しておく。世界金融危機のとき中央銀行はレポ市場から700億ドル超を借り入れており、ユーロ危機をすぎて2016年以降に再び600億ドル超を記録しようとしている[61]。世界金融危機時の貸し手は特定がむずかしいが、2014年以降のそれは海外機関投資家である[61]。これはつまり、アメリカのシャドー・バンキング・システムが規制されたので、そこへ資金を投下していた大物機関投資家がオーストラリアへ乗り換えてきたのである。自らの関わった世界金融危機を棚にあげて、オーストラリア経済の不祥事を追及し、経営を合理化し、年金債務を整理し、ガバナンスからも収益性を担保しようとした。
2014年7月、マレーシア・インドネシア・ベトナム各国政府高官と関係する汚職について、過去のものを含むあらゆるメディアが政府の命令で検閲を受けていたことが、中央銀行筋でウィキリークスの公開により明らかとなった。この翌年にマレーシアで1MDBをめぐる汚職が報道され、パナマ文書が捜査に活用された。
2017年8月3日、豪金融取引報告・分析センターが、資金洗浄の疑いがある取引について報告義務を怠ったなどとして、オーストラリア・コモンウェルス銀行を連邦裁判所に提訴した。不正の温床とされるのは2012年5月に同行が導入した新型ATMであった。原告によると、2014から15年に起きた香港の犯罪組織が関与したとみられる事件で、容疑者らは同行のATMから30の口座に2059万豪ドルを入金、その大半が即座に海外へ送金された[62]。2017年8月24日、ルパート・マードックの長男を幹事とするコンソーシアムが大手メディアを買収することについて、オーストラリア公取委会長は競争を阻害するものではないと声明を出した[63]。マスメディアは積極的に国内大手銀行の不正を報じて、それらを機関化する流れをつくろうとした。コモンウェルス銀行のスキャンダルをきっかけに、国内金融の不正を追及する王立委員会が設けられた。国内年金ファンドが反発したにもかかわらず、委員会は2017年末に設置され、翌2018年2月12日にメルボルンで公聴会を開催し活動をはじめた。4月19日、コモンウェルス銀行は委員会に対して、死亡した複数の顧客から財政面での助言に対する見返りという名目で手数料を取り続けていたことを認めた[64]。大手金融機関AMPも集団訴訟に直面してCEOが引責辞任する事態となった[65]。2018年7月、オーストラリア証券投資委員会が企業の登録料として実際のコストの数千倍に当たるほとんど内容のないに等しい手数料を請求し、2017年には総額8億170万豪ドルの関連収入を得たことが分かった[66]。王立委員会の考える「不正」については、銀行から反論がなされている[67]。
国民
民族
住民の80%以上がヨーロッパ系の白人であり、その他にアジア人が約12%、アボリジニなどが約2%となっている。移民は全体の約2割を占め、出身国はイギリス、ニュージーランド、中国、インド、イタリア、ベトナムが多い。
1975年に人種差別禁止法が制定されるまでは白色人種以外の移民を受け入れることを基本的に禁じていた。映画『オレンジと太陽』の児童移民もいる。
言語
公用語は英語(オーストラリア英語)で、人口の78.5%が家庭で英語のみを使用し、最も広く使われている。また移民の割合が高いため、非英語圏から来た移民あるいはその子孫の中には家庭で祖国の言葉を使う者もおり、中国語話者が2.1%、イタリア語話者が1.6%など少数だが存在する。先住民族の言語(オーストラリア・アボリジニ諸語、タスマニア諸語)は植民地化の過程で多くが消滅し、現在まで残っている言語もほとんどが消滅の危機に瀕している。
一部では、クレオール言語(オーストラリア・クレオール言語)も使用される。
人名・婚姻
移民も多く、さまざまな人名が存在する。さらに、氏名の変更が比較的容易に可能である。また、婚姻の際には、夫婦別姓、結合姓、夫婦同姓いずれも選択可能である[68][69]。
宗教
宗教はキリスト教が主であり、2006(カッコ内は2001)年の国勢調査によれば、ローマ・カトリックが25.8%(26.6%)、聖公会が18.7%(20.7%)等を含めたキリスト教徒全体が約64%、非キリスト教が約5%(4.9%)、無宗教が18.7%(15.5%)、無回答が約12%(11.7%)である。また別の統計によれば[70]、週に少なくとも1回は教会を訪れるのは、人口の7.5%であるという。
保健
平均寿命は男性78.5歳、女性83.3歳(2005年)。社会保険制度は存在せず、一般税収を原資としたユニバーサルヘルスケアが達成されている[71]。
教育
公立校は各州の教育省が管轄しており、州によってカリキュラム、中学校への進学学年、学期制度などが異なる。
6歳から15歳(日本の高等学校1年)、あるいはタスマニア州の16歳(高校2年)までが義務教育期間となる。小学校入学前の就学前教育機関はプリスクールと呼ばれ、デイケアなどが含まれる。プリスクールを幼児教育ではなく初等教育の一部とする州もある。小学校はプライマリー・スクールと呼ばれ、男女共学で6年生または7年生まで。中等教育はセカンダリー・スクールと呼ばれる中高一貫で12年生までが通うが、例外はタスマニア州で7年から10年までのハイスクールと11・12年のセカンダリー・カレッジに分かれている。大学やTAFEはターシャリー・エデュケーションと呼ばれる。大学は大多数が州立大学であり、国立と私立は少数である。オーストラリアの大学は留学生の比率が非常に高い。
初等、中等教育機関には私立校が多く、全体の約3割を占める。キリスト教主義学校とくにカトリックと聖公会に属すものが多い。教会直属の学校のほかに、イギリスと同様、インデペンデント・スクールと呼ばれる学校が多くあり、一部は名門校として知られている。授業料が比較的安いためカトリック系インデペンデント・スクールは人気があり、私立校の一分野を築いている。オーストラリアの私立校は政府から補助金を支給されており、運営費の約半分を占める。
義務教育(高校1年あるいは2年)を終えた時点で終了試験を受け、合格すれば義務教育終了証を得るが、大学に進学しない者も3年生まで通って各州で統一された卒業試験を受ける生徒が多い。大学は卒業試験と、高校の最終2年間の成績をもとに入学審査を行う[72]。 職業訓練の要素が強い高等教育機関であるTAFE(州立)やVET(私立)を選択することもできる。
どの州にも共通しているのは
- 1月末から2月はじめの夏の終わりごろに新学期が始まる
- 公立校でも小学校から制服がある。紫外線が強く、通学帽としてだけでなく休み時間や屋外で行う授業でも制帽の着用が義務づけられている。
- 一クラスの人数は20人から25人程度で、教科書も各学校や学級ごとに異なる。
- 小学校から留年(該当科目だけ留年の場合もあり)がある
といった点である[73]。
人種差別問題
住民の主流を占める白人による、先住民アボリジニや他の有色人種の移民に対する迫害や差別の歴史があり、現在もアジア系を初めとする黄色人種、黒人、中東系などの有色人種に対する優越思想や白豪主義が一部に存在し、2005年にはクロナラ暴動が発生した[74]。またほぼ同時期に「レッツ・ゴー・カレー・バッシング(Let's go Curry Bashing!)」という合言葉でインド人が連続して襲撃される事件もメルボルンやシドニーで多発した(在豪インド人連続襲撃事件)。
なお、ウェスタンシドニー大学の調査によると、国民の10人に1人が「白人至上主義者」であることが明らかになり、人種差別的視点を持つ者が少なくないことが明らかとなった[75]。
難民
かつては積極的に難民を受け入れる国であったが、リーマン・ショックに端を発する経済危機をきっかけに、移民や難民の受け入れに慎重な姿勢を取るようになってきている[76]。東南アジアや南洋諸島の国々と協定を結んで、これらの国に難民受け入れの施設を建設する資金を提供する代わりに、移住を望む難民の受け入れを肩代わりしてもらうようになっている。協定を交わしている国には、カンボジア、ナウル、パプアニューギニアなどがある。しかし、これらの国に建設されている難民収容施設は、清潔な水や十分な食料も与えられず、働く場所もないなど非常に劣悪であり[77]、アムネスティ・インターナショナルはオーストラリア版グアンタナモと批判している[78]。難民保護の実績もなければ、国民ですらまともな人権を享受していない国に難民を送りつける行為を、ヒューマン・ライツ・ウォッチは批判している[78]。難民収容所では、職員による人種差別的な行為も蔓延しており、2014年2月には、劣悪な環境に耐えかねた収容者による暴動が発生し、死者が出ている[79]。
ケビン・ラッド首相は、2013年7月19日、許可無く漂着した場合は全て、パプアニューギニアへ移送する方針を発表した[80]。そのラッドから、2013年秋に政権を奪ったトニー・アボットは難民についてさらに厳しい姿勢を表明しており、「わが国に不法に入国しようとする難民船は1隻残らず追い返す」との公約を掲げ、実際にその公約を実現するために動いており[78]、近づく不法な難民船は、海軍によって追い出され、出港地に送り返されている[78][81]。
マスコミ
この節の加筆が望まれています。 |
テレビメディア
ラジオメディア
- オーストラリア放送協会
- スペシャル・ブロードキャスティング・サービス
- ラジオ・オーストラリア
報道機関
印刷・出版
- アレン&アンウィン - 元はイギリスに在る同名企業の子会社として設立された
- オーストラリアの学生新聞
- 一般の新聞についてはオーストラリアの新聞を参照
文化
オーストラリアの映画とオーストラリアの文学は日本語版の記事を参照。オーストラリアの美術、オーストラリアの演劇、オーストラリアの舞踊、オーストラリアの音楽は英語版のみ。
料理
イギリスの影響でフィッシュ・アンド・チップスや牛肉料理がポピュラーである。特に低価格を武器にしたオージー・ビーフは国を代表するブランドとして世界中に出荷されている。オーストラリアン・ミートパイやシェパーズパイなどのオージー・ビーフを使った家庭料理がある。
イギリスの影響で独立当時は紅茶文化の影響が強かった。第二次世界大戦終結後に増加したイタリア系移民により、本格的なエスプレッソを楽しむスタイルが伝来した[82]。現在では著名なバリスタを多数輩出するなどコーヒー文化が根付いている[82]。なお2000年に直営店を出店したスターバックスは、バリスタが経営する小さな喫茶店から大手チェーンまでが揃った市場に食い込めず、2008年には1億ドル以上の赤字を出した後、地元企業に運営権を売却している[82]。
菓子類はシャーベットやクリスマスプディングなどイギリスから引き継がれたもの以外に、ラミントンやホワイト・クリスマス、フロッグケーキなどのケーキ類が考案されている。
先住民の伝統料理としてはカンガルー肉などのブッシュ・タッカーが知られている。
世界遺産
ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3物件、自然遺産が12物件、複合遺産が4物件の合計19物件ある。自然に関わる世界遺産は19物件中12物件を占めている。
ナショナルカラー
自国の国旗には採用されていないゴールド(もしくは黄色で代用)と緑色をナショナルカラーとして1984年4月19日から制定している。そのため、この二色は様々なことに好んで用いられる。例えば、クリケットや野球、ラグビーやサッカーの代表ユニフォームにこの二色を採用している。
祝祭日
祝日は州毎に定められている。下記の他に競馬の大レース(メルボルンカップ、アデレートカップ、ローンセストンカップ等)や農業ショーの日は都市、地域限定の祝日となることがある。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | New Year's Day | |
1月26日 | オーストラリアの日 | Australia Day | |
イースター | 聖金曜日 | Good Friday | 復活祭前の金曜日 |
復活祭 | Easter Saturday | 西オーストラリア州を除く | |
復活祭後の月曜日 | Easter Monday | 復活祭翌日の月曜日 | |
4月25日 | ANZACの日 | Anzac Day | |
6月の第二月曜日 | 女王の誕生日 | Queen's Birthday | 西オーストラリア州では移動祝祭日[2]。 |
不定期※ | 労働者の日 | Labour Day | 州によっては違う |
12月25日 | クリスマス | Christmas Day | |
12月26日 | ボクシング・デー | Boxing Day | 南オーストラリア州ではProclamation Day |
スポーツ
オーストラリアン・ルールズ・フットボール(オージーボールとも)とラグビー(特にラグビーリーグ)、クリケットが絶大な人気を誇っている。とくにクリケットの国際試合で活躍した選手は国民的英雄の扱いを受けている。海水浴やマリンスポーツに適した海岸線が長いことからサーフィンや海水浴客の救助から発祥したライフセービングなどマリンスポーツが盛んである。サーフィンに関しては、スポーツ競技として捉え、政府公認の選手育成プログラムもあり、科学的なトレーニングを行っている。バスケットボールも人気があり、NBLというプロリーグも存在する。またテニスも非常に盛んであり、夏場(日本の冬の時期にあたる)ではほぼ毎日テニスの試合がテレビで放送されるほどである。また、レイトン・ヒューイットなどの有名なテニスプレーヤーを輩出していることも知られている。
ラグビー
ラグビーはラグビーユニオンとラグビーリーグに大別できるが、ニューサウスウェールズ州やクイーンズランド州では13人制のラグビーリーグの方が盛んである。とはいえ、いずれも世界的に見れば強豪国である。ラグビーリーグオーストラリア代表(カンガルーズ)はラグビーリーグ・ワールドカップで過去15大会中11回優勝している。15人制のユニオン代表チーム(ワラビーズ)はワールドカップで優勝2回、準優勝2回の強豪である。ブレディスローカップにおけるニュージーランドとの対戦では国中が盛り上がる。州ごとのクラブチームもスーパーラグビーに参加している。
クリケット
クリケットは人気スポーツの一つである。世界での競技人口は3億人を超えており[83]、とりわけイギリス連邦で絶大な人気のあるスポーツである。クリケット界最高峰の世界選手権大会であるクリケット・ワールドカップでは、史上最多5回の優勝経験を誇る。1909年に統括団体である国際クリケット評議会の正会員になった。国内ではトゥエンティ20の試合形式のビッグ・バッシュ・リーグなどが人気である。メルボルンにあるメルボルン・クリケット・グラウンドは収容人数が世界最大級の約10万人であり、クリケットオーストラリア代表の試合やビッグ・バッシュ・リーグの試合などに利用される。ドナルド・ブラッドマンは史上最高のクリケット選手と評されており[84][85]、ペレやモハメド・アリ等と共に20世紀を代表するスポーツ選手の一人である[86][87]。シェーン・ウォーンはクリケットの歴史の中でも最高のボウラーの一人である。他にもキース・ミラー、スティーブ・ウォー、グレン・マクグラス、アダム・ギルクリスト、リッキー・ポンティングは歴代の代表的な選手である。
競馬
競馬は馬が持ち込まれてすぐの1810年に初めて開催され、現在でも非常に盛んに行われている。一人当たりの馬券購入額は日本やイギリスを凌いでおり、競馬場の数は平地競走、障害競走、繋駕速歩競走、クォーターマイル用を全て合わせると大小480場を数える。サラブレッド生産頭数は約18000頭でアメリカ合衆国に次ぐ世界2位、スタンダードブレッドも約6000頭でフランス、アメリカ合衆国に次ぐ規模である。
地域ごとに大レースがあり、それぞれカーニバルが並行され大きく盛り上がる。その中でも最大のメルボルンカップは、メルボルンの都市圏が祝日となり、国の機能が停止すると表現されるほどの盛り上がりとなる。第3の都市ブリズベンでは、農業省の祝日であるエッカホリデーでの競馬が有名で、皆が正装(男性は主にスーツ、女性は主にドレス)し競馬を楽しむ。
サッカー
ヨーロッパからの移民(英国圏、イタリア、クロアチアなど)が多いため、サッカー競技人口自体は多かったものの、国民のナショナルチーム「サッカールーズ」への関心は薄かった。これはたとえオセアニアで一番になろうと、オリンピックに出場しようと(出場枠が1)ほとんど反響がなかった。これまで主力選手が海外で活躍していたが、2005年に国内のプロリーグAリーグが発足したことに加え、代表チームは2006年ドイツワールドカップ進出を決め(32年ぶり2度目)、その予想以上の活躍ぶりに国内では盛り上がりを見せた。
バスケットボール
外国人としては史上2人目のNBAドラフト1巡目1位指名選手となったアンドリュー・ボーガットが最も有名。国内にはNBLと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。男子代表はこれまでオリンピックに11回、世界選手権に9回出場している。1996年アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピックと2大会連続で4位になるなど、オセアニアの王者としてだけでなく、世界的にも強豪である。その後の2004年アテネオリンピックや2008年北京オリンピック、世界選手権には出場し続けるものの、成績はやや不振気味。現在若手への世代交代の最中でアンドリュー・ボーガットを中心とした新たなチーム作りをしている。このボーガットを中心に、近年NBAにドラフト指名される選手が複数出てきており、復活の兆しが見えている。男子代表チームのニックネームは「Boomers」。ニュージーランド代表とは熾烈なライバル関係にある。
男子以上に世界的に有名で強いのが、女子代表である。女王ローレン・ジャクソンを始め、数多くのWNBA選手を輩出し、2000年のシドニーオリンピックから2008年の北京オリンピックまで3大会連続で銀メダル獲得。2006年の世界選手権では遂に優勝し、金メダルを獲得した。世界最強のアメリカ代表にとって最大のライバル国となっている。女子代表チームのニックネームは「オパールズ」。
野球
野球は1850年代にアメリカ合衆国から伝えられた。クリケットやラグビーが大変盛んであり、野球の人気は劣るが、1888年にはメジャーリーグベースボール(MLB)の世界ツアー慣行の際、シドニー、メルボルン等4カ所で試合行うと、観客動員数1万人を超えた。2014年3月にはロサンゼルス・ドジャースとアリゾナ・ダイヤモンドバックスがシドニーで開幕戦を2戦行うと、2戦とも観客動員数38,000人を超えた。
メジャーリーグベースボール(MLB)に選手を輩出しており、2019年までに31人の選手がMLBでプレーした[88]。
野球オーストラリア代表は1897年に初めて結成され、2004年のアテネオリンピックでは、予選で日本に勝利し、準決勝でも日本に勝利し、決勝戦ではキューバに敗れたものの銀メダルを獲得した。2017年の第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では本戦に出場し、4大会連続1次ラウンド敗退となったが、同年3月のWBSC発表の世界ランクでは8位にランクインし、過去最高位を更新した。
国内では1989年にオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)が発足したが、1999年に財政難により消滅した。しかし、2010年にオーストラリア野球連盟(ABF)とMLBの出資により、国内6都市に球団を置き、11月から2月までをシーズンとするプロ野球リーグとして復活した。NPBや、マイナーリーグ(MiLB)、中華職業棒球大聯盟(CPBL)、KBOリーグ(KBO)ではオフシーズンの時にシーズンであるため2010年から毎年各リーグの球団から選手が派遣されている。
モータースポーツ
メルボルンでF1、MotoGP、WSBが年1回行われており国内選手権なども盛んに行われ、数多くの年間王者を輩出しており高い人気を誇っている。
競泳
競泳の強豪国で、世界記録保持者が幾人も存在している。中でもイアン・ソープは2000年シドニーオリンピックにおいて5個の金メダルを獲得しており、人間魚雷の異名を持つスーパースターであった。
注釈・出典
注釈
出典
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2012年4月([1])
- ^ “Constitution of Australia”. ComLaw (1900年7月9日). 2011年8月5日閲覧。 “3. It shall be lawful for the Queen, with the advice of the Privy Council, to declare by proclamation that, on and after a day therein appointed, not being later than one year after the passing of this Act, the people of New South Wales, Victoria, South Australia, Queensland, and Tasmania, and also, if Her Majesty is satisfied that the people of Western Australia have agreed thereto, of Western Australia, shall be united in a Federal Commonwealth under the name of the Commonwealth of Australia.”
- ^ Macquarie ABC Dictionary. The Macquarie Library Pty Ltd. (2003). p. 56. ISBN 1-876429-37-2
- ^ “Australia”. Oxford Dictionaries. Oxford University Press (April 2010). 2012年7月26日閲覧。
- ^ オーストラリア基礎データ外務省 閲覧2018年1月20日
- ^ Data refer mostly to the year 2014. Economic Outlook Database-April 2015, International Monetary Fund. Accessed on 25 April 2015.
- ^ Wade, Nicholas (2011年9月22日). “Australian Aborigine Hair Tells a Story of Human Migration”. The New York Times
- ^ “European discovery and the colonisation of Australia”. Australian Government:Culture Portal. Department of the Environment, Water, Heritage and the Arts, Commonwealth of Australia (2008年1月11日). 2010年5月7日閲覧。 “[The British] moved north to Port Jackson on 26 January 1788, landing at Camp Cove, known as 'cadi' to the Cadigal people. Governor Phillip carried instructions to establish the first British Colony in Australia. The First Fleet was under prepared for the task, and the soil around Sydney Cove was poor.”
- ^ Davison, Hirst and Macintyre, pp. 157, 254.
- ^ “Both Australian Aborigines and Europeans Rooted in Africa – 50,000 years ago”. News.softpedia.com. 2013年4月27日閲覧。
- ^ “Australian Social Trends”. Australian Bureau of Statistics website. Commonwealth of Australia. 2008年6月6日閲覧。
- ^ Walsh, Michael (1991) "Overview of indigenous languages of Australia" in Suzanne Romaine (1991). Language in Australia. Cambridge University Press. p. 27. ISBN 978-0-521-33983-4
- ^ “Geographic Distribution of the Population”. 2012年12月1日閲覧。
- ^ この「洲」は四方を海で囲まれた「大洲」すなわち大陸を指している。日本ではクックのオーストラリア大陸発見が、文政年間(1804-1814)に幕府天文方高橋景保によって紹介された。吉野政治「五大州 : 鎖国時代の世界地理認識」『同志社女子大學學術研究年報』第60巻、2009年12月25日、118(21)–107(32)、doi:10.15020/00000365。
- ^ 横山祐典「地球温暖化と海面上昇 -氷床変動・海水準変動・地殻変動ー」/ 日本第四紀学会・町田洋・岩田修二・小野昭編著 『地球史が語る近未来の環境』 東京大学出版会 2007年 50ページ
- ^ “オーストラリアで発見された象形文字は歴史を書き換えることができます”. Afrikhepri (2019年). 2019年6月8日閲覧。
- ^ Gosford Glyphs 1.m4v
- ^ Encyclopedia of Australian Wildlife, Steve Parish Publishing, p.120-123, ISBN 9781740212441
- ^ Australian Museum. “Megafauna extinction theories - patterns of extinction”. 2010年4月23日閲覧。
- ^ 蘭: Willem Janszoon
- ^ “オーストラリアを発見した日本人”. 産経新聞. (2014年4月8日). オリジナルの2014年4月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 鈴木 清史 (2010年). “オーストラリアの戸惑い : 2つの巨大貿易国のはざまで (日本とアジアの相互の照射 ” (PDF). 静岡大学人文学部アジア研究センター. 2020年12月17日閲覧。
- ^ “オーストラリアの首都機能移転”. 国土交通省. 2020年6月11日閲覧。
- ^ http://adl.brs.gov.au/forestsaustralia/_pubs/sofr2008reduced.pdf
- ^ ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』13章「搾取されるオーストラリア」(草思社2005)
- ^ 豚を野に放すとイノシシになる?サイボクハムぶた博物館 2月23日閲覧
- ^ サンスマートプログラム在日オーストラリア大使館 2020年2月23日閲覧
- ^ 豪で君主制廃止論再燃? 首相「女王退位後に共和制移行を」 AFPBB News(2016年12月19日)2020年2月23日閲覧
- ^ 英: local government act
- ^ 英: local government
- ^ 英: gegional council
- ^ 『THE AUSTRALIAN LOCAL GOVERNMENT GUIDE APRIL 2006』より。
- ^ 「 豪州牛肉、ワイン関税引き下げ…日豪EPA発効 」2015年01月15日 『読売新聞 YOMIURI ONLINE』
- ^ “日豪EPA発効、牛肉など値下げ機運 小売店はやセール”. 日本経済新聞. (2015年1月16日) 2020年12月30日閲覧。
- ^ “ワーキング・ホリデー制度”. 外務省. 2020年12月30日閲覧。
- ^ JAMSTV、外国人観光客数、増加 豪ドル高の影響見られず
- ^ 日豪プレス年表1996年の項。
- ^ ビザ申請要件 オーストラリアオンラインビザ、2020年12月30日閲覧
- ^ オーストラリアとニュージーランドの地方自治
- ^ トヨタ、オーストラリアでの生産を終了…54年の歴史に幕 レスポンス(2017年10月3日)2017年10月6日閲覧
- ^ オーストラリアにおける農産物の 生産・貿易政策の現状 - ジェトロ(2009年3月)
- ^ オーストラリアに於ける米流通と 米先物市場形成の可能性
- ^ a b J. Singleton, Paul Robertson, Economic Relations Between Britain and Australia, 1945-1970, Springer, 2001, p.42.
- ^ U. S. House Committee on Banking, Finance and Urban Affairs, Foreign Bank Operations and Acquisitions in the United States Hearings, Part. 1. September 1980. pp.936. 938. "Grobal Network of Overseas Branches and Agencies"
- ^ Anna Pao Sohmen, Y.K. Pao:My Father, Hong Kong University Press, 2012, p.149.
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「TT
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ JOC.com BRUNEI BANK SCANDAL TALKS OPEN Feb 18, 1987
- ^ 6つも余罪があった。Peter H. L. Lim, Chronicle of Singapore, 1959-2009:Fifty Years of Headline News, Editions Didier Millet, 2009, p.213.
- ^ NationalLibraryBoardSingapore, SingaporeInfopedia Khoo Teck Puat:"National Bank of Brunei controversy"(膨大な出所注のついた信頼性の高い情報ソース)
- ^ 上原健太郎 ブルネイ・ダルサラームにおけるイスラーム金融部門の形成とその特徴 イスラーム世界研究 第8巻 2015年3月 pp.194-206.
- ^ South China Morning Post, 22 October 1986
- ^ ウォールストリート・ジャーナル Cheung Kong Infrastructure to Buy Powercor Australia for $1.35 Billion Updated Aug. 4, 2000
- ^ ロイター Firms controlled by Asia's richest man face Australian tax fight Wed Oct 2, 2013
- ^ ニューヨーク・タイムズ Li Ka-shing Sweetens Deal for Australian Energy Company JAN 16, 2017
- ^ a b Parliament of Australia, HIH Insurance Group collapse, Online Only issued Date 29 November 2001
- ^ Australian Gov., The rise and fall of HIH Insurance Group, 2015
- ^ a b HIH Insurance Group collapse - Parilament of Australia
- ^ Jerry W Markham, A Financial History of Modern U.S. Corporate Scandals:From Enron to Reform, Routledge, 2015, p.511.
- ^ ニューヨーク・タイムズ Investigation of Insurance Puts Buffett in a Spotlight, MARCH 28, 2005
- ^ The Guardian, A recent history of Australia's banking scandals, 19 April 2018
- ^ a b Reserve Bank of Australia, Developments in the Australian Repo Market, Bulletin – September Quarter 2016, Graph2 Repurchase Agreements.
- ^ 豪銀で相次ぐ不祥事 コモンウェルス銀に資金洗浄の疑いで調査 日本経済新聞 2017/8/28
- ^ ロイター Australia antitrust regulator clears Murdoch to buy Ten Network August 24, 2017
- ^ CNN 豪大手銀、死亡した顧客からの手数料徴収認める 2018.04.20
- ^ 日経新聞朝刊 豪金融、不正相次ぐ 財務相、取り締まり強化へ 2018/4/26付
- ^ NNA ASIA 証投委の「内容なし」手数料、8億$超! 2018/07/03
- ^ NNA ASIA 大手4行、王立委による不正指摘に反論も 2018/06/15
- ^ Change of Name - Australia Passport Office
- ^ 【世界から】「呼ばれたい名前」が自分の名前豪州の夫婦別姓事情、共同通信、2017年4月26日
- ^ NCLS Research:NCLS releases latest estimates of church attendance(英文)
- ^ Health at a Glance 2013, OECD, (2013-11-21), doi:10.1787/health_glance-2013-en, ISBN 9789264219984
- ^ APLa オーストラリアの教育
- ^ オーストラリア教教育ネットワーク:オーストラリアの教育
- ^ JAMSTV、シドニー人種暴動の記事
- ^ “オーストラリア人の約1割は人種至上主義者=調査”. ロイター. 2008年9月29日閲覧。
- ^ “【オーストラリア】 最近の移民政策をめぐる動向” (PDF). 海外立法情報調査室. 2015年6月13日閲覧。
- ^ “【アジアの目】豪州「もう難民はお断り!」 カンボジアへの難民移送に「人権侵害」の声も…”. 産経新聞. (2014年10月12日) 2015年6月13日閲覧。
- ^ a b c d マリー・デュミエール (2015年1月20日). “オーストラリア「招かれざる客」を追い払え!”. ニューズウィーク 2015年6月13日閲覧。
- ^ “難民に国土を踏ませないオーストラリア”. アムネスティ日本 (ハフィントン・ポスト). (2014年8月13日) 2015年6月13日閲覧。
- ^ “豪州がボート難民締め出しへ、パプアなど第三国へ移送”. AFPBB News. (2013年7月19日) 2015年6月13日閲覧。
- ^ “オーストラリア:スリランカ人難民の送還を今すぐ中止に!”. アムネスティ日本. 2015年6月13日閲覧。
- ^ a b c 守屋太郎 (2014年7月3日). “スターバックスがオーストラリアから撤退する理由”. 2020年12月30日閲覧。
- ^ First global market research project unveils more than one billion cricket fans 国際クリケット評議会 2020年7月3日閲覧。
- ^ The Greatest Cricketer of All Time – your votes revealed! BBC. 2020年6月15日閲覧。
- ^ Kohli can be the best after Sir Don Bradman Hindustan Times. 2020年6月15日閲覧。
- ^ The Independent's 100 sportsmen and women of the 20th century The Independent. 2020年6月15日閲覧。
- ^ Pele tops sportsman of the century poll IOL. 2020年6月15日閲覧。
- ^ Players by birthplace: Australia Baseball Stats and Info - Baseball-Reference.com2020年3月27日閲覧。
関連項目
- オーストラリアの交通
- Tourism in Australia
- Visa policy of Australia
- Outline of Australia
- Book:Australia
- Portal:オーストラリア