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近鉄コーチ時代は[[大塚晶文]]<ref name=西スポ20201030>[https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/659380/ ソフトバンク久保2軍投手コーチ退団へ 岩隈、大塚、メッセ育てた名伯楽 鷹では高橋純、大竹ら後押し]</ref>、[[岩隈久志]]を育てた<ref>プロ野球選手写真名鑑 2016年 (NIKKAN SPORTS GRAPH) 、日刊スポーツ出版社、121頁</ref>。阪神コーチとしては[[岡田彰布]]監督時代の2005年、2年ぶりのリーグ優勝に貢献。高校の先輩である[[真弓明信]]が監督に就任した際は投手起用の采配を揮り、伸び悩んでいた[[能見篤史]]をエースとして覚醒させた。[[ランディ・メッセンジャー]]が中継ぎとして結果を残せずに退団の可能性もあった中で先発として起用するなど手腕を発揮したが<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20150530/tig15053005000011-n1.html 阪神・メッセ、“恩人”久保2軍投手チーフCと4年ぶりに再会] [[サンケイスポーツ]]</ref>、真弓の退任に伴い限りで辞任<ref>[http://hanshintigers.jp/news/topics/info_2001.html コーチの退団について] 阪神タイガース公式サイト、2011年10月25日。</ref>。指導力と育成の手腕を再び買われて阪神に復帰すると<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121016-1033335.html 【阪神】久保2軍投手コーチ就任] [[日刊スポーツ]]、2012年10月16日。</ref>、[[福原忍]]・[[安藤優也]]・[[高宮和也]]・[[桑原謙太朗]]などベテランリリーフの改造に手腕を発揮。ソフトバンク時代は伸び悩んでいた[[ |
近鉄コーチ時代は[[大塚晶文]]<ref name=西スポ20201030>[https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/659380/ ソフトバンク久保2軍投手コーチ退団へ 岩隈、大塚、メッセ育てた名伯楽 鷹では高橋純、大竹ら後押し]</ref>、[[岩隈久志]]を育てた<ref>プロ野球選手写真名鑑 2016年 (NIKKAN SPORTS GRAPH) 、日刊スポーツ出版社、121頁</ref>。阪神コーチとしては[[岡田彰布]]監督時代の2005年、2年ぶりのリーグ優勝に貢献。高校の先輩である[[真弓明信]]が監督に就任した際は投手起用の采配を揮り、伸び悩んでいた[[能見篤史]]をエースとして覚醒させた。[[ランディ・メッセンジャー]]が中継ぎとして結果を残せずに退団の可能性もあった中で先発として起用するなど手腕を発揮したが<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20150530/tig15053005000011-n1.html 阪神・メッセ、“恩人”久保2軍投手チーフCと4年ぶりに再会] [[サンケイスポーツ]]</ref>、真弓の退任に伴い限りで辞任<ref>[http://hanshintigers.jp/news/topics/info_2001.html コーチの退団について] 阪神タイガース公式サイト、2011年10月25日。</ref>。指導力と育成の手腕を再び買われて阪神に復帰すると<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121016-1033335.html 【阪神】久保2軍投手コーチ就任] [[日刊スポーツ]]、2012年10月16日。</ref>、[[福原忍]]・[[安藤優也]]・[[高宮和也]]・[[桑原謙太朗]]などベテランリリーフの改造に手腕を発揮。ソフトバンク時代は伸び悩んでいた[[髙橋純平]]と育成入団の[[大竹耕太郎]]を飛躍させ、[[岩嵜翔]]の投球を見直すことで終盤戦の復活につなげた<ref name=西スポ20201030 />。 |
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[[2021年]]から[[大和高田クラブ]]のアドバイザーに就任。 |
[[2021年]]から[[大和高田クラブ]]のアドバイザーに就任。 |
2020年12月31日 (木) 05:01時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県飯塚市 |
生年月日 | 1958年4月8日(66歳) |
身長 体重 |
178 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1976年 ドラフト1位 |
初出場 | 1978年7月18日 |
最終出場 | 1997年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
| |
この表について
|
久保 康生(くぼ やすお、1958年4月8日 - )は、福岡県飯塚市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
経歴
柳川商業高校では2年次の1975年、春の選抜にエース加倉一馬の控え投手として出場。1回戦で堀越高に敗退し、自身の登板はなかった[1]。同年夏は加倉が右翼手に回り、投手として県大会決勝に進出するが、小倉南に敗れる。3年次の1976年には夏の甲子園にエースとして出場し、三重高を降し3回戦に進出するが、PL学園の中村誠治投手(早大-日産自動車)と投げ合い0-1で惜敗[2]。高校同期に一塁手の立花義家がいる。
同年のドラフト1位で近鉄バファローズに入団し、エース級の背番号「16」が与えられた。4年目の1980年に速球派として頭角を現すと、前期にリリーフとしてプロ初勝利を挙げ、後期には先発ローテーションの一角を確保。初完投となった8月17日の日本ハム戦ダブルヘッダー第2試合(札幌円山)では打線の援護も乏しく敗戦投手となったが、9月3日の日本ハム戦(日生)で初の完投勝利でリベンジ。9月中旬からは先発で完投勝利、リリーフでセーブを記録するなど投げまくって後期優勝に貢献。シーズン通算では8勝3セーブで、チームはロッテとのプレーオフを制して2連覇。本格的に味わった優勝の美酒であったが、これは長い現役生活で最後の歓喜でもあった[3]。1981年も先発、リリーフでフル回転して、5月9日の阪急戦(西宮)でプロ初完封。打線が急失速、鈴木啓示、井本隆の左右両輪が精彩を欠いて最下位に沈んだチームにあって、42試合の登板で9勝8セーブを記録[3]。1982年には開幕第2戦となった4月5日の阪急戦(西宮)で完投勝利を挙げると、以降7連続完投で6勝1敗を挙げてそのまま先発の軸となり、9月5日の南海戦(大阪)では無四球完封も記録。最終的にはシーズン通算では15完投、12勝1セーブで、これが最初で最後の2桁勝利となった。同年は戦後最年少で三冠王となったロッテの落合博満を打率.176、3安打、1本塁打に抑え込んでいるが、阪神時代の1995年には中日を経て巨人でプレーしていた落合に通算2000安打の達成を許している[3]。1983年は5勝10敗と大きく負け越し、徐々にリリーフが増え、肘にも負担がかかっていく。1986年オフには遂に右肘を手術したことで運命が暗転し、思うように球速が伸びなくなり、打たれまくった[3]。
1988年は2試合に登板しただけで、シーズン途中の5月に中谷忠己との交換トレードで阪神タイガースに移籍。長く伸び悩んでいた直球が復活していく。同31日のヤクルト戦(甲子園)でのリリーフが移籍後の初登板で、8連敗で迎えた6月13日の巨人戦(甲子園)で先発に大抜擢されると、たびたびピンチを迎えながらも6回1失点に抑え、中西清起のリリーフもあって1年10ヶ月ぶりの勝利投手となる。その後も7月17日の中日戦(甲子園)で完投勝利、同31日の大洋戦(甲子園)では完封。肘に多少の痛みは残っていたが、村山実監督の期待に応えようと投げ続けた。先発では緩急をつけるためにカーブやチェンジアップ、フォークも投げたが、リリーフではアクセル全開、直球とスライダーで勝負した[3]。パ・リーグ時代は打席に立ってないが、セ・リーグ1年目の1988年には18打数7安打・打率.389、1989年には16打数6安打・打率.375・1本塁打を記録している。1988年6月1日のヤクルト戦(神宮)では尾花高夫からソロ本塁打を放つが、プロ入り13年目での初本塁打は当時最も遅い記録であった。1990年以降は中継ぎに専念し、同年はリーグ最多の55試合登板と投げまくった。阪神ファンから「また出た、ええ加減にせえ!」と野次られたほどであったが、投球回は84イニングながら先発時代をしのぐ自己最多の89奪三振を記録している[3]。1994年オフにはフリーエージェントを行使し、1995年も残留。1996年シーズン途中に金銭トレードで近鉄に復帰し、投手としては異例の背番号「6」を着けて、リリーフエースの赤堀元之につなぐセットアッパーとして大ベテランらしい安定感を発揮。その後は不調が続いて段々と登板機会も減少し[3]、1997年限りで現役を引退。
引退後は近鉄で二軍投手コーチ(1998年 - 2001年)・一軍投手コーチ(2002年 - 2004年)、阪神で一軍投手コーチ(2005年, 2009年 - 2011年)・一軍バッテリー総合コーチ(2006年)・一軍投手チーフコーチ(2007年 - 2008年)・二軍チーフ投手コーチ(2013年 - 2017年[4])、斗山で二軍投手インストラクター(2012年6月 - 9月)、ソフトバンクで二軍投手コーチ(2018年[5] - 2020年[6])を務めた。
近鉄コーチ時代は大塚晶文[7]、岩隈久志を育てた[8]。阪神コーチとしては岡田彰布監督時代の2005年、2年ぶりのリーグ優勝に貢献。高校の先輩である真弓明信が監督に就任した際は投手起用の采配を揮り、伸び悩んでいた能見篤史をエースとして覚醒させた。ランディ・メッセンジャーが中継ぎとして結果を残せずに退団の可能性もあった中で先発として起用するなど手腕を発揮したが[9]、真弓の退任に伴い限りで辞任[10]。指導力と育成の手腕を再び買われて阪神に復帰すると[11]、福原忍・安藤優也・高宮和也・桑原謙太朗などベテランリリーフの改造に手腕を発揮。ソフトバンク時代は伸び悩んでいた髙橋純平と育成入団の大竹耕太郎を飛躍させ、岩嵜翔の投球を見直すことで終盤戦の復活につなげた[7]。
人物
この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。 (2015年1月) |
妻との間に長男、長女、双子の二女・三女の計4人の子がある。双子の姉の久保啓子・妹の久保宣子・長男の久保圭はプロゴルファーで、それぞれ2008年(啓子)・2010年(宣子)・2012年(圭)にプロ入り[12][13]。長女と2007年に結婚した上井邦浩もプロゴルファーというゴルフ一家である。
山本和範とは近鉄で同期入団同士であり、1982年に山本が近鉄を解雇された際、知り合いのバッティングセンターを山本に紹介した。
レロン・リーは日本で対戦した印象的な投手の1人として久保の名前を挙げている[14]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1978 | 近鉄 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 67 | 15.2 | 16 | 3 | 5 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 10 | 10 | 5.63 | 1.34 |
1979 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 46 | 10.0 | 17 | 5 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 8 | 8 | 7.20 | 1.80 | |
1980 | 34 | 10 | 4 | 0 | 0 | 8 | 5 | 3 | -- | .615 | 555 | 130.1 | 130 | 24 | 45 | 1 | 3 | 69 | 4 | 0 | 61 | 58 | 4.02 | 1.34 | |
1981 | 42 | 17 | 5 | 1 | 0 | 9 | 11 | 8 | -- | .450 | 713 | 165.1 | 166 | 23 | 71 | 1 | 4 | 78 | 1 | 0 | 78 | 75 | 4.09 | 1.43 | |
1982 | 26 | 22 | 15 | 2 | 1 | 12 | 9 | 1 | -- | .571 | 748 | 176.2 | 165 | 27 | 68 | 4 | 2 | 75 | 3 | 0 | 81 | 76 | 3.86 | 1.32 | |
1983 | 29 | 20 | 5 | 0 | 0 | 5 | 10 | 2 | -- | .333 | 598 | 142.1 | 134 | 26 | 52 | 1 | 4 | 46 | 0 | 0 | 83 | 72 | 4.55 | 1.31 | |
1984 | 36 | 8 | 2 | 0 | 0 | 5 | 6 | 2 | -- | .455 | 546 | 124.2 | 125 | 20 | 52 | 4 | 7 | 51 | 2 | 0 | 73 | 66 | 4.76 | 1.42 | |
1985 | 30 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 256 | 54.1 | 63 | 9 | 30 | 2 | 7 | 26 | 2 | 0 | 49 | 46 | 7.62 | 1.71 | |
1986 | 20 | 7 | 2 | 1 | 0 | 4 | 3 | 0 | -- | .571 | 288 | 69.2 | 62 | 13 | 27 | 1 | 2 | 41 | 3 | 0 | 31 | 27 | 3.49 | 1.28 | |
1987 | 12 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | -- | .000 | 94 | 21.2 | 27 | 4 | 6 | 1 | 0 | 11 | 0 | 0 | 16 | 13 | 5.40 | 1.52 | |
1988 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 3.0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 12.00 | 2.00 | |
1988 | 阪神 | 23 | 9 | 2 | 1 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 295 | 68.1 | 74 | 9 | 25 | 0 | 2 | 36 | 1 | 0 | 31 | 31 | 4.08 | 1.45 |
'88計 | 25 | 9 | 2 | 1 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 309 | 72.2 | 77 | 9 | 28 | 0 | 2 | 37 | 1 | 0 | 35 | 35 | 4.33 | 1.44 | |
1989 | 14 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 223 | 49.1 | 54 | 9 | 25 | 6 | 1 | 55 | 1 | 0 | 30 | 28 | 5.11 | 1.60 | |
1990 | 55 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3 | -- | .500 | 334 | 84.0 | 71 | 13 | 29 | 4 | 0 | 89 | 3 | 0 | 38 | 38 | 4.07 | 1.19 | |
1991 | 37 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 6 | -- | .667 | 252 | 59.2 | 51 | 8 | 25 | 6 | 1 | 39 | 1 | 0 | 22 | 21 | 3.17 | 1.27 | |
1992 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | -- | 1.000 | 63 | 14.0 | 12 | 3 | 10 | 1 | 0 | 16 | 1 | 0 | 8 | 8 | 5.14 | 1.57 | |
1993 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 2 | -- | 1.000 | 227 | 53.0 | 43 | 5 | 23 | 1 | 1 | 53 | 1 | 0 | 23 | 20 | 3.40 | 1.25 | |
1994 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1 | -- | .667 | 298 | 69.2 | 63 | 7 | 26 | 2 | 5 | 56 | 0 | 0 | 26 | 24 | 3.10 | 1.28 | |
1995 | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 272 | 60.0 | 66 | 13 | 27 | 5 | 6 | 55 | 3 | 0 | 42 | 39 | 5.85 | 1.55 | |
1996 | 近鉄 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 124 | 31.0 | 30 | 3 | 6 | 1 | 1 | 23 | 0 | 0 | 8 | 8 | 2.32 | 1.16 |
1997 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 86 | 19.1 | 19 | 3 | 8 | 0 | 3 | 13 | 2 | 0 | 13 | 11 | 5.12 | 1.40 | |
通算:20年 | 550 | 106 | 35 | 5 | 1 | 71 | 62 | 30 | -- | .534 | 6099 | 1422.0 | 1391 | 227 | 564 | 41 | 50 | 847 | 28 | 0 | 735 | 683 | 4.32 | 1.37 |
- 表中の太字はリーグ最高
背番号
- 16 (1977年 - 1988年途中)
- 48 (1988年途中 - 1996年途中)
- 6 (1996年途中 - 1997年)
- 80 (1998年 - 2004年)
- 84 (2005年 - 2011年、2016年 - 2020年)
- 88 (2013年 - 2015年)
脚注
- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ a b c d e f g 週刊ベースボールONLINE プロ野球1980年代の名選手 久保康生 近鉄、阪神で“細く長く”投げ続けた鉄腕/プロ野球1980年代の名選手
- ^ 来季のコーチ契約について
- ^ 2018年コーチングスタッフについて
- ^ コーチングスタッフの退団について
- ^ a b ソフトバンク久保2軍投手コーチ退団へ 岩隈、大塚、メッセ育てた名伯楽 鷹では高橋純、大竹ら後押し
- ^ プロ野球選手写真名鑑 2016年 (NIKKAN SPORTS GRAPH) 、日刊スポーツ出版社、121頁
- ^ 阪神・メッセ、“恩人”久保2軍投手チーフCと4年ぶりに再会 サンケイスポーツ
- ^ コーチの退団について 阪神タイガース公式サイト、2011年10月25日。
- ^ 【阪神】久保2軍投手コーチ就任 日刊スポーツ、2012年10月16日。
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ 【千葉ロッテレジェンドシリーズ】レロン・リー トークショー
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 久保康生 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 84 久保 康生 選手名鑑 - 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト