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'''教育評議会'''(きょういくひょうぎかい)は、[[1921年]]に公布された教育評議会官制([[大正]]10年7月9日勅令第309号)に基づき[[文部省]]に設置され、[[文部大臣]]の監督のもとその諮詢に応じて教育に関する重要事項を調査審議することを所掌事務とした[[行政機関|諮問機関]]。[[臨時教育委員会]]に代わり設置された<ref>『学制百年史』539頁。</ref>。[[1924年]]4月に廃止<ref>「臨時財政経済調査会官制外八件廃止ノ件」大正13年4月18日勅令第90号。</ref>。 |
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単科大学設置、実業専門学校専攻科などの諮詢について審議を行った<ref>『学制百年史』540頁。</ref>。 |
単科大学設置、実業専門学校専攻科などの諮詢について審議を行った<ref>『学制百年史』540頁。</ref>。 |
2020年12月30日 (水) 09:29時点における版
教育評議会(きょういくひょうぎかい)は、1921年に公布された教育評議会官制(大正10年7月9日勅令第309号)に基づき文部省に設置され、文部大臣の監督のもとその諮詢に応じて教育に関する重要事項を調査審議することを所掌事務とした諮問機関。臨時教育委員会に代わり設置された[1]。1924年4月に廃止[2]。
単科大学設置、実業専門学校専攻科などの諮詢について審議を行った[3]。
諮詢・答申内容
1921年度
1921年度は次の9件の諮詢を受け、二つに分けて審議された[4]。
- 一
- 二
- 1922年2月17日に次のとおり可決された[6]。
- 東京高等工業学校、大阪高等工業学校、神戸高等商業学校ノ組織変更ノ件 ⇒ 次の条件を付して大学設置を可決。新設大学は各応用を主とする特色を発揮するよう努める事、専門学校卒業者に高等学校卒業者と同等の入学資格を認めること。
- 東京及広島ニ文理科ヲ内容トスル単科大学ヲ設置スルコト ⇒ 次の条件を付して大学設置を可決。高等師範学校専攻科を文理科大学の組織に改め高師をその附属として存続する事、教育者のために必要な特殊の教育を施す事、高師卒業者に高等学校卒業者と同等の入学資格を認めること。
- 専門学校ノ入学資格ヲ中学校第四学年修了程度ヲ四年トスルコト ⇒ 否決
- 専門学校卒業者及之ニ準スヘキ者ニ学士号授与ノ件 ⇒ 否決
- 官立専門学校卒業後特殊研究ヲナス者ノ為ニ専攻科(二年以内)ヲ設クルコト ⇒ 可決
- 東京外国語学校ノ修業年限ヲ五年トスルコトニ関スル件 ⇒ 五年を四年に修正して可決。
- 官立歯科医学専門学校修業年限五箇年ヲ設置スル件[7] ⇒ 五年を四年に修正して可決。
1922年度
- 龍谷大学設立認可ノ件 ⇒ 1922年5月2日に可決[9]。
- 大谷大学設立認可ノ件 ⇒ 同上
- 立教大学設立認可ノ件 ⇒ 同上
- 熊本医科大学設立認可ノ件 ⇒ 同上
- 専修大学設立認可ノ件 ⇒ 同上
- 立命館大学設立認可ノ件 ⇒ 1922年5月23日に可決[10]。
- 関西大学設立認可ノ件 ⇒ 同上
- 東洋協会大学設立認可ノ件 ⇒ 同上
- 盲唖教育令ニ関スル件 ⇒ 1922年12月7日に原案通り可決[11]。
1923年度
- 義務教育年限延長実施ニ関スル件 ⇒ 審議未了
構成委員等
※1921年7月9日任命[13]
委員の追加・交代
- 横田千之助 → 馬場鍈一(1922.4.8[17])
- 小笠原長幹 → 松平頼寿(1922.9.16[15])
- 神野勝之助 → 西野元(1922.9.16[15])
- 小橋一太 → 川村竹治(1922.9.16[15])→ 堀田貢(1922.12.5[18])→ 井上孝哉(1923.7.16[19])
- 田中隆三 → 岡本英太郎(1922.9.16[15])
- 吉植庄一郎 → 北里柴三郎(1922.9.16[15])
- 赤司鷹一郎(1922.9.16[15])
- 内田嘉吉 → 辞任(1922.10.14[20])
- 江木千之(1922.10.14[20])
- 和田彦次郎(1922.10.14[20])
- 宮田光雄(1922.10.14[20])
- 三宅米吉(1922.10.14[20])
- 黒田清輝(1922.10.14[20])
- 田所美治(1922.10.14[20])
- 福原鐐二郎(1922.10.14[20])
- 若尾璋八(1922.10.14[20])
- 佐野善作(1923.7.16[19])
- 野村益三(1923.7.16[19])
- 林毅陸(1923.7.16[19])
- 福原俊丸(1923.7.16[19])
脚注
- ^ 『学制百年史』539頁。
- ^ 「臨時財政経済調査会官制外八件廃止ノ件」大正13年4月18日勅令第90号。
- ^ 『学制百年史』540頁。
- ^ 『日本帝国文部省第四十九年報 上巻』297頁。
- ^ 『東京朝日新聞』1921年9月21日夕刊、1面。
- ^ 『東京朝日新聞』1922年2月18日朝刊、2面。
- ^ 『東京朝日新聞』1921年10月14日朝刊、3面。
- ^ 『日本帝国文部省第五十年報 上巻』300頁。
- ^ a b 『東京朝日新聞』1922年5月3日朝刊、3面。
- ^ a b 『東京朝日新聞』1922年5月24日朝刊、2面。
- ^ 『東京朝日新聞』1922年12月8日朝刊、3面。
- ^ 『日本帝国文部省第五十一年報 上巻』349頁。
- ^ 『官報』第2683号、大正10年7月11日。
- ^ 『官報』第2894号、大正11年3月29日。
- ^ a b c d e f g h 『官報』第3040号、大正11年9月18日。
- ^ a b 『官報』第2950号、大正11年6月3日。
- ^ 『官報』第2903号、大正11年4月10日。
- ^ 『官報』第3105号、大正11年12月6日。
- ^ a b c d e 『官報』第3289号、大正12年7月17日。
- ^ a b c d e f g h i 『官報』第3064号、大正11年10月16日。
参考文献
- 山本正身『日本教育史』慶應義塾大学出版会、2014年。ISBN 978-4-7664-2131-6。
- 『学制百年史』文部省、1972年。
- 『日本帝国文部省第四十九年報 上巻』文部大臣官房文書課、1925年。
- 『日本帝国文部省第五十年報 上巻』文部大臣官房文書課、1926年。
- 『日本帝国文部省第五十一年報 上巻』文部大臣官房文書課、1927年。
- 『学制に関する諸調査会の審議経過』文部省教育調査部、1937年。