福原俊丸
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福原 俊丸 ふくばら としまる | |
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貴族院男爵議員・福原俊丸 | |
生年月日 | 1876年8月18日 |
没年月日 | 1959年2月1日(82歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
称号 |
男爵 勲三等瑞宝章 正三位 |
配偶者 | 福原つる |
子女 |
長男・福原俊一郎 長女・山田博子 次男・福原仰治 次女・福原香代 養子・福原元宏 |
選挙区 | (男爵議員) |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1914年3月12日 - 1939年7月9日 |
福原 俊丸(ふくばら としまる、1876年〈明治9年〉8月18日[1] - 1959年〈昭和34年〉2月1日[2])は、日本の華族(男爵)。貴族院議員。旧宇部領主福原家第27代当主。
経歴
[編集]- 明治34年(1901年) - 帝国大学機械工学科卒[3]
- 京都帝国大学理工科 講師[2][3]
- 東京砲兵工廠傭員[4]
- 大蔵省臨時建築部技師[4]
- 明治39年(1906年)9月6日 - 大蔵省臨時建築部第一課勤務[5]
- 明治44年(1911年)7月3日 - 大蔵省臨時建築部横浜支部兼務[6]
- 大正3年(1914年)3月12日 - 貴族院議員補欠選挙当選[7]
- 大正7年(1918年)7月9日 - 貴族院議員 任期満了[8]
- 大正14年(1925年)7月9日 - 貴族院議員 任期満了[9]
- 昭和17年(1942年)7月11日 - 隠居[10]
栄典
[編集]- 1900年(明治33年)5月9日 - 男爵[10][11]
- 1912年(大正元年)12月18日 - 勲五等瑞宝章[12]
- 1916年(大正5年)4月1日 - 勲四等瑞宝章[13]
- 1921年(大正10年)7月1日 - 正四位[14]
- 1924年(大正13年)5月31日 - 勲三等瑞宝章[15]
- 1940年(昭和15年)8月1日 - 正三位[16]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.440
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』82頁。
- ^ a b 『現代名士人格と修養』p199
- ^ a b 『働き盛りの男』p261
- ^ 『官報』第6959号「叙任及辞令」1906年9月7日。
- ^ 『官報』第8409号「叙任及辞令」1911年7月4日。
- ^ 『官報』第485号「帝国議会 貴族院 男爵議員当選、1914年3月13日。
- ^ a b 『帝国議会会議録』第41回帝国議会 貴族院 議員の異動
- ^ a b 『帝国議会会議録』第51回帝国議会 貴族院 議員異動
- ^ a b 『官報』第4670号「彙報 有爵者隠居」1942年8月4日。
- ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。
- ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
- ^ 『帝国議会会議録』第38回帝国議会 貴族院 議員の異動
- ^ 『帝国議会会議録』第45回帝国議会 貴族院 議員異動
- ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
- ^ 『官報』第4081号「叙任及辞令」1940年08月13日。
参考文献
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 福原家(本家)初代 1900年 - 1942年 |
次代 福原元宏 |