「内田康宏」の版間の差分
Evelyn-rose (会話 | 投稿記録) |
m Bot作業依頼: 国民民主党関連のカテゴリ等の改名に伴う修正依頼 (国民民主党 (日本 2018)) - log |
||
125行目: | 125行目: | ||
2019年(令和元年)8月8日、元衆議院議員の[[中根康浩]]が翌年実施予定の岡崎市長選挙に立候補する意向を固めたことが報道により明らかとなった<ref>『中日新聞』2019年8月8日付朝刊、11版、26面、「来年10月の岡崎市長選 中根前衆院議員 出馬意向」。</ref>。同年12月4日、内田は3選に向けて出馬を表明<ref>{{cite web |url= https://ssp.kaigiroku.net/tenant/okazaki/SpMinuteView.html?power_user=false&tenant_id=194&council_id=776&schedule_id=4&view_years=2019 | title= 岡崎市議会 令和元年12月 定例会 12月04日-16号 | publisher= 岡崎市会議録検索システム | date= | accessdate = 2020-10-31}}</ref>。 |
2019年(令和元年)8月8日、元衆議院議員の[[中根康浩]]が翌年実施予定の岡崎市長選挙に立候補する意向を固めたことが報道により明らかとなった<ref>『中日新聞』2019年8月8日付朝刊、11版、26面、「来年10月の岡崎市長選 中根前衆院議員 出馬意向」。</ref>。同年12月4日、内田は3選に向けて出馬を表明<ref>{{cite web |url= https://ssp.kaigiroku.net/tenant/okazaki/SpMinuteView.html?power_user=false&tenant_id=194&council_id=776&schedule_id=4&view_years=2019 | title= 岡崎市議会 令和元年12月 定例会 12月04日-16号 | publisher= 岡崎市会議録検索システム | date= | accessdate = 2020-10-31}}</ref>。 |
||
2020年(令和2年)4月14日、[[日本労働組合総連合会|連合]]愛知三河中地域協議会は内田の推薦を決定<ref>『中日新聞』2020年4月15日付朝刊、西三河版、12面、「岡崎市長選 現職を推薦 連合愛知三河中地域協」。</ref>。6月7日、旧[[国民民主党 (日本 2018 |
2020年(令和2年)4月14日、[[日本労働組合総連合会|連合]]愛知三河中地域協議会は内田の推薦を決定<ref>『中日新聞』2020年4月15日付朝刊、西三河版、12面、「岡崎市長選 現職を推薦 連合愛知三河中地域協」。</ref>。6月7日、旧[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]は中根との旧来の関係からバランスを取って自主投票を決めるが<ref>『中日新聞』2020年6月8日付朝刊、県内版、12面、「古川代表を再選 国民民主県連大会」。</ref>、自民党・公明党・旧[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]は、[[あいち三河農業協同組合|JAあいち三河]]ほか業界団体の後押しの強い内田に対し次々と推薦を出した<ref>『朝日新聞』2020年10月19日付朝刊、14版、三河、17面、「岡崎市長に中根氏 初当選 現職3選阻む」。</ref>。 |
||
同年夏から政局は野党再編を中心に回り、9月11日、[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]の結党に合流しなかった旧国民民主党の議員により新「[[国民民主党 (日本 2020-)|国民民主党]]」が設立された<ref>{{cite news |author= |url= https://www.sankei.com/politics/news/200911/plt2009110058-n1.html | title= 新「国民民主党」は玉木代表が「続投」 | newspaper= 産経新聞 | date= 2020-9-11 | accessdate = 2020-10-31 }}</ref>。この後内田は、旧党時代に一旦自主投票を決めた国民民主党からも推薦を受ける。「オール岡崎」と言われた現職陣営に対し<ref>『朝日新聞』2020年10月20日付朝刊、14版、三河、25面、「5万円支給『12月25日までに』 岡崎市長に中根氏当選」。</ref>、中根が頼みにするのは[[日本共産党]]の自主支援と通算10年にわたる国会議員のキャリアのみであり<ref name="akahata20201020">{{Cite news |title=愛知・岡崎市長に中根氏 初当選 大差で現職破る 共産党が自主支援 |newspaper=しんぶん赤旗 |date=2020-10-20 |author= |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-10-20/2020102004_03_1.html |accessdate=2020-10-26}}</ref>、かたくなな反共主義者である内田にとって「負ける」という可能性は何ひとつとしてないように思われた<ref name="chunichi20201020">鎌田旭昇、戸川祐馬、伊藤隆平「『5万円給付』で当選 波紋 岡崎市長選 新人が現職に大差 『秘密兵器』か『ばらまき』か」 『中日新聞』2020年10月20日、11版、24面。</ref><ref>{{cite web |url= https://ssp.kaigiroku.net/tenant/okazaki/SpMinuteView.html?power_user=false&tenant_id=194&council_id=776&schedule_id=5&view_years=2019 | title= 岡崎市議会 令和元年12月 定例会 12月05日-17号 | publisher= 岡崎市会議録検索システム | date= | accessdate = 2020-10-31}}</ref>。 |
同年夏から政局は野党再編を中心に回り、9月11日、[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]の結党に合流しなかった旧国民民主党の議員により新「[[国民民主党 (日本 2020-)|国民民主党]]」が設立された<ref>{{cite news |author= |url= https://www.sankei.com/politics/news/200911/plt2009110058-n1.html | title= 新「国民民主党」は玉木代表が「続投」 | newspaper= 産経新聞 | date= 2020-9-11 | accessdate = 2020-10-31 }}</ref>。この後内田は、旧党時代に一旦自主投票を決めた国民民主党からも推薦を受ける。「オール岡崎」と言われた現職陣営に対し<ref>『朝日新聞』2020年10月20日付朝刊、14版、三河、25面、「5万円支給『12月25日までに』 岡崎市長に中根氏当選」。</ref>、中根が頼みにするのは[[日本共産党]]の自主支援と通算10年にわたる国会議員のキャリアのみであり<ref name="akahata20201020">{{Cite news |title=愛知・岡崎市長に中根氏 初当選 大差で現職破る 共産党が自主支援 |newspaper=しんぶん赤旗 |date=2020-10-20 |author= |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-10-20/2020102004_03_1.html |accessdate=2020-10-26}}</ref>、かたくなな反共主義者である内田にとって「負ける」という可能性は何ひとつとしてないように思われた<ref name="chunichi20201020">鎌田旭昇、戸川祐馬、伊藤隆平「『5万円給付』で当選 波紋 岡崎市長選 新人が現職に大差 『秘密兵器』か『ばらまき』か」 『中日新聞』2020年10月20日、11版、24面。</ref><ref>{{cite web |url= https://ssp.kaigiroku.net/tenant/okazaki/SpMinuteView.html?power_user=false&tenant_id=194&council_id=776&schedule_id=5&view_years=2019 | title= 岡崎市議会 令和元年12月 定例会 12月05日-17号 | publisher= 岡崎市会議録検索システム | date= | accessdate = 2020-10-31}}</ref>。 |
2020年12月25日 (金) 09:17時点における版
内田 康宏 うちだ やすひろ | |
---|---|
ファイル:Yasuhiro-Uchida-Mayor-2012-2.jpg | |
生年月日 | 1952年12月23日(71歳) |
出生地 | 日本 愛知県岡崎市 |
出身校 | 日本大学法学部政治経済学科 |
前職 | 愛知県岡崎市長 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 法学士 |
親族 | 父・内田喜久(岡崎市長) |
公式サイト | 前岡崎市長 内田康宏のホームページ |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2012年10月21日 - 2020年10月20日 |
選挙区 | 岡崎市選挙区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1987年4月30日 - 2012年9月11日 |
内田 康宏(うちだ やすひろ、1952年12月23日 - )は、日本の政治家。
愛知県岡崎市長(2期)、第86代愛知県議会議長、愛知県議会議員(7期)などを歴任した。
経歴
愛知県岡崎市旧康生町生まれ[注 1]。岡崎市立連尺小学校、岡崎市立城北中学校、愛知県立岡崎北高等学校卒業。高校時代は水泳部に所属した。日本大学法学部政治経済学科を卒業後、アメリカ合衆国に渡る。1976年(昭和51年)、インディアナ大学に入学し、政治学を専攻した[2][3]。
1979年(昭和54年)5月、政治評論家の飯島清の紹介により安倍晋太郎衆議院議員の秘書となる[4][注 2]。同年10月の衆院選で安倍の随行役を担ったあと、1980年(昭和55年)からは、ほぼひと月おきに福田派の清和会事務所に詰めた[8][9]。
1980年(昭和55年)2月、「岡崎から代議士を」の掛け声のもと政治団体「明日の岡崎をきずく会」が結成される[10][11]。5月16日、大平正芳首相は内閣不信任決議案可決を受けて衆議院解散を決定。5月19日、「明日の岡崎をきずく会」は内田に旧愛知4区からの出馬を要請[12]。翌5月20日、正式に出馬表明[13]。
旧愛知4区には1946年(昭和21年)から当選11回を数える福田派長老格の中野四郎がいた。安倍晋太郎は千代田区永田町の山王グランドビル9階の事務所から岡崎に電話した。「もう一度考え直せませんか」と、内田を擁立した父親の内田喜久市長の説得にかかった[14]。仲谷義明愛知県知事も「今からでも遅くはない。今度だけは見送りなさい」と喜久をなだめる。しかし返事は「全部動き出しております。もう止めることも、戻ることもできません」の一点張りだった。仲谷は執拗に接触を続け、今度は自宅に電話をかけると喜久の妻、美恵子が出た。「奥さん、大変なことが待ち受けています。やめるなら今です。自民党が大変な雰囲気になっていますから」。果たして内田陣営は仲谷の予言どおりの事態となるが、美恵子には「大変なこと」の意味は測りかねた[14]。
岡崎市内に本拠を置けない自民党の中野四郎、稲垣実男、浦野烋興は形の上だけでも「三派連合」を組み、無所属の内田に対抗した[15][16]。6月22日に総選挙は行われ、4位当選の稲垣に1万4千余票の大差をつけられ落選[17]。地盤の岡崎市で総得票数の約41%しか獲得できなかったことが票差に影響した[18]。
愛知県議会議員へ
愛知県議会・岡崎市選挙区は六ツ美町編入に伴い、1963年(昭和38年)から定数が3から4に増えた。それ以後自民党はほとんどの選挙で3議席を確保し続けてきたが、1983年(昭和58年)の選挙で当選を果たしたのは現職の柴田尚道のみであった。1985年(昭和60年)10月21日、中野四郎衆議院議員が在職中に死去すると[19]、熾烈な後継者争いが起こる。弁護士の杉浦正健が1986年(昭和61年)3月に内定を受け[20]、同年7月の総選挙で初当選。31年ぶりに岡崎から自民党代議士が誕生した。党岡崎市支部はその余勢を駆って、翌年の県議選に向けて、3議席奪還を目論む。
ところが現職の柴田尚道のほか、前市議の柴田紘一、前市議の青山秋男[注 3]、内田らが公認を求めたことから議論が紛糾。党支部では公認は3人にしぼるべきだという意見が多勢を占めたが、調整しきれず県連に一任。県連は一次公認の柴田尚道に新人3人を加え、定数いっぱいの4人を公認することで問題に決着をつけた[28][29]。その背景には岡崎の票田をめぐる代議士たちの強い思惑があった。杉浦正健は表向き4候補を推薦したものの、柴田尚道と柴田紘一は杉浦派に属し、青山の後援会幹部は稲垣実男派に属していた。浦野烋興は岡崎での地盤を維持することを狙いに内田に推薦を出した。
1987年(昭和62年)4月12日、愛知県議会議員選挙執行。投票率は58.75%[30]。
候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
小見山徹之助 | 当 | 48 | 民社党 | 現 | 24,986票 |
八田広子 | 当 | 41 | 日本共産党 | 新 | 19,493票 |
内田康宏 | 当 | 34 | 自由民主党 | 新 | 18,167票 |
柴田紘一 | 当 | 46 | 自由民主党 | 新 | 17,718票 |
柴田尚道 | 落 | 52 | 自由民主党 | 現 | 17,124票 |
青山秋男 | 落 | 40 | 自由民主党 | 新 | 16,310票 |
売上税導入反対を訴えた日本共産党の八田広子は初出馬ながら得票数2位で当選。名古屋市緑区では社会党の中村友美が、豊橋市では同じく社会党の柏熊光代が初当選し、12年ぶりに女性県議が誕生した[30]。内田は続く3位で初当選。3期目の柴田尚道は党岡崎市支部長の要職にあったが、選挙期間中に病にかかったことが痛手となり[31]、4位当選の柴田紘一に594票差で敗れた[30]。最下位で落選した青山は1991年(平成3年)の県議選で初当選した[32]。
2003年(平成15年)10月14日、愛知県議会副議長の近藤浩が衆院選に出馬するため県議を辞職[33]。その後を受けて同年11月28日、副議長に就任[34]。2006年(平成18年)5月26日、第86代議長に就任した[35]。2011年(平成23年)、7期目の当選を果たす。
2012年岡崎市長選挙
2012年(平成24年)4月26日、任期満了に伴う市長選に立候補する意向を表明した[36]。6月1日、現職の柴田紘一は不出馬を表明。柴田は同日行われた記者会見で「後継者は決めない」と明言するも[37]、その頃にはすでに大村秀章愛知県知事に働きかけ、日本一愛知の会の園山康男県議の擁立に動いていた[38]。7月20日、園山は正式に出馬を表明[39]。柴田市長は8月4日の岡崎観光夏まつり花火大会の開会挨拶で大村知事と園山を壇上に上げ、候補者の背後にあるものが何であるかを市民に知らしめた。そして8月6日、記者会見を開き園山支持を明らかにした[40]。
民主党もこれらの動きに同調。党県連代表の中根康浩の父親の中根薫市議[注 4]は9月4日、市議会定例会の一般質問で「一点の落ち度もないくらい、私どもが柴田市政に物申すことなど全く見当たらなかった」と持ち上げたあと、柴田に真意を尋ねた[注 5]。柴田市長は「この方ならば、きっと間違いない道を歩んでくれると感じ、推薦をした」と答弁。さらに内田陣営を「正常な姿ではない」と痛罵した[50]。岡崎市議会自民党系会派の15名の市議のうち中根勝美、蜂須賀喜久好、山崎泰信、永田寛ら4名は、公然と園山を支持した[53]。9月11日、内田は県議を辞職[54]。10月9日、公明党は園山の支持を決定[55]。
同年10月14日、岡崎市長選挙が告示される。内田は自民党の推薦を受けて無所属で立候補。園山は公明党の支持と連合愛知の推薦のほか[56]、大村秀章知事と柴田紘一前市長、前述の市議4名、中根康浩らの支援を受けて立候補[57][58]。園山の妻の実家が三河地方の有力な産業廃棄物処理業者であったため、経済界でもその多くが園山支持に回った。10月21日投開票。劣勢が伝えられる中、内田が接戦の末に初当選を果たした[59][60][61]。この日は市議選、両候補者の辞職に伴う県議補選もあり、岡崎市にとって戦後初のトリプル選挙となった[62]。
※当日有権者数:291,200人 最終投票率:57.81%(前回比:-1.24pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
内田康宏 | 59 | 無所属 | 新 | 87,269票 | 54.52% | (推薦)自由民主党 |
園山康男 | 47 | 無所属 | 新 | 72,801票 | 45.48% | (支持)公明党 (推薦)連合愛知 |
2016年岡崎市長選挙
2016年(平成28年)4月11日、市水道労働組合執行委員長などを務めた元市職員の横山浩一が同年の市長選に立候補する意向を表明[63][64]。市長選は10月16日に行われ、自民党・民進党・公明党の推薦を受けた内田が再選を果たした。組織の後ろ盾が一切なく、市役所内でも傍流にいた新人候補が46,000票も獲得した理由を直視することは陣営の間で忌避された[65]。
※当日有権者数:304,727人 最終投票率:54.7%(前回比:-3.11pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
内田康宏 | 63 | 無所属 | 新 | 115,215票 | 71.27% | (推薦)自由民主党・民進党・公明党 |
横山浩一 | 58 | 無所属 | 新 | 46,446票 | 28.73% |
2020年岡崎市長選挙
2019年(令和元年)8月8日、元衆議院議員の中根康浩が翌年実施予定の岡崎市長選挙に立候補する意向を固めたことが報道により明らかとなった[66]。同年12月4日、内田は3選に向けて出馬を表明[67]。
2020年(令和2年)4月14日、連合愛知三河中地域協議会は内田の推薦を決定[68]。6月7日、旧国民民主党は中根との旧来の関係からバランスを取って自主投票を決めるが[69]、自民党・公明党・旧立憲民主党は、JAあいち三河ほか業界団体の後押しの強い内田に対し次々と推薦を出した[70]。
同年夏から政局は野党再編を中心に回り、9月11日、立憲民主党の結党に合流しなかった旧国民民主党の議員により新「国民民主党」が設立された[71]。この後内田は、旧党時代に一旦自主投票を決めた国民民主党からも推薦を受ける。「オール岡崎」と言われた現職陣営に対し[72]、中根が頼みにするのは日本共産党の自主支援と通算10年にわたる国会議員のキャリアのみであり[73]、かたくなな反共主義者である内田にとって「負ける」という可能性は何ひとつとしてないように思われた[74][75]。
情勢が一変したのは、告示5日前の10月6日だった。中根は突然「年内に全市民へ5万円を給付する」と訴え[76]、公約を追加した大量のパンフレットを各戸に配布し始めた。内田陣営に反論の準備を与えないための、告示直前まで温めてきた奇策であった[74]。岡崎市の人口は10月1日時点で約38万6千人。1人当り5万円を配ると、総額は193億円を超える[77]。中根は財源を「財政調整基金などさまざまな基金を取り崩す」と説明。これに対し市の財務担当者から「災害が起きたときの緊急支出や、小中学校など公共施設を長寿命化させる改修工事ができなくなる。正気の沙汰とは思えない」との声が上がるが[74]、5万円給付のキャンペーンは市民を大きく巻き込み、投開票日の10月18日、中根が3万2千票余りの大差で内田を破り初当選した[78]。
※当日有権者数:307,734人 最終投票率:57.25%(前回比:+2.55pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
中根康浩 | 58 | 無所属 | 新 | 103,080.948票 | 59.4% | (自主支援)日本共産党[73] |
内田康宏 | 67 | 無所属 | 現 | 70,469.051票 | 40.6% | (推薦)自由民主党・立憲民主党・公明党・国民民主党・連合愛知 |
岡崎市長として
- 2012年
- 10月21日 - 市長就任。
- 2013年
- 4月1日 - 官民連携組織である「岡崎活性化本部」を岡崎商工会議所内に設置[83][84]。
- 7月25日 - 第1回市民対話集会を開催。以後2014年11月までの間に、19回にわたって市内47学区の市民との対話集会を行った。
- 12月20日 - 新築か改修かで議論になっていた岡崎市民会館の老朽化対策について、改修で行くことを決定した。この決定は前市長時代に着手されていた移転・新築計画[85]を白紙撤回するもので、内田の選挙公約でもあった[86]。
- 2014年
- 5月29日 - 学校法人藤田学園と「大学病院の建設に関する協定」を結んだ。内容は24時間救急医療に対応できる大学病院を市内針崎町に建設するというもので、2020年4月開院を目指す[87]。
- 8月28日 - 乙川周辺の大規模な整備計画(乙川リバーフロント地区整備計画)を発表[注 6]。東岡崎駅前のペデストリアンデッキの建設、幅員17メートルの人道橋の架設、中央緑道と籠田公園の整備、乙川河川敷の整備、徳川家康の銅像の設置などを主な内容とする。2015年度からの5年間で完成する予定[95][96]。
- 11月25日 - 2年後に迎える市制施行100周年を記念した事業「新世紀岡崎 飛躍祭」の概要を発表した。市内の法人や学生団体が実施する事業100件(上限)に対して計1億円の補助金を市が支給する「新世紀岡崎チャレンジ100」など、様々な新規事業が含まれている[97]。
- 2015年
- 3月29日 - 篤志家から寄贈された恐竜のモニュメント5体すべてが東公園に設置された[98]。寄付額は約1億円。市の新たな観光スポットとなることが見込まれる[注 7]。
- 3月30日 - 岡崎市の進める計画「乙川リバーフロント地区かわまちづくり」が、国土交通省の「かわまちづくり支援制度」の登録認定を受ける。愛知県管理の河川では初めての登録となった[102][103]。
- 8月22日 - 市の観光プロモーションのため吉本新喜劇に岡崎市長役で出演。岡崎市を舞台とした現代劇が8月18日から1週間にわたってなんばグランド花月で上演され、内田は期間中の22日に出演した[104]。
- 11月15日 - 「岡崎さくら100年プロジェクト」の桜の植樹がスタート。寄付で集まった桜の苗木1,154本を2016年3月末までに市内全域の22箇所に植える。新たに植樹するのは、ジンダイアケボノや八重紅枝垂などソメイヨシノ以外の7品種[105]。
- 2016年
- 2月26日 - JR岡崎駅東口ロータリーの南で空き地となっている11,000平方メートルの市有地に民間資本を導入し、再開発の拠点とする計画を発表した。開発事業者には8,000平方メートルを貸し、残りの3,000平方メートルについては市が新たに公園を整備する[106][注 8]。
- 5月23日 - 歴史まちづくり法に基づく市の歴史的風致維持向上計画が国から認定されたことを受けて、同計画の概要を発表した。岡崎城下・東海道地区と滝山寺地区を計画の重点区域とした。また、徳川宗家18代当主の徳川恒孝に名誉顧問を委嘱した[111]。
- 10月16日 - 岡崎市長選挙。再選。
- 2017年
- 2018年
- 3月30日 - 乙川リバーフロント地区内の回遊性を生み出す公民連携事業「QURUWA戦略」[113]が評価を受け、岡崎市は国土交通省と内閣府による「地方再生のモデル都市」に選ばれた[114][115][116]。QURUWA戦略の総事業費46億2,000万円のうち、約半額が国からの交付金で賄われる見込み[117]。
- 3月31日 - 愛知県と岡崎市は愛知県がんセンター愛知病院の経営を2019年4月から岡崎市民病院に移管することで基本合意し、その覚書を交わした[118]。愛知病院の土地と建物は県が市に10年間、無償で貸与し、市民病院の結核病棟の整備費も県が負担する[119]。内田は会見で「市民病院と愛知病院は距離が近く、がん診療で競合している部分があった。競合する機能を再編すれば、財政面の効果に加え、地域医療の充実にもつながる」と述べた[120][121]。
- 7月31日 - 市内の公立小学校47校と公立中学校20校の普通教室に約30億円を投じて業務用エアコンを設置すると発表[122]。
- 8月20日 - 小中学校のエアコン設置完了時期を当初予定していた2020年6月から前倒しすると明らかにした。小学校の普通教室と特別教室と中学校の特別支援学級など1212教室については2019年6月までに、中学校の普通教室と特別教室など567教室については2019年12月までに完了する予定(その後さらに前倒しされ、中学校の普通・特別教室も2019年6月までに設置された)。PFI方式で事業を実施する[123]。
- 11月19日 - 東阿知和町、西阿知和町、真福寺町の3町にまたがって造成が計画されている「阿知和地区工業団地」の整備事業につき、事業主体を愛知県企業庁から市に移すと発表した。これにより、東名高速道路の「(仮称)岡崎阿知和スマートインターチェンジ」の設置に向けた調整が容易になる予定[124][125]。
- 2019年
- 7月26日 - 籠田公園がリニューアルオープン[126]。
- 11月2日 - 東岡崎駅前のペデストリアンデッキが供用開始。同時に日本最大級の徳川家康の銅像が完成[127][128]。ペデストリアンデッキにより駅に直結する複合商業施設「オト リバーサイドテラス」もオープンした[129]。
- 2020年
- 1月30日 - 2022年度までに全小中学生に一人1台のタブレット端末を整備すると発表した。3年間で市内の小中学生と教員分の計約3万5,500台を購入。国が費用の3分の2を負担する。また、2021年3月末までに全教室にWi-Fiを導入する予定[130]。
- 3月9日 - 岡崎市は中部電力、東邦ガス、NTTファシリティーズなどと共同で、地域電力小売会社「株式会社岡崎さくら電力」を設立した。自治体出資による電力会社の設立は県内初。市のゴミ焼却施設で発電した電力を買い取り、市の関連施設に供給する。電力の地産地消を促し、CO2削減につなげる[131][132][133]。
- 4月7日 - 藤田医科大学岡崎医療センターが開院[134]。
- 4月23日 - 新型コロナウイルス感染症拡大の緊急対策として様々な支援策を5月の市議会臨時会に提出すると発表した。小中学校・公私立保育園・こども園・私立幼稚園の給食費を9月まで無償化。総額約7億3千万円を市が負担する。休業要請等に応じた事業者に支給される県発表の「新型コロナウイルス感染症対策協力金」の市負担分として約10億円を計上。また市独自の政策として、支給対象から外れた事業者に25万円を支給。さらに6か月間の水道料金の基本料金の8割を減額し、総額約6億4千万円を市が負担する[135][136][137]。
- 10月15日、岡崎市立愛知病院は岡崎市から愛知県に移管され、新型コロナウイルス感染症の専門病院として再スタートした。病院名は「愛知県立愛知病院」となった[138]。
人物
- 家族は、妻、二男一女。
- 無類の動物好き。幼児期は犬小屋で犬といっしょに寝ていたという。現在、岡崎市動物総合センターから引き取った犬1匹と猫3匹、拾った猫3匹、生まれた猫4匹に囲まれ暮らしている[139][140][141][142]。
- 特に影響を受けた本として、『正法眼蔵』(道元)、『保守本流の思想と行動』(松野頼三)、『左遷の哲学』(伊藤肇)などを挙げている[143]。
- 座右の銘は「我が志によって立ち、我が旗のもとに倒れる、もって悔いなし」[144]。
著書
- 『多岐亡羊』東海愛知新聞社、1994年10月25日。
- 『夢ある新しい岡崎へ』ゆいぽおと、2018年10月29日。ISBN 978-4877584740。
脚注
注釈
- ^ 1957年11月15日、戦後復興事業完成に伴う町名変更が実施された。旧康生町はこのとき康生町、康生通東1・2丁目、康生通西1~4丁目、康生通南1~3丁目に分かれた[1]。
- ^ 飯島清は、1962年の参院選における藤原あき全国区トップ当選の立役者と言われた人物[5]。飯島とともに藤原の選挙参謀に加わったのが、1971年の市長選で内田の父親の内田喜久と争った原嶋亮二であった[6][7]。原嶋は内田喜久の辞職に伴って1980年8月17日に行われた市長選にも立候補するが、前県議の中根鎭夫に敗れた(中根41,423票、原嶋22,909票、田中定雄21,077票、神谷光男1,388票)。
- ^ 青山秋男は、衆議院議員の青山周平の父親。市議2期目の1980年7月14日、衆院選にからみ被買収容疑で逮捕された[21]。1984年春に3年間の公民権停止が解け[22][23][24]、同年10月の市議選で返り咲く[25]。2012年の市長選においては、柴田紘一と大村知事に気兼ねし、内田への支援は及び腰だったと言われている。それが証拠に青山は告示直前の10月5日、初めて内田を地盤の市南部で開かれた自身の集会に招いた[26]。同年12月、息子の青山周平が衆院選に初当選。2015年に政界引退。地盤は市議の新海正春が継いだ[27]。
- ^ 中根薫は、元衆議院議員の中根康浩の父親。1935年3月6日、常磐村大字滝(現・岡崎市滝町)に生まれた[41][42]。1967年の市議選で最下位落選後、1971年の市議選で初当選した。1977年12月25日、自民党の近藤春次県議が心臓麻痺のため任期中に死去[43]。そのあとを狙い、1979年の県議選に内田喜久市長の全面協力を得て立候補。「キク(喜久)かおる(薫)」をキャッチフレーズに選挙を戦い、自民党現職の柴田尚道(中野四郎派)、中根鎭夫(稲垣実男派)を相手にしてトップ当選を果たした[42][44]。
1980年6月の衆院選では党規に背き、無所属の内田康宏の選対委員長を務めた[45]。選挙の終盤、安倍晋太郎の説得を振り切って出馬した内田の周辺に「当選すれば田中派へ」という観測が流れた。田中派代議士のいない旧愛知4区の派閥バランスからすればありえない話ではなかったが、内田は一言のもとに否定した[46]。落選が確定した6月23日、任意出頭した自民クラブの市議11人のうち6人が一斉に逮捕されると、中根と内田は翌6月24日にそろって上京した。砂防会館の田中派の事務所で党県連会長の江崎真澄と会い、在京弁護士の紹介を頼んだ。自民党最大派閥の威光を利用して裏工作する算段であったが、「内田が江崎に駆け込んだ」という情報はすぐに中野四郎らの陣営に伝わった[46]。内田喜久は6月27日に逮捕され、6月30日に辞職[47]。中根は7月10日に買収容疑で逮捕されるも[48]、無実を主張。1983年に再選。最高裁上告棄却を受けて、有罪が確定する前の1985年4月17日に辞職届を提出した。1992年に岡崎市長選に出馬し落選[49]。 - ^ 2012年当時、市議を務めていた中根薫は、同年9月の市議会一般質問でここを先途と柴田紘一市長を褒め称えた。
柴田市長の政治姿勢に感動を覚えたといいますか、目を覚まさせてもらいました。柴田市長は、市政を担当されてより10年を超すころより、さらに円熟の境地に入られ、副市長を初め優秀な部課長に恵まれたのか、自信と決断力を発揮され、一点の落ち度もないくらい、私どもが柴田市政に物申すことなど全く見当たりませんでした。
柴田市長の決断は、無傷のまま、芝居でいえば六方を踏んで花道を引き下がられる見事なものだと、私に感動を与えてくださったものでもあります。
この議場において改めて議員並びに全市民にわかりやすく伝えてください。過去12年間、一点の曇りもなく、市民の生活が第一、市民の幸せが第一、この思いの市民主導型市政を展開されてこられただけに、市民に与えるインパクトは絶大なものがあると信じます[50]。 — 中根薫、2012年9月4日。『岡崎市議会定例会会議録 平成24年9月』。中根は近隣に住む中根武彦を後継者に定め市議選には出馬せず[50][51]、息子の中根康浩とともに園山の応援に回った[52]。中根武彦は2016年の市議選に再選後、自民系会派に入会した。
- ^ 1988年9月、中根鎭夫市長は、東岡崎駅前の商店街と連携する「広い橋」を乙川にかけることによって、山と川に挟まれた東岡崎駅周辺地を活性化させたいと市議会で答弁した。これがいわゆる「乙川リバーフロント構想」の始まりである[88]。中根は1989年8月に姉妹都市ニューポートビーチを親善訪問した際、水辺の遊歩道「リバー・ウォーク」で知られるサンアントニオ市を視察[89]。このときの体験を下敷きにして翌1990年、「リバーフロント構想」と題したコラムを市の広報紙に連載した。
名鉄東岡崎駅を中心に岡崎の表玄関にふさわしい駅前広場と交通体系を構築するため、過去三十年余にわたって様々な検討がされてきた。多くの皆さんから「現在の人口三十万人、そして将来四十・五十万人の岡崎を想定すると、相当広い駅前広場を確保する必要がありますよ」とご教示を頂くが、「決め手となる妙案は」になると具体的な提案がない。駅裏は丘陵地であり、スペース的にも駅前と乙川の間はたったの百メートルしかない。この百メートルの間に必要な駅前広場をむりやりつくったとしたら、全く商店街のない駅前広場になってしまう。(中略)
そこでいろいろ思案しながら、乙川に架かる明代橋を眺め、あの乙川の河川空間は活用出来ないだろうか。もしあの上を利用させてもらえるなら、乙川に人工地盤を架け、この広いフロアーを駅前広場にして、バスターミナルやイベント広場、憩いの広場などに応用することは今の土木技術のうえでは難しいことではない。この新しい広場と駅前とはたったの百メートルしかない。それなら今の駅前道路を二階建てにして、下を車道、上は歩行者専用の動く歩道にしてしまえば、空港ロビーと全く同じ感覚で、人の往来には何ら支障はないだろう。この発想が「東岡崎駅前の乙川リバーフロント構想」である[90][91]。 — 中根鎭夫「リバーフロント構想(1)~(4)」、『市政だより おかざき』1990年5月15日号~7月1日号。建設省都市局の後押しを受け、研究も進む。ところが同省の河川局(現在の国土交通省水管理・国土保全局)が「河川は災害関係に対する防災が第一の目的である」と難色を示したため、1996年を境に岡崎市の施策からリバーフロントの言葉は消えた[92]。殿橋と明代橋の橋上公園化を選挙公約に掲げた内田が2012年に市長に当選したことにより、リバーフロント計画は16年ぶりによみがえった[93][94]。
- ^ 恐竜のモニュメント5体を寄贈した篤志家はその後も2回にわたり東公園に寄付を行っている。2018年3月1日、同じ場所に計1億円相当の恐竜モニュメント1体、恐竜すべり台1基、恐竜ベンチ4基が設置された[99][100]。2019年8月26日、公園内の多目的広場に約5,000万円相当の木製遊具13基が設置された[101]。
- ^ 2017年10月13日、JR岡崎駅東側に結婚式場、レストラン、イベントホール、宿泊用の客室などを備えた複合施設がオープン[107]。2018年3月24日には、市民公募で名称が決まった「出会いの杜公園」が同じく駅東側にオープンした[108]。東口駅前広場で整備中のペデストリアンデッキは2019年10月1日に開通した[109][110]。
出典
- ^ 『新編 岡崎市史 史料 現代 11』新編岡崎市史編さん委員会、1983年6月30日、98頁。
- ^ 略歴と経歴(2011年まで) | 岡崎市長 内田康宏のホームページ
- ^ “インディアナ大学同窓会 in 岡崎”. 内田康宏のブログ (2014年1月22日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ “安倍晋太郎先生墓参”. 内田康宏のブログ (2013年11月27日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ “飯島 清とは”. コトバンク. 2019年6月14日閲覧。
- ^ 佐野美和 (2020年4月19日). “灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(97)”. フォーサイト. 新潮社. 2020年6月2日閲覧。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (23) 中央研修 息子をやっと秘書に 政治評論家に仲介頼む」 『朝日新聞』1980年11月19日付朝刊、三河版西。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (1) 第一議員会館 突然の解散に驚き 内田秘書が最後の務め」 『朝日新聞』1980年10月16日付朝刊、三河版西。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (27) 新年会 ついに中野氏と決裂 協力の約束即座にほご」 『朝日新聞』1980年11月26日付朝刊、三河版西。
- ^ 『中日新聞』1980年6月28日付夕刊、「奇妙な領収書すり替え 内田派違反」。
- ^ 『東海愛知新聞』1980年5月18日、1面、「岡崎から候補者擁立 『きずく会』自民ク確認 波乱含みの衆院選」。
- ^ 『東海愛知新聞』1980年5月20日、1面、「四区は七人の争いか 衆院解散 参院と初の同日選挙」。
- ^ 『東海愛知新聞』1980年5月21日、「内田氏が出馬表明 衆院選挙 『きずく会』の要請で」。
- ^ a b 木村伊量「全容 無謀の構図 (52) 戻れぬ道 出馬断念の説得ける 『もう決定』一点張りで」 『朝日新聞』1981年1月24日付朝刊、三河版西。
- ^ 『朝日新聞』1980年8月18日付朝刊、15面、「新市長ざっくばらん 出直し岡崎 (上)」。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (50) 三派連合 会合、中野氏が膳立て 思惑の違いくっきりと」 『朝日新聞』1981年1月21日付朝刊、三河版西。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (98) 康宏落選 振わなかった『岡崎票』」 『朝日新聞』1981年4月15日付朝刊、三河版西。
- ^ 『新三河タイムス』1980年6月26日、1面、「内田権力市政崩壊へ イモヅル式に逮捕者増 次点・内田」。
- ^ “第103回国会 衆議院 本会議 第7号 昭和60年11月26日”. 国会会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1987年4月25日、東海総合面。
- ^ 『中日新聞』1980年7月15日付朝刊、1面、「逮捕市議半数超す 岡崎 新たに自民クの4人」。
- ^ 『中日新聞』1984年10月17日付朝刊、西三河版、12面、「〝出直し〟の決算 岡崎市議選(中) 確執 〝喪明け〟結束 仁義なき抗争」。
- ^ 『東海愛知新聞』1984年10月16日、「秋の街『お願い』一色 定数44に68人立候補 岡崎市議選 現・元職の争い焦点」。
- ^ 『朝日新聞』1981年6月21日付朝刊、12版、22面、「岡崎落城一年 (上) 夢のあと 去就定まらぬ内田軍団」。
- ^ “岡崎の選挙記録 - 岡崎市議会議員選挙” (PDF). 岡崎市役所. 2020年1月27日閲覧。
- ^ 本井宏人「衆院選組も駆け引き 12区予定者、昨日の敵と応援タッグ 岡崎トリプル選 /愛知県」 『朝日新聞』2012年10月18日付朝刊、名古屋、27面。
- ^ “維新が2議席獲得 県議選 岡崎市・額田郡選挙区 自民 保守地盤守れず 投票率は過去最低を記録”. 東海愛知新聞. (2015年4月13日) 2020年1月29日閲覧。
- ^ 『東海愛知新聞』1987年1月1日、2面、「岡崎は少数激戦模様 西三河の県議選展望 無投票区増えそう」。
- ^ 『中日新聞』1987年4月5日付朝刊、県内版、12面、「県議選激戦区ルポ <上> 岡崎市 自民4人乱立 地盤綱引き、骨肉の闘い」。
- ^ a b c 『東海愛知新聞』1987年4月13日、1面、「県議選 続々勝ち名乗り 八田・内田氏ら当選 岡崎 豊田・東加茂、西尾は現職勝つ」。
- ^ 『毎日新聞』1987年4月13日付朝刊、三河版、13面、「県政の担い手、まず70人 共産が議席死守 岡崎 豊橋 柿原氏〝こげつき〟響く」。
- ^ 『愛知県議会史 第十四巻』愛知県議会、2010年12月10日、266頁。
- ^ “愛知県議会 平成15年11月定例会(第1号) 2003-11-28”. 愛知県議会 会議録の閲覧と検索. 2020年7月26日閲覧。
- ^ “愛知県議会 平成15年11月定例会(第1号) 2003-11-28”. 愛知県議会 会議録の閲覧と検索. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “愛知県議会 平成18年5月臨時会(第1号) 2006-05-26”. 愛知県議会 会議録の閲覧と検索. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “内田県議が出馬表明 無所属で10月の岡崎市長選”. 東海愛知新聞. (2012年4月27日) 2013年12月6日閲覧。
- ^ “柴田紘一市長 4選不出馬を表明 後継者決めず 市政に新しい風”. 東海愛知新聞. (2012年6月2日) 2013年12月6日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2012年10月22日付朝刊、三河C版、18面、「岡崎市長選 『公約一つ一つ実現』 内田さん新市政へ抱負」。
- ^ 『中日新聞』2012年7月21日付朝刊、三河愛知版、21面。
- ^ 『中日新聞』2012年8月7日付朝刊、西三河版、12面、「次期岡崎市長選で園山支持を表明 柴田市長会見」。
- ^ 『中日新聞』1990年4月5日付朝刊、30面、「追跡 票とカネ 第一部、買収の現場から (3) 政争土壌 十年一日のお家騒動」。
- ^ a b 『中日新聞』1980年7月10日付夕刊、1面、「中根薫県議逮捕へ 内田派違反 現金ばらまき共謀も」。
- ^ 『東海愛知新聞』1977年12月27日。
- ^ 『愛知県議会史 第十三巻』愛知県議会、2008年3月15日、249頁。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (80) 山本五十六 軍艦になぞらえ奮起」 『朝日新聞』1981年3月18日付朝刊、三河版西。
- ^ a b 木村伊量「全容 無謀の構図 (100) 失跡の夜 追及逃れの策に腐心」 『朝日新聞』1981年4月17日付朝刊、三河版西。
- ^ “市政だより おかざき No.438” (PDF). 岡崎市役所. pp. 8-9 (1980年12月15日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1980年7月11日、1面、「500万円受領・買収謀議の容疑 中根県議を逮捕」。
- ^ 『東海愛知新聞』1992年7月27日、1面、「中根鎭夫氏、史上初の4選 3新人を大差で破る」。
- ^ a b c “岡崎市議会 平成24年9月 定例会 09月04日-16号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “中根たけひこ後援会(平成27年分~平成29年分 追加分)” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2019年2月25日). 2019年10月13日閲覧。
- ^ 本井宏人「この人に聞きたい 中根薫さん(77)」 『朝日新聞』2012年11月11日。
- ^ 本井宏人「岡崎トリプル選 市長選、混沌 両陣営に心配の種」 『朝日新聞』2012年10月9日付朝刊、三河13版、23面。
- ^ “愛知県議会 平成24年9月定例会(第1号) 2012-09-20”. 愛知県議会 会議録の閲覧と検索. 2020年7月26日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2012年10月10日付朝刊、三河13版、23面、「公明は園山氏 岡崎市長選で支持」。
- ^ 相原亮「足元の敗戦、衆院選に影 岡崎市長選で大村知事 『一枚岩に』自民に追い風」 『朝日新聞』2012年10月23日付朝刊、29面。
- ^ 『朝日新聞』2012年10月17日付朝刊、三河13版、21面、「岡崎市長選 候補者の横顔」。
- ^ 本井宏人「トリプル選 衆院選も便乗 知事も週末ごと岡崎入り」 『朝日新聞』2012年10月18日付朝刊、三河13版、27面。
- ^ “岡崎市長選あす投票 応援大詰め 「第3極」 VS 自民”. 読売新聞. (2012年10月22日)
- ^ “選挙:岡崎市長選/岡崎市議選/県議補選 市長選、内田氏が初当選 保守票手堅く 県議補選は中根、鈴木氏 /愛知”. 毎日新聞. (2012年10月22日)
- ^ “岡崎市長に内田氏初当選 大村知事支援の園山氏破る”. 読売新聞. (2012年10月22日)
- ^ “10月21日 岡崎トリプル選挙 県議補選同日実施”. 東海愛知新聞. (2012年9月13日) 2019年7月31日閲覧。
- ^ “岡崎市長選 元市職員・横山氏出馬へ /愛知”. 毎日新聞. (2016年4月12日) 2020年11月17日閲覧。
- ^ “岡崎市長選/岡崎市議選 告示 市長選、現新が一騎打ち 市議選は56人立候補 /愛知”. 毎日新聞. (2016年10月10日) 2020年11月17日閲覧。
- ^ “岡崎市長選(2016年10月16日)”. 中日新聞. (2020年10月16日) 2020年11月17日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2019年8月8日付朝刊、11版、26面、「来年10月の岡崎市長選 中根前衆院議員 出馬意向」。
- ^ “岡崎市議会 令和元年12月 定例会 12月04日-16号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年10月31日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2020年4月15日付朝刊、西三河版、12面、「岡崎市長選 現職を推薦 連合愛知三河中地域協」。
- ^ 『中日新聞』2020年6月8日付朝刊、県内版、12面、「古川代表を再選 国民民主県連大会」。
- ^ 『朝日新聞』2020年10月19日付朝刊、14版、三河、17面、「岡崎市長に中根氏 初当選 現職3選阻む」。
- ^ “新「国民民主党」は玉木代表が「続投」”. 産経新聞. (2020年9月11日) 2020年10月31日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2020年10月20日付朝刊、14版、三河、25面、「5万円支給『12月25日までに』 岡崎市長に中根氏当選」。
- ^ a b “愛知・岡崎市長に中根氏 初当選 大差で現職破る 共産党が自主支援”. しんぶん赤旗. (2020年10月20日) 2020年10月26日閲覧。
- ^ a b c 鎌田旭昇、戸川祐馬、伊藤隆平「『5万円給付』で当選 波紋 岡崎市長選 新人が現職に大差 『秘密兵器』か『ばらまき』か」 『中日新聞』2020年10月20日、11版、24面。
- ^ “岡崎市議会 令和元年12月 定例会 12月05日-17号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年10月31日閲覧。
- ^ 小川崇 (2020年10月21日). “1人5万円公約、お金どこから? 市長「裏技あるかも」”. 朝日新聞 2020年10月22日閲覧。
- ^ “5万円給付で特命チーム、自身の給与削減も 愛知・岡崎市長”. 日本経済新聞. (2020年10月28日) 2020年11月1日閲覧。
- ^ “愛知・岡崎市長選は元衆院議員の中根氏が初当選”. 中日新聞. (2020年10月18日) 2020年10月19日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成28年3月 定例会 03月01日-02号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年8月14日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成27年9月 定例会 08月31日-14号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年8月14日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成27年9月 定例会 09月01日-15号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年8月14日閲覧。
- ^ “乙川リバーフロントQURUWA戦略地区整備計画”. 岡崎市役所 (2019年2月22日). 2019年7月10日閲覧。
- ^ “岡崎活性化本部 概要発表 観光・文化・経済官民連携で振興”. 東海愛知新聞. (2013年5月10日) 2014年7月21日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成24年12月 定例会 12月05日-22号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年8月2日閲覧。
- ^ 『岡崎市新文化会館整備基本構想』 岡崎市、2009年3月。
- ^ 『中日新聞』2013年12月21日付朝刊、西三河版、20面、「岡崎市民会館の改修決定 市長発表 15年秋に着工、22億円」。
- ^ 竹内雅紀 (2014年5月30日). “南部に大学病院建設へ 岡崎市 藤田学園と協定を締結 平成32年4月開院予定”. 東海愛知新聞 2014年11月29日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 昭和63年9月 定例会 09月05日-13号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 中根鎭夫「リバーフロント開発―サンアントニオ市に見る―」『岡崎文化』第13号、岡崎文化協会、1990年7月25日、173-180頁。
- ^ “市政だより おかざき No.664” (PDF). 岡崎市役所. p. 11 (1990年5月15日). 2020年7月18日閲覧。
- ^ “市政だより おかざき No.665” (PDF). 岡崎市役所. p. 11 (1990年6月1日). 2020年7月18日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成8年3月 定例会 03月04日-02号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成24年12月 定例会 12月05日-22号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “岡崎市長選挙公開討論会 2”. 内田康宏のブログ (2012年10月10日). 2020年3月26日閲覧。
- ^ “愛知)岡崎市がリバーフロント計画を正式発表”. 朝日新聞. (2014年8月30日) 2014年11月29日閲覧。
- ^ 竹内雅紀 (2014年8月29日). “乙川リバーフロント整備計画概要発表 総事業費約100億円 岡崎市 人道橋は29年度完成予定”. 東海愛知新聞 2019年5月19日閲覧。
- ^ 佐藤浩太郎「『100年祭』など73事業 岡崎市 飛躍祭の概要決まる」 『中日新聞』2014年11月26日付朝刊、西三河版、16面。
- ^ “市政だより おかざき No.1259” (PDF). 岡崎市役所. pp. 2-3 (2015年3月1日). 2020年3月8日閲覧。
- ^ 森田真奈子 (2018年3月2日). “恐竜像、新たに2体 岡崎の東公園、市民寄付でベンチも”. 中日新聞 2018年3月3日閲覧。
- ^ “滑り台、ベンチなどに 東公園 来年2月に“恐竜”追加”. 東海愛知新聞. (2017年10月18日) 2020年8月2日閲覧。
- ^ “東公園に木製遊具広場 大型13基9月オープン”. 東海愛知新聞. (2019年4月18日) 2020年8月2日閲覧。
- ^ “「かわまちづくり支援制度に係る計画」登録の伝達式について” (PDF). 国土交通省 (2015年3月30日). 2018年6月16日閲覧。
- ^ 竹内雅紀 (2015年4月1日). “規制緩和で計画推進 かわまちづくり 岡崎・乙川リバーフロント地区”. 東海愛知新聞 2015年4月5日閲覧。
- ^ “岡崎版新喜劇で観光PR 来月18~24日大阪・NGK 内田市長も出演へ”. 東海愛知新聞. (2015年7月15日) 2015年7月19日閲覧。
- ^ “サクラの苗木1154本植樹へ 岡崎”. 読売新聞. (2015年11月5日) 2015年11月15日閲覧。
- ^ “駅前市有地、民間資本で再開発 JR岡崎駅”. 中日新聞. (2016年2月27日) 2016年3月1日閲覧。
- ^ 森田真奈子「岡崎駅の市有地活用事業 商業施設きょうオープン」 『中日新聞』2017年10月13日付朝刊、西三河版、26面。
- ^ 大山智也 (2015年4月1日). “にぎわい創出の場へ JR岡崎駅東 出会いの杜公園オープン”. 東海愛知新聞 2018年11月8日閲覧。
- ^ “岡崎市シビックコア地区整備事業”. 岡崎市役所 (2018年5月31日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ 横田沙貴 (2019年9月12日). “東口の移動 スムーズに JR岡崎駅 10月1日 立体歩行者通路開通”. 東海愛知新聞 2019年9月24日閲覧。
- ^ “家康の生誕地を整備 岡崎風致維持”. 読売新聞. (2016年5月24日) 2016年5月24日閲覧。
- ^ 今井亮 (2017年3月22日). “診察、訓練、療法室など 岡崎市こども発達センター 25日に開所式”. 東海愛知新聞 2017年4月15日閲覧。
- ^ 森田真奈子「『QURUWA戦略』発表 岡崎計画 まちづくり官民討論」 『中日新聞』2018年3月22日付朝刊、三河総合、13面。
- ^ “地方再生のモデル都市として32都市を選定~空き店舗対策、城下町の再生等、全国の地方都市の再生を強力に推進します~”. 国土交通省 (2018年3月30日). 2018年6月16日閲覧。
- ^ “「QURUWA戦略」 ~乙川リバーフロント地区公民連携まちづくり基本計画~:地方再生のモデル都市に選ばれました”. 岡崎市役所 (2019年6月12日). 2019年8月12日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成30年6月 定例会 06月04日-07号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年8月2日閲覧。
- ^ 今井亮 (2018年4月4日). “モデル都市に選定 岡崎市の乙川リバーフロント地区 公民連携事業へ交付金”. 東海愛知新聞 2018年6月15日閲覧。
- ^ 森田真奈子「岡崎の県がんセンター愛知病院 市に経営移管 覚書」 『中日新聞』2018年4月1日付朝刊、愛知総合三河、23面。
- ^ “岡崎市民病院に経営移管で合意 県がんセンター愛知病院”. 中日新聞. (2018年3月27日) 2018年4月1日閲覧。
- ^ 今井亮 (2018年2月6日). “医療の連携強化を 愛知病院と岡崎市民病院が経営統合 来年4月の移管めざす”. 東海愛知新聞 2018年2月10日閲覧。
- ^ 中尾吟、谷悠己、森田真奈子 (2018年2月6日). “来春、岡崎市に経営移管へ 県がんセンター愛知病院”. 中日新聞 2018年2月10日閲覧。
- ^ 今井亮 (2018年8月1日). “岡崎の小中学校 エアコン設置へ 暑さ対策 20年6月までに”. 東海愛知新聞 2018年8月1日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2018年8月21日付朝刊、西三河版、12面、「小中エアコンPFIで実施 岡崎市方針」。
- ^ 横田沙貴 (2018年11月20日). “市主体整備55年ぶり 岡崎 阿知和地区工業団地 24年度末分譲開始へ”. 東海愛知新聞 2018年11月20日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2018年11月20日付朝刊、西三河版、16面、「阿知和工業団地造成 主体を岡崎市に移管 分譲開始前倒しへ」。
- ^ 横田沙貴 (2019年7月21日). “市民らの憩いの場に 籠田公園 26日の開所前に内覧会”. 東海愛知新聞 2019年7月28日閲覧。
- ^ 細谷真里 (2019年11月3日). “若き家康、いざ出陣 東岡崎駅前に銅像、空中回廊が開通”. 中日新聞 2019年11月3日閲覧。
- ^ “国内最大級の「象徴」登場 名鉄東岡崎駅前に徳川家康銅像”. 東海愛知新聞. (2019年11月3日) 2019年11月3日閲覧。
- ^ “若き日の姿再現 徳川家康像完成 名鉄東岡崎駅前 /愛知”. 毎日新聞. (2019年11月3日) 2019年11月3日閲覧。
- ^ 鎌田旭昇「小中生にタブレット 22年度までに岡崎市、1人1台」 『中日新聞』2020年1月31日付朝刊、西三河版、12面。
- ^ “中部電と東邦ガス、岡崎市と新電力会社設立”. 日本経済新聞. (2020年3月9日) 2020年3月11日閲覧。
- ^ “岡崎市と民間4社が「地域新電力」設立 ごみ発電の電力調達、公共施設へ供給”. 環境ビジネスオンライン. (2020年3月11日) 2020年3月11日閲覧。
- ^ “岡崎さくら電力の事業概要” (PDF). 岡崎市役所 (2020年3月9日). 2020年1月5日閲覧。
- ^ 川瀬慎一朗 (2020年3月10日). “藤田医大岡崎センターが開院延期 クルーズ船感染者ら受け入れで消毒 新型コロナ”. 毎日新聞 2020年3月25日閲覧。
- ^ 鎌田旭昇「対コロナ支援策 425億円 岡崎市 来月議会臨時会提出へ」 『中日新聞』2020年4月24日付朝刊、西三河版、14面。
- ^ 横田沙貴 (2020年4月24日). “対象事業者に25万円 岡崎市 新型コロナ休業・時短業種”. 東海愛知新聞 2020年4月25日閲覧。
- ^ “新型コロナウイルス感染症にかかる岡崎市の対策【4月23日発表】”. 岡崎市役所 (2020年4月23日). 2020年4月25日閲覧。
- ^ 中野龍三 (2020年10月14日). “コロナ専門病院が愛知に開院 入院患者の増加に備える”. 朝日新聞 2020年10月15日閲覧。
- ^ “内田家の犬と猫 Ⅰ”. 内田康宏のブログ (2012年10月6日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ “「新しい犬が来ました」”. 内田康宏のブログ (2014年3月29日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ “新居と新入家族”. 内田康宏のブログ (2018年9月24日). 2018年11月8日閲覧。
- ^ “オス猫出産騒動顚末記”. 内田康宏のブログ (2019年4月24日). 2019年5月12日閲覧。
- ^ “私が影響を受けた6冊の本”. 内田康宏のブログ (2012年10月4日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ 内田やすひろインタビュー | 岡崎市長 内田康宏のホームページ
外部リンク
- 前岡崎市長 内田康宏のホームページ
- 内田康宏のブログ
- 内田康宏 (yasuhiro.uchida.1952) - Facebook
公職 | ||
---|---|---|
先代 柴田紘一 |
愛知県岡崎市長 2012年 -2020年 |
次代 中根康浩 |