「太田充」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
m Bot作業依頼: 立憲民主党 (日本)関連の改名に伴うリンク修正依頼 (立憲民主党 (日本 2017)) - log |
||
35行目: | 35行目: | ||
== 人物 == |
== 人物 == |
||
[[野田内閣]]で[[内閣総理大臣秘書官#事務担当首相秘書官|内閣総理大臣秘書官]]を務めた<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2018032400012&g=pol 「自民・和田氏が発言撤回=理財局長への質問に批判」]時事通信</ref>。野田内閣の[[内閣総理大臣補佐官]]を務めた[[外務省|外務]]官僚出身の[[末松義規]][[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]([[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]])からは、2018年3月20日の[[衆議院]][[財務金融委員会]]で、「一党一派に偏しない、日本国に忠誠を尽くす官僚だ。極めて優秀な仕事ぶりに感銘した」と絶賛された<ref>[https://www.sankei.com/premium/news/180326/prm1803260003-n4.html 「財務省・太田充理財局長、国会で針のむしろも実は財務次官候補のエース官僚」]産経ニュース</ref>。 |
[[野田内閣]]で[[内閣総理大臣秘書官#事務担当首相秘書官|内閣総理大臣秘書官]]を務めた<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2018032400012&g=pol 「自民・和田氏が発言撤回=理財局長への質問に批判」]時事通信</ref>。野田内閣の[[内閣総理大臣補佐官]]を務めた[[外務省|外務]]官僚出身の[[末松義規]][[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]([[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]])からは、2018年3月20日の[[衆議院]][[財務金融委員会]]で、「一党一派に偏しない、日本国に忠誠を尽くす官僚だ。極めて優秀な仕事ぶりに感銘した」と絶賛された<ref>[https://www.sankei.com/premium/news/180326/prm1803260003-n4.html 「財務省・太田充理財局長、国会で針のむしろも実は財務次官候補のエース官僚」]産経ニュース</ref>。 |
||
== 不祥事 == |
== 不祥事 == |
||
; [[森友学園問題]] |
; [[森友学園問題]] |
||
* [[2018年]]6月4日、森友学園問題に絡み[[麻生太郎]][[財務大臣]]より文書厳重注意処分<ref>[https://r.nikkei.com/article/DGXMZO3132410004062018EAF000/ 「財務省が処分する20人」] 日本経済新聞 2018年6月4日</ref>。 |
* [[2018年]]6月4日、森友学園問題に絡み[[麻生太郎]][[財務大臣]]より文書厳重注意処分<ref>[https://r.nikkei.com/article/DGXMZO3132410004062018EAF000/ 「財務省が処分する20人」] 日本経済新聞 2018年6月4日</ref>。 |
||
* [[2020年]]3月24日、第201回通常国会[[衆議院]][[財務金融委員会]]に、野党側から出席を求められたが、これを拒否<ref>[https://twitter.com/cdp_kokkai/status/1242261687001968640 「太田局長出席拒否」] ― [[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]Twitter2020年3月24日付 </ref>。 |
* [[2020年]]3月24日、第201回通常国会[[衆議院]][[財務金融委員会]]に、野党側から出席を求められたが、これを拒否<ref>[https://twitter.com/cdp_kokkai/status/1242261687001968640 「太田局長出席拒否」] ― [[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]Twitter2020年3月24日付 </ref>。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2020年11月1日 (日) 10:45時点における版
おおた みつる 太田 充 | |
---|---|
生誕 |
1960年4月17日(64歳) 日本 島根県松江市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京大学法学部第2類卒業[1] |
職業 | 財務官僚 |
太田 充(おおた みつる、1960年4月17日[2] - )は、日本の財務官僚[3]。野田内閣総理大臣秘書官、財務省大臣官房総括審議官、財務省理財局長、財務省主計局長を経て、財務事務次官。
学歴
職歴
- 1983年旧大蔵省(現、財務省)に入省[3][4]、主計局総務課配属。同期に岡本薫明財務事務次官など
- 1988年広島国税局瀬戸税務署長
- 2000年東京国税局徴収部長
- 2003年金融庁監督局総務課協同組織金融室長
- 2005年財務省主計局主計官(総務、地方財政係担当)
- 2008年財務省主計局主計官(厚生労働係担当)
- 2009年財務省主計局総務課長兼給与共済課長[5][6]
- 2011年7月8日兼財務省主計局主計官(国土交通係、環境係担当)
- 同年8月2日に財務省主計局次長[6]
- 同年9月に野田内閣で内閣総理大臣秘書官[5]
- 2012年12月26日に財務省大臣官房審議官(主税局担当)[7]
- 2013年6月28日に再び財務省主計局次長[8]
- 2015年7月7日に財務省大臣官房総括審議官[9]
- 2017年7月5日に財務省理財局長[3]。当初は官房長への昇格とみられていたが、事務次官の佐藤慎一が太田を嫌い、理財局長へまわしたとされている[10]
- 2018年7月27日に財務省主計局長
- 2020年7月20日に財務事務次官[11]
人物
野田内閣で内閣総理大臣秘書官を務めた[12]。野田内閣の内閣総理大臣補佐官を務めた外務官僚出身の末松義規衆議院議員(立憲民主党)からは、2018年3月20日の衆議院財務金融委員会で、「一党一派に偏しない、日本国に忠誠を尽くす官僚だ。極めて優秀な仕事ぶりに感銘した」と絶賛された[13]。
不祥事
- 2018年6月4日、森友学園問題に絡み麻生太郎財務大臣より文書厳重注意処分[14]。
- 2020年3月24日、第201回通常国会衆議院財務金融委員会に、野党側から出席を求められたが、これを拒否[15]。
脚注
- ^ a b 『東大人名録,第1部』1986年発行、51ページ
- ^ 『政官要覧』平成26年秋号、政官要覧社、2014年、842頁。ISBN 978-4-915324-77-2。
- ^ a b c “財務次官に福田氏”. 日本経済新聞. (2017年7月4日) 2017年11月30日閲覧。
- ^ a b c “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記 島根県”. 毎日新聞. (2016年8月10日) 2017年11月30日閲覧。
- ^ a b “消費増税へ向け、財務省・民自両党も懐柔 "帝王"勝栄二郎財務次官が、強靭な為替介入シフトをしく理由”. ビジネスジャーナル. (2012年8月2日) 2017年11月30日閲覧。
- ^ a b “人事、財務省”. 日本経済新聞. (2011年8月3日) 2018年3月9日閲覧。
- ^ “人事、財務省”. 日本経済新聞. (2012年12月27日) 2018年3月9日閲覧。
- ^ “人事、財務省”. 日本経済新聞. (2013年6月28日) 2018年3月9日閲覧。
- ^ “人事、財務省”. 日本経済新聞. (2015年7月7日) 2018年3月9日閲覧。
- ^ 『週刊東洋経済 6月23日号』特集、2018年6月18日発売
- ^ “令和2年7月20日発令” (PDF). 財務省 (2020年7月20日). 2020年7月26日閲覧。
- ^ 「自民・和田氏が発言撤回=理財局長への質問に批判」時事通信
- ^ 「財務省・太田充理財局長、国会で針のむしろも実は財務次官候補のエース官僚」産経ニュース
- ^ 「財務省が処分する20人」 日本経済新聞 2018年6月4日
- ^ 「太田局長出席拒否」 ― 立憲民主党Twitter2020年3月24日付
関連項目
官職 | ||
---|---|---|
先代 岡本薫明 |
財務省主計局長 2018年 - 2020年 |
次代 矢野康治 |
先代 佐川宣寿 |
財務省理財局長 第51代:2017年 - 2018年 |
次代 可部哲生 |
先代 迫田英典 |
財務省大臣官房総括審議官 2015年 - 2017年 |
次代 可部哲生 |