コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田中敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田中 敬(たなか たかし、1923年〈大正12年〉9月7日[1] - 2016年〈平成28年〉12月30日[2])は、日本大蔵官僚大蔵事務次官

来歴・人物

[編集]

広島県広島市出身。父の田中康道は弁護士。元三菱マテリアル会長、元日経連会長永野健は従兄弟。旧制広島高師附属中学校旧制一高を経て、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科卒業後[1]大蔵省に入省し大臣官房渉外部配属[1]。ちなみに一高同期に大倉真隆(大蔵省47年前期入省)、長岡實(大蔵省47年後期入省。共にのちの大蔵事務次官)、三重野康(日銀生え抜きの同行総裁)らがいて、大倉 - 長岡と続いて大蔵次官に就任した。

廿日市税務署長、関東信越国税局、国税庁所得税課長補佐、水資源開発公団資金課長、大蔵省理財局国債課長、資金課長、大臣官房文書課長東京税関長を経て[1]1973年6月26日 主計局次長1976年6月 経済企画庁官房長1977年6月10日 大蔵省理財局長大臣官房長への起用も浮上していたが、佐上武弘が就いたことにより、田中は理財局長に回った[3]1979年7月10日 主計局長兼会計事務職員研修所長。主計局長の時、大平正芳首相が一般消費税導入断念声明を出してまもなく急逝。追うように辞任した長岡實次官に代わり1980年6月17日 大蔵事務次官となる。次官在任中は財政再建から国債発行抑制につとめる。

1981年 退官後、1982年 国民金融公庫総裁、1986年 日本輸出入銀行総裁を歴任。1990年 横浜銀行頭取1992年から1994年まで全国地方銀行協会会長を務めた。1995年、勲一等瑞宝章受章[4]。没後叙従三位[5]

官歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『大蔵省人名録』100頁。
  2. ^ “田中敬氏死去(元横浜銀行頭取、元大蔵事務次官)”. 時事通信. (2017年1月10日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2017011000651&g=obt 2017年1月10日閲覧。 
  3. ^ 東洋経済 第4005号』1977年5月14日発行、84頁
  4. ^ 「95年秋の叙勲 勲一等・勲二等」『読売新聞』1995年11月3日朝刊
  5. ^ 『官報』6951号、平成29年2月6日

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]
ビジネス
先代
吉国二郎
横浜銀行頭取
第10代:1990年 - 1994年
次代
平澤貞昭
官職
先代
長岡實
大蔵事務次官
第21代:1980年 - 1981年
次代
高橋元
先代
長岡實
大蔵省主計局長
1979年 - 1980年
次代
松下康雄
先代
岩瀬義郎
大蔵省理財局長
1977年 - 1979年
次代
渡辺喜一
先代
辻敬一
経済企画庁長官官房長
第16代:1976年 - 1977年
次代
高橋元