「茂州 (四川省)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
2行目: | 2行目: | ||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
[[618年]]([[武徳]]元年)、唐により[[隋]]の[[ブン山郡|汶山郡]]が'''会州'''と改められた。会州は[[茂県|汶山]]・[[北川チャン族自治県|北川]]・[[ |
[[618年]]([[武徳]]元年)、唐により[[隋]]の[[ブン山郡|汶山郡]]が'''会州'''と改められた。会州は[[茂県|汶山]]・[[北川チャン族自治県|北川]]・[[汶川県|汶川]]・[[理県|通化]]・[[茂県|翼針]]・[[茂県|翼水]]・[[黒水県|左封]]・[[松潘県|交川]]の8県を管轄した。この年のうちに翼針・翼水・左封の3県を分離して[[翼州]]が置かれ、交川県が[[松州 (四川省)|松州]]に転属した。[[621年]](武徳4年)、会州は'''南会州'''と改称された。[[634年]]([[貞観 (唐)|貞観]]8年)、南会州は'''茂州'''と改称された。[[742年]]([[天宝 (唐)|天宝]]元年)、茂州は'''通化郡'''と改称された。[[758年]]([[乾元 (唐)|乾元]]元年)、通化郡は茂州の称にもどされた。茂州は[[剣南道]]に属し、汶山・[[北川チャン族自治県|石泉]]・汶川・通化の4県を管轄した<ref>『[[旧唐書]]』地理志四</ref>。 |
||
[[北宋]]のとき、茂州は[[成都府路]]に属し、汶山県と鎮羌寨と鶏宗関を管轄した。[[南宋]]のとき、汶川県が加増された。璫州・直州・時州・塗州・達州・飛州・乾州・可州・向州・居州の羈縻州10州を管轄した<ref>『[[宋史]]』地理志五</ref>。 |
[[北宋]]のとき、茂州は[[成都府路]]に属し、汶山県と鎮羌寨と鶏宗関を管轄した。[[南宋]]のとき、汶川県が加増された。璫州・直州・時州・塗州・達州・飛州・乾州・可州・向州・居州の羈縻州10州を管轄した<ref>『[[宋史]]』地理志五</ref>。 |
2020年9月14日 (月) 22:46時点における版
茂州(もしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から民国初年にかけて、現在の四川省アバ・チベット族チャン族自治州南東部に設置された。
概要
618年(武徳元年)、唐により隋の汶山郡が会州と改められた。会州は汶山・北川・汶川・通化・翼針・翼水・左封・交川の8県を管轄した。この年のうちに翼針・翼水・左封の3県を分離して翼州が置かれ、交川県が松州に転属した。621年(武徳4年)、会州は南会州と改称された。634年(貞観8年)、南会州は茂州と改称された。742年(天宝元年)、茂州は通化郡と改称された。758年(乾元元年)、通化郡は茂州の称にもどされた。茂州は剣南道に属し、汶山・石泉・汶川・通化の4県を管轄した[1]。
北宋のとき、茂州は成都府路に属し、汶山県と鎮羌寨と鶏宗関を管轄した。南宋のとき、汶川県が加増された。璫州・直州・時州・塗州・達州・飛州・乾州・可州・向州・居州の羈縻州10州を管轄した[2]。
元のとき、茂州は陝西等処行中書省に属し、汶山・汶川の2県を管轄した[3]。
1728年(雍正6年)、清により茂州は直隷州に昇格した。茂州直隷州は四川省に属し、汶川県と瓦寺宣慰司・沙壩安撫司・静州長官司・岳希長官司・実大関長官司・隴木長官司の6土司を管轄した[5]。
1913年、中華民国により茂州は廃止され、茂県と改められた。