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'''松平 信博'''(まつだいら のぶひろ、[[1889年]]([[明治]]22年)[[3月26日]] - [[1949年]]([[昭和]]24年)[[12月12日]])は、日本の[[作曲家]]である<ref name="石碑">[http://www.matsudairagou.jp/about/toshogu.html 松平東照宮]、[[松平郷]]、2012年7月4日閲覧。</ref>。[[松平郷松平家]]第20代当主であり、[[西條八十]]が作詞した流行歌『[[侍ニッポン]]』([[徳山璉]]、1931年)の作曲で知られ、「殿様作曲家」と呼ばれた<ref name="石碑" />。代表曲は同曲のほか、『[[天国に結ぶ恋]]』(徳山璉・[[四家文子]]、作詞[[柳水巴]]、1932年)、『[[旅は青空]]』([[渡辺光子]]、作詞[[野口雨情]]、同年)等。作曲時に'''林 純平'''(はやし じゅんぺい)とも名乗った。[[松平信英]]の子。子に[[松平信泰]]。


== 人物・来歴 ==
== 人物・来歴 ==
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1913年([[大正]]2年)10月30日、[[北原白秋]]の詩『[[城ヶ島#『城ヶ島の雨』|城ヶ島の雨]]』に[[梁田貞]]が作曲した楽曲を[[有楽座 (明治・大正)|有楽座]]で披露する際、梁田の独唱に松平がピアノを伴奏した。
1913年([[大正]]2年)10月30日、[[北原白秋]]の詩『[[城ヶ島#『城ヶ島の雨』|城ヶ島の雨]]』に[[梁田貞]]が作曲した楽曲を[[有楽座 (明治・大正)|有楽座]]で披露する際、梁田の独唱に松平がピアノを伴奏した。


1924年(大正13年)4月、[[浅草公園六区]]にある[[日活]]直営の[[映画館]]「[[三友館]]」の専属作曲部長に就任、同館で上映される[[サイレント映画]]に対して、同館独特の伴奏曲を作曲・演奏する<ref>佐相、p.54.</ref>。1925年(大正14年)2月13日に公開された[[村田実]]監督の『[[街の手品師]]』では、全国の映画館に対する伴奏用のスコアを書いた<ref name="jmdb">[[#外部リンク|''松平信博'']]、[[日本映画データベース]]、2012年7月4日閲覧。</ref><ref name="bunka">[[#外部リンク|''松平信博'']]、日本映画情報システム、[[文化庁]]、2012年7月4日閲覧。</ref>。1926年(大正15年)、一度日活を離れ、[[日本ビクター]]専属作曲家となる。1931年([[昭和]]6年)、[[群司次郎正]]の小説『侍ニツポン』の主題歌を西條八十の歌詞に作曲してつくり、[[徳山たまき|徳山璉]]が歌唱して録音、日本ビクターから発売される。
1924年(大正13年)4月、[[浅草公園六区]]にある[[日活]]直営の[[映画館]]「[[三友館]]」の専属作曲部長に就任、同館で上映される[[サイレント映画]]に対して、同館独特の伴奏曲を作曲・演奏する<ref>佐相、p.54.</ref>。1925年(大正14年)2月13日に公開された[[村田実]]監督の『[[街の手品師]]』では、全国の映画館に対する伴奏用のスコアを書いた<ref name="jmdb">[[#外部リンク|''松平信博'']]、[[日本映画データベース]]、2012年7月4日閲覧。</ref><ref name="bunka">[[#外部リンク|''松平信博'']]、日本映画情報システム、[[文化庁]]、2012年7月4日閲覧。</ref>。1926年(大正15年)、一度日活を離れ、[[日本ビクター]]専属作曲家となる。1931年([[昭和]]6年)、[[群司次郎正]]の小説『侍ニツポン』の主題歌を西條八十の歌詞に作曲してつくり、[[徳山璉]]が歌唱して録音、日本ビクターから発売される。


1932年(昭和7年)10月6日に公開された村田実監督の『[[一九三二年の女]]』には「音楽監督」とクレジットされているが、同作は[[トーキー]]ではないが[[サウンド版]]であったので、松平の劇伴による同一楽曲・同一演奏が初めて全国の映画館で流れた<ref name="jmdb" />。初めてトーキーを手がけたのは、翌1933年(昭和8年)9月14日に公開された、[[太秦発声映画]]および[[ゼー・オースタヂオ]]の共同製作による[[池田富保]]監督の『[[決戦高田の馬場]]』であった<ref name="jmdb" />。1938年(昭和13年)以降は、[[東宝映画]]の製作・配給作品を手がけた<ref name="jmdb" />。同年以降は、同年4月に発売された[[三門順子]]の『新柳桜の唄』 や、1939年(昭和14年)10月に発売された[[音丸]]の『[[夢で逢うたら]]』等、[[キングレコード]]や[[日本コロムビア]]でも、作曲を手がけるようになる。
1932年(昭和7年)10月6日に公開された村田実監督の『[[一九三二年の女]]』には「音楽監督」とクレジットされているが、同作は[[トーキー]]ではないが[[サウンド版]]であったので、松平の劇伴による同一楽曲・同一演奏が初めて全国の映画館で流れた<ref name="jmdb" />。初めてトーキーを手がけたのは、翌1933年(昭和8年)9月14日に公開された、[[太秦発声映画]]および[[ゼー・オースタヂオ]]の共同製作による[[池田富保]]監督の『[[決戦高田の馬場]]』であった<ref name="jmdb" />。1938年(昭和13年)以降は、[[東宝映画]]の製作・配給作品を手がけた<ref name="jmdb" />。同年以降は、同年4月に発売された[[三門順子]]の『新柳桜の唄』 や、1939年(昭和14年)10月に発売された[[音丸]]の『[[夢で逢うたら]]』等、[[キングレコード]]や[[日本コロムビア]]でも、作曲を手がけるようになる。
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* 『[[かんかん虫は唄う]]』 : 歌唱徳山璉、作詞長田幹彦、1931年3月 - 映画『[[かんかん虫は唄う]]』主題歌
* 『[[かんかん虫は唄う]]』 : 歌唱徳山璉、作詞長田幹彦、1931年3月 - 映画『[[かんかん虫は唄う]]』主題歌
* 『かんかん虫は唄う』 : 歌唱藤本二三吉、作詞長田幹彦、1931年3月 - 映画『かんかん虫は唄う』主題歌
* 『かんかん虫は唄う』 : 歌唱藤本二三吉、作詞長田幹彦、1931年3月 - 映画『かんかん虫は唄う』主題歌
* 『[[侍ニッポン]]』 : 歌唱[[徳山たまき|徳山璉]]、作詞西條八十、1931年4月
* 『[[侍ニッポン]]』 : 歌唱[[徳山璉]]、作詞西條八十、1931年4月
* 『侍ニッポン』 : 歌唱藤本二三吉、作詞西條八十、1931年4月 - B面
* 『侍ニッポン』 : 歌唱藤本二三吉、作詞西條八十、1931年4月 - B面
* 『[[しかも彼等は行く (篤子の歌)]]』 : 歌唱四家文子、作詞伊藤和夫、1931年7月
* 『[[しかも彼等は行く (篤子の歌)]]』 : 歌唱四家文子、作詞伊藤和夫、1931年7月

2020年8月25日 (火) 05:15時点における版

松平 信博
まつだいら のぶひろ
別名 林 純平 (はやし じゅんぺい)
生誕 1889年3月26日
出身地 日本の旗 日本 現・埼玉県浦和市
死没 1949年12月12日
学歴 旧制東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)器楽科卒業
ジャンル 流行歌サイレント映画用伴奏曲、映画音楽
職業 作曲家
担当楽器 ピアノ
活動期間 1913年 - 1949年
レーベル 日本ビクター
共同作業者 西條八十
長田幹彦
徳山璉
四家文子
渡辺光子

松平 信博(まつだいら のぶひろ、1889年明治22年)3月26日 - 1949年昭和24年)12月12日)は、日本の作曲家である[1]松平郷松平家第20代当主であり、西條八十が作詞した流行歌『侍ニッポン』(徳山璉、1931年)の作曲で知られ、「殿様作曲家」と呼ばれた[1]。代表曲は同曲のほか、『天国に結ぶ恋』(徳山璉・四家文子、作詞柳水巴、1932年)、『旅は青空』(渡辺光子、作詞野口雨情、同年)等。作曲時に林 純平(はやし じゅんぺい)とも名乗った。松平信英の子。子に松平信泰

人物・来歴

1889年明治22年)、当時浦和地方裁判所判事であった父信英の元、浦和で生まれる[2]旧制東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)器楽科を卒業する。

1913年(大正2年)10月30日、北原白秋の詩『城ヶ島の雨』に梁田貞が作曲した楽曲を有楽座で披露する際、梁田の独唱に松平がピアノを伴奏した。

1924年(大正13年)4月、浅草公園六区にある日活直営の映画館三友館」の専属作曲部長に就任、同館で上映されるサイレント映画に対して、同館独特の伴奏曲を作曲・演奏する[3]。1925年(大正14年)2月13日に公開された村田実監督の『街の手品師』では、全国の映画館に対する伴奏用のスコアを書いた[4][5]。1926年(大正15年)、一度日活を離れ、日本ビクター専属作曲家となる。1931年(昭和6年)、群司次郎正の小説『侍ニツポン』の主題歌を西條八十の歌詞に作曲してつくり、徳山璉が歌唱して録音、日本ビクターから発売される。

1932年(昭和7年)10月6日に公開された村田実監督の『一九三二年の女』には「音楽監督」とクレジットされているが、同作はトーキーではないがサウンド版であったので、松平の劇伴による同一楽曲・同一演奏が初めて全国の映画館で流れた[4]。初めてトーキーを手がけたのは、翌1933年(昭和8年)9月14日に公開された、太秦発声映画およびゼー・オースタヂオの共同製作による池田富保監督の『決戦高田の馬場』であった[4]。1938年(昭和13年)以降は、東宝映画の製作・配給作品を手がけた[4]。同年以降は、同年4月に発売された三門順子の『新柳桜の唄』 や、1939年(昭和14年)10月に発売された音丸の『夢で逢うたら』等、キングレコード日本コロムビアでも、作曲を手がけるようになる。

終戦後の1947年昭和22年)、愛知県東加茂郡松平村(現・愛知県豊田市松平町)の松平郷に疎開するが、1年ほどで東京に戻る[6]

1949年(昭和24年)、死去した。享年60。松平中学校の校歌作曲を依頼された作曲家音楽評論家森一也の発案により、1958年(昭和33年)7月、松平東照宮境内に西條八十の筆による「作曲家松平信博顕彰碑」が建立された[1][7]

フィルモグラフィ

※ 特筆以外はトーキー作品の劇伴作曲、つまりクレジット上は「音楽」である[4][5]

サイレント映画
トーキー

ディスコグラフィ

楽曲

※ すべて「作曲」、特筆以外はすべて日本ビクターの製作・発売盤である。

1926年 - 1930年
1931年
1932年
1933年
  • 眠れ母の胸に』 : 歌唱四家文子、作詞大木惇夫、1933年1月 - 映画『眠れ母の胸に』主題歌
  • あなたの母は泣いている』 : 歌唱及川道子、作詞大木惇夫、1933年1月 - 映画『眠れ母の胸に』主題歌
  • 己が罪の歌』 : 歌唱小林千代子、作詞佐伯孝夫、1933年1月 - 映画『己が罪』主題歌
  • 風よそよ吹け』 : 歌唱四家文子、作詞佐伯孝夫、1933年1月 - 映画『己が罪・環』主題歌
  • 『霧ヶ峰』 : 歌唱藤田正夫、作詞西條八十、1933年2月
  • 旗は日の丸』 : 歌唱徳山璉、作詞長田幹彦、1933年2月
  • 『山の処女雪』 : 歌唱四家文子、作詞西條八十、1933年2月
  • さらばいとし子』 : 歌唱小林千代子、作詞長田幹彦、1933年2月 - 映画『須磨の仇浪』主題歌
  • 『須磨の仇浪』 : 歌唱藤田正夫、作詞長田幹彦、1933年2月 - 映画『須磨の仇浪』主題歌
  • 『濡れつばめ お小夜恋慕の歌』 : 歌唱市丸、作詞湯浅みか、1933年3月
  • 濡れつばめ』 : 歌唱徳山璉、作詞佐藤惣之助、1933年3月 - B面
  • 『都おどり』 : 歌唱市丸、作詞長田幹彦、1933年4月
  • 『赤い花』 : 歌唱藤山一郎、作詞佐伯孝夫、1933年5月
  • 『大楠公の歌』 : 歌唱藤山一郎、作詞長田幹彦、1933年5月
  • 恋ざんげ』 : 歌唱徳山璉、作詞伊藤和夫、1933年5月
  • 恋のうき草』 : 歌唱四家文子、作詞伊藤和夫、1933年5月
  • 黄昏の恋路』 : 歌唱藤山一郎、作詞佐伯孝夫、1933年6月
  • 『月見草』 : 歌唱市丸、作詞長田幹彦、1933年7月
  • 『柳おどり』 : 歌唱小清、作詞長田幹彦、1933年7月
  • 『つゆしぐれ』 : 歌唱藤山一郎・田母沢ふみ子、作詞佐藤惣之助、1933年8月 - 映画『二つの燈籠』主題歌
  • 二つ灯籠』 : 歌唱市丸、作詞長田幹彦、1933年8月 - 映画『二つの燈籠』主題歌
  • 『早鞆音頭』 : 歌唱小唄勝太郎、作詞、作詞山下彬麿、1933年8月
  • 『花に青葉に 中津民謡』 : 歌唱四家文子、作詞山下彬麿、1933年8月 - B面
  • 『夕かぜ』 : 歌唱小唄勝太郎、作詞長田幹彦、1933年8月
  • 鴨東小唄』 : 歌唱市丸、作詞木坂俊平、補作詞長田幹彦、1933年9月
  • 朔北の皇軍』 : 歌唱三島一声、作詞伊藤和夫、1933年9月
  • 兵士の妻』 : 歌唱小町美子、作詞伊藤和夫、1933年9月
  • 『舞妓すがた』 : 歌唱筆香、作詞長田幹彦、1933年9月
  • 『港の灯』 : 歌唱勝太郎、作詞長田幹彦、1933年11月
  • 『アカシアの葉蔭』 : 歌唱藤山一郎、作詞長田幹彦、1933年11月
  • 蝦夷小唄』 : 歌唱市丸、作詞水城映一郎・長田幹彦、1933年11月
  • 鹿児島音頭』 : 歌唱三島一声、作詞山下吉二、補作詞長田幹彦、1933年11月
  • 『恋の五丁町 (吉原音頭)』 : 歌唱三島一声、作詞長田幹彦、1933年11月
  • 薩摩潟』 : 歌唱徳山璉、作詞長田幹彦、1933年11月
  • 『千鳥格子 (みだれ髪)』 : 歌唱市丸、作詞長田幹彦、1933年11月
  • 『千鳥格子 (恋の湯の町)』 : 歌唱藤山一郎、作詞長田幹彦、1933年11月 - B面
  • お酒よいもの』 : 歌唱市丸、作詞西條八十、1933年12月
  • 『名古屋まつり』 : 歌唱藤山一郎、作詞長田幹彦、1933年12月
  • 『波まくら』 : 歌唱小唄勝太郎、作詞長田幹彦、1933年12月
1934年
  • 『房総小唄』 : 歌唱市丸、作詞菅田みのる、補作詞長田幹彦、1934年1月
  • 『千葉県謡』 : 歌唱三島一声、作詞佐伯孝夫、1934年1月 - B面
  • 『丹下左膳「恋の細道」』 : 歌唱小唄勝太郎、作詞佐伯孝夫、1934年2月 - 映画『丹下左膳』主題歌
  • 『丹下左膳』 : 歌唱徳山璉、作詞佐伯孝夫、1934年2月 - B面、映画『丹下左膳』主題歌
  • 錦帯ばやし』 : 歌唱徳山璉、作詞長田幹彦、1934年2月
  • 『長州ぶし』 : 歌唱貴美子、作詞有光憲章、補作詞長田幹彦、1934年2月
  • 『津軽囃子』 : 歌唱三島一声、作詞野口雨情、1934年2月
  • 『八甲春風』 : 歌唱市丸、作詞露野靖治、補作詞長田幹彦、1934年2月
  • 『ひとり静』 : 歌唱渡辺はま子、作詞西條八十、1934年2月
  • 『光の翼』 : 歌唱藤山一郎、作詞長田幹彦、1934年3月
  • 『ヤッチキ節』 : 歌唱三島一声、作詞西條八十、1934年3月
  • 『山形県謡』 : 歌唱市丸、作詞高宮庸子、補作詞西條八十、1934年3月
  • 『夕陽しぐれて』 : 歌唱市丸、作詞長田幹彦、1934年3月
  • 下野小唄』 : 歌唱市丸、作詞佐伯孝夫、1934年4月
  • 『よほゝい節』 : 歌唱三島一声、作詞菅原里一、補作詞長田幹彦、1934年4月
  • 『奈良の歌』 : 歌唱小林千代子、作詞長田幹彦、1934年4月
  • 『奈良めぐり』 : 歌唱小唄勝太郎・合唱団、作詞細井弥寿夫、補作詞西條八十、1934年4月
  • 大漁音頭』 : 歌唱小唄勝太郎・藤山一郎、作詞西條八十、1934年4月
  • 『大漁音頭』 : 歌唱小唄勝太郎・徳山璉、作詞西條八十、1934年4月 - B面
  • 『火華音頭』 : 歌唱徳山璉、作詞藤本浩一、1934年4月
  • 『別れ煙草』 : 歌唱藤山一郎・小林千代子、作詞西條八十、1934年4月
  • 大島音頭』 : 歌唱三島一声・貴美子、作詞長田幹彦、1934年6月
  • 『旅のおぼろ夜』 : 歌唱三島一声、作詞西條八十、1934年6月
  • 『月夜鳥』 : 歌唱小唄勝太郎、作詞長田幹彦、1934年6月
  • 『直八子供旅』 : 歌唱渡辺はま子、作詞稲垣浩、1934年6月
  • 『なみだ顔』 : 歌唱市丸・徳山璉、作詞渋田黎明花、補作詞佐伯孝夫、1934年6月
  • 樺太行進曲』 : 歌唱徳山璉、作詞山路渓風、補作詞野口雨情、1934年6月
  • 樺太民謡』 : 歌唱貴美子・合唱団、作詞野口雨情、1934年6月
  • 『福井小唄』 : 歌唱小唄勝太郎・合唱団、作詞西條八十、1934年6月
  • 『福井県行進曲』 : 歌唱藤山一郎、作詞石黒成夫、補作詞西條八十、1934年6月
  • 佐賀音頭』 : 歌唱筆香・合唱団、作詞長田幹彦、1934年8月
  • 『つきぬ想い』 : 歌唱市丸、作詞深山早百合、1934年8月
  • 『鳥取ばやし』 : 歌唱筆香、作詞西條八十、1934年8月
  • 『鳥取の唄』 : 歌唱三島一声、作詞吉田峰、補作詞西條八十、1934年8月
  • 『日蔭花』 : 歌唱藤山一郎、作詞長田幹彦、1934年9月
  • 大分流し節』 : 歌唱市丸、作詞野口雨情、1934年10月
  • 『台湾甚句』 : 歌唱市丸・徳山璉・合唱団、作詞長田幹彦、1934年10月
  • 『中国甚句』 : 歌唱市丸・徳山璉・合唱団、作詞長田幹彦、1934年10月
  • 『東海甚句』 : 歌唱市丸・三島一声・合唱団、作詞長田幹彦、1934年10月
  • 嘆きのボレロ』 : 歌唱藤山一郎・渡辺はま子、作詞西條八十、1934年12月
  • 『恋慕小路』 : 歌唱久富吉晴、作詞鐸木孝、1934年12月
1935年
  • 『電話かけても』 : 歌唱筆香、作詞長田幹彦、1935年7月
  • 『鬢の毛も』 : 歌唱筆香、作詞長田幹彦、1935年7月 - B面
  • 九州踊り』 : 歌唱小唄勝太郎、作詞西條八十、1935年7月
  • 『すすり泣き』 : 歌唱四家文子、作詞西條八十、1935年7月
  • 『九州まつり』 : 歌唱藤山一郎、作詞西條八十、1935年7月
  • 『恋はすてても』 : 歌唱大宮小夜子、作詞横堀恒子、1935年7月
  • 『浜辺恋しや』 : 歌唱渡辺はま子、作詞鐸木孝、1935年7月
  • 『街の馬子唄』 : 歌唱三島一声、作詞鐸木孝、1935年7月
  • 京の夜風』 : 歌唱市丸、作詞佐伯孝夫、1935年8月
  • 金助の唄』 : 歌唱児玉好雄・合唱団、作詞志波西果、補作詞佐伯孝夫、1935年8月
  • 浅草むすめ』 : 歌唱児玉好雄・能勢妙子、作詞佐伯孝夫、1935年9月
  • 北山時雨』 : 歌唱小唄勝太郎、作詞深山小百合、1935年11月
1936年
  • 『濡れつばめ』 : 歌唱市丸、作詞湯浅みか、補作詞佐伯孝夫、1936年
  • 雨に濡れて』 : 歌唱徳山璉・合唱団、作詞水上不二男、1936年2月
  • 『千石船』 : 歌唱小野巡、作詞西條八十、1936年2月
  • 忍び笠』 : 歌唱大宮小夜子、作詞佐伯孝夫、1936年3月
  • 『茶摘みばやし』 : 歌唱喜美勇、作詞長田幹彦、1936年3月
  • 『春の娘』 : 歌唱久富吉晴、作詞水上不二男、1936年3月
  • 『もつれ糸』 : 歌唱市丸、作詞近藤春雄、1936年3月
  • 恋の占い』 : 歌唱大宮小夜子、作詞長田幹彦、1936年5月
  • 国境の巡邏兵』 : 歌唱小野巡、作詞佐伯孝夫、1936年5月
  • 『広島甚句』 : 歌唱市丸・久富吉晴、作詞西條八十、1936年5月
  • 真平仁義』 : 歌唱古川緑波・久富吉晴、作詞長田幹彦、1936年5月
  • 淡雪双紙』 : 歌唱小唄勝太郎、作詞長田幹彦、1936年6月
  • 玄海ぶし』 : 歌唱小野巡・大宮小夜子、作詞長田幹彦、1936年6月
  • あの日想えば』 : 歌唱市丸、作詞長田幹彦、1936年7月
  • 無軌道ぶし』 : 歌唱市丸、作詞佐伯孝夫、1936年7月
  • 島の椿』 : 歌唱佐藤千夜子、作詞若杉雄三郎、1936年7月
  • 『東京錦絵』 : 歌唱渡辺はま子、作詞近藤春雄、1936年8月
  • 一里二里なら』 : 歌唱市丸、作詞横堀恒子、1936年9月
  • 君は美わし』 : 歌唱徳山璉、作詞佐伯孝夫、1936年9月
  • 小雨ふる夜』 : 歌唱喜美勇、作詞若杉雄三郎、1936年9月
  • 母なればこそ』 : 歌唱千葉早智子、作詞佐伯孝夫、1936年9月
  • 二人の青い鳥』 : 歌唱灰田勝彦・千葉早智子、作詞佐伯孝夫、1936年9月
  • 『屋形ながし』 : 歌唱市丸、作詞長田幹彦、1936年9月
  • 島でうたえば』 : 歌唱市丸、作詞小川格、1936年11月
  • 『夢まくら』 : 歌唱小林千代子、作詞佐伯孝夫、1936年12月
1937年
1938年 - 1945年

アルバム

脚注

  1. ^ a b c 松平東照宮松平郷、2012年7月4日閲覧。
  2. ^ 松平親氏公顕彰会編、p.2.
  3. ^ 佐相、p.54.
  4. ^ a b c d e 松平信博日本映画データベース、2012年7月4日閲覧。
  5. ^ a b 松平信博、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月4日閲覧。
  6. ^ 松平親氏公顕彰会編、pp88-89.
  7. ^ 松平親氏公顕彰会編、p121.
  8. ^ エロ感時代の歌 羽衣歌子国立国会図書館、2012年7月4日閲覧。
  9. ^ エロ感時代の歌 藤本二三吉、国立国会図書館、2012年7月4日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク