コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松平信志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平信志
時代 江戸時代後期
生誕 天明5年7月30日1785年9月3日
死没 文化13年4月15日1816年5月11日
改名 喜内・又七郎(幼名)、信志
戒名 浄徳院殿麗誉殊特無称大居士
墓所 京都府亀岡市北古世町の光忠寺
官位 従五位下紀伊守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
丹波亀山藩
氏族 形原松平家
父母 松平庸孝朽木紀綱の娘
養父松平信彰
正室松平定信の養女
信賢信豪飛鳥井雅久室、胤ら
テンプレートを表示

松平 信志(まつだいら のぶゆき)は、江戸時代後期の大名丹波国亀山藩の第5代藩主官位従五位下紀伊守形原松平家15代当主。

略歴

[編集]

天明5年(1785年)7月30日、丹波亀山藩分家で大身旗本松平庸孝の長男として誕生。

享和2年(1802年)、第4代藩主・松平信彰が早世したため、その養子として家督を継ぎ、12月に従五位下・紀伊守に叙任される。

文化13年(1816年)4月15日(4月18日とも)に死去した。享年32。跡を七男・信豪が継いだ。

系譜

[編集]

脚注

[編集]