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松平正親 (大草松平家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 正親
時代 戦国時代
生誕 永正10年(1513年
死没 永禄3年5月19日1560年6月12日[1]
別名 善四郎、善兵衛尉[1]
戒名 真津[1][2]
主君 松平清康広忠元康[1][2]
氏族 大草松平家
父母 父:松平三光[3]
康安[3]
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松平 正親(まつだいら まさちか)は、戦国時代武将大草松平家の6代目当主。徳川家康の家臣・松平康安の父。

略歴

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三河国額田郡伊賀の生まれ。大草松平家5代目・三光の子。大草家は元々岡崎城主だったが、3代目信貞の代に安祥城主・松平清康に敗れて岡崎を明け渡し、同郡大草に移り大草松平と称されたという[4]

信貞の孫ないし曾孫にあたる正親は、岡崎城主となった清康・広忠・元康の3代に仕えた。永禄3年(1560年桶狭間の戦いに従軍したが、丸根砦攻めで先陣を務めて討死した[注 1]。享年48[1][2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『龍城中岡崎中分間記』は、正親の父にあたる松平善兵衛が同様の戦いで戦死したとする説を載せている[5]

出典

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  1. ^ a b c d e 『寛永諸家系図伝』, § 松平 泰親信光の庶流.
  2. ^ a b c 『寛政重修諸家譜』, p. 142.
  3. ^ a b 『新編岡崎市史』, p. 440.
  4. ^ 『新編岡崎市史』, p. 653-654.
  5. ^ 『新編岡崎市史』史料, p. 29.

参考文献

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  • 新編岡崎市史編集員会 編『新編岡崎市史』 中世、新編岡崎市史編さん委員会、1989年。 
  • 新編岡崎市史編さん員会 編『新編岡崎市史』 史料 近世 上、新編岡崎市史編さん委員会、1983年。 
  • 『新訂寛政重修諸家譜』 1巻、続群書類従完成会、1964年。ISBN 978-4-7971-0205-5 
  • 寛永諸家系図伝』続群書類従完成会、2014年。ISBN 978-4-8406-3595-0