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松平忠淳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平忠淳
時代 江戸時代後期
生誕 天保12年7月20日1841年9月5日
死没 万延元年6月2日1860年7月19日
別名 主馬(通称
戒名 慈篤院殿大機源昌大居士神祇
墓所 愛知県額田郡幸田町深溝の本光寺
官位 従五位下主殿頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定家茂
肥前島原藩
氏族 宇和島伊達家深溝松平家
父母 伊達宗紀松平忠精
兄弟 徳千代、喜、就、長、貞、伊達宗徳、信、篤之助、忠淳
正子(松平忠精正室)、節子ら
忠愛
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松平 忠淳(まつだいら ただあつ)は、江戸時代後期の大名肥前国島原藩主。深溝松平家16代当主。官位従五位下主殿頭

略歴

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天保12年(1841年)7月20日、伊予国宇和島藩7代藩主・伊達宗紀の五男として誕生した。安政6年(1859年)に先代の島原藩主で妹婿の松平忠精が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・主殿頭に叙位・任官する。

松平忠淳の墓(幸田町本光寺)

万延元年(1860年)6月2日、脚気から衝心を引き起こしたのが原因で、江戸にて死去した。享年20。嗣子が無かったため、養子の忠愛松平忠篤(深溝松平家13代・松平忠侯の弟)の長男)が跡を継いだ。

系譜

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父母

養子