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松平忠貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松平 忠貞[1](まつだいら たださだ、天正16年(1588年)‐元和4年(1619年))は江戸時代前期の旗本。

通称:惣兵衛

父は松平家忠。母は水野忠分の娘。妻は彦坂光正の娘

徳川家康近侍し、御書院番を務めた。慶長15年(1610年)に三河国内で1000石を与えられ、子の忠良の時に蔵米1200を与えられ、上野下野国内で500石を与えられた。

忠貞の死後は、

2代:忠良(ただよし)【1616年‐1692年】
父は'松平忠貞。母は彦坂光正の娘。妻は吉良義弥の娘。
御書院番御小姓組御先鉄砲頭を務める。
3代:忠福(ただとみ、ただよし)【1637年‐1687年】
父は松平忠良。母は吉良義弥の娘。妻は荒川定安の娘。(荒川定安吉良義弥の弟)
御書院番を務める。
4代:忠和(ただかず)【1662年‐1710年】
父は松平忠福。母は荒川定安の娘。
御小姓組を務める。
5代:忠豊(ただとよ)【1675年‐1724年】
父は松平忠福。母は荒川定安の娘。先代、忠和の弟。
6代:忠晴(ただはる)【1712年‐1733年】
父は松平高久。(高久は忠和の弟・忠豊の兄。)母は不明。
7代:忠頼(ただより)【1716年‐1767年】
父は松平忠郷。母は不明。妻は松平高久の娘。
西ノ丸御小姓組を務める。
8代:忠直(ただなお)【1737年‐1789年】
父は松平忠頼。母は松平高久の娘。妻は安藤信歴の娘。
御書院番を務める。
9代:忠朋(ただとも)【1750年‐?年】
父は松平忠頼。母は松平高久の娘。先代、忠直の弟。妻は岡村直昌の娘。
御小姓組御使番を務める。
10代:忠温(ただあつ)【?年‐?年】
父は織田信直。母は蒔田広尊の娘。妻は松平忠朋の娘。(忠朋の婿養子)
初名は、織田信温(おだのぶはる)

脚注

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  1. ^ SGM335 (2023年3月4日). “深溝松平家~島原藩の分家旗本家~”. 探検!日本の歴史. 2024年12月3日閲覧。