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2020年8月20日 (木) 00:55時点における版
君主主義 |
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王位請求者(おういせいきゅうしゃ)とは、王位を現実行動として要求する者、もしくは理論上の王位継承順位の筆頭にある者のこと。請求対象が皇帝位である帝位請求者など、「王位」以外の君主の座を請求する者もここで取り扱う。歴史的な正統性・貴種性を有する者のみならず、高貴な血統を詐称することで玉座を狙う者や、逆に歴史や血統などによらない者も含まれうる。
概要
共和国において過去に廃止された君主制の復活(王政復古)を求めるパターンと、一般的に正統とされる在位中の君主に取って代わろうとする下剋上志向のパターンの二つに大別できる。
英語では「Pretender(詐欺師、僭称者)」の語句を用いることが一般的である[注釈 1]。これに対し、イギリスに拠点を置く国際君主主義者連盟代表のニコライ・トルストイ伯爵は、中立的用語でないとして「Claimant(主張者、請求者)」や「Heir(相続人、継承者)」の語句が望ましいとしている[1]。
実際に君主制の復活を求める者に限らず、世が世なら玉座に即いていたであろう旧君主家の当主は、その全てが請求者に数えられる。現在、請求者とされる人物には、一般人として生活している者も多いが、中には君主制の復活を求めて亡命政府や政治団体などを組織して活動している者もいる。(請求者とされる人物の意思にかかわらず)彼らを奉じて君主制を再導入しようとする君主主義組織・政治団体も各国に存在する[注釈 2]。
キリスト教の歴史において時として存在した対立教皇についても、同じように教皇位の請求者とみなすことができよう。
出現要因
王位請求者が現れる理由としては、主として次のようなケースが考えられる。
- 君主国において、それまでの王統・皇統の断絶に際して、旧王朝と血縁関係や姻戚関係にある者が請求するケース
- 例1:アンジュー公フィリップ
- スペイン・ハプスブルク家の男系男子断絶に際して、フランス・ブルボン家の王子ながらスペイン・ハプスブルク家の血を色濃く引いていたことからスペイン国王候補となり、紆余曲折はあれど最終的に「スペイン王フェリペ5世」として認められた。(⇒スペイン継承戦争)
- 例2:バイエルン選帝侯カール・アルブレヒト
- オーストリア・ハプスブルク家の男系男子が断絶した際に、妻がハプスブルク家出身であることを理由として神聖ローマ帝位やボヘミア王位を要求した。(⇒オーストリア継承戦争)
- この場合、落胤を称したり生存説を唱えたりする、実際の貴種性が疑わしい請求者が出現することもままある。具体例として、リューリク朝の断絶後に皇位僭称者が次々と現れた動乱時代のロシアが挙げられよう。
- 簒奪や宮廷クーデター、革命による旧王朝もしくは君主制の廃絶や、他国の支配により国自体が滅ぼされるなどして廃位された君主本人やその子孫などが請求するケース
- 例1:イングランド王ジェームズ2世
- 議会によって廃位されて国外追放となってからも、玉座を諦めずにイングランド王を称し続けた。(⇒ジャコバイト)
- 例2:フランス皇帝ナポレオン3世
- この場合、実際の貴種性が疑わしい請求者が出現することもままある。フランス革命後のヨーロッパでは、革命の犠牲となったルイ王太子(ルイ17世)であると自称する男が100人以上も現れた[2]。類例として、太平洋戦争後の日本において林立した自称天皇たち(その多くが、両統迭立の約束を反故にされたあげく北朝に皇位を「簒奪」された後南朝の後裔を称した)が挙げられよう。
- 伝統的継承法の変更により継嗣の座を奪われた元相続人が、これを認めずに自らの歴史的正統性を主張するケース
- 例1:モリナ伯カルロス
- スペイン国王フェルナンド7世の王太弟だったが、王位継承法の変更により女王が認められたため、相続人の座を姪イサベルに奪われた。これを不服として、兄王の崩御後に正当な国王「カルロス5世」であることを宣言した。(⇒カルリスタ戦争)
- 継承権を放棄したはずの者やその子孫が、放棄宣言をのちに撤回して自らの正統性を主張するケース
- 例1:ペドロ・デ・アルカンタラ・デ・オルレアンス・エ・ブラガンサ
- ブラジル皇族。名目上の女帝イザベル・ド・ブラジルの長男だったが、貴賤結婚のために皇位継承権を放棄した。母はペドロに代わってその弟を継承者としたが、のちにペドロは継承権を放棄していないと主張し、ブラジル帝室の分裂を招いた。(⇒ペトロポリス系とヴァソウラス系)
- 例2:アルフォンソ・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス
- 父である両シチリア王子カルロ・タンクレーディは、1900年12月14日に自身と子孫の両シチリア王位継承権を放棄した(⇒カンヌ証書)。これはスペイン王女との結婚に際しての放棄であり、カルロ・タンクレーディは代わりにスペイン王子の称号を獲得している。しかし、のちにその子孫が両シチリア王家の嫡流となった。アルフォンソは国事詔書級の事態であるとして家督を主張し、両シチリア王家の分裂を引き起こした。(⇒カラブリア系とカストロ系)
- 継承権を持ちながらも順位が低い者、継承権を持たない庶子、高貴な血統とは無関係な一般人などが請求するケース
- 例1:ポルトガル王ミゲル1世
- 例2:ヨーゼフ・アウグスト・フォン・エスターライヒ
- ハプスブルク=ロートリンゲン家の中でも継承順位の低い皇族であったが、ハンガリーに深く根を下ろしていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後に誕生したハンガリー王国において、存命だった最後のハンガリー国王カーロイ4世などを差し置いて新たなハンガリー国王に擁立された。
- 聖キリルは、『旧約聖書』の中でサウルとの血縁関係を持たないダビデがイスラエル王になっていることを根拠に、神による選択は正当性の根拠として血縁関係よりも優位にあるとした[3]。
現在の王位請求者の一覧
アジア
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
アフガニスタン王国 | アフマド・シャー・ハーン | 最後のアフガニスタン国王ザーヒル・シャーの息子。 | |
イエメン・ムタワッキリテ王国 | アギッル・ビン・モハメッド・アル=バドル | 最後のイエメン国王ムハンマド・アル=バドルの息子。イエメン王国亡命政府が現存する。 | |
イラク | ラード・ビン・ザイド | 初代国王ファイサル1世の弟ザイド・イブン・フサインの長男にあたる。息子ザイド・ラード・アル・フセインは国際連合人権高等弁務官を務めた。 | |
イラク | シャリーフ・アリー・イブン・アル=フセイン | 最後の国王ファイサル2世の従弟にあたる。フセイン政権の崩壊後、王制滅亡以来初めてイラクの地を踏んだが、アメリカを含めどこの国からも充分な支援を得られず、またイラク国内に政治基盤もなくイラク国民からの支持がほとんどないため、イラクを離れ、現在はイギリスで生活している。2005年にイラクで行われた暫定国民議会選挙では、自らが党首を務めるイラク立憲君主党も参加したが、議席は獲得できなかった。 | |
イラン (パフラヴィー朝イラン) |
クロシュ・レザー・パフラヴィー | 最後の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーの長男で、元皇太子。イランにおける人権問題等を批判し、イランの世俗化と民主化を主張して政治活動を行っている。 | |
崇高なる国ペルシア (ガージャール朝イラン) |
モハンマド・ハサン・ミールザー2世 | 第6代君主モハンマド・アリー・シャーの子孫。亡命政府がアメリカ合衆国を拠点に存在する。 | |
オスマン帝国 | デュンダル・アリ・オスマン | オスマン家第45代当主。 | |
カルトリ・カヘティ王国 | ダヴィッド・バグラチオン・ムフラニ | カルトリ・カヘティ王国がロシア帝国に併合された後、王家であるバグラティオニ家はロシア貴族として扱われた。ダヴィッドはバグラティオニ家の分家(=第2王統)であるムフラニ家の当主。ロシア革命を受けてムフラニ家はイタリアに亡命したが、宗家(=第1王統)はソビエト連邦に留まり、やがて消息不明になった。ダヴィッドの祖父イラクリ・バグラチオン・ムフラニは、ロシア革命後にロシア皇族・貴族が大量に処刑されたことから、宗家も根絶やしにされたと判断し、ムフラニ家が当主になったと宣言した。 | |
カルトリ・カヘティ王国 | ヌグザル・バグラチオン・グルジンスキ | バグラティオニ家の宗家(=第1王統)にあたるグルジンスキ家の当主。グルジンスキ家は共産主義政権のもとで断絶したと考えられていたが、ソ連崩壊後になって存続していたことが判明し、分家・ムフラニ家(=第2王統)との競合状態になった。ヌグザルは娘のアンナ・バグラチオン・グルジンスキをムフラニ家の当主ダヴィッドと結婚させた。両王統の合同が期待されていたが、ダヴィッドとアンナ夫妻は2013年に離婚した。 | |
サラワク王国 | ローレンス・ニコラス・ブルック(Laurence Nicholas Brooke) | サラワク王家(ブルック王朝)の子孫。第2代国王チャールズ・ブルックの玄孫。弟にジェイソン・デズモンド・アンソニー・ブルック。 | |
清 満洲国 |
金毓嶂 | 清朝最後の皇帝である溥儀の弟、愛新覚羅溥任の長男。一般的に愛新覚羅氏の家長とみなされる。「愛新覚羅」ではなく漢風の姓として「金」を用いている。 | |
清 満洲国 |
愛新覚羅恆鎮 | 清の皇族・愛新覚羅毓嵒の長男。父・毓嵒は、最後の皇帝である溥儀から皇位継承者に指名されたと主張していた。なお溥儀は自伝の中で、毓嵒を相続人として検討したことについて触れてはいるが、それ以上の言及はない。 | |
スールー王国 | en:Muedzul Lail Tan Kiramほか | スールー王国の滅亡後、王家の複数の家系がスルタン位を主張しはじめ、現在、スルタン一族の間で継承順位を巡る論争が起きている。2013年、ジャマルル・キラム3世がラハダトゥ対立を起こした。 | |
チベット | ダライ・ラマ14世 | 宗教的権威者の立場と、政治的権威者の立場とを兼ね備えたチベットの僧侶君主だったが、1959年にインドへ亡命して政治難民となった。 | |
チャンパーサック王国 | Keo na Champassak | ブン・ウムの長男で、最後のチャンパーサック王ブア・ルパアン・ラーチャナダイの孫。 | |
ネパール王国 | ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ | 2008年に制憲議会によって廃された最後のネパール国王。 | |
ビルマ王国 | ソー・ウィン | 最後の国王ティーボーの曾孫。 | |
ベトナム帝国 | バオ・アン | 阮朝最後の皇帝であったバオ・ダイ(保大帝)の皇子で、阮氏の現当主。 | |
モルディブ・スルターン国 | イブラヒム・ファリド・ディディ | 第94代にして最後のスルターンであるムハンマド・ファリド・ディディの甥。 | |
ラオス王国 | スリウォンサワーン | 最後のラオス国王サワーンワッタナーの嫡孫で、ラオスの王位継承者。現在はフランスで亡命生活を送る。ラオスにおける立憲君主制を復活させるために、ラオス王国亡命政府と協力しながら政治活動を展開している。 | |
琉球国 | 尚衞 | 第二尚氏の第23代当主。最後の琉球国王として知られる尚泰王の玄孫。 |
インド諸邦
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
アルワル藩王国 | ジテンドラ・シン | インド国民会議の政治家として活動している。 | |
ヴァドーダラー王国 | Maharaja Samarjitsinhrao Gaekwad | ヴァドーダラー王家当主。 | |
カッチ王国 | en:Pragmulji III | カッチ王家当主。 | |
コーター王国 | ブライライ・シン | 最期のマハーラーオであるビム・シン2世の息子。 | |
シッキム王国 | ワンチュク・ナムゲル | 最後のシッキム国王パルデン・トンドゥプ・ナムゲルの王子。祖国シッキムがインドに併合された後、第13代シッキム国王を称して戴冠したが、現在は僧侶として静かに過ごしているとされる。 | |
ジャイプル藩王国 | パドマナーバ・シン | 最後の藩王バワニ・シンの女系の孫。 | |
ジャンムー・カシュミール藩王国 | カラン・シング | 最後の藩王ハリ・シングの息子。 | |
ドゥーンガルプル王国 | Mahipal Singh II, Maharawal of Dungarpur (born 1931) | ドゥーンガルプル王家当主。 | |
ドールプル藩王国 | ドゥシャント・シン | ファイル:Dushyant Singh.jpg | 最後の藩王ヘマント・シンの息子。 |
トラヴァンコール王国 | ムラム・ティルナル・ラーマ・ヴェルマ | トラヴァンコール王家当主。 | |
ニザーム王国 | ムカラム・ジャー | ニザーム王家当主。王太子アーザム・ジャーの息子。 | |
バラトプル王国 | ヴィシュヴェンドラ・シング | バラトプル王家当主。 | |
マイソール王国 | en:Yaduveer Krishnadatta Chamaraja Wadiyar | マイソール王家当主。 | |
マールワール王国 | ガジ・シング | マールワール王家当主。 | |
ムガル帝国 | ミールザー・グラーム・モイーヌッディーン・ムハンマド・ジェイブド・ジャー・バハードゥル | 1931年にインド政府によってムガル朝(ティムール朝)の当主として認められた[要出典]Muhammad Khair ud-din Mirza, Khurshid Jah Bahadurの息子。 | |
メーワール王国 | マヘンドラ・シング・メーワール | メーワール王家当主を称する。国際的な報道では、正当な当主として言及されることが多い。 | |
メーワール王国 | アルヴィンド・シング・メーワール | メーワール王家当主を称する。マヘンドラの弟。ウダイプルの旧貴族の間では正当な当主として認識されている。 | |
ラームプル藩王国 | Sayyid Muhammad Kazim Ali Khan, Nawab of Rampur | ラームプル藩王家当主。 | |
ラジピプラ王国 | Raghubirsinhji, Maharaja of Rajpipla | ラジピプラ王家当主。息子は「インドで最も有名なゲイ」とされるマンヴェンドラ・シン・ゴーヒル。 |
朝鮮
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
大韓帝国 | 李源 | 全州李氏宗家の第30代当主で、正式な皇位請求者とされる。高宗の第5皇子である李堈の九男・鉀の長男。2005年、直系の李玖の死後、その養子として李王家の後継者(皇嗣孫)となる。 | |
大韓帝国 | 李錫 | 李堈の十男。李源の叔父にあたる。「皇室文化財団(황실문화재단)」の総裁として、「朝鮮皇室復元運動」を行う。2018年、遠縁にあたるAndrew Leeを後継者に指名した[4]。 |
アフリカ
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
エジプト | フアード2世 | ムハンマド・アリー朝の最後のエジプト国王。1歳にも満たないうちに即位し、戴冠しないうちにその翌年のクーデターで王政が廃止されたため、実質的な統治は行わなかった。 | |
エチオピア帝国 | ゼラ・ヤコブ・アムハ・セラシエ | 最後のエチオピア皇帝であるハイレ・セラシエ1世の孫。エチオピア皇帝を称していたアムハ・セラシエの息子。1997年の父の死後、エチオピア帝国亡命政府「エチオピア帝冠評議会」にエチオピア帝室の家長であると認識されている。 | |
エチオピア帝国 | ギルマ・ヨハニス・イヤス | 戴冠式を行わないまま退位させられたイヤス5世の曾孫として、ゼラ・ヤコブと対立する王位請求者となっている。 | |
ザンジバル王国 | ジャムシッド・ビン・アブドゥッラー | 1964年に発生したザンジバル革命によって廃されたスルターン。オマーンのブーサイード朝の分家にあたる。 | |
中央アフリカ帝国 | ジャン=ベデル・ボカサ2世 | 中央アフリカ皇帝ボカサ1世の息子で、元皇太子。 | |
チュニジア王国 | Muhammad Al Husain | Muhammad VI al-Habibの孫。 | |
ブルンジ王国 | ローザ・ポーラ・イリバギザ | 最後のブルンジ国王ンタレ5世の妹。 | |
リビア王国 | ムハンマド・エル=サヌーシー | サヌーシー朝リビア王イドリース1世の甥の息子。 | |
ルワンダ王国 | ユヒ6世 | 最後のルワンダ国王キゲリ5世の甥。 |
ヨーロッパ
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
アルバニア王国 | レカ・ゾグ | アルバニア国王ゾグ1世の孫で、アルバニア王家の家長。王制支持者からは「レカ2世(Leka II)」と呼ばれている。 | |
ギリシャ王国 | コンスタンティノス2世 | 最後のギリシャ国王。1974年の国民投票で廃位された。 | |
クロアチア独立国 | アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ | クロアチア国王トミスラヴ2世の息子。出生時には王太子で、クロアチアの君主主義者の一部から「ズヴォニミル2世(Zvonimir II)」とみなされる。クロアチア独立国はドイツとイタリアの傀儡国家とされ、またズヴォニミル2世はクロアチアに足を踏み入れたこともないので、ハプスブルク家に比べると支持者は多くない。 | |
セルビア王国 | アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ | ユーゴスラビア王国最後の国王であるペータル2世の息子で、元王太子。「セルビア王太子アレクサンダル2世」を称する。 | |
ナバラ王国 | ペドロ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス | ファイル:Pedro di Calabria (http---www.newtuscia.it-2018-04-06-visita-viterbo-caprarola-del-principe-pedro-borbone-gran-maestro-dellordine-costantiniano-s-giorgio-).jpg | カラブリア系のブルボン=シチリア家の家長で、カラブリア公およびカゼルタ伯を名乗る。「ペドロ2世」。祖母のアリシア・デ・ボルボン=パルマが伝統的な親族間の男系優先の長子相続に基づくナバラ王位の請求者であることが、カラブリア系ブルボン=シチリア家の公式ホームページ[5]において言及されていた。 |
ナバラ王国 | ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン | ファイル:Louis XX.jpg | ブラン・デスパーニュと呼ばれる現在のフランスおよびナバラ王位請求者。ルイ13世以降のナバラ王位のフランス王位への統合にともなう、サリカ法による相続に基づく。公称「ルイス9世」。 |
ブルガリア王国 | シメオン2世 | ブルガリア最後の国王。1943年に6歳で即位したが、1946年の国民投票により王制が廃止され、母后とともに亡命した。のちに「シメオン・サクスコブルクゴツキ」としてブルガリアの首相に就任した。 | |
ポルトガル王国 | ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ | ブラガンサ家の家長。ポルトガル内戦で廃されたミゲル1世の曾孫で、最後の国王マヌエル2世から後継指名されたドゥアルテ・ヌノの長男。「ブラガンサ公」を名乗る。大部分の王党派は彼を正当な王位請求者として認めている。 | |
ポルトガル王国 | D. Pedro Folque de Mendoça Rolim de Moura Barreto, 6º duque de Loulé | ポルトガルの貴族ローレ公爵家の当主。 ミゲル1世の妹アナ・デ・ジェズス・マリア・デ・ブラガンサの子孫。この系統の支持者は、ミゲル1世はポルトガル王位に関する全ての権利を放棄したため、その子孫であるドゥアルテ・ヌノの系統には王位請求者たる資格がないとみなす。最後の国王マヌエル2世がドゥアルテ・ヌノを後継に定めているため、この主張はあまり支持を得られていない。 | |
モンテネグロ王国 | ニコラ・ペトロヴィチ=ニェゴシュ | ファイル:Le prince Nicolas Petrovitch-Njegosh de Monténégro, vers 1990.jpg | モンテネグロ王ニコラ1世の嫡曾孫で、モンテネグロ王家の家長。「モンテネグロ王太子」を称しており、王党派からは「ニコラ2世(Никола II)」と呼ばれている。ペトロヴィチ=ニェゴシュ王朝の子孫の地位に関する法律により、大統領と同額の手当が支給されている。 |
リトアニア王国 | ウラッハ公ヴィルヘルム・アルベルト | 1918年にリトアニア王国の王に選出されたミンダウガス2世の孫。ウラッハ家当主であり、理論上はリトアニア王位継承権の筆頭保持者であると考えられる。 | |
リトアニア王国 | イニゴ・フォン・ウラッハ | 1918年にリトアニア王国の王に選出されたミンダウガス2世の孫。ヴィルヘルム・アルベルトの弟。リトアニア愛国者であり、君主主義者たちによって兄を差し置いて国王候補として推戴された[6]。 |
イタリア諸邦
スペイン
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
スペイン王国 | カルロス・ハビエル・デ・ボルボン=パルマ | ブルボン=パルマ家の家長で、スペインのカルリスタ王位請求者として「カルロス・ハビエル1世(Carlos Javier I)」と呼ばれる[10][11]。 | |
スペイン王国 | シクスト・エンリケ・デ・ボルボン=パルマ | カルロス・ハビエルの叔父。カルロス・ハビエルはカルリスタの王位請求者にはなったもののカルリスタ伝統派の価値観を受け容れておらず、それを憂慮して甥が価値観を受け入れるまでの暫定的な地位として摂政を称する。が、カルロス・ハビエルではなく彼こそがカルリスタの王だとみなす者もいる。 | |
スペイン王国 | ドミニコ・デ・アウストリア=トスカーナ | アブスブルゴ=トスカーナ家の一族。カルロクタビスタ派のカルリスタ王位請求者だが、有力な支持者はいない。 | |
スペイン王国 | ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーン | ファイル:Louis XX.jpg | スペイン王族。聾唖のために王位継承権を放棄したセゴビア公ハイメの子孫であり、見方によってはスペイン王家の嫡流といえる。王位継承権はなくまたスペイン王位の請求もしていないが、母親を介してフランシスコ・フランコ総統の血を引いていることから、彼を真のスペイン国王として推戴するフランコ主義者がいる[12]。 |
ドイツ諸邦
- ドイツ語圏の君主主義も参照。
ハプスブルク君主国
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
オーストリア帝国 クロアチア=スラヴォニア王国 ハンガリー王国 ボヘミア王国ほか |
カール・ハプスブルク=ロートリンゲン | ハプスブルク=ロートリンゲン家当主。最後のオーストリア皇帝カール1世(=ハンガリー国王カーロイ4世、ボヘミア国王カレル3世、クロアチア国王カルロ4世)の孫。 | |
オーストリア帝国 クロアチア=スラヴォニア王国 ハンガリー王国 ボヘミア王国ほか |
ローレンツ・フォン・エスターライヒ=エステ | 前述のカールの結婚はハプスブルク家の伝統に照らし合わせれば貴賤結婚であり、その弟ゲオルクは父がハプスブルク法を受諾した後に生まれたうえ、ルター派の妻を迎えているため、オーストリアの君主主義者たちの中にはローレンツこそが正当な継承者とする者も少なからずいるという[13]。 |
フィンランド
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
フィンランド王国 | フィリップ・フォン・ヘッセン | ヘッセン家の当主ハインリヒ・ドナトゥス・フォン・ヘッセンの弟。フィンランド国王カールレ1世の子孫で、叔父ハインリヒからフィンランド王国の王位請求権を相続した。 |
また、歴代ロシア皇帝はアレクサンドル1世からニコライ2世に至るまで5代にわたってフィンランド大公国の君主として「フィンランド大公」の称号を有していたことから、現在のロマノフ家当主もフィンランド大公位請求者と考えることができる。
フランス
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
フランス王国 | ルイ・アルフォンス・ド・ブルボン | ファイル:Louis XX.jpg | ルイ14世の孫の一人、フランス王子フィリップが「フェリペ5世」として即位したことに始まるスペイン・ブルボン朝の一族。スペイン・ブルボン家は最も正統王朝に血統の近い家系であるため、「フランス・ブルボン家最後の男系男子シャンボール伯アンリの死後、フランス王位継承権はスペイン・ブルボン家に渡った」と主張するレジティミストによって、国王「ルイ20世」として推戴される。ただし、スペイン・ブルボン家はユトレヒト条約に従えばフランス王位継承権を放棄していることが明白であるため、ヨーロッパ王侯からの支持はほとんど得られていない。 |
フランス王国 ( フランス王国) |
ジャン・ドルレアン | ルイ14世の弟・オルレアン公フィリップ1世を祖とするオルレアン家の家長。連合派(伝統的なオルレアニストに加えて、いまやオルレアン家が王冠相続人になったと考えるレジティミスト)によって、国王「ジャン4世」として推戴される。ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサによると「オルレアン家がフランス王家であると全てのヨーロッパ王侯が認めている[14]」とのことだが、ルイ16世の処刑に賛成票を投じたオルレアン公ルイ・フィリップ2世や正統主義者にとっては王位簒奪者であるルイ=フィリップ王の子孫でもあるため、王党派の間にはオルレアン家への嫌悪感も根強い[15]。 | |
フランス帝国 | ジャン=クリストフ・ナポレオン | ボナパルト家の当主。皇帝ナポレオン1世の弟ジェローム・ボナパルトの子孫。「ナポレオン6世」として知られた祖父ルイ・ナポレオンの遺言により、離婚歴と政治活動が問題視された父シャルル・ナポレオンを飛ばして、ボナパルティストの帝位請求者「ナポレオン7世」となった[16]。 | |
フランス帝国 | シャルル・ボナパルト | 「ナポレオン6世」ことルイ・ナポレオンの息子。離婚歴と政治活動が理由とされて、ボナパルト家の家督相続権を剥奪されたが、正当なボナパルト家当主「ナポレオン7世」であることを主張する[16]。ただし、2012年を境に「シャルル・ナポレオン」から「シャルル・ボナパルト」に呼び名を改めたため、「ナポレオン親王(ナポレオン公とも)」の名を持つ当主の役割を息子ジャン・クリストフに譲ったとも考えられる[17]。 | |
フランス王国 | バルタザール4世・ド・ブルボン | 「ブルボン=ボーパール家」を称する、インドの旧貴族。先祖はインドに土着化したブルボン家の王族だとする。スペイン・ブルボン家はスペイン王位を継承するにあたってフランス王位継承権を放棄したと解釈し、かつオルレアン家に反発する一部レジティミストから支持されるが、ブルボン家の子孫であると科学的に証明されているわけではない。(インドのブルボン家参照) | |
フランス王国 | シャルル・ルイ・ド・ブルボン | 偽ルイ17世ことカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフの子孫(ナウンドルフ家参照)で、「シャルル13世」を称する。ナウンドルフはミトコンドリアDNA調査でルイ17世とは別人であるとの結果が出ているが、一方でナウンドルフの男系玄孫であるユーグ・ド・ブルボンとブルボン家一族の男性3名のY遺伝子が酷似しているという調査結果も出ている[18]。ただし多くの科学者は信頼性に疑問を呈している。 |
- この他のフランス王位請求者として、イングランド王位請求者とされる人々を挙げることができる。
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
---|---|---|---|
アイルランド王国 イングランド王国 スコットランド王国 |
フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア | ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから正当な国王「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はジャコバイトの主張に与していない。フランス王としては「フランソワ2世(François II)[注釈 3]」となるが、イングランド王位を請求していない以上、それに付随するフランス王位も当然請求していない。 | |
アイルランド王国 イングランド王国 スコットランド王国 |
ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズ | ファイル:Pedro di Calabria (http---www.newtuscia.it-2018-04-06-visita-viterbo-caprarola-del-principe-pedro-borbone-gran-maestro-dellordine-costantiniano-s-giorgio-).jpg | 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。 |
アイルランド王国 イングランド王国 |
キャロライン・チャイルド・ヴィリアーズ(Caroline Child-Villiers) | 第9代ジャージー伯爵ジョージ・チャイルド・ヴィリアーズの長女。メアリー・テューダーの次女エリナー・ブランドンの末裔で、テューダー朝の流れを汲む(en:Alternative successions of the English and British crownを参照) | |
アイルランド王国 イングランド王国 |
テレサ・メアリー・ニュージェント・フリーマン=グレンヴィル | 13代キンロス女卿。「九日間の女王」と呼ばれるジェーン・グレイの妹キャサリン・グレイの子孫であり、ジェーン・グレイの王冠相続人と見なされる。 | |
イングランド王国 | サイモン・アブニー・ヘイスティングズ | 第15代ラウドン伯爵。マーガレット・プランタジネットの末裔。プランタジネット朝の流れを汲むが、本人がイングランド王位を請求しているかどうかは不明。(en:Alternative successions of the English and British crownを参照) |
上記の人物は、いずれも理論上はフランス王位請求者を兼ねる。百年戦争の時代から何世紀にもわたって、歴代イングランド国王は「フランス国王」の称号を主張してきた。合同法にもとづきグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立した1801年に至り、フランス王号は公式に放棄されたが、これはあくまで現在のイギリス王室の話である。彼らは、いずれもフランス王位を放棄する前のイングランド玉座の継承者であるため、依然としてフランス王位請求者であると解せられる。
ポーランド
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
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ポーランド・リトアニア共和国 | アレクサンダー・フォン・ザクセン=ゲッサフェ | ザクセン王家の家長を称する一人。ポーランド・リトアニア最後の国王スタニスワフ2世アウグスト治世下に制定された5月3日憲法によれば、ポーランド・リトアニア王位はザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト(のちのザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世)の子孫に世襲されることになっていた。 | |
ポーランド・リトアニア共和国 | リューディガー・フォン・ザクセン | ザクセン王家の家長を称する一人。 |
この他にも、1815年のポーランド立憲王国の成立以来、歴代ロシア皇帝は最後のニコライ2世に至るまでポーランド王の称号を有していたことから、現在のロマノフ家当主もポーランド王位請求者と考えることができる。
ルーマニア
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
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ルーマニア王国 | マルガレータ・ア・ロムニエイ | 最後のルーマニア国王ミハイ1世の長女。ルーマニア王室の家長として「ルーマニア王冠の守護者」の称号と「陛下」の敬称を用いる。 | |
ルーマニア王国 | パウル=フィリップ・ホーエンツォレルン | ルーマニア国王カロル2世の庶流の孫。叔父ミハイ1世の系統をルーマニア王家の正統として認めず、自身がルーマニア王室の家長であると主張する。 | |
ルーマニア王国 | カール・フリードリヒ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン | ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵家の当主。ルーマニア王家の本家筋にあたり、女子であるマルガレータ・ア・ロムニエイによる継承を認めない一部王党派から支持される。ただし本人はルーマニア王位には興味がないと答えている。 |
ロシア
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
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ロシア帝国 | マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ | ロマノフ家(ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家)の家長を称する。ロシア帝室家憲の男系男子継承の原則ならびに貴賤結婚の解釈の違いから、一族の中にはマリヤが当主を務めることに対する異論もあり、ロマノフ家の分家に属するニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフと競合状態にある。 | |
ロシア帝国 | アンドレイ・ロマノフ | アンドレイ・アレクサンドロヴィチの息子。ニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフの死後、その弟ドミトリー・ロマノヴィチ・ロマノフが家督を継いだが、ドミトリーが没するとロマノフ家協会によって当主とされた。 | |
ロシア帝国 | ニコライ・キリロヴィッチ・ライニンゲン=ロマノフ | ライニンゲン公子カール・エミッヒ。第7代ライニンゲン公エミッヒ・カイル の長男。祖母が皇女マリヤ・キリロヴナで、マリヤ大公女の従甥にあたる。2014年4月よりロシア連邦君主制主義者党 が「ロシア皇帝ニコライ3世」と称して推戴している。ロマノフ男系ではないものの、マリヤ大公女およびニコライ・ロマノヴィッチ大公はともに貴賤結婚の子孫であるため皇位継承権を有していないというのが理由である。父の死後、第8代ライニンゲン公位は弟のアンドレアス が継いでいる。 |
北アメリカ
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
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メキシコ帝国 | マクシミリアン・フォン・ゲッツェン=イトゥルビデ | 第一帝政期の帝室イトゥルビデ家の家長。イトゥルビデ家はメキシコ第二帝政の皇帝マクシミリアーノ1世(ハプスブルク家出身)の養子に迎えられていたため、第二帝政の流れも汲んで「マクシミリアーノ2世(Maximiliano II)」を称する。 | |
メキシコ帝国 | カルロス・フェリペ・デ・アブスブルゴ=ロレナ | 最後のオーストリア皇帝カール1世の三男フェリックス・ハプスブルク=ロートリンゲンの長男。すなわちマクシミリアーノ1世と同じくハプスブルク一族で、マクシミリアーノ皇帝はイトゥルビデ家を後継者として採用しなかったと主張する一部の君主主義者によって支持される[19]。 |
南アメリカ
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
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アラウカニア・パタゴニア王国 | フレデリック・リュズ | 「アントワーヌ4世」公ことジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラが2017年に没した後、後継者に選出された。「フレデリック1世(Frédéric I)」 | |
アラウカニア・パタゴニア王国 | スタニスラス・パルビュレスコ(Stanislas Parvulesco) | 「フレデリック1世」と対立する王位請求者として、「スタニスラス1世(Stanislas I)」を称する。 | |
ブラジル帝国 | ペドロ・カルルシュ・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ | ペトロポリス系ブラジル帝位請求者。祖父のペドロ・デ・アルカンタラが貴賤結婚をしたことによる継承権放棄を無効と考える君主制支持者の一部から、正統なブラジル帝位継承者と見なされ、「ペドロ5世(Pedro V)」とされている。 | |
ブラジル帝国 | ルイス・ガスタン・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ | ヴァソウラス系ブラジル帝位請求者。1981年に父の後を継いで名目上のブラジル帝位を継承し、「ルイス1世(Luís I)」となった。 |
オセアニア
国名 | 名前 | 肖像・紋章等 | 説明 |
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タヒチ王国 | レオポルド・ポマレ | 19世紀のタヒチ島に君臨していたポマレ王朝の末裔。タヒチ王家の嫡流であったが、17歳でフランスに渡り、そのまま一度もタヒチに戻っていない。 | |
タヒチ王国 | ジョアンヴィル・ポマレ | 19世紀のタヒチ島に君臨していたポマレ王朝の末裔。女王ポマレ4世の子孫で、2009年5月28日に「タヒチと島々の王(roi de Tahiti et des îles)」を宣言した。「ポマレ11世」を称する[20]。2009年9月9日に戴冠式を計画したが、一族の中にはレオポルドこそが正統であるとしてジョアンヴィルの王位請求に反対する者もいる。王冠の継承権に関する論争はあるが、多くのタヒチ人によってジョアンヴィルが正当な相続人であると考えられている[20]。 | |
ハワイ王国 | クエンティン・クヒオ・カワナナコア | カラカウア朝断絶により王位継承権を承継したカワナナコア家。 | |
ハワイ王国 | アビゲイル・キノイキ・ケカウリケ・カワナナコア | ハワイ王室当主の一人とされる。 | |
ハワイ王国 | オワナ・サラザール | ハワイ王室当主の一人とされる。 |
脚注
注釈
- ^ このニュアンスで日本語訳すれば「王位僭称者(おういせんしょうしゃ)」、「王位覬覦者(おういきゆしゃ)」といった表現になる。
- ^ オーストリアのシュヴァルツ=ゲルベ・アリアンツ、ポーランドの保守王党派クラブ、チェコ・コルナなど。
- ^ ジャコバイトは百年戦争期(1337年 - 1453年)からずっとイングランド王がフランス王位継承者たることを主張しているため、ヴァロワ朝のフランソワ1世(在位:1515年 - 1547年)とフランソワ2世(在位:1559年 - 1560年)を当然フランス王として認めておらず、したがって「フランソワ」という名のフランス王は「フランソワ1世」ことモデナ公フランチェスコ5世に続いて彼が2人目ということになる。
出典
- ^ マイケル・ジョゼフ・グロス (2018年4月27日). ““There’s Nothing Wrong with Falling from Grace”: The Global Network of Monarchists Helping Deposed Kings and Queens”. ヴァニティ・フェア 2019年12月9日閲覧。
- ^ Hadley Meares (2018年11月30日). “Why 100 Imposters Claimed to Be Marie Antoinette’s Dead Son”. ヒストリーチャンネル 2020年1月10日閲覧。
- ^ ビリアルスキ(2016), p. 161.
- ^ “Californian techie becomes Korean crown prince in fairytale twist”. デイリー・テレグラフ. (2018年12月29日) 2019年1月14日閲覧。
- ^ http://www.borbone-due-sicilie.org/english/genealogy.html
- ^ “Jo šviesybė princas Inigo von Urachas, Uracho kunigaikštis, Württembergo grafas ir paskutinio Lietuvos karaliaus – Mindaugo II – anūkas, yra legitimus pretendentas į Lietuvos sostą.”. Delfi. (2013年5月19日) 2020年1月10日閲覧。
- ^ Mensaje al Pueblo Carlista de S.M.C. Don Carlos Javier I de Borbón, Rey de Las Españas – blogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
- ^ El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish)
- ^ “Rencontre avec le prince Pierre Murat”. ウエスト・フランス. (2017年7月8日) 2019年3月9日閲覧。
- ^ AL PUEBLO CARLISTA DE S.M.C. DON CARLOS JAVIER I DE BORBÓN, REY DE LAS ESPAÑAS – blogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
- ^ El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish)
- ^ “"Eres nuestro rey": por qué los ultras aclaman a Luis Alfonso en plena crisis en Zarzuela”. EL ESPAÑOL. (2018年7月17日) 2018年10月22日閲覧。
- ^ Marcus Stoimaier (2017年1月11日). “Die Kassen klingeln! So lebt Österreichs Adel”. weekend.at 2020年1月8日閲覧。
- ^ “Dom Duarte de Bragance : « La République est très démocratique, mais a déjà mis le pays en banqueroute par deux fois ! »”. L'Incorrect. (2019年1月28日) 2019年2月21日閲覧。
- ^ “仏旧王族のオルレアン家当主が死去、葬儀に各国王族が参列”. フランス通信社. (2019年2月3日) 2019年2月24日閲覧。
- ^ a b 野村(2019), p. 243.
- ^ 野村(2019), p. 245.
- ^ http://www.ijsciences.com/pub/pdf/V320140219.pdf.
- ^ “Mitos y presuntos herederos a un inexistente torno de México”. La Crónica de Hoy. (2015年7月2日) 2019年11月9日閲覧。
- ^ a b “Real Tahitian royal is modest man more at home wearing just shorts and T-shirt”. クーリエ・メイル. (2011年12月15日) 2019年1月14日閲覧。
参考文献
- イヴァン・ビリアルスキ「神の加護のもとで : 選挙君主制と世襲制、中世の神権政治と現代の合理性のはざまで(1)」『仏語仏文学研究』第48号、中央大学仏語仏文学研究会、2016年2月、151-170頁、ISSN 0286-5920、NAID 120006639287。
- 野村啓介『ナポレオン四代:二人のフランス皇帝と悲運の後継者たち』中央公論新社〈中公新書〉、2019年2月25日。ISBN 978-4-12-102529-6。