アラウカニア・パタゴニア王国
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- アラウカニア・パタゴニア王国
- Royaume d'Araucanie et de Patagonie
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1860年 - 1862年 →
→(国旗) (国章) - 国の標語: Independencia y Libertad
自由と独立
アラウカニア・パタゴニア王国の領土-
公用語 フランス語、マプドゥングン語 首都 ペルケンコ - 国王
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1860年 - 1862年 オルリ・アントワーヌ1世 - 変遷
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宣言 1860年11月17日 「国王」追放 1862年
アラウカニア・パタゴニア王国(仏:Royaume d'Araucanie et de Patagonie)とは、1860年にフランス人の弁護士で冒険家のオルリ・アントワーヌ・ド・トゥナンが南アメリカ大陸の南部に建国した国家。
19世紀半ばに南アメリカ大陸の南部においては、原住民族のマプチェ族(Mapuche)がアルゼンチンとチリの進出に武装抵抗を行っていた。1860年にこの地を訪れたオルリ・アントワーヌ・ド・トゥナンは、マプチェ族に共感し、1860年11月17日にラ・アラウカニア州の独立宣言を行い、12月20日にはパタゴニアもその領域に含めた。彼は、その宣言の写しをチリの新聞に送付している。
マプチェ族はオルリ・アントワーヌ・ド・トゥナンの行動を理解し、彼を王に推挙した。その後、国旗として青・白・緑の三色旗が制定され、硬貨の鋳造も行われた。
オルリ・アントワーヌ・ド・トゥナンは、1862年にチリ政府に拘束され、フランスに追放される。1863年に回想録を出版した後、1869年にアラウカニアを再訪し1871年まで滞在している。その後、フランスに帰国し1878年に死亡した。
マプチェ族の領域は、チリ・アルゼンチン両政府の交渉と武力制圧により、1880年代頃に両政府の領土となった。