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2020年8月18日 (火) 02:58時点における版
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二字口に戻る玉鷲関 | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 玉鷲 一朗 | |||
本名 |
バトジャルガリーン・ムンホルギル Батжаргалын Мөнх-Оргил | |||
愛称 | オギ | |||
生年月日 | 1984年11月16日(40歳) | |||
出身 | モンゴル・ウランバートル市 | |||
身長 | 189cm | |||
体重 | 172kg | |||
BMI | 48.15 | |||
所属部屋 | 片男波部屋 | |||
得意技 | 押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東前頭9枚目 | |||
最高位 | 東関脇 | |||
生涯戦歴 | 649勝622敗(98場所) | |||
幕内戦歴 | 466勝509敗(65場所) | |||
優勝 |
幕内最高優勝1回 十両優勝1回 幕下優勝1回 | |||
賞 |
殊勲賞1回 敢闘賞1回 技能賞1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2004年1月場所 | |||
入幕 | 2008年9月場所 | |||
趣味 | 小物作り | |||
備考 | ||||
金星3個(日馬富士1個、鶴竜1個、稀勢の里1個) | ||||
2020年8月2日現在 |
玉鷲 一朗(たまわし いちろう、1984年11月16日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で片男波部屋所属の現役大相撲力士。本名はバトジャルガリーン・ムンホルギル(モンゴル語キリル文字表記:Батжаргалын Мөнх-Оргил、ラテン文字転写:Batjargalyn Munkh-Orgil)、愛称はオギ。得意手は押し。身長189cm、体重172kg。血液型はAB型。最高位は東関脇(2017年1月場所 - 7月場所)。趣味は小物、お菓子作り。好物は野菜の天麩羅[1]。
経歴
モンゴルではモンゴル相撲経験もほとんどなく、ホテルマンを目指してモンゴル食料技術大学で勉強していたが、自分の大きな体と腕力を生かして相撲をやってみたいと思うようになり、東大大学院に留学していた姉を頼って2003年の秋に来日。姉と二人で両国を訪れ、たまたま見つけた力士について行ってみたところ、井筒部屋に着き、そこで同郷の鶴竜と出会う[2][3]。鶴竜に入門の相談をし、旭鷲山の連絡先を教えてもらい、それが縁で片男波部屋に入門し、2004年1月場所で初土俵を踏んだ。入門前にスポーツ経験はなかったものの[4][5]、2005年7月場所に幕下へ昇進し、2007年9月場所では西幕下32枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて初の幕下優勝を果たし、翌11月場所でも西幕下2枚目の位置で4勝3敗と勝ち越しを決め、翌2008年1月場所において新十両へ昇進した。十両でも4場所連続で勝ち越しを決めて、同年9月場所において新入幕を果たした。
新入幕場所以降
新入幕となった2008年9月場所では4勝11敗と大きく負け越し、翌11月場所に十両へ陥落したが、その11月場所において西十両4枚目の位置で10勝5敗の好成績を挙げて、翌2009年1月場所に再入幕を果たした。同年9月場所には再び十両へ陥落したが、その9月場所で東十両筆頭の位置で11勝4敗の好成績を挙げて初の十両優勝を果たした。翌11月場所に3回目の入幕を果たし、その11月場所では10勝5敗の好成績を挙げた。2010年9月場所では10勝5敗の好成績を挙げて、翌11月場所でも9勝6敗と勝ち越しを決めて、翌2011年1月場所では自己最高位の西前頭3枚目まで番付を上げた。その1月場所では5勝10敗と大きく負け越し、その後も2011年は年間を通して全く勝ち越すことができず、2012年1月場所には十両へ陥落した。翌3月場所に4回目の入幕を果たし、同年9月場所には再び十両へ陥落したが、翌11月場所に5回目の入幕を果たした。2013年7月場所には6回目の入幕を果たしている。2014年1月場所は東前頭6枚目での8勝7敗という成績ながら平幕上位に勝ち越し者が少なかった[6]影響で翌3月場所は4枚半上昇となる西前頭筆頭の地位を与えられ、自己最高位を更新。その3月場所は初日から7連敗と上位の壁に当たり、中日以降星を伸ばすも5勝10敗の大敗に終わった。2014年6月14日、鶴竜横綱昇進披露宴で2年前に元モデルのモンゴル人女性と結婚していたことを明かし、夫人と一緒に昇進披露宴へ出席して関係者らに披露。因みに夫人は春日山部屋所属(後、追手風部屋→中川部屋→片男波部屋所属)で幕下・旭蒼天の実姉である[7]。同年11月場所4日目に怪我を乗り越えて再入幕を果たした栃ノ心と対戦した際には、相手の顎に頭突きが当たって崩れる形で白星を得た[8](決まり手は押し倒し)ことが話題となり、この11月場所を8勝7敗の勝ち越しで終えた[9]。2015年1月場所は東前頭9枚目。その場所は、6日目まで3勝3敗だったが、7日目からの5連勝で勝ち越しが決定。10勝5敗を挙げて敢闘賞候補に入ったが、同じく初三賞を窺っていた照ノ富士に受賞を許してしまった[10][11]。
新三役場所以降
翌2015年3月場所で新三役となり、小結に昇進した。モンゴル出身の新三役は、2014年11月場所の逸ノ城以来。初土俵から所要66場所での新三役は外国出身力士の中でも1位のスロー記録である[12]。昇進を記念した記者会見が2015年2月23日に大阪市平野区で行われた際には3月場所の番付表を見て「名前が大きくなったな」としみじみと喜びつつも照ノ富士や逸ノ城ら出世スピードが速いモンゴルの後輩に対抗意識を燃やしていた[13]。会見ではまた自身の付け人だった同じ一門の輝が十両で活躍する姿に刺激されたそうで「一緒によく稽古したりして負けてられないと思った」と三役に昇進できた要因を説明した[4]。しかしこの場所は4勝11敗の大敗に終わる。翌5月場所は西前頭5枚目の地位で土俵に上がり、この場所でも6勝9敗と負け越すが9日目の横綱・日馬富士戦では外国出身力士としてスロー記録1位となる30歳6ヶ月での金星を獲得した。玉鷲は初金星に対して「普通の顔をしたいけど笑顔が出ちゃうな。こんな感覚なんだ」とコメントしていた[5]。2016年7月場所は10日目に左膝を痛め、翌11日目はトイレから立ち上がれないほどであったが、サポーターで膝を固め、腰をしっかり下ろすようにしたら残りの5番中4番で白星を収めるという怪我の功名に与かり、9勝6敗の勝ち越し[14]。2016年9月場所は初日に負けてから5日目まで黒星と白星を交互に得る星取りとなったが、6日目から12日目まで7連勝。13日目から2連敗したものの、千秋楽に勝って10勝5敗と2けた白星で場所を終えた。場所を終えて支度部屋では「(三賞は)何もないんですか?(今場所は)立ち合いの手つきが良かった。意識してやっていたんで」と話していた[15]。10場所ぶりに小結(西小結)に復帰した2016年11月場所は、初日に横綱・日馬富士を一気に押し出し快勝。6日目には先場所全勝優勝を果たした大関・豪栄道に勝利し、連勝を20でストップさせている。この場所は1横綱3大関を破る活躍で13日目に勝ち越しを決め、これにより自身初の三役の地位での勝ち越しを果たした格好になる[16]。14日目と千秋楽も勝利し、10勝5敗と2場所連続で二桁白星を挙げ、長いリーチを生かしての重みのある突き押しや喉輪が光っていたため、自身初の三賞となる技能賞を受賞した[14]。新入幕から所要49場所での三賞初受賞は和歌乃山、板井に次いで3番目のスロー記録で、初土俵から所要77場所は外国出身力士で最も遅い受賞である[17][18]。玉鷲は受賞について「良かった。(押し相撲で技能賞は)珍しいよね。ただただ楽しく相撲を取っていた。一番一番、楽しんでいた。立ち合いのスピードが大事で意識していた」とコメント[19]。また、小結で10勝を挙げたため、翌2017年1月場所は大関への足掛かりとなる事については「大関とか考えてない。楽しくいい相撲を取ることだけ」と無欲を強調した[20]。
新関脇場所以降
2017年1月場所は新関脇(東関脇)に昇進。初土俵から所要77場所、新入幕から所要49場所はいずれも史上5位タイのスロー昇進で、モンゴル出身では照ノ富士以来9人目の新関脇である[21]。新番付発表日の2016年12月26日、片男波部屋で昇進記者会見に臨んだ玉鷲は「めったに上がれない地位。夢がかない興奮してくる」と腕まくりし、次の1月場所へ向けて「こんな力士がいるということをもっと見せたい」と意気込んだ。会見に同席した師匠は「今まで上半身の力は強かったが、下半身が使えておらず、もったいなかった。それが名古屋場所の途中で左ひざを痛めて腰が高いままでは相撲が取れなくなり、下半身をしっかり使うようになったのだと思います」と躍進の理由を話し[22]、玉鷲には「(地位を)意識しなければ勝ち越せる」と期待を寄せていた[23]。挑んだ2017年1月場所では10日目に横綱・鶴竜に突き出しで勝利するなど好調。12日目には角番の大関・琴奨菊を押し出して勝利し、関脇陥落を決定させる8敗目となる取組となり玉鷲が大関からの引導を渡す形になった。この取組について玉鷲は「涙が出そうだった」と声を詰まらせ、二所ノ関一門である大関とは「十数年一緒に戦ってきた」という間柄だが「勝負の世界」と情け無用で一番に臨んだとのこと。玉鷲は「悲しいより、いい方に考える」と前向きに捉え、琴奨菊については「次の場所頑張って、絶対また上がってくる」と話した[24]。翌13日目は勢を得意の喉輪で押し出して8勝目を挙げ、新関脇の場所を勝ち越したと同時に自身初となる幕内4場所連続での勝ち越しとなった。翌2017年3月場所は、6日目に大関豪栄道の休場による不戦勝を得た幸運も手伝って7日目まで5勝2敗と好調であったが、翌8日目から4連敗。しかし12日目に横綱・鶴竜を押し出しで勝利してから調子を取り戻し、14日目には横綱・日馬富士を押し倒して3連勝とし、再三役以降では3場所連続となる勝ち越しを決めた。また、幕内では初の5場所連続の勝ち越し。千秋楽は翌5月場所に大関獲りを目指す同じ関脇の髙安に敗れて8勝7敗。次の5月場所は、2日目に報道陣から「どちらが大関か分からない」と言われる程の好内容で大関・照ノ富士に快勝[25]、6日目も5勝無敗で大関獲りに突き進む高安に土を付けるなど存在感は健在であった。この場所は11日目に勝ち越しを決めたが、その1番は横綱・稀勢の里が休場したことによる不戦勝であり、本人は「よく分からない感じ。自分の相撲までは休場しないでくれと思っていた」と複雑そうな気持ちであった。この場所は10勝5敗と自身初となる関脇の地位での2ケタ白星を収め、「一気に行けず、安全に取ってしまって負けたもったいない相撲も何番かあったけど、よかったよかった」とコメント[26][27]。7月場所は一進一退の星取りに終始し、千秋楽はこの場所好調の栃煌山と対決するも敗れて7勝8敗。連続勝ち越しは6場所でストップ。この場所の12日目に行われた白鵬戦ではこの時点で通算白星1位タイの1047勝目を白鵬に献上した。この取組で強烈な張り手で唇は切れ「勝ちたかった。もう1日延ばしたかった」と悔しがった。今後、この敗戦の映像が繰り返し流されることについては「いっぱい出てくるのは楽しみ。何回も見れて、いい勉強になる。20、30回見れば『なるほど』となる」とコメント、2016年9月場所に豪栄道に優勝を決められた自身の取組を、何度も目にして翌11月場所の勝ちにつなげただけに「次に当たるときはだいぶ良くなる」と豪語した[28]。9月場所は2日目の高安戦で右足首をひねり、花道を引き揚げる際には右足を引きずっていた。2日目の支度部屋で玉鷲は「足の状態は秘密。プロなのでそれなりに戦っていく」と話した[29][30]。この場所は7勝8敗の負け越し。10月6日の秋巡業横浜場所では幕下のぶつかり稽古で胸を出し、13番押させるだけ押させるようなけいこをこなしていた[31]。
2017年11月場所は、初日に稀勢の里から金星を上げるスタートを切る。3日目の日馬富士戦は不戦勝。5日目は自身の誕生日であり、この日は場所を角番で迎えた高安から白星を挙げた[32]。14日目と千秋楽は優勝争いしていた隠岐の海と北勝富士に連勝し、幕内で過去7度あった10勝を上回る11勝4敗の好成績で場所を終えた。2018年1月場所は西関脇の地位を与えられたが、この時33歳1ヶ月であり、この時点で外国出身力士の高齢三役昇進記録第4位の記録を達成。高齢関脇昇進記録としては第2位[33]。場所では11日目にここまで全勝を維持していた横綱 鶴竜を破る殊勲の星があったが、全体としては振るわず6勝9敗の成績だった。西前頭筆頭で迎えた3月場所は、初日に大関 豪栄道、2日目には先場所優勝した関脇 栃ノ心を破るなどで9勝6敗の成績を挙げた。しかし三役から落ちる力士が1人しかおらず、東前頭筆頭の遠藤も9勝を挙げていたことで翌5月場所は東前頭筆頭で迎えた。序盤の上位戦では4日目に大関 豪栄道を2場所連続で破った以外は目立った活躍を残せなかったが、後が無くなった11日目から5連勝として8勝7敗の成績だった。7月場所は東小結に復帰。6日目に新大関となった栃ノ心を破るなど存在感を見せた。なおこの栃ノ心戦と、10日目の琴奨菊戦、12日目の千代の国戦の取組でいずれも相手力士が負傷し、翌日から休場に追い込まれたことで1場所で3人の力士を休場させるという珍しい記録を作った。この場所は8勝7敗と勝ち越しを決めた。両関脇も勝ち越したことで9月場所も東小結で迎えたが、序盤からの上位戦で7連敗を喫した。しかし8日目に横綱・稀勢の里を押し出しで破り、中日負け越しは回避した。しかし以降も調子が上がらず4勝11敗の大敗に終わった。玉鷲が二桁の負けを喫するのは関脇昇進後では初めてとなる。11月場所は西2枚目に下がったが9勝をあげた。
幕内初優勝場所以降
2019年1月場所は西の関脇に再昇進。序盤の5日間で3勝2敗の成績の後、6日目の逸ノ城戦から連勝を続け、中日に大関・豪栄道、9日目に大関・高安に勝利。10日目に錦木を電車道で持って行って勝ち越しを決める。12日目に1敗で優勝争いの単独トップだった横綱・白鵬を押し出しで破り、自身14度目の対戦にして白鵬戦での初勝利を挙げるとともに、優勝争いの先頭に躍り出た。13日目には北勝富士を叩き込みで破り、白鵬が関脇・貴景勝に敗れたため、玉鷲が単独トップに立った。白鵬は怪我で翌14日目から休場し、優勝争いは碧山を押し出して2敗を守った玉鷲と、3敗の貴景勝に絞り込まれた。千秋楽の土俵、結びの2番前の取組に登場した玉鷲は遠藤を突き落としで破り、13勝2敗の成績で初優勝が決定した。34歳2か月での初優勝は年6場所制となった1958年以降では、旭天鵬(37歳8か月)に次ぐ史上2位の高齢記録、初土俵からの所要90場所と新入幕から所要62場所も史上4位のスロー記録である。また、敢闘賞と殊勲賞も受賞した。奇しくもこの千秋楽と同日に第二子となる男児が誕生している[34]。千秋楽一夜明け会見では、人を喜ばせる相撲を取りたいと抱負を語った[35]。3月場所番付発表の際に大阪市内で行われた会見では「いつも通りの相撲を」と場所への抱負を語った[36]。さらに、1月場所中は出産による入院で会場で観戦することができなかった夫人を思いやって「今度こそ奥さんを呼んで、一緒に(優勝記念の)写真を撮ってもらいたい」と力を込めていた[37]。成績次第では大関昇進となる3月場所は2日目から3連敗と失速。この3連敗について藤島審判長は幕内優勝経験者にふさわしい相撲を取ろうとプレッシャーを感じているのではないかと指摘していた[38]。4日目に大関取りの貴景勝に勝ち、その日から3連勝して一時は白星が先行したが、8日目から横綱・大関陣に4連敗した後、13日目の千代大龍戦で負け越しが確定した。幕内最高優勝を果たした翌場所に負け越した力士(休場者を除く)は2012年7月場所での旭天鵬以来となった[39]。
西3枚目で迎えた5月場所は、中日に全勝の横綱・鶴竜を一方的に押し出し、3つ目の金星を獲得した。この金星は令和初の金星となった[40]。鶴竜は入門のきっかけを作ってくれた力士なので、これはいわゆる恩返しということになる[41]。千秋楽の阿炎戦に勝利することが条件だった敢闘賞は逃したものの、2場所ぶりの二桁勝利10勝5敗の好成績を残した。名古屋場所は関脇に復帰したが、初日から5連敗と不振。6日目の朝乃山戦は左おっつけ、右のど輪で一気に押し出し、初白星を挙げると、「今まで忘れてたよ。どこが悪いのかな? 頭かな?」と自虐的にコメント。しかし、翌日から再び5連敗を喫し、11日目の時点で1勝10敗となってしまう。それでも、残りを全勝として一矢報い、5勝10敗でこの場所を終えた。9月場所は5日目の逸ノ城戦、中日の鶴竜でそれぞれ不戦勝を獲得する幸運に恵まれ、12日目に7勝目を挙げて給金相撲に挑む立場となったが、残りを3連敗して7勝8敗と向こう給金となった。東前頭4枚目に番付が据え置かれた11月場所は、7勝7敗で迎えた千秋楽、同じく7勝7敗の佐田の海を電車道で押し出して九州場所では8年連続の勝ち越しを決めた。
2020年は1月場所から2場所連続負け越しで(5月場所は中止)、7月場所は東9枚目に番付を下げたが、6場所ぶりの2ケタ10勝を上げて勝ち越した。
取り口
長身で懐の深い体型ながら、四つ相撲ではなく基本的には突き押し一本で勝負している。玉鷲は概して柔軟性に欠ける体質をしており、とりわけ下半身が固いため先代片男波(元関脇・玉ノ富士)は四つ相撲では大成しないだろうと考えたとされている[42]。しかし足首は柔らかく、足首が柔らかいと長身で足の長い玉鷲は重心が下がり膝も曲がる[42]。股関節が固い点は逆にバネと瞬発力を生む要因となっている[42]。先代の考えは現師匠の片男波親方(元関脇・玉春日)にも引き継がれており、稽古場で四つに組もうとすると、師匠はその時点で取組をやり直させるというほど、徹底した押し相撲を指導されている。長身だけあって、突き押しが決まったときの威力は強いものがあるが、立合いで必要以上に頭を下げて窮屈そうにぶつかっていくことも目立つことから、舞の海秀平は「押し相撲ではなく、廻しを引いての四つ相撲のほうが彼には合っているのではないか」とNHK大相撲中継の解説においてたびたび評している。大至伸行は2014年3月場所前の座談会で「頭で考えるタイプかなと。もっと思い切りの良さがあっていい」と心理面・頭脳面を分析している[43]。鳴戸は2016年11月場所前の座談会で「右差しの相手に対しての左おっつけは強烈ですね。小手投げも強い」と評している一方で「右を差しに行くとおっつけられるけど、左から差そうとするとおっつけが左ほど強くはないから、中途半端な右四つに組んでしまう」と指摘している[44]。2017年5月場所13日目に白鵬に敗れた際には「相手にうまくやられた感じがする。張られてから組む形で何度も負けているから、分かっていたはずなのに」と自分の負けパターンについて話している[45]。それ以前までは立合いできちんと手を付かない傾向にあったが、2016年9月場所から親方衆の指導などによって立合いが著しく改善され、低い当たりから一気に突き放す相撲で9月場所・11月場所と連続して10勝5敗の好成績を挙げている[46]。最近では突き放す相撲に加えて引き技も時折決まるようになっており、前述の豪栄道戦などでもとっさに叩きを打って決まることも多くなってきている。最後の手段として小手投げもあるが、上位には効かないと本人が認めている[47]。しかし小手投げは下位の力士にとっては脅威であり、2018年7月場所では琴奨菊、千代の国の2名が玉鷲の小手投げにより右腕を負傷。翌日より休場に追い込まれている。ただ、小手に振ったところを堪えられて上体が起きるのは玉鷲の相撲の中でも悪い内容の相撲であり、2020年7月場所7日目の炎鵬戦はその好例である[48]。
2017年5月場所前の朝日山(元関脇・琴錦)の論評では、それ以前まで仕切り線から5cm離れていたところで手を付いていたため、踏み込んで手を出そうとしたときに相手に踏み込まれるため、自分が手を出そうとしたときに重みが乗らない状態で立つことが多かったというが、2016年11月場所からは仕切り線ギリギリで立つようになったため成績が上がったという[42]。同じ論評で朝日山は、玉鷲のように体に恵まれた力士は手を出すだけで相手に重みが伝わると説明している[42]。そして今後の相撲の取り方に関して朝日山は「相手によって立ち合いを、頭でいったり、もろ手突きでいったり変えていますが、どんな相手であっても頭から当たれば、もっと威力は増します。もろ手突きの相撲で大成をしたのは、私の知る限り、曙と錣山親方(元関脇・寺尾)くらいしかいません」「もう一段、立ち合いの威力を増すためにも、相手の変化を怖がらず、肘をバネのように曲げながら頭から激しく当たってほしい。そして、バーンと当たった瞬間に弾けるのです。その勢いで二発目、三発目の威力が倍増します。そうすることで、玉鷲の持ち味である長いリーチ、重い突っ張りが生かされます」「リーチが長いので、一発一発の手の引き、戻りを早くしてほしいです。それが遅いと手繰られてしまいます。つまり、弾いて戻る、攻めて戻る、という感覚です。そうすることで、さらに一発突き放せます」とアドバイスしている[42]。
NHKの大相撲専属解説者の北の富士勝昭は、「30歳を越えてから力が増してきた、かなり珍しいパターン」と評している。30代になって力を付けた要因として、熱くなりやすい性格が改善されて冷静に取れるようになり、肝心なところで上半身が硬くなったり脇が空いたりしないようになったことを指摘する分析もある[49]。幕内最高優勝を果たした際の記事では、尾車は稽古の甲斐があって張りのある体をしていると指摘した[50]。2019年1月場所10日目の錦木戦が好例となっているように、間髪入れずに低く攻めて相手に反撃の余地を与えない相撲が持ち味であり、同日の支度部屋でテレビ中継を見ていた千代大龍が「二の矢が早い。攻めが早い分、相手は土俵際も残せない」と解説していた[51]。2019年3月場所前に14代ニ子山は自身のコラムで、高い実力を持ちながら初優勝まで時間がかかった要因として、「上位は強い」というイメージを長年持っており自分もやれると気付くのが遅かったのかもしれないと、玉鷲の考え方についての私見を述べている[52]。
エピソード
取組関連
- 2014年1月場所の千秋楽で大関・稀勢の里が休場したため、急遽「これより三役」に参加することになった。この場所の玉鷲の番付は東前頭6枚目であり、平幕の立場での「これより三役」参加となった。「これより三役」は殆どの場合で関脇以上の番付力士で占められるため、平幕での立場で参加する例は少ない。
- 自身と生年月日が同じである豊響をライバル視しており、2014年11月場所中日の取組を終えた際には「生まれたところも一緒なんだよ。うそうそ。あいつばっかりテレビに出てて。でも、俺が(30歳で)先に勝ってやったぞ。よし」と対抗意識を示していた[53]。
- 2016年7月場所8日目の荒鷲戦で勝利すると「あっちはニセ鷲。こっちは本当の鷲」と言い放った。実は取組直後にすでに玉鷲は、入浴しながら荒鷲のことを「ニセモノだ」と発言。これを風呂場で聞いた荒鷲は「僕が1年早く入門した。荒鷲から玉鷲の『鷲』を取ったんです」と主張。しかしご機嫌の玉鷲は、報道陣から「『鷲』筆頭ですね」と持ち上げられると「そうです。よっしゃ~、ワッショイ!」とおどけてみせ、最後に「『鷲』の対決は終わらない」とコメントした[54]。
- 2017年5月場所11日目、不戦勝であるにもかかわらず8勝目を挙げて勝ち越しを確定させたということでインタビュールームに呼ばれた[55]。
- 2019年1月場所14日目の碧山戦では、極度の緊張からどうやって相撲を取るのかすらも忘れてしまい、手を付く前に待ったをしてしまった。手を付く前に待ったをするのは「たぶん初めて」と2019年3月場所前の記事で後に振り返った[56]。
- 2019年7月場所8日目、対戦相手の鶴竜が休場したため、5日目の対逸ノ城に続き場所2度目の不戦勝。幕内通算で12回目の不戦勝となり、出羽錦の11回を抜いて最多となった。
土俵外の相撲関連
- 2011年1月場所千秋楽が行われた同年1月23日の23時ごろ、東京都内の飲食店で後援者らと初場所の打ち上げの二次会を開いていた際に、玉鷲が泥酔してしまい誤って店のガラスを割り、右前腕筋神経腱動脈断裂で全治3週間の怪我を負い、後日、本人と師匠の片男波親方が店を訪れて謝罪し示談したことを、日本相撲協会は同年1月27日になって発表した。これを受けて同年2月6日に予定されていた日本大相撲トーナメント[57]と2月11日予定されていたNHK福祉大相撲[57]への出場を辞退し、片男波からは無期限の謹慎を言い渡され、同年1月30日に行われた光龍の結婚式への出席も取り止めさせた。同年5月技量審査場所には出場した。
- 2017年2月1日に行われた相撲協会の健康診断で握力測定を行ったところ、32歳にして92kgを記録した。押し相撲が得意で、まわしはあまりつかまないのだが「のど輪で使う。わしづかみで」と上機嫌で診療所を後にした[58]。
- 片男波は「弱みを見せたら付け入られる。私の兄弟子、横綱・玉の海さんは盲腸の痛みを散らして土俵を務めた。それに比べたら、ちょっとの痛みなんて」と話しており、そのため玉鷲も怪我に対しては我慢することを心掛けている。そのおかげか、玉鷲は現役関取の継続中の記録(2019年1月現在)としては1位となる連続出場記録を維持している[59]。
- 2020年7月場所時点では部屋の所属力士が4人しかいない上に2019新型コロナウイルス感染拡大の影響で出稽古が自粛されているため力士と相撲を取る稽古もままならないが、そんな中でも玉鷲は2018年頃から取り入れていたトラック用のタイヤを土俵で押すという稽古で体を作っていた[60]。
巡業関連
- 日馬富士の傷害事件の際には「宿舎で見たいドラマがあるから行けない」と白鵬からの宴席への出席の誘いを断り、結果として事件現場へ同席する事態を免れた[49]。
その他相撲関連
- 土俵に情が入る余地を断つため、モンゴル人力士のコミュニティーには必要以上に入り込まない[61]。
- 増岡厳が顧問に就任した会社でも知られる大西金属からは化粧廻しを贈呈されている[62]。
- 北の湖は死去する直前に「玉鷲は強くなった」と評したとする説があり、2017年1月場所前の座談会でお笑い芸人のはなわがその話題に触れた[63]。
- 2017年3月場所前の山根千佳の発言によると、黒星を連想させるため、場所中は黒のペンでのサインは受け付けていないとのこと[64]。
家族・趣味・嗜好関連
- 2012年に結婚した妻は、先述の通り片男波部屋所属の旭蒼天の実姉。義弟の旭蒼天は2親等にあたるため、4親等以内との取組は組まないという規定から、本割で対戦することはない。
- 小物づくりやクッキー作りが趣味であり、何かを買うよりも作るのが好きである。本人は形になって残るものが良いという考えをしている。相撲雑誌などにも本人が作ったクッキーやワッペン付き世界地図の壁掛けなどが紹介されている[65]。
- 角界随一の愛妻家・イクメン力士として知られる[66]。
- 2019年1月場所、優勝を決めた日の早朝に第二子が誕生した。出産予定日であり病院で付き添っていたが、「相撲に集中して」と妻に促されて一時帰宅したときに生まれたという。そのため、優勝した当日は「NHKに行って、そこから息子(長男)を迎えに行った」。長男を「お風呂に入れなきゃいけない、歯を磨かなきゃいけない」ため、パーティーで酒を楽しんだりもしなかった[67]。同月31日に妻が第二子と退院した後は、洗濯などの家事を手伝っている[68]。
- 場所後に家族旅行にいくことをモチベーションにしている[69]。家族旅行に行くために歯を食いしばって本場所に出場しており、初優勝当日には旅行に同行するため母国から両親が来日していた[70]。
その他
- 普段は陽気で人の好い人物であり、東京三鷹相撲クラブという相撲道場に玉鷲が訪れた際に自身を目当てに出待ちへやってきたファンの男性が歌を披露したら大いに喜び、それ以来そのファンの男性とは懇意にしているという[71]。
- ホテルマン志望であっただけに観察力が高く身だしなみなどにはうるさい性分。2017年7月場所中の支度部屋で、当時相撲担当2場所目であった記者が100円ショップで買ったペンとノートを見て「やる気のなさそうなノートですね」とソフトな声で優しく笑って突っ込んだ[72]。また、2016年から2018年にかけてスポーツ報知の大相撲キャップであった網野大一郎は「質問が下手なんだよ。負けた時も良い部分を見つけてくれよ」「ジャケットを着ているのにショルダーバッグを下げている。バランスが悪い。俺に話を聞きたいなら髪をワックスで整えて来なさい」と2017年3月場所後の春巡業で説教された[73]。
- 2020年2月の報道によると、過去8、9回献血の条件を満たして参加した健康体であるという。同年12日の両国国技館での東京都赤十字センターの要請による力士らを対象とした献血でも、半数以上の関取が血液検査で不合格になって帰宅する中、合格して献血への参加に至った[74]。
合い口
いずれも2020年1月場所終了時点。
- 横綱・白鵬には1勝16敗。自身が初優勝した2019年1月場所で初めて勝利した。
- 横綱・鶴竜には6勝10敗(うち不戦勝が1つある)。鶴竜の大関在位中は1敗。鶴竜の横綱昇進後は5勝4敗(うち不戦勝が1つある)。直近の勝利は2019年9月場所の不戦勝で、土俵の上では2019年5月場所で、決まり手は押し出し。これが令和初の金星となった。
- 大関・貴景勝には5勝8敗(うち不戦勝が1つある)。貴景勝の大関在位中は2勝1敗(うち不戦勝が1つある)。直近の自力勝利は2019年11月場所で、決まり手は押し出し。
- 大関・朝乃山には3勝2敗。朝乃山の大関在位中は対戦なし。
- 元大関・琴奨菊には12勝7敗。琴奨菊の大関在位中は2勝3敗。
- 元大関・照ノ富士には5勝5敗。照ノ富士の大関在位中は4勝2敗と勝ち越していた。
- 元大関・髙安には13勝14敗。髙安の大関在位中は5勝8敗。直近の勝利は2020年1月場所で、決まり手は押し出し。
- 元大関・栃ノ心には11勝19敗。栃ノ心の大関在位中は4勝2敗。直近の勝利は2019年9月場所で、決まり手は押し出し。
- 元横綱・日馬富士には5勝8敗(うち不戦勝が1つある)。日馬富士の大関在位中は1勝1敗。横綱昇進後は4勝7敗(うち不戦勝が1つある)。2015年5月場所で自身初金星を獲得。2017年11月場所で不戦勝を獲得したが、場所後に引退表明したため、結果的に最後に割が組まれた相手となった(日馬富士の最後の相手は貴景勝)。
- 元横綱・稀勢の里には4勝9敗(うち不戦勝が2つある)。稀勢の里の大関在位中は5戦全敗。横綱昇進後は4勝1敗(うち不戦勝が2つある)。2017年11月場所で、稀勢の里からは唯一となる金星を獲得。
- 元大関・出島とは、出島の大関陥落後に対戦して1勝2敗。
- 元大関・琴光喜には1敗。
- 元大関・魁皇には1勝1敗。2011年1月場所で押し出しで勝利。
- 元大関・雅山とは、雅山の大関陥落後に対戦して7戦全敗。
- 元大関・把瑠都には1敗。
- 元大関・琴欧洲には1勝3敗(うち不戦勝が1つある)。自力勝利はなく、2014年3月場所で不戦勝を獲得。琴欧洲はその翌日に引退したため、結果的に最後に割が組まれた相手となった(琴欧洲の最後の相手は白鵬)。
- 元大関・豪栄道には9勝15敗(うち不戦勝が1つある)。豪栄道の大関昇進後は8勝12敗(うち不戦勝が1つある)。
- 臥牙丸を得意としており、これまでに幕内では14勝2敗。2013年11月場所10日目に対戦した際には、物言いの末に取り直しとなり、取り直しの一番では寄り切って勝利。臥牙丸は取組後のインタビューで顔を真っ赤にして涙を流しながら「勝ちたかった。マジで。なんで玉鷲はオレだけに強いの。(取り直し後の一番では)絶対に押し出してやろうと思ったけど。これ以上、どう相撲取ればいいか分からない」と嘆いた[75]。但し、臥牙丸とは普段は仲良しである[76]。
- 時天空との対戦成績は3勝10敗で分が悪く、過去に5連敗を2度喫したことがある。
- 御嶽海との対戦成績は2勝21敗と全く相性が良くない。2017年5月場所3日目の対戦ではすくい投げで敗れて玉鷲の7戦全敗となったが、御嶽海の方は玉鷲との合い口について「向こうがただ、やりにくいと思っているだけでしょう」と気にしていない[77]。2017年9月場所の9回目の対戦で初勝利。11月場所でも勝って連勝。しかし2018年1月場所からは再び連敗が続いており、自身が初優勝した2019年1月場所でも敗れている。2020年1月場所で敗れたため連敗が13にまで延びてしまった。
- 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
関脇 | |||||||||||
碧山 | 5 | 8 | 朝赤龍 | 5 | 7 | 安美錦 | 5 | 2 | 阿覧 | 4 | 5 |
勢 | 9 | 4 | 逸ノ城 | 8(1) | 7 | 隠岐の海 | 10(1) | 10 | 魁聖 | 10 | 9 |
旭天鵬 | 7 | 8 | 琴勇輝 | 6(1) | 3 | 正代 | 9 | 4 | 宝富士 | 10 | 9 |
豪風 | 9 | 12 | 土佐ノ海 | 2 | 0 | 栃煌山 | 3 | 15 | 栃乃洋 | 2 | 2 |
豊ノ島 | 6 | 9 | 北勝力 | 0 | 1 | 御嶽海 | 2 | 22 | 妙義龍 | 7 | 4 |
嘉風 | 10 | 2 | 若の里 | 6 | 5 | ||||||
小結 | |||||||||||
阿炎 | 2 | 3 | 岩木山 | 2 | 1 | 遠藤 | 12 | 9 | 阿武咲 | 2 | 4 |
臥牙丸 | 14 | 2 | 垣添 | 5 | 5 | 黒海 | 4 | 4 | 霜鳳 | 2 | 3 |
常幸龍 | 4 | 3 | 松鳳山 | 4 | 12 | 大栄翔 | 7 | 5 | 高見盛 | 1 | 2 |
千代鳳 | 4 | 4 | 千代大龍 | 8(1) | 10 | 時天空 | 4 | 10 | 白馬 | 0 | 1 |
普天王 | 1 | 2 | 豊真将 | 2 | 5 | 北勝富士 | 6 | 5 | 竜電 | 1 | 1 |
若荒雄 | 3 | 1 | |||||||||
前頭 | |||||||||||
明瀬山 | 1 | 0 | 旭日松 | 2 | 1 | 天風 | 1 | 0 | 阿夢露 | 2 | 1 |
荒鷲 | 7 | 3 | 石浦 | 1 | 1 | 宇良 | 1 | 0 | 大岩戸 | 0 | 1 |
大砂嵐 | 2 | 4 | 鏡桜 | 2 | 1 | 輝 | 2 | 1 | 春日王 | 2 | 2 |
北太樹 | 5 | 9 | 北磻磨 | 0 | 1 | 皇風 | 1 | 0 | 木村山 | 7 | 4 |
旭秀鵬 | 4 | 4 | 旭南海 | 1 | 0 | 光龍 | 1 | 1 | 琴恵光 | 2 | 0 |
琴春日 | 1 | 0 | 磋牙司 | 0 | 1 | 佐田の海 | 3 | 9 | 佐田の富士 | 10 | 3 |
里山 | 0 | 1 | 志摩ノ海 | 0 | 1 | 翔天狼 | 4 | 9 | 蒼国来 | 5 | 4 |
双大竜 | 0 | 1 | 大翔丸 | 1 | 1 | 大道 | 3 | 4 | 貴ノ岩 | 4 | 2 |
隆の山 | 1 | 2 | 千代翔馬 | 2 | 0 | 千代の国 | 3 | 2 | 千代白鵬 | 3 | 0 |
千代丸 | 5 | 0 | 剣武 | 0 | 1 | 天鎧鵬 | 1 | 1 | 德勝龍 | 6 | 7 |
德瀬川 | 0 | 3 | 土佐豊 | 5 | 3 | 栃乃若 | 4 | 4 | 友風 | 1 | 1 |
豊桜 | 1 | 1 | 豊響 | 8 | 6 | 錦木 | 5 | 0 | 英乃海 | 1 | 1 |
富士東 | 6 | 3 | 武州山 | 3 | 0 | 寶智山 | 3 | 0 | 誉富士 | 2 | 2 |
将司 | 0 | 2 | 舛乃山 | 5(1) | 2 | 明生 | 1 | 0 | 猛虎浪 | 1 | 1 |
山本山 | 3 | 1 | 豊山 | 2 | 0 | 芳東 | 0 | 1 |
- ※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2020年3月場所終了現在、現役力士。
略歴
- 2004年1月場所 - 初土俵
- 2008年1月場所 - 新十両
- 2008年9月場所 - 新入幕
- 2015年3月場所 - 新小結(東小結)
- 2015年5月場所 - 横綱・日馬富士を破り初金星
- 2016年11月場所 - 初の三賞となる技能賞を受賞(西小結)
- 2017年1月場所 - 新関脇(東関脇)
- 2019年1月場所 - 西関脇のこの場所、13勝2敗で初の幕内最高優勝。同時に殊勲賞・敢闘賞をW受賞(いずれも初受賞)
主な成績
2020年7月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:649勝622敗(98場所)
- 幕内成績:466勝509敗(64場所)
三賞・金星
- 三賞
- 殊勲賞1回(2019年1月場所)
- 敢闘賞1回(2019年1月場所)
- 技能賞1回(2016年11月場所)
- 金星:3個
各段優勝
- 幕内最高優勝:1回(2019年1月場所)
- 十両優勝:1回(2009年9月場所)
- 幕下優勝:1回(2007年9月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2004年 (平成16年) |
(前相撲) | 西序ノ口28枚目 4–3 |
東序二段105枚目 6–1 |
西序二段25枚目 5–2 |
東三段目87枚目 2–5 |
東序二段10枚目 5–2 |
2005年 (平成17年) |
西三段目74枚目 5–2 |
東三段目47枚目 4–3 |
東三段目34枚目 6–1 |
東幕下51枚目 3–4 |
西三段目8枚目 5–2 |
東幕下46枚目 4–3 |
2006年 (平成18年) |
西幕下36枚目 3–4 |
東幕下45枚目 4–3 |
西幕下35枚目 4–3 |
西幕下28枚目 3–4 |
東幕下37枚目 5–2 |
西幕下23枚目 3–4 |
2007年 (平成19年) |
東幕下31枚目 3–4 |
東幕下43枚目 5–2 |
東幕下31枚目 4–3 |
西幕下23枚目 3–4 |
西幕下32枚目 優勝 7–0 |
西幕下2枚目 4–3 |
2008年 (平成20年) |
西十両13枚目 10–5 |
東十両7枚目 9–6 |
東十両2枚目 8–7 |
東十両筆頭 9–6 |
東前頭15枚目 4–11 |
西十両4枚目 10–5 |
2009年 (平成21年) |
東前頭13枚目 7–8 |
東前頭13枚目 9–6 |
西前頭8枚目 6–9 |
西前頭11枚目 5–10 |
東十両筆頭 優勝 11–4 |
東前頭11枚目 10–5 |
2010年 (平成22年) |
東前頭7枚目 8–7 |
東前頭4枚目 5–10 |
東前頭7枚目 3–12 |
東前頭14枚目 7–8 |
西前頭14枚目 10–5 |
東前頭8枚目 9–6 |
2011年 (平成23年) |
西前頭3枚目 5–10 |
八百長問題 により中止 |
東前頭6枚目 7–8 |
東前頭6枚目 5–10 |
東前頭10枚目 6–9 |
東前頭13枚目 5–10 |
2012年 (平成24年) |
東十両筆頭 9–6 |
東前頭15枚目 7–8 |
西前頭15枚目 8–7 |
東前頭11枚目 4–11 |
東十両2枚目 9–6 |
東前頭16枚目 9–6 |
2013年 (平成25年) |
西前頭12枚目 8–7 |
西前頭10枚目 4–11 |
東十両筆頭 11–4 |
東前頭13枚目 5–10 |
西前頭16枚目 9–6 |
西前頭11枚目 10–5 |
2014年 (平成26年) |
東前頭6枚目 8–7 |
西前頭筆頭 5–10 |
西前頭6枚目 8–7 |
東前頭4枚目 3–12 |
東前頭9枚目 7–8 |
西前頭10枚目 8–7 |
2015年 (平成27年) |
東前頭9枚目 10–5 |
東小結 4–11 |
西前頭5枚目 6–9 ★ |
東前頭7枚目 8–7 |
東前頭5枚目 4–11 |
東前頭9枚目 8–7 |
2016年 (平成28年) |
西前頭7枚目 5–10 |
西前頭10枚目 9–6 |
西前頭6枚目 4–11 |
東前頭12枚目 9–6 |
西前頭6枚目 10–5 |
西小結 10–5 技 |
2017年 (平成29年) |
東関脇 9–6 |
東関脇 8–7 |
東関脇 10–5 |
東関脇 7–8 |
東小結 7–8 |
東前頭筆頭 11–4 ★ |
2018年 (平成30年) |
西関脇 6–9 |
西前頭筆頭 9–6 |
東前頭筆頭 8–7 |
東小結 8–7 |
東小結 4–11 |
西前頭2枚目 9–6 |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
西関脇 13–2 殊敢 |
西関脇 5–10 |
西前頭3枚目 10–5 ★ |
西関脇 5–10 |
東前頭4枚目 7–8 |
東前頭4枚目 8–7 |
2020年 (令和2年) |
東前頭3枚目 5–10 |
西前頭7枚目 6–9 |
新型コロナウイルス 拡大により中止 |
東前頭9枚目 10–5 |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
脚注
- ^ 大相撲:お相撲さん強いねー!! 小倉南・みのり保育園児、片男波部屋3力士と交流 /福岡 毎日新聞 2014年12月4日(木)
- ^ 玉鷲、悲願初V!鉄人34歳2カ月 歴代2位の年長記録スポーツニッポン2019年1月28日
- ^ 三賞は外国人力士で最スロー記録/初V玉鷲こんな人日刊スポーツ2019年1月27日
- ^ a b 新小結の玉鷲 外国人三役最スロー記録に「長いとも、短いとも思う」 Sponichi Annex 2015年2月23日 15:35
- ^ a b 玉鷲 外国出身最スロー初金星!日馬下した運動未経験力士 Sponichi Annex 2015年5月19日 05:30
- ^ その場所では東前頭筆頭から西前頭5枚目にかけて勝ち越しを果たした力士が豊ノ島(東前頭筆頭で8勝7敗)と松鳳山(東前頭5枚目で9勝6敗)しかいなかった。
- ^ 幕内玉鷲、モンゴル美女と結婚していた nikkansports.com 2014年6月14日
- ^ 意地の豪栄道? 白鵬「当たり前っちゃ当たり前」 朝日新聞 2014年11月12日20時44分
- 奇しくもこの1番で栃ノ心は十両に在位していた同年7月場所から継続していた連勝記録を22でストップさせた。
- ^ 栃ノ心アゴに頭突き受け初黒星 Daily Sports Online
- ^ 【初場所】三賞選考、異例の“取り直し”該当者なしの危機で 2015年1月26日6時0分 スポーツ報知
- ^ 照ノ富士が敢闘賞受賞 NHK 1月25日 17時12分
- ^ “外国出身で最も遅い新三役”玉鷲「横綱、大関倒す」 sanspo.com 2015.2.23 19:54
- ^ 玉鷲、後輩に負けたくない=大相撲新番付 時事通信 2015/02/23-18:36
- ^ a b Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p28
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年11月号7ページから
- ^ 玉鷲うれし涙「よかった」大関下し三役初の勝ち越し 日刊スポーツ 2016年11月25日 18時20分
- ^ 新入幕の石浦が敢闘賞、玉鷲は技能で初の三賞/九州場所 sanspo.com 2016年11月27日 14時43分
- ^ 2016年は技能賞受賞者が5月場所から4場所連続でいたが、いずれも初受賞であった。技能賞初受賞者が年間4人出たのは1964年以来となる。
- 『大相撲ジャーナル』2017年2月号24ページ
- ^ 新入幕の石浦が敢闘賞、玉鷲は技能で初の三賞/九州場所 sanspo.com 2016年11月27日 19時00分
- ^ 初の技能賞の玉鷲 遠藤を圧倒、2桁勝利「気持ち良かった」 sponichi.co.jp 2016年11月28日 05時30分
- ^ 琴奨菊7度目かど番、玉鷲スロー新関脇 新番付 日刊スポーツ 2016年12月26日 06時24分
- ^ 大相撲初場所 新関脇の玉鷲「夢かない興奮」 NHK News Web 2016年12月26日 14時13分
- ^ 32歳の玉鷲、新関脇に「夢がかない興奮してくる」 sanspo.com 2016年12月26日 12時48分
- ^ 玉鷲、奨菊に“引導”渡す 同じ二所ノ関一門「涙が出そうだった」http://mainichi.jp 2017年1月20日
- ^ 隠岐の海「強かった。けがしているからベストじゃないと思うけど、タイミングが良かった」 SANSPO.COM 2017.5.15 19:44
- ^ 嘉風「ああ疲れた。遠藤は左を差したらうまい」 SANSPO.COM 2017.5.24 19:44
- ^ 白鵬に敗れた日馬富士「力比べでした。心も体もとにかく疲れた」 SANSPO.COM 2017.5.28 20:24
- ^ 日刊スポーツ 2017年7月21日
- ^ 『大相撲中継』2017年10月13日号 p.21.
- ^ 玉鷲、高安破るも右足首ひねる 状態問われると「秘密」/秋場所 SANSPO.COM 2017.9.11 21:18
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p7
- ^ 玉鷲、高安を送り出し33歳の誕生日を自ら祝う2017年11月16日17時47分 スポーツ報知(報知市韻文者、2017年11月23日閲覧)
- ^ 『相撲』2018年3月号 p.52-53
- ^ 相撲経験ゼロだった「角界の鉄人」 同じ日に第2子も誕生 二重の喜び 毎日新聞2019年1月27日 20時45分(毎日新聞社、2019年1月28日閲覧)
- ^ 優勝から一夜、玉鷲「人を楽しませ、喜ばせる相撲を取りたい」/初場所 SANSPO.COM 2019.1.28 11:37(産経新聞社、2019年1月28日閲覧)
- ^ 玉鷲2場所続けて関脇、「いつも通りの相撲を」 春場所番付発表 毎日新聞2019年2月25日 11時17分(毎日新聞社、2019年3月1日閲覧)
- ^ 玉鷲が喫茶店で急きょ会見、笑顔で報道陣にコーヒー 日刊スポーツ 2019年2月25日18時55分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月19日閲覧)
- ^ 玉鷲、3連敗で表情さえず「自分の相撲を取るのが難しい」/春場所 SANSPO.COM (産経新聞社、2019年3月16日閲覧)
- ^ 先場所覇者、玉鷲が負け越し 12年名古屋場所の旭天鵬以来/春場所 SANSPO.COM 2019.3.22 19:54(産経新聞社、2019年3月23日閲覧)
- ^ 玉鷲、令和初の金星=大相撲夏場所 JIJI.COM 2019年05月19日20時07分(時事通信社、2019年5月20日閲覧)
- ^ 玉鷲が令和初金星 鶴竜に“恩返し” デイリースポーツ 2019.05.20.(株式会社デイリースポーツ、2019年5月20日閲覧)
- ^ a b c d e f 『大相撲中継』2017年5月27日号30-31頁
- ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号58頁
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号60ページ
- ^ 安美錦、18歳年下の貴源治下し「自分もまだこれだけの相撲取れるんだね」 SANSPO.COM 2017.5.26 20:21
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号12頁
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p29
- ^ 【相撲編集部が選ぶ7月場所7日目の一番】炎鵬(寄り切り)玉鷲 ベースボールマガジン社WEB 2020-07-25 (2020年7月27日閲覧)
- ^ a b 初賜杯が目前に 遅咲き玉鷲の相撲開眼までと師匠の教え(1/2ページ) 日刊現代DIGITAL 2019/01/26 11:50(株式会社日刊現代、2019年1月27日閲覧)
- ^ 【尾車親方の目】玉鷲、豊富な稽古が実を結んだ 2019年1月28日8時0分 スポーツ報知(報知新聞社、2019年2月1日閲覧)
- ^ 東京新聞 2019年1月23日 朝刊
- ^ 『大相撲ジャーナル』2019年3月号 p.38.
- ^ 【白星黒星】玉鷲、豊響にライバル心「あいつばっかりテレビに出て…」 sanspo.com 2014.11.16 20:02
- ^ 玉鷲ワールド全開!「鷲」対決制し荒鷲を「ニセ鷲」 日刊スポーツ 2016年7月17日21時6分
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p31
- ^ 『大相撲ジャーナル』2019年3月号 p.14.
- ^ a b その後、大相撲八百長問題の発覚により、日本大相撲トーナメントとNHK福祉大相撲は開催自体が中止された。
- ^ 玉鷲、握力測定おかわり92キロで「チャンピオン」 日刊スポーツ 2017年2月1日19時40分
- ^ 毎日新聞 2017年10月11日 東京朝刊
- ^ 出稽古禁止で相撲勘戻らず… 苦悩する少人数部屋 タイヤ押す特訓も 毎日新聞2020年7月21日 21時40分 (2020年8月6日閲覧)
- ^ 玉鷲が即答の一字「だって幸せだったから」 日刊スポーツ 2015年12月21日13時51分
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号付録『スポーツ報知2017 大相撲名鑑』p.9
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号57ページ
- ^ Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春愁、2017年4月10日)p92
- ^ a b c 『大相撲中継』2017年5月27日号84ページから87ページ
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年1月27日). “玉鷲、“イクメン”パパで、ケーキ作りが特技”. 産経ニュース. 2019年7月13日閲覧。
- ^ “玉鷲、女子力高めの初V力士が大切にする家族愛 優勝の夜はお祝いより“パパ業””. ライブドアニュース(2019年2月3日). 2019年7月13日閲覧。
- ^ “イクメン玉鷲、初V決めた日誕生の次男の名前明かす - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2019年2月3日). 2019年7月13日閲覧。
- ^ “【スポーツ】人柄がにじんだ玉鷲の初優勝 バンザイ写真、パレード、そして家族愛/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online(2019年1月29日). 2019年7月13日閲覧。
- ^ “玉鷲が初優勝 初土俵から90場所目、新入幕から62場所目は史上4番目のスロー記録”. スポニチAnnex(2019年1月27日). 2019年7月14日閲覧。
- ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号62頁
- ^ 玉鷲のツッコミに衝撃!アン・ソンジュ級のセンス 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)2017年8月5日19時16分(2017年8月23日閲覧)
- ^ 担当記者が玉鷲から受けた衝撃のお説教 2019年1月28日7時10分 スポーツ報知(報知新聞社、2019年2月1日閲覧)
- ^ 16年休場なし玉鷲が献血「毎年楽しみにしている」 日刊スポーツ 2020年2月12日19時33分(2020年2月17日閲覧)
- ^ 臥牙丸悔し涙「なんで玉鷲は…」/九州場所 日刊スポーツ 2013年11月19日
- ^ 臥牙丸「神様ありがとう」玉鷲に続いた初金星 日刊スポーツ 2015年5月19日
- ^ 御嶽海、玉鷲に7戦全勝も「立ち合いが不十分」/夏場所 sanspo.com 2017年5月17日05時01分
関連項目
外部リンク
- 玉鷲 一朗 - 日本相撲協会