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「宇治郡」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[豊臣秀吉]]の[[桜]]で有名な[[醍醐寺]]、[[浄土真宗]]の開祖である[[親鸞]]が誕生したとされる[[日野の里]]、[[坂上田村麻呂]]の墓等がある。また、京都府宇治市の東部とは[[琵琶湖]]より流れ出る[[淀川|宇治川]]の右岸地域のこと。このあたりには、[[禅宗]]の一派である[[黄檗宗]]の大本山、[[黄檗山]][[萬福寺|万福寺]]等がある。万福寺は中国風の[[建築]]で有名な[[寺院]]。開祖は、[[インゲンマメ]]や[[茶]]を[[日本]]に持ち込んだとされる[[隠元隆き|隠元隆琦]]。
[[豊臣秀吉]]の[[桜]]で有名な[[醍醐寺]]、[[浄土真宗]]の開祖である[[親鸞]]が誕生したとされる[[日野の里]]、[[坂上田村麻呂]]の墓等がある。また、京都府宇治市の東部とは[[琵琶湖]]より流れ出る[[淀川|宇治川]]の右岸地域のこと。このあたりには、[[禅宗]]の一派である[[黄檗宗]]の大本山、[[黄檗山]][[萬福寺|万福寺]]等がある。万福寺は中国風の[[建築]]で有名な[[寺院]]。開祖は、[[インゲンマメ]]や[[茶]]を[[日本]]に持ち込んだとされる[[隠元隆琦]]。


『宇治市史』等では、「うじ」とは「うち」を意味するとする<ref name="宇治巡検">[http://www4.kcn.ne.jp/~usuitoge/chimeinoyurai.htm 宇治巡検](新歓巡検) - 奈良大学 地理学研究会</ref><ref>『[[角川日本地名大辞典]] 京都府 上巻』(1982年)「[[宇治市]]」項。</ref>。
『宇治市史』等では、「うじ」とは「うち」を意味するとする<ref name="宇治巡検">[http://www4.kcn.ne.jp/~usuitoge/chimeinoyurai.htm 宇治巡検](新歓巡検) - 奈良大学 地理学研究会</ref><ref>『[[角川日本地名大辞典]] 京都府 上巻』(1982年)「[[宇治市]]」項。</ref>。

2020年8月2日 (日) 22:05時点における版

京都府宇治郡の位置(水色:後に他郡から編入した区域)

宇治郡(うじぐん)は、京都府山城国)にあった

郡域

1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。

  • 京都市
    • 伏見区の一部(醍醐各町・日野各町・石田各町・小栗栖各町)
    • 山科区の全域
  • 宇治市の一部(六地蔵を除く五ヶ庄、菟道、志津川以東)

歴史

豊臣秀吉で有名な醍醐寺浄土真宗の開祖である親鸞が誕生したとされる日野の里坂上田村麻呂の墓等がある。また、京都府宇治市の東部とは琵琶湖より流れ出る宇治川の右岸地域のこと。このあたりには、禅宗の一派である黄檗宗の大本山、黄檗山万福寺等がある。万福寺は中国風の建築で有名な寺院。開祖は、インゲンマメ日本に持ち込んだとされる隠元隆琦

『宇治市史』等では、「うじ」とは「うち」を意味するとする[1][2]

一方、『山城国風土記』(逸文)では、応神天皇皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が、この地に宮「菟道宮(うじのみや)」を構えたことが地名の起源となったとする説話を伝える[3][4]。しかしながら地名としての「莵道」は以前からあったという説もあり[1]、『日本書紀』の垂仁3年3月および仲哀元年閏11月などに「莵道河」(現・宇治川)の記載があることから、「菟道稚郎子」の人名の方が地名を冠したという見方がある[4]

古代

和名類聚抄』に記される郡内の。括弧内は訓読み

  • 大国郷
  • 賀美郷
  • 岡屋郷(乎加乃也)
  • 餘戸郷
  • 小野郷(乎乃)
  • 山科郷(也末之奈)
  • 小栗郷(乎久留須)
  • 宇治郷

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
宇治郡 10座(大5座・小5座)
宇治神社 二座 ウチノ 鍬靫 宇治神社 京都府宇治市宇治山田
宇治上神社 京都府宇治市宇治山田
日向神社 ヒムカヒノ 日向大神宮 京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町
許波多神社 三座 コハタノ 並名神大 月次新嘗 (論)許波多神社 京都府宇治市五ヶ庄 [1]
(論)許波多神社 京都府宇治市木幡
天穂日命神社 アマノホヒノミコトノ 天穂日命神社 京都府京都市山科区石田町
宇治彼方神社 ウチクヲチカタノ 鍬靫 彼方神社 京都府宇治市宇治東内
山科神社 二座 ヤマシナノ 並名神大 月次新嘗 山科神社 京都府京都市山科区西野山岩ヶ谷町 [2]
凡例を表示

中世

治承・寿永の乱宇治川の戦いや、足利尊氏による戦乱が行われた。

近世以降の沿革

幕末の知行
知行 村数 村名
天領 皇室領[5] 3町
19村
東野村、大宅村、●御陵村、北花山村、上花山村、日岡村、川田村、八軒町、髭茶屋町、挑燈町、行燈町[6]、小山村、椥辻村、音羽村、厨子奥村、上野村、竹ヶ鼻村、大塚村、栗栖野新田、●四宮村、西野山村、三室村[7]、志津川村
門跡 9村 安朱村、●勧修寺村、●小野村、●醍醐村、●日野村、●炭山村、●西笠取村、●東笠取村、●二尾村
幕府領 3村 清閑寺村[8]、大八木島、●池尾村
皇室領・門跡領・幕府領 1村 北小栗栖村
皇室領・門跡領 2村 西野村、南小栗栖村
皇室領・公家領・幕府領・女官 1村 ●五ヶ庄
公家領・幕府領・旗本領 1村 木幡村
幕府領・門跡領 1村 石田村
その他 寺社領 1村 大鳳寺村
  • 慶応4年
  • 明治初年 - 挑燈町が髭茶屋町に合併。(2町38村)
  • 明治2年(1869年) - 清閑寺村の全域が当郡所属となる。
  • 明治5年(1872年) - 栗栖野新田が改称して栗栖野村となる。
  • 明治8年(1875年) - 三室村・大鳳寺村が合併して菟道村となる。(2町37村)
  • 明治9年(1876年) - 大八木島が五ヶ庄に合併。(2町36村)
1.山科村 2.醍醐村 3.笠取村 4.宇治村(紫:京都市 桃:宇治市)
  • 明治12年(1879年
    • 4月10日
      • 郡区町村編制法の京都府での施行により、行政区画としての宇治郡が発足。「宇治久世郡役所」が久世郡宇治郷に設置され、同郡とともに管轄。
      • 清閑寺村が愛宕郡の所属となる。(2町35村)
    • 5月7日 - 単独の郡役所が菟道村に設置。

町村制以降の沿革

変遷表

自治体の変遷
明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
宇治村 宇治村 昭和17年4月1日
東宇治町
昭和26年3月1日
宇治市
宇治市 宇治市 宇治市
笠取村 笠取村
久世郡
宇治町
久世郡
宇治町
久世郡
宇治町
久世郡
槇島村
久世郡
槇島村
久世郡
槇島村
久世郡
小倉村
久世郡
小倉村
久世郡
小倉村
久世郡
大久保村
久世郡
大久保村
久世郡
大久保村
醍醐村 醍醐村 昭和6年4月1日
京都市に編入
京都市
伏見区
京都市
伏見区
京都市
伏見区
京都市
山科村 大正15年10月16日
山科町
昭和6年4月1日
京都市東山区に編入
京都市
東山区
昭和51年10月1日
京都市東山区より
山科区を分区
京都市
山科区

宇治郡と宇治郷

文禄年間に宇治郷が分断された結果、郷の代表的な寺院である平等院の所在は久世郡となった

宇治郡は宇治川左岸にあった宇治郷に由来し、後に宇治郷を中心とする宇治川両岸を指す地域名としても「宇治」が用いられた。ところが、文禄年間に豊臣秀吉が行った宇治川の改修で宇治郷の中を宇治川が通るようになり、宇治川を境界としていた久世郡との境界も宇治郷を通るようになってしまったために「宇治郡宇治郷」と「久世郡宇治郷」が並立するようになってしまった(ちなみに『和名類聚抄』の最古の写本である高山寺本は宇治郷を宇治郡のみに、文禄の郡界変更後に校訂された慶長古活字本には変更を反映して宇治郷を両方の郡に記している)。更に江戸時代に入り、久世郡が宇治川左岸の一部を編入した際に宇治郡宇治郷の全域が同郡に編入されてしまったために「宇治に宇治なし、久世に宇治あり」と皮肉られたという。なお、現在の宇治市域には醍醐・山科を除いた宇治郡の大部分とともに久世郡に編入された宇治郷の全域が含まれている[9]

行政

明治11年(1879年)4月10日から5月6日までは久世郡長も兼務。

  • 歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1879年)5月7日
河田景雄 明治27年(1894年)4月14日死去[10]
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ a b 宇治巡検(新歓巡検) - 奈良大学 地理学研究会
  2. ^ 角川日本地名大辞典 京都府 上巻』(1982年)「宇治市」項。
  3. ^ 宇治市歴史的風致維持向上計画【本編】第1章 宇治市の歴史的風致形成の背景 P.14 - 宇治市
  4. ^ a b 「古代地名大辞典」本編(角川書店 初版 1999年3月10日) - 角川学芸出版
  5. ^ 右記のほか「《音羽村/小山村》立会新田」が記載されている。
  6. ^ 明治以降の変遷は不明。本項では町数に数えない。
  7. ^ 記載は三室戸村。
  8. ^ 愛宕郡に跨って所在。
  9. ^ 藤本孝一「山城国宇治郡と久世郡境界考-二つの宇治郷を中心にして-」(初出:京都文化博物館研究紀要『朱雀』2集(1989年)/所収:藤本『中世史料学叢論』(思文閣出版、2009年) ISBN 978-4-7842-1455-6)P183-192)
  10. ^ 『官報』第3236号、明治27年4月17日。

参考文献

関連項目