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交野郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大阪府交野郡の位置

交野郡(かたのぐん)は、かつて河内国堺県大阪府にあった

郡域

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1880年明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる[1]

  • 交野市の全域
  • 枚方市の大部分(菊丘南町、菊丘町、高塚町、岡山手町、岡東町より南西および川原町・香里ケ丘の各一部を除く)
  • 寝屋川市の一部(寝屋、寝屋南、寝屋川公園、打上新町、明和、高倉より南東)

歴史

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古代

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交野郡衙遺跡碑

702年大宝2年)頃に茨田郡から分割して設置された。交野郡衙は現在の交野市郡津にあったとする説があるが、明証はない。交野郡の大部分は「交野ヶ原」と呼ばれる台地・丘陵地で、耕作には適さなかったが、鳥獣が多く棲息し、かつ京からも近いことから貴族の狩場となっていた。桓武天皇の時代には離宮が置かれた他、天皇の狩場(天皇以外の狩猟は禁止された)があったことにちなむ禁野(枚方市)の地名が残る。また、交野ヶ原はの名所としても知られ、交野郡にあった惟喬親王渚院在原業平が「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠んでいる。

式内社

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延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
交野郡 2座(並小)
片野神社 カタノノ 鍬靫 片埜神社 大阪府枚方市牧野阪
久須須美神社 クススミノ 合祀:片埜神社 大阪府枚方市牧野阪
凡例を表示

近世以降の沿革

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  • 旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。○は村内に寺社除地[2]が存在。(38村)
知行 村数 村名
幕府領 幕府領 2村 下島村、○楠葉村
京都守護職役知 7村 寝屋村、中宮村、○宇山村、養父村、○招提村、○村野村、傍示村
旗本領 14村 打上村、○上島村、○船橋村、田口村、片鉾村、藤坂村、長尾村、杉村、○尊延寺村、○穂谷村、津田村、野村、倉治村、○郡津村
京都守護職役知・旗本領 1村 私市村
藩領 相模小田原藩 11村 山之上村、田宮村、○茄子作村、○燈油村、○禁野村、○小倉村、○渚村、○坂村、○甲斐田村、○春日村、○森村
近江西大路藩 1村 星田村[3]
幕府領・藩領 旗本領・小田原藩 1村 私部村
その他 寺社領 1村 寺村
21.水本村 22.星田村 23.津田村 24.川越村 25.交野村 26.磐船村 27.氷室村 28.菅原村 29.山田村 30.牧野村 31.招提村 32.樟葉村(桃:枚方市 赤:寝屋川市 右紫:交野市 1 - 15は茨田郡 41 - 46は讃良郡)

行政

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枚方郡長→堺県茨田・交野・讃良郡長[4]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 匝瑳胤常 明治13年(1880年)4月16日 明治14年(1881年)2月6日 大阪府に移管
大阪府茨田・交野・讃良郡長[4]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 匝瑳胤常 明治14年(1881年)2月7日 明治16年(1883年)6月5日
2 岡林秀胤 明治16年(1883年)6月5日 明治18年(1885年)8月18日
3 俣野景孝 明治18年(1885年)8月18日 明治23年(1890年)6月16日
4 小向寛雄 明治23年(1890年)6月16日 明治24年(1891年)1月15日
5 川越重徳 明治24年(1891年)1月15日 明治26年(1893年)5月31日
6 向日保雄 明治26年(1893年)5月31日 明治29年(1896年)3月31日 茨田郡・讃良郡との合併により交野郡廃止

脚注

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  1. ^ 住居表示実施地区の境界は不詳。
  2. ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
  3. ^ 記載では旧領が西大路藩(仁正寺藩)ではなく小田原藩、管轄が河内県となっているが、『太政類典』の明治3年2月2日付の「西大路藩支配地総高」で河内県消滅後も交野郡1村が西大路藩管轄となっており、旧高旧領取調帳の誤記とみられる。星田村は寛文印知の頃より仁正寺藩領である。
  4. ^ a b 井上正雄『大阪府全志』 巻之四、大阪府全志発行所、1922年、1087-1088頁。 

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 27 大阪府、角川書店、1983年10月1日。ISBN 4040012704 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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先代
茨田郡
行政区の変遷
702年頃 - 1896年
次代
北河内郡