郡津
郡津 | |
---|---|
北緯34度47分43.5秒 東経135度40分28秒 / 北緯34.795417度 東経135.67444度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 交野市 |
面積 | |
• 合計 | 0.862752 km2 |
人口 | |
• 合計 | 6,621人 |
• 密度 | 7,700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
576-0053[3] |
市外局番 | 072(寝屋川MA)[4] |
ナンバープレート | 大阪[5] |
郡津(こうづ[3]、こおづ[6])は、大阪府交野市の地名。1丁目から5丁目まである。郵便番号は576-0053。
地理
[編集]交野市の北部に位置する[7]。北から東にかけて枚方市・幾野、南に私部、西に京阪交野線を挟んで梅が枝・松塚と隣接している[7]。
河川
[編集]歴史
[編集]長禄2年(1458年)9月、『経覚私要抄』に「コウツト云里ヲハ悉被焼払了」とあり、郡津が焼き払われている[6]。石清水八幡宮の神人が下知に従わず新関を設けるなどしたため、幕府の命で神人の地が焼き払われており、郡津も同様に焼かれたとみられる[6]。
天正11年(1583年)8月の豊臣秀吉判物には「河州交野郡郡戸村五百三十三石六斗」と記されており、片桐貞隆が郡津などに知行を与えられていることが分かる[6][10]。
江戸時代の村名は郡津村といった[6]。なお、村名の表記について、文化元年(1804年)に大坂町奉行の命で「郡津」に改めるまでは郡門村と書いたともされる[11]。
郡津村は、寛永年間(1624–1644年)以降、大和小泉藩片桐氏と山城淀藩永井氏の相給で、正保年間(1644–1648年)の村高783石のうち、550石が小泉藩領で、233石が淀藩領だった[6]。小泉藩領は延宝2年(1674年)より旗本下条氏領(下条氏は寛保3年〈1743年〉に片桐に改姓)となっており、淀藩領は万治元年(1658年)に旗本永井氏領、貞享4年(1687年)に幕府領、元禄7年(1694年)に相模小田原藩の大久保氏領となっている[6]。
郡津の集落を南北に東高野街道が通り[6]、貝原益軒の『南遊紀行』に「香津の茶屋」と出てくる[6][12]。また、『五畿内志』には「郡門」という表記が見られる[6]。
1881年(明治14年)、郡津村は大阪府の所属となり、1889年(明治22年)、交野村の大字郡津となった[6]。
地名の由来
[編集]古代交野郡の郡衙の門前の村だったことに由来するという[6][11]。当初は「郡門村」と書いて「こうど村」と読んだとされ、その後「こうづ」に変化した後、表記も「郡津」に改められたとされる[11]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年) - 交野村の大字となる[13]。
- 1939年(昭和14年) - 交野町の大字になる[13]。
- 1968年(昭和43年) - 一部が梅が枝・松塚となる[14]。
- 1974年(昭和49年) - 一部が幾野1–6丁目となる[15]。
- 1976年(昭和51年) - 住居表示が実施され[16]、郡津1–5丁目が成立[6]。郡津2丁目は倉治、郡津4丁目は私部だった場所を含む[17]。
- 1977年(昭和52年) - 一部が松塚に編入される[18]。
- 1979年(昭和54年) - 一部が梅が枝に編入される[19]。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
郡津1丁目 | 897世帯 | 2,025人 |
郡津2丁目 | 540世帯 | 1,299人 |
郡津3丁目 | 504世帯 | 1,109人 |
郡津4丁目 | 375世帯 | 919人 |
郡津5丁目 | 594世帯 | 1,269人 |
計 | 2,892世帯 | 6,621人 |
学区
[編集]市立の小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[20]。
町丁 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
郡津1丁目 | 1–3番、37–43番 | 交野市立交野みらい小学校 | 交野市立第一中学校 |
郡津1丁目 | 4–36番、44–70番 | 交野市立郡津小学校 | 交野市立第二中学校 |
郡津2–5丁目 | 全域 |
郡津1丁目1–3番、37–43番は、2025年(令和7年)4月より郡津小学校区となる[20]。
施設
[編集]- 交野市立交野みらい小学校(1丁目)[21] - 旧長宝寺小学校敷地[22]。
- 交野市立郡津小学校(4丁目)[23]
- 学校法人寺西学園 交野幼稚園(5丁目)[24]
- 交野女子学院(2丁目)[25]
- 郡津神社(1丁目)[26]
- 明遍寺(1丁目)[27]
- 極楽寺(5丁目)[28]
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]- おりひめバス - 2024年9月より実証運行中[30]。
道路
[編集]脚注
[編集]- ^ “大阪府交野市 (27230) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット”. Geoshapeリポジトリ. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. 2024年11月4日閲覧。
- ^ a b “住民記録 人口世帯集計表”. 交野市ホームページ. 交野市の人口・世帯数(令和5年度分). 交野市 (2024年4月3日). 2024年11月4日閲覧。
- ^ a b “大阪府 交野市の郵便番号”. 日本郵便株式会社. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “運輸支局等・自動車検査登録事務所と管轄地域”. 近畿の運輸支局・自動車検査登録事務所の管轄地域. 近畿運輸局 (2023年6月8日). 2024年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 475.
- ^ a b c GoogleマップおよびMapionによる。2024年11月4日閲覧。
- ^ “がらと川 (8606040150) 淀川水系 地図 | 国土数値情報河川データセット”. Geoshapeリポジトリ. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “免除川 (8606040152) 淀川水系 地図 | 国土数値情報河川データセット”. Geoshapeリポジトリ. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター. 2024年11月4日閲覧。
- ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本史料 第十一編之四』東京帝国大学、1932年、848–849頁。全国書誌番号:73016139 。
- ^ a b c 交野市史編纂委員会 編『交野市史 民俗編』交野市、1981年、352–353頁。全国書誌番号:82023560。
- ^ 柳田国男 校訂『紀行文集』博文館〈帝国文庫(第二十二篇)〉、1930年、130頁。全国書誌番号:47025220 。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 365.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 189, 475, 1124.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 112, 475.
- ^ “Ⅰ地勢”. 交野市ホームページ. 交野市統計書「統計時報」. 交野市 (2024年5月17日). 2024年11月4日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 365, 442, 475.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 475, 1124.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 189, 475.
- ^ a b “交野市立小・中学校 校区表”. 交野市ホームページ. 交野市 (2022年4月1日). 2024年11月4日閲覧。
- ^ “交野市立交野みらい小学校”. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “交野みらい学園について”. 交野市ホームページ. 交野市 (2024年10月7日). 2024年11月4日閲覧。
- ^ “郡津小学校”. 交野市ホームページ. 交野市 (2024年2月20日). 2024年11月4日閲覧。
- ^ “園について”. かたのようちえん. 交野幼稚園. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “交野女子学院”. マピオン電話帳. 株式会社ONE COMPATH. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “郡津神社”. マピオン電話帳. 株式会社ONE COMPATH. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “明遍寺”. マピオン電話帳. 株式会社ONE COMPATH. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “極楽寺”. マピオン電話帳. 株式会社ONE COMPATH. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “郡津(こうづ):駅情報”. 京阪グループ. 2024年11月4日閲覧。
- ^ “交野市北部巡回バス実証運行「おりひめバス」の開始について”. 交野市ホームページ. 交野市 (2024年8月14日). 2024年11月4日閲覧。