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2020年7月24日 (金) 08:08時点における版
原語表記 | 近鉄ライナーズ | ||
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クラブカラー |
エンジ 紺 | ||
愛称 | ライナーズ | ||
創設年 | 1929年 | ||
代表 | 中川善雄(部長) | ||
監督 | 有水剛志 | ||
所属リーグ | トップリーグ | ||
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公式サイト | |||
http://www.kintetsu-g-hd.co.jp/liners/ |
近鉄ライナーズ(きんてつライナーズ、Kintetsu Liners)は、近畿日本鉄道の実業団ラグビーチームである。ホームグラウンドは東大阪市花園ラグビー場。愛称の「ライナーズ」は近鉄特急「アーバンライナー」に由来し、ラグビーでのスピード感と力強さを表現している。チームマスコットはアーバンライナーnextをモチーフとした「トライナー君」。 獲得タイトルは、計11回(日本選手権3回・全国社会人大会8回)を誇る。
概要と歴史
黎明期
1927年、大阪電気軌道(通称大軌)社員の有志が集まり高安工場敷地でラグビーの練習を行った(この時、後の近鉄グループ総帥と呼ばれる佐伯勇も参加している)。この練習がきっかけで本格的にメンバーを募集しチームが出来た。その後、花園ラグビー場の開設された1929年に大阪電気軌道ラグビー部として正式に設立された。
戦前・戦中は組織だった全国大会は無かったが、1936年(昭和11年)3月の大阪実業団大会優勝を始め、同大会準優勝3回を誇る。しかし戦争が深まるにつけ次々に部員が召集され、あまり試合も練習も出来なくなっていった。またホームグラウンドである花園ラグビー場も農場や軍事教練場となってしまった。なお1941年(昭和16年)3月15日には大軌と同社の傘下会社・参宮急行電鉄が合併し関西急行鉄道(関急)となり、さらに1944年(昭和19年)6月1日関急と南海鉄道が合併し近畿日本鉄道が発足した。
黄金期
1947年(昭和22年)第2回国民体育大会関西予選で優勝、金沢で行われた第2回国民体育大会に出場する。当時ステータスの高かった国体に出場できたことは大変な栄誉であった。またこの終戦間もない時代の遠征には物資難・食糧難・資金難など幾多の困難があったが、OBや社員の協力で参加することが出来た。
1948年度の第1回全国社会人ラグビーフットボール大会(各地域リーグの上位チームによるトーナメント、以下 全国社会人大会)に出場。しかし決勝で九州代表の配炭公団に3-57と大敗し準優勝に終わる。その後も八幡製鐵等の台頭により、優勝を争える力がありながら、なかなか頂点には届かなかった。加えて、1952年度については、全国社会人大会の出場も逃した。そこで、近鉄の選手として初めて日本代表選手となった中島義信が同年度限りで現役を引退するとともに、翌年度シーズンより監督に就任することになった。
すると、1953年度に九州電力と両チーム優勝の形で初優勝。宿敵・八幡製鐵が九州電力に地区予選で敗れ出場を逃したということがあったとはいえ、悲願の「日本一」を果たした。以後、中島が監督時代に、近鉄は同大会で5回の優勝を果たすことになる。
また、1956年に九州電力を決勝で破って、第1回大会以来続いていた九州勢の連続優勝を途絶えさせた。これ以後もあわせて第27回大会までに、優勝8回、準優勝9回に輝いている。特に、八幡製鐵とは全国社会人大会で1951年度から1968年度まで実に12回対戦。内決勝戦では8回顔をあわせ、社会人チームの二強の一角としても長らく君臨した。戦績は近鉄の2勝10敗(内、決勝は1勝7敗)と大変分が悪く、加えて1958年度は決勝で、1968年度は準決勝で、それぞれ八幡に敗れて同大会3連覇を阻止された。
1956年度の第9回大会では1回戦から決勝までの全4試合すべてを無失点で優勝し「完全シャットアウト優勝」と言われた。この記録は以後一度も塗り替えられることは無かった。また同大会では全55回のうち53回出場および50年連続出場という偉業を成し遂げたことも有名である。
1958年度から始まった関西社会人リーグの設立時のメンバーチームで、第1回大会から11連覇、計16回優勝している(トップウエストを除く)。
1961年度には日本選手権の前身であるNHK杯に出場し準優勝した。
1966年度、1967年度、1974年度には日本選手権で優勝している。
なお、1969年度(1970年1月)は全国社会人大会で優勝し第7回日本選手権の出場権を得たが出場を辞退した。この年の日本選手権はタイ・バンコクでの第2回アジア選手権と日程が重複していた。多数の日本代表選手を輩出していた関西社会人Aリーグは事前に全7チームの監督名で日本協会へ日本選手権の日程変更を申し入れていた。しかし大学の試験時期でもあり日本協会は日程変更せず、全国社会人大会優勝の近鉄はもちろん、準優勝のトヨタ自工、3位の三菱自工京都らは関西勢の総意として棄権した。そのため日本協会は3位の富士鉄釜石(後の新日鉄釜石)に出場を打診し、富士鉄釜石もこれを了承し日本選手権に出場した。
低迷期
1974年度の日本選手権優勝を最後に、坂田好弘(現関西ラグビーフットボール協会会長)、小笠原博(元ワールド監督)らの日本代表経験を持つ選手らが引退し、さらに1976年度シーズン後に今里良三(元日本代表監督、元近鉄ライナーズ部長)や原進(のちのプロレスラー、阿修羅・原)も現役引退。その後若返りを図ったが強化は思うように行かなかった。
1977年度と1988年度に関西社会人Aリーグで優勝。その後もAリーグに残留し全国社会人大会の連続出場記録を更新するものの、目立った成績は挙げられなかった。
トップリーグ発足後
2003年度からスタートしたジャパンラグビートップリーグに参加し、これにより「ライナーズ」の愛称が定められる。2003年度のリーグ戦では3勝8敗で12チーム中10位に終わり入れ替え戦に回ったが、九州電力に47-24で勝って降格を免れた。
ところが翌2004年度は2勝9敗で12チーム中11位に終わり、大会規定によりトップウェストAリーグに自動降格した。チームはこれまで企業の福利厚生を目的とした部活の一環として経営してきたが、2005年度からは企業のシンボルスポーツとしての独立組織に一新させる方針で、運営予算も増額された。また責任者としてOBの今里良三(元日本代表、元近鉄監督、元日本代表監督)を抜擢した。
その2005年度はトップウエストAリーグで7戦全勝で優勝し、チャレンジマッチ(トップイースト・トップウエスト・トップキュウシュウの3地域の代表による順位決定戦)に進出。3チーム中2位までに入れば翌2006年度からトップリーグが14チームに拡大されるため自動昇格による復帰を果たすことができたが、日本IBMビッグブルーに0-39、コカ・コーラウエストジャパンに12-15と連敗し、入れ替え戦でもトップリーグで全敗した福岡サニックスブルースに20-46で敗れ、復帰を果たせなかった。
2006年度はトップウエストAリーグを2連覇で、チャレンジマッチに再挑戦。自動昇格をかけた三菱重工相模原との最終戦で31-32の僅差で敗れ自動昇格を逃すどころか、その後行われたIBMとの入れ替え戦でも終盤間際に同点に追いつかれた(29-29)。この場合、大会規定でトップリーグのチームが残留するため、近鉄は2年連続してトップリーグへの復帰を果たせなかった。
2007年度のトップウエストAでは上位3強プレーオフ制度があり、3位以内に入ればチャレンジマッチ出場をかけたプレーオフに出られるが、この年はトップリーグから降格したワールドファイティングブルと、ホンダヒートに敗れたのがたたり、レギュラーリーグ3位で消化、辛うじてプレーオフ進出を決めた。その後行われたプレーオフでホンダ、ワールドを撃破して、トップウェスト1位となりチャレンジマッチ1に出場する権利を得た。チャレンジマッチではマツダブルーズーマーズと横河電機に快勝して1位でトップリーグ復帰を決めた。また33年ぶりに日本選手権に出場し1回戦で慶應義塾大学を破ったが準々決勝でトヨタ自動車に大接戦の末破れた。
2008年度はピーター・スローンをヘッドコーチに招聘し、トップリーグでは復帰チームながら開幕2連勝、上位チームには勝てなかったが善戦しボーナスポイントを獲得した。下位チームには確実に勝ち、2試合を残して自動降格は回避。また最終節を待たずに10位以上が決定し入替戦も回避して残留を決定した。最終順位は14チーム中9位であったが、復帰1年目としては好成績であった。
2009年度は更なるステップを目指し、大西将太郎、高忠伸、伊藤太進、田中正純など関西出身の実力者を補強。さらにレオン・マクドナルドというビッグネームの補強もあったが、負傷者とコンビネーション不足などがあり、11位となり入替戦に回った。しかし入替戦では横河に勝ちトップリーグ残留を決めた。
2010年度はリコ・ギアが加入、またコンビネーションも向上し、しばらく勝てなかった神戸製鋼やトヨタを破るという金星を挙げた。最終順位はトップリーグ歴代最高タイの9位であった。なお、ピーター・スローンヘッドコーチの契約満了に伴い前田隆介コーチが2011年度より監督に就任することになった。その2011年度は開幕3連勝などの快進撃で、チームとしてはトップリーグで最高位の5位に食い込んだ。翌2012年度は中位チームとの対戦で取りこぼしが多く7位で終了した。トップリーグが2ステージ制のリーグ戦になった2013年度は1stステージは負け越し6位に入り、2ndステージは勝ち越して2位に入り、総合順位は10位だった。翌2014年度は勝ち越すも5位に入り、2ndステージは勝ち越して4位に入り、総合順位は12位だった。2016年3月には前田隆介監督の退任に伴い坪井章が監督に就任した。しかし2017年度は最終順位で16位(最下位)となり、トップチャレンジリーグへ自動降格となった。
2018年度は、ヘッドコーチに前15人制女子日本代表監督である有水剛志が就任。トップチャレンジリーグ1stステージは全勝で通過するが、2ndステージで失速。3位となり、入れ替え戦に出場したが、日野レッドドルフィンズに敗れ1期での昇格にはならなかった[1]。
2019年度、バックスコーチにショーン・ヘッジャーを迎えアタックを一新。トップリーグカップのプール戦をプール戦4勝1敗で終えるも、神戸製鋼戦での敗戦が響き、プレーオフ進出は逃す。
タイトル
- 日本選手権
- 優勝: 1966, 1967, 1974
- 準優勝: 1961(NHK杯), 1963
- 全国社会人大会
- 優勝: 1953, 1956, 1957, 1961, 1966, 1967, 1969, 1974
- 準優勝: 1948, 1951, 1955, 1958, 1959, 1960, 1963, 1965, 1973
- 関西社会人リーグ
- 優勝: 1958, 1959, 1960, 1961, 1962, 1963, 1964, 1965, 1966, 1967, 1968, 1971, 1972, 1973, 1974, 1977, 1988
- トップウェスト
- 優勝: 2005, 2006, 2007
2019年陣容
reference: [2] 太字は今年からの新加入選手
- リーダーグループ
浅岡勇輝、マイケル・ストーバーク、福居武、高島卓久馬、萩原寿哉、パトリック・ステイリン、石井智亮、野口大輔、南藤辰馬、田淵慎理、井波健太郎、吉井耕平
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2020年度新加入予定選手
主なOBおよび在籍した選手
- 田中有道(FW)
- 井上成一(FW、元監督)
- 沢田健一(TB)
- 合田夷(FW/TB)
- 松下栄(SH)
- 柘植平内(TB、元監督)
- 大江賀寿雄(SH)
- 中島義信(HO、元日本代表、元監督)
- 門戸良太郎(SH、元日本代表、元監督)
- 南義明(貝元義明)(PR、元日本代表)
- 上坂桂造(SO、元日本代表)
- 前田恭平(LO)
- 福田廣(SH、元監督)
- 近藤功(WTB、元日本代表)
- 中山忠(HO、元日本代表)
- 神庭正生(WTB)
- 伊海田誠男(FB/WTB、元日本代表)
- 川崎守央(PR、元日本代表)
- 大久保吉則(SH、元日本代表、元監督)
- 神野崇(PR、元日本代表)
- 石塚広治(NO.8、元日本代表)
- 坂田好弘(WTB、元日本代表)
- 鎌田勝美(LO、元日本代表)
- 小笠原博(LO、元日本代表)
- 犬伏一誠(CTB/SO、元日本代表)
- 今里良三(SH、元日本代表、元監督)
- 原進(FR/LO/NO.8、元日本代表)
- 黒坂敏夫(PR/HO、元日本代表)
- 栗原進(CTB、、元日本代表)
- 下司光男(LO/NO.8)
- 吉野一仁(PR/LO/NO.8、元日本代表)
- 吉田正雄(CTB、元日本代表)
- 首藤幸一(LO、元監督)
- 豊田偉明(PR、元日本代表)
- 小西謹也(WTB/NO.8、元日本代表)
- 中谷誠(FL、元監督)
- 山内逸央(CTB、元監督)
- 岡本時和(HO、元ヘッドコーチ)
- 浜辺和(PR、元日本代表)
- 佐藤憲治(LO、元日本代表)
- 前田隆介(SH、元監督)
- 坪井章(FL、元監督)
- 辻本裕(HO、元日本代表)
- 大藪淳 (CTB)
- 吉村太一(SO/FB)
- 石田大起(PR)
- 橋本俊治 (SH)
- 蠣崎竜太(WTB)
- ルアタンギ・侍バツベイ(LO、元日本代表)
- 四宮洋平(WTB、元日本代表)
- ピーター・スローン(元ヘッドコーチ、元NZ代表)
- レオン・マクドナルド(SO/CTB/FB、元NZ代表)
- 大西将太郎(CTB)
- 佐久間隆(SH)
- 坂本和城(FB、元日本代表)
- 鄭貴弘(PR)
- 壇辻勇佑(WTB)
- ダミアン・デアレンディ(CTB、南ア代表)
- リコ・ギア(WTB/FB、元NZ代表)
- 李陽(WTB/FB、中国代表)
- 佐藤幹夫(FL)
- 重光泰昌(SO)
- 金哲元(SH、元日本代表)
- イオプ・イオプアソ(FL)
- トンプソンルーク(LO)
- 寺田桂太(LO)
- 辻直幸(FL/No8)
- 堀大志(FL/No8)
- 福居武(SH)
- 吉井耕平(SO)
- 井波健太郎(CTB)
- 宮田一馬(WTB)
- 山口知貴(PR)
脚注
- ^ “日野が残留決めた!名門・近鉄相手に2T/TL”. サンケイスポーツ (産経新聞社). (2018年12月24日) 2018年12月28日閲覧。
- ^ メンバー紹介 - 公式ホームページより
関連項目
- 近畿日本鉄道
- 東大阪市
- ジャパンラグビートップリーグ
- 東大阪市花園ラグビー場(旧・近鉄花園ラグビー場)
- 大阪近鉄バファローズ(かつて存在した日本のプロ野球球団)
- 谷口真由美 - 実父の龍平が近鉄ラグビー部時代の選手・コーチで、実母も花園ラグビー場内の独身寮の寮母を務めていたため、1981年から10年間寮内で家族や選手と同居。
外部リンク
- 近鉄ライナーズ
- 花園近鉄ライナーズ (@kintetsu_liners) - Instagram
- 花園近鉄ライナーズ (@liners_players) - X(旧Twitter)
- 花園近鉄ライナーズ - YouTubeチャンネル
- 東大阪市花園ラグビー場