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「王将戦」の版間の差分

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2020年7月16日 (木) 23:03時点における版

王将戦
棋戦の分類 タイトル戦
開催概要
開催時期 予選:1月 - 12月
タイトル戦:翌年1月 - 3月
初回開催 一般棋戦:1950年度(第1回)
タイトル戦:1951年度(第1期)
持ち時間 予選:3時間
挑戦者決定リーグ:4時間
タイトル戦:8時間(2日制)
番勝負 七番勝負
主催 スポーツニッポン新聞社
毎日新聞社
協賛 イートアンド(特別協賛)
囲碁・将棋チャンネル
公式サイト 王将戦:日本将棋連盟
記録
現王将 渡辺明(第69期)
永世資格者 大山康晴(永世王将)
羽生善治(永世王将資格)
最多優勝 大山康晴(20期)
最長連覇 大山康晴(9連覇)
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王将戦(おうしょうせん)は、スポーツニッポン新聞社及び毎日新聞社主催の将棋棋戦で、タイトル戦竜王戦名人戦叡王戦王位戦王座戦棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。その名の通り、駒の「王将」から命名された。1950年に一般棋戦として創設され、翌1951年(1期)にタイトル戦に格上げされた。七番勝負の勝者は王将のタイトル称号を得る。

2019年度の第69期は、外食チェーン「大阪王将」を運営しているイートアンドが特別協賛に加わり、正式名称を大阪王将杯王将戦として開催された[1][2]

方式

一次予選・二次予選・挑戦者決定リーグによって挑戦者を決定する。挑戦者は王将と七番勝負を戦い、先に4勝した棋士が新たな王将となる。

持ち時間は、一次予選及び二次予選が3時間、挑戦者決定リーグが4時間、王将戦七番勝負が2日制(封じ手採用)の8時間。

一次予選

シード者と二次予選から出場する棋士を除く、順位戦B級1組以下の棋士によりトーナメント形式で行われる。各組のトーナメント勝者が二次予選に進む。予選通過枠は毎年異なる。

二次予選

トーナメント形式で18人[3]から挑戦者決定リーグ進出者3人を選ぶ。参加者は

  • 前期挑戦者決定リーグ陥落者(3人、二次予選2回戦からの参加)
  • タイトル保持者
  • 順位戦A級の棋士
  • 永世称号者[4]
  • 一次予選通過者

挑戦者決定リーグ

二次予選通過者3人とシード権者(前期挑戦者決定リーグ残留者と王将戦敗者)4人の計7人で総当たりのリーグ戦を行い、成績最上位者が王将戦の挑戦者となる。成績最上位者が複数出た場合は、原則としてシード順位で上位の2人によるプレーオフが行われる[5]

成績上位者4人が次年度の挑戦者決定リーグに残留し、その順位に従いシード権を得る[6]。勝ち星が並んだ場合は当年度のシード順位が優先されるが、二次予選通過者同士で勝ち星が並んだ場合は、リーグ残留の場合は次年度も同順位[7]、4位で並んだ場合は残留者決定プレーオフが行われる[8]

王将戦七番勝負

王将と挑戦者が七番勝負を戦う。七番勝負は全国各地の旅館や料亭などで催される。2012年からは第1局を静岡県掛川市掛川城(二の丸茶室)で行うことが恒例となっている[9]。また、栃木県大田原市でも2006年から14回連続で開催されている[10]

方式の遍歴

王将戦七番勝負
(2日制)
挑戦者決定リーグ 二次予選 一次予選
持ち
時間
被挑戦者 持ち
時間
出場
人数
シード条件 同率首位時
プレーオフ
進出者
残留条件 持ち
時間
出場人数→
リーグ進出人数
シード条件 二次予選
進出者
出場資格
第1回 10時間 名人 7時間 5名 順位戦A級上位5名 該当者全員
プレーオフ
トーナメント
- 実施せず 実施せず
1 王将名人
(三番勝負)
2 7名 第1期王将を含む
順位戦A級上位4名
リーグ4位以内
降格ライン上に
同率の者が複数いる場合
該当者全員
残留者決定トーナメント
不明 16名→4名 順位戦A級下位6名 10名 順位戦B・C級
棋士全員
3 8名 4名
・七番勝負敗者
・前期リーグ残留者3名
16名→3名 順位戦A級 16名から
二次シード数を
差し引いた数
4~12 王将 16名[11]→4名

シード以外の
棋士全員
13~17 ・順位戦A級
前期リーグ陥落者
18 09時間 6時間
19~30 ・順位戦A級
・前期リーグ陥落者
タイトル保持者
永世称号者
31~33 7名 18名[12]→3名 18名から
二次シード数を
差し引いた数
34~40 5時間
41~42 08時間
43~ 4時間 順位上位2名
の直接対決
リーグ4位以内
降格ライン上に
同率の者が複数いる場合
順位上位の者が残留
順位も同じ場合のみ
残留者決定戦
3時間

永世称号など

永世王将

永世称号である「永世王将」は、王将位を通算10期以上保持した棋士に与えられる。2018年3月現在、永世王将の棋士は大山康晴。永世王将の資格を持つ棋士は羽生善治。なお、大山は1973年の王将失冠(無冠)後、長年に渡るタイトル保持者としての功績により、特例的に現役で永世王将を名乗っていた。

贈王将

坂田(阪田)三吉は、関根金次郎十三世名人と激戦を繰り返したことで知られ、『王将』というタイトルで数多くの舞台や映画、歌のモデルになったが、没後の昭和30年(1955年)に日本将棋連盟により「名人位」とともに「王将位」を追贈されている。

エピソード

王将戦は、将棋史における代表的なエピソードが生まれている棋戦でもある。

  • 1950年、名人戦の契約を朝日新聞社に奪われた毎日新聞社が、王将戦を創設した。
  • 後に王将戦の観戦記者になった倉島竹二郎は、「王将戦」という棋戦名は、当時流行していた北条秀司による戯曲「王将」に由来しているのではと、推測している[13]。また、棋戦創設当時は、非常に違和感がある棋戦名だっとも回想している[14]
  • 王将戦は、発足当初に「指し込み制」が適用されていて、升田幸三による陣屋事件や「名人に香車を引いて」などの舞台となった(後述)。
  • 大山康晴は、永世王将就位・十五世名人襲位後の1979年度(第29期)に56歳で加藤一二三から王将位を奪還し、1981年度(第31期)まで王将位を防衛していた。58歳のタイトル保持は、2018年時点において史上最高齢となっている。
  • 1993年度(第43期)第5局(1994年2月)は青森県三沢市で行われたが、対局者や副立会人を乗せた飛行機が天候不良によって三沢空港に着陸できず羽田空港へ引き返したために2日制が時間的に不可能になってしまい、持ち時間各5時間の1日制で行われた。
  • 1994年度(第44期)の七番勝負では、羽生善治の七冠独占を谷川浩司がフルセットの末に阻止した。谷川は七番勝負の途中に阪神・淡路大震災で被災していた。
  • 1995年度(第45期)は、羽生が4勝0敗ストレートで谷川から奪取し、ついに七冠独占を達成した。
  • 1994年度の羽生の挑戦後、羽生は2009年度(第58期)まで16年連続で七番勝負に登場した(挑戦者として4回、王将として12回)。2009年度に羽生が久保利明に敗れて失冠し、2010年度(第59期)の挑戦者決定リーグで羽生が3勝3敗の3位に終わった(1位は豊島将之)ことで連続が途切れた。
  • 上記の2010年度の挑戦者となった豊島将之は、王将戦挑戦者の最年少記録を更新(20歳)。同時に、全タイトル戦を通じて初の平成生まれの挑戦者となった。
  • 2014年度(第64期)第5局(2015年3月)は新潟県佐渡市で行われたが、荒天により佐渡汽船のフェリーが欠航したため前日のうちに佐渡島に渡ることができなかった[15]。最終的に日程が短縮され、初日午後より対局開始・持ち時間各7時間・2日目に夕食休憩有りという変則2日制での対局となった[16]
  • 2017年度(第67期)は、王将位保持者である久保利明と挑戦者の豊島将之がいずれもA級順位戦史上初の6人によるプレーオフに出場することになったことで、王将戦七番勝負の最中に順位戦プレーオフを最大5局挟む異例の過密スケジュールとなった。プレーオフの第1局も久保と豊島の対戦となり、豊島が久保戦も含めプレーオフで3局連続勝利するも、4局目で羽生善治に敗れた。久保はプレーオフで豊島に敗れるも、王将戦は4勝2敗でタイトルを防衛した。
  • 番ごとの勝者は『スポーツニッポン』紙面掲載用に記念撮影を行なう。パティシエに扮してロールケーキをつくったり、安来節を踊ったり、海岸で将棋を指したりとユニークな写真が多く、「勝者罰ゲーム」の異名を持つ[17][18][19][20]。しかし当の『スポーツニッポン』は「決して罰ゲームではありません」と否定している[21]。しかし第67期は両対局者から「緩い」との指摘があり、これを受けた『スポーツニッポン』は第68期での企画強化を宣言している[21]

歴代七番勝負・挑戦者決定リーグ

創設~第42期

  • *は指し込みを示す。○●は被挑戦者から見た勝敗、千は千日手
  • 網掛けの対局者が勝者。◎は王将挑戦者、▼は陥落。
  • 緑色は挑戦プレーオフ出場者、青色は残留決定戦出場者。
年度 被挑戦者 勝敗 挑戦者 挑戦者決定リーグ[22]
1 1950 木村義雄 ○●○○●○ 丸田祐三 大山 升田 丸田 塚田正 高島一
年度 被挑戦者 勝敗 挑戦者 被挑戦者決定戦 挑戦者決定リーグ
王将 勝敗 名人 A級上位5名
1 1951 木村義雄 ●●○●●* 升田幸三 実施せず(木村、王将・名人独占) 丸田 升田 大山 坂口 塚田正[23]
年度 被挑戦者 勝敗 挑戦者 王将 勝敗 名人 シード(A級上位4名)[24] 二次予選突破者
2 1952 大山康晴 ○●●○●○○ 丸田祐三 升田幸三 ○●● 大山康晴 丸田 塚田正 板谷四 高島一 小堀 山本武 山中
年度 被挑戦者 勝敗 挑戦者 王将 勝敗 名人 リーグ残留者 二次予選突破者
3 1953 大山康晴 ○○●千○●○ 升田幸三 実施せず(大山、王将・名人独占) 升田 丸田 小堀 塚田正 板谷四 原田 高柳 二上
開催
年度
王将戦七番勝負 挑戦者決定リーグ
前期王将 勝敗 挑戦者 リーグ残留者 二次予選突破者
4 1954 大山康晴 ○千●千○○○*○● 松田茂行 升田 原田 高柳 二上 大野源 花村 松田茂
5 1955 大山康晴 ●●●*●● 升田幸三 松田茂 大野源 花村 升田 丸田 高島一 松下
6 1956 升田幸三 千○○●●○千○● 大山康晴 大山 花村 丸田 松田茂 原田 松下 加藤一
7 1957 升田幸三 ○○●●○●● 大山康晴 大山 松田茂 丸田 塚田正 大野源 高島一 有吉
8 1958 大山康晴 ○○○*●○●○ 高島一岐代 升田 丸田 高島一 大野源 五十嵐 松浦卓 廣津
9 1959 大山康晴 ○●○千○●○ 二上達也 高島一 廣津 丸田 大野源 二上 加藤一 加藤博 清野
10 1960 大山康晴 ●●○○○○ 二上達也 二上 丸田 大野源 加藤一 高島一 北村昌 芹沢
11 1961 大山康晴 ○○○*○ 加藤一二三 二上 高島一 芹沢 加藤一 升田 加藤博 佐藤大
12 1962 大山康晴 ○●●●○● 二上達也 加藤一 升田 二上 加藤博 松田茂 有吉 山田
13 1963 二上達也 ●●●*● 大山康晴 大山 有吉 松田茂 升田 丸田 五十嵐 芹沢
14 1964 大山康晴 ○○●○○* 加藤博二 二上 松田茂 升田 有吉 大野源 加藤博 山田 大内
15 1965 大山康晴 ●○●●○○○ 山田道美 加藤博 升田 山田 有吉 丸田 芹沢 内藤
16 1966 大山康晴 ○○●○○ 加藤一二三 山田 升田 有吉 内藤 大野源 丸田 加藤一 加藤博
17 1967 大山康晴 ○○●○●○ 加藤一二三 加藤一 山田 丸田 内藤 松田茂 二上 加藤博 高島弘
18 1968 大山康晴 ○○○○* 内藤國雄 加藤一 内藤 二上 高島弘 塚田正 丸田 加藤博 大友
19 1969 大山康晴 ○●○○○ 二上達也 内藤 加藤一 二上 大友 升田 山田 有吉 大内
20 1970 大山康晴 ○●●○●○○ 中原誠 二上 加藤一 大内 内藤 升田 中原 西村 森安秀
21 1971 大山康晴 ●○○○●●○ 有吉道夫 中原 升田 西村 二上 有吉 内藤 米長 星田
22 1972 大山康晴 ●●●●* 中原誠 有吉 中原 内藤 米長 二上 板谷進 吉田利 勝浦
23 1973 中原誠 ○●●○○○ 米長邦雄 大山 米長 内藤 勝浦 原田 高島弘 西村 石田和
24 1974 中原誠 ○●○○●●○ 米長邦雄 米長 大山 内藤 原田 丸田 二上 関根茂 板谷進
25 1975 中原誠 ○○●○○ 有吉道夫 米長 内藤 大山 板谷進 二上 熊谷 有吉 桐山
26 1976 中原誠 ○●●○○○ 大山康晴 有吉 大山 米長 内藤 加藤一 花村 板谷進 森雞
27 1977 中原誠 ○●○●○千○ 有吉道夫 大山 米長 加藤一 森雞 有吉 勝浦 西村 淡路
28 1978 中原誠 ○●●●● 加藤一二三 有吉 米長 加藤一 西村 大山 二上 大内 石田和
29 1979 加藤一二三 ●●○●○● 大山康晴 中原 米長 大山 二上 内藤 有吉 大内 勝浦
30 1980 大山康晴 ●○○○○ 米長邦雄 加藤一 中原 米長 大内 板谷進 勝浦 佐藤義 小林健
31 1981 大山康晴 ●○●●○千○○ 中原誠 米長 加藤一 大内 小林健 中原 勝浦 森安秀
32 1982 大山康晴 ○●●●● 米長邦雄 中原 米長 加藤一 小林健 内藤 森安秀 谷川
33 1983 米長邦雄 ○○●○○ 森雞二 大山 中原 小林健 加藤一 桐山 森雞 青野
34 1984 米長邦雄 ●○●●● 中原誠 森雞 青野 中原 桐山 谷川 加藤一 有森
35 1985 中原誠 ●●千●○○● 中村修 米長 加藤一 谷川 森雞 高橋 中村修 塚田泰
36 1986 中村修 ●○○●○○ 中原誠 中原 米長 加藤一 塚田泰 谷川 有吉 森雞
37 1987 中村修 ●○●○○●● 南芳一 中原 塚田泰 米長 森雞 高橋
38 1987 南芳一 ○○○○* 島朗 中村修 中原 米長 谷川 塚田泰 加藤一
39 1989 南芳一 ●○○○●●● 米長邦雄 中原 米長 谷川 加藤一 中村修 屋敷
40 1990 米長邦雄 ○●○●●● 南芳一 中原 谷川 中村修 屋敷 淡路 森下
41 1991 南芳一 ○●●●● 谷川浩司 米長 屋敷 森下 中原 谷川 羽生 森内
42 1992 谷川浩司 ○○○○* 村山聖 米長 中原 森内 羽生 屋敷 村山聖

第43期~現在

  • *は指し込みを示す。○●は王将から見た勝敗、千は千日手
  • 網掛けの対局者が勝者。◎は王将挑戦者、▼は陥落。
  • 緑色は挑戦プレーオフ出場者、濃い緑色は同率最上位の成績ながら順位差でプレーオフ出場を逃した者。
  • 青色は残留決定戦出場者、濃い水色降格ライン上ながら順位差で降格になった者、水色は降格ライン上ながら順位差で降格をまぬがれた者。
開催
年度
王将戦七番勝負 挑戦者決定リーグ
前期王将 勝敗 挑戦者 前期残留者 二次予選突破者
1 2 3 4 5
43 1993 谷川浩司 ○○●○●○ 中原誠 村山聖 米長 羽生 中原 森内 郷田 畠山成
44 1994 谷川浩司 ○○●●○●千○ 羽生善治 中原 村山聖 郷田 羽生 有吉 塚田泰 森内
45 1995 谷川浩司 ●●●●* 羽生善治 羽生 郷田 中原 村山聖 有吉 森内 丸山
46 1996 羽生善治 ○○○○* 谷川浩司 谷川 中原 村山聖 森内 高橋 丸山 藤井猛
47 1997 羽生善治 ○○●○○ 佐藤康光 谷川 村山聖 丸山 中原 高橋 森内 佐藤康
48 1998 羽生善治 ●○○○○ 森下卓 佐藤康 谷川 丸山 中原 中村修 森下 屋敷
49 1999 羽生善治 ○○○○* 佐藤康光 森下 丸山 佐藤康 谷川 中原 郷田 久保
50 2000 羽生善治 ○●○○○ 谷川浩司 佐藤康 森下 郷田 丸山 中原 谷川 久保
51 2001 羽生善治 ●●○●○● 佐藤康光 谷川 中原[25] 久保[25] 佐藤康 郷田 米長 森内
52 2002 佐藤康光 ●●●●* 羽生善治 羽生 久保 郷田 谷川 森内 藤井猛 森下
53 2003 羽生善治 ●千○●●○● 森内俊之 佐藤康 郷田 森内 久保 谷川 米長 森下
54 2004 森内俊之 ●●●●* 羽生善治 羽生 久保 谷川 佐藤康 丸山 郷田 阿久津
55 2005 羽生善治 ○○○●●●○ 佐藤康光 森内 久保 佐藤康 丸山 郷田 深浦 行方
56 2006 羽生善治 千●○○○●千●○ 佐藤康光 佐藤康 丸山 森内 久保 谷川 藤井猛 郷田
57 2007 羽生善治 ○○●○○ 久保利明 佐藤康 丸山 森内 久保 深浦 谷川 藤井猛
58 2008 羽生善治 ○●●○●○○ 深浦康市 久保 佐藤康 森内 丸山 深浦 高橋 郷田
59 2009 羽生善治 ●○●●○● 久保利明 深浦 久保 佐藤康 森内 渡辺明 三浦 豊島
60 2010 久保利明 ○●○○●○ 豊島将之 羽生 佐藤康 深浦 森内 渡辺明 三浦 豊島
61 2011 久保利明 ●●●○● 佐藤康光 豊島 佐藤康 羽生 渡辺明 森内 三浦 広瀬
62 2012 佐藤康光 ●●○●● 渡辺明 久保 豊島 渡辺明 羽生 郷田 深浦 飯島
63 2013 渡辺明 ○○●●○●○ 羽生善治 佐藤康 深浦 豊島 羽生 谷川 郷田 久保
64 2014 渡辺明 ○○●●○●● 郷田真隆 羽生 佐藤康 郷田 深浦 屋敷 三浦 豊島
65 2015 郷田真隆 ○●●○○○ 羽生善治 渡辺明 羽生 佐藤康 深浦 糸谷 森内 久保
66 2016 郷田真隆 ●●●○○● 久保利明 羽生 久保 糸谷 深浦 渡辺明 豊島 近藤誠
67 2017 久保利明 ●○○○●○ 豊島将之 郷田 糸谷 豊島 渡辺明 佐藤天 深浦 斎藤慎
68 2018 久保利明 ●●●●* 渡辺明 豊島 郷田 糸谷 渡辺明 佐藤天 中村太 広瀬
69 2019 渡辺明 ○●○●●○○ 広瀬章人 久保 糸谷 広瀬 豊島 羽生 三浦 藤井聡
70 2020 渡辺明 広瀬 豊島 羽生[26] 藤井聡[26]

過去の制度

指し込み制

創設当初の七番勝負では「三番手直り」の指し込み制を採用した[27]。これは、3勝差がついた時点で王将戦の勝負が決定し、次の対局から香落ちと平手戦で交互に指し(半香落ちの手合割)、必ず第7局まで実施するシステムである。当時、将棋連盟内では升田幸三を筆頭に、名人が指し込まれる可能性があると慎重論があったが、最終的に主催側の提案通りに施行する事となった。これは、「名人が指し込まれることはあり得ない」と当時の名人である木村義雄自身が発言したことによるものであったとされる。

皮肉なことに、1951年度の第1期王将戦で、升田八段(当時)が木村王将・名人を4勝1敗で指し込むこととなった。升田は香落ち戦となる第6局の対局を拒否し、事態を重く見た連盟から一時は1年間の対局禁止の裁定も下された(直後に取り消される)。この「陣屋事件」は将棋界のみならず、世間の大きな注目を集めた。さらに1955年度の第5期王将戦では升田が大山康晴王将・名人に対し3勝0敗で指し込みを果たすと、1956年1月19日20日の第4局で香落ちの升田が大山名人に勝ち、「名人が香を引かれて負ける」事態が起こった。なお、升田は続く第5局(平手番)でも勝ち、対戦成績を5勝0敗とするが、体調を崩し対局に耐えられなくなったとして第6・7局は中止となった。

また実際に起こることは無かったものの、一方の棋士が最初に3連勝した後に4連敗した場合でも最初に3連勝した段階で勝負が決定しているため、4連敗の中に香落ち戦が含まれるとはいえ、負け越した棋士が七番勝負の勝者となる可能性があった。

指し込み制は、1959年度の第9期から香落ち戦を1局だけ指すようになった。1965年度の第15期からは四番手直りに改められ、またどちらかが4勝した時点で対戦が終了することになったため、香落ち戦が指されることはなくなった。しかし、死文化しているものの、王将戦の指し込み制そのものは現在も規則に残っている。つまり、王将戦で4勝差がつく(七番勝負のため、4勝0敗のストレート勝ちでしか起こりえない事になっている)と実際に香落ち戦が指されることはないものの、「指し込み」は記録される。なお、四番手直り以降で名人在位者に「指し込み」が記録されたのは、第49期(1999年度)の佐藤康光(挑戦者)と第54期(2004年度)の森内俊之(王将保持者)で、いずれも羽生善治に0勝4敗でストレート負けしている。

記録

獲得 番勝負出場 挑戦 リーグ参加
最多 大山康晴 20期 大山康晴 26期 中原誠
羽生善治
佐藤康光 6期
大山康晴 34期
連続 大山康晴 9連覇 大山康晴 21連続 大山康晴
二上達也
加藤一二三
米長邦雄
羽生善治
佐藤康光 2連続
大山康晴 34連続
最年少 第35期 中村修 23歳 第60期 豊島将之 20歳 第60期 豊島将之 20歳 第6期 加藤一二三 16歳
最年長 第31期 大山康晴 58歳 第32期 大山康晴 59歳 第29期 大山康晴 56歳 第33期 大山康晴 60歳


  • 挑戦者決定リーグ記録

 第69期まで。第1回を含む。第2期被挑戦者決定戦をリーグ残留、リーグ参加に含む。リーグ残留は第2期から。

テレビ中継

後援にCS放送の囲碁・将棋チャンネルが入った関係で、第65期より同チャンネルの独占配信となっている[28]。スカパー!での放送のほか、同チャンネルが行うインターネット配信「将棋プレミアム」では七番勝負の完全生中継、挑戦者決定リーグの生中継(第65期は一部対局、第66期からは同リーグの全対局が対象)などが行われている。

インターネット配信

囲碁・将棋チャンネルが後援につく前はニコニコ生放送などでも配信されていた。

AbemaTVでは、他の7つのタイトル戦の生中継を行っているが、王将戦のみ放送がない。

棋譜

第68期から正式にhtml5将棋盤で表示される。八大タイトルの中では、叡王戦竜王戦に続いて3例目でflash表示はない。毎日新聞社Webサイトにて公式配信されている。30日間は無料だが、その期間を過ぎると有料プランが必要。

脚注

  1. ^ 「王将戦」イートアンド株式会社の特別協賛が決定|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2018年12月14日閲覧。
  2. ^ 第69期王将戦 棋戦名が「大阪王将杯王将戦」に 来年1月から予選開始”. www.sponichi.co.jp. 2018年12月14日閲覧。
  3. ^ 第55期と第59期は17人で、第63期は19人で行われた。
  4. ^ 現役で永世称号を名乗っていた中原誠永世十段(のちに十六世名人)と米長邦雄永世棋聖は、順位戦B級1組在籍時やフリークラス転出後も二次予選からの出場だったが、十七世名人資格者である谷川浩司九段と十八世名人資格者である森内俊之九段は、順位戦B級1組へ降級後やフリークラス転出後(森内のみ)は一次予選から出場している。
  5. ^ ただし、成績最上位が二次予選通過者2人とそれ以外の棋士1人の3人となった場合は、3人でプレーオフが行われる。
  6. ^ 当期の挑戦者が王将位を奪取した場合は、陥落した前期王将が次年度のシード順1位となる。
  7. ^ 第50期第51期の成績を参照。
  8. ^ 第54期第60期の成績を参照。
  9. ^ 第67期王将戦第1局/上 10年連続開催へ意欲 振り駒を務める松井市長「大変光栄」/静岡 - 毎日新聞・2017年12月20日
  10. ^ 王将戦、19年2月に大田原で 14期連続の開催 下野新聞社、2018年12月12日(2019年5月11日閲覧)。
  11. ^ 第11・19・20・22・29期は15名が出場
  12. ^ 第34・48・55・59期は17名、第40・63期は19名が出場
  13. ^ 「昭和将棋風雲録」(講談社)P.222
  14. ^ 「昭和将棋風雲録」(講談社)P.222
  15. ^ 王将戦 天候不良で佐渡に到着できず…第5局異例の日程変更 - スポーツニッポン・2015年3月11日
  16. ^ 「第64期王将戦七番勝負第5局」開始時刻等決定のお知らせ - 日本将棋連盟・2015年3月12日
  17. ^ 返事 2014-08-11 22:48 - 伊奈めぐみ
  18. ^ 罰ゲーム映像配信中 【ニコ生放送中】 第64期王将戦 渡辺明王将 対 郷田真隆九段 http://nico.ms/lv206765503 #nicoch2587372 #王将戦 #将棋 #shogi - Twitter 田中誠
  19. ^ 王将戦“もう一つ”の見どころ 将棋とかけ離れた「勝者の写真」 - スポーツニッポン 2016年2月2日
  20. ^ 吉田剛撮影 佐藤棋聖 勝利翌日、海岸でまた一局? - スポーツニッポン
  21. ^ a b 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「「緩い」と言われた王将戦“名物”一夜明け写真 68期はレベルアップ!? - スポニチ Sponichi Annex 芸能」『スポニチ Sponichi Annex』。2018年10月17日閲覧。
  22. ^ A級上位5名によるリーグ戦、最上位者が名人に挑戦
  23. ^ 高柳敏夫が病欠のため、塚田正夫が繰り上げ参加
  24. ^ A級1位の升田は王将位のためリーグから除外
  25. ^ a b 中原と久保は共に前期5位で4勝2敗のため同率2位
  26. ^ a b 羽生と藤井聡は共に前期5位で4勝2敗のため同率3位
  27. ^ 河口俊彦「将棋界奇々快々」(日本放送出版協会)
  28. ^ 将棋プレミアム、第65期王将戦七番勝負を完全「独占」生中継と発表。ニコ生などでは放送されないようです - 将棋ワンストップ・ニュース 2015年12月22日

関連項目

外部リンク