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「棋王戦 (将棋)」の版間の差分

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2020年7月16日 (木) 23:03時点における版

棋王戦
棋戦の分類 タイトル戦
旧イベント名 最強者決定戦(前身)
開催概要
開催時期 予選:1月 - 翌年1月
タイトル戦:2月 - 3月
初回開催 一般棋戦:1974年度(第1回)
タイトル戦:1975年度(第1期)
持ち時間 4時間
番勝負 五番勝負
主催 共同通信社
公式サイト 棋王戦:日本将棋連盟
記録
現棋王 渡辺明(第45期)
永世資格者 羽生善治(永世棋王資格)
渡辺明(永世棋王資格)
最多優勝 羽生善治(13期)
最長連覇 羽生善治(12連覇)
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棋王戦(きおうせん)は、共同通信社主催の将棋棋戦で、タイトル戦竜王戦名人戦叡王戦王位戦王座戦・棋王戦・王将戦棋聖戦)のひとつ。1974年に一般棋戦として創設され、翌1975年(1期)にタイトル戦に格上げされた。前身は最強者決定戦五番勝負の勝者は棋王のタイトル称号を得る。

主催紙・経緯

棋譜は主催の共同通信社と契約している各社の新聞に連載され、「棋王戦五番勝負」も各社持ち回りの開催となっている。契約社の多くは地方新聞社であり、東京都内で発行している新聞社はない。以前は東京都内や地方紙に棋王戦が掲載されていない地域でも、日本ジャーナル出版の『週刊実話』誌でこの棋戦の棋譜を読むことができた[注釈 1]。 元来、地方の新聞(いわゆる県紙)に掲載する棋戦は、戦後になってからは最強者決定戦(B級以上が対象)と古豪新鋭戦(C級と三段が対象)があり、共同通信社が主催していた。最強者決定戦は棋王戦へ移行し、1974年度に優勝棋戦として開催され、翌1975年度からタイトル戦となる。古豪新鋭戦は名棋戦へ移行し、棋王戦の予選としての役割も兼ねた。1981年度に名棋戦を統合、1993年度に天王戦を統合して現行の形となっている。

方式

第38期棋王戦(2012年度)の挑戦者決定トーナメント表。ベスト4以上で敗れた場合敗者復活戦に回る。

挑戦者決定までに予選・挑戦者決定トーナメント・敗者復活戦・挑戦者決定戦を行う。挑戦者は棋王と五番勝負を戦い、先に3勝した棋士が新たな棋王となる。

予選から五番勝負までのすべての対局で、持ち時間は各4時間の1日制である(1987年度までは5時間)。

予選

シード者以外の順位戦B級2組以下の棋士と、女流名人[注釈 2]アマ名人が参加する。トーナメント方式で予選通過枠は8人である。1974年度から1980年度までの7回は、予選通過者の8名で優勝者をきめる「名棋戦」が行われた[2]

なおアマチュアからの参加者から本戦に進出した者はまだ居らず、小牧毅が予選の準決勝まで進出したことがある。

挑戦者決定トーナメント

予選通過者とシード者の計30人余でのトーナメントを行う。シード者は、前期挑戦者決定トーナメントベスト4以上(前期棋王が敗れた場合を含む)、タイトル保持者、永世称号者[注釈 3]及び順位戦B級1組以上の棋士である。予選通過者は2回戦から、前期ベスト4の棋士は3回戦から登場する。

棋王戦特有のシステムとして、挑戦者決定トーナメントの準決勝以上は2敗失格制となり、敗者復活戦が行われる。準決勝で敗退した棋士2名が対局し、その勝者が挑戦者決定トーナメント決勝の敗者と対局する。その後、挑戦者決定トーナメントの優勝者と敗者復活戦の勝者とによる変則二番勝負による挑戦者決定戦を行う。挑戦者決定トーナメント優勝者は1勝、敗者復活戦勝者は2連勝することで棋王への挑戦権を得る。

棋王戦五番勝負

棋王と挑戦者が五番勝負を戦い、先に3勝したほうが新たな棋王となる。五番勝負は全国各地の旅館などで実施されるが、予選などと同じく、東京・大阪の将棋会館が会場となることもある。また北國新聞社の主催する対局が入るのが恒例で(2018年までは第2局、2019年は第1局)、2009年より同紙の本社がある北國新聞会館で対局が行われている。

方式の遍歴

棋王戦番勝負 挑戦者決定トーナメント 予選
持ち
時間
方式 持ち
時間
決勝戦 敗者復活
(2敗失格制)
シード 通過
人数
出場資格
第1回 5時間 三番勝負 不明 両者通過 ベスト16以上 ・名人および十段(2回戦シード)
・B級1組以上24名
4名 B級2組以下
(予選通過者で『名棋戦』を実施)
1 2回総当り3者リーグ戦
・第1回棋王
・トーナメント全勝者
・敗者復活戦優勝者
5時間 ベスト8以上 ・名人およびB級1組以上
・前期成績優秀者
8名
2~6 五番勝負 一回勝負
7~9 4時間 B級2組以下
10~16 ・名人およびB級1組以上
・前期ベスト8
・タイトルホルダー
17 4時間
18~19 変則二番勝負
(全勝通過者は1勝、
敗者復活は2連勝で
タイトル挑戦)
ベスト4以上 ・前期ベスト4(3回戦シード)
・B級1組以上
・タイトル保持者
・永世称号者
8名
20~ ・B級2組以下
・女流名人[注釈 4]
・アマ名人
  • 第17期以前における、敗者復活組の勝ち上がりは、【準決勝敗者2名の直接対決勝者】vs【準々決勝敗者4名のトーナメントの勝者】 の勝者が、決勝敗者と対戦し決定する。
  • 第17期以前は挑戦者決定戦は一番勝負だったが、「トーナメント決勝まで無敗で来た人間だけ敗者復活できないのはおかしい」との異論があって、現行の方式に変更された。

永世棋王

永世称号である「永世棋王」の資格は、棋王位を連続5期以上保持した棋士に与えられる。現在、将棋界のタイトルで通算期数で永世位を獲得できないのは棋王のみ[注釈 5]である[注釈 6]。永世棋王への就位は他のタイトルの永世位と同様、原則として引退後である。永世棋王の資格を持つ棋士は羽生善治(七冠独占の約1年前となる1995年3月に達成し、羽生にとって初めての永世称号資格)と渡辺明の2人のみである(2019年4月現在)。

歴代五番勝負

  • 第1回はトーナメント戦による決勝三番勝負の成績
  • ○●は棋王から見た勝敗。色付きは挑戦者。色付きが勝者。
  • 千日手持将棋
開催
年度
全勝
決勝進出者
勝敗 敗者復活
決勝進出者
敗者復活トーナメント 名棋戦
決勝敗者 準決勝敗者 優勝 準優勝
1 1974 内藤國雄 ○●○ 関根茂 大内延介 大山康晴 1 田中正之 加藤博二
開催
年度
棋王戦五番勝負 挑戦者決定トーナメント 名棋戦
前期棋王 勝敗 挑戦者 決勝進出者 敗者復活戦
全勝 敗者復活 決勝敗者 準決勝敗者 優勝 準優勝
1 1975 内藤國雄 三者リーグ[注釈 7] 高島弘光 大内延介 高島弘光 大内延介 真部一男 大山康晴 2 石田和雄 橋本三治
2 1976 大内延介 ●●● 加藤一二三 加藤一二三 中原誠 森雞二 真部一男 3 若松政和 青野照市
3 1977 加藤一二三 ○○○ 中原誠 中原誠 桐山清澄 森安秀光 二上達也 4 佐藤大五郎 佐藤義則
4 1978 加藤一二三 ●●○○● 米長邦雄 米長邦雄 桐山清澄 二上達也 有吉道夫 5 谷川浩司 青野照市
5 1979 米長邦雄 ●○●● 中原誠 中原誠 内藤國雄 二上達也 桐山清澄 6 北村昌男 福崎文吾
6 1980 中原誠 ●●○● 米長邦雄 米長邦雄 大山康晴 森安秀光 小野修一
7 1981 米長邦雄 ○●○●○ 森安秀光 板谷進 森安秀光 大山康晴 真部一男
8 1982 米長邦雄 ○○○ 大山康晴 大山康晴 中原誠 森安秀光 森けい二
9 1983 米長邦雄 ○●○○ 森安秀光 森安秀光 板谷進 真部一男 中原誠
10 1984 米長邦雄 ○●●● 桐山清澄 桐山清澄 田中寅彦 真部一男 有吉道夫
11 1985 桐山清澄 ●●● 谷川浩司 谷川浩司 勝浦修 有吉道夫 小林健二
12 1986 谷川浩司 ●○●● 高橋道雄 高橋道雄 真部一男 板谷進 中原誠
13 1987 高橋道雄 ●●持○○● 谷川浩司 谷川浩司 大山康晴 中原誠 脇謙二
14 1988 谷川浩司 ○○●●● 南芳一 田中寅彦 南芳一 羽生善治 小林健二
15 1989 南芳一 ○○○ 大山康晴 大山康晴 田丸昇 羽生善治 米長邦雄
16 1990 南芳一 ●●○● 羽生善治 羽生善治 小林健二 高橋道雄 中原誠
17 1991 羽生善治 ●○○○ 南芳一 森下卓 南芳一 谷川浩司 高橋道雄

第18期以降(現行ルール)

  • 挑戦者決定二番勝負の○●は全勝進出者から見た勝敗。
なお、全勝進出者は1勝、敗者復活は2勝で挑戦権を得るため、
閲覧の便宜上、全勝進出者のアドバンテージとして☆を付記。
開催
年度
棋王戦五番勝負 挑戦者決定トーナメント
前期棋王 勝敗 挑戦者 挑戦者決定二番勝負 敗者復活戦
本戦
準決勝敗退
本戦準々決勝敗退

(敗者復活戦1回戦)

全勝進出者 勝敗 敗者復活 勝者 敗者
18 1992 羽生善治 千●○●○○ 谷川浩司 谷川浩司 ☆○ 佐藤康光 中原誠 佐藤康光 南芳一
19 1993 羽生善治 ○○○ 南芳一 南芳一 ☆○ 佐藤康光 中原誠 佐藤康光 谷川浩司
20 1994 羽生善治 ○○○ 森下卓 森下卓 ☆○ 村山聖 南芳一 村山聖 丸山忠久
21 1995 羽生善治 ○○○ 高橋道雄 高橋道雄 ☆●○ 村山聖 村山聖 島朗 米長邦雄
22 1996 羽生善治 ○○○ 森下卓 森下卓 ☆○ 中原誠 小林健二 中原誠 森内俊之
23 1997 羽生善治 ○千○●○ 郷田真隆 南芳一 ☆●● 郷田真隆 郷田真隆 飯塚祐紀 丸山忠久
24 1998 羽生善治 ○○○ 佐藤康光 藤井猛 ☆●● 佐藤康光 小林健二 佐藤康光 島朗
25 1999 羽生善治 ○●○○ 森内俊之 森内俊之 ☆●○ 島朗 島朗 佐藤康光 藤井猛
26 2000 羽生善治 ○○●○ 久保利明 郷田真隆 ☆●● 久保利明 久保利明 丸山忠久 谷川浩司
27 2001 羽生善治 ●○○○ 佐藤康光 佐藤康光 ☆●○ 郷田真隆 森内俊之 郷田真隆 久保利明
28 2002 羽生善治 ○○●●● 丸山忠久 郷田真隆 ☆●● 丸山忠久 田中寅彦 丸山忠久 井上慶太
29 2003 丸山忠久 ●○●● 谷川浩司 谷川浩司 ☆●○ 深浦康市 佐藤康光 深浦康市 浦野真彦
30 2004 谷川浩司 ●●● 羽生善治 森内俊之 ☆●● 羽生善治 羽生善治 藤井猛 深浦康市
31 2005 羽生善治 ●●○● 森内俊之 森内俊之 ☆○ 郷田真隆 久保利明 郷田真隆 森下卓
32 2006 森内俊之 ●○●○● 佐藤康光 深浦康市 ☆●● 佐藤康光 佐藤康光 羽生善治 阿部隆
33 2007 佐藤康光 ●○●○○ 羽生善治 羽生善治 ☆○ 阿部隆 深浦康市 阿部隆 木村一基
34 2008 佐藤康光 ●●○○● 久保利明 木村一基 ☆●● 久保利明 久保利明 阿部隆 橋本崇載
35 2009 久保利明 ●○●○○ 佐藤康光 佐藤康光 ☆○ 山崎隆之 杉本昌隆 山崎隆之 橋本崇載
36 2010 久保利明 ○●○○ 渡辺明 広瀬章人 ☆●● 渡辺明 窪田義行 渡辺明 糸谷哲郎
37 2011 久保利明 ○●●● 郷田真隆 郷田真隆 ☆●○ 広瀬章人 広瀬章人 糸谷哲郎 中川大輔
38 2012 郷田真隆 ○●●● 渡辺明 渡辺明 ☆●○ 羽生善治 羽生善治 広瀬章人 佐藤康光
39 2013 渡辺明 ○○○ 三浦弘行 三浦弘行 ☆●○ 永瀬拓矢 永瀬拓矢 羽生善治 郷田真隆
40 2014 渡辺明 ○○○ 羽生善治 羽生善治 ☆○ 深浦康市 佐藤康光 深浦康市 郷田真隆
41 2015 渡辺明 ○●○○ 佐藤天彦 佐藤康光 ☆●● 佐藤天彦 阿部健治郎 佐藤天彦 広瀬章人
42 2016 渡辺明 ●○●○○ 千田翔太 千田翔太 ☆○ 佐々木勇気 佐々木勇気 佐藤天彦 森内俊之
43 2017 渡辺明 ○●○●○ 永瀬拓矢 永瀬拓矢 ☆●○ 黒沢怜生 三浦弘行 黒沢怜生 佐藤天彦
44 2018 渡辺明 ○○●○ 広瀬章人 広瀬章人 ☆○ 佐藤天彦 佐藤天彦 黒沢怜生 三浦弘行
45 2019 渡辺明 ○●○○ 本田奎 本田奎 ☆●○ 佐々木大地 広瀬章人 佐々木大地 丸山忠久

エピソード

  • 第1期となる1976年は、第1局の内藤國雄-大内延介[注釈 7]ハワイ州ホノルルで開催され、将棋界では公式戦初の日本国外での対局となった。
    • なお、このハワイ対局は内藤対高島の予定であったが、高島が拒否したため内藤対大内戦となった(記事「高島弘光」を参照)。
    • このほか、第35期の第1局にも中国上海市で対局が行われている。
  • 「棋王」は「将棋の王」を意味する漢語で、中国語圏でも将棋チャンピオン(日本で言う名人)のことを「棋王」と呼ぶ場合がある。例えば中国のシャンチー棋士胡栄華も「棋王」を獲得している。将棋のルーツ研究を行っていた初代棋王の大内は研究旅行の度に現地の将棋類似ゲーム(シャンチーなど)の強豪と対局していたが、台湾旅行のときに台湾の棋王とシャンチーで戦っている(結果は大内の負け)[3]。韓国では「日本国将棋名人大内延介氏訪韓」と張り紙に書かれて面映かったと本人が書いている[4]
  • 第7期は森安秀光がタイトル戦初登場。当時の棋王戦は第3局を新潟で行うことが多く、その場合は新潟出身の原田泰夫が立会および解説を行うのが常だったが、森安将棋の代名詞となった『だるま流』は、この時の前夜祭で咄嗟に原田が呈したもので、森安本人もこの別名を気に入り、以降はこの別名が定着した[5]
  • 第15期は、大山康晴66歳南芳一に挑戦。3連敗に終わったが、将棋界におけるタイトル戦登場の最年長記録となっている。
  • 第45期に本田奎四段(タイトル挑戦により五段昇段)が棋王挑戦。史上初の初参加棋戦でのタイトル挑戦となった。また棋王戦タイトル挑戦最速記録であり、四段の棋士が挑戦権を得るのは棋王戦史上初順位戦C級2組在籍者の棋王挑戦も史上初である。

記録

第46期予選開始時点

獲得 五番勝負出場 挑戦 挑戦者決定トーナメント参加
最多 羽生善治 13期 羽生善治 17期 谷川浩司
羽生善治
佐藤康光 4期
谷川浩司 40期
連続 羽生善治 12連覇 羽生善治 13連続 (2期以上連続挑戦の該当者なし)[注釈 8] 谷川浩司 38連続
最年少 第16期 羽生善治 20歳 第16期 羽生善治 20歳 第16期 羽生善治 20歳 第43期 藤井聡太 15歳
最年長 第29期 谷川浩司 42歳 第15期 大山康晴 66歳 第15期 大山康晴 66歳 第18期 大山康晴 69歳[注釈 9]
女流棋士別出場実績
氏名 通算 連続 最高成績
清水市代 9 6 21-26,31-32,36 予選0勝
中井広恵 4 2 20,27,29-30 予選1勝(予選ベスト8進出 第27期)
矢内理絵子 3 3 33-35 予選1勝(予選ベスト8進出 第33期)
加藤桃子 3 3 42-44 予選0勝
里見香奈 3 2 37,45-46 予選2勝(予選ベスト8進出 第46期)
上田初美 2 2 38-39 予選1勝(予選2回戦進出 第39期)
斎田晴子 1 1 28 予選0勝
甲斐智美 1 1 40 予選1勝(予選2回戦進出 第40期)
香川愛生 1 1 41 予選1勝(予選2回戦進出 第41期)
アマチュア選手別出場実績
氏名 通算 連続 最高成績
早咲誠和 3 1 23,29,39 予選1勝(予選ベスト8進出 第29期)
鈴木純一 2 2 20-21 予選0勝
山田敦幹 2 2 30-31 予選0勝
渡辺健弥 1 1 22 予選0勝
桐山隆 1 1 24 予選0勝
田尻隆司 1 1 25 予選0勝
瀬川晶司 1 1 26 予選0勝
開原孝治 1 1 27 予選0勝
長岡俊勝 1 1 28 予選0勝
浅田拓史 1 1 32 予選1勝(予選ベスト8進出 第32期)
山田洋次 1 1 33 予選0勝
清水上徹 1 1 34 予選2勝(予選ベスト8進出 第34期)
小林毅 1 1 35 予選2勝(予選ベスト4進出 第35期)
山崎由太郎 1 1 36 予選0勝
井上徹也 1 1 37 予選0勝
今泉健司 1 1 38 予選0勝
加來博洋 1 1 40 予選2勝(予選ベスト8進出 第40期)
城間春樹 1 1 41 予選1勝(予選2回戦進出 第41期)
小山怜央 1 1 42 予選1勝(予選2回戦進出 第42期)
天野啓吾 1 1 43 予選0勝
横山大樹 1 1 44 予選1勝(予選2回戦進出 第44期)
鈴木肇 1 1 45 予選1勝(予選2回戦進出 第45期)
中川慧梧 1 1 46 予選1勝(予選2回戦進出 第46期)

脚注

注釈

  1. ^ 例えば2011年の4月21日号の内容紹介には"第36期「棋王戦」"と記載されている[1] 。2019年現在は、囲碁将棋欄そのものが消滅しており、掲載はない。
  2. ^ 第42期棋王戦では里見香奈女流名人ではなく、加藤桃子女流二冠が出場した。
  3. ^ 現役で永世称号を名乗っていた米長邦雄永世棋聖と中原誠永世十段(のちに十六世名人)は、フリークラス転出後も挑戦者決定トーナメントにシードされていたが、2017年度よりB級1組からフリークラスに転出した森内俊之九段(十八世名人資格者)は、第45期(2019年度)では予選から出場している。
  4. ^ 女流名人が奨励会員の場合、他のタイトルホルダーから選出
  5. ^ 過去のタイトル戦では、「九段戦(竜王戦の前身・十段戦の、更に前身)」の連続3期以上獲得のみに与えられる「永世九段」の称号が存在した。
  6. ^ 米長邦雄によると、米長自身が通算5期目、連続4期目の棋王位を獲得しようとする防衛戦(対森安秀光)の最中に、通算5期でも永世棋王は認められないという判断を、日本将棋連盟が下したことなどによる。「日本将棋連盟の判断」というよりは、「将棋連盟会長としての大山康晴の判断」であったという。このとき、米長が棋王防衛に向けて有利な展開となっていたが、大山康晴は「会長として」通算5期でも永世棋王は認めないという決定を下した。米長は大山会長の元へ出向き、理由を尋ねたところ、大山は「名人はタイトルではない。(名人は他のタイトルと違って特別のものであるから、)名人以外のものは“永世”称号をつけるのはおかしい。」と言われ、さすがの米長も名人のことを引き合いに出されては、賛同せざるをえなかった。その後、大山は会長として「5期連続獲得で永世棋王とする」と決定。米長は、自分の利害にかかわることであるから、それ以上反論しなかった。翌年、米長は桐山清澄に棋王を奪われ、永世棋王になれなかった(将棋マガジン(日本将棋連盟)1996年5月号「さわやか流・米長邦雄のタイトル戦教室」による)。
  7. ^ a b 棋王戦は1975年のみ優勝棋戦として開催され、翌1976年からタイトル戦となっている。第1期となる1976年は、前年度優勝の内藤國雄、本戦優勝の高島弘光、敗者復活戦優勝の大内延介の3名によるリーグ戦となった。それぞれ2局ずつ対局し、内藤 2-0 高島、内藤 1-1(1千日手) 大内、高島 0-2 大内、これにより3勝1敗で並んだ内藤と大内の同点決戦が行われ、大内が初代棋王位を獲得した。
  8. ^ タイトル戦昇格前の第1回棋王戦を含めるならば、内藤國雄が2期連続挑戦となる。
  9. ^ トーナメントに2回戦シードされていたが、対局前に死去している。出場した棋士に限定するならば、第17期の大山が68歳最年長となる。

出典

  1. ^ 週刊実話 4/21号 (2011年04月07日発売)”. Fujisan.co.jpの雑誌・定期購読. 富士山マガジンサービス. 2012年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月24日閲覧。
  2. ^ 『将棋八大棋戦秘話』(河出書房新社)P.154
  3. ^ 大内「将棋の来た道」めこんP90「台湾の棋王の案内で」
  4. ^ 大内「将棋の来た道」めこんP141
  5. ^ 森安秀光八段(当時)「明日の作戦ですが、▲7六歩なら△3四歩と角道を突きます」”. 将棋ペンクラブログ. 2020年5月31日閲覧。

関連項目

外部リンク