「諏訪魔」の版間の差分
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| リングネーム = '''諏訪魔'''<br />諏訪間 幸平 |
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| 身長 = 188cm |
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| 体重 = 120kg |
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2020年7月12日 (日) 15:52時点における版
スワちゃん Suwama | |
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2018年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
諏訪魔 諏訪間 幸平 |
本名 | 諏訪間 幸平[1] |
ニックネーム |
人間の終着駅 エレベーター アソコモ・ジャンボ |
身長 | 188cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | 1976年11月23日(47歳)[1][2] |
出身地 | 神奈川県藤沢市[1][2] |
所属 | 全日本プロレス |
スポーツ歴 |
レスリング 柔道 |
トレーナー |
馳浩 カズ・ハヤシ 武藤敬司 |
デビュー | 2004年10月11日 |
諏訪魔(すわま、1976年〈昭和51年〉11月23日[1][2] - )は、日本の男性プロレスラー。本名・旧リングネーム:諏訪間 幸平(すわま こうへい)[1]。神奈川県藤沢市出身[1][2]。全日本プロレス所属。既婚者。
来歴
アマチュア時代
高等学校時代は柔道部で活躍(入学当初は柔道部でいじめに遭い、登校拒否寸前であったと自ら告白している)し、中央大学進学後にレスリングを始めて主将となる。卒業後はクリナップに就職しレスリングを続けた。
2001年12月、天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル130kg級(最重量級)に出場。準決勝で田中章仁[3]、3位決定戦で沢田直樹に敗れ4位となった[4]。
2002年7月、全日本社会人選手権では両スタイル優勝、10月の国体も吉田清太郎[5]を決勝で破り初優勝を果たす。12月の天皇杯全日本選手権大会・フリースタイル120kg級では決勝で田中章仁に敗れ準優勝となった[6]。
2003年5月、全日本選抜選手権・フリースタイル120kg級決勝で田中章仁を破り優勝 [7]。9月に行われた世界選手権に出場するも予選敗退で18位。12月の天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル120kg級では決勝で前年と同じ顔合わせとなった田中章仁に敗れ2年連続の準優勝となった[8]。
2004年のアテネオリンピックを目指すが、自分の階級の出場枠がなくなったこともあり、馳浩のスカウトで27歳でプロレスに転向。
全日本プロレス
2004年4月に全日本プロレスに入門し、同年10月11日後楽園ホール大会にて馳浩戦でデビュー。
試練の7番勝負初戦ではベイダーと戦い、ベイダーのその巨体を見事に投げ切った。この途中でヒールターンしたため試練の7番勝負は5戦しか行っていない。
2005年1月4日にはヘビー級バトルロイヤルで優勝し、賞金100万円を獲得。後に武藤敬司と組んで世界タッグ王座に挑戦した。
2006年1月8日の大阪大会で、VOODOO-MURDERSへ加入し、同年2月にリングネームを諏訪魔に改名した。同年のチャンピオン・カーニバルでは、当時三冠ヘビー級王者の小島聡を破り準優勝。6月10日の熊本三井グリーンランド大会「武藤祭」にて、三冠王座に挑戦したが敗れた。
2007年のチャンピオン・カーニバルでは予選敗退を喫した。同年、12月に行われた世界最強タッグ決定リーグ戦には、小島とのタッグで出場し準優勝。
2008年1月3日の後楽園大会にてVMを離脱した。同年4月、決勝戦で棚橋弘至を下し、デビューから最短でチャンピオン・カーニバル優勝を果たした。同月にはデビューから最短で三冠ヘビー級王座初栄冠も果たした。
9月28日、グレート・ムタに敗れ三冠王座から陥落した。同年の世界最強タッグリーグ戦には、近藤修司とのタッグで出場し準優勝を果たした。
2010年8月29日、鈴木みのるを破り2度目の三冠ヘビー級王座を奪取。翌日には全日本プロレス選手会長に就任した。
同年9月10日、後楽園大会にて観客の野次に激怒し観客席にマイクを投げ、全日本プロレス側から厳重注意と3か月間30%の減給処分を下された。
同年12月、浜亮太をパートナーに迎え世界最強タッグリーグ戦に出場し5年連続の準優勝を果たした。同月、第37回プロレス大賞で殊勲賞を獲得した。諏訪魔は「今年一年いろいろ先頭に立って全日本プロレスを引っ張っていこうという行動がこうやって“殊勲賞”という形で評価されたのは嬉しい。」とのコメントを寄せた。
2011年、4月チャンピオンカーニバルにて永田裕志と対戦するも敗れた。結局優勝決定戦には進めず永田のチャンピオンカーニバル制覇を許してしまう要因を作ってしまう(なお、永田の決勝の相手は真田聖也)。
同年6月、両国大会の三冠戦にて永田に勝利。リベンジを果たすと共に4度目の防衛に成功する。
同年7月、チャンピオンカーニバル準優勝の真田と三冠戦を行いこれに勝利して5度目の防衛に成功。ちなみにこの三冠戦は武藤全日本体制になってからの入門生同士の初の三冠戦となった。
同年10月、チャンピオンカーニバルで対戦する機会のなかった秋山準との対戦を熱望し両国での三冠戦で激突するも30分を超える激闘の末にスターネスダストαで敗れ三冠王座から陥落。この試合は2011年プロレス大賞ベストバウトの選考にノミネートされた。
2012年には諏訪魔の出身地である藤沢市で、5月12日に地元凱旋興行と銘打って全日本プロレスがチャリティープロレス大会を秩父宮記念体育館(藤沢市鵠沼東)で開催を企画[9][10]し、当日は秩父宮記念体育館に1,850名の観衆を集めてメインエベントに出場、勝利を飾っている[11]。
2013年から
2013年3月17日の両国大会で王者であった船木誠勝を下し、第46代三冠ヘビー級王座に返り咲いた。
6月、白石体制発足となる全日本プロレス所属選手において、多数選手スタッフの離脱が示唆される中いの一番に残留を表明。新生全日本プロレスの名実ともにエースとなった。
10月22日、新潟県の三条大会で5度目の正直で世界タッグ王座を戴冠。パートナーはジョー・ドーリングであり、留学生の時代から長年苦楽を共にした仲の選手と栄光を掴んだ。これにより、武藤以来の三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座を同時に所持する五冠王となった。
2014年1月には、「チャリティー大和大会~すわまちおこし Vol.3~」のプロモーションとして、コンビニエンスストアローソンの一日店長体験イベントを行うなど、リング外でも精力的に活動している。
2014年6月29日、大森隆男を破り第49代三冠ヘビー級王座を獲得した。7月からは全日本プロレスの運営が秋山準社長の新法人「オールジャパン・プロレスリング株式会社」に引き継がれるのに伴い、新法人の専務取締役に就任する[12]。
2015年5月5日、IGF大阪大会に来場し、藤田和之と睨み合い、対戦をアピールした。
11月1日の弘前大会にて、佐藤光留とのタッグで船木誠勝&ケンドー・カシンと対戦した。試合後、カシンのセコンドとして来場予定だった藤田和之が登場、エプロンサイドで煽り合いを展開し、乱闘寸前まで至った。
そして11月15日、天龍源一郎の引退興行にて藤田とのタッグマッチが実現した(パートナーはお互いに岡林裕二、関本大介)。試合開始直後、3分にも及ぶにらみ合いをしながら壮絶な打撃戦・場外乱闘も展開したが、終始藤田とは噛み合わず、消化不良のまま試合は岡林が関本をゴーレムスプラッシュで仕留めた。試合後、藤田が空気を読まずマイクパフォーマンスをしたところに諏訪魔は「俺は天龍さんみたいな熱い試合がしたいんだよ!」と絶叫し、観客の後押しをかろうじて得た[13]。同年11月末で全日本の専務取締役を辞任[14]。
2016年1月2日の後楽園ホール大会で秋山を下して自身5度目となる三冠ヘビー級王座(第54代)を獲得したが、その試合で右足首に違和感を覚えて後日病院で精密検査を受けた処、右足アキレス腱完全断裂が判明したことにより1月12日に三冠王座を返上して治療のために休養に入ることが明らかとなった[15]。
7月15日、後楽園ホール大会にて復帰。
得意技
レスリング仕込みの柔軟なスープレックス系の投げ技と自慢の怪力を活かしたパワフルな技が多い。しかし、試合中に観客に対して物を投げるなどの粗暴な面の他に雷陣明に脳震盪を起こしてしまうなど、壊し屋としての一面を併せ持つ。
フィニッシュ・ホールド
- ラストライド
- 諏訪魔改名後のフィニッシュ技。
- この技で2008年チャンピオン・カーニバルを制覇した。
- ラストジャーマン
- ホイールバロー・スープレックス。
- 相手の背後から相手の両脚を自身の腰を挟むようにして捕らえる動作で捕らえた相手を持ち上げ、そのまま後に倒れこむ技。 もしくは相手に背を向けて両脚で相手の腰を挟む動作で捕らえた相手を持ち上げ、そのまま後ろに倒れこむ技。
- バックドロップ・ホールド
- ネクスト・ジャンボと名付けられた時期に、鶴田を意識して使うようになった。2011年6月19日両国国技館大会では三冠ヘビー級選手権として新日本プロレスの永田裕志と、両団体のバックドロップ・ホールドの使い手同士の対決が実現。事前から、この技を巡って対立や挑発があったが、バックドロップ・ホールドで永田を下した。
- 万力固め
- 2011年世界最強タッグリーグ戦から使用。
- 諏訪魔が使っている一瞬の切り返し技。
- 右サイドの方から体固めで押さえ込みにきた相手の頭を左手で、左足を右手でそれぞれ掴んで体を左方向へと転がし、両肩がマットについた相手の右足を両足で挟み込んで相手から3カウントを奪い去る。
- 万力固めスペシャル
- 渕正信の首固めをヒントに、既存の万力固めを諏訪魔なりに改良した技。2012年3月4日後楽園ホール大会では、真田聖也との3本勝負2本目で、完璧なフォールを奪う威力を発揮した。
- 諏訪魔が披露した丸め込み技。
- 相手の体を首固めの要領で丸め込み、相手の両肩がマットについたところで相手の右足に引っ掛けていた右足のフックを外す。そのあと自分の両足の裏をマットに着地させてブリッジをするように背中を仰け反らせ、そのまま相手の体を押さえ込んで3カウントを奪取する。
打撃技
- エルボー
- 逆水平チョップ
- ダブルチョップ
- 両手で放つ逆水平チョップ。諏訪魔に改名してから使用している。
- ラリアット
- 諏訪魔の場合、左右両方の腕で打てる。特に左のラリアットは見えない角度から入るため非常に強力な威力を誇る。
- ローリングラリアット
- 諏訪魔のフィニッシュムーヴの一つ。
- エルボードロップ
- ドロップキック
投げ技
- ジャーマン・スープレックス
- デビュー当初からヒールターンまでのフィニッシュ技。現在は投げっぱなしを多用する。TARUはこれを食らった後「あれは人を殺しかねない」と言っている。デビュー当初は非常に危険な角度で落としていたためジャマールや武藤を失神させたこともある。
- ハーフネルソン・スープレックス
- 危険な角度で落とす時もあり、2005年のチャンピオン・カーニバルで川田利明の首を負傷させたこともある。
- フロント・スープレックス
- 「スロイダー」の形になることもある。
- 変形ブレーンバスター
- ブレーンバスターの体勢からDDT気味に頭から前に落とす技。2008年チャンピオン・カーニバル優勝後の三冠戦から使用。
- キッチンディスポーザー
- 相手の懐に素早く潜り込んで水車落としの要領で相手を肩に担ぎ、相手の右腿を左手で、左腿を右手で抱え込む。そのあと体を前傾させて相手を背中からマットに叩きつけ、続けざまに自分の体を前方にブリッジさせて相手をジャックナイフホールドの形
- 全日本プロレスの諏訪魔が諏訪間幸平と名乗っていた頃に開発したムーブ。
- かんぬきスープレックス
- (ダブルアーム・サルトスープレックス)
- 閂(かんぬき)スープレックスは、相手の両腕を(閂かんぬき)でクラッチして90度捻りながら反り投げる。
飛び技
- フロッグスプラッシュ
- この技で佐々木健介から三冠ヘビー級王座を奪取した。2008年チャンピオン・カーニバルで優勝を争った棚橋弘至のハイフライフローと同型。
関節技
- 万力スリーパー
- 2013年10月12日後楽園ホール大会から使用。曙対策で開発したスリーパーホールド。2015年王道トーナメントにて対戦した曙をチョーク気味に締め上げたことにより、反則負けを取られてしまったことがある。
- アンクルホールド
- この技で"brother"YASSHIの足をへし折ったことがある。前転しながら相手の足を取るという独特な入り方も見せる。
- ブードゥーロック
- 2006年の5-6月シリーズで考案。両脚をクロスさせる変形のアンクルホールド。ロックした足がVの字に見えることから命名。
- 変形ドラゴンスクリュー
- 2008年チャンピオン・カーニバル最終戦から使用。ドラゴンスクリューとは逆方向に相手の足を捻り上げるように投げる技。この技の連係でジョー・ドーリングから勝利を奪いチャンピオン・カーニバル決勝進出を決めた。
- 諏訪魔幻想(トラウマ)
- 万力スリーパーをヨシタツに仕掛けるとこの技になる。2018年4月30日に初披露。ヨシタツの「ヨシタツ幻想(ファンタジー)」に対抗して繰り出した。
合体技
- ラストマウンテン
- 石川修司との連係技。
- 相手がグランドの状態から2人で相手を一気にぶっこ抜き、諏訪魔のラストライド、石川のスプラッシュマウンテンの要領で高々と持ち上げて豪快にマットに叩きつける。
- 暴走デトロイ
- 石川修司との連係技。
- 諏訪魔の串刺しラリアットを決めて続いてジャーマンスープレックスで相手を投げて石川のドラゴンスープレックスで相手を投げて最後に諏訪魔のドロップキックを立て続けに決める連係技。
- アルティメット・デストロイ
- 石川修司との連係技。
- 諏訪魔が相手に雪崩式スロイダーを仕掛けた所を石川がパワーボムの体勢で諏訪魔と相手二人同じに投げ捨てる。捨て身の合体技。
- ロケット・ブロッサム
- 石川修司と連係技
- 2人がそれぞれ隣り合ったコーナーに並び立ちクロスする形で同時にドロップキックを叩き込む技。2019年の最強タッグのために編み出した新技ロケット・ブロッサム。
- 境川
- 石川修司との連係技。
- ロープに振った対戦相手に交互にランニングラリアットを打ち込む。名前の由来は、藤沢市から太平洋へ流れる川から。
- ラスト・レボリューション
- ジョー・ドーリングとの連係技。
- 諏訪魔のラストライド、ジョーのレボリューションボムを同じタイミングで相手タッグにかける。
タイトル履歴
- 第37代(防衛2回)、第43代(防衛5回)、第46代(防衛2回)、第49代(防衛0回)、第54代(防衛0回)、第58代(防衛0回)、第63代(防衛1回)
- 優勝(2008年度)
- 三冠ヘビー級王座、チャピオンカーニバル共、デビューから3年5か月という、ジャンボ鶴田をも上回る史上最速で制覇している(三冠はその後、浜に記録を破られた)。
- 第4回(2016年)、第5回(2017年)優勝
- 優勝(2013年、2015年、2017年、2019年。パートナーはジョー・ドーリング→宮原健斗→石川修司)
- 台湾カップ 優勝
- 2009年11月20日、台湾大会で行われた所属選手による1Dayトーナメント。
- 新春ヘビー級バトルロイヤル
- 優勝(2005年)
- 天龍プロジェクト
- 2006年 最優秀タッグチーム賞(VOODOO-MURDERSとして)
- 2010年 殊勲賞
- 2017年 最優秀タッグチーム賞(パートナーは石川修司)
- 2018年 最優秀タッグチーム賞(パートナーは石川修司)
- 2019年 最優秀タッグチーム賞(パートナーは石川修司)
人物
- デビュー前から未来のエース候補として期待を寄せられ、自身もエースとして全日本プロレスを背負っていこうという強い覚悟を持っている。その為武藤と西村などのトップ選手が欠場しピンチに陥っている状態で全日を辞めた小島をツイッター上で痛烈に批判したり、熱い試合を展開しているのにもかかわらず客が入らない状況に危機感を抱いているなど、全日本プロレスの全体を見ている。
- 小島が退団したことに関しては「逆境から逃げた。怒りしかない。つまんねえレスラー」と切り捨て、2017年8月25日の会見でも「フニャフニャして腹立つ」と露骨な悪感情を表に出していた[16]。
- クリナップ勤務時代には、商品の流し台を一人で担いで運ぶなど、身体能力を仕事にも生かしていた。が、これはネットのガセ情報であり、実際は「情報システム部」に在籍しデスクワークをしており、流し台を運ぶような仕事はなかったという。
- 2015年11月15日の両国国技館大会以来藤田との絡みで話題になるが、2016年9月25日RIZINさいたま大会後、藤田に引退報道が出た際には、諏訪魔は激怒していた。ところが、2017年10月31日の後楽園大会で大仁田厚引退試合の対戦相手として、藤田のプロレス復帰の話が浮上した際は「そこはね、もう、時間の無駄。今は何も触れる気はないですね」と話している[17]。
- 試練の7番勝負の途中でヒール転向したため、5戦しか行われていない。
- プロレス転向前には既に家族がおり子供もいた。そのためデビュー時には子連れ入団として話題になった
- 初めて三冠王者になった時、「過去の三冠王者の中で俺が一番弱いんじゃないかと思う。ここからが勝負。」と謙虚に語った。
- ヒール転向前は黒髪にスポーツ刈りだったが、ヒール転向後は金髪と赤に染め、その後は赤の長髪で定着。今は心機一転し金と黒の長髪となっている。
- ベビーターンしたことで「諏訪魔」から本名に戻すかと思われたが、「今更本名に戻してもファンはしっくりこないと思う。K-1の魔裟斗だってあんな名前なのにベビーフェイスだから」と語り、結局このまま「諏訪魔」で通した。
- VM時代にスクールボーイで佐々木健介に14秒で勝利したことがある。
- 世界タッグ王座には何度も挑戦しているがほとんど敗戦となり、2013年にようやく戴冠した。また、世界最強タッグリーグ戦では5年連続で準優勝(全て違うパートナー)という記録を持っている。
- 現在はプロレスラーとしての活動と並行して横浜でレスリングクラブを主宰し、後進を育てている。
- 中学生時代は野球部だった。
- 本人は40歳を過ぎた頃に表現力や経験値などが増してプロレスの円熟期に入ると考えているが、22歳にしてGHCヘビー級王座を獲得した清宮海斗を初めてチャンピオンだと知った際にビックリしたという[18]。
入場テーマ曲
- 諏訪魔DDS
- 2008年のベビーターン時から使用。
メディア出演
ドラマ
- 『西遊記』(2006年) - 村人
映画
- 『アキハバラ@DEEP』(2006年) - デジタルキャピタルのボディガード
- 『探偵はBARにいる』(2011年) - スポーツバーの店員
ミュージックビデオ
- FUNKIST「ALL TOGETHER」(2011年8月24日、ポニーキャニオン)
脚注
- ^ a b c d e f “PROFILE”. 諏訪魔公式サイト. 2019年9月12日閲覧。
- ^ a b c d “諏訪魔”. 全日本プロレス. 2019年9月12日閲覧。
- ^ 田中章仁 大会データベース 日本レスリング協会 選手&大会データベース
- ^ 2001年天皇杯全日本選手権 成績 日本レスリング協会公式サイト
- ^ 吉田清太郎 大会データベース 日本レスリング協会 選手&大会データベース
- ^ 2002年天皇杯全日本選手権 成績 日本レスリング協会公式サイト
- ^ 諏訪間幸平 大会データベース 日本レスリング協会 選手&大会データベース
- ^ 2003年天皇杯全日本選手権 成績 日本レスリング協会公式サイト
- ^ Rise UP Tour 2012 全日本プロレスチャリティー藤沢大会 - ウェイバックマシン(2016年3月5日アーカイブ分) 諏訪魔公式ホームページ
- ^ 全日本プロレス チャリティー藤沢大会(archive.is、2012年8月2日) - http://www.enopo.jp/component/eventlist/details/1349.htmlえのしま・ふじさわポータルサイト
- ^ 諏訪魔が地元凱旋星「夢がかなった」 デイリースポーツ 2012年5月13日閲覧
- ^ 3冠奪取!諏訪魔 全日取締役就任も決意 - 東京スポーツ・2014年6月30日
- ^ 藤田VS諏訪魔 禁断の初対決は消化不良のまま終了 - 東京スポーツ・2015年11月16日
- ^ 全日プロ・諏訪魔が専務取締役を辞任「リング上に集中したい」 - 東京スポーツ・2015年12月16日
- ^ 諏訪魔選手欠場及び三冠ヘビー級ベルト返上のお知らせ(archive.is、2016年1月13日) - https://www.all-japan.co.jp/archives/news/諏訪魔選手欠場及び三冠ヘビー級ベルト返上のお/ 日刊スポーツ 2015年1月12日閲覧
- ^ 週刊プロレス2017年9月13日号p.49.
- ^ 史上最多の三冠王座戴冠を狙う諏訪魔 宮原戦、防衛戦、全日本の未来を語る sportsnavi 2017年10月8日(日) 11:00(文・高木裕美、2017年10月11日閲覧)
- ^ 『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 pp.35
- ^ 『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 p.36
外部リンク
- 諏訪魔オフィシャルサイト(新URL)
- 諏訪魔オフィシャルサイト(旧URL)
- 全日本プロレス公式サイト 選手名鑑
- 諏訪間幸平 - International Wrestling Database
- 諏訪魔 (@suwama_H2) - X(旧Twitter)