「隆の勝伸明」の版間の差分
m Bot作業依頼: 髙安晃への記事名変更に伴う変更 - log |
m Bot作業依頼: 髙安晃への記事名変更に伴う変更 - log |
||
34行目: | 34行目: | ||
6人兄弟の4番目で、他の兄弟は皆細身だったのに対し、伸明少年のみ体格に恵まれており、小学1年の時から地元の相撲大会に出場し、3年生の時に地元・千葉県の柏相撲少年団で本格的に相撲を始めた。厳格な父の指導もあり最初は嫌がっていた稽古も積極的に取り組むようになった。少年団での稽古は1日4時間、週2回から3回であったが、学年が上がるにつれて自主稽古が増え、ある時期には週に2、3回、家で30分間延々と四股を踏んでいた<ref name="interview"/>。「中卒で大相撲に入るまでずっと通っていました。稽古は厳しかったけど、小さい頃はとにかく相撲が楽しかった記憶があります」と本人は少年団時代を振り返っていた<ref name="interview"/>。中学時代には全国中学校相撲選手権に千葉県代表として団体戦メンバーの1人として出場。同じ団体戦メンバーには[[大翔鵬清洋|大翔鵬]]がいた。中学卒業と同時に[[千賀ノ浦部屋]]に入門。四股名は師匠の19代千賀ノ浦(元関脇・[[舛田山靖仁|舛田山]])の現役時代の四股名から一字貰った「'''舛ノ勝'''」とした<ref name="hakumai"/>。入門同期生には[[輝大士|輝]]、[[千代ノ皇王代仁|千代ノ皇]]らがいる。 |
6人兄弟の4番目で、他の兄弟は皆細身だったのに対し、伸明少年のみ体格に恵まれており、小学1年の時から地元の相撲大会に出場し、3年生の時に地元・千葉県の柏相撲少年団で本格的に相撲を始めた。厳格な父の指導もあり最初は嫌がっていた稽古も積極的に取り組むようになった。少年団での稽古は1日4時間、週2回から3回であったが、学年が上がるにつれて自主稽古が増え、ある時期には週に2、3回、家で30分間延々と四股を踏んでいた<ref name="interview"/>。「中卒で大相撲に入るまでずっと通っていました。稽古は厳しかったけど、小さい頃はとにかく相撲が楽しかった記憶があります」と本人は少年団時代を振り返っていた<ref name="interview"/>。中学時代には全国中学校相撲選手権に千葉県代表として団体戦メンバーの1人として出場。同じ団体戦メンバーには[[大翔鵬清洋|大翔鵬]]がいた。中学卒業と同時に[[千賀ノ浦部屋]]に入門。四股名は師匠の19代千賀ノ浦(元関脇・[[舛田山靖仁|舛田山]])の現役時代の四股名から一字貰った「'''舛ノ勝'''」とした<ref name="hakumai"/>。入門同期生には[[輝大士|輝]]、[[千代ノ皇王代仁|千代ノ皇]]らがいる。 |
||
[[2010年]]3月場所で初土俵を踏み、[[前相撲]]は二番出世。[[序ノ口]]を1場所で、[[序二段]]と5場所でそれぞれ通過。この間2010年11月場所の負け越し(2勝5敗)以外は全て勝ち越し、[[2011年]]7月場所で[[三段目]]に昇進。三段目でも2011年9月場所の負け越し(3勝4敗)以外は全て勝ち越し、[[2012年]]5月場所で[[幕下]]に昇進した。[[2014年]]に2回三段目落ちを経験したが1場所で幕下復帰をして、[[2015年]]1月場所以降は幕下に定着した。[[2016年]]4月に師匠が20代千賀ノ浦(元小結・[[隆三杉太一|隆三杉]])へ代替わりし、部屋が出羽海一門から貴乃花一門へ移籍すると、貴乃花一門の[[貴乃花部屋]]や[[阿武松部屋]]へ出稽古へ通うようになって良質な稽古を積めるようになり<ref>[http://www.jiji.com/jc/v2?id=2017sumo_hope_05 舛の勝 足踏み乗り越え開花目前] 時事ドットコム 大相撲 新星探査</ref>、幕下上位へ定着した。[[2017年]]1月場所で、四股名を読みはそのまま「'''舛の勝'''」へ変更した。師匠の考えで、心機一転などの意味合いを込めた改名であったが、改名後は勝ち越しを続けて、同年9月場所で自己最高位となる東幕下3枚目の番付で6勝1敗としたことで、翌11月場所での新十両昇進が決まった。柏市からの関取誕生は[[麒麟児和春|麒麟児]]以来44年ぶり(麒麟児は旧[[柏町]]出身)で、このことは柏市の広報でも伝えられた<ref>[http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/020300/p047468.html 大相撲 柏市出身力士隆の勝関幕内昇進に伴う表敬訪問(平成30年8月28日発表)] 柏市 2018年8月29日(2019年11月11日閲覧)</ref>。また、十両昇進に合わせて、20代千賀ノ浦の現役時代に因み、四股名を「'''隆の勝'''」へ再改名した。新十両昇進に際して隆の勝は「本当に夢みたい。目標にしていた場所に上がれてめちゃくちゃうれしい」と喜びを見せる一方で、「同期の輝や、(年下の)[[阿武咲奎也|阿武咲]]や[[貴景勝光信|貴景勝]]が活躍している。負けたくない気持ち」と闘志を見せた<ref name="takanosho">『大相撲中継』2017年11月18日号 p57</ref>。「11月場所はまずは勝ち越し、あわよくば十両優勝を目標としている<ref name="kachikoshie"/>」と抱負を述べた。師匠からは「俺は新十両で10番“しか”勝てなかった」とさりげなくプレッシャーをかけられつつも<ref name="taka1009"/>、最終的に9勝6敗で勝ち越し。その後も勝ち越しを続け、[[2018年]]5月場所は幕内昇進を伺う西十両3枚目まで番付を伸ばした。直前の5月7日に[[時津風部屋]]で行われた幕内力士8人が集まって行われた合同稽古では時津風一門の横綱である鶴竜と5番取って1勝4敗、この日唯一鶴竜に土を付けた力士となった<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/05/10/kiji/20180510s00005000034000c.html 鶴竜、栃ノ心も気になる存在とは?十両・隆の勝から目が離せない] Sponichi Annex 2018年5月10日 10:30(スポーツニッポン新聞社、2018年8月29日閲覧)</ref>。場所では序盤から黒星が先行して12日目に関取として初の負け越しが決定。しかし残りを3連勝として1点の負け越しに抑えた。番付を半枚落として迎えた7月場所は先場所から一転して持ち味の押し相撲が冴え、特に中日以降は7連勝とするなど13勝2敗の好成績を挙げた。9日目から星の差1つで追走していた[[貴ノ岩義司|貴ノ岩]]が千秋楽で[[旭秀鵬滉規|旭秀鵬]]に敗れたため優勝決定戦にも進出したが、引き落としで敗れて十両優勝は果たせなかった。十両で13勝を挙げながら優勝できなかったのは2014年7月場所の[[逸ノ城駿|逸ノ城]]以来4年ぶりとなる。それでも続く9月場所は新入幕を果たし、東前頭14枚の地位を与えられた。両国国技館内で内で行われた記者会見では「幕内はテレビでみる世界だった。番付の一番上に名前が載り本当にうれしい。めちゃめちゃ、うれしいです」と話し、師匠は「今はまだ通過点。ぜひ、なってほしい」と自分が経験した三役力士への成長を願った<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201808270000489.html 隆の勝が新入幕「本当にうれしい」初土俵から8年半] 日刊スポーツ 2018年8月27日16時43分(日刊スポーツ新聞社、2018年8月28日閲覧)</ref>。9月場所は二桁白星と三賞受賞を目指していた<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180908/ddl/k12/050/045000c 柏出身の力士 隆の勝と琴手計が昇進 活躍に期待 /千葉] 毎日新聞 会員限定有料記事 毎日新聞2018年9月8日 地方版 (毎日新聞社、2018年10月1日閲覧)</ref>が、13日目に6敗目を喫して二桁白星は不可能になり、この場所は8勝7敗に終わった。三賞に関しては、そもそもこの場所は大相撲史上初の三賞すべて該当者なしという結果になっている<ref>[https://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180923-OHT1T50342.html 71年の歴史で初の三賞該当者なし…嘉風「貴景勝はもらってもいい」] 2018年9月24日7時10分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年10月1日閲覧)</ref>。この場所の勝った8番中3番は捕まってからの[[寄り切り]]、2番は攻めあぐねた状況での[[突き落とし]]であった<ref>『相撲』2018年10月号 p.19-49</ref>。10月5日の秋巡業足利場所では巡業3日目で初めて稽古土俵に立った[[稀勢の里寛|稀勢の里]]に胸を出してもらい、8分間ぶつかり稽古を行った。この日の稽古後に稀勢の里は「スタミナはあると思う。(厳しい稽古を)普段からやっているんじゃないですか。お互い良い稽古になる」と評価し、今後に期待した様子だった<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201810050000720.html 稀勢の里が初稽古土俵「いい感じ」隆の勝に胸出した] 日刊スポーツ 2018年10月5日19時8分(日刊スポーツ新聞社、2018年10月6日閲覧)</ref>。2019年4月20日の春巡業柏場所は御当地場所。ぶつかり稽古では大関・[[髙安晃| |
[[2010年]]3月場所で初土俵を踏み、[[前相撲]]は二番出世。[[序ノ口]]を1場所で、[[序二段]]と5場所でそれぞれ通過。この間2010年11月場所の負け越し(2勝5敗)以外は全て勝ち越し、[[2011年]]7月場所で[[三段目]]に昇進。三段目でも2011年9月場所の負け越し(3勝4敗)以外は全て勝ち越し、[[2012年]]5月場所で[[幕下]]に昇進した。[[2014年]]に2回三段目落ちを経験したが1場所で幕下復帰をして、[[2015年]]1月場所以降は幕下に定着した。[[2016年]]4月に師匠が20代千賀ノ浦(元小結・[[隆三杉太一|隆三杉]])へ代替わりし、部屋が出羽海一門から貴乃花一門へ移籍すると、貴乃花一門の[[貴乃花部屋]]や[[阿武松部屋]]へ出稽古へ通うようになって良質な稽古を積めるようになり<ref>[http://www.jiji.com/jc/v2?id=2017sumo_hope_05 舛の勝 足踏み乗り越え開花目前] 時事ドットコム 大相撲 新星探査</ref>、幕下上位へ定着した。[[2017年]]1月場所で、四股名を読みはそのまま「'''舛の勝'''」へ変更した。師匠の考えで、心機一転などの意味合いを込めた改名であったが、改名後は勝ち越しを続けて、同年9月場所で自己最高位となる東幕下3枚目の番付で6勝1敗としたことで、翌11月場所での新十両昇進が決まった。柏市からの関取誕生は[[麒麟児和春|麒麟児]]以来44年ぶり(麒麟児は旧[[柏町]]出身)で、このことは柏市の広報でも伝えられた<ref>[http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/020300/p047468.html 大相撲 柏市出身力士隆の勝関幕内昇進に伴う表敬訪問(平成30年8月28日発表)] 柏市 2018年8月29日(2019年11月11日閲覧)</ref>。また、十両昇進に合わせて、20代千賀ノ浦の現役時代に因み、四股名を「'''隆の勝'''」へ再改名した。新十両昇進に際して隆の勝は「本当に夢みたい。目標にしていた場所に上がれてめちゃくちゃうれしい」と喜びを見せる一方で、「同期の輝や、(年下の)[[阿武咲奎也|阿武咲]]や[[貴景勝光信|貴景勝]]が活躍している。負けたくない気持ち」と闘志を見せた<ref name="takanosho">『大相撲中継』2017年11月18日号 p57</ref>。「11月場所はまずは勝ち越し、あわよくば十両優勝を目標としている<ref name="kachikoshie"/>」と抱負を述べた。師匠からは「俺は新十両で10番“しか”勝てなかった」とさりげなくプレッシャーをかけられつつも<ref name="taka1009"/>、最終的に9勝6敗で勝ち越し。その後も勝ち越しを続け、[[2018年]]5月場所は幕内昇進を伺う西十両3枚目まで番付を伸ばした。直前の5月7日に[[時津風部屋]]で行われた幕内力士8人が集まって行われた合同稽古では時津風一門の横綱である鶴竜と5番取って1勝4敗、この日唯一鶴竜に土を付けた力士となった<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/05/10/kiji/20180510s00005000034000c.html 鶴竜、栃ノ心も気になる存在とは?十両・隆の勝から目が離せない] Sponichi Annex 2018年5月10日 10:30(スポーツニッポン新聞社、2018年8月29日閲覧)</ref>。場所では序盤から黒星が先行して12日目に関取として初の負け越しが決定。しかし残りを3連勝として1点の負け越しに抑えた。番付を半枚落として迎えた7月場所は先場所から一転して持ち味の押し相撲が冴え、特に中日以降は7連勝とするなど13勝2敗の好成績を挙げた。9日目から星の差1つで追走していた[[貴ノ岩義司|貴ノ岩]]が千秋楽で[[旭秀鵬滉規|旭秀鵬]]に敗れたため優勝決定戦にも進出したが、引き落としで敗れて十両優勝は果たせなかった。十両で13勝を挙げながら優勝できなかったのは2014年7月場所の[[逸ノ城駿|逸ノ城]]以来4年ぶりとなる。それでも続く9月場所は新入幕を果たし、東前頭14枚の地位を与えられた。両国国技館内で内で行われた記者会見では「幕内はテレビでみる世界だった。番付の一番上に名前が載り本当にうれしい。めちゃめちゃ、うれしいです」と話し、師匠は「今はまだ通過点。ぜひ、なってほしい」と自分が経験した三役力士への成長を願った<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201808270000489.html 隆の勝が新入幕「本当にうれしい」初土俵から8年半] 日刊スポーツ 2018年8月27日16時43分(日刊スポーツ新聞社、2018年8月28日閲覧)</ref>。9月場所は二桁白星と三賞受賞を目指していた<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180908/ddl/k12/050/045000c 柏出身の力士 隆の勝と琴手計が昇進 活躍に期待 /千葉] 毎日新聞 会員限定有料記事 毎日新聞2018年9月8日 地方版 (毎日新聞社、2018年10月1日閲覧)</ref>が、13日目に6敗目を喫して二桁白星は不可能になり、この場所は8勝7敗に終わった。三賞に関しては、そもそもこの場所は大相撲史上初の三賞すべて該当者なしという結果になっている<ref>[https://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20180923-OHT1T50342.html 71年の歴史で初の三賞該当者なし…嘉風「貴景勝はもらってもいい」] 2018年9月24日7時10分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年10月1日閲覧)</ref>。この場所の勝った8番中3番は捕まってからの[[寄り切り]]、2番は攻めあぐねた状況での[[突き落とし]]であった<ref>『相撲』2018年10月号 p.19-49</ref>。10月5日の秋巡業足利場所では巡業3日目で初めて稽古土俵に立った[[稀勢の里寛|稀勢の里]]に胸を出してもらい、8分間ぶつかり稽古を行った。この日の稽古後に稀勢の里は「スタミナはあると思う。(厳しい稽古を)普段からやっているんじゃないですか。お互い良い稽古になる」と評価し、今後に期待した様子だった<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201810050000720.html 稀勢の里が初稽古土俵「いい感じ」隆の勝に胸出した] 日刊スポーツ 2018年10月5日19時8分(日刊スポーツ新聞社、2018年10月6日閲覧)</ref>。2019年4月20日の春巡業柏場所は御当地場所。ぶつかり稽古では大関・[[髙安晃|髙安]]に、たっぷりかわいがられ稽古をつけてもらった。稽古後は、地元テレビ局や新聞社の取材が特別に設けられ、5人の兄弟はじめ家族全員が応援に駆けつけるなど、地元で晴れ姿を披露した<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201904200000642.html 柏市出身隆の勝、ご当所巡業で晴れ姿「三役目指す」] 日刊スポーツ 2019年4月20日17時2分(日刊スポーツ新聞社、2019年4月21日閲覧)</ref>。2020年3月場所では、無観客の中9日目までに1敗と優勝争いにも加わり、最終的には12勝3敗の好成績で、自身初の三賞となる敢闘賞を受賞した。 |
||
== 取り口 == |
== 取り口 == |
2020年6月23日 (火) 01:23時点における版
| ||||
---|---|---|---|---|
基礎情報 | ||||
四股名 | 舛ノ勝 → 舛の勝 → 隆の勝 | |||
本名 | 石井 伸明 | |||
愛称 | ノブ、おにぎり君[1] | |||
生年月日 | 1994年11月14日(30歳) | |||
出身 | 日本・千葉県柏市 | |||
身長 | 183.0cm | |||
体重 | 155.0kg | |||
BMI | 46.28 | |||
所属部屋 | 千賀ノ浦部屋 | |||
得意技 | 押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東前頭2枚目 | |||
最高位 | 東前頭2枚目 | |||
生涯戦歴 | 300勝224敗9休(60場所) | |||
幕内戦歴 | 41勝34敗(5場所) | |||
賞 | 敢闘賞1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2010年3月場所 | |||
入幕 | 2018年9月場所 | |||
備考 | ||||
2020年4月27日現在 |
隆の勝 伸明(たかのしょう のぶあき、 1994年11月14日 - )は、千葉県柏市出身で千賀ノ浦部屋所属の現役大相撲力士。本名は石井 伸明(いしい のぶあき)。身長183cm、体重155kg、血液型はO型[2]。最高位は東前頭2枚目(2020年7月場所)。好物は肉料理(特に生姜焼き)[3]、白米[4]。好きな言葉は「笑う門には福来る」。
来歴
6人兄弟の4番目で、他の兄弟は皆細身だったのに対し、伸明少年のみ体格に恵まれており、小学1年の時から地元の相撲大会に出場し、3年生の時に地元・千葉県の柏相撲少年団で本格的に相撲を始めた。厳格な父の指導もあり最初は嫌がっていた稽古も積極的に取り組むようになった。少年団での稽古は1日4時間、週2回から3回であったが、学年が上がるにつれて自主稽古が増え、ある時期には週に2、3回、家で30分間延々と四股を踏んでいた[5]。「中卒で大相撲に入るまでずっと通っていました。稽古は厳しかったけど、小さい頃はとにかく相撲が楽しかった記憶があります」と本人は少年団時代を振り返っていた[5]。中学時代には全国中学校相撲選手権に千葉県代表として団体戦メンバーの1人として出場。同じ団体戦メンバーには大翔鵬がいた。中学卒業と同時に千賀ノ浦部屋に入門。四股名は師匠の19代千賀ノ浦(元関脇・舛田山)の現役時代の四股名から一字貰った「舛ノ勝」とした[4]。入門同期生には輝、千代ノ皇らがいる。
2010年3月場所で初土俵を踏み、前相撲は二番出世。序ノ口を1場所で、序二段と5場所でそれぞれ通過。この間2010年11月場所の負け越し(2勝5敗)以外は全て勝ち越し、2011年7月場所で三段目に昇進。三段目でも2011年9月場所の負け越し(3勝4敗)以外は全て勝ち越し、2012年5月場所で幕下に昇進した。2014年に2回三段目落ちを経験したが1場所で幕下復帰をして、2015年1月場所以降は幕下に定着した。2016年4月に師匠が20代千賀ノ浦(元小結・隆三杉)へ代替わりし、部屋が出羽海一門から貴乃花一門へ移籍すると、貴乃花一門の貴乃花部屋や阿武松部屋へ出稽古へ通うようになって良質な稽古を積めるようになり[6]、幕下上位へ定着した。2017年1月場所で、四股名を読みはそのまま「舛の勝」へ変更した。師匠の考えで、心機一転などの意味合いを込めた改名であったが、改名後は勝ち越しを続けて、同年9月場所で自己最高位となる東幕下3枚目の番付で6勝1敗としたことで、翌11月場所での新十両昇進が決まった。柏市からの関取誕生は麒麟児以来44年ぶり(麒麟児は旧柏町出身)で、このことは柏市の広報でも伝えられた[7]。また、十両昇進に合わせて、20代千賀ノ浦の現役時代に因み、四股名を「隆の勝」へ再改名した。新十両昇進に際して隆の勝は「本当に夢みたい。目標にしていた場所に上がれてめちゃくちゃうれしい」と喜びを見せる一方で、「同期の輝や、(年下の)阿武咲や貴景勝が活躍している。負けたくない気持ち」と闘志を見せた[8]。「11月場所はまずは勝ち越し、あわよくば十両優勝を目標としている[3]」と抱負を述べた。師匠からは「俺は新十両で10番“しか”勝てなかった」とさりげなくプレッシャーをかけられつつも[9]、最終的に9勝6敗で勝ち越し。その後も勝ち越しを続け、2018年5月場所は幕内昇進を伺う西十両3枚目まで番付を伸ばした。直前の5月7日に時津風部屋で行われた幕内力士8人が集まって行われた合同稽古では時津風一門の横綱である鶴竜と5番取って1勝4敗、この日唯一鶴竜に土を付けた力士となった[10]。場所では序盤から黒星が先行して12日目に関取として初の負け越しが決定。しかし残りを3連勝として1点の負け越しに抑えた。番付を半枚落として迎えた7月場所は先場所から一転して持ち味の押し相撲が冴え、特に中日以降は7連勝とするなど13勝2敗の好成績を挙げた。9日目から星の差1つで追走していた貴ノ岩が千秋楽で旭秀鵬に敗れたため優勝決定戦にも進出したが、引き落としで敗れて十両優勝は果たせなかった。十両で13勝を挙げながら優勝できなかったのは2014年7月場所の逸ノ城以来4年ぶりとなる。それでも続く9月場所は新入幕を果たし、東前頭14枚の地位を与えられた。両国国技館内で内で行われた記者会見では「幕内はテレビでみる世界だった。番付の一番上に名前が載り本当にうれしい。めちゃめちゃ、うれしいです」と話し、師匠は「今はまだ通過点。ぜひ、なってほしい」と自分が経験した三役力士への成長を願った[11]。9月場所は二桁白星と三賞受賞を目指していた[12]が、13日目に6敗目を喫して二桁白星は不可能になり、この場所は8勝7敗に終わった。三賞に関しては、そもそもこの場所は大相撲史上初の三賞すべて該当者なしという結果になっている[13]。この場所の勝った8番中3番は捕まってからの寄り切り、2番は攻めあぐねた状況での突き落としであった[14]。10月5日の秋巡業足利場所では巡業3日目で初めて稽古土俵に立った稀勢の里に胸を出してもらい、8分間ぶつかり稽古を行った。この日の稽古後に稀勢の里は「スタミナはあると思う。(厳しい稽古を)普段からやっているんじゃないですか。お互い良い稽古になる」と評価し、今後に期待した様子だった[15]。2019年4月20日の春巡業柏場所は御当地場所。ぶつかり稽古では大関・髙安に、たっぷりかわいがられ稽古をつけてもらった。稽古後は、地元テレビ局や新聞社の取材が特別に設けられ、5人の兄弟はじめ家族全員が応援に駆けつけるなど、地元で晴れ姿を披露した[16]。2020年3月場所では、無観客の中9日目までに1敗と優勝争いにも加わり、最終的には12勝3敗の好成績で、自身初の三賞となる敢闘賞を受賞した。
取り口
押し相撲が持ち味であり、関取昇進後は稽古と食事で体格と持久力を向上させた[4]。
2020年3月場所は力のある突き押し、右を差して素早く寄る相撲も目立ったが、2020年5月に本人が語ったところによると「自分の相撲をつかみ始めたのは出稽古を積極的にするようになった3、4年前くらいからです」とのこと[5]。
怪我に強い力士であるのも特徴であり、場所中でも痛そうだと整体師の母に判断されたら母がすぐ治療しに行くため、大きな怪我に発展しづらい[4]。
エピソード
- 田名部生来がAKB48に在籍していた頃「推しメン」として応援しており、十両昇進時に田名部との対談が実現している[3]。
- 十両昇進を機に琴剣の描いた化粧廻しを使用している[9]。
- ONE OK ROCKのファン[8]。
- ONE OK ROCK 2019年11月27日 福岡公演に参戦。アリーナ席から4人ステージに呼ばれたうちの1人。メンバーとのトークも楽しんだ。その時の写真はTAKAのインスタに掲載。
- 「おにぎり君」というあだ名がありながら、梅干しが嫌い。[17]
- 整体師の母に育てられていたが、「姿勢が悪くなるから」という理由で携帯ゲームは禁止されていた。一方、テレビゲームは禁止されていなかった[5]。
主な成績
2020年3月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:300勝224敗9休(60場所)
- 幕内成績:41勝34敗(5場所)
- 十両成績:85勝56敗9休(10場所)
三賞・金星
- 三賞:1回
- 敢闘賞:1回(2020年3月場所)
- 金星:なし
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2010年 (平成22年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口17枚目 4–3 |
西序二段103枚目 5–2 |
西序二段55枚目 5–2 |
西序二段13枚目 2–5 |
2011年 (平成23年) |
西序二段52枚目 4–3 |
八百長問題 により中止 |
西序二段26枚目 5–2 |
西三段目75枚目 5–2 |
西三段目45枚目 3–4 |
東三段目62枚目 5–2 |
2012年 (平成24年) |
東三段目36枚目 5–2 |
西三段目10枚目 4–3 |
東幕下60枚目 4–3 |
西幕下51枚目 4–3 |
西幕下44枚目 4–3 |
東幕下36枚目 3–4 |
2013年 (平成25年) |
西幕下44枚目 6–1 |
東幕下18枚目 3–4 |
東幕下28枚目 4–3 |
東幕下23枚目 2–5 |
東幕下40枚目 3–4 |
西幕下46枚目 2–5 |
2014年 (平成26年) |
東三段目筆頭 4–3 |
東幕下53枚目 4–3 |
東幕下46枚目 4–3 |
西幕下38枚目 3–4 |
東幕下48枚目 2–5 |
東三段目11枚目 5–2 |
2015年 (平成27年) |
東幕下48枚目 6–1 |
東幕下20枚目 5–2 |
東幕下12枚目 2–5 |
西幕下29枚目 5–2 |
西幕下14枚目 2–5 |
東幕下32枚目 4–3 |
2016年 (平成28年) |
東幕下26枚目 4–3 |
東幕下22枚目 5–2 |
東幕下11枚目 3–4 |
東幕下17枚目 4–3 |
西幕下13枚目 5–2 |
東幕下6枚目 2–5 |
2017年 (平成29年) |
東幕下15枚目 5–2 |
東幕下8枚目 4–3 |
西幕下6枚目 4–3 |
東幕下5枚目 4–3 |
東幕下3枚目 6–1 |
西十両13枚目 9–6 |
2018年 (平成30年) |
東十両9枚目 9–6 |
西十両6枚目 8–7 |
西十両3枚目 7–8 |
東十両4枚目 13–2[18] |
東前頭14枚目 8–7 |
西前頭13枚目 4–11 |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
西十両2枚目 2–4–9[19] |
東十両13枚目 11–4 |
東十両4枚目 7–8 |
西十両4枚目 9–6 |
東十両2枚目 10–5 |
西前頭12枚目 10–5 |
2020年 (令和2年) |
東前頭9枚目 7–8 |
東前頭9枚目 12–3[20] 敢 |
新型コロナウイルス 拡大により中止 |
東前頭2枚目 – |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
- 舛ノ勝 伸明(ますのしょう のぶあき)2010年3月場所 - 2016年11月場所
- 舛の勝 伸明(ますのしょう のぶあき)2017年1月場所 - 2017年9月場所
- 隆の勝 伸明(たかのしょう のぶあき)2017年11月場所 -
脚注
- ^ 隆の勝が主役!1敗守った おにぎり君の笑顔満開 日刊スポーツ 2020年3月16日20時10分(2020年3月18日閲覧)
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2017年5月号(夏場所展望号)別冊付録 平成29年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑35頁
- ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p122 -123
- ^ a b c d 無観客場所を沸かす「おにぎり君」 優勝戦線に踏みとどまる平幕・隆の勝はどんな力士? YAHOO!ニュース 3/19(木) 8:00(2020年3月20日閲覧)
- ^ a b c d 隆の勝 10年で開花、中卒たたき上げ/プロに聞く 日刊スポーツ 2020年5月9日9時42分(2020年5月10日閲覧)
- ^ 舛の勝 足踏み乗り越え開花目前 時事ドットコム 大相撲 新星探査
- ^ 大相撲 柏市出身力士隆の勝関幕内昇進に伴う表敬訪問(平成30年8月28日発表) 柏市 2018年8月29日(2019年11月11日閲覧)
- ^ a b 『大相撲中継』2017年11月18日号 p57
- ^ a b 新十両の隆の勝が琴剣イラスト化粧まわしで土俵入り 2017年11月12日19時38分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年8月29日閲覧)
- ^ 鶴竜、栃ノ心も気になる存在とは?十両・隆の勝から目が離せない Sponichi Annex 2018年5月10日 10:30(スポーツニッポン新聞社、2018年8月29日閲覧)
- ^ 隆の勝が新入幕「本当にうれしい」初土俵から8年半 日刊スポーツ 2018年8月27日16時43分(日刊スポーツ新聞社、2018年8月28日閲覧)
- ^ 柏出身の力士 隆の勝と琴手計が昇進 活躍に期待 /千葉 毎日新聞 会員限定有料記事 毎日新聞2018年9月8日 地方版 (毎日新聞社、2018年10月1日閲覧)
- ^ 71年の歴史で初の三賞該当者なし…嘉風「貴景勝はもらってもいい」 2018年9月24日7時10分 スポーツ報知(報知新聞社、2018年10月1日閲覧)
- ^ 『相撲』2018年10月号 p.19-49
- ^ 稀勢の里が初稽古土俵「いい感じ」隆の勝に胸出した 日刊スポーツ 2018年10月5日19時8分(日刊スポーツ新聞社、2018年10月6日閲覧)
- ^ 柏市出身隆の勝、ご当所巡業で晴れ姿「三役目指す」 日刊スポーツ 2019年4月20日17時2分(日刊スポーツ新聞社、2019年4月21日閲覧)
- ^ 千賀ノ浦部屋 (2020年3月16日). “なお、ご心配をお掛けしている隆の勝の右こめかみの傷ですが、具の梅干がはみ出しているわけではなく、場所前の稽古で擦りむいたもので大した傷ではないとのことです。 ちなみに隆の勝はおにぎりのくせに梅干が苦手です。 #sumo”. @chiganoura_beya. 2020年4月4日閲覧。
- ^ 十両優勝決定戦進出
- ^ 右膝前十字靱帯損傷のため3日目から休場、9日目より再出場、11日目から再休場
- ^ 無観客開催
関連項目
外部リンク
- 隆の勝 伸明 - 日本相撲協会
- 隆の勝 伸明 (@takanosho1114) - X(旧Twitter)
- 隆の勝 伸明 (@takanosho1114) - Instagram