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2020年6月18日 (木) 11:28時点における版

山口 鋭之助
人物情報
生誕 (1862-03-09) 1862年3月9日文久2年2月9日
出雲国島根郡母衣町(現・島根県松江市
死没 (1945-03-04) 1945年3月4日(82歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学理学部
配偶者 ソノ(藤沢利喜太郎妹)
子供 ミサ(長女・渋谷米太郎妻)、サヤ(次女・氏家洗耳妻)、進六(次男)、やを(四女・鈴木俊郎妻)、博(三男)
学問
研究分野 物理学
研究機関 第一高等学校
京都帝国大学理工科大学
学習院
学位 理学博士(日本・1901年)
主要な作品 『普通教育 物理学』(1907年)
学会 日本歴史地理学会
明治聖徳記念学会
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山口 鋭之助(やまぐち えいのすけ、1862年3月9日文久2年2月9日) - 1945年昭和20年)3月4日)は明治時代から大正時代にかけての日本物理学者官僚理学博士

経歴

出雲国(現・島根県松江松江藩士・山口軍兵衛礼行の三男として生まれる。1884年東京大学理学部物理学科を卒業。

東京大学予備門教諭、第一高等学校教授を歴任。1897年京都帝国大学理工科大学教授に転じ、文部省から留学生としてドイツフランスに派遣され3年間学んだ。1901年、理学博士号を取得した。

その後、学習院に移り次長に就任。1905年、第9代院長となり翌年まで在任。さらに、宮内省に転じ、図書頭諸陵頭を歴任し、宮中顧問官となる。

親族

栄典・授章・授賞

位階
勲章等

著作

著書

脚注

  1. ^ 『官報』第908号「叙任及辞令」1886年7月12日。
  2. ^ 『官報』第2597号「叙任及辞令」1892年3月1日。
  3. ^ 『官報』第3858号「叙任及辞令」1896年5月12日。
  4. ^ 『官報』第6256号「叙任及辞令」1904年5月11日。
  5. ^ 『官報』第7770号「叙任及辞令」1909年5月22日。
  6. ^ 『官報』第558号「叙任及辞令」1914年6月11日。
  7. ^ 『官報』第853号「叙任及辞令」1929年11月1日。
  8. ^ 『官報』第6595号「叙任及辞令」1905年6月26日。
  9. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  10. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。

参考文献

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 『昭和人名辞典』第1巻、日本図書センター、1987年(『大衆人事録』第14版「東京篇」帝国秘密探偵社、昭和17年刊の改題複製)
  • 『大正人名辞典』Ⅱ下巻、日本図書センター、1989年(『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社、昭和2年刊の改題複製)

関連文献

外部リンク

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