「サッカー中華人民共和国代表」の版間の差分
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|監督={{Flagicon|CRO}} [[ブランコ・イバンコビッチ]] |
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|出場試合数=112 |
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|初の国際試合={{fb|PHL|1912}} 2–1 {{CHN1912f2}}<br />([[マニラ]]、1913年2月4日)<ref>{{cite web|url=http://www.eloratings.net/China.htm|title=China matches, ratings and points exchanged|publisher=World Football Elo Ratings: China|accessdate=18 November 2014}}</ref> |
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|最大差敗戦試合= {{fb|BRA}} 8–0 {{fb-rt|CHN}}<br />([[レシフェ]]、2012年9月10日) |
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|W杯出場回数=1 |
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|W杯初出場年=2002 |
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|W杯最高成績=グループリーグ敗退 ([[2002 FIFAワールドカップ|2002]]) |
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|ナショナルチームによる国際大会=[[AFCアジアカップ]] |
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|国際大会出場回数=13 |
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|国際大会最高成績=準優勝 ([[AFCアジアカップ1984|1984]], [[AFCアジアカップ2004|2004]]) |
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|ナショナルチームによる国際大会2= |
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|国際大会出場回数2= |
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|国際大会最高成績4= |
|国際大会最高成績4= |
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}} |
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'''サッカー中華人民共和国代表'''は、[[中国サッカー協会]] |
'''サッカー中華人民共和国代表'''(サッカーちゅうかじんみんきょうわこくだいひょう)は、[[中国サッカー協会]](CFA)によって構成される、[[中華人民共和国]]の[[サッカー]]の[[ナショナルチーム]]である。 |
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[[アジアサッカー連盟]](AFC)および[[東アジアサッカー連盟]](EAFF)に所属。ホームスタジアムは[[首都]]・[[北京]]にある[[北京工人体育場]]。 |
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なお、[[サッカー香港代表]]、[[サッカーマカオ代表]]、[[サッカーチベット代表]]については各項目を参照。 |
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== 概要 == |
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[[FIFAワールドカップ]]本大会への出場は[[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓大会]]の1度である。[[AFCアジアカップ]]においては2度の準優勝を果たしており、[[EAFF E-1サッカー選手権]](旧・東アジアカップ)では、2度の優勝歴がある。 |
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{| class="wikitable" |
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|+FIFAランキング<ref>{{Cite web |url=https://inside.fifa.com/fifa-world-ranking/men |title=FIFA-Coca Cola Men's World Ranking |access-date=2024-11-11 |publisher=FIFA}}</ref> |
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!順位 |
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!アジア内順位 |
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!発表日 |
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|現在 |
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|92位 |
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|13位 |
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|2024年10月24日 |
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|最高 |
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|48位 |
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|8位 |
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|2004年9月1日 |
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|最低 |
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|109位 |
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|13位 |
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|2013年3月14日 |
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現行の算出方式に変更された1999年1月以降の順位。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 黎明期 === |
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1913年に創設された[[極東選手権競技大会サッカー競技|極東選手権の第1回大会]]に参加し、[[サッカーフィリピン代表|フィリピン]]戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。 |
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1913年に創設された[[極東選手権競技大会サッカー競技|極東選手権の第1回大会]]に参加し、[[サッカーフィリピン代表|フィリピン]]戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。[[FIFAワールドカップ]]には[[1958 FIFAワールドカップ|1958年スウェーデン大会]]で初めて予選に参加したが、[[サッカーインドネシア代表|インドネシア代表]]に敗退。その後[[1978 FIFAワールドカップ|1978年アルゼンチン大会]]まで不参加であり、[[1982 FIFAワールドカップ|1982年スペイン大会]]から再び予選に参加した。 |
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1982年大会の[[1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選|アジア・オセアニア予選]]では、日本や北朝鮮を下した後、最終予選で[[サッカーニュージーランド代表|ニュージーランド]]と勝ち点・得失点差で同率2位となり、最終予選プレーオフでニュージーランドと対戦したものの1-2で敗れた。[[1986 FIFAワールドカップ|1986年メキシコ大会]]の[[1986 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]ではホームで[[サッカー香港代表|香港]]に敗れ1次予選グループ4A2位で予選敗退。[[1990 FIFAワールドカップ|1990年イタリア大会]]の[[1990 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、最終予選に進出したものの、[[サッカーカタール代表|カタール]]戦と[[サッカーアラブ首長国連邦代表|アラブ首長国連邦]]戦で共に1-0から残り数分で逆転負けするなど4位に終わり予選敗退。[[1994 FIFAワールドカップ|1994年アメリカ大会]]の[[1994 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選グループA2位で予選敗退。[[1998 FIFAワールドカップ|1998年フランス大会]]の[[1998 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]でも、最終予選に進出したもののグループA3位で予選敗退。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。 |
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=== 初のW杯出場 === |
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2000年に[[レバノン]]で開催された[[AFCアジアカップ2000]]では歴代最高タイとなる4位となり、[[2002 FIFAワールドカップ|2002年W杯日韓大会]]の[[2002 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、開催国として[[サッカー日本代表|日本]]と[[サッカー大韓民国代表|韓国]]が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けでは[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]、[[サッカーイラン代表|イラン]]、[[サッカーイラク代表|イラク]]などが全てグループAへと回り、中国はUAE、[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]、[[サッカーオマーン代表|オマーン]]、カタールなどと同じグループBとなった。そして[[ボラ・ミルティノビッチ]]に率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過し、初の本大会出場権を獲得した。その本大会では1次リーグ・グループCに入り、[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]、[[サッカーコスタリカ代表|コスタリカ]]、[[サッカートルコ代表|トルコ]]と対戦したが、3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。 |
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その後、自国開催となった[[AFCアジアカップ2004]]で準優勝した。しかし、[[2006 FIFAワールドカップ|2006年ドイツW杯]]の[[2006 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選で[[サッカークウェート代表|クウェート]]に総得点でわずかに及ばず敗退となった<ref group="注">勝点、当該国同士の対戦成績、得失点差は同点。総得点でクウェートが1点多かった。</ref>。予選敗退後は2008年の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]に照準を合わせ世代交代を進め、[[東アジアサッカー選手権2005|2005年の東アジア選手権]]では優勝した。 |
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[[FIFAワールドカップ]]は[[1958 FIFAワールドカップ|1958年大会]]に初めて予選に参加した。その後[[1978 FIFAワールドカップ|1978年大会]]まで不参加であり、[[1982 FIFAワールドカップ|1982年大会]]から再び予選に参加した。 |
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=== 2010年代 === |
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1982年大会の[[1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選|アジア・オセアニア予選]]では、最終予選で[[サッカーニュージーランド代表|ニュージーランド]]と勝ち点・得失点差で同率2位となり、最終予選プレーオフでニュージーランドと対戦したものの1-2で敗れた。[[1986 FIFAワールドカップ|1986年大会]]の[[1986 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選グループ4A2位で予選敗退。[[1990 FIFAワールドカップ|1990年大会]]の[[1990 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、最終予選に進出したものの4位に終わり予選敗退。[[1994 FIFAワールドカップ|1994年大会]]の[[1994 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選グループA2位で予選敗退。[[1998 FIFAワールドカップ|1998年大会]]の[[1998 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]でも、最終予選に進出したもののグループA3位で予選敗退。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。 |
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[[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選|2010年南アフリカW杯・アジア予選]]は、[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]、イラク、カタールと同じ組となり、3次予選でグループ1最下位に終わり敗退した。韓国に対しては[[恐韓症]]とも称される程苦手意識を持っていたが、[[東アジアサッカー選手権2010|2010年の東アジア選手権]]で初対戦から32年、28試合目にして3-0で初勝利した。 |
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[[AFCアジアカップ2011|AFCアジアカップカタール2011]]ではグループ3位で2大会連続の1次リーグ敗退という結果に終わり、[[2014 FIFAワールドカップ・アジア予選|2014年ブラジルW杯・アジア予選]]も3次予選グループA3位で敗退した。[[AFCアジアカップ2015|2015年アジアカップ豪州大会]]は[[AFCアジアカップ2015 (予選)|予選]]で苦しめられ、各組3位の最上位での出場権獲得と間一髪だった。本大会ではグループリーグを3戦全勝し3大会ぶりにベスト8に進出したが、準々決勝でオーストラリアに0-2で敗れた。 |
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[[2002 FIFAワールドカップ|2002年大会]]の[[2002 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、開催国として[[サッカー日本代表|日本]]と[[サッカー大韓民国代表|韓国]]が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けでは、[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]、[[サッカーイラン代表|イラン]]、[[サッカーイラク代表|イラク]]などが全てグループAへと回り、中国は[[サッカーアラブ首長国連邦代表|UAE]]、[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]、[[サッカーオマーン代表|オマーン]]、[[サッカーカタール代表|カタール]]などと同じグループBとなった。そして[[ボラ・ミルティノビッチ]]に率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過。初の本大会出場権を獲得したが、その本大会では1次リーグ・グループCに入り、[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]、[[サッカーコスタリカ代表|コスタリカ]]、[[サッカートルコ代表|トルコ]]と対戦。3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。 |
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[[EAFF E-1サッカー選手権2017]]では初戦で恐韓症とも称される韓国と対戦。前半9分に[[韋世豪]]のゴールで先制するも、直後に逆転を許したことが響き、76分に[[于大宝|ユー・ダーバオ]]のゴールで追いつくも2-2で引き分け。第2戦の日本戦はスコアレスで粘りを見せていたが、試合終盤に2点を奪われるなどして1-2で惜敗した。最終戦の[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮]]戦も28分に先制するも、試合終盤の81分にセットプレーから失点して1-1で引き分けとなり、未勝利で大会を終えることとなった。 |
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その後、自国開催となった[[AFCアジアカップ2004]]で準優勝した。しかし[[2006 FIFAワールドカップ]]の[[2006 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、1次予選で[[サッカークウェート代表|クウェート]]に総得点で僅差で及ばず<ref group="注">勝点、当該国同士の対戦成績、得失点差は同点。総得点でクウェートが1点多かった。</ref> 敗退となった。予選敗退後は、2008年の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]に照準を合わせ世代交代を進め、[[東アジアサッカー選手権2005|2005年の東アジア選手権]]では優勝した。 |
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[[2018 FIFAワールドカップ・アジア予選|2018年ロシアW杯・アジア予選]]では[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|3次予選]]まで進出し、グループA5位で予選敗退となったものの、第6節で韓国をホームで1-0で破った。なお、中国は最終予選は4節終了時点で勝ち点1しかない状況だったが、2006年ドイツ大会で[[サッカーイタリア代表|イタリア]]を優勝に導いた[[マルチェロ・リッピ]]が監督に就任してから残りの6試合は、前述の韓国撃破など3勝2分1敗と好調だった。この躍進もあり、2017年10月に発表された[[FIFAランキング]]では、1993年の開始以来初めて韓国を上回った(中国57位、韓国62位)<ref>{{Cite web |title=韓国に衝撃「歴史変わった」 FIFA順位アジア5番手後退 地元紙「中国に劣る初の屈辱」 |url=https://www.football-zone.net/archives/76341 |website=www.football-zone.net |date=2017-10-17 |access-date=2024-11-12 |language=ja}}</ref>。 |
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[[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選]]は、[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]、[[サッカーイラク代表|イラク]]、[[サッカーカタール代表|カタール]]と同じ組となり、3次予選でグループ1最下位に終わり敗退した。 |
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[[EAFF E-1サッカー選手権2019]]では初戦の日本戦は29分、70分に失点を喫し、90分に[[董学升|ドン・シュエシェン]]のゴールで1点を返すも同点に追いつくことはできず1-2で惜敗した。第2戦の韓国戦も13分に[[金玟哉|キム・ミンジェ]]にゴールを決められてそのまま0-1で敗れ、最終戦の香港戦で2点を奪ってようやく初勝利を手にして大会を終えた。 |
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[[サッカー大韓民国代表|韓国]]に対しては[[恐韓症]]とも称されている。なお、[[東アジアサッカー選手権2010|2010年の東アジア選手権]]で、初対戦から32年、28試合目にして3-0で初勝利した。 |
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=== 2020年代 === |
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[[2014 FIFAワールドカップ・アジア予選]]も3次予選グループA3位で敗退した。 |
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[[2022 FIFAワールドカップ・アジア予選|2022年カタールW杯・アジア予選]]では[[2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|最終予選]]に進出。初の国外出身選手である[[ブラジル]]出身の[[エウケソン|エウケソン(艾克森)]]<ref>{{Cite web|title=サッカー中国代表がエウケソン招集、完全な国外出身選手では初|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3240776|website=www.afpbb.com|accessdate=2021-12-15|date=2019-08-21}}</ref>、アラン(阿兰)、[[アロイージオ・ドス・サントス・ゴンサウヴェス|アロイージオ(洛国富)]]、[[イギリス]]出身の[[ティアス・ブラウニング|ブラウニング(蒋光太)]]、[[ニコ・イェナリス|イェナリス(李可)]]、[[香港]]出身の{{仮リンク|戴偉浚|en|Dai Wai Tsun}}らが招集され話題となったが、中国の[[ゼロコロナ政策]]の影響でホームゲーム開催ができなかった([[カタール]]・[[ドーハ]]で開催)こともあり、全10試合でわずか1勝に留まり予選敗退となった。 |
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2021年12月28日、[[国家体育総局|中国国家体育総局]]はサッカー代表選手に対し、[[入れ墨|タトゥー]]の除去を勧告と新たに入れることを禁止する通達を出した。また、既にタトゥーを入れている選手に対し、「特殊な状況」下で行われる練習や試合中はタトゥーを隠すよう指示した<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3383171 |title=中国、サッカー代表選手にタトゥー除去勧告 |publisher=AFP |date=2021-12-30 |accessdate=2021-12-30}}</ref>。2021年時点でブラジルなどから[[帰化]]選手も増えており<ref>{{Cite web |url=https://www.footballchannel.jp/2021/09/07/post437163/ |title=中国代表、4人の帰化選手は何者? ブラジルとイングランド出身、日本代表の脅威に【W杯アジア最終予選】 |publisher=フットボールチャンネル |date=2021-09-07 |accessdate=2021-12-29}}</ref>、その対応の一環である。 |
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[[AFCアジアカップ2015|2015年アジアカップ]]は[[AFCアジアカップ2015 (予選)|予選]]で苦しめられ、各組3位の最上位での出場権獲得と間一髪だった。本大会ではグループリーグを3戦全勝しベスト8に進出したが、準々決勝で[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]に2-0で敗れた。 |
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中国が[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|COVID-19]]対策を理由として開催を返上、日本開催となった[[EAFF E-1サッカー選手権2022]]では、1勝1分け1敗となり3大会連続でのグループ3位という結果に終わった<ref>{{cite web|title=東アジア選手権、日本開催に サッカー|work=時事ドットコム|publisher=[[時事通信社]]|url=https://web.archive.org/web/20220419055011/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022041900629&g=spo|date=2022-04-19|accessdate=2022-04-19}}</ref>。 |
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[[EAFF E-1サッカー選手権2017]]では初戦で恐韓症とも称される韓国と対戦。前半9分に[[韋世豪|ウェイ・シーハオ]]のゴールで先制するも、直後に逆転を許したことが響き、76分に[[于大宝|ユー・ダーバオ]]のゴールで追いつくも2-2で引き分け。第2戦の日本戦はスコアレスで粘りを見せていたが試合終盤に2点を奪われるなどして1-2で惜敗。最終戦の北朝鮮戦も28分に先制するも、試合終盤の81分にセットプレーから失点して1-1で引き分け。未勝利で大会を終えることとなった。 |
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本来は2023年6~7月に中国で開催予定も、COVID-19対策を理由に開催を返上、2024年1~2月に[[カタール]]で開催された[[AFCアジアカップ2023]]においてはグループステージで2分け1敗の3位、他グループとの比較で3位チームの6チーム中4位以内に入れず、グループステージで敗退した。 |
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[[2018 FIFAワールドカップ・アジア予選]]では[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|3次予選]]まで進出し、グループA5位で予選敗退となったものの、第6節で韓国をホームで1-0で破った。なお、中国は最終予選は4節終了時点で勝ち点1しかない状況だったが、FIFAW杯[[2006 FIFAワールドカップ|2006年大会]]で[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]を優勝に導いた[[マルチェロ・リッピ]]が監督に就任してから残りの6試合は、前述の韓国撃破など3勝2分1敗と好調だった。 |
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==== 北中米ワールドカップ ==== |
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[[EAFF E-1サッカー選手権2019]]では初戦の日本戦は29分、70分に失点を喫し、90分に[[董学升|ドン・シュエシェン]]のゴールで1点を返すも同点に追いつくことはできずに1-2で惜敗。第2戦の韓国戦も13分に[[金玟哉|キム・ミンジェ]]にゴールを決められてそのまま0-1で敗れた。最終戦の香港戦で2点を奪ってようやく初勝利を手にして大会を終えた。 |
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[[2026 FIFAワールドカップ・アジア予選|2026年北中米W杯・アジア予選]]では[[2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選|2次予選]]から苦戦し、[[サッカータイ王国代表|タイ]]と勝ち点・得失点差で並び、直接対決の成績で上回っての[[2026 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|最終予選]](3次予選)進出と間一髪であった<ref>{{Cite web |title=中国が辛くもアジア最終予選進出…タイと勝ち点、得失点、総得点で並びながら直接対決の結果で上回って2位通過 |url=https://web.gekisaka.jp/news/worldcup/detail/?409049-409049-fl |website=ゲキサカ |date=2024-06-11 |access-date=2024-11-12 |language=ja |last=ゲキサカ編集部}}</ref>。最終予選序盤も低調が続き、初戦の日本戦で0-7と大敗<ref>{{Cite web |title=【日本代表】7失点大敗の中国監督「大変強いチーム。アジアのトップというよりワールドクラス」 - 日本代表 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/202409050001518.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-11-12 |language=ja |last=佐藤隆志}}</ref>してから、第2節でサウジアラビアに、第3節でオーストラリアに連続して逆転負けを喫して<ref>{{Cite web |title=<オーストラリア・中国>開幕3連敗に落胆する中国代表イレブン(AP) - スポニチ Sponichi Annex サッカー |url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2024/10/10/gazo/20241010s10002000349000p.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2024-11-12 |language=ja}}</ref>、開幕3連敗となった。第4節で[[サッカーインドネシア代表|インドネシア]]をホームに迎え、2-1と遅まきながら初勝利を挙げると、前半戦最後の試合で[[サッカーバーレーン代表|バーレーン]]を試合終了間際のゴールで下し、24年ぶりの出場に向けて前半戦を2勝3敗で終えた<ref>{{Cite web |title=【W杯予選】中国、バーレーンに1-0競り勝ち暫定4位浮上 後半46分に張玉寧が決勝ゴール! - 海外サッカー : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202411150000021.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-11-14 |language=ja |last=佐藤隆志}}</ref>。 |
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== |
== 成績 == |
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=== FIFAワールドカップ === |
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!失点 |
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|{{flagicon|Uruguay}} [[1930 FIFAワールドカップ|1930]] |
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|{{flagicon|England}} [[1966 FIFAワールドカップ|1966]] |
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|{{flagicon|West Germany}} [[1974 FIFAワールドカップ|1974]] |
|{{flagicon|West Germany}} [[1974 FIFAワールドカップ|1974年]] |
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|{{flagicon|Argentina}} [[1978 FIFAワールドカップ|1978]] |
|{{flagicon|Argentina}} [[1978 FIFAワールドカップ|1978年]] |
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|{{flagicon|Spain}} [[1982 FIFAワールドカップ|1982]] |
|{{flagicon|Spain}} [[1982 FIFAワールドカップ|1982年]] |
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|rowspan=5 colspan=7|''予選敗退'' |
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|{{flagicon|Mexico}} [[1986 FIFAワールドカップ|1986]] |
|{{flagicon|Mexico}} [[1986 FIFAワールドカップ|1986年]] |
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|{{flagicon|Italy}} [[1990 FIFAワールドカップ|1990]] |
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|{{flagicon|United States}} [[1994 FIFAワールドカップ|1994]] |
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|{{flagicon|France}} [[1998 FIFAワールドカップ|1998]] |
|{{flagicon|France}} [[1998 FIFAワールドカップ|1998年]] |
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|{{flagicon|South Korea}} {{flagicon|Japan}} [[2002 FIFAワールドカップ|2002]] |
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|グループリーグ敗退 |
|グループリーグ敗退 |
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|{{flagicon|Germany}} [[2006 FIFAワールドカップ|2006]] |
|{{flagicon|Germany}} [[2006 FIFAワールドカップ|2006年]] |
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|{{flagicon|South Africa}} [[2010 FIFAワールドカップ|2010年]] |
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|{{flagicon|Brazil}} [[2014 FIFAワールドカップ|2014年]] |
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|{{flagicon|Russia}} [[2018 FIFAワールドカップ|2018年]] |
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== AFCアジアカップ |
=== AFCアジアカップ === |
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{|class="wikitable" style="text-align:center;" |
{|class="wikitable" style="text-align:center;" |
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167行目: | 205行目: | ||
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|{{flagicon|HKG|1910}} [[AFCアジアカップ1956|1956]]||rowspan=5 colspan=7|''不参加'' |
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|{{flagicon|KOR}} [[AFCアジアカップ1960|1960]] |
|{{flagicon|KOR}} [[AFCアジアカップ1960|1960年]] |
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|{{flagicon|ISR}} [[AFCアジアカップ1964|1964年]] |
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|{{flagicon|KUW}} [[AFCアジアカップ1980|1980年]]||グループリーグ敗退||4||1||1||2||9||5 |
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|{{flagicon|UAE}} [[AFCアジアカップ1996|1996]]||ベスト8||4||1||0||3||6||7 |
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|{{flagicon|QAT}} [[AFCアジアカップ2011|2011]]||グループリーグ敗退||3||1||1||1||4||4 |
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|- |
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|{{flagicon|AUS}} [[AFCアジアカップ2015|2015]]||ベスト8||4||3||0||1||5||4 |
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|- |
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|{{flagicon|UAE}} [[AFCアジアカップ2019|2019]]||ベスト8||5||3||0||2||7||7 |
|{{flagicon|UAE}} [[AFCアジアカップ2019|2019年]]||ベスト8||5||3||0||2||7||7 |
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|{{flagicon|QAT}} [[AFCアジアカップ2023|2023年]]||グループステージ敗退||3||0||2||1||0||1 |
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!合計 |
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|} |
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== AFCソリダリティーカップ |
=== AFCソリダリティーカップ === |
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*[[AFCソリダリティーカップ2016|2016年]] - ''不参加'' |
* [[AFCソリダリティーカップ2016|2016年]] - ''不参加'' |
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== 極東選手権競技大会 |
=== 極東選手権競技大会 === |
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{|class="wikitable" style="text-align:center;" |
{|class="wikitable" style="text-align:center;" |
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226行目: | 266行目: | ||
!失点 |
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!合計 |
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256行目: | 296行目: | ||
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== アジア競技大会 |
=== アジア競技大会 === |
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{|class="wikitable" style="text-align:center;" |
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|{{flagicon|IND}} [[1951年アジア競技大会におけるサッカー競技|1951]]||rowspan=6 colspan=7|''不参加'' |
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|{{flagicon|JPN}} [[1958年アジア競技大会におけるサッカー競技|1958]] |
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|{{flagicon|IDN}} [[1962年アジア競技大会におけるサッカー競技|1962]] |
|{{flagicon|IDN}} [[1962年アジア競技大会におけるサッカー競技|1962年]] |
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|{{flagicon|IRN}} [[1974年アジア競技大会におけるサッカー競技|1974]]||グループリーグ敗退||3||1||0||2||7||4 |
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|{{flagicon|THA}} [[1978年アジア競技大会におけるサッカー競技|1978]]||3位||7||5||0||2||16||5 |
|{{flagicon|THA}} [[1978年アジア競技大会におけるサッカー競技|1978年]]||3位||7||5||0||2||16||5 |
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|- |
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|{{flagicon|IND}} [[1982年アジア競技大会におけるサッカー競技|1982]]||ベスト8||4||2||1||1||4||3 |
|{{flagicon|IND}} [[1982年アジア競技大会におけるサッカー競技|1982年]]||ベスト8||4||2||1||1||4||3 |
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|{{flagicon|KOR}} [[1986年アジア競技大会におけるサッカー競技|1986]]||ベスト8||4||2||1||1||10||7 |
|{{flagicon|KOR}} [[1986年アジア競技大会におけるサッカー競技|1986年]]||ベスト8||4||2||1||1||10||7 |
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|- |
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|style="border: 3px solid red"|{{flagicon|CHN}} [[1990年アジア競技大会におけるサッカー競技|1990]]||ベスト8||4||2||0||2||8||4 |
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|{{flagicon|JPN}} [[1994年アジア競技大会におけるサッカー競技|1994]]||''準優勝''||7||5||1||1||16||8 |
|{{flagicon|JPN}} [[1994年アジア競技大会におけるサッカー競技|1994年]]||''準優勝''||7||5||1||1||16||8 |
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|{{flagicon|THA}} [[1998年アジア競技大会におけるサッカー競技|1998]]||3位||8||6||0||2||24||7 |
|{{flagicon|THA}} [[1998年アジア競技大会におけるサッカー競技|1998年]]||3位||8||6||0||2||24||7 |
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!'''合計''' |
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|} |
|} |
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== EAFF E-1 |
=== EAFF E-1サッカー選手権 === |
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{|class="wikitable" style="text-align:center;" |
{|class="wikitable" style="text-align:center;" |
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|- |
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309行目: | 356行目: | ||
!失点 |
!失点 |
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|- style="background:#c96;" |
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|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2003|2003]]||3位||3||1||0||2||3||4 |
|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2003|2003年]]||3位||3||1||0||2||3||4 |
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|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアサッカー選手権2005|2005]]||'''優勝'''||3||1||2||0||5||3 |
|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアサッカー選手権2005|2005年]]||'''優勝'''||3||1||2||0||5||3 |
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|style="border: 3px solid red"|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアサッカー選手権2008|2008]]||3位||3||1||0||2||5||5 |
|style="border: 3px solid red"|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアサッカー選手権2008|2008年]]||3位||3||1||0||2||5||5 |
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|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2010|2010]]||'''優勝'''||3||2||1||0||5||0 |
|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2010|2010年]]||'''優勝'''||3||2||1||0||5||0 |
||
|- style="background:silver;" |
|- style="background:silver;" |
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|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアカップ2013|2013]]||''準優勝''||3||1||2||0||7||6 |
|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアカップ2013|2013年]]||''準優勝''||3||1||2||0||7||6 |
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|- style="background:silver;" |
|- style="background:silver;" |
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|style="border: 3px solid red"|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアカップ2015|2015]]||''準優勝''||3||1||1||1||3||3 |
|style="border: 3px solid red"|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアカップ2015|2015年]]||''準優勝''||3||1||1||1||3||3 |
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|- style="background:#c96;" |
|- style="background:#c96;" |
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|{{Flagicon|JPN}} [[EAFF E-1 |
|{{Flagicon|JPN}} [[EAFF E-1サッカー選手権2017|2017年]]||3位||3||0||2||1||4||5 |
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|- style="background:#c96;" |
|- style="background:#c96;" |
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|{{Flagicon|KOR}} [[EAFF E-1 |
|{{Flagicon|KOR}} [[EAFF E-1サッカー選手権2019|2019年]]||3位||3||1||0||2||3||3 |
||
|- style="background:#c96;" |
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|{{Flagicon|JPN}} [[EAFF E-1サッカー選手権2022|2022年]]||3位||3||1||1||1||1||3 |
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|- |
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!'''合計''' |
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!9/9 |
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!27 |
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!9 |
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!9 |
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!9 |
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!36 |
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!32 |
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|} |
|} |
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== 歴代監督 == |
== 歴代監督 == |
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* {{Flagicon|CHN}} 戚務生 |
* {{Flagicon|CHN}} {{仮リンク|戚務生|en|Qi Wusheng}}(1994年 - 1997年) |
||
* {{Flagicon|ENG}} [[ボブ・ホートン]] |
* {{Flagicon|ENG}} [[ボブ・ホートン]](1997年 - 1999年) |
||
* {{Flagicon|YUG}} [[ボラ・ミルティノビッチ]] |
* {{Flagicon|YUG}} [[ボラ・ミルティノビッチ]](2000年 - 2002年) |
||
* {{Flagicon|NED}} [[アリー・ハーン]] |
* {{Flagicon|NED}} [[アリー・ハーン]](2002年 - 2004年) |
||
* {{Flagicon|CHN}} [[朱広滬]] |
* {{Flagicon|CHN}} [[朱広滬]](2005年 - 2007年) |
||
* {{Flagicon|SRB}} [[ヴラディミル・ペトロヴィッチ]] |
* {{Flagicon|SRB}} [[ヴラディミル・ペトロヴィッチ]](2007年 - 2008年) |
||
* {{Flagicon|CHN}} [[高洪波]] |
* {{Flagicon|CHN}} [[高洪波]](2009年 - 2011年) |
||
* {{Flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・カマーチョ]] |
* {{Flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・カマーチョ]](2011年 - 2013年) |
||
* {{Flagicon|FRA}} [[アラン・ペラン]] |
* {{Flagicon|FRA}} [[アラン・ペラン]](2014年 - 2016年) |
||
* {{Flagicon|CHN}} 高洪波 |
* {{Flagicon|CHN}} [[高洪波]](2016年) |
||
* {{Flagicon|ITA}} [[マルチェロ・リッピ]] |
* {{Flagicon|ITA}} [[マルチェロ・リッピ]](2016年 - 2019年) |
||
* {{flagicon|ITA}} [[ファビオ・カンナヴァーロ]] |
* {{flagicon|ITA}} [[ファビオ・カンナヴァーロ]](2019年) |
||
* {{Flagicon|ITA}} [[マルチェロ・リッピ]] |
* {{Flagicon|ITA}} [[マルチェロ・リッピ]](2019年) |
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* {{Flagicon|CHN}} [[李鉄]] |
* {{Flagicon|CHN}} [[李鉄]](2019年 - 2021年) |
||
* {{Flagicon|CHN}} [[李霄鵬]](2021年 - 2022年) |
|||
* {{Flagicon|SER}} [[アレクサンダル・ヤンコヴィッチ]](2023年 - 2024年) |
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* {{Flagicon|CRO}} [[ブランコ・イバンコビッチ]](2024年 - ) |
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==選手== |
== 歴代選手 == |
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{{Main|Category:サッカー中国代表選手}} |
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===主要大会のメンバー=== |
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*FIFAワールドカップ |
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**[[2002 FIFAワールドカップ参加チーム#中国|2002 FIFAワールドカップ参加チーム]] |
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=== W杯の大会メンバー === |
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===主な歴代選手=== |
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* [[FIFAワールドカップ]] |
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** [[2002 FIFAワールドカップ参加チーム #中国|2002 FIFAワールドカップ参加チーム]] |
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=== 主な代表選手 === |
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*GK |
*GK |
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*DF |
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**[[賈秀全]] |
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| [[于大宝]] || '''19''' || |
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== 関連項目 == |
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* [[恐韓症]] |
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* [[サッカー中華人民共和国女子代表]] |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 関連項目 == |
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* [[U-23サッカー中華人民共和国代表]] |
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* [[中国サッカー・スーパーリーグ]] |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.thecfa.cn/ 中国サッカー協会]{{zh-cn icon}}{{en icon}} |
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[[Category:アジアのサッカーナショナルチーム|ちゆうかしんみんきようわこく]] |
[[Category:アジアのサッカーナショナルチーム|ちゆうかしんみんきようわこく]] |
2024年11月14日 (木) 16:32時点における最新版
| ||||
---|---|---|---|---|
国または地域 | 中華人民共和国 | |||
協会 | 中国サッカー協会 | |||
FIFAコード | CHN | |||
愛称 | 国足、龍之隊 | |||
監督 | ブランコ・イバンコビッチ | |||
最多出場選手 | 李瑋峰(112試合) | |||
最多得点選手 | 郝海東(39得点) | |||
| ||||
初の国際試合 | ||||
フィリピン 2–1 中国 (マニラ、1913年2月4日)[1] | ||||
最大差勝利試合 | ||||
中華人民共和国 19–0 グアム (ホーチミン、2000年1月26日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
ブラジル 8–0 中華人民共和国 (レシフェ、2012年9月10日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 1回(初出場は2002) | |||
最高成績 | グループリーグ敗退 (2002) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 13回 | |||
最高成績 | 準優勝 (1984, 2004) | |||
サッカー中華人民共和国代表(サッカーちゅうかじんみんきょうわこくだいひょう)は、中国サッカー協会(CFA)によって構成される、中華人民共和国のサッカーのナショナルチームである。
アジアサッカー連盟(AFC)および東アジアサッカー連盟(EAFF)に所属。ホームスタジアムは首都・北京にある北京工人体育場。
概要
[編集]FIFAワールドカップ本大会への出場は2002年日韓大会の1度である。AFCアジアカップにおいては2度の準優勝を果たしており、EAFF E-1サッカー選手権(旧・東アジアカップ)では、2度の優勝歴がある。
順位 | アジア内順位 | 発表日 | |
---|---|---|---|
現在 | 92位 | 13位 | 2024年10月24日 |
最高 | 48位 | 8位 | 2004年9月1日 |
最低 | 109位 | 13位 | 2013年3月14日 |
現行の算出方式に変更された1999年1月以降の順位。
歴史
[編集]黎明期
[編集]1913年に創設された極東選手権の第1回大会に参加し、フィリピン戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。FIFAワールドカップには1958年スウェーデン大会で初めて予選に参加したが、インドネシア代表に敗退。その後1978年アルゼンチン大会まで不参加であり、1982年スペイン大会から再び予選に参加した。
1982年大会のアジア・オセアニア予選では、日本や北朝鮮を下した後、最終予選でニュージーランドと勝ち点・得失点差で同率2位となり、最終予選プレーオフでニュージーランドと対戦したものの1-2で敗れた。1986年メキシコ大会のアジア予選ではホームで香港に敗れ1次予選グループ4A2位で予選敗退。1990年イタリア大会のアジア予選では、最終予選に進出したものの、カタール戦とアラブ首長国連邦戦で共に1-0から残り数分で逆転負けするなど4位に終わり予選敗退。1994年アメリカ大会のアジア予選では1次予選グループA2位で予選敗退。1998年フランス大会のアジア予選でも、最終予選に進出したもののグループA3位で予選敗退。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。
初のW杯出場
[編集]2000年にレバノンで開催されたAFCアジアカップ2000では歴代最高タイとなる4位となり、2002年W杯日韓大会のアジア予選では、開催国として日本と韓国が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けではサウジアラビア、イラン、イラクなどが全てグループAへと回り、中国はUAE、ウズベキスタン、オマーン、カタールなどと同じグループBとなった。そしてボラ・ミルティノビッチに率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過し、初の本大会出場権を獲得した。その本大会では1次リーグ・グループCに入り、ブラジル、コスタリカ、トルコと対戦したが、3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。
その後、自国開催となったAFCアジアカップ2004で準優勝した。しかし、2006年ドイツW杯のアジア予選では1次予選でクウェートに総得点でわずかに及ばず敗退となった[注 1]。予選敗退後は2008年の北京オリンピックに照準を合わせ世代交代を進め、2005年の東アジア選手権では優勝した。
2010年代
[編集]2010年南アフリカW杯・アジア予選は、オーストラリア、イラク、カタールと同じ組となり、3次予選でグループ1最下位に終わり敗退した。韓国に対しては恐韓症とも称される程苦手意識を持っていたが、2010年の東アジア選手権で初対戦から32年、28試合目にして3-0で初勝利した。
AFCアジアカップカタール2011ではグループ3位で2大会連続の1次リーグ敗退という結果に終わり、2014年ブラジルW杯・アジア予選も3次予選グループA3位で敗退した。2015年アジアカップ豪州大会は予選で苦しめられ、各組3位の最上位での出場権獲得と間一髪だった。本大会ではグループリーグを3戦全勝し3大会ぶりにベスト8に進出したが、準々決勝でオーストラリアに0-2で敗れた。
EAFF E-1サッカー選手権2017では初戦で恐韓症とも称される韓国と対戦。前半9分に韋世豪のゴールで先制するも、直後に逆転を許したことが響き、76分にユー・ダーバオのゴールで追いつくも2-2で引き分け。第2戦の日本戦はスコアレスで粘りを見せていたが、試合終盤に2点を奪われるなどして1-2で惜敗した。最終戦の北朝鮮戦も28分に先制するも、試合終盤の81分にセットプレーから失点して1-1で引き分けとなり、未勝利で大会を終えることとなった。
2018年ロシアW杯・アジア予選では3次予選まで進出し、グループA5位で予選敗退となったものの、第6節で韓国をホームで1-0で破った。なお、中国は最終予選は4節終了時点で勝ち点1しかない状況だったが、2006年ドイツ大会でイタリアを優勝に導いたマルチェロ・リッピが監督に就任してから残りの6試合は、前述の韓国撃破など3勝2分1敗と好調だった。この躍進もあり、2017年10月に発表されたFIFAランキングでは、1993年の開始以来初めて韓国を上回った(中国57位、韓国62位)[3]。
EAFF E-1サッカー選手権2019では初戦の日本戦は29分、70分に失点を喫し、90分にドン・シュエシェンのゴールで1点を返すも同点に追いつくことはできず1-2で惜敗した。第2戦の韓国戦も13分にキム・ミンジェにゴールを決められてそのまま0-1で敗れ、最終戦の香港戦で2点を奪ってようやく初勝利を手にして大会を終えた。
2020年代
[編集]2022年カタールW杯・アジア予選では最終予選に進出。初の国外出身選手であるブラジル出身のエウケソン(艾克森)[4]、アラン(阿兰)、アロイージオ(洛国富)、イギリス出身のブラウニング(蒋光太)、イェナリス(李可)、香港出身の戴偉浚らが招集され話題となったが、中国のゼロコロナ政策の影響でホームゲーム開催ができなかった(カタール・ドーハで開催)こともあり、全10試合でわずか1勝に留まり予選敗退となった。
2021年12月28日、中国国家体育総局はサッカー代表選手に対し、タトゥーの除去を勧告と新たに入れることを禁止する通達を出した。また、既にタトゥーを入れている選手に対し、「特殊な状況」下で行われる練習や試合中はタトゥーを隠すよう指示した[5]。2021年時点でブラジルなどから帰化選手も増えており[6]、その対応の一環である。
中国がCOVID-19対策を理由として開催を返上、日本開催となったEAFF E-1サッカー選手権2022では、1勝1分け1敗となり3大会連続でのグループ3位という結果に終わった[7]。
本来は2023年6~7月に中国で開催予定も、COVID-19対策を理由に開催を返上、2024年1~2月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023においてはグループステージで2分け1敗の3位、他グループとの比較で3位チームの6チーム中4位以内に入れず、グループステージで敗退した。
北中米ワールドカップ
[編集]2026年北中米W杯・アジア予選では2次予選から苦戦し、タイと勝ち点・得失点差で並び、直接対決の成績で上回っての最終予選(3次予選)進出と間一髪であった[8]。最終予選序盤も低調が続き、初戦の日本戦で0-7と大敗[9]してから、第2節でサウジアラビアに、第3節でオーストラリアに連続して逆転負けを喫して[10]、開幕3連敗となった。第4節でインドネシアをホームに迎え、2-1と遅まきながら初勝利を挙げると、前半戦最後の試合でバーレーンを試合終了間際のゴールで下し、24年ぶりの出場に向けて前半戦を2勝3敗で終えた[11]。
成績
[編集]FIFAワールドカップ
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1930年 | 不参加 | ||||||
1934年 | |||||||
1938年 | |||||||
1950年 | |||||||
1954年 | |||||||
1958年 | 予選敗退 | ||||||
1962年 | 不参加 | ||||||
1966年 | |||||||
1970年 | |||||||
1974年 | |||||||
1978年 | |||||||
1982年 | 予選敗退 | ||||||
1986年 | |||||||
1990年 | |||||||
1994年 | |||||||
1998年 | |||||||
2002年 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 |
2006年 | 予選敗退 | ||||||
2010年 | |||||||
2014年 | |||||||
2018年 | |||||||
2022年 | |||||||
合計 | 1/22 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 |
AFCアジアカップ
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1956年 | 不参加 | ||||||
1960年 | |||||||
1964年 | |||||||
1968年 | |||||||
1972年 | |||||||
1976年 | 3位 | 4 | 1 | 1 | 2 | 2 | 4 |
1980年 | グループリーグ敗退 | 4 | 1 | 1 | 2 | 9 | 5 |
1984年 | 準優勝 | 6 | 4 | 0 | 2 | 11 | 4 |
1988年 | 4位 | 6 | 2 | 2 | 2 | 7 | 5 |
1992年 | 3位 | 5 | 1 | 3 | 1 | 6 | 6 |
1996年 | ベスト8 | 4 | 1 | 0 | 3 | 6 | 7 |
2000年 | 4位 | 6 | 2 | 2 | 2 | 11 | 7 |
2004年 | 準優勝 | 6 | 3 | 2 | 1 | 13 | 6 |
2007年 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 7 | 6 |
2011年 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 |
2015年 | ベスト8 | 4 | 3 | 0 | 1 | 5 | 4 |
2019年 | ベスト8 | 5 | 3 | 0 | 2 | 7 | 7 |
2023年 | グループステージ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 |
合計 | 13/18 | 59 | 23 | 15 | 21 | 88 | 66 |
AFCソリダリティーカップ
[編集]- 2016年 - 不参加
極東選手権競技大会
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1913年 | 準優勝 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 2 |
1915年 | 優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 |
1917年 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 |
1919年 | 優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 5 | 3 |
1921年 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 |
1923年 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 |
1925年 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 |
1927年 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 2 |
1930年 | 優勝 | 2 | 1 | 1 | 0 | 8 | 3 |
1934年 | 優勝 | 3 | 3 | 0 | 0 | 7 | 3 |
合計 | 10/10 | 23 | 18 | 3 | 2 | 60 | 17 |
アジア競技大会
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1951年 | 不参加 | ||||||
1954年 | |||||||
1958年 | |||||||
1962年 | |||||||
1966年 | |||||||
1970年 | |||||||
1974年 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 4 |
1978年 | 3位 | 7 | 5 | 0 | 2 | 16 | 5 |
1982年 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 4 | 3 |
1986年 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 10 | 7 |
1990年 | ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 8 | 4 |
1994年 | 準優勝 | 7 | 5 | 1 | 1 | 16 | 8 |
1998年 | 3位 | 8 | 6 | 0 | 2 | 24 | 7 |
合計 | 7/13 | 49 | 31 | 4 | 14 | 107 | 50 |
EAFF E-1サッカー選手権
[編集]開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年 | 3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 4 |
2005年 | 優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 3 |
2008年 | 3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 5 | 5 |
2010年 | 優勝 | 3 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 |
2013年 | 準優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 7 | 6 |
2015年 | 準優勝 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 |
2017年 | 3位 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 |
2019年 | 3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 3 |
2022年 | 3位 | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 3 |
合計 | 9/9 | 27 | 9 | 9 | 9 | 36 | 32 |
歴代監督
[編集]- 戚務生(1994年 - 1997年)
- ボブ・ホートン(1997年 - 1999年)
- ボラ・ミルティノビッチ(2000年 - 2002年)
- アリー・ハーン(2002年 - 2004年)
- 朱広滬(2005年 - 2007年)
- ヴラディミル・ペトロヴィッチ(2007年 - 2008年)
- 高洪波(2009年 - 2011年)
- ホセ・アントニオ・カマーチョ(2011年 - 2013年)
- アラン・ペラン(2014年 - 2016年)
- 高洪波(2016年)
- マルチェロ・リッピ(2016年 - 2019年)
- ファビオ・カンナヴァーロ(2019年)
- マルチェロ・リッピ(2019年)
- 李鉄(2019年 - 2021年)
- 李霄鵬(2021年 - 2022年)
- アレクサンダル・ヤンコヴィッチ(2023年 - 2024年)
- ブランコ・イバンコビッチ(2024年 - )
歴代選手
[編集]W杯の大会メンバー
[編集]主な代表選手
[編集]
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歴代記録
[編集]出場数ランキング
[編集]- 2024年3月17日現在
順位 | 名前 | 出場 | 得点 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 李瑋峰 | 112 | 14 | 1998年 – 2011年 |
2 | 郜林 | 109 | 22 | 2005年 - 2019年 |
3 | 鄭智 | 108 | 15 | 2002年 - 2019年 |
4 | 郝海東 | 106 | 39 | 1992年 – 2004年 |
范志毅 | 106 | 17 | 1992年 – 2002年 | |
6 | 張琳芃 | 104 | 6 | 2009年 - |
7 | 武磊 | 94 | 32 | 2010年 – |
8 | 李鉄 | 92 | 6 | 1997年 – 2010年 |
9 | 蒿俊閔 | 90 | 12 | 2005年 - 2022年 |
10 | 趙旭日 | 87 | 2 | 2003年 - 2019年 |
得点数ランキング
[編集]- 2024年3月17日現在
順位 | 名前 | 得点 | 出場 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 郝海東 | 39 | 106 | 1992年 – 2004年 |
2 | 武磊 | 32 | 94 | 2010年 – |
3 | 楊旭 | 28 | 54 | 2009年 – 2023年 |
4 | 宿茂臻 | 27 | 53 | 1994年 – 2002年 |
5 | 李金羽 | 24 | 70 | 1997年 – 2008年 |
6 | 郜林 | 22 | 109 | 2005年 – 2019年 |
7 | 馬林 | 21 | 45 | 1985年 – 1990年 |
8 | 柳海光 | 20 | 57 | 1983年 – 1990年 |
黎兵 | 20 | 65 | 1992年 – 2001年 | |
10 | 趙達裕 | 19 | 29 | 1982年 – 1986年 |
于大宝 | 19 | 65 | 2010年 – |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 勝点、当該国同士の対戦成績、得失点差は同点。総得点でクウェートが1点多かった。
出典
[編集]- ^ “China matches, ratings and points exchanged”. World Football Elo Ratings: China. 18 November 2014閲覧。
- ^ “FIFA-Coca Cola Men's World Ranking”. FIFA. 2024年11月11日閲覧。
- ^ “韓国に衝撃「歴史変わった」 FIFA順位アジア5番手後退 地元紙「中国に劣る初の屈辱」”. www.football-zone.net (2017年10月17日). 2024年11月12日閲覧。
- ^ “サッカー中国代表がエウケソン招集、完全な国外出身選手では初”. www.afpbb.com (2019年8月21日). 2021年12月15日閲覧。
- ^ “中国、サッカー代表選手にタトゥー除去勧告”. AFP (2021年12月30日). 2021年12月30日閲覧。
- ^ “中国代表、4人の帰化選手は何者? ブラジルとイングランド出身、日本代表の脅威に【W杯アジア最終予選】”. フットボールチャンネル (2021年9月7日). 2021年12月29日閲覧。
- ^ “東アジア選手権、日本開催に サッカー”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2022年4月19日). 2022年4月19日閲覧。
- ^ ゲキサカ編集部 (2024年6月11日). “中国が辛くもアジア最終予選進出…タイと勝ち点、得失点、総得点で並びながら直接対決の結果で上回って2位通過”. ゲキサカ. 2024年11月12日閲覧。
- ^ 佐藤隆志. “【日本代表】7失点大敗の中国監督「大変強いチーム。アジアのトップというよりワールドクラス」 - 日本代表 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年11月12日閲覧。
- ^ “<オーストラリア・中国>開幕3連敗に落胆する中国代表イレブン(AP) - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年11月12日閲覧。
- ^ 佐藤隆志. “【W杯予選】中国、バーレーンに1-0競り勝ち暫定4位浮上 後半46分に張玉寧が決勝ゴール! - 海外サッカー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年11月14日閲覧。