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「サッカー中華人民共和国代表」の版間の差分

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'''サッカー中華人民共和国代表'''は、[[中国サッカー協会]] (CFA)によって成される[[サッカー]]のナショナルチームである。[[アジアサッカー連盟]]および[[東アジアサッカー連盟]]所属。ホームスタジアムは[[首都]]、[[北京]]にある[[北京工人体育場]]
'''サッカー中華人民共和国代表'''(サッカーちゅうかじんみんきょうわこくだいひょう)は、[[中国サッカー協会]](CFA)によって成される、[[中華人民共和国]]の[[サッカー]]の[[ナショナルチーム]]ある。


[[アジアサッカー連盟]](AFC)および[[東アジアサッカー連盟]](EAFF)に所属。ホームスタジアムは[[首都]]・[[北京]]にある[[北京工人体育場]]。
なお、[[サッカー香港代表]]、[[サッカーマカオ代表]]、[[サッカーチベット代表]]については各項目を参照。

== 概要 ==
[[FIFAワールドカップ]]本大会への出場は[[2002 FIFAワールドカップ|2002年日韓大会]]の1度である。[[AFCアジアカップ]]においては2度の準優勝を果たしており、[[EAFF E-1サッカー選手権]](旧・東アジアカップ)では、2度の優勝歴がある。
{| class="wikitable"
|+FIFAランキング<ref>{{Cite web |url=https://inside.fifa.com/fifa-world-ranking/men |title=FIFA-Coca Cola Men's World Ranking |access-date=2024-11-11 |publisher=FIFA}}</ref>
!
!順位
!アジア内順位
!発表日
|-
|現在
|92位
|13位
|2024年10月24日
|-
|最高
|48位
|8位
|2004年9月1日
|-
|最低
|109位
|13位
|2013年3月14日
|}
現行の算出方式に変更された1999年1月以降の順位。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 黎明期 ===
1913年に創設された[[極東選手権競技大会サッカー競技|極東選手権の第1回大会]]に参加し、[[サッカーフィリピン代表|フィリピン]]戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。
1913年に創設された[[極東選手権競技大会サッカー競技|極東選手権の第1回大会]]に参加し、[[サッカーフィリピン代表|フィリピン]]戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。[[FIFAワールドカップ]]には[[1958 FIFAワールドカップ|1958年スウェーデン大会]]で初めて予選に参加したが、[[サッカーインドネシア代表|インドネシア代表]]に敗退。その後[[1978 FIFAワールドカップ|1978年アルゼンチン大会]]まで不参加であり、[[1982 FIFAワールドカップ|1982年スペイン大会]]から再び予選に参加した。

1982年大会の[[1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選|アジア・オセアニア予選]]では、日本や北朝鮮を下した後、最終予選で[[サッカーニュージーランド代表|ニュージーランド]]と勝ち点・得失点差で同率2位となり、最終予選プレーオフでニュージーランドと対戦したものの1-2で敗れた。[[1986 FIFAワールドカップ|1986年メキシコ大会]]の[[1986 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]ではホームで[[サッカー香港代表|香港]]に敗れ1次予選グループ4A2位で予選敗退。[[1990 FIFAワールドカップ|1990年イタリア大会]]の[[1990 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、最終予選に進出したものの、[[サッカーカタール代表|カタール]]戦と[[サッカーアラブ首長国連邦代表|アラブ首長国連邦]]戦で共に1-0から残り数分で逆転負けするなど4位に終わり予選敗退。[[1994 FIFAワールドカップ|1994年アメリカ大会]]の[[1994 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選グループA2位で予選敗退。[[1998 FIFAワールドカップ|1998年フランス大会]]の[[1998 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]でも、最終予選に進出したもののグループA3位で予選敗退。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。

=== 初のW杯出場 ===
2000年に[[レバノン]]で開催された[[AFCアジアカップ2000]]では歴代最高タイとなる4位となり、[[2002 FIFAワールドカップ|2002年W杯日韓大会]]の[[2002 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、開催国として[[サッカー日本代表|日本]]と[[サッカー大韓民国代表|韓国]]が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けでは[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]、[[サッカーイラン代表|イラン]]、[[サッカーイラク代表|イラク]]などが全てグループAへと回り、中国はUAE、[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]、[[サッカーオマーン代表|オマーン]]、カタールなどと同じグループBとなった。そして[[ボラ・ミルティノビッチ]]に率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過し、初の本大会出場権を獲得した。その本大会では1次リーグ・グループCに入り、[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]、[[サッカーコスタリカ代表|コスタリカ]]、[[サッカートルコ代表|トルコ]]と対戦したが、3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。


その後、自国開催となった[[AFCアジアカップ2004]]で準優勝した。しかし、[[2006 FIFAワールドカップ|2006年ドイツW杯]]の[[2006 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選で[[サッカークウェート代表|クウェート]]に総得点でわずかに及ばず敗退となった<ref group="注">勝点、当該国同士の対戦成績、得失点差は同点。総得点でクウェートが1点多かった。</ref>。予選敗退後は2008年の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]に照準を合わせ世代交代を進め、[[東アジアサッカー選手権2005|2005年の東アジア選手権]]では優勝した。
[[FIFAワールドカップ]]は[[1958 FIFAワールドカップ|1958年大会]]に初めて予選に参加した。その後[[1978 FIFAワールドカップ|1978年大会]]まで不参加であり、[[1982 FIFAワールドカップ|1982年大会]]から再び予選に参加した。


=== 2010年代 ===
1982年大会の[[1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選|アジア・オセアニア予選]]では、最終予選で[[サッカーニュージーランド代表|ニュージーランド]]と勝ち点・得失点差で同率2位となり、最終予選プレーオフでニュージーランドと対戦したものの1-2で敗れた。[[1986 FIFAワールドカップ|1986年大会]]の[[1986 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選グループ4A2位で予選敗退。[[1990 FIFAワールドカップ|1990年大会]]の[[1990 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、最終予選に進出したものの4位に終わり予選敗退。[[1994 FIFAワールドカップ|1994年大会]]の[[1994 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では1次予選グループA2位で予選敗退。[[1998 FIFAワールドカップ|1998年大会]]の[[1998 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]でも、最終予選に進出したもののグループA3位で予選敗退。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。
[[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選|2010年南アフリカW杯・アジア予選]]は、[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]、イラク、カタールと同じ組となり、3次予選でグループ1最下位に終わり敗退した。韓国に対しては[[恐韓症]]とも称される程苦手意識を持っていたが、[[東アジアサッカー選手権2010|2010年の東アジア選手権]]で初対戦から32年、28試合目にして3-0で初勝利した。


[[AFCアジアカップ2011|AFCアジアカップカタール2011]]ではグループ3位で2大会連続の1次リーグ敗退という結果に終わり、[[2014 FIFAワールドカップ・アジア予選|2014年ブラジルW杯・アジア予選]]も3次予選グループA3位で敗退した。[[AFCアジアカップ2015|2015年アジアカップ豪州大会]]は[[AFCアジアカップ2015 (予選)|予選]]で苦しめられ、各組3位の最上位での出場権獲得と間一髪だった。本大会ではグループリーグを3戦全勝し3大会ぶりにベスト8に進出したが、準々決勝でオーストラリアに0-2で敗れた。
[[2002 FIFAワールドカップ|2002年大会]]の[[2002 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、開催国として[[サッカー日本代表|日本]]と[[サッカー大韓民国代表|韓国]]が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けでは、[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]、[[サッカーイラン代表|イラン]]、[[サッカーイラク代表|イラク]]などが全てグループAへと回り、中国は[[サッカーアラブ首長国連邦代表|UAE]]、[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]、[[サッカーオマーン代表|オマーン]]、[[サッカーカタール代表|カタール]]などと同じグループBとなった。そして[[ボラ・ミルティノビッチ]]に率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過。初の本大会出場権を獲得したが、その本大会では1次リーグ・グループCに入り、[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]、[[サッカーコスタリカ代表|コスタリカ]]、[[サッカートルコ代表|トルコ]]と対戦。3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。


[[EAFF E-1サッカー選手権2017]]では初戦で恐韓症とも称される韓国と対戦。前半9分に[[韋世豪]]のゴールで先制するも、直後に逆転を許したことが響き、76分に[[于大宝|ユー・ダーバオ]]のゴールで追いつくも2-2で引き分け。第2戦の日本戦はスコアレスで粘りを見せていたが、試合終盤に2点を奪われるなどして1-2で惜敗した。最終戦の[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮]]戦も28分に先制するも、試合終盤の81分にセットプレーから失点して1-1で引き分けとなり、未勝利で大会を終えることとなった。
その後、自国開催となった[[AFCアジアカップ2004]]で準優勝した。しかし[[2006 FIFAワールドカップ]]の[[2006 FIFAワールドカップ・アジア予選|アジア予選]]では、1次予選で[[サッカークウェート代表|クウェート]]に総得点で僅差で及ばず<ref group="注">勝点、当該国同士の対戦成績、得失点差は同点。総得点でクウェートが1点多かった。</ref> 敗退となった。予選敗退後は、2008年の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]に照準を合わせ世代交代を進め、[[東アジアサッカー選手権2005|2005年の東アジア選手権]]では優勝した。


[[2018 FIFAワールドカップ・アジア予選|2018年ロシアW杯・アジア予選]]では[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|3次予選]]まで進出し、グループA5位で予選敗退となったものの、第6節で韓国をホームで1-0で破った。なお、中国は最終予選は4節終了時点で勝ち点1しかない状況だったが、2006年ドイツ大会で[[サッカーイタリア代表|イタリア]]を優勝に導いた[[マルチェロ・リッピ]]が監督に就任してから残りの6試合は、前述の韓国撃破など3勝2分1敗と好調だった。この躍進もあり、2017年10月に発表された[[FIFAランキング]]では、1993年の開始以来初めて韓国を上回った(中国57位、韓国62位)<ref>{{Cite web |title=韓国に衝撃「歴史変わった」 FIFA順位アジア5番手後退 地元紙「中国に劣る初の屈辱」 |url=https://www.football-zone.net/archives/76341 |website=www.football-zone.net |date=2017-10-17 |access-date=2024-11-12 |language=ja}}</ref>。
[[2010 FIFAワールドカップ・アジア予選]]は、[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]、[[サッカーイラク代表|イラク]]、[[サッカーカタール代表|カタール]]と同じ組となり、3次予選でグループ1最下位に終わり敗退した。


[[EAFF E-1サッカー選手権2019]]では初戦の日本戦は29分、70分に失点を喫し、90分に[[董学升|ドン・シュエシェン]]のゴールで1点を返すも同点に追いつくことはできず1-2で惜敗した。第2戦の韓国戦も13分に[[金玟哉|キム・ミンジェ]]にゴールを決められてそのまま0-1で敗れ、最終戦の香港戦で2点を奪ってようやく初勝利を手にして大会を終えた。
[[サッカー大韓民国代表|韓国]]に対しては[[恐韓症]]とも称されている。なお、[[東アジアサッカー選手権2010|2010年の東アジア選手権]]で、初対戦から32年、28試合目にして3-0で初勝利した。


=== 2020年代 ===
[[2014 FIFAワールドカップ・アジア予選]]も3次予選グループA3位で敗退した。
[[2022 FIFAワールドカップ・アジア予選|2022年カタールW杯・アジア予選]]では[[2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|最終予選]]に進出。初の国外出身選手である[[ブラジル]]出身の[[エウケソン|エウケソン(艾克森)]]<ref>{{Cite web|title=サッカー中国代表がエウケソン招集、完全な国外出身選手では初|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3240776|website=www.afpbb.com|accessdate=2021-12-15|date=2019-08-21}}</ref>、アラン(阿兰)、[[アロイージオ・ドス・サントス・ゴンサウヴェス|アロイージオ(洛国富)]]、[[イギリス]]出身の[[ティアス・ブラウニング|ブラウニング(蒋光太)]]、[[ニコ・イェナリス|イェナリス(李可)]]、[[香港]]出身の{{仮リンク|戴偉浚|en|Dai Wai Tsun}}らが招集され話題となったが、中国の[[ゼロコロナ政策]]の影響でホームゲーム開催ができなかった([[カタール]]・[[ドーハ]]で開催)こともあり、全10試合でわずか1勝に留まり予選敗退となった。


2021年12月28日、[[国家体育総局|中国国家体育総局]]はサッカー代表選手に対し、[[入れ墨|タトゥー]]の除去を勧告と新たに入れることを禁止する通達を出した。また、既にタトゥーを入れている選手に対し、「特殊な状況」下で行われる練習や試合中はタトゥーを隠すよう指示した<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3383171 |title=中国、サッカー代表選手にタトゥー除去勧告 |publisher=AFP |date=2021-12-30 |accessdate=2021-12-30}}</ref>。2021年時点でブラジルなどから[[帰化]]選手も増えており<ref>{{Cite web |url=https://www.footballchannel.jp/2021/09/07/post437163/ |title=中国代表、4人の帰化選手は何者? ブラジルとイングランド出身、日本代表の脅威に【W杯アジア最終予選】 |publisher=フットボールチャンネル |date=2021-09-07 |accessdate=2021-12-29}}</ref>、その対応の一環である。
[[AFCアジアカップ2015|2015年アジアカップ]]は[[AFCアジアカップ2015 (予選)|予選]]で苦しめられ、各組3位の最上位での出場権獲得と間一髪だった。本大会ではグループリーグを3戦全勝しベスト8に進出したが、準々決勝で[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]に2-0で敗れた。


中国が[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|COVID-19]]対策を理由として開催を返上、日本開催となった[[EAFF E-1サッカー選手権2022]]では、1勝1分け1敗となり3大会連続でのグループ3位という結果に終わった<ref>{{cite web|title=東アジア選手権、日本開催に サッカー|work=時事ドットコム|publisher=[[時事通信社]]|url=https://web.archive.org/web/20220419055011/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022041900629&g=spo|date=2022-04-19|accessdate=2022-04-19}}</ref>。
[[EAFF E-1サッカー選手権2017]]では初戦で恐韓症とも称される韓国と対戦。前半9分に[[韋世豪|ウェイ・シーハオ]]のゴールで先制するも、直後に逆転を許したことが響き、76分に[[于大宝|ユー・ダーバオ]]のゴールで追いつくも2-2で引き分け。第2戦の日本戦はスコアレスで粘りを見せていたが試合終盤に2点を奪われるなどして1-2で惜敗。最終戦の北朝鮮戦も28分に先制するも、試合終盤の81分にセットプレーから失点して1-1で引き分け。未勝利で大会を終えることとなった。


本来は2023年6~7月に中国で開催予定も、COVID-19対策を理由に開催を返上、2024年1~2月に[[カタール]]で開催された[[AFCアジアカップ2023]]においてはグループステージで2分け1敗の3位、他グループとの比較で3位チームの6チーム中4位以内に入れず、グループステージで敗退した。
[[2018 FIFAワールドカップ・アジア予選]]では[[2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|3次予選]]まで進出し、グループA5位で予選敗退となったものの、第6節で韓国をホームで1-0で破った。なお、中国は最終予選は4節終了時点で勝ち点1しかない状況だったが、FIFAW杯[[2006 FIFAワールドカップ|2006年大会]]で[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]を優勝に導いた[[マルチェロ・リッピ]]が監督に就任してから残りの6試合は、前述の韓国撃破など3勝2分1敗と好調だった。


==== 北中米ワールドカップ ====
[[EAFF E-1サッカー選手権2019]]では初戦の日本戦は29分、70分に失点を喫し、90分に[[董学升|ドン・シュエシェン]]のゴールで1点を返すも同点に追いつくことはできずに1-2で惜敗。第2戦の韓国戦も13分に[[金玟哉|キム・ミンジェ]]にゴールを決められてそのまま0-1で敗れた。最終戦の香港戦で2点を奪ってようやく初勝利を手にして大会を終えた。
[[2026 FIFAワールドカップ・アジア予選|2026年北中米W杯・アジア予選]]では[[2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選|2次予選]]から苦戦し、[[サッカータイ王国代表|タイ]]と勝ち点・得失点差で並び、直接対決の成績で上回っての[[2026 FIFAワールドカップ・アジア3次予選|最終予選]](3次予選)進出と間一髪であった<ref>{{Cite web |title=中国が辛くもアジア最終予選進出…タイと勝ち点、得失点、総得点で並びながら直接対決の結果で上回って2位通過 |url=https://web.gekisaka.jp/news/worldcup/detail/?409049-409049-fl |website=ゲキサカ |date=2024-06-11 |access-date=2024-11-12 |language=ja |last=ゲキサカ編集部}}</ref>。最終予選序盤も低調が続き、初戦の日本戦で0-7と大敗<ref>{{Cite web |title=【日本代表】7失点大敗の中国監督「大変強いチーム。アジアのトップというよりワールドクラス」 - 日本代表 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/202409050001518.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-11-12 |language=ja |last=佐藤隆志}}</ref>してから、第2節でサウジアラビアに、第3節でオーストラリアに連続して逆転負けを喫して<ref>{{Cite web |title=<オーストラリア・中国>開幕3連敗に落胆する中国代表イレブン(AP) - スポニチ Sponichi Annex サッカー |url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2024/10/10/gazo/20241010s10002000349000p.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2024-11-12 |language=ja}}</ref>、開幕3連敗となった。第4節で[[サッカーインドネシア代表|インドネシア]]をホームに迎え、2-1と遅まきながら初勝利を挙げると、前半戦最後の試合で[[サッカーバーレーン代表|バーレーン]]を試合終了間際のゴールで下し、24年ぶりの出場に向けて前半戦を2勝3敗で終えた<ref>{{Cite web |title=【W杯予選】中国、バーレーンに1-0競り勝ち暫定4位浮上 後半46分に張玉寧が決勝ゴール! - 海外サッカー : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202411150000021.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-11-14 |language=ja |last=佐藤隆志}}</ref>。


== FIFAワールドカップの成績 ==
== 成績 ==
=== FIFAワールドカップ ===
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!失点
!失点
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|{{flagicon|France}} [[1998 FIFAワールドカップ|1998]]
|{{flagicon|France}} [[1998 FIFAワールドカップ|1998]]
|-
|-
|{{flagicon|South Korea}} {{flagicon|Japan}} [[2002 FIFAワールドカップ|2002]]
|{{flagicon|South Korea}} {{flagicon|Japan}} [[2002 FIFAワールドカップ|2002]]
|グループリーグ敗退
|グループリーグ敗退
|3
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|-
|{{flagicon|Germany}} [[2006 FIFAワールドカップ|2006]]
|{{flagicon|Germany}} [[2006 FIFAワールドカップ|2006]]
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|{{flagicon|South Africa}} [[2010 FIFAワールドカップ|2010年]]
|-
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|{{flagicon|South Africa}} [[2010 FIFAワールドカップ|2010]]
|{{flagicon|Brazil}} [[2014 FIFAワールドカップ|2014年]]
|-
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|{{flagicon|Brazil}} [[2014 FIFAワールドカップ|2014]]
|{{flagicon|Russia}} [[2018 FIFAワールドカップ|2018年]]
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|{{flagicon|Russia}} [[2018 FIFAワールドカップ|2018]]
|{{flagicon|Qatar}} [[2022 FIFAワールドカップ|2022年]]
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|}


== AFCアジアカップの成績 ==
=== AFCアジアカップ ===
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|-
|-
167行目: 205行目:
!失点
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|{{flagicon|HKG|1910}} [[AFCアジアカップ1956|1956]]||rowspan=5 colspan=7|''不参加''
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|-
|{{flagicon|KOR}} [[AFCアジアカップ1960|1960]]
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|-
|-
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|{{flagicon|ISR}} [[AFCアジアカップ1964|1964]]
|-
|-
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|{{flagicon|THA}} [[AFCアジアカップ1972|1972]]
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|{{flagicon|IRN|1964}} [[AFCアジアカップ1976|1976]]||'''3位'''||'''4'''||'''1'''||'''1'''||'''2'''||'''2'''||'''4'''
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|-
|{{flagicon|KUW}} [[AFCアジアカップ1980|1980]]||グループリーグ敗退||4||1||1||2||9||5
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|-
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|{{flagicon|LIB}} [[AFCアジアカップ2000|2000]]||'''4位'''||'''6'''||'''2'''||'''2'''||'''2'''||'''11'''||'''7'''
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|-
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|-
|-
|{{flagicon|QAT}} [[AFCアジアカップ2011|2011]]||グループリーグ敗退||3||1||1||1||4||4
|{{flagicon|QAT}} [[AFCアジアカップ2011|2011]]||グループリーグ敗退||3||1||1||1||4||4
|-
|-
|{{flagicon|AUS}} [[AFCアジアカップ2015|2015]]||ベスト8||4||3||0||1||5||4
|{{flagicon|AUS}} [[AFCアジアカップ2015|2015]]||ベスト8||4||3||0||1||5||4
|-
|-
|{{flagicon|UAE}} [[AFCアジアカップ2019|2019]]||ベスト8||5||3||0||2||7||7
|{{flagicon|UAE}} [[AFCアジアカップ2019|2019]]||ベスト8||5||3||0||2||7||7
|-
|{{flagicon|QAT}} [[AFCアジアカップ2023|2023年]]||グループステージ敗退||3||0||2||1||0||1
|-
|-
!合計
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!23
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!20
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!88
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|}
|}


== AFCソリダリティーカップの成績 ==
=== AFCソリダリティーカップ ===
*[[AFCソリダリティーカップ2016|2016年]] - ''不参加''
* [[AFCソリダリティーカップ2016|2016年]] - ''不参加''


== 極東選手権競技大会の成績 ==
=== 極東選手権競技大会 ===
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{|class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
|-
226行目: 266行目:
!失点
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|-
|-
!合計
!合計
256行目: 296行目:
|}
|}


== アジア競技大会の成績 ==
=== アジア競技大会 ===
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
|-
268行目: 308行目:
!失点
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|-
|-
|{{flagicon|IND}} [[1951年アジア競技大会におけるサッカー競技|1951]]||rowspan=6 colspan=7|''不参加''
|{{flagicon|IND}} [[1951年アジア競技大会におけるサッカー競技|1951]]||rowspan=6 colspan=7|''不参加''
|-
|-
|{{flagicon|PHI|1936}} [[1954年アジア競技大会におけるサッカー競技|1954]]
|{{flagicon|PHI|1936}} [[1954年アジア競技大会におけるサッカー競技|1954]]
|-
|-
|{{flagicon|JPN}} [[1958年アジア競技大会におけるサッカー競技|1958]]
|{{flagicon|JPN}} [[1958年アジア競技大会におけるサッカー競技|1958]]
|-
|-
|{{flagicon|IDN}} [[1962年アジア競技大会におけるサッカー競技|1962]]
|{{flagicon|IDN}} [[1962年アジア競技大会におけるサッカー競技|1962]]
|-
|-
|{{flagicon|THA}} [[1966年アジア競技大会におけるサッカー競技|1966]]
|{{flagicon|THA}} [[1966年アジア競技大会におけるサッカー競技|1966]]
|-
|-
|{{flagicon|THA}} [[1970年アジア競技大会におけるサッカー競技|1970]]
|{{flagicon|THA}} [[1970年アジア競技大会におけるサッカー競技|1970]]
|-
|-
|{{flagicon|IRN}} [[1974年アジア競技大会におけるサッカー競技|1974]]||グループリーグ敗退||3||1||0||2||7||4
|{{flagicon|IRN}} [[1974年アジア競技大会におけるサッカー競技|1974]]||グループリーグ敗退||3||1||0||2||7||4
|- style="background:#c96;"
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|{{flagicon|THA}} [[1978年アジア競技大会におけるサッカー競技|1978]]||3位||7||5||0||2||16||5
|{{flagicon|THA}} [[1978年アジア競技大会におけるサッカー競技|1978]]||3位||7||5||0||2||16||5
|-
|-
|{{flagicon|IND}} [[1982年アジア競技大会におけるサッカー競技|1982]]||ベスト8||4||2||1||1||4||3
|{{flagicon|IND}} [[1982年アジア競技大会におけるサッカー競技|1982]]||ベスト8||4||2||1||1||4||3
|-
|-
|{{flagicon|KOR}} [[1986年アジア競技大会におけるサッカー競技|1986]]||ベスト8||4||2||1||1||10||7
|{{flagicon|KOR}} [[1986年アジア競技大会におけるサッカー競技|1986]]||ベスト8||4||2||1||1||10||7
|-
|-
|style="border: 3px solid red"|{{flagicon|CHN}} [[1990年アジア競技大会におけるサッカー競技|1990]]||ベスト8||4||2||0||2||8||4
|style="border: 3px solid red"|{{flagicon|CHN}} [[1990年アジア競技大会におけるサッカー競技|1990]]||ベスト8||4||2||0||2||8||4
|- style="background:silver;"
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|{{flagicon|JPN}} [[1994年アジア競技大会におけるサッカー競技|1994]]||''準優勝''||7||5||1||1||16||8
|{{flagicon|JPN}} [[1994年アジア競技大会におけるサッカー競技|1994]]||''準優勝''||7||5||1||1||16||8
|- style="background:#c96;"
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|{{flagicon|THA}} [[1998年アジア競技大会におけるサッカー競技|1998]]||3位||8||6||0||2||24||7
|{{flagicon|THA}} [[1998年アジア競技大会におけるサッカー競技|1998]]||3位||8||6||0||2||24||7
|-
|-
|'''合計'''||'''7/13'''||49||31||4||14||107||50
!'''合計'''
!'''7/13'''
!49
!31
!4
!14
!107
!50
|}
|}


== EAFF E-1トボルチャンピオンシップの成績 ==
=== EAFF E-1選手権 ===
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
|-
309行目: 356行目:
!失点
!失点
|- style="background:#c96;"
|- style="background:#c96;"
|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2003|2003]]||3位||3||1||0||2||3||4
|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2003|2003]]||3位||3||1||0||2||3||4
|- style="background:gold;"
|- style="background:gold;"
|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアサッカー選手権2005|2005]]||'''優勝'''||3||1||2||0||5||3
|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアサッカー選手権2005|2005]]||'''優勝'''||3||1||2||0||5||3
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|style="border: 3px solid red"|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアサッカー選手権2008|2008]]||3位||3||1||0||2||5||5
|style="border: 3px solid red"|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアサッカー選手権2008|2008]]||3位||3||1||0||2||5||5
|- style="background:gold;"
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|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2010|2010]]||'''優勝'''||3||2||1||0||5||0
|{{Flagicon|JPN}} [[東アジアサッカー選手権2010|2010]]||'''優勝'''||3||2||1||0||5||0
|- style="background:silver;"
|- style="background:silver;"
|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアカップ2013|2013]]||''準優勝''||3||1||2||0||7||6
|{{Flagicon|KOR}} [[東アジアカップ2013|2013]]||''準優勝''||3||1||2||0||7||6
|- style="background:silver;"
|- style="background:silver;"
|style="border: 3px solid red"|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアカップ2015|2015]]||''準優勝''||3||1||1||1||3||3
|style="border: 3px solid red"|{{Flagicon|CHN}} [[東アジアカップ2015|2015]]||''準優勝''||3||1||1||1||3||3
|- style="background:#c96;"
|- style="background:#c96;"
|{{Flagicon|JPN}} [[EAFF E-1トボルチャンピオンシップ2017|2017]]||3位||3||0||2||1||4||5
|{{Flagicon|JPN}} [[EAFF E-1選手権2017|2017]]||3位||3||0||2||1||4||5
|- style="background:#c96;"
|- style="background:#c96;"
|{{Flagicon|KOR}} [[EAFF E-1トボルチャンピオンシップ2019|2019]]||3位||3||1||0||2||3||3
|{{Flagicon|KOR}} [[EAFF E-1選手権2019|2019]]||3位||3||1||0||2||3||3
|- style="background:#c96;"
|{{Flagicon|JPN}} [[EAFF E-1サッカー選手権2022|2022年]]||3位||3||1||1||1||1||3
|-
|-
|'''合計'''||8/8||24||8||8||8||35||29
!'''合計'''
!9/9
!27
!9
!9
!9
!36
!32
|}
|}


== 歴代監督 ==
== 歴代監督 ==
* {{Flagicon|CHN}} 戚務生 1994-1997
* {{Flagicon|CHN}} {{仮リンク|戚務生|en|Qi Wusheng}}(1994年 - 1997年)
* {{Flagicon|ENG}} [[ボブ・ホートン]] 1998-2000
* {{Flagicon|ENG}} [[ボブ・ホートン]](1997年 - 1999年)
* {{Flagicon|YUG}} [[ボラ・ミルティノビッチ]] 2000-2002
* {{Flagicon|YUG}} [[ボラ・ミルティノビッチ]](2000年 - 2002年)
* {{Flagicon|NED}} [[アリー・ハーン]] 2003-2004
* {{Flagicon|NED}} [[アリー・ハーン]](2002年 - 2004年)
* {{Flagicon|CHN}} [[朱広滬]] 2004-2007
* {{Flagicon|CHN}} [[朱広滬]](2005年 - 2007年)
* {{Flagicon|SRB}} [[ヴラディミル・ペトロヴィッチ]] 2007-2008
* {{Flagicon|SRB}} [[ヴラディミル・ペトロヴィッチ]](2007年 - 2008年)
* {{Flagicon|CHN}} [[高洪波]] 2009-2011
* {{Flagicon|CHN}} [[高洪波]](2009年 - 2011年)
* {{Flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・カマーチョ]] 2011-2013
* {{Flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・カマーチョ]](2011年 - 2013年)
* {{Flagicon|FRA}} [[アラン・ペラン]] 2014-2016
* {{Flagicon|FRA}} [[アラン・ペラン]](2014年 - 2016年)
* {{Flagicon|CHN}} 高洪波 2016
* {{Flagicon|CHN}} [[高洪波]](2016年)
* {{Flagicon|ITA}} [[マルチェロ・リッピ]] 2016-2019
* {{Flagicon|ITA}} [[マルチェロ・リッピ]](2016年 - 2019年)
* {{flagicon|ITA}} [[ファビオ・カンナヴァーロ]] 2019
* {{flagicon|ITA}} [[ファビオ・カンナヴァーロ]](2019年)
* {{Flagicon|ITA}} [[マルチェロ・リッピ]] 2019
* {{Flagicon|ITA}} [[マルチェロ・リッピ]](2019年)
* {{Flagicon|CHN}} [[李鉄]] 2020-
* {{Flagicon|CHN}} [[李鉄]](2019年 - 2021年)
* {{Flagicon|CHN}} [[李霄鵬]](2021年 - 2022年)
* {{Flagicon|SER}} [[アレクサンダル・ヤンコヴィッチ]](2023年 - 2024年)
* {{Flagicon|CRO}} [[ブランコ・イバンコビッチ]](2024年 - )


==選手==
== 歴代選手 ==
{{Main|Category:サッカー中国代表選手}}
===主要大会のメンバー===
*FIFAワールドカップ
**[[2002 FIFAワールドカップ参加チーム#中国|2002 FIFAワールドカップ参加チーム]]


=== W杯の大会メンバー ===
===主な歴代選手===
* [[FIFAワールドカップ]]
{{main|Category:サッカー中国代表選手}}
** [[2002 FIFAワールドカップ参加チーム #中国|2002 FIFAワールドカップ参加チーム]]

=== 主な代表選手 ===
{{col-begin}}
{{col-begin}}
{{col-2}}
{{col-2}}
*GK
*GK
**{{仮リンク|区楚良|en|Ou Chuliang}} (オウ・チューリアン) 1992-2002
**{{仮リンク|区楚良|en|Ou Chuliang}}(1992年 - 2002年)
**{{仮リンク|江津 (サッカー選手)|label=江津|en|Jiang Jin}} (ジアン・ジン) 1997-2002
**{{仮リンク|江津 (サッカー選手)|label=江津|en|Jiang Jin}}(1997年 - 2002年)
**[[曾誠]] (ゾン・チョン) 2009-
**[[曾誠]](2009年 -
**[[董蘅毅]](2012年 - )
**[[王大雷]](2012年 - )
**[[顔駿凌]](2015年 - )
{{Col-2}}
{{Col-2}}

*DF
*DF
**[[賈秀全]] (ジア・シウチュエン) 1982-1992
**[[賈秀全]](1982年 - 1992年)
**[[朱波]] (ジュー・ボー) 1983-1993
**[[朱波]](1983年 - 1993年)
**{{仮リンク|馬明宇|en|Ma Mingyu|label=}}(1984年 - 1989年)
**[[范志毅]] (ファン・ジーイー) 1992-2002
**[[范志毅]](1992年 - 2002年)
**{{仮リンク|張恩華|en|Zhang Enhua}} (ジャン・エンホア) 1995-2002
**{{仮リンク|呉承瑛|en|Wu Chengying}} (ウー・チョンイン) 1996-2002
**{{仮リンク|張恩華|en|Zhang Enhua}}(1995年 - 2002年)
**{{仮リンク|呉承瑛|en|Wu Chengying}}(1996年 - 2002年)
**[[孫継海]] (スン・ジーハイ) 1996-2008
**[[孫継海]](1996年 - 2008年)
**[[李イ鋒|李瑋峰]] (リー・ウェイフォン) 1999-2011
**[[李イ鋒|李瑋峰]](1999年 - 2011年)
**[[徐雲龍]] (シュー・ユンロン) 2000-2008
**[[徐雲龍]](2000年 - 2008年)
**[[杜威]] (ドゥー・ウェイ) 2001-2016
**[[杜威]](2001年 - 2016年)
**[[孫祥]] (スン・シアン) 2002-2013
**[[孫祥]](2002年 - 2013年)
**[[張琳ホウ|張琳芃]] (ジャン・リンポン) 2009-
**[[張琳芃]](2009年 - )
**[[栄昊]] (ロン・ハオ) 2009-
**[[栄昊]](2009年 - )
**[[李昂 (サッカー選手)|李昂]](2014年 - )
**[[王シン超]](2017年 - )
**[[李磊 (サッカー選手)|李磊]](2019年 - )
**[[朱辰傑]](2019年 - )
**[[ティアス・ブラウニング|蒋光太]](ティアス・ブラウニング、2020年 - )
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376行目: 446行目:
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*MF
*MF
**[[李明 (1971年生のサッカー選手)|李明]] (リー・ミン) 1992-2004
**[[李明 (1971年生のサッカー選手)|李明]](1992年 - 2004年)
**[[李鉄]] (リー・ティエ) 1995-2007
**[[李鉄]](1995年 - 2007年)
**{{仮リンク|馬明宇|en|Ma Mingyu|label=}} (マー・ミンユー) 1996-2002
**{{仮リンク|馬明宇|en|Ma Mingyu|label=}}(1996年 - 2002年)
**[[肇俊哲]] (ジャオ・ジュンジョー) 1998-2008
**[[肇俊哲]](1998年 - 2008年)
**[[邵佳一]] (シャオ・ジアイー) 2000-2010
**[[邵佳一]](2000年 - 2010年)
**[[鄭智]] (ジョン・ジー) 2002-
**[[鄭智]](2002年 -
**[[周海濱]] (ジョウ・ハイビン) 2003-2011
**[[周海濱]](2003年 - 2011年)
**[[趙旭日]] (ジャオ・シューリー) 2003-
**[[趙旭日]](2003年 -
**[[蒿俊閔]] (ハオ・ジュンミン) 2005-
**[[蒿俊閔]](2005年 -
**[[于海]] (ユー・ハイ) 2009-
**[[于海]](2009年 -
**[[于大宝]] (ユー・ダーバオ) 2010-
**[[于大宝]](2010年 -
**[[呉曦]] (ウー・シー) 2011-
**[[呉曦]](2011年 -
**[[張稀哲]](2011年 - )
**[[ニコ・イェナリス|李可]] (ニコ・イェナリス) 2019-
**[[ニコ・イェナリス|李可]](ニコ・イェナリス、2019年 - )
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*FW
*FW
**{{仮リンク|柳海光|en|Liu Haiguang|label=}} (リウ・ハイグアン) 1983-1990
**{{仮リンク|柳海光|en|Liu Haiguang|label=}}(1983年 - 1990年)
**{{仮リンク|馬林|en|Ma Lin (footballer)|label=}} (マー・リン) 1984-1990
**{{仮リンク|馬林|en|Ma Lin (footballer)|label=}}(1984年 - 1990年)
**{{仮リンク|黎兵|en|Li Bing (footballer)|label=}} (リー・ビン) 1992-2001
**{{仮リンク|黎兵|en|Li Bing (footballer)|label=}}(1992年 - 2001年)
**[[カク海東|郝海東]] (ハオ・ハイドン) 1992-2004
**[[郝海東]](1992年 - 2004年)
**{{仮リンク|宿茂臻|en|Su Maozhen|label=}} (スー・マオジェン) 1994-2002
**{{仮リンク|宿茂臻|en|Su Maozhen|label=}}(1994年 - 2002年)
**[[李金羽]] (リー・ジンユー) 1997-2008
**[[李金羽]](1997年 - 2008年)
**[[曲波 (サッカー選手)|曲波]] (チュー・ボー) 2001-2013
**[[曲波 (サッカー選手)|曲波]](2001年 - 2013年)
**[[コウ林|郜林]] (ガオ・リン) 2005-
**[[郜林]](2005年 -
**[[楊旭]] (ヤン・シュー) 2009-
**[[楊旭]](2009年 -
**[[于漢超]] (ユー・ハンチャオ) 2009-
**[[于漢超]](2009年 -
**[[武磊]] (ウー・レイ) 2010-
**[[武磊]](2010年 -
**[[張玉寧 (1997年生のサッカー選手)|張玉寧]](2016年 - )
**[[エウケソン・ジ・オリヴェイラ・カルドーゾ|艾克森]] (エウケソン) 2019-
**[[エウケソン・ジ・オリヴェイラ・カルドーゾ|艾克森]](エウケソン、2019年 - )
**[[アラン・ドグラス・ボルジェス・デ・カルヴァーリョ|阿兰]](アラン、2021年 - )
**[[フェルナンド・エンリケ・ダ・コンセイソン|费南多]](フェルナンジーニョ、2021年 - )
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== 個人記録 ==
== 歴代記録 ==
=== 出場数ランキング ===
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{{Updated|2024年3月17日}}
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=== 出場試合数 ===
; 2019年1月24日時点
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|-
|-
! # !! 名前 !! 出場 !! 得点 !! 期間
! 順位 !! 名前 !! 出場 !! 得点 !! 期間
|-
|-
| 1 || [[李イ鋒|李瑋]] || '''112''' || 14 || 1998–2011
| 1 || [[李瑋]] || '''112''' || 14 || 1998年 – 2011年
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| 2 || [[コウ林|郜林]] || '''109''' || 22 || 2005-
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| 3 || [[鄭智]] || '''108''' || 15 || 2002-
|-
|-
| 4 || [[カク海東|郝海東]] || '''107''' || 41 || 1992–2004
| 2 || [[郜林]] || '''109''' || 22 || 2005年 - 2019年
|-
|-
| 5 || [[范志毅]] || '''106''' || 17 || 1992–2002
| 3 || [[鄭智]] || '''108''' || 15 || 2002年 - 2019年
|-
|-
| 6 || [[李鉄]] || '''92''' || 6 || 1997–2010
| rowspan="2" | 4 || [[郝海東]] || '''106''' || 39 || 1992年 – 2004年
|-
| [[范志毅]] || '''106''' || 17 || 1992年 – 2002年
|-style="background:#CFECEC"
|-style="background:#CFECEC"
| 7 || [[趙旭日]] || '''87''' || 2 || 2003-
| 6 || [[張琳芃]] || '''104''' || 6 || 2009年 -
|-style="background:#CFECEC"
| 7 || [[武磊]] || '''94''' || 32 || 2010年 –
|-
|-
| rowspan="3" | 8 || [[馬明宇]] || '''86''' || 12 || 1996–2002
| 8 || [[李鉄]] || '''92''' || 6 || 1997年 – 2010年
|-
|-
| [[李明 (1971年生のサッカー選手)|李明]] || '''86''' || 13 || 1992–2004
| 9 || [[蒿俊閔]] || '''90''' || 12 || 2005年 - 2022年
|-
|-
| [[朱波]] || '''86''' || 9 || 1983–1993
| 10 || [[趙旭日]] || '''87''' || 2 || 2003年 - 2019年
|}
|}


=== 得点数ランキング ===
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{{Updated|2024年3月17日}}
=== 得点数 ===
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; 2019年1月24日時点
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|-
|-
! # !! 名前 !! 得点 !! 出場 !! 期間
! 順位 !! 名前 !! 得点 !! 出場 !! 期間
|-
|-
| 1 || [[カク海東|郝海東]] || '''41''' || 107 || 1992–2004
| 1 || [[郝海東]] || '''39''' || 106 || 1992年 – 2004年
|-style="background:#CFECEC"
| 2 || [[武磊]] || '''32''' || 94 || 2010年 –
|-
|-
| 2 || [[宿茂臻]] || '''27''' || 53 || 1994–2002
| 3 || [[楊旭]] || '''28''' || 54 || 2009年 – 2023年
|-
|-
| 3 || [[李金羽]] || '''24''' || 70 || 1997–2008
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| rowspan="2" | 4 || [[楊旭]] || '''22''' || 48 || 2009–
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| [[コウ林|郜林]] || '''22''' || 109 || 2005–
|-
|-
| 6 || [[馬林 (サッカー選手)|馬林]] || '''21''' || 45 || 1985–1990
| 5 || [[李金羽]] || '''24''' || 70 || 1997年 – 2008年
|-
|-
| 7 || [[柳海光]] || '''20''' || 58 || 1983–1990
| 6 || [[郜林]] || '''22''' || 109 || 2005年 – 2019年
|-
|-
| 7 || {{仮リンク|馬林 (サッカー選手)|label=馬林|en|Ma Lin (footballer)}} || '''21''' || 45 || 1985年 – 1990年
| rowspan="3" | 8 || [[趙達裕]] || '''19''' || 29 || 1982–1986
|-
|-
| rowspan="2" | 8 || {{仮リンク|柳海光|en|Liu Haiguang}} || '''20''' || 57 || 1983年 – 1990年
| [[黎兵 (サッカー選手)|黎兵]] || '''19''' || 67 || 1992–2001
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| [[于大宝]] || '''19''' || 56 || 2010–
| [[于大宝]] || '''19''' || 65 || 2010年 –
|}
|}
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== 関連項目 ==
* [[恐韓症]]
* [[サッカー中華人民共和国女子代表]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[U-23サッカー中華人民共和国代表]]
* [[中国サッカー・スーパーリーグ]]

== 外部リンク ==
* [http://www.thecfa.cn/ 中国サッカー協会]{{zh-cn icon}}{{en icon}}


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{{EAFF E-1 フットボール チャンピオンシップ 2017 中国代表}}
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2024年11月14日 (木) 16:32時点における最新版

サッカー中華人民共和国代表
国または地域 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
協会 中国サッカー協会
FIFAコード CHN
愛称 国足、龍之隊
監督 クロアチアの旗 ブランコ・イバンコビッチ
最多出場選手 李瑋峰(112試合)
最多得点選手 郝海東(39得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 フィリピン 2–1 中国
(マニラ、1913年2月4日)[1]
最大差勝利試合
 中華人民共和国 19–0 グアム 
(ホーチミン、2000年1月26日)
最大差敗戦試合
 ブラジル 8–0 中華人民共和国 
(レシフェ、2012年9月10日)
FIFAワールドカップ
出場回数 1回(初出場は2002
最高成績 グループリーグ敗退 (2002)
AFCアジアカップ
出場回数 13回
最高成績 準優勝 (1984, 2004)

サッカー中華人民共和国代表(サッカーちゅうかじんみんきょうわこくだいひょう)は、中国サッカー協会(CFA)によって構成される、中華人民共和国サッカーナショナルチームである。

アジアサッカー連盟(AFC)および東アジアサッカー連盟(EAFF)に所属。ホームスタジアムは首都北京にある北京工人体育場

概要

[編集]

FIFAワールドカップ本大会への出場は2002年日韓大会の1度である。AFCアジアカップにおいては2度の準優勝を果たしており、EAFF E-1サッカー選手権(旧・東アジアカップ)では、2度の優勝歴がある。

FIFAランキング[2]
順位 アジア内順位 発表日
現在 92位 13位 2024年10月24日
最高 48位 8位 2004年9月1日
最低 109位 13位 2013年3月14日

現行の算出方式に変更された1999年1月以降の順位。

歴史

[編集]

黎明期

[編集]

1913年に創設された極東選手権の第1回大会に参加し、フィリピン戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。FIFAワールドカップには1958年スウェーデン大会で初めて予選に参加したが、インドネシア代表に敗退。その後1978年アルゼンチン大会まで不参加であり、1982年スペイン大会から再び予選に参加した。

1982年大会のアジア・オセアニア予選では、日本や北朝鮮を下した後、最終予選でニュージーランドと勝ち点・得失点差で同率2位となり、最終予選プレーオフでニュージーランドと対戦したものの1-2で敗れた。1986年メキシコ大会アジア予選ではホームで香港に敗れ1次予選グループ4A2位で予選敗退。1990年イタリア大会アジア予選では、最終予選に進出したものの、カタール戦とアラブ首長国連邦戦で共に1-0から残り数分で逆転負けするなど4位に終わり予選敗退。1994年アメリカ大会アジア予選では1次予選グループA2位で予選敗退。1998年フランス大会アジア予選でも、最終予選に進出したもののグループA3位で予選敗退。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。

初のW杯出場

[編集]

2000年にレバノンで開催されたAFCアジアカップ2000では歴代最高タイとなる4位となり、2002年W杯日韓大会アジア予選では、開催国として日本韓国が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けではサウジアラビアイランイラクなどが全てグループAへと回り、中国はUAE、ウズベキスタンオマーン、カタールなどと同じグループBとなった。そしてボラ・ミルティノビッチに率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過し、初の本大会出場権を獲得した。その本大会では1次リーグ・グループCに入り、ブラジルコスタリカトルコと対戦したが、3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。

その後、自国開催となったAFCアジアカップ2004で準優勝した。しかし、2006年ドイツW杯アジア予選では1次予選でクウェートに総得点でわずかに及ばず敗退となった[注 1]。予選敗退後は2008年の北京オリンピックに照準を合わせ世代交代を進め、2005年の東アジア選手権では優勝した。

2010年代

[編集]

2010年南アフリカW杯・アジア予選は、オーストラリア、イラク、カタールと同じ組となり、3次予選でグループ1最下位に終わり敗退した。韓国に対しては恐韓症とも称される程苦手意識を持っていたが、2010年の東アジア選手権で初対戦から32年、28試合目にして3-0で初勝利した。

AFCアジアカップカタール2011ではグループ3位で2大会連続の1次リーグ敗退という結果に終わり、2014年ブラジルW杯・アジア予選も3次予選グループA3位で敗退した。2015年アジアカップ豪州大会予選で苦しめられ、各組3位の最上位での出場権獲得と間一髪だった。本大会ではグループリーグを3戦全勝し3大会ぶりにベスト8に進出したが、準々決勝でオーストラリアに0-2で敗れた。

EAFF E-1サッカー選手権2017では初戦で恐韓症とも称される韓国と対戦。前半9分に韋世豪のゴールで先制するも、直後に逆転を許したことが響き、76分にユー・ダーバオのゴールで追いつくも2-2で引き分け。第2戦の日本戦はスコアレスで粘りを見せていたが、試合終盤に2点を奪われるなどして1-2で惜敗した。最終戦の北朝鮮戦も28分に先制するも、試合終盤の81分にセットプレーから失点して1-1で引き分けとなり、未勝利で大会を終えることとなった。

2018年ロシアW杯・アジア予選では3次予選まで進出し、グループA5位で予選敗退となったものの、第6節で韓国をホームで1-0で破った。なお、中国は最終予選は4節終了時点で勝ち点1しかない状況だったが、2006年ドイツ大会でイタリアを優勝に導いたマルチェロ・リッピが監督に就任してから残りの6試合は、前述の韓国撃破など3勝2分1敗と好調だった。この躍進もあり、2017年10月に発表されたFIFAランキングでは、1993年の開始以来初めて韓国を上回った(中国57位、韓国62位)[3]

EAFF E-1サッカー選手権2019では初戦の日本戦は29分、70分に失点を喫し、90分にドン・シュエシェンのゴールで1点を返すも同点に追いつくことはできず1-2で惜敗した。第2戦の韓国戦も13分にキム・ミンジェにゴールを決められてそのまま0-1で敗れ、最終戦の香港戦で2点を奪ってようやく初勝利を手にして大会を終えた。

2020年代

[編集]

2022年カタールW杯・アジア予選では最終予選に進出。初の国外出身選手であるブラジル出身のエウケソン(艾克森)[4]、アラン(阿兰)、アロイージオ(洛国富)イギリス出身のブラウニング(蒋光太)イェナリス(李可)香港出身の戴偉浚英語版らが招集され話題となったが、中国のゼロコロナ政策の影響でホームゲーム開催ができなかった(カタールドーハで開催)こともあり、全10試合でわずか1勝に留まり予選敗退となった。

2021年12月28日、中国国家体育総局はサッカー代表選手に対し、タトゥーの除去を勧告と新たに入れることを禁止する通達を出した。また、既にタトゥーを入れている選手に対し、「特殊な状況」下で行われる練習や試合中はタトゥーを隠すよう指示した[5]。2021年時点でブラジルなどから帰化選手も増えており[6]、その対応の一環である。

中国がCOVID-19対策を理由として開催を返上、日本開催となったEAFF E-1サッカー選手権2022では、1勝1分け1敗となり3大会連続でのグループ3位という結果に終わった[7]

本来は2023年6~7月に中国で開催予定も、COVID-19対策を理由に開催を返上、2024年1~2月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023においてはグループステージで2分け1敗の3位、他グループとの比較で3位チームの6チーム中4位以内に入れず、グループステージで敗退した。

北中米ワールドカップ

[編集]

2026年北中米W杯・アジア予選では2次予選から苦戦し、タイと勝ち点・得失点差で並び、直接対決の成績で上回っての最終予選(3次予選)進出と間一髪であった[8]。最終予選序盤も低調が続き、初戦の日本戦で0-7と大敗[9]してから、第2節でサウジアラビアに、第3節でオーストラリアに連続して逆転負けを喫して[10]、開幕3連敗となった。第4節でインドネシアをホームに迎え、2-1と遅まきながら初勝利を挙げると、前半戦最後の試合でバーレーンを試合終了間際のゴールで下し、24年ぶりの出場に向けて前半戦を2勝3敗で終えた[11]

成績

[編集]

FIFAワールドカップ

[編集]
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
ウルグアイの旗 1930年 不参加
イタリアの旗 1934年
フランスの旗 1938年
ブラジルの旗 1950年
スイスの旗 1954年
スウェーデンの旗 1958年 予選敗退
チリの旗 1962年 不参加
イングランドの旗 1966年
メキシコの旗 1970年
西ドイツの旗 1974年
アルゼンチンの旗 1978年
スペインの旗 1982年 予選敗退
メキシコの旗 1986年
イタリアの旗 1990年
アメリカ合衆国の旗 1994年
フランスの旗 1998年
大韓民国の旗 日本の旗 2002年 グループリーグ敗退 3 0 0 3 0 9
ドイツの旗 2006年 予選敗退
南アフリカ共和国の旗 2010年
ブラジルの旗 2014年
ロシアの旗 2018年
カタールの旗 2022年
合計 1/22 3 0 0 3 0 9

AFCアジアカップ

[編集]
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
香港の旗 1956年 不参加
大韓民国の旗 1960年
イスラエルの旗 1964年
イランの旗 1968年
タイ王国の旗 1972年
イランの旗 1976年 3位 4 1 1 2 2 4
クウェートの旗 1980年 グループリーグ敗退 4 1 1 2 9 5
シンガポールの旗 1984年 準優勝 6 4 0 2 11 4
カタールの旗 1988年 4位 6 2 2 2 7 5
日本の旗 1992年 3位 5 1 3 1 6 6
アラブ首長国連邦の旗 1996年 ベスト8 4 1 0 3 6 7
レバノンの旗 2000年 4位 6 2 2 2 11 7
中華人民共和国の旗 2004年 準優勝 6 3 2 1 13 6
インドネシアの旗 マレーシアの旗 タイ王国の旗 ベトナムの旗 2007年 グループリーグ敗退 3 1 1 1 7 6
カタールの旗 2011年 グループリーグ敗退 3 1 1 1 4 4
オーストラリアの旗 2015年 ベスト8 4 3 0 1 5 4
アラブ首長国連邦の旗 2019年 ベスト8 5 3 0 2 7 7
カタールの旗 2023年 グループステージ敗退 3 0 2 1 0 1
合計 13/18 59 23 15 21 88 66

AFCソリダリティーカップ

[編集]

極東選手権競技大会

[編集]
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
フィリピンの旗 1913年 準優勝 2 1 0 1 2 2
中華民国の旗 1915年 優勝 3 1 2 0 2 1
日本の旗 1917年 優勝 2 2 0 0 8 0
フィリピンの旗 1919年 優勝 3 2 0 1 5 3
中華民国の旗 1921年 優勝 2 2 0 0 5 1
日本の旗 1923年 優勝 2 2 0 0 8 1
フィリピンの旗 1925年 優勝 2 2 0 0 7 1
中華民国の旗 1927年 優勝 2 2 0 0 8 2
日本の旗 1930年 優勝 2 1 1 0 8 3
フィリピンの旗 1934年 優勝 3 3 0 0 7 3
合計 10/10 23 18 3 2 60 17

アジア競技大会

[編集]
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
インドの旗 1951年 不参加
フィリピンの旗 1954年
日本の旗 1958年
インドネシアの旗 1962年
タイ王国の旗 1966年
タイ王国の旗 1970年
イランの旗 1974年 グループリーグ敗退 3 1 0 2 7 4
タイ王国の旗 1978年 3位 7 5 0 2 16 5
インドの旗 1982年 ベスト8 4 2 1 1 4 3
大韓民国の旗 1986年 ベスト8 4 2 1 1 10 7
中華人民共和国の旗 1990年 ベスト8 4 2 0 2 8 4
日本の旗 1994年 準優勝 7 5 1 1 16 8
タイ王国の旗 1998年 3位 8 6 0 2 24 7
合計 7/13 49 31 4 14 107 50

EAFF E-1サッカー選手権

[編集]
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
日本の旗 2003年 3位 3 1 0 2 3 4
大韓民国の旗 2005年 優勝 3 1 2 0 5 3
中華人民共和国の旗 2008年 3位 3 1 0 2 5 5
日本の旗 2010年 優勝 3 2 1 0 5 0
大韓民国の旗 2013年 準優勝 3 1 2 0 7 6
中華人民共和国の旗 2015年 準優勝 3 1 1 1 3 3
日本の旗 2017年 3位 3 0 2 1 4 5
大韓民国の旗 2019年 3位 3 1 0 2 3 3
日本の旗 2022年 3位 3 1 1 1 1 3
合計 9/9 27 9 9 9 36 32

歴代監督

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歴代選手

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W杯の大会メンバー

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主な代表選手

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歴代記録

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出場数ランキング

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2024年3月17日現在
  水色は現役代表選手
順位 名前 出場 得点 期間
1 李瑋峰 112 14 1998年 – 2011年
2 郜林 109 22 2005年 - 2019年
3 鄭智 108 15 2002年 - 2019年
4 郝海東 106 39 1992年 – 2004年
范志毅 106 17 1992年 – 2002年
6 張琳芃 104 6 2009年 -
7 武磊 94 32 2010年 –
8 李鉄 92 6 1997年 – 2010年
9 蒿俊閔 90 12 2005年 - 2022年
10 趙旭日 87 2 2003年 - 2019年

得点数ランキング

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2024年3月17日現在
  水色は現役代表選手
順位 名前 得点 出場 期間
1 郝海東 39 106 1992年 – 2004年
2 武磊 32 94 2010年 –
3 楊旭 28 54 2009年 – 2023年
4 宿茂臻 27 53 1994年 – 2002年
5 李金羽 24 70 1997年 – 2008年
6 郜林 22 109 2005年 – 2019年
7 馬林英語版 21 45 1985年 – 1990年
8 柳海光英語版 20 57 1983年 – 1990年
黎兵英語版 20 65 1992年 – 2001年
10 趙達裕英語版 19 29 1982年 – 1986年
于大宝 19 65 2010年 –

脚注

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注釈

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  1. ^ 勝点、当該国同士の対戦成績、得失点差は同点。総得点でクウェートが1点多かった。

出典

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  1. ^ China matches, ratings and points exchanged”. World Football Elo Ratings: China. 18 November 2014閲覧。
  2. ^ FIFA-Coca Cola Men's World Ranking”. FIFA. 2024年11月11日閲覧。
  3. ^ 韓国に衝撃「歴史変わった」 FIFA順位アジア5番手後退 地元紙「中国に劣る初の屈辱」”. www.football-zone.net (2017年10月17日). 2024年11月12日閲覧。
  4. ^ サッカー中国代表がエウケソン招集、完全な国外出身選手では初”. www.afpbb.com (2019年8月21日). 2021年12月15日閲覧。
  5. ^ 中国、サッカー代表選手にタトゥー除去勧告”. AFP (2021年12月30日). 2021年12月30日閲覧。
  6. ^ 中国代表、4人の帰化選手は何者? ブラジルとイングランド出身、日本代表の脅威に【W杯アジア最終予選】”. フットボールチャンネル (2021年9月7日). 2021年12月29日閲覧。
  7. ^ 東アジア選手権、日本開催に サッカー”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2022年4月19日). 2022年4月19日閲覧。
  8. ^ ゲキサカ編集部 (2024年6月11日). “中国が辛くもアジア最終予選進出…タイと勝ち点、得失点、総得点で並びながら直接対決の結果で上回って2位通過”. ゲキサカ. 2024年11月12日閲覧。
  9. ^ 佐藤隆志. “【日本代表】7失点大敗の中国監督「大変強いチーム。アジアのトップというよりワールドクラス」 - 日本代表 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年11月12日閲覧。
  10. ^ <オーストラリア・中国>開幕3連敗に落胆する中国代表イレブン(AP) - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年11月12日閲覧。
  11. ^ 佐藤隆志. “【W杯予選】中国、バーレーンに1-0競り勝ち暫定4位浮上 後半46分に張玉寧が決勝ゴール! - 海外サッカー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年11月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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