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朱波

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朱 波
名前
ラテン文字 Zhu Bo
基本情報
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
生年月日 (1960-09-24) 1960年9月24日(64歳)
出身地 遼寧省大連市
身長 174cm
選手情報
ポジション DF(RB)
ユース
1974-1978 中華人民共和国の旗 八一
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1993 中華人民共和国の旗 八一
1994-1997 中華人民共和国の旗 深圳
代表歴
1983-1993  中華人民共和国 86 (1)
監督歴
1999 中華人民共和国の旗 武漢紅桃(アシスタント)
2000-2002 中華人民共和国の旗 大連実徳(アシスタント)
2004 中華人民共和国の旗 湖南湘軍
2005 中華人民共和国の旗 雲南麗江
2006 中華人民共和国の旗 南昌八一衡源
2006-2008 中華人民共和国の旗 瀋陽金徳/長沙金徳(アシスタント)
2008-2009 中華人民共和国の旗 長沙金徳
2010 中華人民共和国の旗 深圳紅鑽(GM)
2011-2012 中華人民共和国の旗 深圳鳳凰/広州富力
2013 中華人民共和国の旗 深圳風鵬
2015 中華人民共和国の旗 銀川賀蘭山
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

朱 波(しゅ は、1960年9月24日 - )は、中華人民共和国の元サッカー選手、サッカー指導者。元中華人民共和国代表。現役時代のポジションはディフェンダー

クラブ歴

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ユースから育った八一足球隊でサッカー選手となった。1981年にはリーグ優勝を果たした[1]。クラブでは主将となり1986年にもリーグ制覇を果たしている[2]。1993年まで同チームに所属したものの、1994年には新たな挑戦として深圳足球倶楽部に移籍し、同チームのリーグ制覇に貢献した。

代表歴

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1981年のリーグ優勝以降、代表にも招集されるようになり、1983年12月4日のオーストラリア代表戦で代表初出場をし、この試合は2-1で勝利した[3]。そのパフォーマンスの高さは彼を代表のレギュラーたらしめ、AFCアジアカップ1984では同国に準優勝を齎した主要メンバーとなった。その後、同国の主将となり、複数の大会に挑んだものの、芳しい成績を獲得するには至らなかった。

監督歴

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選手を引退した後は指導者となるためにイタリアへ渡った。1年を経て、武漢紅桃足球倶楽部のアシスタントとなったものの、シーズン中に監督をクラブが見つけたために、短期の雇用となった。その後、大連実徳足球倶楽部のアシスタントに就任。ここで3年を過ごしたのち、湖南湘軍足球倶楽部の監督に就任。しかし、成績があまり芳しくなかったため、よりレベルの低いリーグの監督として暫くを過ごした。その後瀋陽金徳足球倶楽部のアシスタントとなり1部のスタッフに復帰。その後は同クラブの監督を務め、11位の成績を残した[4]

タイトル

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選手

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八一
深圳
  • 全国サッカー甲Cリーグ: 1994
  • 全国サッカーBリーグ: 1995

参考文献

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  1. ^ China 1981”. rsssf.com (22 Oct 2009). 2012年9月21日閲覧。
  2. ^ China 1986”. rsssf.com (22 Oct 2009). 2012年9月21日閲覧。
  3. ^ China PR 2-1 Australia”. teamchina.freehostia.com (1983年12月4日). 2012年9月21日閲覧。
  4. ^ China 2008”. rsssf.com (3 Apr 2009). 2012年9月21日閲覧。

外部リンク

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先代
馬林
サッカー中華人民共和国代表主将
1992-1993
次代
徐弘