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汪嵩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
汪嵩
名前
カタカナ ワン・ソン
ラテン文字 Wang Song
簡体字 汪嵩
基本情報
国籍 中華人民共和国の旗 中国
生年月日 (1983-10-12) 1983年10月12日(41歳)
出身地 貴州省貴陽市
身長 177cm
選手情報
在籍チーム 中華人民共和国の旗 四川九牛
ポジション MF
背番号 33
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2005 中華人民共和国の旗 四川冠城 95 (13)
2006-2009 中華人民共和国の旗 成都謝菲聯 105 (30)
2010-2014 中華人民共和国の旗 杭州緑城 142 (26)
2015-2016 中華人民共和国の旗 広州富力 60 (3)
2017-2019 中華人民共和国の旗 江蘇蘇寧 62 (7)
2020- 中華人民共和国の旗 四川九牛
代表歴
2008-2011 中華人民共和国の旗 中国 9 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

汪 嵩(おう すう、1983年10月12日 - )は、中華人民共和国貴州省貴陽市出身のサッカー選手中国サッカー・甲級リーグ四川九牛足球倶楽部所属。ポジションはミッドフィールダー

経歴

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2000年に四川冠城足球倶楽部でレフトミッドフィールダーとしてデビューし、2005年に同チームが解散にいたるまで、レギュラーの座を獲得するなど、徐々に力をつけて行く。2006年から2009年まで成都謝菲聯足球倶楽部に所属し、フォワードやキャプテンも務める。2007年には同チームの24試合に出場し、17ゴールをあげて得点ランキングで首位を獲得。その活躍により、同年11月中国代表に選出。中国代表を指揮したヴラディミル・ペトロヴィッチ監督に認められ、2008年1月20日に行われたレバノン代表との試合で、国際デビューを果たす。[1] 「中国のオーウェン」と呼ばれるほどの実力を誇り、ブルガリアのチームに移籍すると噂されたが、結局破談になる。2008年には所属の成都謝菲聯が1部リーグの中国超級で13位にまで上りつめたものの、翌年降格し、杭州緑城足球倶楽部への移籍が決定した。

私生活

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2006年ミス・ユニバース中国四川地区代表の曽美娟と、6年間交際していた[要出典]

その他

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2012年杭州緑城の監督に就任した岡田武史について、CCTVのインタビューで「岡田監督はとても良い監督だ。デビューしたばかりの若手選手がすぐにこんな良い監督のもとでプレーできるなんて、本当に羨ましい。実力さえ有れば、出場のチャンスがある」と答え、賄賂コネが横行する中国サッカー界に、岡田が公正な実力主義を導入していることを喜んだ[要出典]

脚注

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外部リンク

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