「琴引浜」の版間の差分
敬称略 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
|||
(20人の利用者による、間の82版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
[[File:Kotohiki beach.jpg| |
[[File:Kotohiki beach.jpg|thumb|300px|琴引浜]] |
||
[[File:Kotohikihama singing sand.webm|thumbnail| |
[[File:Kotohikihama singing sand.webm|thumbnail|180px|琴引浜の鳴き砂の音。琴引浜ガイドシンクロの人物による実演]] |
||
'''琴引浜'''(ことひきはま)は、[[京都府]][[京丹後市]][[網野町]]掛津地区および遊地区にまたがる海岸線の[[砂浜]]である |
'''琴引浜'''(ことひきはま)は、[[丹後天橋立大江山国定公園]]の丹後半島海岸地区の一部で、[[京都府]][[京丹後市]][[網野町]]掛津地区および遊地区にまたがる海岸線の[[砂浜]]である{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=1}}<ref name="kyoto">{{Cite web|和書|date= |url=http://www.pref.kyoto.jp/tango/tango-doboku/miryoku_kotohiki.html |title=琴引浜 |publisher=京都府 丹後広域振興局 |accessdate=2018-01-22}}</ref>。古くは琴曳浜{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=1}}、琴弾浜とも表記された{{sfn|上田正昭|1994|page=231}}。摩擦係数の大きな[[石英]]を多く含むため、砂の乾燥した時期に歩くと砂の振動から「キュッキュッ」あるいは「ブブゥブブゥ」という音が鳴る{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=1}}。[[鳴き砂]]の浜としては、日本最大級の規模をもつ<ref name="京都新聞20080627"/>。 |
||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
[[日本海]]に面した[[砂浜]]で、[[花崗岩]]質の白砂から成り立っている |
[[日本海]]に面した[[砂浜]]で、[[花崗岩]]質の白砂から成り立っている{{sfn|上田|1994|page=231}}。'''[[鳴き砂]]'''で有名な白砂青松の景勝地で、幅70~80メートル<ref name="日本砂浜紀行60p">{{Cite book|和書|author=江川善則 |title=改訂日本砂浜紀行 |publisher=日本図書刊行会 |year=2003 |page=60 |isbn=}}</ref>。全長は1.8 キロメートルとされるが、砂浜は約1キロメートル<ref name="日本砂浜紀行60p"/>。[[1987年]]([[昭和]]62年)に[[網野町]]の指定文化財に指定され{{sfn|「日本の渚・百選」中央委員会|1997|page=631}}、2007年(平成19年)には国の[[天然記念物]]及び[[名勝]]に指定された。また、琴引浜は[[日本の白砂青松100選]](1987年)、[[日本の渚百選]](1996年)、[[残したい日本の音風景100選]](1996年)に選ばれている{{sfn|京丹後市の自然|2015|page=88}}。2002年には同町内に[[琴引浜鳴き砂文化館]]が開館され、琴引浜を中心として世界の鳴き砂の展示や鳴き砂を事例に環境問題への啓蒙活動を行っている。 |
||
2001年(平成13年)に |
最大の特徴である'''鳴き砂'''は、摩擦係数の大きい[[石英]]を約7割含む砂同士の摩擦による振動により、音が鳴る{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=4-5}}。砂の表面が他の物質で汚染されれば摩擦は小さくなり、砂は鳴らなくなるため、きれいな砂浜を守るための保全活動に高い関心が向けられている。2001年(平成13年)に網野町美しいふるさとづくり条例が制定され、'''世界初の禁煙ビーチ'''となった{{sfn|安松|2011|page=17}}。また、「琴引浜の鳴り砂を守る会」がゴミなどの清掃活動を行っている。琴引浜鳴き砂文化館では琴引浜に打ち上げられた漂流物が展示されており、韓国からのゴミや過去の[[ナホトカ号重油流出事故|ナホトカ号重油]]の被害で鳴かなくなった鳴き砂を取り戻す作業風景の写真などが展示されている。1994年(平成6年)から毎年、ビーチ清掃を広める環境イベントとして「[[はだしのコンサート]]」が続いている<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO08857360X21C16A0BE0P00/ 音楽家 杉山清貴(5) ビーチ・クリーン・ライブ]『日本経済新聞』2016年10月28日</ref>。 |
||
号重油]]の被害で鳴かなくなった鳴き砂を取り戻す作業風景の写真などが展示されている。1994年(平成6年)から毎年、ビーチ清掃を広める環境イベントとして「[[はだしのコンサート]]」が続いている<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO08857360X21C16A0BE0P00/ 音楽家 杉山清貴(5) ビーチ・クリーン・ライブ]『日本経済新聞』2016年10月28日</ref>。 |
|||
夏には、[[海水浴]]客でにぎわう。海水浴シーズンを迎えると[[海開き]]が行われ、海開きの日には安全祈願祭が営まれる。[[2019年]]([[令和]]元年)は、6月30日に海開きした<ref name="京都新聞海開き2019">{{Cite news |title=京丹後 府内トップ切り海開き |newspaper=京都新聞 地域面 |date=2019-07-01 |author=片村有宏 |page=23}}</ref>。 |
夏には、[[海水浴]]客でにぎわう。海水浴シーズンを迎えると[[海開き]]が行われ、海開きの日には安全祈願祭が営まれる。[[2019年]]([[令和]]元年)は、6月30日に海開きした<ref name="京都新聞海開き2019">{{Cite news |title=京丹後 府内トップ切り海開き |newspaper=京都新聞 地域面 |date=2019-07-01 |author=片村有宏 |page=23}}</ref>。 |
||
== 名 |
== 地名について == |
||
琴引浜という名前は、[[鳴き砂]]の「キュッキュッ」という音を琴の音色にたとえたことに由来している。 |
琴引浜という名前は、[[鳴き砂]]の「キュッキュッ」という音を琴の音色にたとえたことに由来している{{sfn|上田|1994}}。琴弾浜とも書く{{sfn|上田|1994}}。また、地形学的に「琴弾(ことひき)」という名前は、「小峠」が「寿」に、そして「琴弾」に転訛したものといわれている{{sfn|澤潔|1982|page=97}}。 |
||
古くは掛の浜、掛津の浜であり{{sfn|京都地名語源辞典|2013}}、琴引浜という名前が見えるのは、江戸時代の文献からである。 |
|||
[[安永]]2年([[1773年]])から[[享和]]元年([[1801年]])に著述された博物誌『[[雲根志]]』では、「琴曳濱」と記され、「丹後国琴曳濱は一はまのころず砂紫(いさご)白にして透き、明らかに他の色なし。俗銀砂(ぎんしゃ)という。水晶砂とも琴曳砂ともいう。はなはだ清浄明白なり。この砂中を歩き行くに、自然として琴の音あり。雨後は一入調子高し。予が知れる人に琴を愛せる人あり。ここに至ってみずからこころむるに、実にあざやかなり。十三の調子音律ともに分ると。(原文ママ)」と述べられている<ref name="雲根志"/>。また、ある人がこの琴曳濱の砂を大いに気に入り求め得て他の場所に敷きその上を歩いてみたが、琴のような音は鳴らなかったとも述べられている<ref name="雲根志">{{Cite book|和書|author=今井功 |title=雲根志 |publisher=築地書館 |date=1969 |page=137 |isbn=}}</ref>{{sfn|雲根志|1773−1801}}{{sfn|雲根志|2010}}。 |
|||
[[1763年]]([[宝暦]]13年)から[[1842年]]([[天保]]13年)にかけて執筆された『丹哥府志』では、琴引浜について「太鼓濱前後六七丁の間、足をひいて砂を磨る其聲涓然として微妙の音あり。螺狀元の金微功奏蟬聲細玉□(車へんに今)輕調鶴管淸といふ一聯を急歩の間に記し得たり、實に天地の無絃琴なり。」とある<ref>{{Cite book|和書|author= |title=丹後郷土資料集第一編 |publisher=龍燈社 |date=1938 |page=355 |isbn=}}</ref>。鳴き砂の保全活動に後半生をささげた[[粉体工学]]研究者・[[三輪茂雄]]の解説によれば「琴引浜は太鼓浜の前後、六、七丁の間、足をひいて砂を磨る、その声琅然(ろうせん)として微妙の音あり。羅状元の金微巧奏蝉声細玉珍軽調鶴管清という一聯を、急歩緩歩の間に記し得たり。実に天地の無弦琴なり」と絶賛したもので、鳴き砂の浜は世界各地にあるが、このように古くから注目を集め、賞賛された記録が残る例は他にない<ref name="三輪1982,77p">{{Cite book|和書|author=三輪茂雄 |title=鳴き砂幻想―ミュージカル・サンドの謎を追う― |publisher=ダイヤモンド社 |date=1982 |page=77 |isbn=}}</ref><ref name="トラスト2p">{{Cite book|和書|author=日本ナショナルトラスト |title=トラスト*ブックシリーズ18 琴引浜 |publisher=網野町教育委員会 |date=1987 |page=2 |isbn=}}</ref>。 |
|||
[[宝暦]]13年([[1763年]])から[[天保]]13年([[1842年]])にかけて執筆された地誌『[[丹哥府志]]<ref group="注">「丹哥」は丹後を意味する。『丹哥府志』は、丹後地方全域の地理と歴史を総括した近代までの資料としてはほぼ唯一の総史である。1761年(宝暦11年)から1763年(宝暦13年)にかけて、宮津藩の藩主の命により『宮津府志』を編纂した小林玄章が、その対象地域を丹後全域に広め、子の之保、孫の之原が引き継いで80年後の1841年(天保12年)に完成させた。原本の所在は不明となっているが、宮津藩に保管されていた写本を元に復刻されている。(出典:『丹後郷土史料集 第一輯 丹哥府志』1-2p)</ref>』では、掛の濱・太鼓濱の説明に続き、琴引濱について「太皷濱前後六七丁の間、足をひいて砂を磨る其聲涓然として微妙の音あり。螺狀元の金微功奏蟬聲細玉□(車偏に今)輕調鶴管淸といふ一聯を急歩緩歩の間に□(言偏に巳)し得たり、實に天地の無絃琴なり。」とある<ref>{{Cite book|和書|author= |title=丹後郷土資料集第一編 |publisher=龍燈社 |date=1938 |page=355 |isbn=}}</ref> {{sfn|丹哥府誌|1842}}。 |
|||
[[天保]]7年([[1836年]])に描かれた『丹後竹野郡掛津村耕地図』では、地図の北、海に面した白浜に「琴引濱」と記されている{{sfn|耕地図|1836}}。 |
|||
== 地理 == |
== 地理 == |
||
20行目: | 24行目: | ||
[[File:Kotohiki-Hama Beach Aerial photograph.1975.jpg|230px|thumb|琴引浜周辺の空中写真。<br />{{国土航空写真}}。<small>(1975年9月11日撮影)</small>]] |
[[File:Kotohiki-Hama Beach Aerial photograph.1975.jpg|230px|thumb|琴引浜周辺の空中写真。<br />{{国土航空写真}}。<small>(1975年9月11日撮影)</small>]] |
||
=== 地形・地質 === |
=== 地形・地質 === |
||
琴引浜は、「網野砂丘」と称されるゆるやかな砂丘が海岸に |
琴引浜は、「網野砂丘」と称されるゆるやかな砂丘が海岸に沿って連なり、約7万年前に形成された古砂丘と、古砂丘の上30センチメートルほど被さるように海側に展開する約5,000年前に形成された新砂丘とで形成される<ref name="新京都五億年の旅"/>。2つの砂丘の下には、約1,300万年前の地層「網野累層」があり、[[砂岩]]、[[泥岩]]、[[凝灰岩]]、[[礫岩]]で形成されている<ref name="新京都五億年の旅"/>。この地層は[[丹後半島]]の海岸の崖や、琴引浜中央部に露出する[[岩礁]]を見ることができる<ref name="新京都五億年の旅">{{Cite book|和書|author=地学団体研究会京都支部 |title=新京都五億年の旅 |publisher=法律文化社 |year=1990 |page=136 |isbn=}}</ref>。 |
||
海岸を東からみていくと、東側には、飛砂防止堤が延び、その先には[[間人]]海岸を臨むことができる。浜の中央よりやや東側に流れ出る'''掛津川'''は、地元では景気川と呼ばれ、この小川は海流の影響を受けて浜辺の流路が変化する。その流れの方角で景気を占った{{sfn|三輪|1982,77p"}}。浜のほぼ中央には1年を通して水が枯れたことがない'''白滝'''があり、『丹哥府志』によれば「瀧の高サ一丈餘り。山の半腹より水流れ出て岩に添ふて瀧となる。瀧の源川あるにあらず、小濱村の湖水爰(ここ)に流れ来るといふ。」と記される(原文ママ)<ref name="丹哥府志355p">{{Cite book|和書|author=日本佛書センター |title=丹哥府志 |publisher=世界聖典刊行協会 |date=1979 |page=355 |isbn=}}</ref>。かつてはこの滝の上に白滝大明神が祀られたが、1757年には場所を移したとみられる{{sfn|日本ナショナルトラスト|page=6-7 }}([[#白滝神社の棘のないサザエ伝説|後述]])。 |
|||
砂は、細かく均一な白っぽいベージュ色で、ザラザラとした固さがある<ref name="日本砂浜紀行60p"/>。砂の主成分である[[石英]]は、約6,100万年前、地下で生まれた[[花崗岩]][[マグマ]]が上昇し冷え固まったものとみられ、山地から[[円山川]]や[[田川]]によって削られ海に運ばれた海底堆積砂が、[[沿岸流]]によってうちあげられ、砂浜を形成したものとみられる<ref name="江川2007,44p">{{Cite book|和書|author=江川善則 |title=日本砂浜紀行4 |publisher=江川善則 |year=2007 |page=44 |isbn=}}</ref>。石英は[[水晶]]の一種であり、水晶は一般的に六角柱の形状を成すが、琴引浜の石英は高温条件で生成されたため柱部分を持たない「高温石英」の特徴で、丸みを帯びている<ref name="トラスト4-5p"/>。[[宮津市|宮津]]花崗岩は、粗い粒の白い岩で[[砂鉄]]を多く含むのが特徴であり、[[丹後半島]]各所にみられる<ref name="安松2011,17p"/>。東方向には飛砂防止堤が延び、その先には[[間人]]海岸を臨むことができる。 |
|||
海岸には[[陸繋砂州]](トンボロ地形)が見られ、岩に波の力が弱められた結果、内側に洗われた砂が寄る。拳でたたくとドンドンと、まるで |
海岸中央より西にかけては[[陸繋砂州]](トンボロ地形)が見られ、岩に波の力が弱められた結果、内側に洗われた砂が寄る。波で洗われて表面に付着物のないきれいな砂は砂同士が触れ合う際の摩擦が大きく、乾燥していると音が鳴る。この場所が'''鳴き砂'''の浜である<ref name="新京都五億年の旅"/>。拳でたたくとドンドンと、まるで太鼓のような響きを出す場所があり、ここは'''太鼓浜'''と呼ばれている{{sfn|安松|2011}}。砂が岩盤の上を移動するので、時期によって太鼓浜の位置も移動する。琴引浜を含む「網野海岸」の地質は、第三紀層[[堆積岩]]のうえに海浜礫の基底礫層が不均一に重なり、その上に海成の砂層が重なったものである<ref name="網野町誌(上)32p"/>。かつて海底だった場所が地殻変動によって隆起し、波で浸食された海岸線が崖になったもので、その前面にできる[[波食台]]が、その後のさらなる隆起によって海水面より1~2メートル高くなった場所の一部が、琴引浜の岩盤となっている<ref name="網野町誌(上)32p">{{Cite book|和書|author=網野町誌編さん委員会 |title=網野町誌(上) |publisher=網野町 |date=1992 |page=32 |isbn=}}</ref>。 |
||
浜の一画に'''源泉'''が沸き出でる場所があり、「琴引温泉」とよばれる<ref name="網野町誌(上)60p">{{Cite book|和書|author=網野町誌編さん委員会 |title=網野町誌(上) |publisher=網野町 |date=1992 |page=60 |isbn=}}</ref>。食塩を含む[[硫黄]]単純泉が浜から海へ流れ込んでいる{{sfn|安松|2011}}。西方向には万畳山(101.3メートル){{sfn|網野町役場企画商工観光課|1999|page=7}}を臨むことができる。 |
|||
[[File:Sand sample of Kotohiki beach.jpg|thumb| |
[[File:Sand sample of Kotohiki beach.jpg|thumb|150px|left|琴引浜の砂]] |
||
=== 砂の特徴 === |
=== 砂の特徴 === |
||
砂浜の砂は、[[宮津市|宮津]]花崗岩とよばれるもので、粗い粒の白い岩で[[砂鉄]]を多く含むのが特徴であり、[[丹後半島]]各所にみられる{{sfn|安松|2011|page=17p}}。細かく均一な白っぽいベージュ色で、ザラザラとした固さがある<ref name="日本砂浜紀行60p"/>。主成分である[[石英]]は、約6,100万年前、地下で生まれた[[花崗岩]][[マグマ]]が上昇し冷え固まったものとみられ、山地から[[円山川]]や[[田川]]によって削られ海に運ばれた海底堆積砂が、[[沿岸流]]によってうちあげられ、砂浜を形成したものとみられる<ref name="江川2007,44p">{{Cite book|和書|author=江川善則 |title=日本砂浜紀行4 |publisher=江川善則 |year=2007 |page=44 |isbn=}}</ref>。 |
|||
足をひいて砂を磨ることで[[スティックスリップ現象]]をひきおこし、通常の砂音とは異なる音を奏でる<ref name="トラスト2-3p">{{Cite book|和書|author=日本ナショナルトラスト |title=トラスト*ブックシリーズ18 琴引浜 |publisher=網野町教育委員会 |date=1987 |page=2-3 |isbn=}}</ref>。音の出る要因は、よく揃った丸い石英の粒であり、春先から初夏の乾燥した季節にもっともよい音色を奏でる<ref name="新京都五億年の旅"/>。琴引浜の砂の約70パーセントが石英であり、平均粒径は約0.6ミリメートルと、他の鳴き砂の浜の砂より大きい。この砂の範囲は、琴引浜の沖合、水深10メートル程の海底まで分布している<ref name="京丹後市の自然88p">{{Cite book|和書|author=京丹後市 |title=図説京丹後市の自然環境 |publisher=京丹後市 |year=2015 |page=88 |isbn=}}</ref>。 |
|||
石英は[[水晶]]の一種であり、水晶は一般的に六角柱の形状を成すが、琴引浜の石英は高温条件で生成されたため柱部分を持たない「高温石英」の特徴で、丸みを帯びている{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|4-5p}}。石英は[[摩擦係数]]が大きく、琴引浜の石英は粒の大きさもよく揃っているため、足をひいて砂を磨ることで[[スティックスリップ現象]]をひきおこし、通常の砂音とは異なる音を奏でる{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=2-3}}。春先から初夏の乾燥した季節にもっともよい音色を奏でるという<ref name="新京都五億年の旅"/>。琴引浜の砂の約70パーセントが石英であり、平均粒径は約0.6ミリメートルと、他の鳴き砂の浜の砂より大きい。この砂の範囲は、琴引浜の沖合、水深10メートル程の海底まで分布している{{sfn|京丹後市の自然|2015|page=88}}。 |
|||
石英は[[摩擦係数]]が大きく、それが触れ合うことの振動により音が鳴るため、砂の表面が他の物質で汚染されれば摩擦は小さくなり、砂は鳴らない<ref name="トラスト4-5p">{{Cite book|和書|author=日本ナショナルトラスト |title=トラスト*ブックシリーズ18 琴引浜 |publisher=網野町教育委員会 |date=1987 |page=4-5 |isbn=}}</ref>。不純物の少ないきれいな海水で砂浜の砂が洗われている環境で生成されるのが[[鳴き砂]]であり、浜のみでなく付近の海域がきれいなことが鳴き砂の浜を形成する琴引浜の特徴とみられる<ref name="トラスト4-5p"/>。 |
|||
摩擦による振動で音が鳴るため、砂の表面が他の物質で汚染されれば摩擦は小さくなり、砂は鳴らない{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=4-5}}。不純物の少ないきれいな海水で砂浜の砂が洗われている環境で生成されるのが[[鳴き砂]]であり、浜のみでなく付近の海域がきれいなことが鳴き砂の浜を形成する琴引浜の特徴とみられる{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=4-5}}。 |
|||
== 自然 == |
== 自然 == |
||
=== 植生 === |
=== 植生 === |
||
砂丘が発達しており、[[クロマツ]]群落が大部分を占めている。砂丘の背後の大地に樹林が続くが、幅は狭く、地形に起伏が多いため、連結してはいない |
砂丘が発達しており、[[クロマツ]]群落が大部分を占めている。砂丘の背後の大地に樹林が続くが、幅は狭く、地形に起伏が多いため、連結してはいない{{sfn|江川|2007|page=44}}。さらに海岸の左右には自然の[[広葉樹林帯]]となっている{{sfn|江川|2007|page=44}}。[[ハマゴウ]]群落典型下位単位、[[メダケ|ネザサ]]-[[ススキ]]群落、[[アカメガシワ]]群落、[[コウボウムギ]]-[[ハマニガナ]]群落および[[タブノキ]]群落などが見られる<ref>{{Cite book|和書|author=妹尾俊夫 |title=浜辺の植物〜網野町〜 |publisher=京都府網野町 |date=1998 |page=10 |isbn=}}</ref>。 |
||
植物の群落を海岸線から内陸にむかって見ていくと、波に打ち上げられた海藻類などの有機物が肥料となって土壌を豊かにしている波打ち際には、春から秋にかけて[[オカヒジキ]]が群落をつくる |
植物の群落を海岸線から内陸にむかって見ていくと、波に打ち上げられた海藻類などの有機物が肥料となって土壌を豊かにしている波打ち際には、春から秋にかけて[[オカヒジキ]]が群落をつくる{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=10}}。その奥、砂の動きが激しい裸地には、ハマヒルガオとコウボウムギが生育し、砂のやや落ち着いた内陸にかけては植物の種類が増え、ハマボウフウ、ネコノシタ、ハマグルマナ、ハマナスなどの多年草が群落をつくる{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=10}}。とくに、5月から6月にかけての琴引浜は、薄桃色のハマヒルガオが一面に咲き誇り、花畑の様相を成す{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=10}}。さらに内陸ではハマゴウやハイネズなどの低木が群落を築き、高木のクロマツ群落につづく{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=10}}。これら松林の緑陰と鳴き砂の白さが織りなす光景から、社団法人日本の松の緑を守る会の選定による'''[[日本の白砂青松100選|白砂青松100選]]'''に選出された<ref name="林野庁">{{Cite web|和書|url=http://www.rinya.maff.go.jp/j/hogo/higai/seisyou.html |title=白砂青松100選 |publisher =林野庁 |accessdate=2019-12-08}}</ref>。 |
||
*珍しい種<ref>{{Cite book|和書|author=妹尾俊夫 |title=浜辺の植物〜網野町〜 |publisher=京都府網野町 |date=1998 |page=8 |isbn=}}</ref> |
*珍しい種<ref>{{Cite book|和書|author=妹尾俊夫 |title=浜辺の植物〜網野町〜 |publisher=京都府網野町 |date=1998 |page=8 |isbn=}}</ref> |
||
**[[ルリトラノオ属|トウテイラン]] |
**[[ルリトラノオ属|トウテイラン]]{{sfn|京丹後市の自然|2015|page=88}}、[[エビネ]]、[[イカリソウ属|トキワイカリソウ]]、[[ハマナス]]、[[リンドウ]]、[[ハマウツボ]]、[[シオン属|ハマベノギク]]、[[ササユリ]]、[[オニユリ|コオニユリ]]、[[ノハナショウブ]]、[[シュンラン]]、[[ハマボウフウ]]、[[スナビキソウ]]、[[ナミキソウ]]、[[ゴマノハグサ科|ウンラン]]、[[カセンソウ]]、[[ネコノシタ]]、[[イソスミレ]]{{sfn|京丹後市の自然|2015|page=88}} |
||
=== 動物 === |
=== 動物 === |
||
[[File:Bisyougai_kotohikihama_japan.jpg|サムネイル|230px|琴引浜 (微小貝)]] |
[[File:Bisyougai_kotohikihama_japan.jpg|サムネイル|230px|琴引浜 (微小貝)]] |
||
人工的な構造物が一切ないため、環境変化に弱い弱小な生物が多数生息している |
人工的な構造物が一切ないため、環境変化に弱い弱小な生物が多数生息している{{sfn|京丹後市の自然|2015|page=88}}<ref>{{Cite book|title=琴引浜の微小貝図鑑|date=1991|year=1991|publisher=網野町|page=32ー33}}</ref>。また、渡り鳥のシロチドリやコチドリ等[[チドリ]]類の飛来地としても知られ、「チドリ類が飛来し、微小貝類の生息する琴引浜」の登録名称で[[京都の自然200選]]に選定された<ref name="京都の自然200選"/>。海上沖合では、[[冠島]]を繁殖地とする「京都府の鳥」[[オオミズナギドリ]]の集団飛行がみられ、掛津川周辺では日本[[固有種]]の[[セグロセキレイ]]が生息している<ref>{{Cite book|和書|author=京丹後市教育委員会文化財保護課 |title=琴引浜ガイドブック |publisher=京丹後市 |date=2004 |page=9 |isbn=}}</ref>。陸上では、[[2015年]]時点で絶滅危惧種として京都府の[[レッドデータブック]]に登録された[[イソコモリグモ]]の生息が確認されている<ref>{{Cite book|和書|author=京丹後市教育委員会文化財保護課 |title=琴引浜ガイドブック |publisher=京丹後市 |date=2004 |page=10 |isbn=}}</ref><ref group="注">環境省のカテゴリーでは、2015年時点で絶滅危惧II類 (VU) に分類されている。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/bio/db/spi0001.html |title=京都府レッドデータブック2015 |publisher =京都府 |accessdate=2019-12-10}}</ref>。 |
||
==== 指標生物 ==== |
==== 指標生物 ==== |
||
; [[微小貝]] |
|||
: 海砂に潜む大きさ2ミリメートル以下の極めて小型の[[巻貝]]である |
: 海砂に潜む大きさ2ミリメートル以下の極めて小型の[[巻貝]]である{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=3}}。琴引浜では約900種類の棲息が確認されており、その種類の多さは日本では他に類を見ない{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=3}}。かつては日本全国の海岸に棲息したとみられるが、海岸線の人工的な変形による潮の変化や、生活排水等の流入による海水の汚染などにより減少した{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=3}}。弱小生物のため環境変化に敏感であり、その棲息状況は[[鳴き砂]]とともに海岸の環境指数のひとつに数えられる{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=3}}。 |
||
; [[有孔虫]]<ref group="注">琴引浜の有孔虫についての図録あり(琴引浜の微しょう貝図鑑、32-33p.)</ref> |
|||
: 潮だまりの海砂でみられる大きさ1ミリメートル程度の微小な石灰質の殻に潜む[[単細胞生物]]である |
: 潮だまりの海砂でみられる大きさ1ミリメートル程度の微小な石灰質の殻に潜む[[単細胞生物]]である{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=9}}。殻は、砂粒で作られていることもある。[[アメーバ]]あるいは[[ゾウリムシ]]の近縁種とみられる[[原生生物]]で、琴引浜には100種類以上が棲息しているとみられる{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=9}}。微小貝同様に、その種類の多さがきれいな海の象徴であるとされる{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=9}}。 |
||
==== 磯の生物 ==== |
==== 磯の生物 ==== |
||
* [[飛沫帯]]には、[[カサガイ]]の一種である[[ヨメサガイ]]、[[マツバガイ]]、[[ウシノアシガイ]]や、[[アラレタマビキ]]、[[ヒザラガイ]]が棲息する |
* [[飛沫帯]]には、[[カサガイ]]の一種である[[ヨメサガイ]]、[[マツバガイ]]、[[ウシノアシガイ]]や、[[アラレタマビキ]]、[[ヒザラガイ]]が棲息する{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=11}}。 |
||
* 乾燥に耐える海藻類も生える[[潮間帯]]には、[[イボニシ]]、[[バテイラ]]、[[オオヘビガイ]]などの貝類のほか、ウニやヒトデ類が棲息する |
* 乾燥に耐える海藻類も生える[[潮間帯]]には、[[イボニシ]]、[[バテイラ]]、[[オオヘビガイ]]などの貝類のほか、ウニやヒトデ類が棲息する{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=11}}。 |
||
==== 海底生物 ==== |
==== 海底生物 ==== |
||
太鼓浜に続く岩礁が海底までのび、そのうえに泥質の砂地が乗る琴引浜の海底には、砂地の海底に棲む[[サクラガイ]]等のほか、泥質の強い海底に棲む[[ヒバリガイ]]の双方が棲息する |
太鼓浜に続く岩礁が海底までのび、そのうえに泥質の砂地が乗る琴引浜の海底には、砂地の海底に棲む[[サクラガイ]]等のほか、泥質の強い海底に棲む[[ヒバリガイ]]の双方が棲息する{{sfn|日本ナショナルトラスト|1987|page=11}}。 |
||
== 保全と利活用 == |
== 保全と利活用 == |
||
62行目: | 71行目: | ||
1987年(昭和62年)には「琴引浜鳴り砂を守る会」が地域住民により設立され、琴引浜の環境を保護する活動が活発になっていった。琴引浜の情報理解と活動の拠点として、2002年(平成14年)に[[琴引浜鳴き砂文化館]]が開館した<ref name="安松2011,p">{{Cite book|和書|author=安松貞夫、安松美佐子 |title=琴引浜ガイド~より琴引浜を楽しむために |publisher=京丹後琴引浜ネイチャークラブハウス |date=2011 |page= |isbn=}}</ref>。 |
1987年(昭和62年)には「琴引浜鳴り砂を守る会」が地域住民により設立され、琴引浜の環境を保護する活動が活発になっていった。琴引浜の情報理解と活動の拠点として、2002年(平成14年)に[[琴引浜鳴き砂文化館]]が開館した<ref name="安松2011,p">{{Cite book|和書|author=安松貞夫、安松美佐子 |title=琴引浜ガイド~より琴引浜を楽しむために |publisher=京丹後琴引浜ネイチャークラブハウス |date=2011 |page= |isbn=}}</ref>。 |
||
鳴き砂の発音特性に影響を及ぼすのは、水、海水からの析出塩類、さらに鳴き砂と同じ石英、長石が含まれる[[シルト]]及び粘土と判明している{{Sfn|野田|2008}}。このシルト及び粘土の砂層への混入は人為的なものと考えられるため、対策が必要である{{Sfn|野田|2008}}。なお、琴引浜の砂の供給源は、背後に連なる砂丘から海岸に流出した砂と、掛津川から流入する砂である{{Sfn|原口|2009}}が、掛津川の河川改修により、流入する砂の量は、わずかとなっている{{Sfn|原口|2009}}。 |
|||
=== 採砂鉱山 === |
=== 採砂鉱山 === |
||
鳴き砂の浜を形成する新砂丘の砂は採取禁止とされているが、風化の進んだ古砂丘の砂も、洗浄することで鳴き砂と同じ性質を取り戻す。琴引浜と国道178号線を挟んで南の古砂丘は企業の採砂鉱山となっており、採集された砂は洗浄して粘土分を除去することで、96パーセントもの高純度の[[珪砂]]となる<ref name="網野町誌(上)52p"/>。石英を含む砂である珪砂は、鋳物砂として愛知県や広島県など日本各地に出荷され、自動車部品の製造に活用されている<ref name="網野町誌(上)52p"/>。古砂丘の砂は産業素材として広く利用され、[[プレミックスモルタル]]の骨材や、人工芝の目詰砂、アスファルトに吹き付ける滑り止めにも活用される<ref name="網野町誌(上)52p"/>。 |
鳴き砂の浜を形成する新砂丘の砂は採取禁止とされているが、風化の進んだ古砂丘の砂も、洗浄することで鳴き砂と同じ性質を取り戻す。琴引浜と国道178号線を挟んで南の古砂丘は企業の採砂鉱山となっており、採集された砂は洗浄して粘土分を除去することで、96パーセントもの高純度の[[珪砂]]となる<ref name="網野町誌(上)52p"/>。石英を含む砂である珪砂は、鋳物砂として愛知県や広島県など日本各地に出荷され、自動車部品の製造に活用されている<ref name="網野町誌(上)52p"/>。古砂丘の砂は産業素材として広く利用され、[[プレミックスモルタル]]の骨材や、人工芝の目詰砂、アスファルトに吹き付ける滑り止めにも活用される<ref name="網野町誌(上)52p"/>。 |
||
使用可能な砂の埋蔵量は1000万トン程と推定される<ref name="網野町誌(上)52p"/>。保全地区である琴引浜を控えての操業には、細心の注意が払われている<ref name="網野町誌(上)52p">{{Cite book|和書|author=網野町誌編さん委員会 |title=網野町誌(上) |publisher=網野町 |date=1992 | |
使用可能な砂の埋蔵量は1000万トン程と推定される<ref name="網野町誌(上)52p"/>。保全地区である琴引浜を控えての操業には、細心の注意が払われている<ref name="網野町誌(上)52p">{{Cite book|和書|author=網野町誌編さん委員会 |title=網野町誌(上) |publisher=網野町 |date=1992 |pages=51-52 |isbn=}}</ref>。 |
||
=== 海底熟成酒「龍宮浪漫譚」 === |
=== 海底熟成酒「龍宮浪漫譚」 === |
||
[[File:龍宮浪漫譚4 丹後酒梁.jpg|thumb|230px|龍宮浪漫譚]] |
[[File:龍宮浪漫譚4 丹後酒梁.jpg|thumb|230px|龍宮浪漫譚]] |
||
龍宮浪漫譚は、'''琴引浜'''の沖合3キロメートル、水深27メートルに酒を半年間沈め、一定の水温が保たれた[[紫外線]]の届きにくい環境と波の揺らぎで、熟成を図る取組である<ref name="龍宮浪漫譚公式サイト">{{Cite web |
龍宮浪漫譚は、'''琴引浜'''の沖合3キロメートル、水深27メートルに酒を半年間沈め、一定の水温が保たれた[[紫外線]]の届きにくい環境と波の揺らぎで、熟成を図る取組である<ref name="龍宮浪漫譚公式サイト">{{Cite web|和書|url=https://umikakoi.jimdo.com/海囲い酒/ |title=龍宮浪漫譚 海囲い酒 |publisher =丹後酒梁 |accessdate=2019-08-17}}</ref>。 |
||
物流が発達していない時代、長い輸送期間中に船やトラックに揺られた酒は味が変化したといわれ、日本酒は美味しくなるという説があることから、2014年(平成26年)に地元の漁師と酒販店が試行をはじめた<ref name="京都新聞20180510"/>。波に流されたり盗難に遭うなどしつつも、翌[[2015年]](平成27年)に丹後の酒蔵有志らで結成した共同団体'''丹後酒梁'''によって、その後も継続的に取り組まれている<ref name="京都新聞20180510">{{Cite news |title=亡き友にささぐ海底酒 京都・遺失や盗難乗り越え引き上げ |newspaper=京都新聞 |date=2018-05-10 |author= |page=}}</ref><ref name="北近畿経済新聞20190423">{{Cite news |title=地酒を海底で熟成 |newspaper=北近畿経済新聞 |date=2016-04-23 |author= |page=}}</ref>。 |
物流が発達していない時代、長い輸送期間中に船やトラックに揺られた酒は味が変化したといわれ、日本酒は美味しくなるという説があることから、2014年(平成26年)に地元の漁師と酒販店が試行をはじめた<ref name="京都新聞20180510"/>。波に流されたり盗難に遭うなどしつつも、翌[[2015年]](平成27年)に丹後の酒蔵有志らで結成した共同団体'''丹後酒梁'''によって、その後も継続的に取り組まれている<ref name="京都新聞20180510">{{Cite news |title=亡き友にささぐ海底酒 京都・遺失や盗難乗り越え引き上げ |newspaper=京都新聞 |date=2018-05-10 |author= |page=}}</ref><ref name="北近畿経済新聞20190423">{{Cite news |title=地酒を海底で熟成 |newspaper=北近畿経済新聞 |date=2016-04-23 |author= |page=}}</ref>。 |
||
76行目: | 87行目: | ||
海底から引き揚げられた酒瓶には[[フジツボ]]などが付着している<ref name="北近畿経済新聞20190423"/>。 |
海底から引き揚げられた酒瓶には[[フジツボ]]などが付着している<ref name="北近畿経済新聞20190423"/>。 |
||
[[2018年]](平成30年)9月は、[[丹後]]・[[与謝]]地域の酒蔵10社12銘柄の酒瓶240本が、無事に熟成されるようにとの願いを込めて[[網野神社]]のお守りとともに沈められ<ref name="龍宮浪漫譚公式サイト"/>、翌[[2019年]]([[令和]]元年)5月に引き上げられ、引き上げの様子は、関西テレビでも紹介された<ref>{{Cite web |
[[2018年]](平成30年)9月は、[[丹後国|丹後]]・[[与謝]]地域の酒蔵10社12銘柄の酒瓶240本が、無事に熟成されるようにとの願いを込めて[[網野神社]]のお守りとともに沈められ<ref name="龍宮浪漫譚公式サイト"/>、翌[[2019年]]([[令和]]元年)5月に引き上げられ、引き上げの様子は、関西テレビでも紹介された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.facebook.com/eemonyahonpo/videos/vb.378128392218576/801482630220449/?type=2&theater |title=日本海で寝かせた酒を引き上げ 水深27mで9カ月熟成 |publisher =松栄屋(関西テレビ) |accessdate=2019-08-17}}</ref>。 |
||
{{Commonscat-inline|Tango-Sasaryo|龍宮浪漫譚}} |
{{Commonscat-inline|Tango-Sasaryo|龍宮浪漫譚}} |
||
83行目: | 94行目: | ||
[[File:細川幽斎歌碑.jpg|thumb|230px|細川幽斎歌碑]] |
[[File:細川幽斎歌碑.jpg|thumb|230px|細川幽斎歌碑]] |
||
[[File:与謝野晶子・与謝野寛歌碑.jpg|thumb|230px|与謝野晶子・与謝野寛歌碑]] |
[[File:与謝野晶子・与謝野寛歌碑.jpg|thumb|230px|与謝野晶子・与謝野寛歌碑]] |
||
琴引浜は古くから景勝地として知られ、[[#名 |
琴引浜は古くから景勝地として知られ、[[#地名について|前述]]の[[小林玄章]]・[[小林之保]]・[[小林之原]]3世代によって編纂された地誌『丹哥府志』のほか、[[細川幽斎]]、[[細川ガラシャ]]、[[野田泉光院]]、[[木内石亭]](小繁)ら多くの文人が当地を訪れ、文献に記録している<ref name="トラスト2p">{{Cite book|和書|author=日本ナショナルトラスト |title=トラスト*ブックシリーズ18 琴引浜 |publisher=網野町教育委員会 |date=1987 |page=2 |isbn=}}</ref><ref name="京都新聞20080627">{{Cite news |title=環境保全へ 活動多彩 |newspaper=京都新聞 |date=2008-06-27 |author=大滝裕一 |page=}}</ref>。 |
||
与謝野晶子・与謝野寛歌碑は、平成5年([[1993年]])6月9日、みだれ髪の会により建立されたものである<ref> {{Cite book|和書|author=網野町|title=広報あみの |publisher=網野町 |date=1991-07 |page=7 }} </ref>。 |
|||
=== 文学 === |
=== 文学 === |
||
* |
*「根上りの 松に五色の 糸かけ津 琴引き遊ぶ 三洋の浦々」という歌は、戦国大名[[細川幽斎]]が詠んだといわれている<ref name="デジタルミュージアムK17">{{Cite web|和書|url=https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/2/3308.html |title=デジタルミュージアムK17琴引浜と鳴き砂 |publisher =京丹後市 |accessdate=2019-12-08}}</ref>。 |
||
* 幽斎の息子・[[細川忠興|忠興]]の妻で、[[明智光秀]]の娘[[細川ガラシャ]]の |
*「名に高き太皷の濱に聞秋の 遠にも渡る秋の夕さめ」という和歌は、幽斎の息子・[[細川忠興|忠興]]の妻で、[[明智光秀]]の娘[[細川ガラシャ]]の作といわれている<ref>{{Cite book|和書|author=三輪茂雄 |title=白砂を訪ねて 鳴き砂の秘密 |publisher=同志社大学出版部 |date=1981 |pages=20-21 |isbn=}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=木下幸吉 |title=丹後郷土史料集 第三編 丹哥府志 |publisher=龍燈社 |date=1968 |page=355 |isbn=}}</ref>。 |
||
* [[野田泉光院]]は『日本九峰修行日記』の文化11年([[1814年]])7月23日の条で、『真砂幅十五間長さ三丁計り、其内十間に五間を歩行すれば、「ぎうぎうすうすう」と鳴る、又杖にていらうても其音あり。尤も天気続きて砂の乾きたる程音高しと云ふ。又、太鼓浜は其浜続きにて一丁位東にあり。此の太鼓浜は僅か二間四方位、歩行けば「どんどん」と鳴る、是れは砂の底に石の穴ありと云ふ。』と、[[鳴き砂]]や太鼓浜について詳説し<ref>{{Cite book|和書|author=下中邦彦 |title=京都府の地名 |publisher=平凡社 |date=1981 |page=823 |isbn=}}</ref>、2句を詠み残した<ref name="日本九峯修行日記"/>。 |
|||
* 江戸時代の鉱物学者・[[木村石亭]]の博物誌『雲根志』には「丹後の国琴引浜はひと浜残らず砂紫白にして透きあきらかに他の色なし。この砂中を歩くに自然として琴の音あり・十三の調律わかる」とある<ref name="京丹後市の自然88p"/>。 |
|||
*: 「秋風や 浪の調べたる 琴ヶ濱<ref group="注">「琴ヶ浜」という名称の海岸は日本海側に複数存在するが、この「琴ヶ濱」の句は野田泉光院が琴引浜について述べた項目内で記載されており、琴引浜について詠んだ句であることは明白である。(出典『日本九峯修行日記』226p,「文化11年([[1814年]])7月23日の条」)</ref>」<ref name="日本九峯修行日記">{{Cite book|和書|author=野田泉光院 |title=日本九峯修行日記 |publisher=杉田直 |date=1935 |pages=225-226 |isbn=}}</ref> |
|||
* 野田泉光院は『日本九峰修行日記』の[[1814年]](文化11年)7月23日の条で、『真砂幅十五間長さ三丁計り、其内十間に五間を歩行すれば、「ぎうぎうすうすう」と鳴る、又杖にていらうても其音あり。尤も天気続きて砂の乾きたる程音高しと云ふ。又、太鼓浜は其浜続きにて一丁位東にあり。此の太鼓浜は僅か二間四方位、歩行けば「どんどん」と鳴る、是れは砂の底に石の穴ありと云ふ。』と、[[鳴き砂]]や太鼓浜について詳説している<ref>{{Cite book|和書|author=下中邦彦 |title=京都府の地名 |publisher=平凡社 |date=1981 |page=823 |isbn=}}</ref>。 |
|||
*: 「波の打つ 大鼓の濱や 初満潮」<ref name="日本九峯修行日記"/> |
|||
* [[与謝野寛]]と[[与謝野晶子]]夫婦が[[1930年]]([[昭和]]5年)の旅にて句を残した<ref>{{Cite web |url= http://www.nakisuna.jp/rekishi/|title=琴引浜の歴史|publisher=琴引浜鳴き砂文化館|accessdate=2019-12-01 }}</ref>。 |
|||
* [[与謝野寛]]と[[与謝野晶子]]は[[1930年]]([[昭和]]5年)5月の旅にて琴引浜に立ち寄り、以下の句を残した<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.nakisuna.jp/rekishi/|title=琴引浜の歴史|publisher=琴引浜鳴き砂文化館|accessdate=2019-12-01 }}</ref><ref name="與謝野寛短歌全集165p"/>{{sfn|冬柏|1930}}。 |
|||
: 寛「たのしみを 抑えかねたる 汝ならん 行けば音をたつ 琴引の浜」<ref name="デジタルミュージアムK17"/> |
|||
: |
*: 寛「たのしみを 抑へかねたる 沙ならん 行けば音を立つ 琴引の濱」<ref name="與謝野寛短歌全集165p">{{Cite book|和書|author=與謝野寛 |title=與謝野寛短歌全集 |publisher=明治書院 |date=1933 |page=165 |isbn=}}</ref>{{sfn|冬柏|1930}} |
||
*: 寛「遠く来て 我が行く今日の 喜びも ともに音を立つ 琴引の濱」<ref name="與謝野寛短歌全集165p"/>{{sfn|冬柏|1930}} |
|||
*: 寛「常世にも つづける磯の 沙ならん 人みな行きぬ 琴の音の上」<ref name="與謝野寛短歌全集165p"/>{{sfn|冬柏|1930}} |
|||
*: 晶子「皆は皆 琴弾き浦のいぶかしき 砂にゆづりて静かなる海」{{sfn|冬柏|1930}} |
|||
*: 晶子「危ふかる 砂の斜面に居給ひて 北の海めづ白瀧の神」{{sfn|冬柏|1930}} |
|||
*: 晶子「人踏めば 不思議の砂の鳴る音も 寂しき數の北の海かな」{{sfn|冬柏|1930}} |
|||
*: 晶子「千鳥鳴く 北の沙丘のならひとて 松傾ける白瀧の濱」{{sfn|冬柏|1930}} |
|||
*: 晶子「松三本 この陰に来る 喜びも 共に音となれ 琴引の浜」<ref name="デジタルミュージアムK17"/><ref>{{Cite book|和書|author=三輪茂雄 |title=鳴き砂幻想―ミュージカル・サンドの謎を追う― |publisher=ダイヤモンド社 |date=1982 |page= |isbn=}}</ref> |
|||
* 「琴弾浜を詠む 句会」<ref group=注>[[琴引浜鳴き砂文化館]]が主催し、初めて企画した。</ref>で特選に選ばれた句。 |
* 「琴弾浜を詠む 句会」<ref group=注>[[琴引浜鳴き砂文化館]]が主催し、初めて企画した。</ref>で特選に選ばれた句。 |
||
: 「鳴き砂を 誇る一村 風薫る」<ref>{{Cite news |title=琴弾浜を詠む 句会 |newspaper=朝日新聞 |date=2014-05-18 |author= |page=}}</ref> |
*: 「鳴き砂を 誇る一村 風薫る」<ref>{{Cite news |title=琴弾浜を詠む 句会 |newspaper=朝日新聞 |date=2014-05-18 |author= |page=}}</ref> |
||
* [[二階堂黎人]]著の『東尋坊マジック』の中で琴引浜が言及されている<ref>{{Cite book|和書|author=二階堂黎人 |title=東尋坊マジック |publisher=実業之日本社 |date=2014 |page= |isbn=}}</ref>。 |
* [[二階堂黎人]]著の『東尋坊マジック』の中で琴引浜が物語の重要な舞台となるとともに、琴引浜の特徴や評価について言及されている<ref>{{Cite book|和書|author=二階堂黎人 |title=東尋坊マジック |publisher=実業之日本社 |date=2014 |page=94 |isbn=}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=二階堂黎人 |title=東尋坊マジック |publisher=実業之日本社 |date=2014 |pages=125-128 |isbn=}}</ref>。 |
||
=== 楽曲 === |
=== 楽曲 === |
||
* [[神津善行]]作曲「'''砂が鳴いている'''」- 鳴き砂保護を歌った琴引浜のテーマソング<ref>{{Cite book|和書|author=「日本の渚・百選」中央委員会 |title=日本の渚・百選(公式ガイドブック) |publisher=成山堂書店| |date=1997 |page=63 |isbn=}}</ref>。 |
* [[神津善行]]作曲「'''砂が鳴いている'''」- 鳴き砂保護を歌った琴引浜のテーマソング<ref>{{Cite book|和書|author=「日本の渚・百選」中央委員会 |title=日本の渚・百選(公式ガイドブック) |publisher=成山堂書店| |date=1997 |page=63 |isbn=}}</ref>。 |
||
* 京丹後市立島津小学校 作詞・作曲「'''琴引浜によせて'''」- [[はだしのコンサート]]で合唱される、琴引浜の環境保全を呼びかける歌<ref>{{Cite news |title=ごみ拾い、多彩な催し楽しむ |newspaper=京都新聞 |date=2008-06-02 |author= |page=}}</ref>。 |
* 京丹後市立島津小学校 作詞・作曲「'''琴引浜によせて'''」- [[はだしのコンサート]]で合唱される、琴引浜の環境保全を呼びかける歌<ref>{{Cite news |title=ごみ拾い、多彩な催し楽しむ |newspaper=京都新聞 |date=2008-06-02 |author= |page=}}</ref>。 |
||
== 琴引浜がロケ地となった映像化作品 == |
|||
* 映画『[[超高速!参勤交代]]』 2014年公開 監督[[本木克英]] |
|||
* 映画『[[天地明察]]』 2012年公開 監督[[滝田洋二郎]] |
|||
* 映画『[[バルトの楽園]]』 2006年公開 |
|||
* 映画『[[隠し剣鬼の爪]]』 2004年公開 監督[[山田洋次]] |
|||
* 映画『[[千年の恋 ひかる源氏物語|千年の恋~ひかる源氏物語~]]』 2001年公開 監督[[堀川とんこう]] |
|||
* 映画『[[釣りバカ日誌]]5』 1992年公開 監督山田洋次 |
|||
* 映画『[[動天]]』 1991年 監督[[舛田利雄]] |
|||
* 映画『花笠道中』 1962年 監督[[河野寿一]] |
|||
* 映画『[[炎上 (映画)|炎上]]』 1958年 監督[[市川崑]] |
|||
このほかテレビドラマ多数<ref>[https://www.globalnpo.org/JP/Kyotango-shi/175888479267552/%E4%BA%AC%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 京丹後フィルムコミッション]制作、[[琴引浜鳴き砂文化館]]展示所蔵資料より</ref>。 |
|||
== 琴引浜に関する伝承 == |
== 琴引浜に関する伝承 == |
||
=== 白滝神社の伝 |
=== 白滝神社の棘のないサザエ伝説 === |
||
{{神社 |
{{神社 |
||
|名称 = 白滝神社 |
|名称 = 白滝神社 |
||
109行目: | 141行目: | ||
|地図 = {{Location map|Japan Kyoto|coordinates={{Coord2|35|42|05|N|135|02|48|E}}|label=白滝神社|position=right|width=200|float=center|mark=Shinto torii icon vermillion.svg|marksize=20}} |
|地図 = {{Location map|Japan Kyoto|coordinates={{Coord2|35|42|05|N|135|02|48|E}}|label=白滝神社|position=right|width=200|float=center|mark=Shinto torii icon vermillion.svg|marksize=20}} |
||
|祭神 = [[大物主命]]<ref name="網野町誌(下)72p">{{Cite book|和書|author=網野町誌編さん委員会 |title=網野町誌(下) |publisher=網野町 |date=1996 |page=72 |isbn=}}</ref> |
|祭神 = [[大物主命]]<ref name="網野町誌(下)72p">{{Cite book|和書|author=網野町誌編さん委員会 |title=網野町誌(下) |publisher=網野町 |date=1996 |page=72 |isbn=}}</ref> |
||
|神体 = 流木<ref name="琴引浜鳴き砂文化館 白滝神社">{{Cite web |
|神体 = 流木<ref name="琴引浜鳴き砂文化館 白滝神社">{{Cite web|和書|url=http://www.nakisuna.jp/bunkakan/picture/琴引浜を見下ろす白滝神社/ |title=琴引浜を見下ろす白滝神社 |publisher =琴引浜鳴き砂文化館 |accessdate=2019-12-09}}</ref> |
||
|社格 = 村社 |
|社格 = 村社 |
||
|創建 = 創建不明(宝暦7年現地へ遷宮) |
|創建 = 創建不明(宝暦7年現地へ遷宮) |
||
118行目: | 150行目: | ||
|神事 = |
|神事 = |
||
}} |
}} |
||
'''白滝神社'''(しらたきじんじゃ)は、[[京丹後市]][[網野町]]掛津に琴引浜を見下ろすように鎮座する神社である。名前の由来は神社の西の海に面したところにある白滝からきている<ref>{{Cite book|和書|author=花部英雄 |title=ジオパークと伝説 |publisher=三弥井書店 |year=2018 |page=51 |isbn=}}</ref>。祭神は[[大物主命]]<ref name="網野町誌(下)72p"/>。神は、[[サザエ]]の殻に乗って漂着したと口伝が残る<ref name="網野町誌(下)72p"/>。境内に7社、区内諸社に |
'''白滝神社'''(しらたきじんじゃ)は、[[京丹後市]][[網野町]]掛津に琴引浜を見下ろすように鎮座する神社である。名前の由来は神社の西の海に面したところにある白滝からきている<ref>{{Cite book|和書|author=花部英雄 |title=ジオパークと伝説 |publisher=三弥井書店 |year=2018 |page=51 |isbn=}}</ref>。祭神は[[大物主命]]<ref name="網野町誌(下)72p"/>。神は、[[サザエ]]の殻に乗って漂着したと口伝が残る<ref name="網野町誌(下)72p"/>。境内に7社、区内諸社に1社の神社をもつ<ref name="網野町誌(下)73p">{{Cite book|和書|author=網野町誌編さん委員会 |title=網野町誌(下) |publisher=網野町 |date=1996 |page=73 |isbn=}}</ref><ref group="注">境内社と祭神の一覧は次の通り。 |
||
* 早尾神社 - 祭神:[[天湯河板挙|天湯川板挙命]] |
* 早尾神社 - 祭神:[[天湯河板挙|天湯川板挙命]] |
||
* 武大神社 - 祭神:[[須佐之男命]] |
* 武大神社 - 祭神:[[須佐之男命]] |
||
128行目: | 160行目: | ||
このほかに、区内諸社として稲荷神社1社を構える。</ref>。 |
このほかに、区内諸社として稲荷神社1社を構える。</ref>。 |
||
神社の創立は不明だが |
神社の創立は不明だが[[宝暦]]7年([[1757年]])に現在地に遷宮された記録があり<ref name="網野町誌(下)72p"/>、元々は現在地より若干西側に鎮座していた<ref>{{Cite book|和書|author=花部英雄 |title=ジオパークと伝説 |publisher=三弥井書店 |year=2018 |page=53 |isbn=}}</ref>。[[神社明細帳]]によれば[[享和]]3年([[1803年]])に再建<ref name="網野町誌(下)72p"/>。[[1873年]]([[明治]]6年)村社に列せられる。昔、[[出雲国]]より[[大国主命]]が船で通りかかった時に船底にあいた穴をサザエが塞いで沈没を防いだという言い伝えがあり、それ以来、琴引浜のサザエには棘が無い丸いサザエがいると言われている<ref>{{Cite book|和書|author=花部英雄 |title=ジオパークと伝説 |publisher=三弥井書店 |year=2018 |page=50 |isbn=}}</ref>。ご神体は[[流木]]で、かつては男体の形をした神体と女体の形をした2体があったが、盗難に遭い、女体形のみが残る<ref name="琴引浜鳴き砂文化館 白滝神社" />。大国主命(大物主命)の縁結び信仰と女体神が男体神の帰りを待つことと掛けたと考えられる恋愛成就の碑が境内に献納されている<ref name="琴引浜鳴き砂文化館 白滝神社" />。 |
||
白滝神社御伝記には『浮き津岩より、宮の下と称する間に産する鮑、栄螺は一壇奇態にして棘なし』と記されている<ref>{{Cite book|和書|author=花部英雄 |title=ジオパークと伝説 |publisher=三弥井書店 |year=2018 |page=55 |isbn=}}</ref>。殻の角が鋭くない無棘型サザエは波の無い内海に多く、有棘型サザエは波に流されない為に棘が発達したと一般的に言われるがこれは俗説であり、専門家によると個体差の問題であるという。一般と異なり特殊である無棘型サザエであることが大国主命の信仰と結びつき伝説化する契機になったと考えられる<ref>{{Cite book|和書|author=花部英雄 |title=ジオパークと伝説 |publisher=三弥井書店 |year=2018 |page=54 |isbn=}}</ref>。 |
|||
* '''棘のないサザエ'''について |
|||
: 白滝神社御伝記によると『浮き津岩より、宮の下と称する間に産する鮑、栄螺は一壇奇態にして棘なし』と記されている<ref>{{Cite book|和書|author=花部英雄 |title=ジオパークと伝説 |publisher=三弥井書店 |year=2018 |page=55 |isbn=}}</ref>。殻の角が鋭くない無棘型サザエは波の無い内海に多く、有棘型サザエは波に流されない為に棘が発達したと一般的に言われるがこれは俗説であり専門家によると個体差の問題であるという。一般と異なり特殊である無棘型サザエであることが大国主命の信仰と結びつき伝説化する契機になったと考えられる<ref>{{Cite book|和書|author=花部英雄 |title=ジオパークと伝説 |publisher=三弥井書店 |year=2018 |page=54 |isbn=}}</ref>。 |
|||
また、類似の伝承が[[朝来市]]の[[赤淵神社]]、[[新温泉町]]の[[宇都野神社]]に伝わっている。[[丹後国]]は[[和銅]]6年([[713年]])、[[但馬国]]は[[7世紀]]後半に[[丹波国]]より分割され、元々は同じ国であることから古代史に於いて歴史的に共通・関連する部分が多く、[[表米宿禰命]]、[[彦坐命]]共に[[日下部氏]]の始祖<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_awaga.html|title=神紋と社家の姓氏-神部氏/日下部宿禰『社家神部氏参考系図』|accessdate=2019-06-04}}</ref>と言われ、丹後には[[浦島伝説]]など日下部氏と関係性のある伝承が多い。 |
|||
==== 但馬・丹後に伝わる類似の伝承 ==== |
|||
; 赤淵神社の伝承 |
|||
類似の伝承が[[朝来市]]の[[赤淵神社]]、[[新温泉町]]の[[宇都野神社]]に伝わっている。[[丹後国]]は[[713年]]([[同和]]6年)、[[但馬国]]は[[7世紀]]後半に[[丹波国]]より分割され、元々は同じ国であることから古代史に於いて歴史的に共通・関連する部分が多く、[[表米宿禰命]]、[[彦坐命]]共に[[日下部氏]]の始祖<ref>{{Cite web |url=http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_awaga.html|title=神紋と社家の姓氏-神部氏/日下部宿禰『社家神部氏参考系図』|accessdate=2019-06-04}}</ref>と言われ、丹後には[[浦島伝説]]など日下部氏と関係性のある伝承が多い。 |
|||
: [[大化]]元年([[645年]])頃。[[日下部氏]]の祖・[[日下部宿禰]]([[日下部表米]])が、日本に来襲した[[新羅]]の軍船を[[丹後国]][[与謝郡]]白糸浜で迎え討ち、逃げる敵船を追撃する際に嵐に襲われ沈没しそうになる。その時に海底から無数の[[アワビ]]が現れ、船は事なきを得る。岐路の途中で美しい大船が現れ、その船の導きにより丹後国与謝郡の浦島港([[京都府]][[与謝郡]][[伊根町]])へ入港する。その時、表米宿禰命が大船に乗るが誰もおらず、[[龍宮]]に住むといわれる大きなアワビだけが光っていた。その後、危機を脱したのは海神の加護と悟り、その鮑を持ち帰り赤淵神社を建立し祀ったとされる<ref>{{Cite web|和書|url=https://tanshin-kikin.jp/tajima/4320 |title=但馬の百科事典『赤渕神社の鮑伝承』|accessdate=2019-06-03}}</ref>。 |
|||
* '''赤淵神社'''の伝承 |
|||
; 宇都野神社の伝承 |
|||
: [[645年]]([[大化]]元年)頃。[[日下部氏]]の祖・[[日下部宿禰]]([[日下部表米]])が、日本に来襲した[[新羅]]の軍船を[[丹後国]][[与謝郡]]白糸浜で迎え討ち、逃げる敵船を追撃する際に嵐に襲われ沈没しそうになる。その時に海底から無数の[[アワビ]]が現れ、船は事なきを得る。岐路の途中で美しい大船が現れ、その船の導きにより丹後国与謝郡の浦島港([[京都府]][[与謝郡]][[伊根町]])へ入港する。その時、表米宿禰命が大船に乗るが誰もおらず、[[龍宮]]に住むといわれる大きなアワビだけが光っていた。その後、危機を脱したのは海神の加護と悟り、その鮑を持ち帰り赤淵神社を建立し祀ったとされる<ref>{{Cite web |url=https://tanshin-kikin.jp/tajima/4320 |title=但馬の百科事典『赤渕神社の鮑伝承』|accessdate=2019-06-03}}</ref>。 |
|||
: [[宇都野神社]]境内にある[[鮑之霊水]]は社伝によると第10代[[崇神天皇]]の代に[[四道将軍]][[彦坐命]]が丹波・但馬に来て賊([[玖賀耳之御笠]])を平定し、海路にて[[出雲国]]に向かう時、[[宇都野真若命]]は彦坐命を迎えて塩谷浦で舟の修繕を命ぜられるが舟に穴があいており、海水が入り込み修繕に困難を極めた。その時、大きなアワビが穴をふさいでくれた。 彦坐命は宇都野真若命に命じ、この大アワビを「船魂潮路守の大神」として宇都野の地に祀らせ、これを鮑宮と称した<ref>{{Cite web|和書|url=http://kobe.travel.coocan.jp/shinonsen/utsunojinja.htm|title=悠但訪-千々見山|accessdate=2019-06-04}}</ref>。 |
|||
但馬・丹後以外にも類似の伝承がある。 |
|||
* '''宇都野神社'''の伝承 |
|||
; 大畑八幡宮の伝承 |
|||
: [[宇都野神社]]境内にある[[鮑之霊水]]は社伝によると第10代[[崇神天皇]]の代に[[四道将軍]][[彦坐命]]が[[丹波]]・[[但馬]]に来て賊([[玖賀耳之御笠]])を平定し、海路にて[[出雲国]]に向かう時、[[宇都野真若命]]は彦坐命をお迎えして塩谷浦で舟の修繕を命ぜられるが舟に穴があいており海水が入り込み修繕に困難を極めた。その時、大きなアワビが穴をふさいでくれた。 彦坐命は宇都野真若命に命じ、この大アワビを「船魂潮路守の大神」として宇都野の地に祀らせ、これを鮑宮と称した<ref>{{Cite web |url=http://kobe.travel.coocan.jp/shinonsen/utsunojinja.htm|title=悠但訪-千々見山|accessdate=2019-06-04}}</ref>。 |
|||
: [[青森県]][[むつ市]][[大畑町]]にある[[大畑八幡宮]]では大畑から江戸へ向けて海産物を積んだ船が[[房総]]沖で嵐にみまわれた時に船底の破損した部分にアワビが張り付き、水の侵入を防ぎ難から救った。そのアワビを持ち帰り大畑八幡宮に祀ったという社伝がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.boso-legend.com/story/0076/|title=日本の房総半島の伝説、伝承、昔ばなし『船を助けたあわび』|accessdate=2019-06-05}}</ref>。 |
|||
; 竜本寺の伝承 |
|||
==== 但馬・丹後以外に伝わる類似の伝承 ==== |
|||
: [[建長]]5年([[1253年]])、[[日蓮]]は鎌倉に布教へ行く途中、時化にあい強風と大きな波により船は破損。船底に水が溜まり始めた時に日蓮は船の舳先に立ちお題目を唱えると不思議と浸水が止まり[[猿島]]に流され助かる。[[神奈川県]][[横須賀市]][[竜本寺]]には寺宝として日蓮ゆかりのサザエとアワビが所蔵されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://sarushima-guide.jimdo.com/%E7%8C%BF%E5%B3%B6%E3%81%A8%E3%81%AF/%E7%8C%BF%E5%B3%B6%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC//|title=猿島公園専門ガイド協会『猿島の伝説』|accessdate=2019-06-05}}</ref>。 |
|||
* '''大畑八幡宮'''の伝承 |
|||
: [[青森県]][[むつ市]][[大畑町]]にある[[大畑八幡宮]]では大畑から江戸へ向けて海産物を積んだ船が[[房総]]沖で嵐にみまわれた時に船底の破損した部分にアワビが張り付き、水の侵入を防ぎ難から救った。そのアワビを持ち帰り大畑八幡宮に祀ったという社伝がある<ref>{{Cite web |url=https://www.boso-legend.com/story/0076/|title=日本の房総半島の伝説、伝承、昔ばなし『船を助けたあわび』|accessdate=2019-06-05}}</ref>。 |
|||
* '''竜本寺'''の伝承 |
|||
: [[1253年]]([[建長]]5年)、[[日蓮]]は鎌倉に布教へ行く途中、時化にあい強風と大きな波により船は破損。船底に水が溜まり始めた時に日蓮は船の舳先に立ちお題目を唱えると不思議と浸水が止まり[[猿島]]に流され助かる。[[神奈川県]][[横須賀市]][[竜本寺]]には寺宝として日蓮ゆかりのサザエとアワビが所蔵されている<ref>{{Cite web |url=https://sarushima-guide.jimdo.com/%E7%8C%BF%E5%B3%B6%E3%81%A8%E3%81%AF/%E7%8C%BF%E5%B3%B6%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC//|title=猿島公園専門ガイド協会『猿島の伝説』|accessdate=2019-06-05}}</ref>。 |
|||
=== 丹波国浦掛水門・掛津比定説 === |
=== 丹波国浦掛水門・掛津比定説 === |
||
'''丹波国浦掛水門'''(たんばこくうらかけのみなと)は[[日本書紀]][[雄略天皇]]22年8月の条によると雄略天皇が亡くなった時、[[新羅]]将軍[[吉備尾代]]が[[蝦夷]]の500人の[[俘囚]]を率いて故郷、[[吉備]]に立ち寄った。その時、雄略天皇の崩御を知った俘囚が反乱を起こした。吉備尾代は[[娑婆水門]]で戦い、鎮圧を試みるが勢力が強く、最終的に丹波国浦掛水門まで追い詰めて鎮圧した。 |
'''丹波国浦掛水門'''(たんばこくうらかけのみなと)は[[日本書紀]][[雄略天皇]]22年8月の条によると雄略天皇が亡くなった時、[[新羅]]将軍[[吉備尾代]]が[[蝦夷]]の500人の[[俘囚]]を率いて故郷、[[吉備]]に立ち寄った。その時、雄略天皇の崩御を知った俘囚が反乱を起こした。吉備尾代は[[娑婆水門]]で戦い、鎮圧を試みるが勢力が強く、最終的に丹波国浦掛水門まで追い詰めて鎮圧した。 |
||
浦掛水門は、網野町掛津であるとする説がある(一般的には現在の[[京都府]][[京丹後市]][[久美浜町]][[浦明]]が[[比定地]]とされる |
浦掛水門は、網野町掛津であるとする説がある(一般的には現在の[[京都府]][[京丹後市]][[久美浜町]][[浦明]]が[[比定地]]とされる)<ref>{{Cite web|和書|url=https://nihonsinwa.com/page/1488.html|title=日本神話・神社のまとめ『尾代は弓で蝦夷を射殺す』|accessdate=2019-06-08}}</ref>。古くは掛津は懸(かけ)の浦、懸の浜と呼ばれた。澤潔は、琴引浜の砂丘を突き切る川が運ぶ砂と北西季節風の吹き返しにより出来た崖の様な地形、崖津(砂の崖の様な斜傾地)が、掛津の語源ではないかと考察している<ref>{{Cite book|和書|author=澤潔 |title=探訪 丹後半島の旅 上 |publisher=文理閣 |date=1982 |page=95 |isbn=}}</ref>。 |
||
== 文化財指定、選定等 == |
== 文化財指定、選定等 == |
||
* '''琴引浜''' |
* '''琴引浜''' |
||
** 国指定天然記念物及び名勝(2007年文化庁)<ref name="デジタルミュージアムK17"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/00003549 |title=国指定文化財等 データベース |publisher =文化庁 |accessdate=2019-12-08}}</ref> |
|||
** [[日本の白砂青松100選]](1987年林野庁)登録名称は「掛津海岸」<ref name="林野庁"/>。 |
|||
** [[日本の渚百選]](1996年大日本水産会等) |
|||
** [[京都の自然200選]](1993年京都府)<ref name="京都の自然200選">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kyoto.jp/select200/animal03.html |title=京都の自然200選 チドリ類が飛来し、微小貝類の生息する琴引浜/琴引浜 |publisher =京都府 |accessdate=2019-12-08}}</ref> |
|||
* '''鳴き砂''' |
* '''鳴き砂''' |
||
** 京丹後市指定文化財(1987年網野町指定から、2004年京丹後市に移行)<ref name="デジタルミュージアムK17"/> |
|||
** [[残したい日本の音風景100選]](1996年環境省)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.env.go.jp/air/life/nihon_no_oto/02_2007oto100sen_Pamphlet.pdf |title=残したい日本の音風景100選 |format=PDF |publisher =環境省 |accessdate=2019-12-08}}</ref> |
|||
== ギャラリー == |
== ギャラリー == |
||
181行目: | 209行目: | ||
海岸段丘の一番奥にキャンプ場と駐車場がある<ref name="安松2011,p">{{Cite book|和書|author=安松貞夫、安松美佐子 |title=琴引浜ガイド~より琴引浜を楽しむために |publisher=京丹後琴引浜ネイチャークラブハウス |date=2011 |page= |isbn=}}</ref>。地元の自治会が運営するもので、キャンプ場は砂地の松林の間に、地形や木を活用してテントを張ることができる<ref name="丹後本97p"/>。 |
海岸段丘の一番奥にキャンプ場と駐車場がある<ref name="安松2011,p">{{Cite book|和書|author=安松貞夫、安松美佐子 |title=琴引浜ガイド~より琴引浜を楽しむために |publisher=京丹後琴引浜ネイチャークラブハウス |date=2011 |page= |isbn=}}</ref>。地元の自治会が運営するもので、キャンプ場は砂地の松林の間に、地形や木を活用してテントを張ることができる<ref name="丹後本97p"/>。 |
||
==== 温泉 ==== |
==== 琴引温泉 ==== |
||
琴引浜の弧を描く海岸線の東端近くにあり、砂浜から10メートル程高い砂が堆積した斜面に湧出する<ref name=京都府温泉誌1985,p41>{{Cite book|和書|author= |title=京都府温泉誌 |publisher=京都府衛生部 |date=1985 |page=41 |isbn=}}</ref>。海岸からの距離は約40メートル<ref name=京都府温泉誌1985,p41/>。 |
|||
無味無臭、泉質は含食塩[[硫黄]]単純泉である。[[1977年]](昭和52年)7月20日に京都府衛公研が行った分析によれば、毎分200リットルの湯量があり、泉温は外気温25.7度の時点で45.2度、pH9.30であった<ref name="網野町誌(上)60p"/>。砂浜の一画に、この源泉をひきこんで湯舟のみ設置された天然のかけ流し、混浴の浴場があり、4月から10月の日中のみ湯がはられる<ref name="丹後本97p">{{Cite book|和書|author=丹後本制作委員会 |title=ひみつの丹後本 |publisher=丹後本製本委員会 |date=2018 |page=97 |isbn=}}</ref>。 |
|||
「琴引浜温泉」と呼ばれることもあるが、1996(平成8年)に掘削された[[鳴き砂温泉]]とは異なる<ref>{{Cite web|和書|url=https://amino-info.gr.jp/sp/onsen1.html |title=ようこそ網野町 天然温泉 |publisher =一般社団法人 京都府北部地域連携都市圏振興社 京丹後地域本部 網野町支部 |accessdate=2022-03-02}}</ref>。無味無臭、泉質は含食塩[[硫黄]]単純泉で、溶存物質量では鉱泉規格に満たないものの、チオ硫酸等の形で含まれる硫黄含量は療養泉規格を上回り、pH9.30とこの種の温泉群のなかでは最高値であるため、浴用泉としては優れた泉質を持つ<ref name=京都府温泉誌1985,p41/>。一方、フッ素濃度もかなり高い<ref name=京都府温泉誌1985,p41/>。 |
|||
1967年(昭和51年)5月に地元出身の花園大学教授松本米治が許可を得て開発し、深度652メートルで掘削を完了、高温泉の獲得に成功したが、その後、申請者が他界するなどにより長く利活用されてこなかった<ref>{{Cite book|和書|author= |title=京都府温泉誌 |publisher=京都府衛生部 |date=1985 |page=41 |isbn=}}</ref>。[[1977年]](昭和52年)7月20日に京都府衛公研が行った分析によれば、毎分200リットルの湯量があり、泉温は外気温25.7度の時点で45.2度であった<ref name="網野町誌(上)60p"/>。 |
|||
21世紀初頭には、砂浜の一画にこの源泉をひきこんで湯舟のみ設置した天然のかけ流し、混浴の浴場があり、4月から10月の日中のみ湯がはられる<ref name="丹後本97p">{{Cite book|和書|author=丹後本制作委員会 |title=ひみつの丹後本 |publisher=丹後本製本委員会 |date=2018 |page=97 |isbn=}}</ref>。 |
|||
=== アクセス === |
=== アクセス === |
||
192行目: | 226行目: | ||
=== 周辺 === |
=== 周辺 === |
||
* [[夕日ヶ浦海岸]] - [[日本の夕陽百選]] |
* [[夕日ヶ浦海岸]] - [[日本の夕陽百選]] |
||
* [[海蔵寺 (京丹後市)|海蔵寺]] - 鳴き砂保護を祈願して建立された仏像がある掛津地区の寺院 |
|||
== |
== 脚注 == |
||
=== 注釈 === |
=== 注釈 === |
||
{{Notelist2}} |
|||
{{Reflist|group="注"}} |
|||
=== |
=== 出典 === |
||
{{Reflist| |
{{Reflist|30em}} |
||
==参考文献== |
==参考文献== |
||
* 網野町誌編さん委員会『網野町誌(上)』網野町、1992年。 |
* 網野町誌編さん委員会『網野町誌(上)』網野町、1992年。 |
||
203行目: | 239行目: | ||
* 地学団体研究会京都支部『新京都五億年の旅』法律文化社、1990年。 |
* 地学団体研究会京都支部『新京都五億年の旅』法律文化社、1990年。 |
||
* 下中邦彦『京都府の地名』平凡社、1981年。 |
* 下中邦彦『京都府の地名』平凡社、1981年。 |
||
*{{Cite book|和書| |
*{{Cite book|和書|author1=上田正昭|authorlink1=上田正昭|author2=吉田光邦 |title=京都大事典 府域編|publisher=淡交社 |year=1994|isbn=4473013278|ref={{Sfnref|上田|1994}}}} |
||
*{{Cite book|和書|author=安松貞夫、安松美佐子|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I083719767-00 琴引浜ガイド~より琴引浜を楽しむために]|publisher=京丹後琴引浜ネイチャークラブハウス |year=2011|isbn= |
*{{Cite book|和書|author=安松貞夫、安松美佐子|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I083719767-00 琴引浜ガイド~より琴引浜を楽しむために]|publisher=京丹後琴引浜ネイチャークラブハウス |year=2011|isbn=9784990755300|ref={{Sfnref|安松|2011}}}} |
||
*{{Cite book|和書|author=「日本の渚・百選」中央委員会|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002619608-00 日本の渚・百選(公式ガイドブック)]|publisher=成山堂書店|year=1997|ref={{Sfnref|「日本の渚・百選」中央委員会|1997}}}} |
*{{Cite book|和書|author=「日本の渚・百選」中央委員会|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002619608-00 日本の渚・百選(公式ガイドブック)]|publisher=成山堂書店|year=1997|ref={{Sfnref|「日本の渚・百選」中央委員会|1997}}}} |
||
*{{Cite book|和書|author=妹尾俊夫 |title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065086787-00 浜辺の植物〜網野町〜]|publisher=京都府網野町 |year=1998|ref={{Sfnref|妹尾|1998}}}} |
*{{Cite book|和書|author=妹尾俊夫 |title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065086787-00 浜辺の植物〜網野町〜]|publisher=京都府網野町 |year=1998|ref={{Sfnref|妹尾|1998}}}} |
||
210行目: | 246行目: | ||
*{{Cite book|和書|author=日本ナショナルトラスト編|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007813077-00 トラスト ブックシリーズ18 琴引浜の鳴き砂]|publisher=網野町教育委員会 |year=1987|ref={{Sfnref|日本ナショナルトラスト|1987}}}} |
*{{Cite book|和書|author=日本ナショナルトラスト編|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007813077-00 トラスト ブックシリーズ18 琴引浜の鳴き砂]|publisher=網野町教育委員会 |year=1987|ref={{Sfnref|日本ナショナルトラスト|1987}}}} |
||
*{{Cite book|和書|author=澤潔|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001609647-00 探訪 丹後半島の旅 上]|publisher=文理閣 |year=1982|ref={{Sfnref|澤潔|1982}}}} |
*{{Cite book|和書|author=澤潔|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001609647-00 探訪 丹後半島の旅 上]|publisher=文理閣 |year=1982|ref={{Sfnref|澤潔|1982}}}} |
||
*{{Cite book|和書|title=丹後郷土資料集第一 |
*{{Cite book|和書|author=木下幸吉|title=丹後郷土資料集第一輯|publisher=龍燈社 |year=1938|ref={{Sfnref|龍燈社|1938}}}} |
||
* |
* 日本佛書センター『丹哥府志』世界聖典刊行協会、1979年(『丹後郷土史料集 第一輯』木下幸吉、1938年) |
||
*{{Cite book|和書|author=三輪茂雄|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001575475-00 鳴き砂幻想―ミュージカル・サンドの謎を追う―]|publisher=ダイヤモンド社 |year=1982|ref={{Sfnref|三輪|1982}}}} |
*{{Cite book|和書|author=三輪茂雄|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001575475-00 鳴き砂幻想―ミュージカル・サンドの謎を追う―]|publisher=ダイヤモンド社 |year=1982|ref={{Sfnref|三輪|1982}}}} |
||
*{{Cite book|和書|author=三輪茂雄|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001914631-00 白砂を訪ねて 鳴き砂の秘密]|publisher=同志社大学出版部 |year=1981|ref={{Sfnref|三輪|1981}}}} |
*{{Cite book|和書|author=三輪茂雄|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001914631-00 白砂を訪ねて 鳴き砂の秘密]|publisher=同志社大学出版部 |year=1981|ref={{Sfnref|三輪|1981}}}} |
||
*{{Cite book|和書|author=京丹後市史編さん委員会|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026711175-00 図説京丹後市の自然環境]|publisher=京丹後市 |year=2015|ref={{Sfnref|京丹後|2015}}}} |
*{{Cite book|和書|author=京丹後市史編さん委員会|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026711175-00 図説京丹後市の自然環境]|publisher=京丹後市 |year=2015|ref={{Sfnref|京丹後|2015}}}} |
||
*{{Cite book|和書|author=花部英雄|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029065309-00 ジオパークと伝説]|publisher=三弥井書店 |year=2018|ref={{Sfnref|花部|2018}}}} |
*{{Cite book|和書|author=花部英雄|title=[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029065309-00 ジオパークと伝説]|publisher=三弥井書店 |year=2018|ref={{Sfnref|花部|2018}}}} |
||
* 江川 |
*{{Cite book|和書|author=江川義則|title=日本砂浜紀行4|publisher=江川義則|year=2007|ref={{Sfnref|江川|2007}}}} |
||
* 江川 |
*{{Cite book|和書|author=江川義則|title=改訂日本砂浜紀行|publisher=日本図書刊行会|year=2003|ref={{Sfnref|江川|2003}}}} |
||
* 『琴引浜の微小貝図鑑』網野町、1991年。 |
* 『琴引浜の微小貝図鑑』網野町、1991年。 |
||
* 京丹後市教育委員会文化財保護課『琴引浜ガイドブック』京丹後市、2004年。 |
* 京丹後市教育委員会文化財保護課『琴引浜ガイドブック』京丹後市、2004年。 |
||
* 丹後本制作委員会『ひみつの丹後本』丹後本製本委員会、2018年。 |
* 丹後本制作委員会『ひみつの丹後本』丹後本製本委員会、2018年。 |
||
* {{cite journal|和書|author=原口強|title=琴引浜にみる砂浜の持続的安定機構|journal=研究発表会講演論文集 |
|||
|publisher=日本応用地質学会|year=2009|ref={{Sfnref|原口|2009}}}} |
|||
* {{cite journal|和書|author=野田正司|title=琴引浜における鳴砂の発音特性の変動とその要因|journal=水環境学会誌 |
|||
|publisher=水環境学会|year=2008|ref={{Sfnref|野田|2008}}}} |
|||
* 今井功(脚注・訳)『雲根志』築地書館、1969年 |
|||
*{{cite book|和書 |
|||
|editor = 木内小繁重暁 |
|||
|title = 雲根志 |
|||
|volume = 後編1の下、2 |
|||
|year = 1773−1801 |
|||
|web|url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563669 国立国会図書館デジタルコレクション |
|||
|accessdate=2019.12.23 |
|||
|ref={{sfnref|雲根志|1773−1801}} |
|||
}} |
|||
*{{cite book|和書 |
|||
|editor = 木内石亭(原著者)横江孚彦(訳者) |
|||
|title = 口語訳 雲根志 |
|||
|year = 2010 |
|||
|isbn = 9784639021483 |
|||
|ref={{sfnref|雲根志|2010}} |
|||
}} |
|||
*{{cite book|和書 |
|||
|editor = 與謝野寛 |
|||
|title = 與謝野寛短歌全集 |
|||
|publisher = 明治書院 |
|||
|year = 1933 |
|||
|ref={{sfnref|與謝野寛|1933}} |
|||
}} |
|||
*{{cite journal|和書 |
|||
|editor = 与謝野寛・与謝野晶子 |
|||
|journal = 冬柏 |
|||
|title = 山陰遊草 |
|||
|volume = 第1巻第4号 |
|||
|year = 1930 |
|||
|ref={{sfnref|冬柏|1930}} |
|||
}} |
|||
*{{cite book|和書 |
|||
|title = 丹後竹野郡掛津村耕地図 |
|||
|year = 1836 |
|||
|publisher = 舞鶴市糸井文庫書籍閲覧システム |
|||
|accessdate=2019.05.26 |
|||
|ref={{sfnref|耕地図|1836}} |
|||
}} |
|||
*{{cite book|和書 |
|||
|editor = 吉田金彦ほか |
|||
|title = 京都地名語源辞典 |
|||
|publisher = 東京堂出版 |
|||
|year = 2013 |
|||
|ref={{sfnref|京都地名語源辞典|2013}} |
|||
}} |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
231行目: | 317行目: | ||
* {{国指定文化財等データベース|401|00003549|琴引浜}} |
* {{国指定文化財等データベース|401|00003549|琴引浜}} |
||
* [https://www.env.go.jp/air/life/nihon_no_oto/ 残したい日本の音風景100選](環境省) |
* [https://www.env.go.jp/air/life/nihon_no_oto/ 残したい日本の音風景100選](環境省) |
||
{{Good article}} |
|||
{{Coord|35|41|59|N|135|02|31|E|display=title|region:JP-26_type:landmark}} |
{{Coord|35|41|59|N|135|02|31|E|display=title|region:JP-26_type:landmark}} |
||
{{Japan-geo-stub}} |
|||
{{DEFAULTSORT:ことひきはま}} |
{{DEFAULTSORT:ことひきはま}} |
||
[[Category:日本の海岸景勝地]] |
[[Category:日本の海岸景勝地]] |
||
241行目: | 326行目: | ||
[[Category:京丹後市の地理]] |
[[Category:京丹後市の地理]] |
||
[[Category:地質・鉱物天然記念物]] |
[[Category:地質・鉱物天然記念物]] |
||
[[Category:京都府にある国指定の天然記念物]] |
|||
[[Category:丹後天橋立大江山国定公園]] |
[[Category:丹後天橋立大江山国定公園]] |
||
[[Category:日本の音風景100選]] |
[[Category:日本の音風景100選]] |
||
[[Category:日本海]] |
[[Category:日本海]] |
||
[[Category:日本の砂浜]] |
2023年12月19日 (火) 09:24時点における最新版
琴引浜(ことひきはま)は、丹後天橋立大江山国定公園の丹後半島海岸地区の一部で、京都府京丹後市網野町掛津地区および遊地区にまたがる海岸線の砂浜である[1][2]。古くは琴曳浜[1]、琴弾浜とも表記された[3]。摩擦係数の大きな石英を多く含むため、砂の乾燥した時期に歩くと砂の振動から「キュッキュッ」あるいは「ブブゥブブゥ」という音が鳴る[1]。鳴き砂の浜としては、日本最大級の規模をもつ[4]。
概要
[編集]日本海に面した砂浜で、花崗岩質の白砂から成り立っている[5]。鳴き砂で有名な白砂青松の景勝地で、幅70~80メートル[6]。全長は1.8 キロメートルとされるが、砂浜は約1キロメートル[6]。1987年(昭和62年)に網野町の指定文化財に指定され[7]、2007年(平成19年)には国の天然記念物及び名勝に指定された。また、琴引浜は日本の白砂青松100選(1987年)、日本の渚百選(1996年)、残したい日本の音風景100選(1996年)に選ばれている[8]。2002年には同町内に琴引浜鳴き砂文化館が開館され、琴引浜を中心として世界の鳴き砂の展示や鳴き砂を事例に環境問題への啓蒙活動を行っている。
最大の特徴である鳴き砂は、摩擦係数の大きい石英を約7割含む砂同士の摩擦による振動により、音が鳴る[9]。砂の表面が他の物質で汚染されれば摩擦は小さくなり、砂は鳴らなくなるため、きれいな砂浜を守るための保全活動に高い関心が向けられている。2001年(平成13年)に網野町美しいふるさとづくり条例が制定され、世界初の禁煙ビーチとなった[10]。また、「琴引浜の鳴り砂を守る会」がゴミなどの清掃活動を行っている。琴引浜鳴き砂文化館では琴引浜に打ち上げられた漂流物が展示されており、韓国からのゴミや過去のナホトカ号重油の被害で鳴かなくなった鳴き砂を取り戻す作業風景の写真などが展示されている。1994年(平成6年)から毎年、ビーチ清掃を広める環境イベントとして「はだしのコンサート」が続いている[11]。
夏には、海水浴客でにぎわう。海水浴シーズンを迎えると海開きが行われ、海開きの日には安全祈願祭が営まれる。2019年(令和元年)は、6月30日に海開きした[12]。
地名について
[編集]琴引浜という名前は、鳴き砂の「キュッキュッ」という音を琴の音色にたとえたことに由来している[13]。琴弾浜とも書く[13]。また、地形学的に「琴弾(ことひき)」という名前は、「小峠」が「寿」に、そして「琴弾」に転訛したものといわれている[14]。 古くは掛の浜、掛津の浜であり[15]、琴引浜という名前が見えるのは、江戸時代の文献からである。
安永2年(1773年)から享和元年(1801年)に著述された博物誌『雲根志』では、「琴曳濱」と記され、「丹後国琴曳濱は一はまのころず砂紫(いさご)白にして透き、明らかに他の色なし。俗銀砂(ぎんしゃ)という。水晶砂とも琴曳砂ともいう。はなはだ清浄明白なり。この砂中を歩き行くに、自然として琴の音あり。雨後は一入調子高し。予が知れる人に琴を愛せる人あり。ここに至ってみずからこころむるに、実にあざやかなり。十三の調子音律ともに分ると。(原文ママ)」と述べられている[16]。また、ある人がこの琴曳濱の砂を大いに気に入り求め得て他の場所に敷きその上を歩いてみたが、琴のような音は鳴らなかったとも述べられている[16][17][18]。
宝暦13年(1763年)から天保13年(1842年)にかけて執筆された地誌『丹哥府志[注 1]』では、掛の濱・太鼓濱の説明に続き、琴引濱について「太皷濱前後六七丁の間、足をひいて砂を磨る其聲涓然として微妙の音あり。螺狀元の金微功奏蟬聲細玉□(車偏に今)輕調鶴管淸といふ一聯を急歩緩歩の間に□(言偏に巳)し得たり、實に天地の無絃琴なり。」とある[19] [20]。
天保7年(1836年)に描かれた『丹後竹野郡掛津村耕地図』では、地図の北、海に面した白浜に「琴引濱」と記されている[21]。
地理
[編集]地形・地質
[編集]琴引浜は、「網野砂丘」と称されるゆるやかな砂丘が海岸に沿って連なり、約7万年前に形成された古砂丘と、古砂丘の上30センチメートルほど被さるように海側に展開する約5,000年前に形成された新砂丘とで形成される[22]。2つの砂丘の下には、約1,300万年前の地層「網野累層」があり、砂岩、泥岩、凝灰岩、礫岩で形成されている[22]。この地層は丹後半島の海岸の崖や、琴引浜中央部に露出する岩礁を見ることができる[22]。
海岸を東からみていくと、東側には、飛砂防止堤が延び、その先には間人海岸を臨むことができる。浜の中央よりやや東側に流れ出る掛津川は、地元では景気川と呼ばれ、この小川は海流の影響を受けて浜辺の流路が変化する。その流れの方角で景気を占った[23]。浜のほぼ中央には1年を通して水が枯れたことがない白滝があり、『丹哥府志』によれば「瀧の高サ一丈餘り。山の半腹より水流れ出て岩に添ふて瀧となる。瀧の源川あるにあらず、小濱村の湖水爰(ここ)に流れ来るといふ。」と記される(原文ママ)[24]。かつてはこの滝の上に白滝大明神が祀られたが、1757年には場所を移したとみられる[25](後述)。
海岸中央より西にかけては陸繋砂州(トンボロ地形)が見られ、岩に波の力が弱められた結果、内側に洗われた砂が寄る。波で洗われて表面に付着物のないきれいな砂は砂同士が触れ合う際の摩擦が大きく、乾燥していると音が鳴る。この場所が鳴き砂の浜である[22]。拳でたたくとドンドンと、まるで太鼓のような響きを出す場所があり、ここは太鼓浜と呼ばれている[26]。砂が岩盤の上を移動するので、時期によって太鼓浜の位置も移動する。琴引浜を含む「網野海岸」の地質は、第三紀層堆積岩のうえに海浜礫の基底礫層が不均一に重なり、その上に海成の砂層が重なったものである[27]。かつて海底だった場所が地殻変動によって隆起し、波で浸食された海岸線が崖になったもので、その前面にできる波食台が、その後のさらなる隆起によって海水面より1~2メートル高くなった場所の一部が、琴引浜の岩盤となっている[27]。
浜の一画に源泉が沸き出でる場所があり、「琴引温泉」とよばれる[28]。食塩を含む硫黄単純泉が浜から海へ流れ込んでいる[26]。西方向には万畳山(101.3メートル)[29]を臨むことができる。
砂の特徴
[編集]砂浜の砂は、宮津花崗岩とよばれるもので、粗い粒の白い岩で砂鉄を多く含むのが特徴であり、丹後半島各所にみられる[30]。細かく均一な白っぽいベージュ色で、ザラザラとした固さがある[6]。主成分である石英は、約6,100万年前、地下で生まれた花崗岩マグマが上昇し冷え固まったものとみられ、山地から円山川や田川によって削られ海に運ばれた海底堆積砂が、沿岸流によってうちあげられ、砂浜を形成したものとみられる[31]。
石英は水晶の一種であり、水晶は一般的に六角柱の形状を成すが、琴引浜の石英は高温条件で生成されたため柱部分を持たない「高温石英」の特徴で、丸みを帯びている[32]。石英は摩擦係数が大きく、琴引浜の石英は粒の大きさもよく揃っているため、足をひいて砂を磨ることでスティックスリップ現象をひきおこし、通常の砂音とは異なる音を奏でる[33]。春先から初夏の乾燥した季節にもっともよい音色を奏でるという[22]。琴引浜の砂の約70パーセントが石英であり、平均粒径は約0.6ミリメートルと、他の鳴き砂の浜の砂より大きい。この砂の範囲は、琴引浜の沖合、水深10メートル程の海底まで分布している[8]。
摩擦による振動で音が鳴るため、砂の表面が他の物質で汚染されれば摩擦は小さくなり、砂は鳴らない[9]。不純物の少ないきれいな海水で砂浜の砂が洗われている環境で生成されるのが鳴き砂であり、浜のみでなく付近の海域がきれいなことが鳴き砂の浜を形成する琴引浜の特徴とみられる[9]。
自然
[編集]植生
[編集]砂丘が発達しており、クロマツ群落が大部分を占めている。砂丘の背後の大地に樹林が続くが、幅は狭く、地形に起伏が多いため、連結してはいない[34]。さらに海岸の左右には自然の広葉樹林帯となっている[34]。ハマゴウ群落典型下位単位、ネザサ-ススキ群落、アカメガシワ群落、コウボウムギ-ハマニガナ群落およびタブノキ群落などが見られる[35]。
植物の群落を海岸線から内陸にむかって見ていくと、波に打ち上げられた海藻類などの有機物が肥料となって土壌を豊かにしている波打ち際には、春から秋にかけてオカヒジキが群落をつくる[36]。その奥、砂の動きが激しい裸地には、ハマヒルガオとコウボウムギが生育し、砂のやや落ち着いた内陸にかけては植物の種類が増え、ハマボウフウ、ネコノシタ、ハマグルマナ、ハマナスなどの多年草が群落をつくる[36]。とくに、5月から6月にかけての琴引浜は、薄桃色のハマヒルガオが一面に咲き誇り、花畑の様相を成す[36]。さらに内陸ではハマゴウやハイネズなどの低木が群落を築き、高木のクロマツ群落につづく[36]。これら松林の緑陰と鳴き砂の白さが織りなす光景から、社団法人日本の松の緑を守る会の選定による白砂青松100選に選出された[37]。
- 珍しい種[38]
動物
[編集]人工的な構造物が一切ないため、環境変化に弱い弱小な生物が多数生息している[8][39]。また、渡り鳥のシロチドリやコチドリ等チドリ類の飛来地としても知られ、「チドリ類が飛来し、微小貝類の生息する琴引浜」の登録名称で京都の自然200選に選定された[40]。海上沖合では、冠島を繁殖地とする「京都府の鳥」オオミズナギドリの集団飛行がみられ、掛津川周辺では日本固有種のセグロセキレイが生息している[41]。陸上では、2015年時点で絶滅危惧種として京都府のレッドデータブックに登録されたイソコモリグモの生息が確認されている[42][注 2][43]。
指標生物
[編集]- 微小貝
- 海砂に潜む大きさ2ミリメートル以下の極めて小型の巻貝である[44]。琴引浜では約900種類の棲息が確認されており、その種類の多さは日本では他に類を見ない[44]。かつては日本全国の海岸に棲息したとみられるが、海岸線の人工的な変形による潮の変化や、生活排水等の流入による海水の汚染などにより減少した[44]。弱小生物のため環境変化に敏感であり、その棲息状況は鳴き砂とともに海岸の環境指数のひとつに数えられる[44]。
- 有孔虫[注 3]
- 潮だまりの海砂でみられる大きさ1ミリメートル程度の微小な石灰質の殻に潜む単細胞生物である[45]。殻は、砂粒で作られていることもある。アメーバあるいはゾウリムシの近縁種とみられる原生生物で、琴引浜には100種類以上が棲息しているとみられる[45]。微小貝同様に、その種類の多さがきれいな海の象徴であるとされる[45]。
磯の生物
[編集]- 飛沫帯には、カサガイの一種であるヨメサガイ、マツバガイ、ウシノアシガイや、アラレタマビキ、ヒザラガイが棲息する[46]。
- 乾燥に耐える海藻類も生える潮間帯には、イボニシ、バテイラ、オオヘビガイなどの貝類のほか、ウニやヒトデ類が棲息する[46]。
海底生物
[編集]太鼓浜に続く岩礁が海底までのび、そのうえに泥質の砂地が乗る琴引浜の海底には、砂地の海底に棲むサクラガイ等のほか、泥質の強い海底に棲むヒバリガイの双方が棲息する[46]。
保全と利活用
[編集]保全活動と琴引浜鳴き砂文化館
[編集]鳴き砂の保全には、海岸をゴミで汚さないことに加え、風化が進んで土壌成分を増した古砂丘の砂が浜に流出しないことが重要とされる[47]。そのため、古砂丘地帯の植生を保護し、車道や遊歩道をつくることを控える必要があり、1976年(昭和51年)に琴引浜に遊歩道を建設する計画が新聞で報じられたことをきっかけに、鳴き砂の海岸全体を天然記念物として保護する気風がうまれた[48]。
1987年(昭和62年)には「琴引浜鳴り砂を守る会」が地域住民により設立され、琴引浜の環境を保護する活動が活発になっていった。琴引浜の情報理解と活動の拠点として、2002年(平成14年)に琴引浜鳴き砂文化館が開館した[49]。
鳴き砂の発音特性に影響を及ぼすのは、水、海水からの析出塩類、さらに鳴き砂と同じ石英、長石が含まれるシルト及び粘土と判明している[50]。このシルト及び粘土の砂層への混入は人為的なものと考えられるため、対策が必要である[50]。なお、琴引浜の砂の供給源は、背後に連なる砂丘から海岸に流出した砂と、掛津川から流入する砂である[51]が、掛津川の河川改修により、流入する砂の量は、わずかとなっている[51]。
採砂鉱山
[編集]鳴き砂の浜を形成する新砂丘の砂は採取禁止とされているが、風化の進んだ古砂丘の砂も、洗浄することで鳴き砂と同じ性質を取り戻す。琴引浜と国道178号線を挟んで南の古砂丘は企業の採砂鉱山となっており、採集された砂は洗浄して粘土分を除去することで、96パーセントもの高純度の珪砂となる[52]。石英を含む砂である珪砂は、鋳物砂として愛知県や広島県など日本各地に出荷され、自動車部品の製造に活用されている[52]。古砂丘の砂は産業素材として広く利用され、プレミックスモルタルの骨材や、人工芝の目詰砂、アスファルトに吹き付ける滑り止めにも活用される[52]。
使用可能な砂の埋蔵量は1000万トン程と推定される[52]。保全地区である琴引浜を控えての操業には、細心の注意が払われている[52]。
海底熟成酒「龍宮浪漫譚」
[編集]龍宮浪漫譚は、琴引浜の沖合3キロメートル、水深27メートルに酒を半年間沈め、一定の水温が保たれた紫外線の届きにくい環境と波の揺らぎで、熟成を図る取組である[53]。
物流が発達していない時代、長い輸送期間中に船やトラックに揺られた酒は味が変化したといわれ、日本酒は美味しくなるという説があることから、2014年(平成26年)に地元の漁師と酒販店が試行をはじめた[54]。波に流されたり盗難に遭うなどしつつも、翌2015年(平成27年)に丹後の酒蔵有志らで結成した共同団体丹後酒梁によって、その後も継続的に取り組まれている[54][55]。
海底から引き揚げられた酒瓶にはフジツボなどが付着している[55]。
2018年(平成30年)9月は、丹後・与謝地域の酒蔵10社12銘柄の酒瓶240本が、無事に熟成されるようにとの願いを込めて網野神社のお守りとともに沈められ[53]、翌2019年(令和元年)5月に引き上げられ、引き上げの様子は、関西テレビでも紹介された[56]。
ウィキメディア・コモンズには、龍宮浪漫譚に関するカテゴリがあります。
琴引浜が登場する作品
[編集]琴引浜は古くから景勝地として知られ、前述の小林玄章・小林之保・小林之原3世代によって編纂された地誌『丹哥府志』のほか、細川幽斎、細川ガラシャ、野田泉光院、木内石亭(小繁)ら多くの文人が当地を訪れ、文献に記録している[57][4]。 与謝野晶子・与謝野寛歌碑は、平成5年(1993年)6月9日、みだれ髪の会により建立されたものである[58]。
文学
[編集]- 「根上りの 松に五色の 糸かけ津 琴引き遊ぶ 三洋の浦々」という歌は、戦国大名細川幽斎が詠んだといわれている[59]。
- 「名に高き太皷の濱に聞秋の 遠にも渡る秋の夕さめ」という和歌は、幽斎の息子・忠興の妻で、明智光秀の娘細川ガラシャの作といわれている[60][61]。
- 野田泉光院は『日本九峰修行日記』の文化11年(1814年)7月23日の条で、『真砂幅十五間長さ三丁計り、其内十間に五間を歩行すれば、「ぎうぎうすうすう」と鳴る、又杖にていらうても其音あり。尤も天気続きて砂の乾きたる程音高しと云ふ。又、太鼓浜は其浜続きにて一丁位東にあり。此の太鼓浜は僅か二間四方位、歩行けば「どんどん」と鳴る、是れは砂の底に石の穴ありと云ふ。』と、鳴き砂や太鼓浜について詳説し[62]、2句を詠み残した[63]。
- 与謝野寛と与謝野晶子は1930年(昭和5年)5月の旅にて琴引浜に立ち寄り、以下の句を残した[64][65][66]。
- 「琴弾浜を詠む 句会」[注 5]で特選に選ばれた句。
- 「鳴き砂を 誇る一村 風薫る」[68]
- 二階堂黎人著の『東尋坊マジック』の中で琴引浜が物語の重要な舞台となるとともに、琴引浜の特徴や評価について言及されている[69][70]。
楽曲
[編集]- 神津善行作曲「砂が鳴いている」- 鳴き砂保護を歌った琴引浜のテーマソング[71]。
- 京丹後市立島津小学校 作詞・作曲「琴引浜によせて」- はだしのコンサートで合唱される、琴引浜の環境保全を呼びかける歌[72]。
琴引浜がロケ地となった映像化作品
[編集]- 映画『超高速!参勤交代』 2014年公開 監督本木克英
- 映画『天地明察』 2012年公開 監督滝田洋二郎
- 映画『バルトの楽園』 2006年公開
- 映画『隠し剣鬼の爪』 2004年公開 監督山田洋次
- 映画『千年の恋~ひかる源氏物語~』 2001年公開 監督堀川とんこう
- 映画『釣りバカ日誌5』 1992年公開 監督山田洋次
- 映画『動天』 1991年 監督舛田利雄
- 映画『花笠道中』 1962年 監督河野寿一
- 映画『炎上』 1958年 監督市川崑
このほかテレビドラマ多数[73]。
琴引浜に関する伝承
[編集]白滝神社の棘のないサザエ伝説
[編集]白滝神社 | |
---|---|
所在地 | 京都府京丹後市網野町掛津小字西山7番ノ1 |
位置 | 北緯35度42分05秒 東経135度02分48秒 / 北緯35.70139度 東経135.04667度 |
主祭神 | 大物主命[74] |
神体 | 流木[75] |
社格等 | 村社 |
創建 | 創建不明(宝暦7年現地へ遷宮) |
地図 |
白滝神社(しらたきじんじゃ)は、京丹後市網野町掛津に琴引浜を見下ろすように鎮座する神社である。名前の由来は神社の西の海に面したところにある白滝からきている[76]。祭神は大物主命[74]。神は、サザエの殻に乗って漂着したと口伝が残る[74]。境内に7社、区内諸社に1社の神社をもつ[77][注 6]。
神社の創立は不明だが宝暦7年(1757年)に現在地に遷宮された記録があり[74]、元々は現在地より若干西側に鎮座していた[78]。神社明細帳によれば享和3年(1803年)に再建[74]。1873年(明治6年)村社に列せられる。昔、出雲国より大国主命が船で通りかかった時に船底にあいた穴をサザエが塞いで沈没を防いだという言い伝えがあり、それ以来、琴引浜のサザエには棘が無い丸いサザエがいると言われている[79]。ご神体は流木で、かつては男体の形をした神体と女体の形をした2体があったが、盗難に遭い、女体形のみが残る[75]。大国主命(大物主命)の縁結び信仰と女体神が男体神の帰りを待つことと掛けたと考えられる恋愛成就の碑が境内に献納されている[75]。
白滝神社御伝記には『浮き津岩より、宮の下と称する間に産する鮑、栄螺は一壇奇態にして棘なし』と記されている[80]。殻の角が鋭くない無棘型サザエは波の無い内海に多く、有棘型サザエは波に流されない為に棘が発達したと一般的に言われるがこれは俗説であり、専門家によると個体差の問題であるという。一般と異なり特殊である無棘型サザエであることが大国主命の信仰と結びつき伝説化する契機になったと考えられる[81]。
また、類似の伝承が朝来市の赤淵神社、新温泉町の宇都野神社に伝わっている。丹後国は和銅6年(713年)、但馬国は7世紀後半に丹波国より分割され、元々は同じ国であることから古代史に於いて歴史的に共通・関連する部分が多く、表米宿禰命、彦坐命共に日下部氏の始祖[82]と言われ、丹後には浦島伝説など日下部氏と関係性のある伝承が多い。
- 赤淵神社の伝承
- 大化元年(645年)頃。日下部氏の祖・日下部宿禰(日下部表米)が、日本に来襲した新羅の軍船を丹後国与謝郡白糸浜で迎え討ち、逃げる敵船を追撃する際に嵐に襲われ沈没しそうになる。その時に海底から無数のアワビが現れ、船は事なきを得る。岐路の途中で美しい大船が現れ、その船の導きにより丹後国与謝郡の浦島港(京都府与謝郡伊根町)へ入港する。その時、表米宿禰命が大船に乗るが誰もおらず、龍宮に住むといわれる大きなアワビだけが光っていた。その後、危機を脱したのは海神の加護と悟り、その鮑を持ち帰り赤淵神社を建立し祀ったとされる[83]。
- 宇都野神社の伝承
- 宇都野神社境内にある鮑之霊水は社伝によると第10代崇神天皇の代に四道将軍彦坐命が丹波・但馬に来て賊(玖賀耳之御笠)を平定し、海路にて出雲国に向かう時、宇都野真若命は彦坐命を迎えて塩谷浦で舟の修繕を命ぜられるが舟に穴があいており、海水が入り込み修繕に困難を極めた。その時、大きなアワビが穴をふさいでくれた。 彦坐命は宇都野真若命に命じ、この大アワビを「船魂潮路守の大神」として宇都野の地に祀らせ、これを鮑宮と称した[84]。
但馬・丹後以外にも類似の伝承がある。
- 大畑八幡宮の伝承
- 青森県むつ市大畑町にある大畑八幡宮では大畑から江戸へ向けて海産物を積んだ船が房総沖で嵐にみまわれた時に船底の破損した部分にアワビが張り付き、水の侵入を防ぎ難から救った。そのアワビを持ち帰り大畑八幡宮に祀ったという社伝がある[85]。
- 竜本寺の伝承
- 建長5年(1253年)、日蓮は鎌倉に布教へ行く途中、時化にあい強風と大きな波により船は破損。船底に水が溜まり始めた時に日蓮は船の舳先に立ちお題目を唱えると不思議と浸水が止まり猿島に流され助かる。神奈川県横須賀市竜本寺には寺宝として日蓮ゆかりのサザエとアワビが所蔵されている[86]。
丹波国浦掛水門・掛津比定説
[編集]丹波国浦掛水門(たんばこくうらかけのみなと)は日本書紀雄略天皇22年8月の条によると雄略天皇が亡くなった時、新羅将軍吉備尾代が蝦夷の500人の俘囚を率いて故郷、吉備に立ち寄った。その時、雄略天皇の崩御を知った俘囚が反乱を起こした。吉備尾代は娑婆水門で戦い、鎮圧を試みるが勢力が強く、最終的に丹波国浦掛水門まで追い詰めて鎮圧した。
浦掛水門は、網野町掛津であるとする説がある(一般的には現在の京都府京丹後市久美浜町浦明が比定地とされる)[87]。古くは掛津は懸(かけ)の浦、懸の浜と呼ばれた。澤潔は、琴引浜の砂丘を突き切る川が運ぶ砂と北西季節風の吹き返しにより出来た崖の様な地形、崖津(砂の崖の様な斜傾地)が、掛津の語源ではないかと考察している[88]。
文化財指定、選定等
[編集]- 琴引浜
- 鳴き砂
- 京丹後市指定文化財(1987年網野町指定から、2004年京丹後市に移行)[59]
- 残したい日本の音風景100選(1996年環境省)[90]
ギャラリー
[編集]-
琴引浜(万畳)
-
琴引浜(白滝)
-
琴引浜の太鼓浜
-
琴引浜(東側)
-
琴引浜(西側)
-
琴引浜・2009年12月下旬撮影
-
琴引浜の西部に露出しているグリーンタフ
-
喫煙場所
現地情報
[編集]施設
[編集]キャンプ場
[編集]海岸段丘の一番奥にキャンプ場と駐車場がある[49]。地元の自治会が運営するもので、キャンプ場は砂地の松林の間に、地形や木を活用してテントを張ることができる[91]。
琴引温泉
[編集]琴引浜の弧を描く海岸線の東端近くにあり、砂浜から10メートル程高い砂が堆積した斜面に湧出する[92]。海岸からの距離は約40メートル[92]。
「琴引浜温泉」と呼ばれることもあるが、1996(平成8年)に掘削された鳴き砂温泉とは異なる[93]。無味無臭、泉質は含食塩硫黄単純泉で、溶存物質量では鉱泉規格に満たないものの、チオ硫酸等の形で含まれる硫黄含量は療養泉規格を上回り、pH9.30とこの種の温泉群のなかでは最高値であるため、浴用泉としては優れた泉質を持つ[92]。一方、フッ素濃度もかなり高い[92]。
1967年(昭和51年)5月に地元出身の花園大学教授松本米治が許可を得て開発し、深度652メートルで掘削を完了、高温泉の獲得に成功したが、その後、申請者が他界するなどにより長く利活用されてこなかった[94]。1977年(昭和52年)7月20日に京都府衛公研が行った分析によれば、毎分200リットルの湯量があり、泉温は外気温25.7度の時点で45.2度であった[28]。
21世紀初頭には、砂浜の一画にこの源泉をひきこんで湯舟のみ設置した天然のかけ流し、混浴の浴場があり、4月から10月の日中のみ湯がはられる[91]。
アクセス
[編集]- いずれも、「琴引浜」バス停(ことひきはま・2006年・掛津を改称。)下車。
周辺
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「丹哥」は丹後を意味する。『丹哥府志』は、丹後地方全域の地理と歴史を総括した近代までの資料としてはほぼ唯一の総史である。1761年(宝暦11年)から1763年(宝暦13年)にかけて、宮津藩の藩主の命により『宮津府志』を編纂した小林玄章が、その対象地域を丹後全域に広め、子の之保、孫の之原が引き継いで80年後の1841年(天保12年)に完成させた。原本の所在は不明となっているが、宮津藩に保管されていた写本を元に復刻されている。(出典:『丹後郷土史料集 第一輯 丹哥府志』1-2p)
- ^ 環境省のカテゴリーでは、2015年時点で絶滅危惧II類 (VU) に分類されている。
- ^ 琴引浜の有孔虫についての図録あり(琴引浜の微しょう貝図鑑、32-33p.)
- ^ 「琴ヶ浜」という名称の海岸は日本海側に複数存在するが、この「琴ヶ濱」の句は野田泉光院が琴引浜について述べた項目内で記載されており、琴引浜について詠んだ句であることは明白である。(出典『日本九峯修行日記』226p,「文化11年(1814年)7月23日の条」)
- ^ 琴引浜鳴き砂文化館が主催し、初めて企画した。
- ^ 境内社と祭神の一覧は次の通り。 このほかに、区内諸社として稲荷神社1社を構える。
出典
[編集]- ^ a b c 日本ナショナルトラスト 1987, p. 1.
- ^ “琴引浜”. 京都府 丹後広域振興局. 2018年1月22日閲覧。
- ^ 上田正昭 1994, p. 231.
- ^ a b 大滝裕一 (2008年6月27日). “環境保全へ 活動多彩”. 京都新聞
- ^ 上田 1994, p. 231.
- ^ a b c 江川善則『改訂日本砂浜紀行』日本図書刊行会、2003年、60頁。
- ^ 「日本の渚・百選」中央委員会 1997, p. 631.
- ^ a b c d e 京丹後市の自然 2015, p. 88.
- ^ a b c 日本ナショナルトラスト 1987, p. 4-5.
- ^ 安松 2011, p. 17.
- ^ 「音楽家 杉山清貴(5) ビーチ・クリーン・ライブ『日本経済新聞』2016年10月28日
- ^ 片村有宏 (2019年7月1日). “京丹後 府内トップ切り海開き”. 京都新聞 地域面: p. 23
- ^ a b 上田 1994.
- ^ 澤潔 1982, p. 97.
- ^ 京都地名語源辞典 2013.
- ^ a b 今井功『雲根志』築地書館、1969年、137頁。
- ^ 雲根志 & 1773−1801.
- ^ 雲根志 2010.
- ^ 『丹後郷土資料集第一編』龍燈社、1938年、355頁。
- ^ 丹哥府誌 1842.
- ^ 耕地図 1836.
- ^ a b c d e 地学団体研究会京都支部『新京都五億年の旅』法律文化社、1990年、136頁。
- ^ 三輪 & 1982,77p".
- ^ 日本佛書センター『丹哥府志』世界聖典刊行協会、1979年、355頁。
- ^ 日本ナショナルトラスト, p. 6-7.
- ^ a b 安松 2011.
- ^ a b 網野町誌編さん委員会『網野町誌(上)』網野町、1992年、32頁。
- ^ a b 網野町誌編さん委員会『網野町誌(上)』網野町、1992年、60頁。
- ^ 網野町役場企画商工観光課 1999, p. 7.
- ^ 安松 2011, p. 17p.
- ^ 江川善則『日本砂浜紀行4』江川善則、2007年、44頁。
- ^ 日本ナショナルトラスト, 1987 & 4-5p.
- ^ 日本ナショナルトラスト 1987, p. 2-3.
- ^ a b 江川 2007, p. 44.
- ^ 妹尾俊夫『浜辺の植物〜網野町〜』京都府網野町、1998年、10頁。
- ^ a b c d 日本ナショナルトラスト 1987, p. 10.
- ^ a b “白砂青松100選”. 林野庁. 2019年12月8日閲覧。
- ^ 妹尾俊夫『浜辺の植物〜網野町〜』京都府網野町、1998年、8頁。
- ^ 琴引浜の微小貝図鑑. 網野町. (1991). p. 32ー33
- ^ a b “京都の自然200選 チドリ類が飛来し、微小貝類の生息する琴引浜/琴引浜”. 京都府. 2019年12月8日閲覧。
- ^ 京丹後市教育委員会文化財保護課『琴引浜ガイドブック』京丹後市、2004年、9頁。
- ^ 京丹後市教育委員会文化財保護課『琴引浜ガイドブック』京丹後市、2004年、10頁。
- ^ “京都府レッドデータブック2015”. 京都府. 2019年12月10日閲覧。
- ^ a b c d 日本ナショナルトラスト 1987, p. 3.
- ^ a b c 日本ナショナルトラスト 1987, p. 9.
- ^ a b c 日本ナショナルトラスト 1987, p. 11.
- ^ 日本ナショナルトラスト『トラスト*ブックシリーズ18 琴引浜』網野町教育委員会、1987年、8頁。
- ^ 菅沼晃次郎『民族文学』第469号、10月25日、102頁。
- ^ a b 安松貞夫、安松美佐子『琴引浜ガイド~より琴引浜を楽しむために』京丹後琴引浜ネイチャークラブハウス、2011年。
- ^ a b 野田 2008.
- ^ a b 原口 2009.
- ^ a b c d e 網野町誌編さん委員会『網野町誌(上)』網野町、1992年、51-52頁。
- ^ a b “龍宮浪漫譚 海囲い酒”. 丹後酒梁. 2019年8月17日閲覧。
- ^ a b “亡き友にささぐ海底酒 京都・遺失や盗難乗り越え引き上げ”. 京都新聞. (2018年5月10日)
- ^ a b “地酒を海底で熟成”. 北近畿経済新聞. (2016年4月23日)
- ^ “日本海で寝かせた酒を引き上げ 水深27mで9カ月熟成”. 松栄屋(関西テレビ). 2019年8月17日閲覧。
- ^ 日本ナショナルトラスト『トラスト*ブックシリーズ18 琴引浜』網野町教育委員会、1987年、2頁。
- ^ 網野町『広報あみの』網野町、1991年7月、7頁。
- ^ a b c d “デジタルミュージアムK17琴引浜と鳴き砂”. 京丹後市. 2019年12月8日閲覧。
- ^ 三輪茂雄『白砂を訪ねて 鳴き砂の秘密』同志社大学出版部、1981年、20-21頁。
- ^ 木下幸吉『丹後郷土史料集 第三編 丹哥府志』龍燈社、1968年、355頁。
- ^ 下中邦彦『京都府の地名』平凡社、1981年、823頁。
- ^ a b c 野田泉光院『日本九峯修行日記』杉田直、1935年、225-226頁。
- ^ “琴引浜の歴史”. 琴引浜鳴き砂文化館. 2019年12月1日閲覧。
- ^ a b c d 與謝野寛『與謝野寛短歌全集』明治書院、1933年、165頁。
- ^ a b c d e f g h 冬柏 1930.
- ^ 三輪茂雄『鳴き砂幻想―ミュージカル・サンドの謎を追う―』ダイヤモンド社、1982年。
- ^ “琴弾浜を詠む 句会”. 朝日新聞. (2014年5月18日)
- ^ 二階堂黎人『東尋坊マジック』実業之日本社、2014年、94頁。
- ^ 二階堂黎人『東尋坊マジック』実業之日本社、2014年、125-128頁。
- ^ 「日本の渚・百選」中央委員会『日本の渚・百選(公式ガイドブック)』成山堂書店、1997年、63頁。
- ^ “ごみ拾い、多彩な催し楽しむ”. 京都新聞. (2008年6月2日)
- ^ 京丹後フィルムコミッション制作、琴引浜鳴き砂文化館展示所蔵資料より
- ^ a b c d e 網野町誌編さん委員会『網野町誌(下)』網野町、1996年、72頁。
- ^ a b c “琴引浜を見下ろす白滝神社”. 琴引浜鳴き砂文化館. 2019年12月9日閲覧。
- ^ 花部英雄『ジオパークと伝説』三弥井書店、2018年、51頁。
- ^ 網野町誌編さん委員会『網野町誌(下)』網野町、1996年、73頁。
- ^ 花部英雄『ジオパークと伝説』三弥井書店、2018年、53頁。
- ^ 花部英雄『ジオパークと伝説』三弥井書店、2018年、50頁。
- ^ 花部英雄『ジオパークと伝説』三弥井書店、2018年、55頁。
- ^ 花部英雄『ジオパークと伝説』三弥井書店、2018年、54頁。
- ^ “神紋と社家の姓氏-神部氏/日下部宿禰『社家神部氏参考系図』”. 2019年6月4日閲覧。
- ^ “但馬の百科事典『赤渕神社の鮑伝承』”. 2019年6月3日閲覧。
- ^ “悠但訪-千々見山”. 2019年6月4日閲覧。
- ^ “日本の房総半島の伝説、伝承、昔ばなし『船を助けたあわび』”. 2019年6月5日閲覧。
- ^ “猿島公園専門ガイド協会『猿島の伝説』”. 2019年6月5日閲覧。
- ^ “日本神話・神社のまとめ『尾代は弓で蝦夷を射殺す』”. 2019年6月8日閲覧。
- ^ 澤潔『探訪 丹後半島の旅 上』文理閣、1982年、95頁。
- ^ “国指定文化財等 データベース”. 文化庁. 2019年12月8日閲覧。
- ^ “残したい日本の音風景100選” (PDF). 環境省. 2019年12月8日閲覧。
- ^ a b 丹後本制作委員会『ひみつの丹後本』丹後本製本委員会、2018年、97頁。
- ^ a b c d 『京都府温泉誌』京都府衛生部、1985年、41頁。
- ^ “ようこそ網野町 天然温泉”. 一般社団法人 京都府北部地域連携都市圏振興社 京丹後地域本部 網野町支部. 2022年3月2日閲覧。
- ^ 『京都府温泉誌』京都府衛生部、1985年、41頁。
参考文献
[編集]- 網野町誌編さん委員会『網野町誌(上)』網野町、1992年。
- 網野町誌編さん委員会『網野町誌(下)』網野町、1996年。
- 地学団体研究会京都支部『新京都五億年の旅』法律文化社、1990年。
- 下中邦彦『京都府の地名』平凡社、1981年。
- 上田正昭、吉田光邦『京都大事典 府域編』淡交社、1994年。ISBN 4473013278。
- 安松貞夫、安松美佐子『琴引浜ガイド~より琴引浜を楽しむために』京丹後琴引浜ネイチャークラブハウス、2011年。ISBN 9784990755300。
- 「日本の渚・百選」中央委員会『日本の渚・百選(公式ガイドブック)』成山堂書店、1997年。
- 妹尾俊夫『浜辺の植物〜網野町〜』京都府網野町、1998年。
- 網野町役場企画商工観光課『琴引浜の鳴き砂』網野町、1999年。
- 日本ナショナルトラスト編『トラスト ブックシリーズ18 琴引浜の鳴き砂』網野町教育委員会、1987年。
- 澤潔『探訪 丹後半島の旅 上』文理閣、1982年。
- 木下幸吉『丹後郷土資料集第一輯』龍燈社、1938年。
- 日本佛書センター『丹哥府志』世界聖典刊行協会、1979年(『丹後郷土史料集 第一輯』木下幸吉、1938年)
- 三輪茂雄『鳴き砂幻想―ミュージカル・サンドの謎を追う―』ダイヤモンド社、1982年。
- 三輪茂雄『白砂を訪ねて 鳴き砂の秘密』同志社大学出版部、1981年。
- 京丹後市史編さん委員会『図説京丹後市の自然環境』京丹後市、2015年。
- 花部英雄『ジオパークと伝説』三弥井書店、2018年。
- 江川義則『日本砂浜紀行4』江川義則、2007年。
- 江川義則『改訂日本砂浜紀行』日本図書刊行会、2003年。
- 『琴引浜の微小貝図鑑』網野町、1991年。
- 京丹後市教育委員会文化財保護課『琴引浜ガイドブック』京丹後市、2004年。
- 丹後本制作委員会『ひみつの丹後本』丹後本製本委員会、2018年。
- 原口強「琴引浜にみる砂浜の持続的安定機構」『研究発表会講演論文集』、日本応用地質学会、2009年。
- 野田正司「琴引浜における鳴砂の発音特性の変動とその要因」『水環境学会誌』、水環境学会、2008年。
- 今井功(脚注・訳)『雲根志』築地書館、1969年
- 木内小繁重暁 編『国立国会図書館デジタルコレクション 雲根志』 後編1の下、2、1773−1801 。2019年12月23日閲覧。
- 木内石亭(原著者)横江孚彦(訳者) 編『口語訳 雲根志』2010年。ISBN 9784639021483。
- 與謝野寛 編『與謝野寛短歌全集』明治書院、1933年。
- 与謝野寛・与謝野晶子(編)「山陰遊草」『冬柏』第1巻第4号、1930年。
- 『丹後竹野郡掛津村耕地図』舞鶴市糸井文庫書籍閲覧システム、1836年。
- 吉田金彦ほか 編『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 琴引浜鳴き砂文化館
- 京丹後市デジタルミュージアムK17
- 琴引浜 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 残したい日本の音風景100選(環境省)