赤淵神社
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赤淵神社 | |
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所在地 | 兵庫県朝来市和田山町枚田2014 |
主祭神 |
赤淵足尼神 表米宿禰神 大海龍王神 |
創建 | 507年 |
赤淵神社(あかぶちじんじゃ)は、兵庫県朝来市和田山町枚田にある神社。
社名
[編集]舒明天皇の時、嫡孫・日下部宿禰が但馬国造に任じられた。始祖の赤淵足尼神を崇め祠を造って、内高山に祀ったことが、赤淵神社の起こりとされる。
歴史
[編集]社伝によると、継体天皇25年(507年)創建[1]。室町時代初期に本殿が建てられ、天正2年(1574年)八木城主・八木豊信により、社殿を再建。神主はおらず、祭事は神渕寺の僧が執行していたとされる。保存されている棟札によって、元和8年(1622年)、正保5年(1648年)、寛文5年(1665年)、元禄7年(1694年)、元文5年(1740年)、宝暦10年(1760年)、天明5年(1785年)に改修されたことが判明している。昭和45年(1970年)に本殿が国の重要文化財の指定を受けた。平成3年(1991年)に文化庁の補助によって本殿と履屋が大改修された[2]。社殿の修理の度に遷宮が行われていたが、天明5年(1785年)に上屋が新築されてから遷宮が廃れた。
大化の新羅の賊
[編集]赤淵神社に伝承する『神社略記』によると、大化元年(645年)に表米宿禰命(ひょうまいすくね)が丹後・白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した。沈没しかけた船を、大海龍王が、アワビの大群を用いて救ったと伝わる。赤淵神社は日下部氏が奉祭する。
風習
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神渕寺
[編集]赤淵神社の神宮寺として建てられ、赤淵神社の祭祀を司っており、一時、廃れていたが、僧侶宥快が室町時代中期に真言宗神渕寺として復興した。以後、住持は26代続いたが明治政府の神仏判然令による打撃を受け、明治42年(1909年)住持探源の死去により以後、建物と名籍だけになった[3]。
勅使門
[編集]- 1799年(寛政11年)神渕寺21世住持祐照の時、547名の個人と102の村々の団体の寄付によって再建された。
山門
[編集]- 1830年(文政13年)神渕寺23世住持尭詮の時、763名の個人と82の村々の団体の寄付によって再建された。
脚注
[編集]- ^ ひょうごの環境 南但馬 竹田城址を訪ねるみち 兵庫県、2024年10月29日閲覧。
- ^ 『和田山町史』和田山町、2004年、832頁。
- ^ 『ひらたの歴史』ひらたふれあい懇話会、1998年、26頁。