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12/2保留選手名簿公示(http://npb.jp/announcement/2018/reserved_bs.html)。名簿漏れにより正式に自由契約選手。
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{{保護依頼}}
{{選手のNPB球団所属記載変更に関する注意|1}}
{{Infobox baseball player
{{Infobox baseball player
|選手名 = 金子 千尋
| 選手名 = 金子 千尋
| 所属球団 = 北海道日本ハムファイターズ
|英語表記 =
| 役職 = <br />ファーム投手コーチ
|所属球団 = <!--NPBの入団公示まで新所属球団を書かないで下さい。ニュース報道はソースとなりません-->
| 背番号 = 91
|背番号 = <!--NPBの入団公示まで新背番号を書かないで下さい。ニュース報道はソースとなりません-->
| 画像 = NF-Chihiro Kaneko20220618.jpg
|選手写真ファイル名 = 金子千尋20110913.jpg
|写真サイズ = 275
| 画像サイズ = 280
| 画像説明 = 北海道日本ハムファイターズでの現役時代<br />(2022年6月18日 [[ファイターズ鎌ケ谷スタジアム]])
|写真のコメント = 2011年9月13日 [[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]]にて
|国籍 = {{JPN}}
| 国籍 = {{JPN}}
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|生年月日 = {{生年月日と年齢|1983|11|8}}
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| ドラフト順位 = 自由獲得枠
| 初出場 = 2006年4月12日
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* [[長野県長野商業高等学校]]
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* [[オリックス・バファローズ]] (2005 - 2018)<!--NPBの入団公示まで所属を追加しないで下さい。ニュース報道はソースとなりません-->
* [[オリックス・バファローズ]] (2005 - 2018)
* [[北海道日本ハムファイターズ]] (2019 - 2022)
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'''金子 千尋'''(かねこ ちひろ、[[1983年]][[11月8日]] - )は、[[新潟県]][[三条市]]出身<ref name="jpsa2014"/>の[[プロ野球選手]]([[投手]])。右投左打。[[2018年]]シーズンまで[[オリックス・バファーズ]]に所属し、現在は自由契約選手である<ref>{{Cite web|url=http://npb.jp/announcement/2018/reserved_bs.html|title=2019年度 契約保留選手名簿 オリックス・バファズ|publisher=NPB.jp 日本野球機構|date=2018-12-2|accessdate=2018-12-3}}</ref>
'''金子 千尋'''(かねこ ちひろ、[[1983年]][[11月8日]] - )は、[[新潟県]][[三条市]]出身{{R|三條新聞2000-02-03}}[[プロ野球選手]]([[投手]])。右投左打。現在は[[北海道日本ハムファイターズ]]ファーム投手コーチ

{{by|2019年}}から{{by|2021年}}までの登録名は'''金子 弌大'''(かねこ ちひろ)<ref name="fighters20181210">{{Cite web ja |url=http://www.fighters.co.jp/news/detail/00001536.html |title=新加入の金子弌大投手が入団会見 |website=北海道日本ハムファイターズ |date=2018-12-10 |accessdate=2018-12-10}}</ref>。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
=== プロ入り前 ===
{{出典の明記|date=2014年12月|section=1}}
{{出典の明記|date=2014年12月|section=1}}
三条市桜木町で生まれ{{Efn|千尋の父親は三条市桜木町出身で、母親は三条市に隣接する[[燕市]]の出身である{{R|三條新聞2000-02-03}}。}}、4歳年上の姉がいる。本成寺保育園を経て[[新潟県小学校の廃校一覧|三条市立南小学校]]に入学、3年生まで同校に通学していた<ref name="三條新聞2000-02-03">『[[三條新聞]]』2000年2月3日付「春のセンバツ出場の長野商業投手 金子千尋君(16歳)は三条っ子 正月三条に帰り『絶対見に来い』 南小時代から野球大好き 三条の祖父母 成長ぶりに大喜び」(三条新聞社)</ref>。千尋は自著で、幼少期はサッカーに熱中していた旨を述べているが{{Sfn|金子千尋|2014|p=8}}、同市の地元紙『[[三條新聞]]』は、同市に住んでいたころから野球が大好きだったという旨を報じている{{R|三條新聞2000-02-03}}。
[[新潟県]][[三条市]]に生まれ、小学4年時に[[長野市]]へ転居。小学校は[[長野市立朝陽小学校]] 石渡育成会少年野球倶楽部にて[[投手]]を務める。[[長野県長野商業高等学校|長野商業高校]]では、2年春の[[第72回選抜高等学校野球大会]]に出場し、2回戦で[[近澤昌志]]・[[平野佳寿]]らを擁する[[京都府立鳥羽高等学校|鳥羽高校]]に敗れた。夏は[[全国高等学校野球選手権長野大会|長野大会]]準優勝。3年夏には2回戦で7回参考ながら[[ノーヒットノーラン]]を記録したが、準決勝で12[[三振#奪三振|奪三振]]を記録しながら[[創造学園高等学校|塚原青雲高校]]に敗れた。高校卒業後は[[社会人野球]]の[[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]]に入社して3年目に[[リリーフ#抑え|抑え]]として頭角を現し、[[都市対抗野球大会]]でも好投した。


[[日本電信電話|NTT]]に勤めていた父親の転勤に伴い、小学4年への進級時に長野市立朝陽小学校に転校する{{R|三條新聞2000-02-03}}。少年野球が盛んな地域だったことから{{Sfn|金子千尋|2014|p=8}}、朝陽小5年生の時、野球に本格的に取り組むようになり、地元の石渡育成会少年野球倶楽部に[[投手]]として入団し{{R|三條新聞2000-02-03}}、左打ちを始めた{{Sfn|金子千尋|2014|p=8}}。当時は長野の小学生にとって、自宅で観戦できるプロ野球のテレビ中継は[[読売ジャイアンツ]]の試合が中心だったため、自然と巨人の選手に注目するようになったが、当時は投手よりも打者([[緒方耕一]]・[[高橋由伸]]ら)に憧れた{{Sfn|金子千尋|2014|pp=8-9}}。
[[2004年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2004年のNPBドラフト会議]]において、[[希望入団枠制度|自由獲得枠]]で[[オリックス・バファローズ]]に入団。[[大阪近鉄バファローズ]]と[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]の合併によって誕生したオリックス・バファローズの1期生になった。この会議は、前述の合併および[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の新規参入による[[プロ野球再編問題 (2004年)|プロ野球再編問題]]の渦中に開かれたため、オリックス・バファローズは直前まで参加を危ぶまれていた。しかし、スカウトの[[熊野輝光]]がトヨタ自動車野球部の練習を視察した際に、金子が投じた「キャッチャーがいなければ果てしなく伸びるようなストレート」に魅了。球団首脳部に「(今は肘を故障しているが)治れば、[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|来年のドラフト会議]]で複数球団から確実に上位で指名されるほど大活躍します。今なら(オリックス・バファローズが単独で)獲れます」と力説した結果、自由枠での指名に漕ぎ着けた。


長野市立長野東部中学校に進学後は長野北[[リトルシニア|シニアリーグ]]に所属し、エースとして活躍{{R|三條新聞2000-02-03}}。また、このころからプロ野球選手になることを意識するようになる{{Sfn|金子千尋|2014|p=9}}。中学在学時から長野県内の野球強豪校の数校から勧誘されたが、[[長野県長野商業高等学校|長野商業高校]]の野球部監督から「創立100周年に一緒に甲子園をめざそう」と言われたことを意気に感じ、同校に進学した{{R|三條新聞2000-02-03}}。
なお、自由枠での入団がほぼ決まった後には、右肘の故障が判明。そのため、一時は「オリックスが獲得の方針を撤回する」と報じられた。金子によれば、この報道で[[日本プロ野球|プロ野球]]の厳しさを肌で感じたことが、入団後の役に立っているという。


高校進学後は自宅から40分かけて通学し、夜遅くまで練習して21 - 22時に帰宅する毎日を送った{{R|三條新聞2000-02-03}}。毎日の走り込みで体力の向上に努め、3年生が引退した1年秋の第101回[[北信越地区高等学校野球大会|北信越高校野球大会]]1回戦で[[リリーフ]]として初登板を果たし、5回を1失点に抑える{{R|三條新聞2000-02-03}}。当初は2年生のエースに続くリリーフとして登板していたが、同大会の県予選準々決勝で初[[先発投手|先発]]すると、[[東海大学付属諏訪高等学校|東海大学第三高校]]([[第70回選抜高等学校野球大会|前年のセンバツ]]出場校)を1失点完投で退け、注目を浴びる{{R|三條新聞2000-02-03}}。そして、実質的に[[第72回選抜高等学校野球大会|甲子園への切符]]を賭けた試合となった[[高岡第一高等学校|高岡第一高校]]([[富山県]])との準決勝{{Efn|当時、秋の北信越大会では上位2校が翌年のセンバツ出場校として選ばれることが慣例となっていた{{R|三條新聞2000-02-03}}。}}で先発登板すると、延長12回、141球を完投し、6被安打・14奪三振の快投で勝利投手となった{{R|三條新聞2000-02-03}}。当時は身長174[[センチメートル|cm]]、体重60[[キログラム|kg]]と細身ではあったが、最高球速134[[キロメートル毎時|km/h]]の[[速球]]に、得意の[[スライダー (球種)|スライダー]]を織り交ぜた投球を武器にしていた{{R|三條新聞2000-02-03}}。これにより、甲子園出場を確実なものとしたチームは決勝へ進出したが、金子自身は決勝戦では登板はなく、[[敦賀気比高等学校・付属中学校|敦賀気比]]の2年生バッテリー[[内海哲也]]と[[李景一]]の前に、チームは零封に終わる。2年時の{{by|2000年}}春に[[第72回選抜高等学校野球大会]]へ出場{{R|三條新聞2000-02-03}}。2回戦で、[[近澤昌志]]・[[平野佳寿]]などを擁する[[京都府立鳥羽高等学校|鳥羽高校]]に敗れた。[[全国高等学校野球選手権長野大会|夏の選手権長野大会]]では、2年時に準優勝。3年時には2回戦で7回参考ながら[[ノーヒットノーラン]]を記録したが、準決勝で12[[三振#奪三振|奪三振]]を記録しながら[[創造学園高等学校|塚原青雲高校]]に敗れた。高校時代から、後に入団するオリックス(当時の球団名は「[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]」)の[[スカウト (勧誘)|スカウト]]を務めていた[[熊野輝光]]が、千尋の投球に注目しており、特に[[カーブ (球種)|カーブ]]を高く評価していた{{Sfn|金子千尋|2014|p=9}}。
=== プロ入り後 ===
{{by|2005年}}には、前述した故障の影響で、医師や理学療法士を交えたリハビリを優先。その影響で、一軍公式戦での登板機会はなかった。故障が癒えた後には、[[オリックス・バファローズ (ファーム)|二軍(サーパス神戸)]]の一員として、[[ウエスタン・リーグ]]公式戦12試合に登板。勝敗は付かなかったが、[[防御率]]0.69という好成績を残した。


高校卒業後に、[[社会人野球]]の[[トヨタ自動車硬式野球部|トヨタ自動車]]へ入社。入社3年目の{{by|2004年}}に[[リリーフ#抑え|クローザー]]として頭角を現し、[[都市対抗野球大会]]でも好投した。
{{by|2006年}}には、[[リリーフ#中継ぎ|中継ぎ]]を中心に、一軍公式戦21試合に登板。[[4月12日]]の対[[西武ライオンズ]]戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]])に救援で一軍公式戦初勝利を挙げると、[[7月1日]]の同カード([[西武ドーム|インボイスSEIBUドーム]])で一軍初先発。救援では、9試合連続無失点も記録した。


{{by|2004年}}11月17日に行われた[[2004年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|NPBドラフト会議]]で当時、存在していた[[希望入団枠制度|自由獲得枠]]を通じて[[オリックス・バファローズ]]に入団。[[大阪近鉄バファローズ]]とオリックス・ブルーウェーブの合併によって誕生したオリックス・バファローズが最初に獲得した新入団選手の1人となった。この会議は、前述の合併および[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の新規参入による[[プロ野球再編問題 (2004年)|プロ野球再編問題]]の渦中に開かれたため、オリックス・バファローズは直前まで参加を危ぶまれていた{{要出典|date=2022年11月}}。
{{by|2007年}}には、一軍の中継ぎ要員として公式戦の開幕を迎えた。開幕当初は不振だったが、右肘の故障でプロ入り後に実戦での投球を控えていた[[カット・ファスト・ボール|カットボール]]を、[[セ・パ交流戦]]の期間中から再び投げ始めたことを機に復調。8月には、再び先発に転向した[[8月18日|18日]]の対西武戦で先発初勝利を挙げると、[[8月26日|26日]]の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])で一軍初[[完封]]を記録した。結局、一軍公式戦では、先発転向後6連勝でシーズンを終了。この結果に、一軍監督の[[テリー・コリンズ (野球)|テリー・コリンズ]]は、シーズン終了後に「もう少し早く先発で使うべきだった。(今季)高得点をあげることができる数少ない選手の1人」と絶賛した。なお、この年には、高校の同級生と結婚している。


=== オリックス時代 ===
{{by|2008年}}には、「1月に第1子(長男)が誕生。公式戦では、自身初の[[開幕投手]]に指名されると、7回1[[失点]]10奪三振で[[勝利投手]]になった。以降は、[[平野佳寿]]や[[トム・デイビー]]が故障で離脱したことを背景に、[[先発ローテーション]]の軸に定着。しかし<!--[[5月11日]]の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦では5回途中5失点で[[敗戦投手]]となった上に[[中村剛也]]に頭部[[死球]]を与えて[[危険球]]退場するなど-->、4月下旬からセ・パ交流戦の序盤まで精彩を欠いたため、交流戦の途中から救援要員に回った。リーグ戦の再開後に先発に復帰すると、7月には4戦4勝で[[パシフィック・リーグ]]の投手部門[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]を受賞。[[9月7日]]の対西武戦で自身初のシーズン10勝目に到達すると、4点近い防御率ながら、チーム9年振りのAクラス入り・[[2008年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]初進出に貢献した。一軍公式戦では、[[小松聖]]に次ぐチーム2位の[[投球回]]数で、自身初の[[規定投球回]]に到達。リーグ8位の奪三振数を記録する一方で、[[安打#被安打|被安打数]]・[[本塁打#被本塁打|被本塁打数]]がリーグ2位に達したほか、好不調の波が激しかった。
ルーキーの'''{{by|2005年}}'''には一軍公式戦での登板機会はなかった。[[オリックス・バファローズ (ファーム)|二軍(サーパス神戸)]]の一員として、[[ウエスタン・リーグ]]公式戦12試合に登板。勝敗は付かなかったが、[[防御率]]0.69という好成績を残した。


'''{{by|2006年}}'''は、[[リリーフ#中継ぎ|中継ぎ]]を中心に、一軍公式戦21試合に登板。4月12日の対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]])に救援で一軍公式戦初勝利を挙げると、7月1日の同カード([[西武ドーム|インボイスSEIBUドーム]])で一軍初先発。救援では、9試合連続無失点も記録した。
{{by|2009年}}には、一軍公式戦で2年連続の開幕投手を逃したものの、開幕から先発陣の一角を担った。開幕直後はやや不調だったが、5月5日の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦では、自身2年振りの[[完投]]勝利を記録。チーム全体で4勝しか挙げられなかった6月には、1人で3勝を稼いだ。[[2009年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]には、パシフィック・リーグの監督推薦選手として初出場。第2戦では、3回を無失点に抑えたことで、ベストピッチャー賞を受賞した。[[8月22日]]の対楽天戦では、2試合連続完封勝利を挙げるとともに、[[星野伸之]]以来球団史上12年振りの2年連続2ケタ勝利を達成した。その一方で、9月からは、不調の[[加藤大輔]]に代わって[[リリーフ|クローザー]]に転向。[[9月12日]]の対西武戦では、シーズン初[[セーブ]]を挙げるとともに、チームの連敗を6で止めた。一軍公式戦全体では、11勝8敗4セーブ、防御率2.57と165奪三振(いずれもリーグ5位)を記録。また、前年から被安打数と被本塁打数を減らした。


'''{{by|2007年}}'''は、一軍の中継ぎ要員として公式戦の開幕を迎えた。開幕当初は不振だったが、右肘の故障でプロ入り後に実戦での投球を控えていた[[カット・ファスト・ボール|カットボール]]を、[[セ・パ交流戦]]の期間中から再び投げ始めたことを機に復調。8月には、再び先発に転向した8月18日の対西武戦で先発初勝利を挙げると、8月26日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])で一軍初[[完封]]を記録した。結局、一軍公式戦では、先発転向後6連勝でシーズンを終了。この結果に、一軍監督の[[テリー・コリンズ (野球)|テリー・コリンズ]]は、シーズン終了後に「もう少し早く先発で使うべきだった」と絶賛した<ref>{{Cite web ja |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180103-10 |title=11年前のオリックス/コリンズ新監督が就任も3年ぶり最下位の屈辱 |website=週刊ベースボールONLINE |date=2018-01-03 |accessdate=2021-09-12}}</ref>。なお、この年には、高校の同級生と結婚している。
{{by|2010年}}には、楽天との開幕戦(京セラドーム大阪)で自身2年振りの開幕投手を務めると、被安打4で無四球完封勝利を挙げた。しかし、5月21日の対[[阪神タイガース]]戦で8点リードの5回表に一挙5点を失って降板するなど、6月までは試合中盤に突如大量失点を喫することが相次いだ。<!--投手コーチの[[清川栄治]]によれば、「完璧を求めるタイプで、打ち取り方にまでこだわる」という繊細さが裏目に出て、コースを狙いすぎて腕が振れなかったのが、6月までの不調の要因だったようである<ref>[http://osaka.yomiuri.co.jp/sports/baseball/buffaloes/20100929-OYO8T00288.htm 金子千尋の投球回「204回1/3」…パ単独1位 6年目躍進] [[読売新聞]] 2010年9月29日</ref>。-->しかし7月には、[[7月1日|1日]]の対楽天戦・[[7月8日|8日]]の対西武戦・[[7月14日|14日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦で、[[米田哲也]]以来球団史上45年振りの3試合連続完封を記録した。同月から2カ月連続での登板5試合全勝と月間MVP選出を経て、[[9月20日]]の対日本ハム戦まで13連勝を達成。自己最多にして、球団では1993年の[[野田浩司]]以来の17勝でシーズンを終えるともに、最多勝利のタイトルを[[和田毅]](ソフトバンク)と分け合った。また、自身初の200投球回数へ到達するとともに、自己最多の190奪三振、7完投6完封を記録。3完封をあげた楽天戦、2完封をあげた西武戦はいずれも5勝ずつ、防御率1点台という好成績を残した一方で、ロッテ戦では2勝5敗、防御率6.18と苦しんだ。シーズン終了後には、推定年俸1億5,000万円で契約を更改。チームの投手では唯一、年俸が1億円を超えた。


'''{{by|2008年}}'''は、1月に第1子(長男)が誕生。公式戦では、自身初の[[開幕投手]]に指名されると、7回1[[失点]]10奪三振で[[勝利投手]]になった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/03/20/kiji/K20080320Z00000270.html |title=オリックス 金子が10奪三振の力投 |date=2008-03-20 |access-date=2022-12-30 |website=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230115734/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/03/20/kiji/K20080320Z00000270.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>。以降は、[[平野佳寿]]や[[トム・デイビー]]が故障で離脱したことを背景に、[[先発ローテーション]]の軸に定着。しかし、4月下旬からセ・パ交流戦の序盤まで精彩を欠いたため、交流戦の途中から救援要員に回った。リーグ戦の再開後に先発に復帰すると、7月には4戦4勝、防御率1.38の成績で[[パシフィック・リーグ]]の投手部門[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]を初受賞<ref name="npb_award_2008_7">{{Cite web ja |url=https://npb.jp/award/2008/month/win_pl7.html |title=2008年7月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (パシフィック・リーグ) |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |access-date=2022-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230113710/https://npb.jp/award/2008/month/win_pl7.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>。9月7日の対西武戦で自身初のシーズン10勝目に到達<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/09/07/kiji/K20080907Z00000570.html |title=オリックス金子が10勝目 |website=[[スポニチ]] Sponichi Annex 野球 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2008-09-07 |access-date=2022-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230114357/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/09/07/kiji/K20080907Z00000570.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>すると、4点近い防御率ながら、チーム9年ぶりのAクラス入り・[[2008年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]初進出に貢献した。一軍公式戦では、[[小松聖]]に次ぐチーム2位の[[投球回]]数で、自身初の[[規定投球回]]に到達。リーグ8位の126奪三振を記録<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/2008/stats/lp_so_p.html |title=2008年度 パシフィック・リーグ 奪三振【リーダーズ(投手部門)】 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |access-date=2022-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230114734/https://npb.jp/bis/2008/stats/lp_so_p.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>する一方で、[[安打#被安打|被安打数]]・[[本塁打#被本塁打|被本塁打数]]がリーグ2位に達したほか、好不調の波が激しかった。
{{by|2011年}}には、春季キャンプ中に右肘の違和感を訴えたことから、[[2月9日]]に右肘遊離軟骨除去手術を受けた<ref>{{Cite news |title = 金子千が右肘手術…復帰まで2~3カ月 |newspaper = Sponichi Annex |date = 2011-02-09 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/02/09/kiji/K20110209000215580.html |publisher = [[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。[[5月5日]]に阪神とのウエスタン・リーグ公式戦で実戦復帰を果たす<ref>{{Cite news |title = 金子千が2軍戦で初登板 交流戦中に1軍先発へ |newspaper = Sponichi Annex |date = 2011-05-05 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/05/kiji/K20110505000761750.html |publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>と、一軍に復帰した6月5日の同カードでは、6回3失点でシーズン初勝利を記録。その一方で、[[8月23日]]の対西武戦では、プロ入りワーストの8失点で敗戦投手となった。9月には、4戦3勝で防御率0.25(自責点1)、リーグトップの2完封を含む3完投勝利で自身4度目の月間MVPに選出。レギュラーシーズン最終戦であった10月18日の対ソフトバンク戦で、チームのクライマックスシリーズ進出を賭けて先発を託されたが、6回4失点で敗戦投手になった。しかし、レギュラーシーズンでは、開幕に出遅れながらも規定投球回数に到達。自己最高の防御率2.43・[[WHIP]]1.06を記録するとともに、10勝4敗という成績で4年連続のシーズン2ケタ勝利を達成した。


'''{{by|2009年}}'''は、一軍公式戦で2年連続の開幕投手を逃したものの、開幕から先発陣の一角を担った。開幕直後はやや不調だったが、5月5日の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦では、自身2年ぶりの[[完投]]勝利を記録<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/05/05/kiji/K20090505Z00001040.html |title=金子 2年ぶり完投勝利!無四球で飾る |website=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2009-05-05 |access-date=2022-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230115119/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/05/05/kiji/K20090505Z00001040.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>。チーム全体で4勝しか挙げられなかった6月には、1人で3勝を稼いだ。[[2009年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]には、パシフィック・リーグの監督推薦選手として初出場。第2戦では、3回を無失点に抑えたことで、ベストピッチャー賞を受賞した。8月22日の対楽天戦では、2試合連続完封勝利を挙げる<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/08/22/kiji/K20090822Z00001300.html |title=オリックス10点!金子は連続完封で10勝! |website=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2009-08-22 |access-date=2022-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230120307/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/08/22/kiji/K20090822Z00001300.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>とともに、[[星野伸之]]以来球団史上12年ぶりの2年連続2桁勝利を達成した。その一方で、9月からは、不調の[[加藤大輔]]に代わって[[リリーフ|クローザー]]に転向。9月12日の対西武戦では、シーズン初[[セーブ]]を挙げるとともに、チームの連敗を6で止めた。一軍公式戦全体では、11勝8敗4セーブ、防御率2.57と165奪三振(いずれもリーグ5位)を記録。また、前年から被安打数と被本塁打数を減らした。
{{by|2012年}}には、春季キャンプ中とオープン戦中に右上腕部の張りを訴えたうえに、オープン戦中に腰痛も発症した<ref>{{cite news |title=オリ金子、腰にも張り…開幕戦絶望に |newspaper=デイリースポーツonline |date=2012-03-20 |url=http://www.daily.co.jp/baseball/2012/03/20/0004897985.shtml |publisher = [[デイリースポーツ]] |accessdate=2012-10-10 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120320123950/http://daily.co.jp/baseball/2012/03/20/0004897985.shtml |archivedate = 2012-03-20}}</ref>ことから、当初予定していた開幕戦での登板を回避。本拠地・京セラドーム大阪での初戦(4月6日の対楽天戦)でシーズン初登板を果たした後に、二軍での調整を経て、5月8日の対ソフトバンク戦でシーズン初勝利を挙げた。しかし、6月22日の練習中に右肘の張りを訴えたため、翌23日に予定していた対西武戦の先発を回避。その後の検査で右肘内側部の炎症と診断されたため、出場選手登録を再び抹消された<ref>{{cite news |title=金子、右肘炎症で登録抹消 代役候補筆頭は井川 |newspaper=スポニチアネックス |date=2012-06-26 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/26/kiji/K20120626003546190.html |publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate=2012-10-10}}</ref>。レギュラーシーズン終了間際の10月5日に、対ソフトバンク戦で一軍復帰を果たすと、7回無失点の好投でシーズン4勝目を挙げた。前述した故障の影響で、一軍公式戦への登板は9試合しかなく、連続2桁勝利も4シーズンで止まった。
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{{by|2013年}}には、右前腕部回内筋の炎症で春季キャンプを途中で離脱。その影響でオープン戦に登板しなかった<ref>{{Cite news |title = 【オリックス】金子任せろ!ぶっつけ開幕 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-28 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130328-1104252.html |publisher = [[日刊スポーツ新聞社]] |accessdate = 2016-11-03}}</ref>ものの、自身2年振り・3度目の開幕投手を務めた。レギュラーシーズンでは、戦線を離れることなく、一軍公式戦で2010年以来2度目の200投球イニングに到達。投球回数(223.1)・完投数(10)・完封数(3)・奪三振(200)の項目でリーグトップ、防御率(2.01)とWHIP(1.00)で自身最高(リーグ2位)の好成績を残したため、2011年の[[ダルビッシュ有]]・[[田中将大]]以来2年振りに[[沢村栄治賞|沢村賞]]の選考全項目を満たした。しかし、[[得点援護率]]がリーグワーストの3.18に終わった影響で、勝利数はリーグ2位タイの15勝にとどまった。結局、完投数8で選考基準(10)を下回りながら、[[日本プロ野球|NPB]]公式戦史上初のシーズン無敗で最多勝(24勝)を挙げた田中が沢村賞を受賞した。以上の項目で沢村賞を選考するようになった1982年以降で、全項目を満たした投手が受賞できなかった事例は、同年の[[江川卓 (野球) |江川卓]]、2008年・2011年のダルビッシュに続いて、この時の金子が4例目である。シーズン終了後の秋季キャンプ最終日(11月16日)には、一軍監督の[[森脇浩司]]が、金子に翌2014年の開幕投手を通達<ref>{{Cite news |title = 開幕は金子 森脇監督が昨年11月に通達 |newspaper = nikkansports.com |date = 2014-03-27 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140327-1276105.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。12月20日の契約更改では、球団からの複数年契約の提示を固辞しながらも、推定年俸2億円・1年契約で残留を決めた<ref>{{Cite news |title = 金子2億単年勝負「危機感持ちやりたい」 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-12-20 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131220-1233651.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。


'''{{by|2010年}}'''は、3月20日の楽天との開幕戦(京セラドーム大阪)で自身2年ぶりの開幕投手を務めると、被安打4で無四球完封勝利を挙げた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/03/20/kiji/K20100320Z00001200.html |title=岡田新監督、理想の勝利…金子が圧巻4安打完封 |website=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2010-03-20 |access-date=2022-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230121032/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/03/20/kiji/K20100320Z00001200.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>。しかし、5月21日の対[[阪神タイガース]]戦で8点リードの5回表に一挙5点を失って降板するなど、6月までは試合中盤に突如大量失点を喫することが相次いだ。しかし7月には、7月1日の対楽天戦・7月8日の対西武戦・7月14日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[千葉マリンスタジアム]])で、パ・リーグタイ記録となる3試合連続完封を記録<ref>{{Cite web ja |url=https://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/TKY201007150251.html |title=オリ金子千、3試合連続完封 パ7人目、鬼門相手に気迫 |website=朝日新聞 |publisher=朝日新聞社 |date=2010-07-15 |access-date=2022-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230140631/https://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/TKY201007150251.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>。3試合連続完封を達成したのは球団では[[米田哲也]]以来45年ぶりとなった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100715-653623.html |title=金子千3試合連続完封350勝米田に並んだ |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2010-07-15 |access-date=2022-12-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221230135706/https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100715-653623.html |archive-date=2022-12-30}}</ref>。同月から2か月連続での登板5試合全勝と月間MVP選出を経て、9月20日の対日本ハム戦まで13連勝を達成。自己最多にして、球団では1993年の[[野田浩司]]以来の17勝でシーズンを終えるともに、最多勝利のタイトルを[[和田毅]](ソフトバンク)と分け合った。また、自身初の200投球回数へ到達するとともに、自己最多の190奪三振、7完投6完封を記録。3完封を挙げた楽天戦、2完封を挙げた西武戦はいずれも5勝ずつ、防御率1点台という好成績を残した一方で、ロッテ戦では2勝5敗、防御率6.18と苦しんだ。シーズン終了後には、推定年俸1億5000万円で契約を更改。チームの投手では唯一、年俸が1億円を超えた。
{{by|2014年}}には、3月上旬に[[インフルエンザ]]への感染で一時チームから離れたものの<ref>{{cite news |title=オリックス金子と馬原がインフル感染 |newspaper=日刊スポーツ|date=2014-03-05|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140305-1266206.html |accessdate=2014-06-01}}</ref>、前年末の任命通りに日本ハムとの開幕戦(3月28日・札幌ドーム)で先発。4月には、[[4月4日|4日]]の対西武戦(西武ドーム)に自己最多の14奪三振による完封でシーズン初勝利を挙げる<ref>{{cite news |title=オリックス金子完封で1勝、自己最多毎回14K|newspaper=日刊スポーツ|date=2014-04-04|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140404-1280579.html |accessdate=2014-06-01}}</ref>と、26日の対楽天戦(京セラドーム大阪)では14奪三振・1被安打の完封勝利を記録した<ref>{{cite news |title=オリックス金子完封で1勝、自己最多毎回14K|newspaper=日刊スポーツ|date=2014-04-26 |author = 田口真一郎 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140426-1290995.html |accessdate=2014-06-01}}</ref>。[[メジャーリーグ|メジャーリーグ(MLB)]]4球団のスカウトが視察した5月24日の対広島戦([[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]])<ref>{{cite news |title=前田と金子「通用する」メジャー4球団視察|newspaper=日刊スポーツ|date=2014-05-24|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140524-1305975.html |accessdate=2014-06-01}}</ref>では、7回裏の打席に[[前田健太]]からの二塁打で一軍初打点を記録すると、8回無失点の内容で前田との投げ合いにも勝利<ref>{{cite news |title=最強右腕だ!オリックス金子0封&マエケン打ち|newspaper=日刊スポーツ|date=2014-05-24 |author = 高垣誠|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140524-1305970.html |accessdate=2014-06-01}}</ref>。5月31日の対[[読売ジャイアンツ|読売ジャイアンツ(巨人)]]戦(京セラドーム大阪)では、先発で9回を4与四球1失策の無安打無得点に抑えた。しかし、0対0で迎えた9回裏2死満塁で迎えた自身の打席で、代打に[[後藤駿太|駿太]]を送られたため交代。さらに、駿太の凡退によって試合が延長戦に突入したため、単独でのノーヒットノーラン達成を逃した([[#人物|詳細後述]])。9回まで無安打無得点ながらノーヒットノーラン達成を逃した投手はNPB史上11人目、9回以上を無安打無得点で降板した投手は2人目であった<ref group="注釈">2006年の[[八木智哉]]につぐ。</ref>。レギュラーシーズン全体では、16勝で最多勝利、防御率1.98で最優秀防御率のタイトルを獲得。前年に逃した沢村賞を、チーム史上初めて受賞した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/27/kiji/K20141027009180010.html オリックス・金子、初の沢村賞!パからの選出は4年連続]スポーツニッポン2014年10月27日配信</ref>ほか、チームがリーグ優勝を逃したにもかかわらず[[最優秀選手 (日本プロ野球)|最優秀選手]]に選ばれた。オリックスの選手が最優秀選手に選ばれた事例は、チームが[[1996年の日本シリーズ|日本シリーズ]]を制した{{by|1996年}}の[[イチロー]]以来であった。


[[ファイル:金子千尋20110913.jpg|サムネイル|オリックス・バファローズ時代<br />(2011年9月13日 [[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]]にて)]]
シーズン終了後には、11月に日本で開かれた[[日米野球2014]]で、[[野球日本代表|日本代表]]の一員<ref>{{Cite web |date = 2014-10-09 |url = http://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2014/nichibei/20141009.html |title = 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! |publisher = 野球日本代表 |work = 侍ジャパン公式サイト |accessdate = 2015-03-26}}</ref>として第2戦で先発<ref>{{Cite news |title = 金子5回3失点もチェンジアップに手応え |newspaper = nikkansports.com |date = 2014-11-15 |author = 大池和幸 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141115-1396368.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。また、「アメリカの球場の雰囲気に昔から憧れていた」として、MLBへ挑戦する意向があることを明言した<ref>{{Cite news |title = 金子、今オフにポスティングでメジャー?「そういう選択肢も」 |newspaper = Sponichi Annex |date = 2014-10-27 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/27/kiji/K20141027009180100.html |publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。シーズン中に[[フリーエージェント (日本プロ野球)|国内FA権]]の取得要件を満たしたことから、国内FA権を行使したうえでオリックスへ残留した後に、MLB球団への移籍に向けて球団に[[ポスティングシステム]]の行使を容認する可能性が一時は報じられた<ref>{{Cite news |title = 金子FA宣言 初の日米大争奪戦に発展も |newspaper = nikkansports.com |date = 2014-11-12 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141112-1395102.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。しかし、[[11月29日]]に右肘{{読み仮名|骨棘|こつきょく}}の除去手術を受けた<ref>{{Cite news |title = オリ金子、手術無事終了 開幕間に合う |newspaper = nikkansports.com |date = 2014-11-30 |author = 堀まどか |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141130-1402794.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>ことから、MLB球団への移籍をひとまず断念<ref>{{Cite news |title = オリ金子、今オフのメジャー挑戦を断念 |newspaper = nikkansports.com |date = 2014-11-24 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141125-1400562.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。12月24日には、4年契約・推定年俸総額20億円に出来高分を加えた条件で残留することを表明した<ref>{{Cite news |title = 金子残留!やっぱり来季もオリックス |newspaper = デイリースポーツonline |date = 2014-12-25 |url = http://www.daily.co.jp/baseball/affairs/2014/12/25/0007610622.shtml |publisher = デイリースポーツ |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。
'''{{by|2011年}}'''は、春季[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]中に右肘の違和感を訴えたことから、2月9日に右肘遊離軟骨除去手術を受けた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/02/09/kiji/K20110209000215580.html |title=金子千が右肘手術…復帰まで2~3カ月 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2011-02-09 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。5月5日に阪神とのウエスタン・リーグ公式戦で実戦復帰を果たす<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20110508172016/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/05/kiji/K20110505000761750.html |title=金子千が2軍戦で初登板 交流戦中に1軍先発へ |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2011-05-05 |accessdate=2016-11-03}}</ref>と、一軍に復帰した6月5日の同カードでは、6回3失点でシーズン初勝利を記録。その一方で、8月23日の対西武戦では、プロ入りワーストの8失点で敗戦投手となった。9月には、4戦3勝で防御率0.25(自責点1)、リーグトップの2完封を含む3完投勝利で自身4度目の月間MVPに選出。レギュラーシーズン最終戦であった10月18日の対ソフトバンク戦で、チームのクライマックスシリーズ進出を賭けて先発を託されたが、6回4失点で敗戦投手になった。しかし、レギュラーシーズンでは、開幕に出遅れながらも規定投球回数に到達。自己最高の防御率2.43・[[WHIP]]1.06を記録するとともに、10勝4敗という成績で4年連続のシーズン2桁勝利を達成した。


'''{{by|2012年}}'''は、春季キャンプ中とオープン戦中に右上腕部の張りを訴えたうえに、オープン戦中に腰痛も発症した<ref>{{Cite web ja |url=http://www.daily.co.jp/baseball/2012/03/20/0004897985.shtml |title=オリ金子、腰にも張り…開幕戦絶望に |website=デイリースポーツ online |publisher=デイリースポーツ |date=2012-03-20 |accessdate=2012-10-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120320123950/http://daily.co.jp/baseball/2012/03/20/0004897985.shtml |archivedate=2012-03-20}}</ref>ことから、当初予定していた開幕戦での登板を回避。本拠地・京セラドーム大阪での初戦(4月6日の対楽天戦)でシーズン初登板を果たした後に、二軍での調整を経て、5月8日の対ソフトバンク戦でシーズン初勝利を挙げた。しかし、6月22日の練習中に右肘の張りを訴えたため、翌23日に予定していた対西武戦の先発を回避。その後の検査で右肘内側部の炎症と診断されたため、出場選手登録を再び抹消された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/26/kiji/K20120626003546190.html |title=金子、右肘炎症で登録抹消 代役候補筆頭は井川 |website=スポニチアネックス |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2012-06-26 |accessdate=2012-10-10}}</ref>。レギュラーシーズン終了間際の10月5日に、対ソフトバンク戦で一軍復帰を果たすと、7回無失点の好投でシーズン4勝目を挙げた。前述した故障の影響で、一軍公式戦への登板は9試合しかなく、連続2桁勝利も4シーズンで止まった。
{{by|2015年}}には、前年末に右肘を手術したことや、オープン戦期間中に患部のリハビリで戦線を離脱したこと<ref>{{Cite news |title = オリックス金子が一時離脱 理学療法士と肘リハビリ |newspaper = nikkansports.com |date = 2015-03-12 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1445415.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>から、一軍公式戦では開幕戦の登板を回避。5月23日の対ロッテ戦に先発で実戦復帰を果たしたが、[[清田育宏]]に満塁本塁打を浴びるなど6点を失った末に、プロ入り後最短タイ記録の3回でKO<ref>{{Cite news |title = オリックス金子ぶっつけ登板「申し訳ない」3回6失点KO |newspaper = nikkansports.com |date = 2015-05-23 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1481108.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。7月には、5日の対ソフトバンク戦(ほっともっとフィールド神戸)で、自己ワーストタイ記録の8失点を喫して降板<ref>{{Cite news |title = オリックス金子まさか8失点KO「今日は、何も…」 |newspaper = nikkansports.com |date = 2015-07-05 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1502382.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。球団通算1万試合目の公式戦であった同月13日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)では、9回3分の2を3失点という好投で、チームに勝利をもたらした<ref>{{Cite news |title = オリックス1万試合 金子復活勝利で飾る |newspaper = nikkansports.com |date = 2015-07-13 |author = 大池和幸 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1506687.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate =2016-11-03}}</ref>。しかし、先発で登板した9月2日の対楽天戦([[宮城球場|楽天koboスタジアム宮城]])4回裏に、右肩の違和感を訴えて緊急降板<ref>{{Cite news |title = オリックス金子右肩違和感49球で降板、抹消し検査 |newspaper = nikkansports.com |date = 2015-09-02 |author = 大池和幸 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1531940.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。[[谷佳知]]の引退試合であった10月3日のシーズン最終戦(京セラドーム大阪のソフトバンク戦)に自身5年振りの救援登板で実戦復帰を果たした<ref>{{Cite news |title = 金子5年ぶり中継ぎで投げた!オリックス 完封リレーで5位確定 |newspaper = Sponichi Annex |date = 2015-10-04 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/04/kiji/K20151004011254390.html |publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>が、シーズン通算では規定投球回に達せず、7勝に終わった。


'''{{by|2013年}}'''は、右前腕部回内筋の炎症で春季キャンプを途中で離脱。その影響でオープン戦に登板しなかった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130328-1104252.html |title=【オリックス】金子任せろ!ぶっつけ開幕 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2013-03-28 |accessdate=2016-11-03}}</ref>ものの、自身2年ぶり・3度目の開幕投手を務めた。レギュラーシーズンでは、戦線を離れることなく、一軍公式戦で2010年以来2度目の200投球イニングに到達。投球回数・完投数・登板数・奪三振はリーグトップ、勝ち星、防御率はリーグ2位、勝率はリーグ3位の好成績で最多奪三振を獲得。2011年の[[ダルビッシュ有]]・[[田中将大]]以来2年ぶりに[[沢村栄治賞|沢村賞]]の選考全7項目を満たした。しかし、完投数で選考基準を下回りながら、[[日本プロ野球|NPB]]公式戦史上4人目のシーズン無敗で最多勝、最高勝率、最優秀防御率を挙げた田中が沢村賞を受賞した。7項目の内、勝ち星(金子15、田中24)、勝率(金子.652、田中1.000)、防御率(金子2.01、田中1.27)は田中が上、奪三振(金子200、田中183)、完投数(金子10、田中8)、登板数(金子29、田中28)、投球回数(金子223回1/3、田中212回)は金子が上で、以上の項目で沢村賞を選考するようになった1982年以降で、全項目を満たした投手が受賞できなかった事例は、同年の[[江川卓 (野球)|江川卓]]、2008年・2011年のダルビッシュに続いて、この時の金子が4例目である。また、この年の金子への[[得点援護率]]がリーグワーストの3.18だった。シーズン終了後の秋季キャンプ最終日(11月16日)には、一軍監督の[[森脇浩司]]が、金子に翌2014年の開幕投手を通達<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140327-1276105.html |title=開幕は金子 森脇監督が昨年11月に通達 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2014-03-27 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。12月20日の契約更改では、球団からの複数年契約の提示を固辞しながらも、推定年俸2億円・1年契約で残留を決めた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131220-1233651.html |title=金子2億単年勝負「危機感持ちやりたい」 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2013-12-20 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。
11月に開催の[[2015 WBSCプレミア12|第1回WBSCプレミア12]]では、シーズン中に日本代表候補へ選出<ref>{{Cite web |date = 2015-07-16 |url = http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150716_1.html |title = トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる |publisher = 野球日本代表 |work = 侍ジャパンオフィシャルサイト |accessdate = 2015-08-04}}</ref><ref>{{Cite web |date = 2015-09-10 |url = http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150910_1.html |title = 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 |publisher = 野球日本代表 |work = 侍ジャパンオフィシャルサイト |accessdate = 2015-09-20}}</ref>。しかし、右肩の不調などから、実際には出場していない。その一方で、12月14日には、推定年俸5億円に出来高の条件を加えて契約を更改<ref>{{Cite news |title = オリックス金子、年俸5億円も今季7勝で「罪悪感」 |newspaper = nikkansports.com |date = 2015-12-15 |author = 堀まどか |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1579540.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。基本年俸分では、この時点でNPBの現役選手最高額に達した(同月17日に広島の[[黒田博樹]]が推定年俸6億円で更改)<ref>{{Cite news |title = 黒田 球界最高6億円でサイン、2億円増 オリックス金子の5億円抜く |newspaper = Sponichi Annex |date = 2015-12-17 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/12/17/kiji/K20151217011702080.html |publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。


'''{{by|2014年}}'''は、3月上旬に[[インフルエンザ]]への感染で一時チームから離れたものの<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140305-1266206.html |title=オリックス金子と馬原がインフル感染 |website=日刊スポーツ |date=2014-03-05 |accessdate=2014-06-01}}</ref>、前年末の指名通りに日本ハムとの開幕戦(3月28日・札幌ドーム)で先発。4月には、4日の対西武戦(西武ドーム)に自己最多の14奪三振による完封でシーズン初勝利を挙げる<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140404-1280579.html |title=オリックス金子完封で1勝、自己最多毎回14K |website=日刊スポーツ |date=2014-04-04 |accessdate=2014-06-01}}</ref>と、26日の対楽天戦(京セラドーム大阪)では14奪三振・1被安打の完封勝利を記録した<ref>{{Cite web ja |title=オリックス金子完封で1勝、自己最多毎回14K |website=日刊スポーツ |date=2014-04-26 |author=田口真一郎 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140426-1290995.html |accessdate=2014-06-01}}</ref>。[[メジャーリーグ|メジャーリーグ(MLB)]]4球団のスカウトが視察した5月24日の対広島戦([[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]])<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140524-1305975.html |title=前田と金子「通用する」メジャー4球団視察 |website=日刊スポーツ |date=2014-05-24 |accessdate=2014-06-01}}</ref>では、7回裏の打席に[[前田健太]]からの二塁打で一軍初打点を記録すると、8回無失点の内容で前田との投げ合いにも勝利<ref>{{Cite web ja |title=最強右腕だ!オリックス金子0封&マエケン打ち |website=日刊スポーツ |date=2014-05-24 |author=高垣誠 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140524-1305970.html |accessdate=2014-06-01}}</ref>。5月31日の対[[読売ジャイアンツ|読売ジャイアンツ(巨人)]]戦(京セラドーム大阪)では、先発で9回を4与四球1失策の無安打無得点に抑えた。しかし、0対0で迎えた9回裏一死二塁で迎えた自身の打席で、代打に[[後藤駿太|駿太]]を送られ交代。その後チームは得点できず試合が延長戦に突入したため、単独でのノーヒットノーラン達成を逃した([[#人物|詳細後述]])。9回まで無安打無得点ながらノーヒットノーラン達成を逃した投手はNPB史上11人目、9回以上を無安打無得点で降板した投手は2人目であった{{Efn|2006年の[[八木智哉]]につぐ。}}。レギュラーシーズン全体では、16勝で最多勝利、防御率1.98で最優秀防御率のタイトルを獲得。前年に逃した[[沢村賞]]を、チーム史上初めて受賞した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/27/kiji/K20141027009180010.html |title=オリックス・金子、初の沢村賞!パからの選出は4年連続 |website=スポーツニッポン |date=2014-10-27 |accessdate=2024-08-01}}</ref>ほか、チームはリーグ優勝を逃したものの[[最優秀選手 (日本プロ野球)|最優秀選手]]に選ばれた。オリックスの選手が最優秀選手に選ばれた事例は、チームが[[1996年の日本シリーズ|日本シリーズ]]を制した{{by|1996年}}の[[イチロー]]以来であった。
{{by|2016年}}には、3月25日に、西武との開幕戦(埼玉プリンスドーム)に先発。自身2年振りの開幕投手で、勝敗は付かなかったものの、7回裏の途中で交代するまでにプロ入り後自己最多の7与四球を記録した<ref>{{Cite news |title = オリックス金子3失点降板 プロ入り後最多7与四球|newspaper = nikkansports.com |date = 2016-03-25 |author = |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1640156.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2017-04-17}}</ref>。4月30日の対楽天戦でシーズン初勝利を自身2年振り・通算20回目の完封で挙げる<ref>{{Cite news |title = オリックス金子2年ぶり20度目完封で今季初勝利 |newspaper = nikkansports.com |date = 2016-05-01 |author = 大池和幸 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1640156.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>と、5月20日の対ロッテ戦(いずれも京セラドーム)で一軍公式戦通算100勝を達成。NPB通算133人目の100勝に、球団史上最少タイ記録の敗戦数(通算56敗)で到達した<ref>{{Cite news |title = オリックス金子100勝!球団最少黒星タイの56敗で到達 |newspaper = nikkansports.com |date = 2016-05-21 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1650485.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。その一方で、前年と同様の右肩痛に見舞われたため、6月10日に出場選手登録を抹消<ref>{{Cite news |title = オリックス金子を登録抹消 右肩痛で復帰時期は不明 |newspaper = nikkansports.com |date = 2016-06-10 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1661082.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。後に一軍へ復帰すると、2年振りにパ・リーグの最終規定投球回へ到達した。一軍公式戦全体では、前年を上回る24試合に登板。通算防御率は3.83で、与四球数が自己ワーストの59個に達したほか、自身初の負け越し(7勝9敗)を喫した。その一方で、12月12日には、前年と同じ条件で契約を更改。黒田がこの年限りで現役を引退したことから、基本年俸分(推定5億円)でNPBの現役選手最高額に達した<ref>{{Cite news |title = 金子悔しい7勝 5億円に見合う働きを「2桁以上は当たり前」|newspaper = Sponichi Annex|date = 2016-12-12 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/12/13/kiji/K20161213013898850.html|publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2016-12-13}}</ref>。


オフの11月に日本で開催された[[日米野球2014]]の[[野球日本代表|日本代表]]に選出された<ref>{{Cite web ja |date=2014-10-09 |url=http://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2014/nichibei/20141009.html |title=侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! |website=侍ジャパン公式サイト |publisher=野球日本代表 |accessdate=2015-03-26}}</ref>。第2戦で先発登板した<ref>{{Cite web ja |title=金子5回3失点もチェンジアップに手応え |website=日刊スポーツ |date=2014-11-15 |author=大池和幸 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141115-1396368.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。また、「アメリカの球場の雰囲気に昔から憧れていた」として、[[日本人選手のメジャーリーグ挑戦|MLBへ挑戦]]する意向があることを明言した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/27/kiji/K20141027009180100.html |title=金子、今オフにポスティングでメジャー?「そういう選択肢も」 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2014-10-27 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。シーズン中に[[フリーエージェント (日本プロ野球)|国内FA権]]の取得要件を満たしたことから、国内FA権を行使したうえでオリックスへ残留した後に、MLB球団への移籍に向けて球団に[[ポスティングシステム]]の行使を容認する可能性が一時は報じられた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141112-1395102.html |title=金子FA宣言 初の日米大争奪戦に発展も |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2014-11-12 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。しかし、11月29日に右肘{{読み仮名|骨棘|こつきょく}}の除去手術を受けた<ref>{{Cite web ja |title=オリ金子、手術無事終了 開幕間に合う |website=日刊スポーツ |date=2014-11-30 |author=堀まどか |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141130-1402794.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2016-11-03}}</ref>ことから、MLB球団への移籍をひとまず断念<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141125-1400562.html |title=オリ金子、今オフのメジャー挑戦を断念 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2014-11-24 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。12月24日には、4年契約・推定年俸総額20億円に出来高分を加えた条件で残留することを表明した<ref>{{Cite web ja |url=http://www.daily.co.jp/baseball/affairs/2014/12/25/0007610622.shtml |title=金子残留!やっぱり来季もオリックス |website=デイリースポーツ online |publisher=デイリースポーツ |date=2014-12-25 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。
{{by|2017年}}には、3月31日の対楽天戦(京セラドーム)で2年連続6度目の開幕投手を務めたが、前年に続いて勝敗は付かなかった。4月14日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオクドーム)では、5回裏まで1人も走者を出さなかった末に、被安打2の無四球完封勝利を自己最少の92球で達成。一軍公式戦での完封勝利は通算21回目で、NPB現役投手での最多達成者である[[杉内俊哉]]の記録に並んだ<ref>{{Cite news |title = 金子 現役最多タイ21度目完封勝利!「リラックスして投げられた」|newspaper = Sponichi Annex|date = 2017-04-14 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/04/14/kiji/20170414s00001173292000c.html|publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2017-04-17}}</ref><ref>{{Cite news |title = オリックス福良監督「完璧」金子の92球完投を称賛|newspaper = nikkansports.com|date = 2017-04-14 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1807888.html|publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2017-04-17}}</ref>。同年の全投手でソフトバンク相手に挙げた唯一の完封勝利でもあった。さらに、4月26日の対西武戦でも、3失点を喫しながら完投勝利を記録。4月には先発で登板した4試合で全勝した<ref>{{Cite news |title = オリックス福良監督「完璧」金子の92球完投を称賛|newspaper = nikkansports.com|date = 2017-04-26 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1813810.html|publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2017-04-27}}</ref>ことから、チームメイトの[[T-岡田]]と揃ってパ・リーグ3・4月度の月間MVPを受賞した<ref>{{Cite news |title = オリックス勢が独占!金子とT-岡田が月間MVP|newspaper = nikkansports.com|date = 2017-05-09 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/1820534.html|publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2017-05-09}}</ref>。5月23日の対楽天戦では一軍公式戦自己ワーストタイ記録の8失点<ref>{{Cite news |title = オリックス金子自己ワースト8失点KO「情けない」|newspaper = nikkansports.com|date = 2017-05-24 |url = https://www.nikkansports.com/baseball/news/1828737.html|publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2017-06-07}}</ref>、6月6日の対阪神戦(いずれも京セラドーム)では自己ワーストの9失点で黒星を喫した<ref>{{Cite news |title = オリックス大敗 9失点先発金子は冷静さたらず反省|newspaper = nikkansports.com|date = 2017-06-06 |url = https://www.nikkansports.com/baseball/news/1836098.html|publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2017-06-07}}</ref>が、8月30日の対ロッテ戦([[千葉マリンスタジアム|ZOZOマリンスタジアム]])での2失点完投勝利によって自身3年振りの一軍公式戦シーズン2桁勝利を達成した<ref>{{Cite news |title = オリックス大敗 9失点先発金子は冷静さたらず反省|newspaper =スポーツ報知|date = 2017-08-30 |url = http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170830-OHT1T50247.html|publisher = 報知新聞社 |accessdate = 2017-09-02}}</ref>。一軍公式戦全体では、27試合の登板(リーグ最多の27先発登板)で、12勝8敗や防御率3.47をマーク。シーズン終了後には、推定年俸6億円(前年より1億円増でNPBの現役選手最高額)という条件で契約を更改した<ref>{{Cite news |title = オリックス金子、自由契約へ 球団は年俸5億円減を提示|newspaper =朝日新聞デジタル|date = 2018-11-28|url = https://www.asahi.com/articles/ASLCX627ZLCXPTQP00J.html|publisher = 朝日新聞社|accessdate = 2018-11-29}}</ref>。


'''{{by|2015年}}'''は、前年末に右肘を手術したことや、オープン戦期間中に患部のリハビリで戦線を離脱したこと<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1445415.html |title=オリックス金子が一時離脱 理学療法士と肘リハビリ |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2015-03-12 |accessdate=2016-11-03}}</ref>から、一軍公式戦では開幕戦の登板を回避。5月23日の対ロッテ戦に先発で実戦復帰を果たしたが、[[清田育宏]]に満塁本塁打を打たれるなど6点を失った末に、プロ入り後最短タイ記録の3回でKO<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1481108.html |title=オリックス金子ぶっつけ登板「申し訳ない」3回6失点KO |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2015-05-23 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。7月には、5日の対ソフトバンク戦(ほっともっとフィールド神戸)で、自己ワーストタイ記録の8失点を喫して降板<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1502382.html |title=オリックス金子まさか8失点KO「今日は、何も…」 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2015-07-05 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。球団通算1万試合目の公式戦であった同月13日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)では、8回3分の2を3失点という好投で、チームに勝利をもたらした<ref>{{Cite web ja |title=オリックス1万試合 金子復活勝利で飾る |website=日刊スポーツ |date=2015-07-13 |author=大池和幸 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1506687.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。しかし、先発で登板した9月2日の対楽天戦([[宮城球場|楽天koboスタジアム宮城]])4回裏に、右肩の違和感を訴えて緊急降板<ref>{{Cite web ja |title=オリックス金子右肩違和感49球で降板、抹消し検査 |website=日刊スポーツ |date=2015-09-02 |author=大池和幸 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1531940.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。[[谷佳知]]の引退試合であった10月3日のシーズン最終戦(京セラドーム大阪のソフトバンク戦)に自身5年ぶりの救援登板で実戦復帰を果たした<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20151006003758/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/10/04/kiji/K20151004011254390.html |title=金子5年ぶり中継ぎで投げた!オリックス 完封リレーで5位確定 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2015-10-04 |accessdate=2016-11-03}}</ref>が、シーズン通算では規定投球回に達せず、7勝に終わった。
{{by|2018年}}には、レギュラーシーズンの開幕投手を[[西勇輝]]へ初めて任せたチーム事情<ref>{{Cite news |title =オリックス開幕回避 2カード目初戦ロッテ戦へ 大役は西が最有力 |newspaper = Sponichi Annex|date = 2018-02-26 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/02/26/kiji/20180225s00001173570000c.html|publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2018-05-31}}</ref>を背景に、4月3日の対ロッテ戦で公式戦初登板。しかし、この試合から5月3日の対西武戦(いずれも京セラドーム)まで自己ワーストの開幕4連敗を喫する<ref>{{Cite news|title =オリックス金子 遠い白星…自己ワースト4連敗 福良監督は信頼|newspaper = Sponichi Annex|date = 2018-05-04|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/04/kiji/20180503s00001173261000c.html|publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2018-05-31}}</ref>ほど不調で、公式戦での初勝利は5月23日の対楽天戦([[宮城球場|楽天生命パーク]])にまで持ち越された<ref>{{Cite news |title =オリックス3連勝、金子が今季初勝利 楽天は3連敗 |newspaper = Sponichi Annex|date = 2018-05-23|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/23/kiji/20180523s00001173241000c.html|publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2018-05-31}}</ref>。一軍公式戦全体でも、17試合の登板で、4勝7敗、防御率3・87と不振。首から背中にかけて強い張りを抱えていたこともあって、8月14日に出場選手登録を抹消されてからは、実戦へ登板せずにシーズンを終えた<ref>{{Cite news |title =オリックス金子が再FA権へ、ウルトラCで期間短縮|newspaper = nikkansports.com|date = 2018-10-03|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810030000982.html|publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2018-11-29}}</ref>。2015年シーズンからの4年契約がこの年で満了したことや、契約期間中の一軍公式戦での成績が4シーズン通算で30勝30敗にとどまったことなどを背景に、シーズン終了後の契約交渉では球団からNPB野球協約の減額制限(年俸1億円超の選手に対しては40%を上限に設定)を大幅に超える減俸を提示<ref name="nikkei"/>。この提示に対して、金子は11月28日に、自身を自由契約選手として扱う旨を球団に申し入れた。球団側も、金子の申し入れを受諾。金子との再契約の余地を残しながらも、金子を契約保留者名簿からいったん除外したうえで、自由契約選手としての公示をNPBへ申請する方針を金子に伝えた<ref name="nikkei">{{Cite news |title =オリックス金子、自由契約申し入れ 大幅な減俸提示受け|newspaper = NIKEI NET|date = 2018-10-03|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK30629_Y8A121C1000000/|publisher = 日本経済新聞社 |accessdate = 2018-11-29}}</ref><ref>{{Cite news|title=5億円減提示のオリックス金子が退団 争奪戦勃発か|date=2018-11-28|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811280000611.html|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2018-11-28}}</ref>。

オフの11月に開催された[[2015 WBSCプレミア12|第1回WBSCプレミア12]]の[[2015 WBSCプレミア12 日本代表|日本代表]]には、シーズン中に候補選手となった<ref>{{Cite web ja |date=2015-07-16 |url=http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150716_1.html |title=トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる |website=侍ジャパンオフィシャルサイト |publisher=野球日本代表 |accessdate=2015-08-04}}</ref><ref>{{Cite web ja |date=2015-09-10 |url=http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150910_1.html |title=「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 |website=侍ジャパンオフィシャルサイト |publisher=野球日本代表 |accessdate=2015-09-20}}</ref>。しかし、右肩の不調などから、最終的に選出されなかった。その一方で、12月14日には、推定年俸5億円に出来高の条件を加えて契約を更改<ref>{{Cite web ja |title=オリックス金子、年俸5億円も今季7勝で「罪悪感」 |website=日刊スポーツ |date=2015-12-15 |author=堀まどか |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1579540.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。基本年俸分では、この時点でNPBの現役選手最高額に達した(同月17日に広島の[[黒田博樹]]が推定年俸6億円で更改)<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/12/17/kiji/K20151217011702080.html |title=黒田 球界最高6億円でサイン、2億円増 オリックス金子の5億円抜く |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2015-12-17 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。

'''{{by|2016年}}'''は、3月25日に、西武との開幕戦(西武プリンスドーム)に先発。自身2年ぶりの開幕投手で、勝敗は付かなかったものの、7回裏の途中で交代するまでにプロ入り後自己最多の7与四球を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1640156.html |title=オリックス金子3失点降板 プロ入り後最多7与四球 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2016-03-25 |accessdate=2017-04-17}}</ref>。4月30日の対楽天戦でシーズン初勝利を自身2年ぶり・通算20回目の完封で挙げる<ref>{{Cite web ja |title=オリックス金子2年ぶり20度目完封で今季初勝利 |website=日刊スポーツ |date=2016-05-01 |author=大池和幸 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1640156.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2016-11-03}}</ref>と、5月20日の対ロッテ戦(いずれも京セラドーム)で一軍公式戦通算100勝を達成。NPB通算133人目の100勝に、球団史上最少タイ記録の敗戦数(通算56敗)で到達した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1650485.html |title=オリックス金子100勝!球団最少黒星タイの56敗で到達 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2016-05-21 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。その一方で、前年と同様の右肩痛に見舞われたため、6月10日に出場選手登録を抹消<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1661082.html |title=オリックス金子を登録抹消 右肩痛で復帰時期は不明 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2016-06-10 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。後に一軍へ復帰すると、2年ぶりにパ・リーグの最終規定投球回へ到達した。一軍公式戦全体では、前年を上回る24試合に登板。通算防御率は3.83で、与四球数が自己ワーストの59個に達したほか、自身初の負け越し(7勝9敗)を喫した。その一方で、12月12日には、前年と同じ条件で契約を更改。黒田がこの年限りで現役を引退したことから、基本年俸分(推定5億円)でNPBの現役選手最高額に達した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/12/13/kiji/K20161213013898850.html |title=金子悔しい7勝 5億円に見合う働きを「2桁以上は当たり前」 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2016-12-12 |accessdate=2016-12-13}}</ref>。

'''{{by|2017年}}'''は、3月31日の対楽天戦(京セラドーム)で2年連続6度目の開幕投手を務めたが、前年に続いて勝敗は付かなかった。4月14日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオクドーム)では、5回裏まで1人も走者を出さなかった末に、被安打2の無四球完封勝利を自己最少の92球で達成([[マダックス (記録)|マダックス]])。一軍公式戦での完封勝利は通算21回目で、NPB現役投手での最多達成者である[[杉内俊哉]]の記録に並んだ<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/04/14/kiji/20170414s00001173292000c.html |title=金子 現役最多タイ21度目完封勝利!「リラックスして投げられた」 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2017-04-14 |accessdate=2017-04-17}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1807888.html |title=オリックス福良監督「完璧」金子の92球完投を称賛 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2017-04-14 |accessdate=2017-04-17}}</ref>。同年の全投手でソフトバンク相手に挙げた唯一の完封勝利でもあった。さらに、4月26日の対西武戦でも、3失点を喫しながら完投勝利を記録。4月には先発で登板した4試合で全勝した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1813810.html |title=オリックス福良監督「完璧」金子の92球完投を称賛 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2017-04-26 |accessdate=2017-04-27}}</ref>ことから、チームメイトの[[T-岡田]]と揃ってパ・リーグ3・4月度の月間MVPを受賞した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1820534.html |title=オリックス勢が独占!金子とT-岡田が月間MVP |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2017-05-09 |accessdate=2017-05-09}}</ref>。5月23日の対楽天戦では一軍公式戦自己ワーストタイ記録の8失点<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1828737.html |title=オリックス金子自己ワースト8失点KO「情けない」 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2017-05-24 |accessdate=2017-06-07}}</ref>、6月6日の対阪神戦(いずれも京セラドーム)では自己ワーストの9失点で黒星を喫した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1836098.html |title=オリックス大敗 9失点先発金子は冷静さたらず反省 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2017-06-06 |accessdate=2017-06-07}}</ref>が、8月30日の対ロッテ戦([[千葉マリンスタジアム|ZOZOマリンスタジアム]])での2失点完投勝利によって自身3年ぶりの一軍公式戦シーズン2桁勝利を達成した<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20170902004842/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170830-OHT1T50247.html |title=オリックス大敗 9失点先発金子は冷静さたらず反省 |website=スポーツ報知 |publisher=報知新聞社 |date=2017-08-30 |accessdate=2017-09-02}}</ref>。一軍公式戦全体では、27試合の登板(リーグ最多の27先発登板)で、12勝8敗・防御率3.47を記録。シーズン終了後には、推定年俸6億円(前年より1億円増でNPBの当時、現役選手最高額)という条件で契約を更改した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.asahi.com/articles/ASLCX627ZLCXPTQP00J.html |title=オリックス金子、自由契約へ 球団は年俸5億円減を提示 |website=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2018-11-28 |accessdate=2018-11-29}}</ref>。

'''{{by|2018年}}'''は、レギュラーシーズンの開幕投手を[[西勇輝]]が務め<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/02/26/kiji/20180225s00001173570000c.html |title=オリ金子 開幕回避 2カード目初戦ロッテ戦へ 大役は西が最有力 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2018-02-26 |accessdate=2018-05-31}}</ref>、金子は4月3日の対ロッテ戦で公式戦初登板。しかし、この試合から5月3日の対西武戦(いずれも京セラドーム)まで自己ワーストの開幕4連敗を喫する<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/04/kiji/20180503s00001173261000c.html |title=オリックス金子 遠い白星…自己ワースト4連敗 福良監督は信頼 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2018-05-04 |accessdate=2018-05-31}}</ref>ほど不調で、公式戦での初勝利は5月23日の対楽天戦([[宮城球場|楽天生命パーク]])にまで持ち越された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/23/kiji/20180523s00001173241000c.html |title=オリックス3連勝、金子が今季初勝利 楽天は3連敗 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2018-05-23 |accessdate=2018-05-31}}</ref>。一軍公式戦全体でも、17試合の登板で、4勝7敗、防御率3.87と不振。首から背中にかけて強い張りを抱えていたこともあって、8月14日に出場選手登録を抹消されてからは、実戦へ登板せずにシーズンを終えた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810030000982.html |title=オリックス金子が再FA権へ、ウルトラCで期間短縮 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2018-10-03 |accessdate=2018-11-29}}</ref>。シーズン終了後の契約交渉では球団からNPB野球協約の減額制限(年俸1億円超の選手に対しては40%を上限に設定)を大幅に超える減俸を提示される{{R|nikkei}}。この提示に対して金子は11月28日に球団へ[[自由契約選手|自由契約]]を申し入れ、球団は金子に対し了承を伝えつつ再契約による残留も容認することを伝えた<ref name="nikkei">{{Cite web ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK30629_Y8A121C1000000/ |title=オリックス金子、自由契約申し入れ 大幅な減俸提示受け |website=NIKEI NET |publisher=日本経済新聞社 |date=2018-10-03 |accessdate=2018-11-29}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811280000611.html |title=5億円減提示のオリックス金子が退団 争奪戦勃発か |website=ニッカンスポーツ・コム |date=2018-11-28 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2018-11-28}}</ref>。12月2日付でNPBから自由契約選手として公示<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/02/kiji/20181202s00001173189000c.html |title=保留選手名簿を公示、上原、金子、ガルシア、エルドレッドらが自由契約に |website=スポーツニッポン |date=2018-12-02 |accessdate=2024-08-01}}</ref>され、3日に[[北海道日本ハムファイターズ]]が金子との入団契約交渉を行った<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2018/12/03/post259692/ |title=日本ハムがオリックス退団の金子千尋と交渉 吉村GMは好感触「共感してくれている」 |website=Full-Count |date=2018-12-03 |accessdate=2018-12-04}}</ref>。

=== 日本ハム時代 ===
2018年12月4日に、北海道日本ハムファイターズとの間で1年契約の締結に合意した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/04/kiji/20181204s00001173324000c.html |title=日本ハム オリ退団の金子と契約合意 速攻オファー実った!2日に自由契約として公示されたばかり |website=スポーツニッポン |date=2018-12-04 |accessdate=2018-12-04}}</ref>。背番号はオリックス時代と同じ'''19'''。年俸は6億円から4億5000万円減の1億5000万円(推定)となり、移籍を伴うため参考記録ながら、減俸額は[[杉内俊哉]](当時、巨人)と並ぶタイ記録であった。「新しいチームで'''一'''から始める姿をファンに見せていきたい」という意向<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2018/12/12/post265083/ |title=日本ハム移籍で登録名変更の金子弌大が「疑問を解決」!? 「いちで変換できます」 |website=Full-Count |date=2018-12-12 |accessdate=2019-07-15}}</ref>で、登録名は「'''金子 弌大'''」(読みは本名と同じ)に変更した{{R|fighters20181210}}。

'''{{by|2019年}}'''は、前年に[[メジャーリーグベースボール|MLB]]で広まった[[オープナー (野球)|オープナー戦術]]を採用する方針を当時の監督である[[栗山英樹]]が打ち出したことを背景に、オープナー(ショート・スターター)として先発した投手を試合の前半から救援する「第二先発」([[ロングリリーフ]])要員として調整<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201902130000290.html |title=日本ハム金子弌大「役割を全うしたい」古巣戦に覚悟 |website=日刊スポーツ |date=2019-02-13 |accessdate=2019-07-16}}</ref>。レギュラーシーズンの開幕後も、左投手の[[加藤貴之 (野球)|加藤貴之]]や[[堀瑞輝]]がオープナーに起用された試合で「第二先発」を務めた。その一方で、オリックス時代に続いて、本来の先発(スターター)にも随時起用<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44236490W9A420C1000000/ |title=「オープナー」は日本球界に合っているか |website=日本経済新聞 |date=2019-04-28 |accessdate=2019-07-16}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201907060001084.html |title=日本ハム会心連勝「ショートスターター」で初完封 |website=日刊スポーツ |date=2019-07-06 |accessdate=2019-07-16}}</ref>。4月18日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では、5回無失点1被安打の好投で移籍後初勝利を挙げたことによって、[[林昌範]]以来およそ5年ぶりにNPB一軍公式戦史上18人目の[[全球団勝利]]を達成した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK40788_Y9A410C1000000/ |title=日本ハム金子が全球団勝利 プロ野球史上18人目 |website=日本経済新聞 |date=2019-04-18 |accessdate=2019-07-16}}</ref>。一軍公式戦全体では、先発で19試合、救援で7試合に登板。通算成績は8勝7敗だが、全ての白星を先発だけで挙げた一方で、中継ぎを含めた救援登板では2ホールドを記録した。特に古巣のオリックスにめっぽう強く、初対決の試合の3回に2失点して以降30イニング無失点で防御率0.49、5勝無敗を記録した<ref>{{Cite web ja |url=https://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/500027/ |title=プロ野球 - 北海道日本ハムファイターズ - 金子 弌大 |website=スポーツナビ |date= |accessdate=2019-12-12}}</ref>。チームの全日程終了後の10月19日に、オリックス時代の前年に取得した海外FA権を行使せず、1年契約で日本ハムへ残留することを表明<ref name=Nikkan20191019>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201910190000819.html |title=日本ハム金子が残留表明「来季結果で応えたい」 |website=日刊スポーツ |date=2019-10-19 |accessdate=2019-10-19}}</ref>。

'''{{by|2020年}}'''は、本人の希望でもある中継ぎとして主に登板し、34試合で1勝3敗、防御率5.11だった<ref name="nikkansports20201217">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012170000504.html |title=日本ハム金子1・4億超の減額「本当に申し訳ない」 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2020-12-17 |accessdate=2021-11-30}}</ref>。12月17日、契約更改交渉に臨み、年俸1億8000万円から約80%減となる年俸3500万円プラス出来高払いでサインした{{R|nikkansports20201217}}<ref>{{Cite web ja |url=https://nikkan-spa.jp/1736563 |title=プロ野球、年俸6億円台は過去に何人いた? 現年俸3500万円の選手も |website=日刊SPA! |date=2021-02-19 |accessdate=2021-11-30 |publisher=扶桑社}}</ref>。

'''{{by|2021年}}'''は先発6試合を含む8試合に登板したが、0勝4敗、防御率6.21だった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202109300001345.html |title=日本ハム連敗 栗山監督「金子弌大信じてマウンドに送った。オレのせい」 |website=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2021-11-29 |date=2021-09-30}}</ref>。オフに1500万円減となる推定年俸2000万円で契約を更改し、{{by|2022年}}シーズンから登録名を本名の「'''金子 千尋'''」に戻すことを表明した<ref name=nikkansports20211208>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202112080000590.html |title=日本ハム金子は減額で更改 登録名「弌大」→「千尋」に戻して心機一転だ |website=日刊スポーツ |date=2021-12-08 |publisher=日刊スポーツNEWS |accessdate=2021-12-08}}</ref>。

'''{{by|2022年}}'''は、一軍では3試合の登板で1勝2敗、防御率4.85の成績に終わったが、二軍ではイースタン・リーグでチームトップ7勝、防御率2.49を記録した<ref name="fc20221017">{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2022/10/17/post1295329/ |title=日本ハム金子千尋、自由契約に“謝罪”「申し訳ない」 コーチ就任要請も現役続行希望 |website=Full-Count |date=2022-10-17 |accessdate=2022-11-03}}</ref>。しかし、翌年の構想から外れ、シーズンオフにGMの[[稲葉篤紀]]から現役引退とコーチ就任を要請されたが、現役続行を希望して辞退したことで<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202212230000199.html |title=【日本ハム】14年沢村賞・金子千尋が現役引退、今後は球団入りし後進の育成へ 午後2時に会見 |website=日刊スポーツ |date=2022-12-23 |accessdate=2022-12-23}}</ref>、10月17日に自由契約となることが発表された{{R|fc20221017}}。NPB球団での現役続行を希望していたが、オファーは届かず、12月23日に現役引退を表明した。

=== 引退後 ===
2022年12月23日に日本ハムの特命コーチに就任し<ref name="sponichi20221223">{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/12/23/kiji/20221223s00001173313000c.html |title=現役引退の金子千尋 日本ハム・特命コーチに就任へ「スケール大きい選手を多く育てたい」 |website=スポーツニッポン |date=2022-12-23 |accessdate=2022-12-23}}</ref>、翌年の春季キャンプの時期からアメリカへコーチ留学を行うことも発表した。背番号は'''91'''。{{by|2024年}}からはファーム投手コーチを務める<ref>{{Cite web ja |url=https://full-count.jp/2023/11/18/post1473452/ |title=日本ハムが2軍首脳陣を発表 稲葉篤紀GMが監督就任…清水雅治氏と“五輪金タッグ” |website=Full-Count |date=2023-11-18 |accessdate=2023-11-18}}</ref>。


== 選手としての特徴 ==
== 選手としての特徴 ==
[[スリークォーター]]から平均球速約144[[キロメートル毎時|km/h]]<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2011|title=2011プロ野球オール写真選手名鑑|publisher=[[日本スポーツ企画出版社]]|page=183|isbn= 978-4-930942-98-2}}</ref>、最速154km/hの[[速球|ストレート]]、先発転向後精度が向上した[[カーブ (球種)#ドロップカーブ|縦のカーブ]]、[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[カットボール]]、[[ツーシーム・ファストボール|ツーシーム]]<ref>{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/23/kiji/K20140523008215750.html |title=オリックス・金子 僕はエースじゃない 三振の話題は「ほっといて」|newspaper = Sponichi Annex|publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2014-05-23 |accessdate = 2016-11-03}}</ref><ref name="sb20100614">{{Cite journal |journal = [[週刊ベースボール]] |issue = 2010年6月14日号 |publisher = [[ベースボール・マガジン社]] |pages = 20 - 21 |id = 雑誌20442-6/14}}</ref>、[[チェンジアップ]]、[[スプリットフィンガード・ファストボール|スプリット]]<ref name="sb20100614" />、[[シンカー・スクリューボール|パワーシンカー]]<ref>[[テレビ朝日]]『[[Get Sports]]』2014年4月20日放送</ref>、まれに[[ワンシーム]]<ref>{{Cite news |title = オリ金子「超完封」に岡田監督ご満悦 |newspaper = nikkansports.com |date = 2010-03-21 |author = 柏原誠 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100321-608491.html |accessdate = 2016-11-03}}</ref>を投げ分ける。
[[スリークォーター]]から平均球速約144[[キロメートル毎時|km/h]]<ref>{{Cite book ja |year=2011 |title=2011プロ野球オール写真選手名鑑 |publisher=日本スポーツ企画出版社 |page=183 |isbn=978-4-930942-98-2}}</ref>、最速154km/hの[[速球|ストレート]]、先発転向後精度が向上した[[カーブ (球種)#ドロップカーブ|縦のカーブ]]、[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[カット・ファスト・ボール|カットボール]]、[[速球#ツーシーム・ファストボール|ツーシーム]]<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/23/kiji/K20140523008215750.html |title=オリックス・金子 僕はエースじゃない 三振の話題は「ほっといて」 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2014-05-23 |accessdate=2016-11-03}}</ref><ref name="sb20100614">{{Cite journal |journal=[[週刊ベースボール]] |issue=2010年6月14日号 |publisher=ベースボール・マガジン社 |pages=20-21 |id=雑誌20442-6/14}}</ref>、[[チェンジアップ]]、[[フォークボール#スプリットフィンガード・ファストボール|スプリットフィンガード・ファストボール]]{{R|sb20100614}}、[[速球#ツーシーファボール|パワーシンカー]]<ref>[[テレビ朝日]]『[[Get Sports]]』2014年4月20日放送</ref>、まれに[[速球#ツーシーム・ファストボール|ワンシーム]]<ref>{{Cite web ja |title=オリ金子「超完封」に岡田監督ご満悦 |website=日刊スポーツ |date=2010-03-21 |author=柏原誠 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100321-608491.html |accessdate=2016-11-03}}</ref>を投げ分ける。


[[四球]]が少なく、与四球率は通算で2.09と優秀な数値をマーしており、特に2008年から3年連続で1個台をマークしてい(2008年1.85、2009年1.78、2010年1.94)。
[[四球]]が少なく、与四球率は2018年までの通算で2.09と優秀な数値を記録。オリッス時代は、2008年から3年連続で1個台にとどめてい(2008年1.85、2009年1.78、2010年1.94)。


先頭打者への投球前には「両手を帽子のこめかみに当てるポーズ」を取るが、これは精神統一の際に「自分に言い聞かせていることをカメラに撮られたくない」為に顔と口元を隠す意味で始めたという<ref>オリックス・バファローズ観戦ガイド「Bs TIME」Vol.9 2ページ</ref>。
先頭打者への投球前には「両手を帽子のこめかみに当てるポーズ」を取るが、これは精神統一の際に「自分に言い聞かせていることをカメラに撮られたくない」為に顔と口元を隠す意味で始めたという<ref>オリックス・バファローズ観戦ガイド「Bs TIME」Vol.9 2ページ</ref>。


汗をかくことを嫌っているため、グラブを持つ左の掌が布地に隠れるほど左袖が長い特注品のアンダーシャツを愛用している<ref name="nikkan140502">{{Cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140502-1294773.html |title=金子に不正投球疑惑 審判団が指摘 |newspaper = nikkansports.com |publisher=日刊スポーツ|date=2014-05-02 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。このシャツを着て登板する試合では、距離や角度によって投球の合間にボールをもむ動作が左袖の布地に触れる格好でボールをこねているように見えることがあるという。2014年には、その動作をめぐって、オープン戦(3月21日・阪神戦)と公式戦(5月2日・札幌ドームの対日本ハム戦)の登板中に審判団から注意を受けた<ref>{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/02/kiji/K20140502008084260.html |title=オリックス 金子に疑惑の目が…直後に2発連続被弾 |newspaper = Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社|date=2014-05-02 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。オリックス球団では、「ボールがアンダーシャツに直接触れないようにすれば(ボールをグラブ・身体・着衣で摩擦することを投手の禁止事項に定めている)[[公認野球規則]]に抵触しないことを、[[日本野球機構]]の審判部に確認済み」として、金子が注意を受けた後も上記のシャツの着用を容認<ref>{{Cite news|url=http://www.daily.co.jp/baseball/2014/05/09/0006943736.shtml |title=オリックス・金子“潔白”で長袖アンダーシャツ変えぬ」|publisher=デイリースポーツ|date=2014-05-09 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。金子自身も、ボールをもむ際に左手の指を立てるように工夫しながら、着用を続けている<ref name="nikkan140502" />
汗をかくことを嫌ため、グラブを持つ左の掌が布地に隠れるほど左袖が長い特注品のアンダーシャツを愛用している<ref name="nikkansports20140502">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140502-1294773.html |title=金子に不正投球疑惑 審判団が指摘 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ |date=2014-05-02 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。このシャツを着て登板する試合では、距離や角度によって投球の合間にボールをもむ動作が左袖の布地に触れる格好でボールをこねているように見えることがあるという。オリックス時代の2014年には、その動作をめぐって、オープン戦(3月21日・阪神戦)と公式戦(5月2日・札幌ドームの対日本ハム戦)の登板中に審判団から注意を受けた<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20140503011928/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/02/kiji/K20140502008084260.html |title=オリックス 金子に疑惑の目が…直後に2発連続被弾 |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2014-05-02 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。オリックス球団では、「ボールがアンダーシャツに直接触れないようにすれば(ボールをグラブ・身体・着衣で摩擦することを投手の禁止事項に定めている)[[公認野球規則]]に抵触しないことを、[[日本野球機構]]の審判部に確認済み」として、金子が注意を受けた後も上記のシャツの着用を容認<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2014/05/09/0006943736.shtml |title=オリックス・金子“潔白”で長袖アンダーシャツ変えぬ」 |website=デイリースポーツ |date=2014-05-09 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。金子自身も、ボールをもむ際に左手の指を立てるように工夫しながら、着用を続けている{{R|nikkansports20140502}}


== 人物 ==
== 人物 ==
愛称は「'''ネコ'''」「'''ちーちゃん'''」など。
愛称は「'''ネコ'''」「'''ちーちゃん'''」など。


三条市立南小学校時代から父親とキャッチボールをすることが大好きで、2000年の正月に父親の実家に帰省した際には、祖父母に対し「[[第72回選抜高等学校野球大会|甲子園]]に行くことになったら、おじいちゃん、おばあちゃん絶対に見に来い」と言っていた{{R|三條新聞2000-02-03}}。
2006年の宮古島キャンプではトレーニングを兼ねて訪れていた[[イチロー]]と紅白戦で対戦し、リードした[[前田大輔]]にも責任はあるものの初球にカーブを投げ、チームメイト(当時)の[[清原和博]]に「真っ直ぐ(ストレート)で勝負せなアカンやろ」と怒られた<ref>{{Cite web |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1207/kiji/K20120714003678820.html |title = 【7月14日】2010年(平22) 金子千尋 3戦連続完封 45年ぶり“ガソリンタンク”に並ぶ |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。これについては後に自分の一番良い球で抑えてアピールしないといけないという持論を語っている。もっとも、自身の著書で明かしたところによると、その後変化球で打ち取られたイチローには、すれ違った際に「最後の球はスライダー?ナイスボール」と声をかけられ「プロに入ってからずっと自信を持てなかった僕に、前を向く勇気を与えてくれました」と振り返っている。


オリックス時代の2006年には、トレーニングを兼ねて[[宮古島市民球場|宮古島]]キャンプを訪れていた[[イチロー]]と紅白戦で対戦。[[前田大輔]]のリードで初球にカーブを投げたところ、チームメイト(当時)の[[清原和博]]に「真っ直ぐ(ストレート)で勝負せなアカンやろ」と怒られた<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20120719195959/http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1207/kiji/K20120714003678820.html |title=【7月14日】2010年(平22) 金子千尋 3戦連続完封 45年ぶり“ガソリンタンク”に並ぶ |website=スポーツニッポン |date=2012-07-14 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。これについては後に自分の一番良い球で抑えてアピールしないといけないという持論を語っている。もっとも、自身の著書で明かしたところによると、その後変化球で打ち取られたイチローには、すれ違った際に「最後の球はスライダー?ナイスボール」と声をかけられ「プロに入ってから、ずっと自信を持てなかった僕に前を向く勇気を与えてくれました」と振り返っている。
2009年には母校である[[長野市立朝陽小学校]]の校庭を芝生化するために試合で一勝する度に10万を寄付し、最終的には合計110万の寄付を行った<ref>{{Cite web |url = http://www.55outfield.com/business2.html |title = 社会貢献事業サポート |publisher = OUTFIELD(アウトフィールド)|accessdate = 2016-11-03}}</ref><ref>{{Cite news |title = オリ金子が母校小学校に110万円芝生寄贈 |newspaper = nikkansports.com |date = 2009-12-24 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20091224-579068.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。


オリックス時代の2009年には、母校の[[長野市立朝陽小学校]]の校庭に芝生を植える目的で、公式戦で1勝するたびに10万円を同校へ寄付。この年には11勝を挙げたため、寄付の総額は110万円にまで達した<ref>{{Cite web ja |url=http://www.55outfield.com/business2.html |title=社会貢献事業サポート |website=OUTFIELD(アウトフィールド) |date= |accessdate=2016-11-03}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20091224-579068.html |title=オリ金子が母校小学校に110万円芝生寄贈 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2009-12-24 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。
2010年4月29日にソフトバンクから[[金子圭輔]]が[[トレード#プロ野球|トレード]]移籍してきたことに伴い、報道やスコアボードでの表記名が「'''金子千'''」となった。ただしバランスが悪いからという理由で、5月8日の対ロッテ戦から電光掲示板の表示をフルネームの「'''金子千尋'''」に変更している<ref>{{Cite web |author = 金子千尋 |date = 2010-05-16 |title = フルネーム。。。 |url = http://ameblo.jp/kanekochihiro/entry-10536793984.html |work = 金子千尋オフィシャルブログ『顔晴れ!』 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。2012年1月17日に金子圭輔がソフトバンクに復帰したことで金子姓は一人となったが、2012年以降もスコアボード上の表記は「'''金子千尋'''」のままであり<ref>{{Cite news |title = 「金子千尋」1人になっても登録名変えず |newspaper = nikkansports.com |date = 2012-01-20 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120120-892164.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>、公式記録で他の選手が名字のみになっている箇所でも常にフルネームでの表示になっている<ref>{{Cite web |date = 2012-04-06 |url = http://npb.jp/bis/2012/games/s2012040600235.html |title = 2012年4月6日 【公式戦】 試合結果 (オリックスvs東北楽天) |publisher = 日本野球機構 |accessdate = 2016-11-03}}2011年は「金子千」表記。</ref>。


2010年の開幕直後(4月29日)、ソフトバンクから同姓の[[金子圭輔]]が移籍してきた際、スコアボードの表示名が一時「'''金子千'''」に変更された。しかし、千尋自身の「バランスが悪い」という指摘により、5月8日の対ロッテ戦から表示名がフルネームの「'''金子千尋'''」に改められた<ref>{{Cite web ja |author=金子千尋 |date=2010-05-16 |url=https://ameblo.jp/kanekochihiro/entry-10536793984.html |title=フルネーム。。。 |website=金子千尋オフィシャルブログ『顔晴れ!』 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。2012年1月17日に圭輔がソフトバンクに復帰し、他に金子姓の選手はいなくなったものの、2018年まで「金子千尋」の表示を継続し<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120120-892164.html |title=「金子千尋」1人になっても登録名変えず |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2012-01-20 |accessdate=2016-11-03}}</ref>、公式記録で他の選手が名字のみになっている箇所でも、常にフルネームで表示されていた<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/2012/games/s2012040600235.html |title=2012年4月6日 【公式戦】 試合結果 (オリックスvs東北楽天) |website=NPB.jp 日本野球機構 |date=2012-04-06 |accessdate=2016-11-03}}2011年は「金子千」表記。</ref>。日本ハムへ移籍した2019年からは、同姓の選手がいないことや、自身の登録名を「金子弌大」に変更したことから、再び苗字のみ表示となった。登録名を本名に戻した2022年からは、再び表示名がフルネームの「金子千尋」に改められた<ref>{{Cite web ja |date=2021-12-09 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202112090000355.html |title=日本ハム金子弌大、元通り登録名を金子千尋に「僕が一番弌大に違和感」 |website=日刊スポーツ |accessdate=2022-06-01}}</ref>。
先発で9回表終了まで無安打に抑えながら、その裏の代打で交代を余儀なくされた2014年5月31日の対巨人戦(前述)では、延長戦に入ってからも救援陣が継投で記録を継続。11回表に[[佐藤達也 (野球) |佐藤達也]]が[[片岡治大]]にチーム初安打、12回表に[[馬原孝浩]]が[[亀井義行]]に決勝本塁打を許すなど、延長12回までもつれ込んだ末にチームは0対1で敗れた<ref>朝日新聞2014年6月1日スポーツ面</ref>。金子は、この結果について、試合終了後に淡々とした姿勢で「(巨人打線が)ノーヒットだったのは知っていたが、9回まで0-0(というスコア)でいっていたので、ノーヒットを意識することなく最後まで投げられた。9回裏にサヨナラ(で勝っていた)なら、ノーヒットノーランとして記録に残るので嬉しいけど、自分の使命はチームに勝ちを付けること。それができなかったので、ノーヒット(ノーランを達成できなかったこと)へのコメントはできない」と振り返っていた<ref>{{Cite news |title = オリックス金子9回ノーヒッター降板 |newspaper = nikkansports.com |date = 2014-06-01 |author = 堀まどか |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140601-1310445.html |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。なお、先発投手からの継投で無安打投球を続けた末に、延長で初安打を許したチームは[[日本プロ野球]]公式戦2例目(NPBの公式戦では初めての事例<ref group="注釈">2リーグ分立前年の1949年に一宮球場で催された[[中日ドラゴンズ]]対[[東急フライヤーズ]]戦で、中日の先発・[[杉下茂]]が試合開始から無安打投球を続けていたものの、8回表に[[浜田義雄]]が放った打球で利き手(右手)の指を痛めたためこの回限りで降板。降板した時点で許した走者は、自身の与四球による2人と、味方野手の失策による1人だけであった。9回表から急遽[[服部受弘]]がマウンドに立ったが、0-0のスコアで迎えた10回表に、先頭打者の[[大下弘]]によるソロ本塁打でこの試合チーム初の被安打と失点を記録。結局、中日は投手陣が9回終了まで東急打線をノーヒットノーランに抑えながら、延長10回まで戦った末に敗れている。</ref>)であった<ref>{{Cite news |title = 金子 9回無安打、幻ノーヒッター 外野へ飛んだのは1本だけ |newspaper = Sponichi Annex |date = 2014-06-01 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/01/kiji/K20140601008276290.html |publisher = スポーツニッポン新聞社 |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。


先発で9回表終了まで無安打に抑えながら、その裏の代打で交代を余儀なくされた2014年5月31日の対巨人戦(前述)では、延長戦に入ってからも救援陣が継投で記録を継続。11回表に[[佐藤達也 (野球)|佐藤達也]]が[[片岡治大]]にチーム初安打、12回表に[[馬原孝浩]]が[[亀井善行]]に決勝本塁打を許すなど延長12回まで、もつれ込んだ末にチームは0対1で敗れた<ref>朝日新聞2014年6月1日スポーツ面</ref>。金子は、この結果について、試合終了後に淡々とした姿勢で「(巨人打線が)ノーヒットだったのは知っていたが、9回まで0-0でいっていたので、ノーヒットを意識することなく最後まで投げられた。9回の裏にサヨナラ(で勝っていた)なら、ノーヒットノーランとして記録に残るので嬉しいけど、自分の使命はチームに勝ちを付けること。それができなかったので、ノーヒット(ノーランを達成できなかったこと)へのコメントはできない」と振り返っていた<ref>{{Cite web ja |title=オリックス金子9回ノーヒッター降板 |website=日刊スポーツ |date=2014-06-01 |author=堀まどか |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140601-1310445.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。なお、先発投手からの継投で無安打投球を続けた末に、延長で初安打を許したチームは[[日本プロ野球]]公式戦2例目(NPBの公式戦では初めての事例{{Efn|2リーグ分立前年の1949年に一宮球場で催された[[中日ドラゴンズ]]対[[北海道日本ハムファイターズ|東急フライヤーズ]]戦で、中日の先発・[[杉下茂]]が試合開始から無安打投球を続けていたものの、8回表に[[浜田義雄]]が放った打球で利き手(右手)の指を痛めたためこの回限りで降板。降板した時点で許した走者は、自身の与四球による2人と、味方野手の失策による1人だけであった。9回表から急遽[[服部受弘]]がマウンドに立ったが、0-0のスコアで迎えた10回表に、先頭打者の[[大下弘]]によるソロ本塁打でこの試合チーム初の被安打と失点を記録。結局、中日は投手陣が9回終了まで東急打線をノーヒットノーランに抑えながら、延長10回まで戦った末に敗れている。}})であった<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20140601055221/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/01/kiji/K20140601008276290.html |title=金子 9回無安打、幻ノーヒッター 外野へ飛んだのは1本だけ |website=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2014-06-01 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。
[[2011年]]10月には、オリジナル写真集サイトの「PHOちょ+」から、自身の監修による初の[http://www.phocho.jp/orix_kaneko/ 公式写真集]が販売された(現在は終了)。


オリックス時代の2011年10月に、オリジナル写真集サイトの「PHOちょ+」から自身の監修による初の[http://www.phocho.jp/orix_kaneko/ 公式写真集]が販売された(現在は終了)。
「ファンとの交流の場を設けたい」という自身の希望から、2011年と2015年のシーズン終了後には、有料定員制の「ファンミーティング」を大阪市内のホテルで開いている<ref>{{Cite news |title = オリックス・金子、ファンミーティング「来季はこの悔しさをぶつけて…」 |newspaper = SANSPO.COM |date = 2015-12-17 |url = http://www.sanspo.com/baseball/news/20151217/buf15121721500004-n1.html |publisher = 産経デジタル |accessdate = 2016-11-03}}</ref>。

「ファンと交流の場を設けたい」という自身の希望から、オリックス時代の2011年と2015年には、シーズン終了後に有料定員制の「ファンミーティング」を大阪市内のホテルで開いている<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20151217-QGNHR23JDBIYLGX6X7ZLGEZXIY/ |title=オリックス・金子、ファンミーティング「来季はこの悔しさをぶつけて…」 |website=SANSPO.COM |publisher=産経デジタル |date=2015-12-17 |accessdate=2016-11-03}}</ref>。

恐妻家として語られることもある。金子が年俸5億をもらっていたシーズンで「月の小遣いは20万。ほしいものがあれば相談する」という<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2018/01/13/0010894381.shtml |title=年俸5億ももらっているのに!オリックス金子は月20万円のお小遣い制 |website=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2018-01-13 |accessdate=2022-12-22}}</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
=== 年度別投手成績 ===
{|{{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}
{|{{投手成績|リーグ=日本野球機構}}
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2006}}
|style="text-align:center;"|{{by2|2006}}
|rowspan="13" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[オリックス・バファローズ|オリックス]]
|rowspan="13" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[オリックス・バファローズ|オリックス]]
|21||1||0||0||0||1||1||0||1||.500||120||28.0||20||4||18||1||2||22||3||1||13||11||3.54||1.36
|21||1||0||0||0||1||1||0||1||.500||120||28.0||20||4||18||1||2||22||3||1||13||11||3.54||1.36
|-
|-
144行目: 167行目:
|17||17||0||0||0||4||7||0||0||.364||430||100.0||97||11||35||0||3||72||3||0||47||43||3.87||1.32
|17||17||0||0||0||4||7||0||0||.364||430||100.0||97||11||35||0||3||72||3||0||47||43||3.87||1.32
|-
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2019}}
!colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:13年
|rowspan="4" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]
|316||249||43||21||12||120||78||5||5||.606||7455||1825.2||1612||140||471||6||34||1566||44||4||660||601||2.96||1.14
|26||19||0||0||0||8||7||0||2||.533||460||109.2||106||10||40||0||0||75||2||0||42||37||3.04||1.33
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2020}}
|34||4||0||0||0||1||3||0||1||.250||199||44.0||49||5||17||1||2||47||1||0||29||25||5.11||1.50
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2021}}
|8||6||0||0||0||0||4||0||0||.000||149||33.1||42||4||13||1||3||22||3||0||23||23||6.21||1.65
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2022}}
|3||3||0||0||0||1||2||0||0||.333||54||13.0||15||0||1||0||0||11||0||0||7||7||4.85||1.23
|-
!colspan="2"|通算:17年
|387||281||43||21||12||130||94||5||8||.580||8317||2025.2||1824||159||542||8||39||1721||50||4||761||693||3.08||1.17
|}
|}
* 2018年度シーズン終了時
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高

=== 年度別投手(先発)成績所属リーグ内順位 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"
|-style="line-height:1.25em"
!年<br /><br />度!![[年齢|年<br /><br />齢]]!!リ<br />|<br />グ!!完<br /><br />投!!完<br /><br />封!!勝<br /><br />利!!勝<br /><br />率!!投<br />球<br />回!!奪<br />三<br />振!!防<br />御<br />率
|-
|2006||23||rowspan="17"|[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|2007||24
|8位||style="background: #c96;"|3位|| - || - || - || - || -
|-
|'''2008'''||25
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|'''2009'''||26
|4位||style="background: #c96;"|3位||4位||10位||5位||5位||5位
|-
|'''2010'''||27
|style="background: #c96;"|3位||style="background:gold;"|1位||style="background:gold;"|1位||style="background:silver;"|2位||style="background:gold;"|1位||4位||6位
|-
|'''2011'''||28
|5位||style="background: #c96;"|3位||7位||5位|| - ||7位||7位
|-
|2012||29
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|'''2013'''||30
|style="background:gold;"|1位||style="background:gold;"|1位||style="background:silver;"|2位||style="background: #c96;"|3位||style="background:gold;"|1位||style="background:gold;"|1位||style="background:silver;"|2位
|-
|style="background:gold;"|'''2014'''||style="background:gold;"|31||style="background: #c96;"|3位||style="background: #c96;"|3位||style="background:gold;"|1位||style="background:silver;"|2位||style="background:silver;"|2位||style="background:silver;"|2位||style="background:gold;"|1位
|-
|2015||32
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|'''2016'''||33
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|'''2017'''||34
|style="background:silver;"|2位||style="background: #c96;"|3位||4位||6位||style="background: #c96;"|3位||6位||9位
|-
|2018||35
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|2019||36
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|2020||37
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|2021||38
| - || - || - || - || - || - || -
|-
|2022||39
| - || - || - || - || - || - || -
|}
* - は10位未満(防御率における規定投球回未達も - と表記)
* '''太字'''は規定投球回到達年度、年度背景色金色は[[最優秀選手 (日本プロ野球)|最優秀選手賞(MVP)]]受賞年度、年齢背景色金色は[[沢村栄治賞]]受賞年度

=== 年度別守備成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small; border-collapse:collapse; padding:1px;"
!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[投手]]
|-style="line-height:1.25em;"
!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]
|-
|style="text-align:center;"|2006
|rowspan="13" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|オリックス
|21||4||6||1||0||.909
|-
|style="text-align:center;"|2007
|36||2||9||0||0||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2008
|29||9||27||0||1||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2009
|32||7||25||1||3||.970
|-
|style="text-align:center;"|2010
|30||12||48||1||0||.984
|-
|style="text-align:center;"|2011
|20||9||36||3||1||.938
|-
|style="text-align:center;"|2012
|9||2||15||1||0||.944
|-
|style="text-align:center;"|2013
|29||23||47||2||2||.972
|-
|style="text-align:center;"|'''2014'''
|26||4||32||0||2||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2015
|16||8||26||0||1||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2016
|24||9||27||0||0||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2017
|27||10||27||1||2||.974
|-
|style="text-align:center;"|2018
|17||3||17||0||0||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2019
|rowspan="4" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|日本ハム
|26||8||15||0||0||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2020
|34||3||10||0||0||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2021
|8||1||8||0||1||1.000
|-
|style="text-align:center;"|2022
|3||0||1||0||0||1.000
|-
!colspan="2"|通算
|387||114||376||10||13||.980
|}
* '''太字年'''は[[ゴールデングラブ賞]]受賞年


=== タイトル ===
=== タイトル ===
* [[最多勝利|最多勝]]:2回 (2010年、2014年)
* [[最多勝利]]:2回(2010年、2014年)
* [[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]:1回 (2013年)
* [[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]:1回(2014年)
* [[最優秀防御率 (日本プロ野球)|最優秀防御率]]:1回 (2014年)
* [[最多奪三振 (日本プロ野球)|最多奪三振]]:1回(2013年)


=== 表彰 ===
=== 表彰 ===
* [[最優秀選手 (日本プロ野球)|最優秀選手]]:1回 (2014年)
* [[沢村栄治賞]]:1回(2014年)
* [[最優秀選手 (日本プロ野球)|最優秀選手]]:1回(2014年)
* [[沢村栄治賞|沢村賞]]:1回 (2014年)
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回(投手部門:2014年)
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回 (投手部門:2014年)
* [[ゴールデグラブ賞]]:1回(投手部門:2014年)
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:7回(投手部門:2008年7月{{R|npb_award_2008_7}}、2010年7月、8月、2011年9月、2014年8月、9月、2017年3・4月)
* [[ゴールデングラブ賞]]:1回 (投手部門:2014年)
* [[最優秀バッテリー賞]]:1回 (2014年捕手:[[伊藤光]])
* [[最優秀バッテリー賞]]:1回(2014年 捕手:[[伊藤光]])
* [[JA全農Go・Go賞]]:1回(最多奪三振賞:2012年5月)
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:7回 (投手部門:2008年7月、2010年7月・8月、2011年9月、2014年8月・9月、2017年3・4月)
* [[JA全農Go・Go賞]]:1回 (最多奪三振賞:2012年5
* [[「ジョージア魂」賞]]:1回(2014度第5
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]] ベストピッチャー賞:1回(2009年第2戦)
* [[「ジョージア魂」賞]]:1回 (2014年度第5回)
* [[日本プロスポーツ大賞]] 殊勲賞:1回(2014年<ref name="jpsa2014">{{Cite web ja |url=https://www.jpsa.jp/award2014.html |title=2014年度第47回日本プロスポーツ大賞受賞者 |date= |access-date=2022-07-17 |publisher=公益財団法人 [[日本プロスポーツ協会]] |year=2014 |website=公益財団法人 日本プロスポーツ協会 — オフィシャルウェブサイト |archive-url=https://web.archive.org/web/20220717101533/https://www.jpsa.jp/award2014.html |archive-date=2015-04-25}}</ref>)
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]] ベストピッチャー賞:1回 (2009年第2戦)
* [[日本プロスポーツ大賞]] 殊勲賞:1回 (2014年)<ref name="jpsa2014">[http://www.jpsa.jp/award_2014.html 2014年 日本プロスポーツ大賞 授賞者]. 公益財団法人 日本プロスポーツ協会. 2018年11月28日閲覧。</ref>
* 日本プロスポーツ大賞 功労賞:1回(2014年{{R|jpsa2014}}
* [[ヤナセ]] オリックス・バファローズMVP賞:1回(2014年<ref>{{Cite web ja |url=https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/681907.html |title=ヤナセ、プロ野球MVP賞を各球団で実施 |website=Car Watch |date=2014-12-25 |accessdate=2018-02-28}}</ref>)
* 日本プロスポーツ大賞 功労賞:1回 (2014年)<ref name="jpsa2014"/>
* [[ヤナセ]] オリックス・バファローズMVP賞:1回 (2014年)<ref>{{Cite news|url=https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/681907.html|title=ヤナセ、プロ野球MVP賞を各球団で実施|newspaper=Car Watch|date=2014-12-25|accessdate=2018-02-28}}</ref>


=== 記録 ===
=== 記録 ===
;投手記録
;記録
;; 投手記録
* 初登板:2006年4月12日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]3回戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]])、9回表に2番手で救援登板、1回無失点
* 初登板:2006年4月12日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]3回戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]])、9回表に2番手で救援登板、1回無失点
* 初奪三振:同上、9回表に[[炭谷銀仁朗]]から空振り三振
* 初奪三振:同上、9回表に[[炭谷銀仁朗]]から空振り三振
* 初先発:2006年7月1日、対西武ライオンズ9回戦([[西武ドーム|インボイスSEIBUドーム]])、4回7失点で敗戦投手
* 初先発:2006年7月1日、対西武ライオンズ9回戦([[西武ドーム|インボイスSEIBUドーム]])、4回7失点で敗戦投手
* 初勝利:2006年8月9日、対西武ライオンズ14回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、8回表1死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
* 初勝利:2006年8月9日、対西武ライオンズ14回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、8回表死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
* 初ホールド:2006年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス14回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])、9回裏1死に4番手で救援登板、1回2/3を無失点
* 初ホールド:2006年8月13日、対福岡ソフトバンクホークス14回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])、9回裏死に4番手で救援登板、1回2/3を無失点
* 初セーブ:2007年3月29日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]3回戦(スカイマークスタジアム)、8回表1死に2番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
* 初セーブ:2007年3月29日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]3回戦(スカイマークスタジアム)、8回表死に2番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
* 初先発勝利:2007年8月18日、対西武ライオンズ18回戦([[西武ドーム|グッドウィルドーム]])、5回3失点
* 初先発勝利:2007年8月18日、対西武ライオンズ18回戦([[西武ドーム|グッドウィルドーム]])、5回3失点
* 初完投勝利・初完封勝利:2007年8月26日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]20回戦(京セラドーム大阪)
* 初完投勝利・初完封勝利:2007年8月26日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]20回戦(京セラドーム大阪)
;打撃記録
;; 打撃記録
* 初安打:2009年6月17日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]4回戦([[横浜スタジアム]])、5回表に[[吉見祐治]]から三塁内野安打
* 初安打:2009年6月17日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]4回戦([[横浜スタジアム]])、5回表に[[吉見祐治]]から三塁内野安打
* 初打点:2014年5月23日、対[[広島東洋カープ]]1回戦([[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]])、7回裏に[[前田健太]]から中越適時二塁打<ref>{{Cite news |title = マエケン、3敗目…エース対決も金子にタイムリー許す |newspaper = SANSPO.COM |date = 2014-05-23 |url = http://www.sanspo.com/baseball/news/20140523/car14052321010002-n1.html |publisher = 産経デジタル |accessdate = 2014-05-23}}</ref>
* 初打点:2014年5月23日、対[[広島東洋カープ]]1回戦([[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]])、7回裏に[[前田健太]]から中越適時二塁打<ref>{{Cite web ja |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20140523/car14052321010002-n1.html |title=マエケン、3敗目…エース対決も金子にタイムリー許す |website=SANSPO.COM |publisher=産経デジタル |date=2014-05-23 |accessdate=2014-05-23}}</ref>
;節目の記録
; 節目の記録
* 1000投球回:2013年7月24日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(京セラドーム大阪)、3回表1死目に[[マイカ・ホフパワー]]から見逃し三振で達成 ※史上335人目
* 1000投球回:2013年7月24日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(京セラドーム大阪、3回表死目に[[マイカ・ホフパワー]]から見逃し三振で達成 ※史上335人目
* 1000奪三振:2014年4月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(京セラドーム大阪)、5回表に[[枡田慎太郎]]から見逃し三振で達成 ※史上136人目
* 1000奪三振:2014年4月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(京セラドーム大阪、5回表に[[枡田慎太郎]]から見逃し三振で達成 ※史上136人目
* 100勝:2016年5月20日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]9回戦(京セラドーム大阪)、7回2失点 ※史上133人目
* 100勝:2016年5月20日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]9回戦(京セラドーム大阪、7回2失点 ※史上133人目
* 1500投球回:2016年8月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(京セラドーム大阪)、7回表3死目に[[ジャフェット・アマダー]]から空振り三振で達成 ※史上173人目
* 1500投球回:2016年8月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(京セラドーム大阪、7回表死目に[[ジャフェット・アマダー]]から空振り三振で達成 ※史上173人目
* 1500奪三振:2018年4月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(京セラドーム大阪)、1回表に[[カルロス・ペゲーロ]]から空振り三振で達成 ※史上53人目
* 1500奪三振:2018年4月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(京セラドーム大阪)、1回表に[[カルロス・ペゲーロ]]から空振り三振で達成 ※史上53人目
* 2000投球回:2021年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦([[宮城球場|楽天生命パーク宮城]])、1回裏三死目に[[茂木栄五郎]]から中飛で達成 ※史上91人目
;その他の記録
; その他の記録
* [[全球団勝利]]:2019年4月18日、[[オリックス・バファローズ]]6回戦(ほっともっとフィールド神戸)、5回無失点 ※史上18人目
* 9回まで無安打無得点:2014年5月31日、対[[読売ジャイアンツ]]戦(京セラドーム大阪)、9回を無安打4与四球1失策無失点。チームは延長12回0対1で敗戦
* 9回まで無安打無得点:2014年5月31日、対[[読売ジャイアンツ]]戦(京セラドーム大阪)、9回を無安打4与四球1失策無失点。チームは延長12回0対1で敗戦
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:3回(20092014年2017年)
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:3回({{NPBオールスター|2009|2014年|2017年}}


=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
* '''19''' (2005年 - )
* '''19'''(2005年 - 2022年
* '''91'''(2023年 - )

=== 登録名 ===
* '''金子 千尋'''(かねこ ちひろ、2005年 - 2018年、2022年 - )
* '''金子 弌大'''(かねこ ちひろ、2019年 - 2021年)


=== 登場曲 ===
=== 登場曲 ===
*「HIGH G.K. LOW」GReeeeN(2008年 初回投球練習時)
* [[HIGH G.K LOW 〜ハジケロ〜]][[GReeeeN]](2008年 初回投球練習時)
*「ALWAYS」FUNKY MONKEY BABYS(2008年 5回表投球練習時)
* [[ALWAYS (FUNKY MONKEY BABYSの曲)|ALWAYS]][[FUNKY MONKEY BΛBY'S|FUNKY MONKEY BABYS]](2008年 5回表投球練習時)
*「超!」[[DJ OZMA]] (2009年)
* 「超!」[[DJ OZMA]](2009年)
*「海賊船」[[遊助]](2010 - 2011年)
* 「海賊船」[[遊助]](2010 - 2011年)
*「[[ミッキーマウス・マーチ]](ユーロビートバージョン)」[[Domino]](2012年)
* 「[[ミッキーマウス・マーチ]](ユーロビートバージョン)」Domino(2012年)
*「with you」[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]](2013年)
* [[with you (ゆずの曲)|with you]]」[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]](2013年)
*「ピタカゲ (CROOKED) -JPN-」[[G-Dragon]](2014年)
* 「ピタカゲ (CROOKED) -JPN-」[[G-DRAGON]](2014年)
*「Good Boy」[[G-Dragon]] & Taeyang (from BIGBANG)(2015年)
* 「Good Boy」[[G-DRAGON|GD]] X [[SOL (歌手)|TAEYANG]] (from BIGBANG)(2015年)
*「BANG BANG BANG -KR Ver.-」BIGBANG(2015年)
* 「BANG BANG BANG -KR Ver.-」[[BIGBANG]](2015年)
*「Dumb & Dumber -KR Ver.-」[[iKON]](2016年)
* 「Dumb & Dumber -KR Ver.-」[[iKON]](2016年)
*「Just Another Boy -KR ver.-」[[iKON]](2017年)
* 「Just Another Boy -KR ver.-」iKON(2017年)
*「B-DAY -KR Ver.-」[[iKON]](2017年)
* 「B-DAY -KR Ver.-」iKON(2017年)
*「SINOSIJAK -JP ver.-」[[iKON]](2018年)
* 「SINOSIJAK -JP ver.-」iKON(2018年)
* 「[[TELL ME (hideの曲)|TELL ME]]」[[hide]](2019年 - 2020年)

* 「The beginning」[[ONE OK ROCK]](2021年)
=== 代表歴 ===
* 「Re;make」ONE OK ROCK(2022年)
* [[日米野球2014]]


== 関連情報 ==
== 関連情報 ==
=== 著書 ===
=== 著書 ===
* {{Cite book|和書|title=どんな球を投げたら打たれないか|publisher=[[PHP研究所]]|year=2014|month=11|isbn=978-4569821351}}
* {{Cite book |和書 |title=どんな球を投げたら打たれないか |publisher=PHP研究所 |year=2014 |month=11 |isbn=978-4569821351 |ref={{SfnRef|金子千尋|2014}}}}
* {{Cite book|和書|title=金子千尋の変化球バイブル ハンディ版|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|year=2015|month=8|isbn=978-4583108995}}
* {{Cite book |和書 |title=金子千尋の変化球バイブル ハンディ版 |publisher=ベースボール・マガジン社 |year=2015 |month=8 |isbn=978-4583108995}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
=== 出典 ===
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228行目: 393行目:
* [[新潟県出身の人物一覧]]
* [[新潟県出身の人物一覧]]
* [[オリックス・バファローズの選手一覧]]
* [[オリックス・バファローズの選手一覧]]
* [[北海道日本ハムファイターズの選手一覧]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2024年8月27日 (火) 15:22時点における最新版

金子 千尋
北海道日本ハムファイターズ 
ファーム投手コーチ #91
北海道日本ハムファイターズでの現役時代
(2022年6月18日 ファイターズ鎌ケ谷スタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 新潟県三条市[1]
生年月日 (1983-11-08) 1983年11月8日(41歳)
身長
体重
180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2006年4月12日
最終出場 2022年5月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 北海道日本ハムファイターズ (2023 - )

金子 千尋(かねこ ちひろ、1983年11月8日 - )は、新潟県三条市出身[1]の元プロ野球選手投手)。右投左打。現在は北海道日本ハムファイターズのファーム投手コーチ。

2019年から2021年までの登録名は金子 弌大(かねこ ちひろ)[2]

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

三条市桜木町で生まれ[注釈 1]、4歳年上の姉がいる。本成寺保育園を経て三条市立南小学校に入学、3年生まで同校に通学していた[1]。千尋は自著で、幼少期はサッカーに熱中していた旨を述べているが[3]、同市の地元紙『三條新聞』は、同市に住んでいたころから野球が大好きだったという旨を報じている[1]

NTTに勤めていた父親の転勤に伴い、小学4年への進級時に長野市立朝陽小学校に転校する[1]。少年野球が盛んな地域だったことから[3]、朝陽小5年生の時、野球に本格的に取り組むようになり、地元の石渡育成会少年野球倶楽部に投手として入団し[1]、左打ちを始めた[3]。当時は長野の小学生にとって、自宅で観戦できるプロ野球のテレビ中継は読売ジャイアンツの試合が中心だったため、自然と巨人の選手に注目するようになったが、当時は投手よりも打者(緒方耕一高橋由伸ら)に憧れた[4]

長野市立長野東部中学校に進学後は長野北シニアリーグに所属し、エースとして活躍[1]。また、このころからプロ野球選手になることを意識するようになる[5]。中学在学時から長野県内の野球強豪校の数校から勧誘されたが、長野商業高校の野球部監督から「創立100周年に一緒に甲子園をめざそう」と言われたことを意気に感じ、同校に進学した[1]

高校進学後は自宅から40分かけて通学し、夜遅くまで練習して21 - 22時に帰宅する毎日を送った[1]。毎日の走り込みで体力の向上に努め、3年生が引退した1年秋の第101回北信越高校野球大会1回戦でリリーフとして初登板を果たし、5回を1失点に抑える[1]。当初は2年生のエースに続くリリーフとして登板していたが、同大会の県予選準々決勝で初先発すると、東海大学第三高校前年のセンバツ出場校)を1失点完投で退け、注目を浴びる[1]。そして、実質的に甲子園への切符を賭けた試合となった高岡第一高校富山県)との準決勝[注釈 2]で先発登板すると、延長12回、141球を完投し、6被安打・14奪三振の快投で勝利投手となった[1]。当時は身長174cm、体重60kgと細身ではあったが、最高球速134km/h速球に、得意のスライダーを織り交ぜた投球を武器にしていた[1]。これにより、甲子園出場を確実なものとしたチームは決勝へ進出したが、金子自身は決勝戦では登板はなく、敦賀気比の2年生バッテリー内海哲也李景一の前に、チームは零封に終わる。2年時の2000年春に第72回選抜高等学校野球大会へ出場[1]。2回戦で、近澤昌志平野佳寿などを擁する鳥羽高校に敗れた。夏の選手権長野大会では、2年時に準優勝。3年時には2回戦で7回参考ながらノーヒットノーランを記録したが、準決勝で12奪三振を記録しながら塚原青雲高校に敗れた。高校時代から、後に入団するオリックス(当時の球団名は「オリックス・ブルーウェーブ」)のスカウトを務めていた熊野輝光が、千尋の投球に注目しており、特にカーブを高く評価していた[5]

高校卒業後に、社会人野球トヨタ自動車へ入社。入社3年目の2004年クローザーとして頭角を現し、都市対抗野球大会でも好投した。

2004年11月17日に行われたNPBドラフト会議で当時、存在していた自由獲得枠を通じてオリックス・バファローズに入団。大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併によって誕生したオリックス・バファローズが最初に獲得した新入団選手の1人となった。この会議は、前述の合併および東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入によるプロ野球再編問題の渦中に開かれたため、オリックス・バファローズは直前まで参加を危ぶまれていた[要出典]

オリックス時代

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ルーキーの2005年には一軍公式戦での登板機会はなかった。二軍(サーパス神戸)の一員として、ウエスタン・リーグ公式戦12試合に登板。勝敗は付かなかったが、防御率0.69という好成績を残した。

2006年は、中継ぎを中心に、一軍公式戦21試合に登板。4月12日の対西武ライオンズ戦(スカイマークスタジアム)に救援で一軍公式戦初勝利を挙げると、7月1日の同カード(インボイスSEIBUドーム)で一軍初先発。救援では、9試合連続無失点も記録した。

2007年は、一軍の中継ぎ要員として公式戦の開幕を迎えた。開幕当初は不振だったが、右肘の故障でプロ入り後に実戦での投球を控えていたカットボールを、セ・パ交流戦の期間中から再び投げ始めたことを機に復調。8月には、再び先発に転向した8月18日の対西武戦で先発初勝利を挙げると、8月26日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(京セラドーム大阪)で一軍初完封を記録した。結局、一軍公式戦では、先発転向後6連勝でシーズンを終了。この結果に、一軍監督のテリー・コリンズは、シーズン終了後に「もう少し早く先発で使うべきだった」と絶賛した[6]。なお、この年には、高校の同級生と結婚している。

2008年は、1月に第1子(長男)が誕生。公式戦では、自身初の開幕投手に指名されると、7回1失点10奪三振で勝利投手になった[7]。以降は、平野佳寿トム・デイビーが故障で離脱したことを背景に、先発ローテーションの軸に定着。しかし、4月下旬からセ・パ交流戦の序盤まで精彩を欠いたため、交流戦の途中から救援要員に回った。リーグ戦の再開後に先発に復帰すると、7月には4戦4勝、防御率1.38の成績でパシフィック・リーグの投手部門月間MVPを初受賞[8]。9月7日の対西武戦で自身初のシーズン10勝目に到達[9]すると、4点近い防御率ながら、チーム9年ぶりのAクラス入り・クライマックスシリーズ初進出に貢献した。一軍公式戦では、小松聖に次ぐチーム2位の投球回数で、自身初の規定投球回に到達。リーグ8位の126奪三振を記録[10]する一方で、被安打数被本塁打数がリーグ2位に達したほか、好不調の波が激しかった。

2009年は、一軍公式戦で2年連続の開幕投手を逃したものの、開幕から先発陣の一角を担った。開幕直後はやや不調だったが、5月5日の対福岡ソフトバンクホークス戦では、自身2年ぶりの完投勝利を記録[11]。チーム全体で4勝しか挙げられなかった6月には、1人で3勝を稼いだ。オールスターゲームには、パシフィック・リーグの監督推薦選手として初出場。第2戦では、3回を無失点に抑えたことで、ベストピッチャー賞を受賞した。8月22日の対楽天戦では、2試合連続完封勝利を挙げる[12]とともに、星野伸之以来球団史上12年ぶりの2年連続2桁勝利を達成した。その一方で、9月からは、不調の加藤大輔に代わってクローザーに転向。9月12日の対西武戦では、シーズン初セーブを挙げるとともに、チームの連敗を6で止めた。一軍公式戦全体では、11勝8敗4セーブ、防御率2.57と165奪三振(いずれもリーグ5位)を記録。また、前年から被安打数と被本塁打数を減らした。

2010年は、3月20日の楽天との開幕戦(京セラドーム大阪)で自身2年ぶりの開幕投手を務めると、被安打4で無四球完封勝利を挙げた[13]。しかし、5月21日の対阪神タイガース戦で8点リードの5回表に一挙5点を失って降板するなど、6月までは試合中盤に突如大量失点を喫することが相次いだ。しかし7月には、7月1日の対楽天戦・7月8日の対西武戦・7月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で、パ・リーグタイ記録となる3試合連続完封を記録[14]。3試合連続完封を達成したのは球団では米田哲也以来45年ぶりとなった[15]。同月から2か月連続での登板5試合全勝と月間MVP選出を経て、9月20日の対日本ハム戦まで13連勝を達成。自己最多にして、球団では1993年の野田浩司以来の17勝でシーズンを終えるともに、最多勝利のタイトルを和田毅(ソフトバンク)と分け合った。また、自身初の200投球回数へ到達するとともに、自己最多の190奪三振、7完投6完封を記録。3完封を挙げた楽天戦、2完封を挙げた西武戦はいずれも5勝ずつ、防御率1点台という好成績を残した一方で、ロッテ戦では2勝5敗、防御率6.18と苦しんだ。シーズン終了後には、推定年俸1億5000万円で契約を更改。チームの投手では唯一、年俸が1億円を超えた。

オリックス・バファローズ時代
(2011年9月13日 ほっともっとフィールド神戸にて)

2011年は、春季キャンプ中に右肘の違和感を訴えたことから、2月9日に右肘遊離軟骨除去手術を受けた[16]。5月5日に阪神とのウエスタン・リーグ公式戦で実戦復帰を果たす[17]と、一軍に復帰した6月5日の同カードでは、6回3失点でシーズン初勝利を記録。その一方で、8月23日の対西武戦では、プロ入りワーストの8失点で敗戦投手となった。9月には、4戦3勝で防御率0.25(自責点1)、リーグトップの2完封を含む3完投勝利で自身4度目の月間MVPに選出。レギュラーシーズン最終戦であった10月18日の対ソフトバンク戦で、チームのクライマックスシリーズ進出を賭けて先発を託されたが、6回4失点で敗戦投手になった。しかし、レギュラーシーズンでは、開幕に出遅れながらも規定投球回数に到達。自己最高の防御率2.43・WHIP1.06を記録するとともに、10勝4敗という成績で4年連続のシーズン2桁勝利を達成した。

2012年は、春季キャンプ中とオープン戦中に右上腕部の張りを訴えたうえに、オープン戦中に腰痛も発症した[18]ことから、当初予定していた開幕戦での登板を回避。本拠地・京セラドーム大阪での初戦(4月6日の対楽天戦)でシーズン初登板を果たした後に、二軍での調整を経て、5月8日の対ソフトバンク戦でシーズン初勝利を挙げた。しかし、6月22日の練習中に右肘の張りを訴えたため、翌23日に予定していた対西武戦の先発を回避。その後の検査で右肘内側部の炎症と診断されたため、出場選手登録を再び抹消された[19]。レギュラーシーズン終了間際の10月5日に、対ソフトバンク戦で一軍復帰を果たすと、7回無失点の好投でシーズン4勝目を挙げた。前述した故障の影響で、一軍公式戦への登板は9試合しかなく、連続2桁勝利も4シーズンで止まった。

2013年は、右前腕部回内筋の炎症で春季キャンプを途中で離脱。その影響でオープン戦に登板しなかった[20]ものの、自身2年ぶり・3度目の開幕投手を務めた。レギュラーシーズンでは、戦線を離れることなく、一軍公式戦で2010年以来2度目の200投球イニングに到達。投球回数・完投数・登板数・奪三振はリーグトップ、勝ち星、防御率はリーグ2位、勝率はリーグ3位の好成績で最多奪三振を獲得。2011年のダルビッシュ有田中将大以来2年ぶりに沢村賞の選考全7項目を満たした。しかし、完投数で選考基準を下回りながら、NPB公式戦史上4人目のシーズン無敗で最多勝、最高勝率、最優秀防御率を挙げた田中が沢村賞を受賞した。7項目の内、勝ち星(金子15、田中24)、勝率(金子.652、田中1.000)、防御率(金子2.01、田中1.27)は田中が上、奪三振(金子200、田中183)、完投数(金子10、田中8)、登板数(金子29、田中28)、投球回数(金子223回1/3、田中212回)は金子が上で、以上の項目で沢村賞を選考するようになった1982年以降で、全項目を満たした投手が受賞できなかった事例は、同年の江川卓、2008年・2011年のダルビッシュに続いて、この時の金子が4例目である。また、この年の金子への得点援護率がリーグワーストの3.18だった。シーズン終了後の秋季キャンプ最終日(11月16日)には、一軍監督の森脇浩司が、金子に翌2014年の開幕投手を通達[21]。12月20日の契約更改では、球団からの複数年契約の提示を固辞しながらも、推定年俸2億円・1年契約で残留を決めた[22]

2014年は、3月上旬にインフルエンザへの感染で一時チームから離れたものの[23]、前年末の指名通りに日本ハムとの開幕戦(3月28日・札幌ドーム)で先発。4月には、4日の対西武戦(西武ドーム)に自己最多の14奪三振による完封でシーズン初勝利を挙げる[24]と、26日の対楽天戦(京セラドーム大阪)では14奪三振・1被安打の完封勝利を記録した[25]メジャーリーグ(MLB)4球団のスカウトが視察した5月24日の対広島戦(ほっともっとフィールド神戸[26]では、7回裏の打席に前田健太からの二塁打で一軍初打点を記録すると、8回無失点の内容で前田との投げ合いにも勝利[27]。5月31日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(京セラドーム大阪)では、先発で9回を4与四球1失策の無安打無得点に抑えた。しかし、0対0で迎えた9回裏一死二塁で迎えた自身の打席で、代打に駿太を送られ交代。その後チームは得点できず試合が延長戦に突入したため、単独でのノーヒットノーラン達成を逃した(詳細後述)。9回まで無安打無得点ながらノーヒットノーラン達成を逃した投手はNPB史上11人目、9回以上を無安打無得点で降板した投手は2人目であった[注釈 3]。レギュラーシーズン全体では、16勝で最多勝利、防御率1.98で最優秀防御率のタイトルを獲得。前年に逃した沢村賞を、チーム史上初めて受賞した[28]ほか、チームはリーグ優勝を逃したものの最優秀選手に選ばれた。オリックスの選手が最優秀選手に選ばれた事例は、チームが日本シリーズを制した1996年イチロー以来であった。

オフの11月に日本で開催された日米野球2014日本代表に選出された[29]。第2戦で先発登板した[30]。また、「アメリカの球場の雰囲気に昔から憧れていた」として、MLBへ挑戦する意向があることを明言した[31]。シーズン中に国内FA権の取得要件を満たしたことから、国内FA権を行使したうえでオリックスへ残留した後に、MLB球団への移籍に向けて球団にポスティングシステムの行使を容認する可能性が一時は報じられた[32]。しかし、11月29日に右肘骨棘こつきょくの除去手術を受けた[33]ことから、MLB球団への移籍をひとまず断念[34]。12月24日には、4年契約・推定年俸総額20億円に出来高分を加えた条件で残留することを表明した[35]

2015年は、前年末に右肘を手術したことや、オープン戦期間中に患部のリハビリで戦線を離脱したこと[36]から、一軍公式戦では開幕戦の登板を回避。5月23日の対ロッテ戦に先発で実戦復帰を果たしたが、清田育宏に満塁本塁打を打たれるなど6点を失った末に、プロ入り後最短タイ記録の3回でKO[37]。7月には、5日の対ソフトバンク戦(ほっともっとフィールド神戸)で、自己ワーストタイ記録の8失点を喫して降板[38]。球団通算1万試合目の公式戦であった同月13日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)では、8回3分の2を3失点という好投で、チームに勝利をもたらした[39]。しかし、先発で登板した9月2日の対楽天戦(楽天koboスタジアム宮城)4回裏に、右肩の違和感を訴えて緊急降板[40]谷佳知の引退試合であった10月3日のシーズン最終戦(京セラドーム大阪のソフトバンク戦)に自身5年ぶりの救援登板で実戦復帰を果たした[41]が、シーズン通算では規定投球回に達せず、7勝に終わった。

オフの11月に開催された第1回WBSCプレミア12日本代表には、シーズン中に候補選手となった[42][43]。しかし、右肩の不調などから、最終的に選出されなかった。その一方で、12月14日には、推定年俸5億円に出来高の条件を加えて契約を更改[44]。基本年俸分では、この時点でNPBの現役選手最高額に達した(同月17日に広島の黒田博樹が推定年俸6億円で更改)[45]

2016年は、3月25日に、西武との開幕戦(西武プリンスドーム)に先発。自身2年ぶりの開幕投手で、勝敗は付かなかったものの、7回裏の途中で交代するまでにプロ入り後自己最多の7与四球を記録した[46]。4月30日の対楽天戦でシーズン初勝利を自身2年ぶり・通算20回目の完封で挙げる[47]と、5月20日の対ロッテ戦(いずれも京セラドーム)で一軍公式戦通算100勝を達成。NPB通算133人目の100勝に、球団史上最少タイ記録の敗戦数(通算56敗)で到達した[48]。その一方で、前年と同様の右肩痛に見舞われたため、6月10日に出場選手登録を抹消[49]。後に一軍へ復帰すると、2年ぶりにパ・リーグの最終規定投球回へ到達した。一軍公式戦全体では、前年を上回る24試合に登板。通算防御率は3.83で、与四球数が自己ワーストの59個に達したほか、自身初の負け越し(7勝9敗)を喫した。その一方で、12月12日には、前年と同じ条件で契約を更改。黒田がこの年限りで現役を引退したことから、基本年俸分(推定5億円)でNPBの現役選手最高額に達した[50]

2017年は、3月31日の対楽天戦(京セラドーム)で2年連続6度目の開幕投手を務めたが、前年に続いて勝敗は付かなかった。4月14日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオクドーム)では、5回裏まで1人も走者を出さなかった末に、被安打2の無四球完封勝利を自己最少の92球で達成(マダックス)。一軍公式戦での完封勝利は通算21回目で、NPB現役投手での最多達成者である杉内俊哉の記録に並んだ[51][52]。同年の全投手でソフトバンク相手に挙げた唯一の完封勝利でもあった。さらに、4月26日の対西武戦でも、3失点を喫しながら完投勝利を記録。4月には先発で登板した4試合で全勝した[53]ことから、チームメイトのT-岡田と揃ってパ・リーグ3・4月度の月間MVPを受賞した[54]。5月23日の対楽天戦では一軍公式戦自己ワーストタイ記録の8失点[55]、6月6日の対阪神戦(いずれも京セラドーム)では自己ワーストの9失点で黒星を喫した[56]が、8月30日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)での2失点完投勝利によって自身3年ぶりの一軍公式戦シーズン2桁勝利を達成した[57]。一軍公式戦全体では、27試合の登板(リーグ最多の27先発登板)で、12勝8敗・防御率3.47を記録。シーズン終了後には、推定年俸6億円(前年より1億円増でNPBの当時、現役選手最高額)という条件で契約を更改した[58]

2018年は、レギュラーシーズンの開幕投手を西勇輝が務め[59]、金子は4月3日の対ロッテ戦で公式戦初登板。しかし、この試合から5月3日の対西武戦(いずれも京セラドーム)まで自己ワーストの開幕4連敗を喫する[60]ほど不調で、公式戦での初勝利は5月23日の対楽天戦(楽天生命パーク)にまで持ち越された[61]。一軍公式戦全体でも、17試合の登板で、4勝7敗、防御率3.87と不振。首から背中にかけて強い張りを抱えていたこともあって、8月14日に出場選手登録を抹消されてからは、実戦へ登板せずにシーズンを終えた[62]。シーズン終了後の契約交渉では球団からNPB野球協約の減額制限(年俸1億円超の選手に対しては40%を上限に設定)を大幅に超える減俸を提示される[63]。この提示に対して金子は11月28日に球団へ自由契約を申し入れ、球団は金子に対し了承を伝えつつ再契約による残留も容認することを伝えた[63][64]。12月2日付でNPBから自由契約選手として公示[65]され、3日に北海道日本ハムファイターズが金子との入団契約交渉を行った[66]

日本ハム時代

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2018年12月4日に、北海道日本ハムファイターズとの間で1年契約の締結に合意した[67]。背番号はオリックス時代と同じ19。年俸は6億円から4億5000万円減の1億5000万円(推定)となり、移籍を伴うため参考記録ながら、減俸額は杉内俊哉(当時、巨人)と並ぶタイ記録であった。「新しいチームでから始める姿をファンに見せていきたい」という意向[68]で、登録名は「金子 弌大」(読みは本名と同じ)に変更した[2]

2019年は、前年にMLBで広まったオープナー戦術を採用する方針を当時の監督である栗山英樹が打ち出したことを背景に、オープナー(ショート・スターター)として先発した投手を試合の前半から救援する「第二先発」(ロングリリーフ)要員として調整[69]。レギュラーシーズンの開幕後も、左投手の加藤貴之堀瑞輝がオープナーに起用された試合で「第二先発」を務めた。その一方で、オリックス時代に続いて、本来の先発(スターター)にも随時起用[70][71]。4月18日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では、5回無失点1被安打の好投で移籍後初勝利を挙げたことによって、林昌範以来およそ5年ぶりにNPB一軍公式戦史上18人目の全球団勝利を達成した[72]。一軍公式戦全体では、先発で19試合、救援で7試合に登板。通算成績は8勝7敗だが、全ての白星を先発だけで挙げた一方で、中継ぎを含めた救援登板では2ホールドを記録した。特に古巣のオリックスにめっぽう強く、初対決の試合の3回に2失点して以降30イニング無失点で防御率0.49、5勝無敗を記録した[73]。チームの全日程終了後の10月19日に、オリックス時代の前年に取得した海外FA権を行使せず、1年契約で日本ハムへ残留することを表明[74]

2020年は、本人の希望でもある中継ぎとして主に登板し、34試合で1勝3敗、防御率5.11だった[75]。12月17日、契約更改交渉に臨み、年俸1億8000万円から約80%減となる年俸3500万円プラス出来高払いでサインした[75][76]

2021年は先発6試合を含む8試合に登板したが、0勝4敗、防御率6.21だった[77]。オフに1500万円減となる推定年俸2000万円で契約を更改し、2022年シーズンから登録名を本名の「金子 千尋」に戻すことを表明した[78]

2022年は、一軍では3試合の登板で1勝2敗、防御率4.85の成績に終わったが、二軍ではイースタン・リーグでチームトップ7勝、防御率2.49を記録した[79]。しかし、翌年の構想から外れ、シーズンオフにGMの稲葉篤紀から現役引退とコーチ就任を要請されたが、現役続行を希望して辞退したことで[80]、10月17日に自由契約となることが発表された[79]。NPB球団での現役続行を希望していたが、オファーは届かず、12月23日に現役引退を表明した。

引退後

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2022年12月23日に日本ハムの特命コーチに就任し[81]、翌年の春季キャンプの時期からアメリカへコーチ留学を行うことも発表した。背番号は912024年からはファーム投手コーチを務める[82]

選手としての特徴

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スリークォーターから平均球速約144km/h[83]、最速154km/hのストレート、先発転向後精度が向上した縦のカーブスライダーカットボールツーシーム[84][85]チェンジアップスプリットフィンガード・ファストボール[85]パワーシンカー[86]、まれにワンシーム[87]を投げ分ける。

四球が少なく、与四球率は2018年までの通算で2.09と優秀な数値を記録。オリックス時代には、2008年から3年連続で1個台にとどめていた(2008年1.85、2009年1.78、2010年1.94)。

先頭打者への投球前には「両手を帽子のこめかみに当てるポーズ」を取るが、これは精神統一の際に「自分に言い聞かせていることをカメラに撮られたくない」為に顔と口元を隠す意味で始めたという[88]

汗をかくことを嫌うため、グラブを持つ左の掌が布地に隠れるほど左袖が長い特注品のアンダーシャツを愛用している[89]。このシャツを着て登板する試合では、距離や角度によって投球の合間にボールをもむ動作が左袖の布地に触れる格好でボールをこねているように見えることがあるという。オリックス時代の2014年には、その動作をめぐって、オープン戦(3月21日・阪神戦)と公式戦(5月2日・札幌ドームの対日本ハム戦)の登板中に審判団から注意を受けた[90]。オリックス球団では、「ボールがアンダーシャツに直接触れないようにすれば(ボールをグラブ・身体・着衣で摩擦することを投手の禁止事項に定めている)公認野球規則に抵触しないことを、日本野球機構の審判部に確認済み」として、金子が注意を受けた後も上記のシャツの着用を容認[91]。金子自身も、ボールをもむ際に左手の指を立てるように工夫しながら、着用を続けている[89]

人物

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愛称は「ネコ」「ちーちゃん」など。

三条市立南小学校時代から父親とキャッチボールをすることが大好きで、2000年の正月に父親の実家に帰省した際には、祖父母に対し「甲子園に行くことになったら、おじいちゃん、おばあちゃん絶対に見に来い」と言っていた[1]

オリックス時代の2006年には、トレーニングを兼ねて宮古島キャンプを訪れていたイチローと紅白戦で対戦。前田大輔のリードで初球にカーブを投げたところ、チームメイト(当時)の清原和博に「真っ直ぐ(ストレート)で勝負せなアカンやろ」と怒られた[92]。これについては後に自分の一番良い球で抑えてアピールしないといけないという持論を語っている。もっとも、自身の著書で明かしたところによると、その後変化球で打ち取られたイチローには、すれ違った際に「最後の球はスライダー?ナイスボール」と声をかけられ「プロに入ってから、ずっと自信を持てなかった僕に前を向く勇気を与えてくれました」と振り返っている。

オリックス時代の2009年には、母校の長野市立朝陽小学校の校庭に芝生を植える目的で、公式戦で1勝するたびに10万円を同校へ寄付。この年には11勝を挙げたため、寄付の総額は110万円にまで達した[93][94]

2010年の開幕直後(4月29日)、ソフトバンクから同姓の金子圭輔が移籍してきた際、スコアボードの表示名が一時「金子千」に変更された。しかし、千尋自身の「バランスが悪い」という指摘により、5月8日の対ロッテ戦から表示名がフルネームの「金子千尋」に改められた[95]。2012年1月17日に圭輔がソフトバンクに復帰し、他に金子姓の選手はいなくなったものの、2018年まで「金子千尋」の表示を継続し[96]、公式記録で他の選手が名字のみになっている箇所でも、常にフルネームで表示されていた[97]。日本ハムへ移籍した2019年からは、同姓の選手がいないことや、自身の登録名を「金子弌大」に変更したことから、再び苗字のみ表示となった。登録名を本名に戻した2022年からは、再び表示名がフルネームの「金子千尋」に改められた[98]

先発で9回表終了まで無安打に抑えながら、その裏の代打で交代を余儀なくされた2014年5月31日の対巨人戦(前述)では、延長戦に入ってからも救援陣が継投で記録を継続。11回表に佐藤達也片岡治大にチーム初安打、12回表に馬原孝浩亀井善行に決勝本塁打を許すなど延長12回まで、もつれ込んだ末にチームは0対1で敗れた[99]。金子は、この結果について、試合終了後に淡々とした姿勢で「(巨人打線が)ノーヒットだったのは知っていたが、9回まで0-0でいっていたので、ノーヒットを意識することなく最後まで投げられた。9回の裏にサヨナラ(で勝っていた)なら、ノーヒットノーランとして記録に残るので嬉しいけど、自分の使命はチームに勝ちを付けること。それができなかったので、ノーヒット(ノーランを達成できなかったこと)へのコメントはできない」と振り返っていた[100]。なお、先発投手からの継投で無安打投球を続けた末に、延長で初安打を許したチームは日本プロ野球公式戦2例目(NPBの公式戦では初めての事例[注釈 4])であった[101]

オリックス時代の2011年10月に、オリジナル写真集サイトの「PHOちょ+」から自身の監修による初の公式写真集が販売された(現在は終了)。

「ファンと交流の場を設けたい」という自身の希望から、オリックス時代の2011年と2015年には、シーズン終了後に有料定員制の「ファンミーティング」を大阪市内のホテルで開いている[102]

恐妻家として語られることもある。金子が年俸5億をもらっていたシーズンで「月の小遣いは20万。ほしいものがあれば相談する」という[103]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2006 オリックス 21 1 0 0 0 1 1 0 1 .500 120 28.0 20 4 18 1 2 22 3 1 13 11 3.54 1.36
2007 36 7 2 2 0 6 2 1 2 .750 343 84.0 75 4 20 2 1 68 1 0 31 26 2.79 1.13
2008 29 25 0 0 0 10 9 0 0 .526 717 165.0 185 19 34 0 8 126 3 0 78 73 3.98 1.33
2009 32 21 5 2 1 11 8 4 0 .579 683 171.2 149 15 34 0 4 165 2 0 54 49 2.57 1.07
2010 30 29 7 6 2 17 8 0 1 .680 831 204.1 184 17 44 1 3 190 5 2 85 75 3.30 1.12
2011 20 20 5 2 3 10 4 0 0 .714 613 155.1 126 9 38 2 2 123 3 0 45 42 2.43 1.06
2012 9 9 2 1 1 4 3 0 0 .571 265 63.2 65 2 15 0 1 56 3 0 19 17 2.40 1.26
2013 29 29 10 3 1 15 8 0 0 .652 881 223.1 166 10 58 0 3 200 6 1 55 50 2.01 1.00
2014 26 26 4 3 1 16 5 0 0 .762 763 191.0 157 7 42 0 3 199 6 0 48 42 1.98 1.04
2015 16 15 0 0 0 7 6 0 1 .538 379 93.0 85 8 18 0 0 79 1 0 34 33 3.19 1.11
2016 24 23 2 1 1 7 9 0 0 .438 676 162.0 143 13 59 0 2 125 7 0 71 69 3.83 1.25
2017 27 27 6 1 2 12 8 0 0 .600 754 184.1 160 21 56 0 2 141 1 0 80 71 3.47 1.17
2018 17 17 0 0 0 4 7 0 0 .364 430 100.0 97 11 35 0 3 72 3 0 47 43 3.87 1.32
2019 日本ハム 26 19 0 0 0 8 7 0 2 .533 460 109.2 106 10 40 0 0 75 2 0 42 37 3.04 1.33
2020 34 4 0 0 0 1 3 0 1 .250 199 44.0 49 5 17 1 2 47 1 0 29 25 5.11 1.50
2021 8 6 0 0 0 0 4 0 0 .000 149 33.1 42 4 13 1 3 22 3 0 23 23 6.21 1.65
2022 3 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 54 13.0 15 0 1 0 0 11 0 0 7 7 4.85 1.23
通算:17年 387 281 43 21 12 130 94 5 8 .580 8317 2025.2 1824 159 542 8 39 1721 50 4 761 693 3.08 1.17
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別投手(先発)成績所属リーグ内順位

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2006 23 パ・リーグ - - - - - - -
2007 24 8位 3位 - - - - -
2008 25 - - - - - - -
2009 26 4位 3位 4位 10位 5位 5位 5位
2010 27 3位 1位 1位 2位 1位 4位 6位
2011 28 5位 3位 7位 5位 - 7位 7位
2012 29 - - - - - - -
2013 30 1位 1位 2位 3位 1位 1位 2位
2014 31 3位 3位 1位 2位 2位 2位 1位
2015 32 - - - - - - -
2016 33 - - - - - - -
2017 34 2位 3位 4位 6位 3位 6位 9位
2018 35 - - - - - - -
2019 36 - - - - - - -
2020 37 - - - - - - -
2021 38 - - - - - - -
2022 39 - - - - - - -
  • - は10位未満(防御率における規定投球回未達も - と表記)
  • 太字は規定投球回到達年度、年度背景色金色は最優秀選手賞(MVP)受賞年度、年齢背景色金色は沢村栄治賞受賞年度

年度別守備成績

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投手












2006 オリックス 21 4 6 1 0 .909
2007 36 2 9 0 0 1.000
2008 29 9 27 0 1 1.000
2009 32 7 25 1 3 .970
2010 30 12 48 1 0 .984
2011 20 9 36 3 1 .938
2012 9 2 15 1 0 .944
2013 29 23 47 2 2 .972
2014 26 4 32 0 2 1.000
2015 16 8 26 0 1 1.000
2016 24 9 27 0 0 1.000
2017 27 10 27 1 2 .974
2018 17 3 17 0 0 1.000
2019 日本ハム 26 8 15 0 0 1.000
2020 34 3 10 0 0 1.000
2021 8 1 8 0 1 1.000
2022 3 0 1 0 0 1.000
通算 387 114 376 10 13 .980

タイトル

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表彰

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記録

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初記録
投手記録
打撃記録
節目の記録
  • 1000投球回:2013年7月24日、対北海道日本ハムファイターズ12回戦(京セラドーム大阪)、3回表一死目にマイカ・ホフパワーから見逃し三振で達成 ※史上335人目
  • 1000奪三振:2014年4月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(京セラドーム大阪)、5回表に枡田慎太郎から見逃し三振で達成 ※史上136人目
  • 100勝:2016年5月20日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(京セラドーム大阪)、7回2失点 ※史上133人目
  • 1500投球回:2016年8月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(京セラドーム大阪)、7回表三死目にジャフェット・アマダーから空振り三振で達成 ※史上173人目
  • 1500奪三振:2018年4月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(京セラドーム大阪)、1回表にカルロス・ペゲーロから空振り三振で達成 ※史上53人目
  • 2000投球回:2021年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦(楽天生命パーク宮城)、1回裏三死目に茂木栄五郎から中飛で達成 ※史上91人目
その他の記録

背番号

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  • 19(2005年 - 2022年)
  • 91(2023年 - )

登録名

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  • 金子 千尋(かねこ ちひろ、2005年 - 2018年、2022年 - )
  • 金子 弌大(かねこ ちひろ、2019年 - 2021年)

登場曲

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関連情報

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著書

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  • 『どんな球を投げたら打たれないか』PHP研究所、2014年11月。ISBN 978-4569821351 
  • 『金子千尋の変化球バイブル ハンディ版』ベースボール・マガジン社、2015年8月。ISBN 978-4583108995 

脚注

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注釈

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  1. ^ 千尋の父親は三条市桜木町出身で、母親は三条市に隣接する燕市の出身である[1]
  2. ^ 当時、秋の北信越大会では上位2校が翌年のセンバツ出場校として選ばれることが慣例となっていた[1]
  3. ^ 2006年の八木智哉につぐ。
  4. ^ 2リーグ分立前年の1949年に一宮球場で催された中日ドラゴンズ東急フライヤーズ戦で、中日の先発・杉下茂が試合開始から無安打投球を続けていたものの、8回表に浜田義雄が放った打球で利き手(右手)の指を痛めたためこの回限りで降板。降板した時点で許した走者は、自身の与四球による2人と、味方野手の失策による1人だけであった。9回表から急遽服部受弘がマウンドに立ったが、0-0のスコアで迎えた10回表に、先頭打者の大下弘によるソロ本塁打でこの試合チーム初の被安打と失点を記録。結局、中日は投手陣が9回終了まで東急打線をノーヒットノーランに抑えながら、延長10回まで戦った末に敗れている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 三條新聞』2000年2月3日付「春のセンバツ出場の長野商業投手 金子千尋君(16歳)は三条っ子 正月三条に帰り『絶対見に来い』 南小時代から野球大好き 三条の祖父母 成長ぶりに大喜び」(三条新聞社)
  2. ^ a b 新加入の金子弌大投手が入団会見」『北海道日本ハムファイターズ』2018年12月10日。2018年12月10日閲覧
  3. ^ a b c 金子千尋 2014, p. 8.
  4. ^ 金子千尋 2014, pp. 8–9.
  5. ^ a b 金子千尋 2014, p. 9.
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関連項目

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外部リンク

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