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「IRTレキシントン・アベニュー線」の版間の差分

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{{Infobox 鉄道路線
{{Infobox rail line
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|路線名 = IRTレキシントン・アベニュー線
|name = IRTレキシントン・アベニュー線<br />IRT Lexington Avenue Line
|路線色 = #00933c
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|caption = 1979年以来、IRTレキシントン・アベニュー線を運行する系統は緑で表示されている。IRTの番号付けで'''{{NYCS|4}}'''、'''{{NYCS|5}}'''、'''{{NYCS|6}}'''系統が割り当てられている。
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|路線網 = [[ニューヨーク市地下鉄]]Aディビジョン
| daily_ridership = 1,289,338 <ref name="ridership">{{NYCS const|riderref|weekday}}</ref>
|駅数 = 23[[駅]]
|開業 = 1904年10月27日
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|路線図=Linea IRT Lexington Avenue.png
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|路線図名=赤線部分がIRTレキシントン・アベニュー線。
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{{IRTレキシントン・アベニュー線}}
{{IRTレキシントン・アベニュー線}}
'''IRTレキシントン・アベニュー線'''(IRT Lexigton Avenue Line)は[[ロウアー・マンハッタン]]から[[イースト・レム]]の[[125丁目]]を結ぶ、[[ニューヨーク市地下鉄]][[ニューヨーク市地下鉄Aディビジョン|Aディビジョン]]の[[地下鉄]]路線の一つある。ロウアー・マンハッタンから[[ドタウン]]にかけての区間はニュークで最初に開業した地下鉄路線の一部で、ニュヨーク市地下鉄で最も古い歴史を持つ路線一つでもある。2015年11月現在、レキシントン・アベニュー線には[[ニューヨーク市地下鉄4号線|4系統]]、[[ニューヨーク市地下鉄5号線|5系統]]、[[ニューヨーク市地下鉄6号線|6系統]]の3系統が運行されている。
'''IRTレキシントン・アベニュー線''' (IRT Lexington Avenue Line) '''イースト・サイド線'''あるいは'''レキシントン・アベニュ-4番街線'''とも呼ばれる路線は[[ニューヨーク市地下鉄]][[ニューヨーク市地下鉄Aディビジョン|Aディビジョン]]に属する地下鉄路線で、[[ロウアー・マンハッタン]]から北へ[[スパニ・ハレム|イスト・ハレム]][[125丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|125丁目駅]]まで通じている。


ロウアー・マンハッタンと[[ミッドタウン]]を走る区間は、ニューヨーク最初の地下鉄路線の一部であった。'''{{NYCS|4}}'''、'''{{NYCS|5}}'''、'''{{NYCS|6}}'''系統の列車が運行している。
[[アッパー・イースト・サイド]]地区や[[スパニッシュ・ハーレム]]地区へ直行できる唯一の路線であることから<ref>かつては[[2番街]]と[[3番街]]に高架鉄道([[IRT2番街線]]、[[IRT3番街線]])が存在したが、2番街線は[[1942年]]、3番街線は[[1955年]]に廃止された。西隣の[[パーク街]]には[[メトロノース鉄道]]が通っているが、駅は42丁目の[[グランド・セントラル駅]]と[[ハーレム125丁目駅]]のみで、また両駅間のみの利用が認められていない列車も多い。</ref>、'''IRTイースト・サイド線'''(IRT East Side Line)としても知られている。またそのために全米で最も利用者が多い地下鉄路線となっており、1日あたりの平均利用者数は約130万人におよび<ref>http://www.mta.info/press-release/mta-headquarters/mta-statement-lexington-ave-line-crowding MTAプレスリース"MTA Statement on Lexington Ave. Line Crowding"2008年11月19日付</ref>、[[2007年]]の[[IND2番街線|2番街線]]の建設再開に拍車をかけることになった。


レキシントン・アベニュー線は、何十年にもわたってマンハッタンで直接[[アッパー・イースト・サイド]]やミッドタウンの東側へ行ける唯一の路線であった。路線は[[複々線]]で、アメリカ合衆国でもっとも利用者の多い都市鉄道路線である。1日平均130万人の利用者がおり、これは[[サンフランシスコ]]の[[バート (鉄道)|バート]](平日452,600人)、[[シカゴ]]の[[シカゴ・L]](平日772,900人)、[[ボストン]]の[[マサチューセッツ湾交通局]](569,200人)などの各都市鉄道の1都市合計の利用者数より多い。2007年には、[[ワシントンメトロ]]全体の利用者も上回り<ref name="July 5, 2007 Ridership Release">{{cite press release|title=More than 200 Million Ride Metrorail for the Second Consecutive Year|publisher=[[ワシントンメトロ]]|date=2007-07-05|url=http://www.wmata.com/about/met_news/PressReleaseDetail.cfm?ReleaseID=1706|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071014173821/http://wmata.com/about/met_news/PressReleaseDetail.cfm?ReleaseID=1706|archivedate= 2007-10-14}}</ref>、このことも一因となって、レキシントン・アベニュー線の混雑緩和のために並行する[[IND2番街線]]の建設にこの年着手することになった<ref>{{cite web|publisher=Federal Transit Administration, US Department of Transportation, MTA New York City Transit |title=Second Avenue Subway in the Borough of Manhattan, New York County, New York, Final Environmental Impact Statement and Final Section 4(f) and Section 6(f) Evaluation|date=2004-04-06|url=http://web.mta.info/capital/sas_docs/feis/chapter01.pdf |format=PDF |doi= |accessdate=2012-06-13|dead-url=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120425120004/http://www.mta.info/capconstr/sas/documents/feis/chapter01.pdf |archivedate=2012-04-25 }}</ref>。
== 運行形態 ==
2015年11月現在、レキシントン・アベニュー線には[[ニューヨーク市地下鉄4号線|4]]、[[ニューヨーク市地下鉄5号線|5]]、[[ニューヨーク市地下鉄6号線|6]]の3系統が運転されている。ラインカラーにはいずれもアップル・グリーンが採用されている。


この路線では4駅が廃止となっている。10両編成対応のためにプラットホームの延長工事をした際に、これらの駅を廃止して、隣接駅に新しい出入口を設ける方が有益であると判断された。[[18丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|18丁目駅]]は、[[14丁目-ユニオン・スクエア駅]]と[[23丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|23丁目駅]]と近いために廃止された<ref name=18th/>。これに加えて、[[シティ・ホール駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|シティ・ホール駅]]と[[ワース・ストリート駅]]はどちらも、[[ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール/チェンバーズ・ストリート駅|ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅]]のブルックリン・ブリッジ出口およびドュエイン・ストリート出口にとても近かったために廃止となった<ref name=cityhall/><ref name=worth/>。そして[[サウス・フェリー/ホワイトホール・ストリート駅#旧駅:サウス・フェリー・ループス駅(1905年-2009年、2013年-2017年)|サウス・フェリー駅]]は[[ボウリング・グリーン駅]]まで歩いていける距離にあり、また[[IRTブロードウェイ-7番街線]]のサウス・フェリー駅に隣接してもいたことから廃止となった<ref>{{Cite web|url=http://web.mta.info/maps/neighborhoods/mn/M01_lower_manh_2015.pdf|title=Neighborhood Map Lower Manhattan|last=|first=|date=2015|website=mta.info|publisher=Metropolitan Transportation Authority|access-date=2017-08-04}}</ref>。
4系統と5系統は急行系統で、日中は[[125丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|125丁目駅]] - [[ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅]]では急行運転を行い、同駅以南では各駅に停車する。4系統は24時間運転されるが、深夜には急行運転を中止して各駅に停車し、5系統は運行区間が短縮されるためレキシントン・アベニュー線内は運休となる。


== 運行系統と範囲 ==
6系統は24時間運転される各駅停車系統で、終日125丁目駅 - ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅間のみで運転されている。また6系統には系統表示が通常の丸印のものとは別に、菱印のものが存在する。これは[[IRTペラム線]]内で急行運転を実施することを示すもので(便宜上<6>と表示する)、平日の日中にのみ、午前中にブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅方面、午後に125丁目駅方面の電車だけが運転される。
レキシントン・アベニュー線で運行される系統は緑色で示されている<ref name=":6">{{Cite news|url=https://cityroom.blogs.nytimes.com/2010/05/10/take-the-tomato-to-the-sunflower/|title=Take the Tomato 2 Stops to the Sunflower|last=Grynbaum|first=Michael M.|date=2010-05-10|work=The New York Times|access-date=2017-05-14|language=en}}</ref>。以下の系統が、IRTレキシントン・アベニュー線の一部または全区間を走行する<ref>{{NYCS const|serviceguide}}</ref>。

線路は125丁目駅からブロンクス方面へは[[IRTジェローム・アベニュー線]]と[[IRTペラム線]]に接続しており、4系統と5系統はジェローム・アベニュー線、6系統と<6>系統はペラム線へ直通する。また[[ボウリング・グリーン駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ボウリング・グリーン駅]]からブルックリン方面へはジョレールモン・ストリート・トンネルを介して[[IRTイースタン・パークウェイ線]]に接続しており、4系統と5系統はこちらへも直通している。

なお当線のうち125丁目駅 - ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅は方向別・緩急別の[[複々線]]になっており、基本的に4系統と5系統は内側の急行線、6系統と<6>系統は外側の各駅停車線を走行する。


{|class="wikitable"
{|class="wikitable"
!rowspan=2|&nbsp;
!rowspan=2|&nbsp;
!colspan=3|運転時間
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!rowspan=2|運転区間
!rowspan=2|区間
|-
|-
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!ラッシュ時<br/>および日中
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!夜間
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!平日深夜
!週末(深夜以外)
!週末深夜
|-
|-
|{{NYCS-bull-small|4}}
|{{rint|newyork|4}}
|align=center colspan=2 rowspan=3|急行
|align=center colspan=2|急行
|align=center|各
|align=center|各停
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|全区間
|align=center|各停
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|-
|-
|rowspan=2|{{NYCS-bull-small|5}}
|{{rint|newyork|5}}
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|-
|-
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|[[ボウリング・グリーン駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ボウリング・グリーン駅]]以北(夜間、週末)
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|-
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|align=center|各停
|align=center colspan=4|運行なし
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|-
|{{NYCS-bull-small|6d}}
|align=center|各駅停車
|align=center colspan=2|運休
|}
|}

レキシントン・アベニュー線は、ロウアー・マンハッタンにある、廃止となった[[サウス・フェリー/ホワイトホール・ストリート駅#IRTブロードウェイ-7番街線|サウス・フェリー駅]]の内側のループ線から始まる。駅の北側で、[[ブルックリン区|ブルックリン]]方面から[[ジョレールモン・ストリート・トンネル]]を通って来た線路と合流し、急行線となる。この線路は[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]と[[パーク・ロウ (マンハッタン)|パーク・ロウ]]の下を通ってセンター・ストリートへ向かう。センター・ストリートの南側の終わり、[[ニューヨーク市庁舎]]の直下に、廃止となった[[シティ・ホール駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|シティ・ホール駅]]とその終端ループ線があり、ここが当初のIRTの地下鉄路線の南側の終点であった<ref name="cityhall">{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive/pdf?res=9A05E2D7163FE533A25754C2A9649D946493D6CF|title=Old City Hall Station Of IRT to Close Monday|last=|first=|date=1945-12-27|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=24}}</ref>。この終端ループ線は、今も6系統の列車の折り返しに用いられている。この終端ループ線につながっているレキシントン・アベニュー線の緩行線が下層から上がってきて、[[ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール/チェンバーズ・ストリート駅#IRTレキシントン・アベニュー線|ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅]]のすぐ南側で急行線と並ぶ<ref name="tracks">{{NYCS const|trackref|trackbook3}}</ref>。

ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅からは、北に[[42丁目 (マンハッタン)|42丁目]]まで、センター・ストリート、ラファイエット・ストリート、4番街そして[[パーク・アベニュー (マンハッタン)|パーク・アベニュー]]の下を複々線の線路で続く。42丁目で、[[メトロノース鉄道]]の[[グランド・セントラル駅]]にあるパーク・アベニュートンネルのために、レキシントン・アベニュー線は少し東側の[[レキシントン・アベニュー (マンハッタン)|レキシントン・アベニュー]]へとずれる。[[グランド・セントラル-42丁目駅#IRTレキシントン・アベニュー線|グランド・セントラル-42丁目駅]]は、パーク・アベニューからレキシントン・アベニューにかけて斜めに位置している。グランド・セントラル駅のすぐ南側では、単線非営業の連絡線が[[42丁目シャトル]]とレキシントン・アベニュー線の南行緩行線をつないでおり、これはIRTが最初に建設した地下鉄路線の一部である<ref name="tracks" />。

レキシントン街の下を、緩行線が上層、急行線が下層の2層構造で北へ続き、[[96丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|96丁目駅]]北側から[[116丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|116丁目駅]]南側の間では再び複々線が平面に並ぶ。[[125丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|125丁目駅]]では再び2層構造となるが、ここでは上層が北行、下層が南行となる。これはレキシントン・アベニューの幅が狭く、複々線を平面に並べることができないためである<ref name="tracks" /><ref name=":2">{{Cite news|url=https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9802EFDC143EE433A2575BC1A9619C946996D6CF&legacy=true|title=Mayor Runs First Lexington Av Train — Goes Back to His Old Job on the Initial Trip from 42d Street to the Bronx — Interboro Ready to Pool — City May Gain Nothing by Advancing Date of Contract Because of High Operating Costs|last=|first=|date=1918-07-18|newspaper=The New York Times|issn=0362-4331|access-date=2017-01-08|page=20}}</ref>。

ここより北で路線は複々線のレキシントン・アベニュー・トンネルで[[ハーレム川]]をくぐって[[ブロンクス区]]に入り、西側の2本の線路が'''{{NYCS|4}}'''系統・'''{{NYCS|5}}'''系統の[[IRTジェローム・アベニュー線]]となり、東側の2本の線路が'''{{NYCS|6}}'''系統の[[IRTペラム線]]となる<ref>{{Cite web|url=http://www.nycsubway.org/wiki/The_Construction_of_the_Harlem_River_Tubes_(1915)|title=The Construction of the Harlem River Tubes (1915) a Thesis Submitted for the Degree of Civil Engineer|last=Babcock Gates|first=Howard|date=1915|website=www.nycsubway.org|language=en|access-date=2017-08-04}}</ref>。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[ファイル:IRT Lexington Avenue Line a8e3c4b09d o.jpg|thumb|left|レキシントン・アベニュー線の工事で最初に掘り出された土砂、1913年]]
{{Main|[[:en:Early history of the IRT subway]]}}


=== 当初の地下鉄 ===
[[ニューヨーク市地下鉄]]で最初の地下鉄路線は、'''[[インターボロー・ラピッド・トランジット]]'''(IRT)によって[[1900年]]に建設が開始された。レキシントン・アベニュー線[[シティ・ホール駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|シティ・ホール駅]] - [[グランド・セントラル-42丁目駅]]<ref>ただし当時の駅は現在の[[42丁目シャトル]]のホームであり、現在のレキシントン・アベニュー線のホームは1918年に設置された。</ref>間は、その路線の一部として[[1904年]][[10月27日]]に開業した。ブルックリン・ブリッジ駅(現在の[[ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅]] - [[フルトン・ストリート駅]]間は[[1905年]][[1月16日]]、[[フルトン・ストリート駅]] - [[ウォール・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ウォール・ストリート駅]]間は同年[[6月12日]]に開業した。同年[[7月9日]]には[[ウォール・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ウォール・ストリート駅]] - [[サウス・フェリー-ホワイトホール・ストリート駅 (ニューヨーク市地下鉄)|サウス・フェリー駅]]間が開業し、さらに[[1908年]][[1月9日]]には最初の電車がジョレールモン・ストリート・トンネルを通って[[ブルックリン区|ブルックリン]]へ乗り入れた。
{{仮リンク|インターボロー・ラピッド・トランジットの初期史|en|Early history of the IRT subway|label=最初のIRTの路線}}は、1900年に着工された<ref>{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9F0CE3DE1E3CE433A25756C2A9659C946197D6CF|title=Rapid Transit Tunnel Begun — Ground Officially Broken by the Mayor with a Silver Spade — Felicitations and Speeches — Ceremonies Witnessed by Immense Unruly Crowd Eager for Souvenirs.|last=|first=|date=March 25, 1900|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=2}}</ref>。1902年に建設中に爆発事故が発生し、路線の上にある建物に大きな被害が出た<ref>{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=F30E1EFF3E5412738DDDA10A94D9405B828CF1D3|title=Death in Tunnel — Dynamite Explosion — 6 Killed, 125 Hurt in Park Avenue Disaster — Great Hotels In Ruins — Busy Hospital Wrecked and Fine Mansions Damaged Seriously — Money Loss Nearly $300,000 — Terrible Concussion, the Result of Fire in Powder House at 41st Street, Where Hundreds of Pounds of High Explosives Rested|last=|first=|date=1902-01-28|newspaper=The New York Times|accessdate=2013-12-19|page=1|quote=Dynamite cartridges in a frail shanty on a platform over the west shaft of Section 4 of the subway tunnel in Park Avenue just south of Forty-first Street exploded through a fire which started among paper in the shanty just after noon yesterday with fatal, maiming, and injuring results and wide destruction of property...}}</ref>。レキシントン・アベニュー線のうち、シティ・ホール駅から42丁目のすぐ南側までの区間は、このIRT最初の路線の一部で、1904年10月27日に開通した<ref name="145th">{{cite news|url=https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9E06EFD71230EE32A2575BC2A9669D946597D6CF&legacy=true|title=Our Subway Open, 150,000 Try It — Mayor McClellan Runs the First Official Train — Big Crowds Ride At Night — Average of 25,000 an Hour from 7 P.M. Till Past Midnight — Exercises in the City Hall — William Barclay Parsons, John B. McDonald, August Belmont, Alexander E. Orr, and John Starin Speak — Dinner at Night|last=|first=|date=1904-10-28|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-11-06|page=1}}</ref>。1905年1月16日の深夜0時1分には、[[フルトン・ストリート駅 (ニューヨーク市地下鉄)#IRTレキシントン・アベニュー線|フルトン・ストリート駅]]までの0.3マイル(約0.48キロメートル)の延長が完成した<ref>{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9E01E1D7173AE733A25757C1A9679C946497D6CF|title=Fulton St. Trains Monday — New Style of Subway Platform Will Be Tried There|last=|first=|date=1905-01-14|work=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=5}}</ref>。この時点では、北行のプラットホームのみが供用された<ref name=":0">{{Cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9C06E5DE1E3DE633A25754C1A9679C946497D6CF|title=Subway at Fulton Street Busy|last=|first=|date=January 27, 1905|newspaper=The New York Times|accessdate=September 4, 2016|page=9}}</ref><ref>{{Cite journal|last=|first=|date=January 2005|title=Another Centennial–Original Subway Extended To Fulton Street|url=https://issuu.com/erausa/docs/2005-01-bulletin|journal=New York Division Bulletin|publisher=New York Division, Electric Railroaders' Association|volume=48|issue=1|doi=|pmid=|accessdate=August 31, 2016|via=Issu}}</ref>。さらに次の[[ウォール・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ウォール・ストリート駅]]と、フルトン・ストリート駅の南行プラットホームは、ともに1905年6月12日に開業した<ref>{{cite web|last1=Merritt|first1=A.L.|url=http://nycsubway.org/irt/tenyears.html%7ctitle=www.nycsubway.org%7cwork=www.nycsubway.org%7ctitle=www.nycsubway.org%7cwork=www.nycsubway.org|title=Ten Years of the Subway (1914)|work=Interborough Bulletin—1914 via www.nycsubway.org | accessdate = 2018-04-03}}</ref><ref name=pump/><ref>{{Cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9800EFDE103AE733A25754C0A9609C946497D6CF|title=Subway to Wall St. Open in Ten Days — And All the Way to the Bronx by July 1 — Whole Road Ready in August — As to the Air Therein, William Barclay Parsons Says It Is Pure and Can't Be Bettered|last=|first=|date=1905-06-07|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-09-18|page=16}}</ref>。


サウス・フェリー駅までの延長工事が完成して最初の営業列車がサウス・フェリー駅を発車したのは1905年7月9日23時59分のことで、[[IRTホワイト・プレーンズ・ロード線]]のウェスト・ファームズへの延長はこのすぐ後であった<ref name=":1">{{Cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9F01E1DC103AE733A25753C1A9619C946497D6CF|title=Subway Trains Running From Bronx to Battery — West Farms and South Ferry Stations Open at Midnight — Start Without a Hitch — Bowling Green Station Also Opened — Lenox Avenue Locals Take City Hall Loop Hereafter|last=|first=|date=1905-07-10|website=|page=1|accessdate=2016-09-04|newspaper=The New York Times}}</ref>。ジョレールモン・ストリート・トンネルを抜けて最初の列車がブルックリンに入ったのは1908年1月9日の深夜12時45分頃であった<ref>{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=940DE4DB173EE233A2575AC0A9679C946997D6CF|title=Subway to Brooklyn Opened for Traffic — First Regular Passenger Train Went Under the East River Early This Morning — Not a Hitch in the Service — Gov. Hughes and Brooklyn Officials to Join in a Formal Celebration of Event To-day|last=|first=|date=1908-01-09|work=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=1}}</ref>。
[[グランド・セントラル-42丁目駅|42丁目]]以北の区間は、当初の計画では42丁目以南でも[[レキシントン街]]と[[レキシントン街#アーヴィング・プレイス|アーヴィング・プレイス]]を通り、9丁目からは今日の[[BMTブロードウェイ線]]のルートを通ることになっていた。この路線の建設契約は、[[1911年]]に[[ニューヨーク|ニューヨーク市]]と'''ブルックリン・ラピッド・トランジット'''(BRT)との間で締結された。しかしIRTの提案により[[1917年]]に市とIRT、BRTの間で「デュアル・コントラクト」と呼ばれる新しい契約が結ばれたため建設が中止され、さらに42丁目以北もIRTが建設、運営することになった。[[グランド・セントラル-42丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|グランド・セントラル-42丁目駅]] - [[125丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|125丁目駅]]間は[[1918年]][[7月17日]]に開業した。しかし42丁目以南と以北の直通運転が開始されたのは同年[[8月1日]]からで、それまではグランド・セントラル-42丁目駅と[[167丁目駅 (IRTジェローム・アベニュー線)|]]との間で折り返し運転が行われていた。


=== デュアル・コントラクト ===
[[1991年]][[8月21日]]には、[[14丁目-ユニオン・スクエア駅]]の北側で[[1991年ユニオン・スクエア駅脱線事故|4系統が脱線し死者5人負傷者215人を出す事故]]が発生した。それ以降。ニューヨーク市地下鉄では[[CBTC]]導入を含む信号システムの改良が進められることとなった。
42丁目以北への延長に関する当初計画では、この路線を南へ伸ばしてアーヴィング・プレイスを通り9丁目と[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]の交差点付近から現在の[[BMTブロードウェイ線]]へと通じることになっていた。26丁目から40丁目までの第6区間を含む建設契約が1911年7月21日に結ばれたが、この時点でIRTは交渉から撤退しており、[[ブルックリン・ラピッド・トランジット]]がレキシントン・アベニューに沿う路線を運営することになっていた。IRTは1912年2月27日に、後に{{仮リンク|デュアル・コントラクト|en|Dual Contracts}}の一部となる提案を行い<ref>{{cite book|last1=Walker|first1=James Blaine|title=Fifty Years of Rapid Transit — 1864 to 1917|date=1918|publisher=Law Printing|location=New York, N.Y.|pages=230–233|url=https://books.google.com/books?vid=OCLC03638541&id=lpEgAAAAMAA|accessdate=2016-11-06}}</ref>、まもなく第6区間の工事は中断された<ref>{{cite news|url=https://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00811FB3E5813738DDDAB0A94DD405B828DF1D3|title=Petition for Subway in Lexington Ave.|last=|first=|date=May 22, 1912|work=The New York Times|accessdate=February 16, 2009|quote=A petition is being circulated among the residents and property owners of the section just south of the Grand Central Station, in Park and Lexington Avenues, protesting against the proposed abandonment of the construction of the Subway in Lexington Avenue, between Forty-third and Thirty-second Streets.|authorlink=}}</ref>。

路線の残りの区間となる、北へ125丁目までの区間は、1918年7月17日に開通した<ref name="lexopens">{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9A00E6DC143EE433A25754C1A9619C946996D6CF|title=Lexington Av. Line to be Opened Today — Subway Service to East Side of Harlem and the Bronx Expected to Relieve Congestion — Begins With Local Trains — Running of Express Trains to Await Opening of Seventh Avenue Line of H System|last=|first=|date=1918-07-17|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=13}}</ref>。しかし1918年8月1日夜までは、42丁目駅と[[IRTジェローム・アベニュー線]]の167丁目駅(そこで高架鉄道の[[IRT9番街線]]からの連絡線が合流していた)までの間で緩行線のみを使ったシャトル運転を行っていた。8月1日から運行系統が変わり、レキシントン・アベニュー線が直通運転をするようになった。この時点で[[IRTブロードウェイ-7番街線]]もシャトル運転から切り替わり、[[42丁目シャトル]]がかつての連絡していた線路を使って形成され、両者を結ぶようになった。路線網の形から、"Hシステム"と呼ばれた。[[IRTペラム線]]の最初の区間もこの日[[3番街-138丁目駅]]まで開通した<ref>{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9507EEDE1739E13ABC4A53DFBE668383609EDE|title=Open New Subway Lines to Traffic; Called a Triumph — Great H System Put in Operation Marks an Era in Railroad Construction — No Hitch in the Plans — But Public Gropes Blindly to Find the Way in Maze of New Stations — Thousands Go Astray — Leaders in City's Life Hail Accomplishment of Great Task at Meeting at the Astor|last=|first=|date=1918-08-02|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-11-06|page=1}}</ref>。レキシントン・アベニュー線がグランド・セントラル駅以北に開通したことで、パーク・アベニュー、マディソン・アベニュー、レキシントン・アベニューに高価格の集合住宅が建設されるようになった<ref name=":2" />。

=== 改良 ===
[[ファイル:IRT 59th Street Express Station Opening November 15, 1962.jpg|thumb|left|59丁目駅の急行線用プラットホーム開設を報じるパンフレット]]
[[23丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|23丁目駅]]、[[28丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|28丁目駅]]、[[33丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|33丁目駅]]で10両編成対応のプラットホームに延長する工事が完了し、1948年4月13日に使用開始された<ref name="BOT-1949">{{Cite book|url=https://hdl.handle.net/2027/mdp.39015023094926|title=Report for the Three and One-Half Years Ending June 30, 1949|date=1949|publisher=New York City Board of Transportation}}</ref>。

1950年代末から1960年代初めにかけて、ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティでは1億3800万ドルをかけたレキシントン・アベニュー線近代化プロジェクトを実施した。プロジェクトの一環で、プラットホームの延長、59丁目駅における急行線プラットホームの建設、列車のスピードアップなどが実施された。[[ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール/チェンバーズ・ストリート駅#IRTレキシントン・アベニュー線|ブルックリン・ブリッジ駅]]の改修工事は1959年5月18日に始まり、1962年9月1日に完成した。改修工事の前は、ブルックリン・ブリッジ駅の緩行線ホームは4両編成のみに対応しており、遅延の原因となっていた。プラットホームが延長され、幅も広げられて直線化され、北行のプラットホームは1962年時点で使用開始された(南行は1961年に使用開始されていた)。改修前は、北側の端でわずか5フィート(約1.5メートル)という危険な幅の島式ホームになっていた。近代化プロジェクトによりこの状態は改善され、全長は295フィート(約88.5メートル)から523フィート(約156.9メートル)に伸ばされて幅も広げられた。プラットホームの延長は、リード・ストリートのすぐ南側まで220フィート(約67メートル)実施された。これに加えて、リード・ストリートとラファイエット・ストリートに向けての新しい出口が建設され、リード・アストリートの下に[[BMTナッソー・ストリート線]]のチェンバーズ・ストリート駅と連絡する通路が設けられた。拡幅されたプラットホームの中央に、新たな跨線通路が建設され、[[マンハッタン・ミュニシパル・ビルディング]]へアクセスしやすくなった<ref name=":13">{{Cite book|url=|title=Annual Report For The Year Ended June 30, 1959|last=|first=|date=October 1959|website=|publisher=New York City Transit Authority|page=9|archive-url=|archive-date=|dead-url=|access-date=}}</ref>。このプラットホーム延長により、急行列車のために使われていた南側のプラットホーム延長部分の使用を打ち切ることができた。このプラットホーム延長部分は、ギャップフィラー(プラットホームと列車の隙間を埋める装置)を必要としていた。プロジェクトには600万ドルがかかり、6系統の列車を9両編成へと増結することができるようになるとともに、急行列車もこの駅ですべてのドアを開けられるようになった(これ以前は、[[ドアカット|10両中8両のみがドアを開けていた]])。このプラットホーム延長の完成により、北側に隣接していた[[ワース・ストリート駅]]は近過ぎるために廃止となり、これを受けてブルックリン・ブリッジ駅の名前はブルックリン・ブリッジ-ワース・ストリート駅に改称された<ref>{{Cite news|url=https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9900E3DA173CE53BBC4953DFBF668389679EDE|title=New Platform for IRT Locals At Brooklyn Bridge to End Jams; Sharp Curve on Northbound Side Removed Station Extended to Worth St.|last=|first=|date=1962-09-01|work=The New York Times|access-date=2017-11-07|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

1959年末に、ボウリング・グリーン駅、ウォール・ストリート駅、フルトン・ストリート駅、キャナル・ストリート駅、スプリング・ストリート駅、ブリーカー・ストリート駅、アスター・プレイス駅、グランド・セントラル駅、86丁目駅と125丁目駅のプラットホームを525フィート(約160メートル)へと延長する契約が結ばれた。同時に、ウォール・ストリート駅から86丁目駅までの間の信号装置と連動装置を近代化する事業も実施された<ref name=":13" />。

1959年7月23日に、評価委員会は[[レキシントン・アベニュー/59丁目駅]]の急行ホーム建設契約を承認した。この新しいプラットホームにより、[[グランド・セントラル-42丁目駅]]の乗換混雑を緩和するとともに、急行列車と[[クイーンズ区]]方面へのBMTの列車との乗換も可能にすることを意図していた。急行用プラットホームが建設する以前でさえ、この駅は路線の中でもっとも乗降客が多かった<ref>{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive/pdf?res=9B0DE0DA1639E13BBC4153DFB7678389679EDE|title=IRT Will Open Express Station At Lexington and 59th Thursday|last1=Katz|first1=Ralph|date=1962-11-09|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=37}}</ref><ref>{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive/pdf?res=9903E5D81030E03ABC4E52DFB7678389679EDE|title=IRT Express Stop Opens at 59TH St. — East Side Station Had Been Local One Since 1918 Line's 4th-Busiest Stop|last1=Katz|first1=Ralph|date=1962-11-16|work=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=22}}</ref>。1959年8月10日に急行用プラットホームの建設が開始された。2本の急行用ホームは幅14フィート(約4.3メートル)、長さ525フィート(約160メートル)であった<ref name=":13" />。新しい急行用プラットホームに加えて、これらのプラットホームから緩行用プラットホームやBMTブロードウェイ線への乗り換えができるようにつなぐメザニン(中二階のコンコース)がプラットホームの上に建設された。急行線ホームと緩行線ホームを結ぶ2本の高速エレベーターが整備され、さらにメザニンと緩行線プラットホームを結ぶ2本の高速エスカレーターも整備された。計画の一環として、緩行線ホームは10両編成対応に延長された。さらに、59丁目の北端と南端に新しい改札口と窓口が設けられた。このプロジェクトには650万ドルがかかり、当初の予定より3か月前倒しして1962年11月15日に供用開始された<ref>{{Cite web|url=http://www.thejoekorner.com/lines/lex59/index.html|title=New 59th Street Express Station brochure|date=1962-11-15|website=www.thejoekorner.com|publisher=New York City Transit Authority|accessdate=2016-01-25}}</ref>。

1991年8月28日に、[[14丁目-ユニオン・スクエア駅#IRTレキシントン・アベニュー線|14丁目-ユニオン・スクエア駅]]のすぐ北の急行線において4系統の列車が[[1991年ユニオン・スクエア駅脱線事故|事故]]を起こし、乗客5人が死亡、215人が負傷して、{{仮リンク|1928年タイムズスクエア駅脱線事故|en|1928 Times Square derailment}}以来の死傷者となった<ref name="special">[https://books.google.com/books?id=JqGZj1QYZIUC&pg=PA27 "Case Study Number Ten: Union Square Station, New York City—August 28, 1991"], in: John Kimball and Hollis Stambaugh, ''Special Report: Rail Emergencies'', Technical report series (United States Fire Administration) USFA-TR-094, [Emmitsburg, Maryland]: Federal Emergency Management Agency, U.S. Fire Administration, National Fire Data Center, [2003?], [https://books.google.com/books?id=JqGZj1QYZIUC&pg=PA27&dq=Union+Square+derailment&hl=en&sa=X&ei=fVp6U5P0Dc7coAT2ioDQBA&ved=0CEAQ6AEwAg#v=onepage&q=Union%20Square%20derailment&f=false p.&nbsp;27].</ref><ref name="WaPo">[http://www.highbeam.com/doc/1P2-1082580.html "Probe Finds Subway's Speed Outstripped Safety System"] {{Wayback|url=http://www.highbeam.com/doc/1P2-1082580.html |date=20140714223804 }}, ''The Washington Post'', August 31, 1991 {{Subscription required|via=HighBeam Research}}</ref>。この事故の結果として、新しい安全手順が導入され、自動運転の一部導入に向けて作業が進められた<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1991/09/01/nyregion/catastrophe-under-union-square-crash-lexington-irt-motorman-s-run-disaster.html|title=Catastrophe Under Union Square; Crash on the Lexington IRT: Motorman's Run to Disaster|last=McFadden|first=Robert D.|date=September 1, 1991|work=The New York Times|access-date=August 4, 2017|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。

=== 過密化 ===
1942年6月13日に2番街高架線は完全に廃止となった<ref name=":02">{{cite web|url=http://mta.info/planning/sas/sas_history_1.htm|title=Second Avenue Subway Project - History|last=|first=|date=2002-10-19|website=mta.info|publisher=Metropolitan Transportation Authority|access-date=2016-02-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20021019053707/http://mta.info/planning/sas/sas_history_1.htm|archivedate=2002-10-19}}</ref>。高架鉄道の廃止と、イースト・サイドの人口増加に伴い、レキシントン・アベニュー線の混雑は激化してきた<ref name="MESA-August1999">{{cite web|url=https://books.google.com/books?id=SiM3AQAAMAAJ&q=63rd+street#v=snippet&q=63rd%20street&f=false|title=Manhattan East Side Transit Alternatives (MESA): Major Investment Study/Draft Environmental Impact Statement, August 1999|last=|first=|date=August 1999|website=|publisher=[[メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ]], [[アメリカ合衆国運輸省]], [[連邦公共交通局]]|accessdate=2016-07-11}}</ref>{{Rp|1–2}}<ref>{{cite web|url=http://nytm.pastperfectonline.com/archive/67DB8E9F-FD6C-4A8D-8D4E-917305611700|title=Discontinuance of service Second Avenue elevated line.|last=|first=|date=1942|website=nytm.pastperfectonline.com|publisher=New York City Board of Transportation|access-date=2016-12-04}}</ref>。近接して残っていた唯一の高架鉄道である[[IRT3番街線]]も、1955年5月13日に廃止となり<ref>{{Cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9B03E6DC113EE63BBC4B52DFB366838E649EDE|title=Last Train Rumbles On Third Ave. 'El'; An Era Ends With Final Run of Third Avenue 'El' LAST TRAIN ROLLS ON THIRD AVE. 'EL'|last=Katz|first=Ralph|date=1955-05-13|work=The New York Times|access-date=2016-12-14|via=}}</ref>、1956年に取り壊された<ref name=":02" />。

イースト・サイドの住民の考えに反し、イースト・サイドにとってレキシントン・アベニュー線のみが利用可能な地下鉄線となったことから、高架鉄道線を廃止・撤去しても交通状況が改善することはなかった<ref name="nycsub 1972">{{cite web|url=http://www.nycsubway.org/wiki/Second_Avenue_Subway:_The_Line_That_Almost_Never_Was|title=www.nycsubway.org: Second Avenue Subway: The Line That Almost Never Was|year=1972|publisher=nycsubway.org|accessdate=2015-09-30}}</ref>。高架鉄道線が取り壊されたため、何百もの高層住宅がイースト・サイドに建設され、路線沿いのビジネス街も発展し、レキシントン・アベニュー線の混雑が増すことになった<ref>{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=Y8sVCgAAQBAJ&pg=PA377&dq=overcrowding+lexington+avenue+line+report&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwiOt5T1pJjTAhWL8oMKHT4pDO8Q6AEIQTAH#v=onepage&q=overcrowding%20lexington%20avenue%20line%20report&f=false|title=Tunneling to the Future: The Story of the Great Subway Expansion That Saved New York|last=Derrick|first=Peter|date=2003-03-01|publisher=NYU Press|year=|isbn=9780814719107|location=|pages=|language=en}}</ref>{{Rp|377}}。廃止となった2本の高架鉄道線は、2番街の地下に建設される地下鉄によって代替されることになっていた。しかし資金不足のためにこの路線は完成しなかった。1990年代に入りニューヨーク市が財政的・経済的に回復してきたことから、[[IND2番街線]]の建設を再開する動きがあった<ref name="mta20110922">{{cite web|url=http://web.mta.info/capconstr/sas/feis.htm|title=Second Avenue Subway in the Borough of Manhattan, New York County, New York Final Environmental Impact Statement And Final Section 4(f) and Section 6(f) Evaluation|date=April 2004|pages=1–5, 1–6|format=PDF|accessdate=September 22, 2011|deadurl=yes|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140408220803/http://web.mta.info/capconstr/sas/feis.htm|archivedate=2014-04-08}}</ref>。全線が建設されれば、この路線は125丁目・レキシントン・アベニューからフィナンシャル・ディストリクトのハノーバー・スクエアまでを結ぶことになる<ref name="MESA">{{cite web|url=http://web.mta.info/capital/sas_docs/final_summary_report.pdf|title=Manhattan East Side Transit Alternatives (MESA)/Second Avenue Subway Summary Report|last=|first=|date=2001-10-11|website=mta.info|publisher=Metropolitan Transportation Authority|access-date=2016-08-09}}</ref>{{Rp|22}}。2007年に工事が始まり、2017年1月1日に最初の区間である[[レキシントン・アベニュー-63丁目駅]]から[[96丁目駅 (IND2番街線)|96丁目駅]]までが開通した。2番街線の開通から数か月にして、レキシントン・アベニュー線のアッパー・イースト・サイドにある駅の混雑がいくぶん緩和された<ref>{{Cite news|url=http://gothamist.com/2017/02/01/second_ave_subway_count.php|title=Early Ridership Count Indicates Second Avenue Subway Is Making Lexington Avenue Commutes Less Packed|last=Whitford|first=Emma|date=2017-02-01|work=Gothamist|access-date=April 9, 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20170203143422/http://gothamist.com/2017/02/01/second_ave_subway_count.php|archive-date=2017-02-03|dead-url=yes|language=en-US|df=mdy-all|publication-date=|accessdate=2018年4月12日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170203143422/http://gothamist.com/2017/02/01/second_ave_subway_count.php|archivedate=2017年2月3日}}</ref>。2023年に完成が予定されている[[イースト・サイド・アクセス]]により、[[ロングアイランド鉄道]]の列車が[[グランド・セントラル駅]]に入ってくることになる。さらに多くの人々がイースト・サイドにやってくることになり、レキシントン・アベニュー線の混雑が激しくなることが予想され、2番街線の必要性をさらに増すことになる<ref>{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=qiQ3AQAAMAAJ&pg=PA100-IA107&dq=overcrowding+lexington+avenue+line+report&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwiFwcK9pZjTAhUI94MKHUmRCRc4ChDoAQgdMAE#v=onepage&q=overcrowding%20lexington%20avenue%20line%20report&f=false|title=East Side Access in New York, Queens, and Bronx Counties, New York, and Nassau and Suffolk Counties, New York: Environmental Impact Statement|last=|first=|date=2001|publisher=Metropolitan Transportation Authority|year=|isbn=|location=|pages=|language=en}}</ref>{{Rp|7}}。

レキシントン・アベニュー線の混雑はあまりに激しいため、利用者は乗車できるまで何本も列車を見送ってプラットホームで待たねばならないことがよくある<ref>{{Cite web|url=https://cityroom.blogs.nytimes.com/2008/11/19/when-the-train-is-too-crowded-to-board/|title=When the Train Is Too Crowded to Board|last=Chan|first=Sewell|date=2008-11-19|website=City Room|access-date=2017-04-09}}</ref>。レキシントン・アベニュー線の列車の混雑率は100パーセントを超えている状況である<ref>{{Cite news|url=http://www.nydailynews.com/new-york/subway-cars-running-capacity-rush-hours-article-1.2161455|title=Subway cars running at over capacity during rush hours|last=Donohue|first=Pete|date=March 25, 2015|work=New York Daily News|access-date=2017-04-09|last2=Ortiz|first2=Keldy|language=en|last3=McShane|first3=Larry}}</ref>。ニューヨーク・タイムズによれば、2017年6月から7月にかけて、平均的な平日に[[グランド・セントラル-42丁目駅]]を通る列車の10 - 15パーセントが運休となっていた。これは、ラッシュ時には1時間当たり最大13本が運休となり、列車1本あたり1,000人の乗客が他の列車に移されることになる。列車の頻度も一定ではなく、ある日には高い運行密度であるのに対して、運行間隔が長くなる日もあった<ref>{{cite web | url=https://www.nytimes.com/interactive/2017/08/07/nyregion/new-yorks-subways-are-not-just-delayed-some-trains-dont-run-at-all.html |last1=Fessenden|first1=Ford|last2=Fitzsimmons|first2=Emma|last3=Lai|first3=Rebecca|last4=Pearce|first4=Adam |work=New York Times|title=New York’s Subways Are Not Just Delayed. Some Trains Don’t Run at All |access-date=2017-08-07}}</ref>。

2015年5月27日に、[[ニューヨーク市議会]]が65階建て[[超高層ビル]]の[[ワン・ヴァンダービルト]]の建設計画をディベロッパーに対して承認した。MTAはビルの建設にあたってディベロッパーに対して、グランド・セントラル駅の改良費用を負担するように義務付けた<ref name="wsj 201409112">{{cite news|url=https://online.wsj.com/articles/residents-try-to-get-details-on-new-midtown-east-plan-1410484574|title=Residents Try to Get Details on New Midtown East Plan|last=|first=|date=2014-09-12|work=|publisher=The Wall Street Journal|archive-url=https://web.archive.org/web/20140916101636/http://online.wsj.com/articles/residents-try-to-get-details-on-new-midtown-east-plan-1410484574|archive-date=2014-09-16|dead-url=yes |accessdate=2014-09-13}}</ref>。ディベロッパーのSLグリーンは2015年に、ビル建設に向けて2億2000万ドルを投じ<ref name="curbedmay">{{cite web|url=http://ny.curbed.com/archives/2015/05/27/city_council_green_lights_1500foot_one_vanderbilt.php|title=City Council Green Lights 1,500-Foot One Vanderbilt|last=Dailey|first=Jessica|date=2015-05-27|publisher=Curbed|accessdate=2015-08-05}}</ref>、そのうち3分の2が駅の再設計に使われることになった<ref>{{Cite web|url=http://gothamist.com/2016/10/18/subway_grand_central_plan.php|title=Inside The $220 Million Plan To Improve The Subway At Grand Central|last=Whitford|first=Emma|website=Gothamist|access-date=2016-10-19|deadurl=yes|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161021161512/http://gothamist.com/2016/10/18/subway_grand_central_plan.php|archivedate=2016-10-21|df=mdy-all}}</ref>。これはその時点まででニューヨーク市地下鉄に対して民間からの最大の投資であった<ref name=":4">{{Cite news|url=http://www.amny.com/transit/one-vanderbilt-s-grand-central-station-improvements-a-glimpse-at-changes-to-come-1.12466831|title=A glimpse at One Vanderbilt’s transit improvements|last=Barone|first=Vincent|date=2016-10-17|work=|access-date=2016-10-19|last2=Pereira|first2=Ivan|via=|newspaper=am New York}}</ref>。駅の再開発の一環として、駅の改札コンコースを拡張する余地を生み出し、ワン・ヴァンダービルト自体に2か所の新しい地下鉄出入口を設けるために、グランド・ハイアット・ニューヨークの地下階の40パーセントが取り壊されることになった<ref name=":4" />。新しいビルはMTAの[[イースト・サイド・アクセス]]プロジェクトと同時開業する予定で、ワン・ヴァンダービルト建設に伴う駅改良工事により、[[グランド・セントラル-42丁目駅]]からニューヨーク市地下鉄を利用する乗客の容量をさらに65,000人以上拡大することができる<ref name=":12">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2014/05/30/nyregion/65-story-tower-planned-near-grand-central-terminal.html|title=65-Story Tower Planned Near Grand Central Terminal|last=Bagli|first=Charles V.|date=2014-05-29|access-date=2016-10-19|issn=0362-4331|newspaper=The New York Times}}</ref><ref>{{cite news|url=https://nypost.com/2014/09/08/a-sneak-peek-at-one-vanderbilt-public-space/|title=A sneak peek at One Vanderbilt’s Grand Central plan - New York Post|date=2014-09-08|work=New York Post|accessdate=2014-09-13}}</ref><ref>{{cite web|url=http://secondavenuesagas.com/2014/09/09/a-glimpse-at-the-200m-transit-plans-for-one-vanderbilt|title=A glimpse at the $200M transit plans for One Vanderbilt :: Second Ave. Sagas|work=Second Ave. Sagas|first=Benjamin|last=Kabak|accessdate=2014-09-13}}</ref>。改良工事では、グランド・セントラル駅とワン・ヴァンダービルトを結ぶ地下通路、地下鉄の新しい改札コンコースと出入口、レキシントン・アベニュー線の各プラットホームと結ぶ新しい3本の階段が建設される<ref name=":4" /><ref name="nytimes 201405302">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2014/05/30/nyregion/65-story-tower-planned-near-grand-central-terminal.html|title=65-Story Tower Planned Near Grand Central Terminal|publisher=|work=The New York Times|accessdate=2014-09-13}}</ref>。これにより駅の容量は1時間当たり4,000人から6,000人ほど増加し、1時間当たり1本の急行列車を増発できるようになる<ref name=":4" />。これらの改良工事には2億ドル以上が費やされる<ref name=":22">{{Cite news|url=https://www.wsj.com/articles/developer-sees-manhattan-office-tower-as-a-new-landmark-1476663585?scrlybrkr|title=Developer Sees Manhattan Office Tower as a New Landmark|last=Morris|first=Keiko|date=2016-10-17|access-date=2016-10-19|issn=0099-9660|newspaper=Wall Street Journal}}</ref><ref>{{cite web|url=http://ny.curbed.com/archives/2014/09/08/one_vanderbilt_comes_with_200m_of_subway_improvements.php|title=One Vanderbilt Comes with $200M of Subway Improvements - In Transit - Curbed NY|work=Curbed NY|accessdate=2014-09-13}}</ref>。


== 駅一覧 ==
== 駅一覧 ==
{{NYCS service legend
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| nightsonly = show
| weekdaysonly = show
| rushonly = show
| rushpeak = show
}}


{| class="wikitable"
* 全駅[[ニューヨーク|ニューヨーク市]][[マンハッタン|マンハッタン区]]内に存在
* ●:停車、|:通過、○:深夜のみ停車、◆:ピーク方向のみ運転、∥:経由せず
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:90%;" rules="all"
|-
|-
!所在地<br />(おおよその位置)
!style="border-bottom:solid 2px #00933c;"|駅名
!{{Access icon}}
!style="width:1em; border-bottom:solid 2px #00933c; background:#00933c"|<span style="color:white">4</span>
!駅
!style="width:1em; border-bottom:solid 2px #00933c; background:#00933c"|<span style="color:white">5</span>
!プラットホーム
!style="width:1em; border-bottom:solid 2px #00933c; background:#00933c"|<span style="color:white">6</span>
!停車列車
!style="width:1em; border-bottom:solid 2px #00933c; background:#00933c"|<span style="color:white"><6></span>
!開業日
!style="border-bottom:solid 2px #00933c"|乗り換え・備考
!乗換および備考
!colspan="2" style="border-bottom:solid 2px #00933c;"|所在地
|-
|-
!colspan=7 style="background-color: silver;"|この先[[IRTジェローム・アベニュー線]][[IRTペラム線]]に接続
!colspan=7 style="background-color: silver;"|[[IRTジェローム・アベニュー線]]({{NYCS Jerome south|time=show}})と[[IRTペラム線]]({{NYCS Pelham|time=show}})の合流より始まる
|-
|-
|style="text-align:left;"|[[125丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|125丁目駅]]
!colspan=7 style="background-color: silver;"|レキシントン・アベニュー・トンネル
|style="background:#00933c;"|●
|style="background:#00933c;"|●
|style="background:#00933c;"|●
|style="background:#00933c;"|◆
|style="text-align:left;"|[[メトロノース鉄道]][[ハーレム125丁目駅]]
|style="width:1em; rowspan="4"|[[スパニッシュ・ハーレム]]
|-
|-
|rowspan=4|[[スパニッシュ・ハーレム|イースト・ハーレム]]
|style="text-align:left;"|[[116丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|116丁目駅]]
|{{Access icon}}
|style="background:#00933c;"|○
|[[125丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|125丁目駅]]
|style="background:#00933c;"||
|緩行/急行
|style="background:#00933c;"|●
| style="white-space:nowrap" |{{NYCS Lexington|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|&nbsp;
|[[メトロノース鉄道]][[ハーレム125丁目駅]]乗換<br />[[ラガーディア空港]]行きM60セレクトバスサービス
|-
|-
|
|style="text-align:left;"|[[110丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|110丁目駅]]
|[[116丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|116丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|○
|緩行
|style="background:#00933c;"||
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|●
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|style="background:#00933c;"|◆
|
|&nbsp;
|-
|-
|
|style="text-align:left;"|[[103丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|103丁目駅]]
|[[110丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|110丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|○
|緩行
|style="background:#00933c;"||
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|●
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|style="background:#00933c;"|◆
|
|&nbsp;
|-
|-
|
|style="text-align:left;"|[[96丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|96丁目駅]]
|[[103丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|103丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|○
|緩行
|style="background:#00933c;"||
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|●
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|style="background:#00933c;"|◆
|
|&nbsp;
|style="width:1em; rowspan="4"|[[アッパー・イースト・サイド]]
|-
|-
|rowspan=4|[[アッパー・イースト・サイド]]
|style="text-align:left;"|[[86丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|86丁目駅]]
|
|style="background:#00933c;"|●
|[[96丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|96丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|●
|緩行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|&nbsp;
|
|-
|-
|
|style="text-align:left;"|[[77丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|77丁目駅]]
|[[86丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|86丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|○
|緩行/急行
|style="background:#00933c;"||
|{{NYCS Lexington|time=show}}
|style="background:#00933c;"|●
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|style="background:#00933c;"|◆
|M86セレクトバスサービス
|&nbsp;
|-
|-
|
|style="text-align:left;"|[[68丁目-ハンター・カレッジ駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|68丁目-ハンター・カレッジ駅]]
|[[77丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|77丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|○
|緩行
|style="background:#00933c;"||
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|●
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|style="background:#00933c;"|◆
|M79セレクトバスサービス
|&nbsp;
|-
|-
|
|style="text-align:left;"|[[レキシントン・アベニュー/59丁目駅|59丁目駅]]
| style="white-space:nowrap" |[[68丁目-ハンター・カレッジ駅]]
|style="background:#00933c;"|●
|緩行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|●
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|style="background:#00933c;"|◆
|
|style="text-align:left;"|[[ニューヨーク市地下鉄F線|F]]、[[ニューヨーク市地下鉄N線|N]]、[[ニューヨーク市地下鉄Q線|Q]]、[[ニューヨーク市地下鉄R線|R系統]]
|style="width:1em; rowspan="3"|[[ミッドタウン・イースト]]
|-
|-
|rowspan=4|[[ミッドタウン]]
|style="text-align:left;"|[[レキシントン・アベニュー/51-53丁目駅|51丁目駅]]
|
|style="background:#00933c;"|○
|[[レキシントン・アベニュー/59丁目駅#IRTレキシントン・アベニュー線|59丁目駅]]
|style="background:#00933c;"||
|緩行/急行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/><br />(1962年急行線)
|style="text-align:left;"|[[ニューヨーク市地下鉄E線|E]]、[[ニューヨーク市地下鉄M線|M系統]]
|{{NYCS Broadway 60th|time=show}}([[BMTブロードウェイ線]][[レキシントン・アベニュー/59丁目駅#BMTブロードウェイ線|レキシントン・アベニュー/59丁目駅]])<br />[[メトロカード (ニューヨーク)|メトロカード]]利用者は改札外乗換可能: {{NYCS 63rd Lexington|time=show}}([[63丁目線]][[レキシントン・アベニュー-63丁目駅]])<br />[[ルーズベルト・アイランド・トラムウェイ]]<br />開業当初は緩行のみの駅であった。1962年に下層の急行線プラットホームが開設された。
|-
|-
|{{Access icon}}
|style="text-align:left;"|[[グランド・セントラル-42丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|グランド・セントラル-42丁目駅]]
|[[レキシントン・アベニュー-53丁目/51丁目駅#IRTレキシントン・アベニュー線|51丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|●
|緩行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|●
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|style="background:#00933c;"|◆
|{{NYCS Queens 53rd|time=show}}([[INDクイーンズ・ブールバード線]][[レキシントン・アベニュー-53丁目/51丁目駅#INDクイーンズ・ブールバード線|レキシントン・アベニュー/53丁目駅]])
|style="text-align:left;"|[[ニューヨーク市地下鉄7号線|7系統]]、[[42丁目シャトル]]、[[メトロノース鉄道]]
|-
|-
|{{Access icon}}
|style="text-align:left;"|[[33丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|33丁目駅]]
|[[グランド・セントラル-42丁目駅#IRTレキシントン・アベニュー線|グランド・セントラル-42丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|○
|緩行/急行
|style="background:#00933c;"||
|{{NYCS Lexington|time=show}}
|style="background:#00933c;"|●
|1918年7月17日<ref name="lexopens"/>
|style="background:#00933c;"|◆
|{{NYCS Flushing south|time=show}}([[IRTフラッシング線]])<br />{{NYCS 42nd|time=show}}([[42丁目シャトル]])<br />[[メトロノース鉄道]][[グランド・セントラル駅]]および[[ロングアイランド鉄道]][[グランド・セントラル・マディソン駅]]乗換
|&nbsp;
|style="width:1em; rowspan="1"|[[マーリー・ヒル (マンハッタン)|マレー・ヒル]]
|-
|-
!colspan=6 style="background-color: silver;"|[[42丁目シャトル]]からの線路が南行緩行線に合流(定期運行なし)
|style="text-align:left;"|[[28丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|28丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|○
|style="background:#00933c;"||
|style="background:#00933c;"|●
|style="background:#00933c;"|◆
|&nbsp;
|style="width:1em; rowspan="1"|[[ローズ・ヒル (マンハッタン)|ローズ・ヒル]]
|-
|-
|[[マーリー・ヒル (マンハッタン)|マーリー・ヒル]]
|style="text-align:left;"|[[23丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|23丁目駅]]
|
|style="background:#00933c;"|○
|[[33丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|33丁目駅]]
|style="background:#00933c;"||
|緩行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|&nbsp;
|M34セレクトバスサービス
|style="width:1em; rowspan="2"|[[グラマシー・パーク]]
|-
|-
|[[ローズ・ヒル (マンハッタン)|ローズ・ヒル]]
|style="background-color: silver;text-align:left;"|[[18丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|18丁目駅]]
| {{Access icon}}&nbsp;↓
|style="background:silver;"||
|[[28丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|28丁目駅]]
|style="background:silver;"||
|緩行
|style="background:silver;"||
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:silver;"||
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|style="text-align:left;"|1948年11月7日廃止
| 南行プラットホームのみ[[障害を持つアメリカ人法|ADA]]対応
|-
|-
|rowspan=2|[[グラマシー・パーク|グラマシー]]
|style="text-align:left;"|[[14丁目-ユニオン・スクエア駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|14丁目-ユニオン・スクエア駅]]
|{{Access icon}}
|style="background:#00933c;"|●
|[[23丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|23丁目駅]]
|style="background:#00933c;"|●
|緩行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|style="text-align:left;"|[[ニューヨーク市地下鉄L線|L]]、[[ニューヨーク市地下鉄N線|N]]、[[ニューヨーク市地下鉄Q線|Q]]、[[ニューヨーク市地下鉄R線|R系統]]
|M23セレクトバスサービス
|style="width:1em; rowspan="1"|[[ユニオンスクエア (ニューヨーク市)|ユニオン・スクエア]]
|-
|-
|
|style="text-align:left;"|[[アスター・プレイス駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|アスター・プレイス駅]]
|style="background:#00933c;"|
| style="background-color:#bfbfbf" |[[18丁目駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|18丁目駅]]
|緩行
|style="background:#00933c;"||
|
|style="background:#00933c;"|●
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|style="background:#00933c;"|◆
|1948年11月7日廃止<ref name="18th">{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive/pdf?res=9B0DE1D8133EE03BBC4E53DFB7678383659EDE|title=IRT Staton to be Closed — New Style of Subway Platform Will Be Tried There|last=|first=|date=1948-11-06|work=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=29}}</ref>
|&nbsp;
|style="width:1em; rowspan="1"|[[イースト・ヴィレッジ]]
|-
|-
|rowspan=1|[[ユニオンスクエア (ニューヨーク市)|ユニオンスクエア]]
|style="text-align:left;"|[[ブリーカー・ストリート/ブロードウェイ-ラファイエット・ストリート駅|ブリーカー・ストリート駅]]
| align=center | [[File:Aiga elevator.svg|20px|alt=改札コンコースへのみエレベーターあり]]
|style="background:#00933c;"|○
|[[14丁目-ユニオン・スクエア駅#IRTレキシントン・アベニュー線|14丁目-ユニオン・スクエア駅]]
|style="background:#00933c;"||
|緩行/急行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|style="text-align:left;"|[[ニューヨーク市地下鉄B線|B]]、[[ニューヨーク市地下鉄D線|D]]、[[ニューヨーク市地下鉄F線|F]]、[[ニューヨーク市地下鉄M線|M系統]]
|{{NYCS Canarsie|time=show}}([[BMTカナーシー線]])<br />{{NYCS Broadway|time=show}}([[BMTブロードウェイ線]])<br />当初は14丁目駅
|style="width:1em; rowspan="1"|[[ノーホー]]
|-
|-
|rowspan=1|[[イースト・ヴィレッジ]]
|style="text-align:left;"|[[スプリング・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|スプリング・ストリート駅]]
|
|style="background:#00933c;"|○
|[[アスター・プレイス駅]]
|style="background:#00933c;"||
|緩行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|&nbsp;
|
|style="width:1em; rowspan="1"|[[ソーホー (ニューヨーク)|ソーホー]]
|-
|-
|rowspan=1|[[ノーホー]]
|style="text-align:left;"|[[キャナル・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|キャナル・ストリート駅]]
|{{Access icon}}
|style="background:#00933c;"|○
|[[ブロードウェイ-ラファイエット・ストリート/ブリーカー・ストリート駅#IRTレキシントン・アベニュー線|ブリーカー・ストリート駅]]
|style="background:#00933c;"||
|緩行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|style="text-align:left;"|[[ニューヨーク市地下鉄J・Z線|J]]、[[ニューヨーク市地下鉄N線|N]]、[[ニューヨーク市地下鉄Q線|Q]]、[[ニューヨーク市地下鉄R線|R]]、[[ニューヨーク市地下鉄J・Z線|Z系統]]
|{{NYCS Sixth|time=show}}([[IND6番街線]][[ブロードウェイ-ラファイエット・ストリート/ブリーカー・ストリート駅|ブロードウェイ-ラファイエット・ストリート駅]])
|style="width:1em; rowspan="1"|[[チャイナタウン (マンハッタン)|チャイナタウン]]
|-
|-
| rowspan="1" |[[ソーホー (ニューヨーク)|ソーホー]]/[[リトル・イタリー (マンハッタン)|リトル・イタリー]]
|style="background:silver;text-align:left;"|[[ワース・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ワース・ストリート駅]]
|
|style="background:silver;"||
|[[スプリング・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|スプリング・ストリート駅]]
|style="background:silver;"||
|緩行
|style="background:silver;"||
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:silver;"||
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|style="text-align:left;"|1962年9月1日廃止
|急行線の線路間に撤去された軌道の跡があり、現在は信号機器室が置かれている
|style="width:1em; rowspan="3"|[[シヴィック・センター]]
|-
|-
|rowspan=1|[[チャイナタウン (マンハッタン)|チャイナタウン]]
|style="text-align:left;"|[[ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅]]
|{{Access icon}}
|style="background:#00933c;"|●
|[[キャナル・ストリート駅 (ニューヨーク市地下鉄)#IRTレキシントン・アベニュー線|キャナル・ストリート駅]]
|style="background:#00933c;"|●
|緩行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington local|time=show}}
|style="background:#00933c;"|◆
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|style="text-align:left;"|[[ニューヨーク市地下鉄J・Z線|J]]、[[ニューヨーク市地下鉄J・Z線|Z系統]]
|{{NYCS Broadway south|time=show}}([[BMTブロードウェイ線|BMTブロードウェイ線本線]])<br />{{NYCS Manhattan Bridge south|time=show}}([[BMTブロードウェイ線|BMTブロードウェイ-マンハッタン橋線]])<br />{{NYCS Nassau north|time=show}}([[BMTナッソー・ストリート線]])
|-
|-
|style="background:silver;text-align:left;"|[[シィ・ル駅 (IRTレキシ・アベニュー線)|シィ・ル駅]]
|rowspan=7|[[シックセンター (ハッタン)|シックセンター]]
|
|style="background:silver;"|∥
|style="background:silver;"|
| style="background-color:#bfbfbf" |[[ワース・ストリート駅]]
|緩行
|style="background:silver;"||
|
|style="background:silver;"||
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|style="text-align:left;"|1945年12月31日廃止。現在は[[ニューヨーク市地下鉄6号線|6系統]]の折り返し用ループ線として使用されている。
|1962年9月1日廃止<ref name="worth">{{cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive/pdf?res=9900E3DA173CE53BBC4953DFBF668389679EDE|title=New Platform for IRT Locals At Brooklyn Bridge to End Jams — Sharp Curve on Northbound Side — Removed Station Extended to Worth St.|last1=Grutzner|first1=Charles|date=1962-09-01|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-11-11|page=42}}</ref>
|-
|-
|{{Access icon}}
|style="text-align:left;"|[[フルトン・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|フルトン・ストリート駅]]
| style="white-space:nowrap" |[[ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール/チェンバーズ・ストリート駅#IRTレキシントン・アベニュー線|ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅]]
|style="background:#00933c;"|●
|緩行/急行
|style="background:#00933c;"|●
|{{NYCS Lexington|time=show}}
|&nbsp;
|1904年10月27日<ref name=145th/>
|&nbsp;
|{{NYCS Nassau north|time=show}}([[BMTナッソー・ストリート線]][[ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール/チェンバーズ・ストリート駅#BMTナッソー・ストリート線|チェンバーズ・ストリート駅]])<br />開業当初はブルックリン・ブリッジ駅で、その後ブルックリン・ブリッジ-ワース・ストリート駅になっていた、5両編成対応の2本の対向式プラットホームが緩行線用だった時代があった、南側に廃止されたプラットホーム延長部がある
|style="text-align:left;"|[[ニューヨーク市地下鉄2号線|2]]、[[ニューヨーク市地下鉄3号線|3]]、[[ニューヨーク市地下鉄A線|A]]、[[ニューヨーク市地下鉄C線|C]]、[[ニューヨーク市地下鉄J・Z線|J]]、[[ニューヨーク市地下鉄J・Z線|Z系統]]
|style="width:1em; rowspan="3"|[[フィナンシャル・ディストリクト (マンハッタン)|フィナンシャル・ディストリクト]]
|-
|-
|colspan=6 | &nbsp;
|style="text-align:left;"|[[ウォール・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ウォール・ストリート駅]]
|style="background:#00933c;"|●
|style="background:#00933c;"|●
|&nbsp;
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
!colspan=6 style="background-color: silver;"|緩行線の線路が急行線の線路からわかれ、終端ループ線を周って途中折り返しする({{NYCS City Hall|time=show}})
|style="text-align:left;"|[[ボウリング・グリーン駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ボウリング・グリーン駅]]
|style="background:#00933c;"|●
|style="background:#00933c;"|●
|&nbsp;
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
|
!colspan=7 style="background-color: silver;"|この先ジョレールモン・ストリート・トンネルを経て[[IRTイースタン・パークウェイ線]]に接続
| style="background-color:#bfbfbf" |[[シティ・ホール駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|シティ・ホール駅]]
|終端ループ線
|
| style="white-space:nowrap" |1904年10月27日<ref name=145th/>
|1945年12月31日廃止、現在は緩行列車が途中駅折り返しのために使っており、営業停車はない、レキシントン・アベニュー線の緩行列車は1904年から1945年まで深夜以外はこの駅に停車しており、その後サウス・フェリー駅行きとなった<ref name=cityhall/>
|-
|-
|colspan=6|&nbsp;
|style="background:silver;text-align:left;"|[[サウス・フェリー-ホワイトホール・ストリート駅 (ニューヨーク市地下鉄)|サウス・フェリー駅]]
|style="background:silver;"|∥
|style="background:silver;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:left;"|1977年2月12日廃止。現在は[[ニューヨーク市地下鉄5号線|5系統]]の折り返し用ループ線として使用されているが、駅自体は[[ニューヨーク市地下鉄1号線|1系統]]の駅として営業中である。
|style="width:1em; rowspan="1"|フィナンシャル・ディストリクト
|-
|-
!colspan=6 style="background-color: silver;"|急行線が続く({{NYCS Lexington south|time=show}})
|-
|rowspan=3|[[フィナンシャル・ディストリクト (マンハッタン)|フィナンシャル・ディストリクト]]
|{{Access icon}}
|[[フルトン・ストリート駅 (ニューヨーク市地下鉄)#IRTレキシントン・アベニュー線|フルトン・ストリート駅]]
|急行
|{{NYCS Lexington south|time=show}}
|1905年1月16日<ref name=":0" />
|{{NYCS Eighth far south express|time=show}}([[IND8番街線]])<br />{{NYCS Nassau south|time=show}}([[BMTナッソー・ストリート線]])<br />{{NYCS Broadway-Seventh Brooklyn|time=show}}([[IRTブロードウェイ-7番街線]])<br />デイ・ストリート通路を通じて[[コートランド・ストリート駅 (BMTブロードウェイ線)|コートランド・ストリート駅]]({{NYCS Broadway south|time=show}})
|-
|
|[[ウォール・ストリート駅 (IRTレキシントン・アベニュー線)|ウォール・ストリート駅]]
|急行
|{{NYCS Lexington south|time=show}}
|1905年6月12日<ref name="pump">{{Cite news|url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9503E5D71E3DE633A25750C1A9609C946497D6CF|title=Subway Trains Will Run Again This Morning — Through Service Promised for the Rush-Hour Crowds — Tunnel Pumped Out At Last — Big Water Main That Burst Was an Old One, Pressed Into Service Again After a Five-Hour Watch|last=|first=|date=1905-06-13|newspaper=The New York Times|accessdate=2016-09-18|page=1}}</ref>
|
|-
|{{Access icon}}
|[[ボウリング・グリーン駅]]
|急行
|{{NYCS Lexington south|time=show}}
|1905年7月10日<ref name=":1" />
|M15セレクトバスサービス<br />[[サウス・フェリー (マンハッタン)|サウス・フェリー]]より[[スタテン島フェリー]]連絡
|-
!colspan=7 style="background-color: silver;"|分岐してブルックリン方面へ[[ジョレールモン・ストリート・トンネル]]({{NYCS Lexington Brooklyn|time=show}})経由で[[IRTイースタン・パークウェイ線]]急行線となる
|-
|colspan=7 | &nbsp;
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|rowspan=2|[[フィナンシャル・ディストリクト (マンハッタン)|フィナンシャル・ディストリクト]]
!colspan=6 style="background-color: silver;"|折り返しの急行列車({{NYCS Lexington South Ferry|time=show}})用の終端ループ線
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| style="background-color:#bfbfbf" |[[サウス・フェリー/ホワイトホール・ストリート駅#IRTブロードウェイ-7番街線|サウス・フェリー駅]]
|終端ループ線
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|1905年7月10日<ref name=":1" />
|内側のプラットホームは1977年2月12日廃止、現在は急行列車が折り返すために使用しており営業停車はない。レキシントン・アベニュー線の列車は外側のプラットホームを1905年7月10日から1918年7月1日までと、1950年から1977年2月12日まで使用していた。外側プラットホームは2009年3月16日に廃止され、レキシントン・アベニュー線の急行列車は再び2本終端ループ線を使って折り返すようになった。
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|}

== フィクション ==
{{仮リンク|ジョン・ゴーディ|en|Morton Freedgood}}の書いた小説[[サブウェイ・パニック]](原題 {{Lang|en|The Taking of Pelham One Two Three}})およびそれに基づく3本の映画では、[[IRTペラム線]]のペラム・ベイ・パーク駅を午後1時23分に出発した列車がハイジャックされ、レキシントン・アベニュー線を走る。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|30em}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [http://web.mta.info/nyct/service/pdf/t4cur.pdf NYCTA公式時刻表(4系統)]
{{Commons category}}
* [http://web.mta.info/nyct/service/pdf/t5cur.pdf NYCTA公式時刻表(5系統)]
* [http://www.nycsubway.org/lines/eastside.html nycsubway.org &mdash; IRT East Side Line]
* [http://web.mta.info/nyct/service/pdf/t6cur.pdf NYCTA公式時刻表(6系統)]
* [http://www.nycsubway.org/wiki/IRT_East_Side_Line nycsubway.org — IRT East Side Line]


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2024年2月1日 (木) 04:40時点における最新版

IRTレキシントン・アベニュー線
IRT Lexington Avenue Line
1979年以来、IRTレキシントン・アベニュー線を運行する系統は緑で表示されている。IRTの番号付けで456系統が割り当てられている。
概要
種別 地下鉄
系統 ニューヨーク地下鉄
現況 営業中
所在地 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン
起終点 125丁目駅
ボウリング・グリーン駅
駅数 27(使用中は23)
運営
開業 1904年 - 1918年
所有者 ニューヨーク
運営者 ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ
路線構造 地下
路線諸元
軌間 1,435 mm (4 ft 8+12 in)
路線図
テンプレートを表示

IRTレキシントン・アベニュー線 (IRT Lexington Avenue Line) 、イースト・サイド線あるいはレキシントン・アベニュー-4番街線とも呼ばれる路線はニューヨーク市地下鉄Aディビジョンに属する地下鉄路線で、ロウアー・マンハッタンから北へイースト・ハーレム125丁目駅まで通じている。

ロウアー・マンハッタンとミッドタウンを走る区間は、ニューヨーク最初の地下鉄路線の一部であった。456系統の列車が運行している。

レキシントン・アベニュー線は、何十年にもわたってマンハッタンで直接アッパー・イースト・サイドやミッドタウンの東側へ行ける唯一の路線であった。路線は複々線で、アメリカ合衆国でもっとも利用者の多い都市鉄道路線である。1日平均130万人の利用者がおり、これはサンフランシスコバート(平日452,600人)、シカゴシカゴ・L(平日772,900人)、ボストンマサチューセッツ湾交通局(569,200人)などの各都市鉄道の1都市合計の利用者数より多い。2007年には、ワシントンメトロ全体の利用者も上回り[1]、このことも一因となって、レキシントン・アベニュー線の混雑緩和のために並行するIND2番街線の建設にこの年着手することになった[2]

この路線では4駅が廃止となっている。10両編成対応のためにプラットホームの延長工事をした際に、これらの駅を廃止して、隣接駅に新しい出入口を設ける方が有益であると判断された。18丁目駅は、14丁目-ユニオン・スクエア駅23丁目駅と近いために廃止された[3]。これに加えて、シティ・ホール駅ワース・ストリート駅はどちらも、ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅のブルックリン・ブリッジ出口およびドュエイン・ストリート出口にとても近かったために廃止となった[4][5]。そしてサウス・フェリー駅ボウリング・グリーン駅まで歩いていける距離にあり、またIRTブロードウェイ-7番街線のサウス・フェリー駅に隣接してもいたことから廃止となった[6]

運行系統と範囲

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レキシントン・アベニュー線で運行される系統は緑色で示されている[7]。以下の系統が、IRTレキシントン・アベニュー線の一部または全区間を走行する[8]

  時間帯 区間
ラッシュ時
および日中
夜間 平日深夜 週末(深夜以外) 週末深夜
急行 各停 急行 各停 全線
急行 運行なし 急行 運行なし 全線(ラッシュ時・日中・週末)
ボウリング・グリーン以北(平日夜間)
運行なし(平日深夜)
各停 ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅以北
各停 運行なし

レキシントン・アベニュー線は、ロウアー・マンハッタンにある、廃止となったサウス・フェリー駅の内側のループ線から始まる。駅の北側で、ブルックリン方面からジョレールモン・ストリート・トンネルを通って来た線路と合流し、急行線となる。この線路はブロードウェイパーク・ロウの下を通ってセンター・ストリートへ向かう。センター・ストリートの南側の終わり、ニューヨーク市庁舎の直下に、廃止となったシティ・ホール駅とその終端ループ線があり、ここが当初のIRTの地下鉄路線の南側の終点であった[4]。この終端ループ線は、今も6系統の列車の折り返しに用いられている。この終端ループ線につながっているレキシントン・アベニュー線の緩行線が下層から上がってきて、ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅のすぐ南側で急行線と並ぶ[9]

ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅からは、北に42丁目まで、センター・ストリート、ラファイエット・ストリート、4番街そしてパーク・アベニューの下を複々線の線路で続く。42丁目で、メトロノース鉄道グランド・セントラル駅にあるパーク・アベニュートンネルのために、レキシントン・アベニュー線は少し東側のレキシントン・アベニューへとずれる。グランド・セントラル-42丁目駅は、パーク・アベニューからレキシントン・アベニューにかけて斜めに位置している。グランド・セントラル駅のすぐ南側では、単線非営業の連絡線が42丁目シャトルとレキシントン・アベニュー線の南行緩行線をつないでおり、これはIRTが最初に建設した地下鉄路線の一部である[9]

レキシントン街の下を、緩行線が上層、急行線が下層の2層構造で北へ続き、96丁目駅北側から116丁目駅南側の間では再び複々線が平面に並ぶ。125丁目駅では再び2層構造となるが、ここでは上層が北行、下層が南行となる。これはレキシントン・アベニューの幅が狭く、複々線を平面に並べることができないためである[9][10]

ここより北で路線は複々線のレキシントン・アベニュー・トンネルでハーレム川をくぐってブロンクス区に入り、西側の2本の線路が4系統・5系統のIRTジェローム・アベニュー線となり、東側の2本の線路が6系統のIRTペラム線となる[11]

歴史

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レキシントン・アベニュー線の工事で最初に掘り出された土砂、1913年

当初の地下鉄

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最初のIRTの路線英語版は、1900年に着工された[12]。1902年に建設中に爆発事故が発生し、路線の上にある建物に大きな被害が出た[13]。レキシントン・アベニュー線のうち、シティ・ホール駅から42丁目のすぐ南側までの区間は、このIRT最初の路線の一部で、1904年10月27日に開通した[14]。1905年1月16日の深夜0時1分には、フルトン・ストリート駅までの0.3マイル(約0.48キロメートル)の延長が完成した[15]。この時点では、北行のプラットホームのみが供用された[16][17]。さらに次のウォール・ストリート駅と、フルトン・ストリート駅の南行プラットホームは、ともに1905年6月12日に開業した[18][19][20]

サウス・フェリー駅までの延長工事が完成して最初の営業列車がサウス・フェリー駅を発車したのは1905年7月9日23時59分のことで、IRTホワイト・プレーンズ・ロード線のウェスト・ファームズへの延長はこのすぐ後であった[21]。ジョレールモン・ストリート・トンネルを抜けて最初の列車がブルックリンに入ったのは1908年1月9日の深夜12時45分頃であった[22]

デュアル・コントラクト

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42丁目以北への延長に関する当初計画では、この路線を南へ伸ばしてアーヴィング・プレイスを通り9丁目とブロードウェイの交差点付近から現在のBMTブロードウェイ線へと通じることになっていた。26丁目から40丁目までの第6区間を含む建設契約が1911年7月21日に結ばれたが、この時点でIRTは交渉から撤退しており、ブルックリン・ラピッド・トランジットがレキシントン・アベニューに沿う路線を運営することになっていた。IRTは1912年2月27日に、後にデュアル・コントラクト英語版の一部となる提案を行い[23]、まもなく第6区間の工事は中断された[24]

路線の残りの区間となる、北へ125丁目までの区間は、1918年7月17日に開通した[25]。しかし1918年8月1日夜までは、42丁目駅とIRTジェローム・アベニュー線の167丁目駅(そこで高架鉄道のIRT9番街線からの連絡線が合流していた)までの間で緩行線のみを使ったシャトル運転を行っていた。8月1日から運行系統が変わり、レキシントン・アベニュー線が直通運転をするようになった。この時点でIRTブロードウェイ-7番街線もシャトル運転から切り替わり、42丁目シャトルがかつての連絡していた線路を使って形成され、両者を結ぶようになった。路線網の形から、"Hシステム"と呼ばれた。IRTペラム線の最初の区間もこの日3番街-138丁目駅まで開通した[26]。レキシントン・アベニュー線がグランド・セントラル駅以北に開通したことで、パーク・アベニュー、マディソン・アベニュー、レキシントン・アベニューに高価格の集合住宅が建設されるようになった[10]

改良

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59丁目駅の急行線用プラットホーム開設を報じるパンフレット

23丁目駅28丁目駅33丁目駅で10両編成対応のプラットホームに延長する工事が完了し、1948年4月13日に使用開始された[27]

1950年代末から1960年代初めにかけて、ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティでは1億3800万ドルをかけたレキシントン・アベニュー線近代化プロジェクトを実施した。プロジェクトの一環で、プラットホームの延長、59丁目駅における急行線プラットホームの建設、列車のスピードアップなどが実施された。ブルックリン・ブリッジ駅の改修工事は1959年5月18日に始まり、1962年9月1日に完成した。改修工事の前は、ブルックリン・ブリッジ駅の緩行線ホームは4両編成のみに対応しており、遅延の原因となっていた。プラットホームが延長され、幅も広げられて直線化され、北行のプラットホームは1962年時点で使用開始された(南行は1961年に使用開始されていた)。改修前は、北側の端でわずか5フィート(約1.5メートル)という危険な幅の島式ホームになっていた。近代化プロジェクトによりこの状態は改善され、全長は295フィート(約88.5メートル)から523フィート(約156.9メートル)に伸ばされて幅も広げられた。プラットホームの延長は、リード・ストリートのすぐ南側まで220フィート(約67メートル)実施された。これに加えて、リード・ストリートとラファイエット・ストリートに向けての新しい出口が建設され、リード・アストリートの下にBMTナッソー・ストリート線のチェンバーズ・ストリート駅と連絡する通路が設けられた。拡幅されたプラットホームの中央に、新たな跨線通路が建設され、マンハッタン・ミュニシパル・ビルディングへアクセスしやすくなった[28]。このプラットホーム延長により、急行列車のために使われていた南側のプラットホーム延長部分の使用を打ち切ることができた。このプラットホーム延長部分は、ギャップフィラー(プラットホームと列車の隙間を埋める装置)を必要としていた。プロジェクトには600万ドルがかかり、6系統の列車を9両編成へと増結することができるようになるとともに、急行列車もこの駅ですべてのドアを開けられるようになった(これ以前は、10両中8両のみがドアを開けていた)。このプラットホーム延長の完成により、北側に隣接していたワース・ストリート駅は近過ぎるために廃止となり、これを受けてブルックリン・ブリッジ駅の名前はブルックリン・ブリッジ-ワース・ストリート駅に改称された[29]

1959年末に、ボウリング・グリーン駅、ウォール・ストリート駅、フルトン・ストリート駅、キャナル・ストリート駅、スプリング・ストリート駅、ブリーカー・ストリート駅、アスター・プレイス駅、グランド・セントラル駅、86丁目駅と125丁目駅のプラットホームを525フィート(約160メートル)へと延長する契約が結ばれた。同時に、ウォール・ストリート駅から86丁目駅までの間の信号装置と連動装置を近代化する事業も実施された[28]

1959年7月23日に、評価委員会はレキシントン・アベニュー/59丁目駅の急行ホーム建設契約を承認した。この新しいプラットホームにより、グランド・セントラル-42丁目駅の乗換混雑を緩和するとともに、急行列車とクイーンズ区方面へのBMTの列車との乗換も可能にすることを意図していた。急行用プラットホームが建設する以前でさえ、この駅は路線の中でもっとも乗降客が多かった[30][31]。1959年8月10日に急行用プラットホームの建設が開始された。2本の急行用ホームは幅14フィート(約4.3メートル)、長さ525フィート(約160メートル)であった[28]。新しい急行用プラットホームに加えて、これらのプラットホームから緩行用プラットホームやBMTブロードウェイ線への乗り換えができるようにつなぐメザニン(中二階のコンコース)がプラットホームの上に建設された。急行線ホームと緩行線ホームを結ぶ2本の高速エレベーターが整備され、さらにメザニンと緩行線プラットホームを結ぶ2本の高速エスカレーターも整備された。計画の一環として、緩行線ホームは10両編成対応に延長された。さらに、59丁目の北端と南端に新しい改札口と窓口が設けられた。このプロジェクトには650万ドルがかかり、当初の予定より3か月前倒しして1962年11月15日に供用開始された[32]

1991年8月28日に、14丁目-ユニオン・スクエア駅のすぐ北の急行線において4系統の列車が事故を起こし、乗客5人が死亡、215人が負傷して、1928年タイムズスクエア駅脱線事故英語版以来の死傷者となった[33][34]。この事故の結果として、新しい安全手順が導入され、自動運転の一部導入に向けて作業が進められた[35]

過密化

[編集]

1942年6月13日に2番街高架線は完全に廃止となった[36]。高架鉄道の廃止と、イースト・サイドの人口増加に伴い、レキシントン・アベニュー線の混雑は激化してきた[37]:1–2[38]。近接して残っていた唯一の高架鉄道であるIRT3番街線も、1955年5月13日に廃止となり[39]、1956年に取り壊された[36]

イースト・サイドの住民の考えに反し、イースト・サイドにとってレキシントン・アベニュー線のみが利用可能な地下鉄線となったことから、高架鉄道線を廃止・撤去しても交通状況が改善することはなかった[40]。高架鉄道線が取り壊されたため、何百もの高層住宅がイースト・サイドに建設され、路線沿いのビジネス街も発展し、レキシントン・アベニュー線の混雑が増すことになった[41]:377。廃止となった2本の高架鉄道線は、2番街の地下に建設される地下鉄によって代替されることになっていた。しかし資金不足のためにこの路線は完成しなかった。1990年代に入りニューヨーク市が財政的・経済的に回復してきたことから、IND2番街線の建設を再開する動きがあった[42]。全線が建設されれば、この路線は125丁目・レキシントン・アベニューからフィナンシャル・ディストリクトのハノーバー・スクエアまでを結ぶことになる[43]:22。2007年に工事が始まり、2017年1月1日に最初の区間であるレキシントン・アベニュー-63丁目駅から96丁目駅までが開通した。2番街線の開通から数か月にして、レキシントン・アベニュー線のアッパー・イースト・サイドにある駅の混雑がいくぶん緩和された[44]。2023年に完成が予定されているイースト・サイド・アクセスにより、ロングアイランド鉄道の列車がグランド・セントラル駅に入ってくることになる。さらに多くの人々がイースト・サイドにやってくることになり、レキシントン・アベニュー線の混雑が激しくなることが予想され、2番街線の必要性をさらに増すことになる[45]:7

レキシントン・アベニュー線の混雑はあまりに激しいため、利用者は乗車できるまで何本も列車を見送ってプラットホームで待たねばならないことがよくある[46]。レキシントン・アベニュー線の列車の混雑率は100パーセントを超えている状況である[47]。ニューヨーク・タイムズによれば、2017年6月から7月にかけて、平均的な平日にグランド・セントラル-42丁目駅を通る列車の10 - 15パーセントが運休となっていた。これは、ラッシュ時には1時間当たり最大13本が運休となり、列車1本あたり1,000人の乗客が他の列車に移されることになる。列車の頻度も一定ではなく、ある日には高い運行密度であるのに対して、運行間隔が長くなる日もあった[48]

2015年5月27日に、ニューヨーク市議会が65階建て超高層ビルワン・ヴァンダービルトの建設計画をディベロッパーに対して承認した。MTAはビルの建設にあたってディベロッパーに対して、グランド・セントラル駅の改良費用を負担するように義務付けた[49]。ディベロッパーのSLグリーンは2015年に、ビル建設に向けて2億2000万ドルを投じ[50]、そのうち3分の2が駅の再設計に使われることになった[51]。これはその時点まででニューヨーク市地下鉄に対して民間からの最大の投資であった[52]。駅の再開発の一環として、駅の改札コンコースを拡張する余地を生み出し、ワン・ヴァンダービルト自体に2か所の新しい地下鉄出入口を設けるために、グランド・ハイアット・ニューヨークの地下階の40パーセントが取り壊されることになった[52]。新しいビルはMTAのイースト・サイド・アクセスプロジェクトと同時開業する予定で、ワン・ヴァンダービルト建設に伴う駅改良工事により、グランド・セントラル-42丁目駅からニューヨーク市地下鉄を利用する乗客の容量をさらに65,000人以上拡大することができる[53][54][55]。改良工事では、グランド・セントラル駅とワン・ヴァンダービルトを結ぶ地下通路、地下鉄の新しい改札コンコースと出入口、レキシントン・アベニュー線の各プラットホームと結ぶ新しい3本の階段が建設される[52][56]。これにより駅の容量は1時間当たり4,000人から6,000人ほど増加し、1時間当たり1本の急行列車を増発できるようになる[52]。これらの改良工事には2億ドル以上が費やされる[57][58]

駅一覧

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凡例
Stops all times 終日停車
Stops all times except late nights 深夜を除き終日停車
Stops late nights only 深夜のみ停車
Stops weekdays only 平日のみ停車
Stops all times except rush hours in the peak direction ラッシュ時混雑方向以外の終日停車
Stops rush hours only ラッシュ時のみ停車
Stops rush hours in peak direction only ラッシュ時の混雑方向のみ停車
時間帯詳細
所在地
(おおよその位置)
バリアフリー・アクセス プラットホーム 停車列車 開業日 乗換および備考
IRTジェローム・アベニュー線4 Stops all times 5 Stops all times except late nights)とIRTペラム線6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only)の合流より始まる
レキシントン・アベニュー・トンネル
イースト・ハーレム バリアフリー・アクセス 125丁目駅 緩行/急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25] メトロノース鉄道ハーレム125丁目駅乗換
ラガーディア空港行きM60セレクトバスサービス
116丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25]
110丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25]
103丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25]
アッパー・イースト・サイド 96丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25]
86丁目駅 緩行/急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25] M86セレクトバスサービス
77丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25] M79セレクトバスサービス
68丁目-ハンター・カレッジ駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25]
ミッドタウン 59丁目駅 緩行/急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25]
(1962年急行線)
N Stops all times R Stops all times except late nights W Stops weekdays onlyBMTブロードウェイ線レキシントン・アベニュー/59丁目駅
メトロカード利用者は改札外乗換可能: F Stops all times <F>Stops rush hours in peak direction only N Stops rush hours only Q Stops all times R Stops rush hours in peak direction only63丁目線レキシントン・アベニュー-63丁目駅
ルーズベルト・アイランド・トラムウェイ
開業当初は緩行のみの駅であった。1962年に下層の急行線プラットホームが開設された。
バリアフリー・アクセス 51丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25] E Stops all times M Stops weekdays onlyINDクイーンズ・ブールバード線レキシントン・アベニュー/53丁目駅
バリアフリー・アクセス グランド・セントラル-42丁目駅 緩行/急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1918年7月17日[25] 7 Stops all timesIRTフラッシング線
S Stops all times except late nights42丁目シャトル
メトロノース鉄道グランド・セントラル駅およびロングアイランド鉄道グランド・セントラル・マディソン駅乗換
42丁目シャトルからの線路が南行緩行線に合流(定期運行なし)
マーリー・ヒル 33丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14] M34セレクトバスサービス
ローズ・ヒル バリアフリー・アクセス ↓ 28丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14] 南行プラットホームのみADA対応
グラマシー バリアフリー・アクセス 23丁目駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14] M23セレクトバスサービス
18丁目駅 緩行 1904年10月27日[14] 1948年11月7日廃止[3]
ユニオンスクエア 改札コンコースへのみエレベーターあり 14丁目-ユニオン・スクエア駅 緩行/急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14] L Stops all timesBMTカナーシー線
N Stops all times Q Stops all times R Stops all times except late nights W Stops weekdays onlyBMTブロードウェイ線
当初は14丁目駅
イースト・ヴィレッジ アスター・プレイス駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14]
ノーホー バリアフリー・アクセス ブリーカー・ストリート駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14] B Stops weekdays only D Stops all times F Stops all times <F>Stops rush hours in peak direction only M Stops weekdays onlyIND6番街線ブロードウェイ-ラファイエット・ストリート駅
ソーホー/リトル・イタリー スプリング・ストリート駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14] 急行線の線路間に撤去された軌道の跡があり、現在は信号機器室が置かれている
チャイナタウン バリアフリー・アクセス キャナル・ストリート駅 緩行 4 Stops late nights only6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14] N Stops late nights only R Stops all times except late nights W Stops weekdays onlyBMTブロードウェイ線本線
N Stops all times except late nights Q Stops all timesBMTブロードウェイ-マンハッタン橋線
J Stops all times Z Stops rush hours in peak direction onlyBMTナッソー・ストリート線
シヴィック・センター ワース・ストリート駅 緩行 1904年10月27日[14] 1962年9月1日廃止[5]
バリアフリー・アクセス ブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅 緩行/急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only 1904年10月27日[14] J Stops all times Z Stops rush hours in peak direction onlyBMTナッソー・ストリート線チェンバーズ・ストリート駅)
開業当初はブルックリン・ブリッジ駅で、その後ブルックリン・ブリッジ-ワース・ストリート駅になっていた、5両編成対応の2本の対向式プラットホームが緩行線用だった時代があった、南側に廃止されたプラットホーム延長部がある
 
緩行線の線路が急行線の線路からわかれ、終端ループ線を周って途中折り返しする(6 Stops all times <6>Stops rush hours in peak direction only
シティ・ホール駅 終端ループ線 1904年10月27日[14] 1945年12月31日廃止、現在は緩行列車が途中駅折り返しのために使っており、営業停車はない、レキシントン・アベニュー線の緩行列車は1904年から1945年まで深夜以外はこの駅に停車しており、その後サウス・フェリー駅行きとなった[4]
 
急行線が続く(4 Stops all times 5 Stops all times except late nights
フィナンシャル・ディストリクト バリアフリー・アクセス フルトン・ストリート駅 急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 1905年1月16日[16] A Stops all times C Stops all times except late nightsIND8番街線
J Stops all times Z Stops rush hours in peak direction onlyBMTナッソー・ストリート線
2 Stops all times 3 Stops all times except late nightsIRTブロードウェイ-7番街線
デイ・ストリート通路を通じてコートランド・ストリート駅N Stops late nights only R Stops all times except late nights W Stops weekdays only
ウォール・ストリート駅 急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 1905年6月12日[19]
バリアフリー・アクセス ボウリング・グリーン駅 急行 4 Stops all times 5 Stops all times except late nights 1905年7月10日[21] M15セレクトバスサービス
サウス・フェリーよりスタテン島フェリー連絡
分岐してブルックリン方面へジョレールモン・ストリート・トンネル4 Stops all times 5 Stops weekdays only)経由でIRTイースタン・パークウェイ線急行線となる
 
フィナンシャル・ディストリクト 折り返しの急行列車(5 Stops late nights and weekends)用の終端ループ線
サウス・フェリー駅 終端ループ線 1905年7月10日[21] 内側のプラットホームは1977年2月12日廃止、現在は急行列車が折り返すために使用しており営業停車はない。レキシントン・アベニュー線の列車は外側のプラットホームを1905年7月10日から1918年7月1日までと、1950年から1977年2月12日まで使用していた。外側プラットホームは2009年3月16日に廃止され、レキシントン・アベニュー線の急行列車は再び2本終端ループ線を使って折り返すようになった。

フィクション

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ジョン・ゴーディ英語版の書いた小説サブウェイ・パニック(原題 The Taking of Pelham One Two Three)およびそれに基づく3本の映画では、IRTペラム線のペラム・ベイ・パーク駅を午後1時23分に出発した列車がハイジャックされ、レキシントン・アベニュー線を走る。

脚注

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外部リンク

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