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ボウリング・グリーン-サウス・フェリー・シャトル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボウリング・グリーン-サウス・フェリー・シャトル
Bowling Green–South Ferry shuttle
概要
種別 地下鉄
系統 ニューヨーク市地下鉄
現況 廃止
所在地 ロウアー・マンハッタン
起終点 ボウリング・グリーン駅
サウス・フェリー・ループス駅内側ホーム
駅数 2駅
運営
開業 1909年2月
廃止 1977年2月13日
所有者 ニューヨーク市
運営者 ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ
路線構造 地下
使用車両 R12電車
路線諸元
軌間 4 ft 8 12 in (1,435 mm)
電化 直流625V 第三軌条方式
路線図
配線図
ボウリング・グリーン駅
ループ線
サウス・フェリー駅(右)
サウス・フェリー・ループス駅(左)
Legend
系統、下層階
系統、上層階
系統
定期旅客列車・定期回送列車設定無し
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ボウリング・グリーン-サウス・フェリー・シャトル (Bowling Green–South Ferry shuttle) はかつてニューヨーク市地下鉄Aディビジョンで運行されていた系統の1つである。IRTレキシントン・アベニュー線ボウリング・グリーン駅IRTブロードウェイ-7番街線サウス・フェリー・ループス駅内側ホームを結んでおり、かつてボウリング・グリーン駅よりサウス・フェリー・ループス駅へ向かっていた5系統が1909年より全列車ブルックリン区方面へ直通を開始したことによるレキシントン・アベニュー線の乗客のサウス・フェリー・ループス駅へのアクセスを損なわないように設定された列車であった。この列車に充当されていたR12電車 (5703-5706) は特別改造を受けており、ドアを開ける際に車両両端の2ドアが開き、その後車両中央の1ドアが開くようになっていた。


歴史

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1905年7月10日、レキシントン・アベニュー線がウォール・ストリート駅からサウス・フェリー・ループス駅まで延伸開業した際、レキシントン・アベニュー線の列車は全てサウス・フェリー・ループス駅行きとして運転されていた[1]。その後1908年にジョレールモン・ストリート・トンネル開通した後、大半の列車がボウリング・グリーン駅よりトンネルを通過しブルックリン区への乗り入れを開始したが、ラッシュ時の一部列車は依然サウス・フェリー・ループス駅止まりであった。しかし、この運転形態ではラッシュ時のブルックリン区内の大量の乗客を捌ききれないことがすぐに分かった。

トンネル開通のわずか3ヶ月後にボウリング・グリーン駅の西側に新たなホームの建設が開始された。ホームは1909年に完成し、シャトルはこのホームを使用する形で1909年2月より2両編成でラッシュ時のみの運行を開始した。この際にラッシュ時の本線急行列車は全列車ブルックリン区へ直通を開始し、普通列車はシティ・ホール駅止まりとなった[2][3][4][5][6]

1964年8月、シャトルに充当されていた車両が特別改造を受けたR12電車 (5703-5706) に変更された。この車両は片側3ドアであるが、同時に開くのではなくまず車両両端の2ドアが開き、その後中央のドアが開いていた[6]

1967年、列車はニューヨーク市地下鉄の他のシャトル系統と同じくSSというラベルが付けられた。

ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティはこのシャトル列車によりもたらされる利益よりも運行に関わる損益の方が大きいと判断した。1977年2月12日深夜から13日早朝にかけての最終列車の運行が終了後、シャトルは廃止された。なお、これに伴いシャトル以外の発着列車の無かったボウリング・グリーン駅西側ホームとサウス・フェリー・ループス駅内側ホームは閉鎖された。その後、このシャトル列車廃止の補完を行う列車は設定されず、レキシントン・アベニュー線列車に乗車しサウス・フェリー駅およびスタテン島フェリーホワイトホール・ターミナルへ向かう場合はボウリング・グリーン駅より短い距離を歩く必要がある[7][6]

関連項目

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脚注

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  1. ^ SUBWAY TRAINS RUNNING FROM BRONX TO BATTERY; West Farms and South Ferry Stations Open at Midnight. START WITHOUT A HITCH Bowling Green Station Also Opened -- Lenox Avenue Locals Take City Hall Loop Hereafter.”. 2016年9月4日閲覧。
  2. ^ “Shuttle Trains in Subway”. ニューヨーク・タイムズ: p. 5. (May 27, 1908). https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9B04EED8143EE233A25754C2A9639C946997D6CF July 18, 2010閲覧。 
  3. ^ “Want to Run Shuttle Trains”. ニューヨーク・タイムズ: p. 18. (June 7, 1908). https://www.nytimes.com/1908/06/07/archives/fourth-av-subway-to-be-authorized-practically-certain-now-that-its.html July 18, 2010閲覧。 
  4. ^ “Shuttle Service in Subway”. ニューヨーク・タイムズ: p. 11. (February 25, 1909). https://www.nytimes.com/1909/02/25/archives/latest-customs-rulings-small-globules-of-glass-imitating-pearls-pay.html July 18, 2010閲覧。 
  5. ^ Annual report. 1908/09-1919/20.”. HathiTrust. Interborough Rapid Transit Company. September 6, 2016閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ a b c Cunningham, Joseph; DeHart, Leonard O. (January 1, 1993) (英語). A History of the New York City Subway System. J. Schmidt, R. Giglio, and K. Lang. https://books.google.com/books?id=Fg4KAQAAMAAJ&dq=brighton+line+brooklyn&focus=searchwithinvolume&q=1977 
  7. ^ “M.T.A. Expected to Save Franklin Avenue Shuttle, Once an Austerity Target”. ニューヨーク・タイムズ: p. 27. (February 10, 1977). https://www.nytimes.com/1977/02/10/archives/mta-expected-to-save-franklin-avenue-shuttle-once-an-austerity.html July 18, 2010閲覧。 

外部リンク

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