「小豆沢」の版間の差分
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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school">{{Cite web|url=http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/000/000388.html|title=板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内|publisher=板橋区|date=2017-07-31|accessdate=2017-12-11}}</ref>。 |
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!丁目!!番地!!小学校!!中学校 |
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2017年12月29日 (金) 00:12時点における版
小豆沢 | |
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小豆沢公園河岸広場からの新河岸川と東北新幹線列車 | |
北緯35度46分42.31秒 東経139度41分52.58秒 / 北緯35.7784194度 東経139.6979389度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 板橋区 |
地域 | 志村地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.874 km2 |
人口 | |
• 合計 | 15,692人 |
• 密度 | 18,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
174-0051[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
小豆沢(あずさわ)は、東京都板橋区の町名[4][5]。現行行政地名は小豆沢一丁目~四丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は174-0051[2]。
地理
東京都板橋区北東部に位置する。北端で新河岸川に接する。北で新河岸川を隔てて北区浮間、東で北区赤羽北および桐ヶ丘、南で北区赤羽西および蓮沼町、西で志村、北西で東坂下と隣接する。東辺および北辺をもって板橋区 - 北区境を形成する。新河岸川対岸の北区浮間とは、新河岸大橋で連絡されている。北辺で都道311号環状八号線(環八通り)、西辺で国道17号中山道が通じている。
地形
武蔵野台地成増台の高台と、荒川低地の沖積層の境目にあたる。区の中央部を小豆沢から赤塚にかけてほぼ東西に横断する崖線(がいせん)の区内東端地域で、小豆沢公園を含む三丁目・四丁目の町域を通り、およそ20mの急峻な高低差に多くの坂道が作られている。
河川
地価
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、小豆沢二丁目34-9の地点で352,000円/m2となっている[6]。
歴史
沿革
- 1602年(慶長7年):徳川家康の命により、中山道が整備される。
- 1604年(慶長9年):中山道に日本橋起点3里地点を示す志村一里塚が造られる。
- 1871年(明治4年)11月:浦和県から東京府に編入。大区小区制実施。
- 1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡小豆沢村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字小豆沢となる。
- 1923年(大正12年):王子(王志とも)乗合自動車商会(後に中山道乗合自動車を経て、戦後は国際興業バスに統合)が、王子駅 - 志村戸田橋間の路線バス事業を開始。
- 1925年(大正14年):1923年9月1日に発生した関東大震災後の帝都復興計画に伴い、東京都市計画区域内における市街地建築物法による住居・商業・工業地域の指定変更が行われる。北豊島郡志村全域が工業地域内甲種特別地区に指定され、化学薬品工場・危険物取扱工場の設立が可能になる。[7][8]
- 1928年(昭和3年):大日本セルロイド株式会社(現・株式会社ダイセル)東京工場でフィルム試験場を開設。1932年に映画用ポジフィルムを開発する。
- 1929年(昭和4年):志村大字小豆沢にオリエンタル酵母工業株式会社創設。国内初の製パン酵母の製造を開始。
- 1932年(昭和7年)10月1日:板橋区発足により、東京府東京市板橋区志村小豆沢町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
- 1933年(昭和8年)~ 1935年(昭和10年):中山道拡幅・新道(国道17号)建設工事が行われる。[9]
- 1944年(昭和19年):都電志村線開通、小豆沢町および志村(後の志村坂上)停留場開設。
- 1946年(昭和21年):志村警察署開設。
- 1947年(昭和22年):志村小豆沢町が、(旧)小豆沢一丁目~四丁目に分かれる。
- 1956年(昭和31年):板橋中央医院(現・板橋中央総合病院)開院。日本住宅公団が、板橋区初の賃貸団地として小豆沢住宅を建設する。
- 1961年(昭和36年)5月1日:志村小豆沢町の一部を蓮沼町、泉町、大原町に編入。
- 1962年(昭和37年)3月1日:志村小豆沢町の一部を前野町二丁目に編入。
- 1964年(昭和39年)10月7日:第18回オリンピック東京大会の聖火が中山道を通り、志村警察署前に走者中継点が設置される。
- 1966年(昭和41年)1月1日:住居表示実施により、(旧)小豆沢一丁目~四丁目および(旧)志村町一丁目~三丁目の中山道以東地域が(新)小豆沢一丁目~四丁目に再編される。
- 1966年(昭和41年)5月28日:都電志村線廃止(最終運行日)。
- 1967年(昭和42年):板橋区立プール開設。
- 1968年(昭和43年):区立体育館(小豆沢体育館)開設。
- 1968年(昭和43年)12月27日:都営地下鉄6号線開通、志村坂上駅開業。
- 1969年(昭和44年):ダイセル東京工場閉鎖。
- 跡地には「小豆沢ガーデンスポーツクラブ」が建設される。
- 1989年(平成元年):薬師の泉が板橋区により庭園として整備される。
- 2007年(平成19年):小豆沢ガーデン閉館。
- 2010年(平成22年):小豆沢ガーデン跡地にショッピングモール「セブンタウン小豆沢」開業。
地名の由来
いくつかの説があるが、小豆(あずき)を積んでいた船が沈んで、その小豆が川の水面に浮かび、小豆の澤のように見えたことから小豆澤(後に小豆沢)と呼ばれるようになったという説が有力である。「小豆澤村は往昔、荒川の入り江に傍って七々子崎と唱へし、わずかの湊なり、平将門東国を押領せし頃、貢物の小豆を積来り船この江に沈しかば、此の名は起これり」[10]。源義家が勧請した十二天社はこの地名を採り、小豆澤神社となった。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小豆沢一丁目 | 2,370世帯 | 4,869人 |
小豆沢二丁目 | 2,629世帯 | 5,347人 |
小豆沢三丁目 | 918世帯 | 1,629人 |
小豆沢四丁目 | 2,076世帯 | 3,847人 |
計 | 7,993世帯 | 15,692人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
小豆沢一丁目 | 2~16番 | 板橋区立志村第二小学校 | 板橋区立志村第二中学校 |
1番 17~23番 |
板橋区立志村第四小学校 | ||
小豆沢二丁目 | 1~11番 20~36番 | ||
12~19番 | 板橋区立志村第二小学校 | ||
小豆沢三丁目 | 全域 | 板橋区立志村第四小学校 | |
小豆沢四丁目 | 全域 |
交通
鉄道
バス
- 国際興業バス ※出入庫に伴う区間運行系統は特記しているものを除き省略。
- 志村坂上区民事務所・小豆沢二丁目:赤56 赤羽駅西口行き・高島平操車場行き
- 志村四小・小豆沢住宅・志村二中:赤56 赤羽駅西口行き・高島平操車場行き、赤54 赤羽駅西口始発桐ヶ丘循環(桐ヶ丘高校経由)、赤54-1 赤羽駅西口始発桐ヶ丘循環(体育館経由)
- 小豆沢公園・小豆沢通り:赤01 赤羽駅西口行き・平和台駅経由練馬駅行き、赤02 赤羽駅西口行き・成増駅北口行き
- 志村一里塚・小豆沢:池20 池袋駅西口行き・高島平操車場行き、池21 池袋駅西口行き・舟渡町経由高島平駅行き
- 小豆沢一丁目:赤53 ときわ台駅行き・西が丘経由赤羽駅西口行き
- 志村一丁目:赤53 ときわ台駅行き・西が丘経由赤羽駅西口行き
- ときわ台駅行きの停留所は中山道交差点の東側(赤羽駅寄り)に設置されているが、中山道を渡った先の凸版印刷前にも停留所が追加された。いずれも停留所名は「志村一丁目」で、後者については車内で「志村一丁目・凸版印刷前」と案内している。赤羽駅行きの停留所は凸版印刷前のみで、中山道の東側には設置されていない。
- 赤羽駅西口始発の蓮沼町循環(赤52系統、平日朝時間帯のみ運転)は、2013年3月15日限りで廃止された。
- (参考)赤羽西六丁目:赤53系統ときわ台駅行き・赤56系統高島平操車場行き・赤54-1系統桐ヶ丘循環の停留所が小豆沢一丁目町域内に設置されている。赤羽駅方面の停留所は北区桐ヶ丘一丁目に設置されている。
航路
- 東京水辺ライン 小豆沢発着場(国際興業バス小豆沢公園停留所前)
道路・橋梁
- 国道17号(中山道)
- 東京都道311号環状八号線(環八通り)
- 東京都道445号常盤台赤羽線(福寿通り)
- 体育館通り
- 新河岸川大橋
施設
行政
- 志村坂上区民事務所・地域センター管理事務所
- 志村コミュニティホール
- 小豆沢集会場
- 小豆沢二丁目集会場
- 志村警察署
- 小豆沢交番
教育
- 幼稚園・保育園
- さかうえ保育園
- 小学校・中学校
- 板橋区立志村第四小学校
- 板橋区立志村第二中学校
- 専門学校
- 板橋中央看護専門学校
- その他
- 志村図書館
- さかうえ児童館
- 小豆沢児童館
- 志村第四小学校学童クラブ
福祉・介護
- さかうえいこいの家
- ハンドベル・ケア 東京店 - 介護用品販売
病院、医療機関、開業医等
- 小豆沢病院
- 板橋中央総合病院
- 板橋セントラルクリニック
- 小豆沢整形外科
- 共助会医院
- 水口歯科医院
- 宗像歯科医院
- 高山歯科医院
- うえむらもときデンタルクリニック
- イムス板橋リハビリテーション病院
- 織田歯科医院
- みどり薬局
公園・広場・スポーツ施設
- 東原公園
- 薬師の泉庭園
- 小豆沢公園:園内に崖線が通り、北側では湧水もみられる。
- 小豆沢体育館:1968年開館、2009年3月全面改修。
- 小豆沢野球場
- 小豆沢庭球場
- 小豆沢プール:全面改修中。
- 相撲場
- 武道場
- 和弓場
- 小豆沢ガーデンスポーツ:2007年9月閉鎖。
金融
店舗
- セブン-イレブン(小豆沢4丁目店)
- ファミリーマート(小豆沢一丁目店、小豆沢二丁目店、小豆沢環八通り店、小豆沢店)
- ローソン(小豆沢一丁目店、志村坂上駅前店)
- 松屋(志村坂上店)
- マクドナルド(志村坂上店)
- モスバーガー(志村坂上店)
- ドトールコーヒーショップ(志村坂上店)
- 東武ストア(小豆沢店)
- キャンドゥ(小豆沢店:東武ストア地下1階)
- いなげや(板橋小豆沢店)
- スーパー三徳(小豆沢店)
- フラカッソ(小豆沢店)
- 笑笑(志村坂上駅前店)
- 東京スバル(カースポット小豆沢)
- 日産プリンス東京(板橋店)
町会組織
- 一丁目1番~17番:小豆沢一丁目町会
- 一丁目12番~14番:志村町会
- 一丁目15番~23番:小豆沢一丁目町会
- 二丁目1番~11番:小豆沢二丁目町会
- 二丁目12番~19番:志村町会
- 二丁目20番~36番:小豆沢二丁目町会
- 三丁目1番~4番:小豆沢緑町会(崖上)
- 三丁目5番、6番:志村町会
- 三丁目7番1号~23号:志村町会
- 三丁目7番24号:志村五桜町会
- 三丁目7番25~37号:志村町会
- 三丁目8番:小豆沢緑町会(崖上)
- 三丁目9番:小豆沢北町会(崖下)
- 三丁目10番~12番:志村五桜町会
- 四丁目1番~17番:小豆沢緑町会(崖上)
- 四丁目18番~29番:小豆沢北町会(崖下)
企業
- 一丁目
- アステラス製薬株式会社 東京研究センター:2010年1月閉鎖。
- 東京都プリプレス・トッパン株式会社:印刷組版、デジタルコンテンツ製作。凸版印刷の特例子会社。
- 東洋印刷株式会社 本社工場:封筒印刷。
- 二丁目
- 三丁目
- 四丁目
- 株式会社トッパンプロスプリント 板橋工場(旧特許紙器):2008年4月移転、解体工事中
- 財団法人日本ガス機器検査協会(JIA)東京事業所
寺院・神社・教会
- 総泉寺
- 妙徳寺
- 龍福寺
- 小豆澤神社
史跡
- 志村一里塚
- 小豆沢貝塚
-
総泉寺
-
薬師の泉庭園
脚注
- ^ a b “町丁目別世帯数・人口表”. 板橋区 (2017年12月1日). 2017年12月11日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月11日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P795
- ^ 『いたばしの地名』板橋区教育委員会、1995年、P189-190
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 国立国会図書館デジタルコレクション「帝都復興事業誌 公園篇・建築篇」(復興事務局 編 1931年)P.63(コマ番号44)
- ^ 板橋区ホームページ「板橋区の工業の歴史(1)」
- ^ 板橋区ホームページ「板橋区土木白書」第1章「区道の歴史」(PDFファイル)
- ^ 新編武蔵風土記稿
- ^ “板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内”. 板橋区 (2017年7月31日). 2017年12月11日閲覧。